10-3.判決


 趙深と協議し、力圧しを避け、営丘を包囲する事に決めた。それによって営丘内に圧力を加え、その動

きを見ようという腹だ。

 このまま攻めても良いが、そうすると営丘の民が趙軍を敵と認識してしまい、迷いを消して反撃してく

る恐れがある。趙の敵はあくまでも孫である。斉を敵に回すのは得策ではない。出来れば斉と孫を離間さ

せ、漁夫の利を得るような形で勝利したい。

 都合の良過ぎる考えだとしても、理想としてはそうあるべきであろう。

 ただし、包囲によって刺激された民が趙軍を敵と見なす恐れは当然ある。しかし結局は賭けでしかない

としても、何もせずにただ力圧しに攻めるよりは良い。それだけでもやる価値は充分にある。それを無駄

だと切り捨ててしまうのは、愚かと言わざるを得ない。

 趙軍は営丘を包囲しながら、間者を放って情報収集に努めた。

 二日が経ち、三日が経ちすると、おぼろげながら中の状況と変化が見えてくる。士気が衰えている為か、

人手が足りない為か、警備の手薄な箇所がどうしても出てきていて、忍び込むのにも以前程難しくはなく

なっているようだ。

 趙軍が包囲する事による効果がここにも出ている。あれほど厳重であった警備にも、明らかな罅(ひび)

が生まれていた。

 中には、孫が敗北した以上ささと孫を追い出し、北方同盟と結ぶべきだ。そうしなければ、孫の残党と

共倒れになってしまうだろう。我々は何も孫と心中する為に生きてきたのではない。生きている訳ではな

い。全ては王達が勝手にやった事、我々が孫に義理立てする必要は無い。むしろ姜尚(キョウショウ)様

の居る北方同盟にこそ義理立てするべきではないのか。

 というような事を言う者も少なくなく。そういう者達が集まって組織のようなものも出来ていて、間者

の手引きをさえしてくれている。

 いや、斉政府が勝手に孫を引き入れた時から、このような反抗組織はすでに在ったのかもしれない。そ

れが今孫の力が衰えた事で、より直接的に活動が出来るようになった、と言う事なのだろう。

 まだ大勢の兵が残っているとはいえ、全てが孫兵ではなく。その兵達が言わば二軍、三軍である事は、

誰もが知っている。だから今が好機とばかりに反抗組織が活発化した。そしてその活発化した組織を取り

締まりきれない所から見て、孫の弱体化を皆がはっきりと知る。

 趙と反抗組織からすれば、明らかな好機。これを趙起達も逃すべきではないが。しかしそう上手くいく

ものだろうか、罠だという可能性はないのか。

 反抗組織といっても、人員全てが固い絆(きずな)で結ばれている訳ではない。中には何となく参加し

ている者も居るだろうし。金銭や人脈などの関係で半ば無理矢理入れられている者もいるだろう。その組

織に居た方が良い暮らしが出来るからという者も居るし。反抗、組織という響きに憧れる者。単に権威と

いうものに対して反抗したいだけという者まで、様々な人間が居る。

 組織の決起が義憤という総意に寄ってであったとしても、一つにまとまる事、まとまり続ける事は難し

い。その組織が大きくなり、盛んになれば尚更である。人というものは皆独自の考えを持っている。似て

いても同じものは一つとして無いし、またその心も変わり易いもの。まず人を信頼せねば何も出来ないと

しても、簡単に人を信頼してしまうのも危険であろう。

 趙深は間者達の報告に目を通し、反抗組織、民、政府、兵、全てに工作しつつ、機を計った。

 時間がある訳ではないが、これも進軍同様慎重に行わなければならぬ。ここで画竜点睛(がりょうてん

せい)を欠くような事になれば、それこそ今までの事が水の泡となるし、趙の願いを遂げる事が難しくな

ってしまう。

 この営丘もまた、終着点ではないのだ。窪丸の状況によっては援軍を送らなければならなくなるし、そ

うでなくとも東方へ侵攻する事で、初めて孫への圧力が現実化する以上、兵力は出来る限り温存したい。

先を先をと考えなければならないのは辛いが、ここで投げ出す訳にはいかない。

 辛かろうが苦しかろうがここで気を抜く訳にはいかなかった。



 営丘包囲から一週間という時間が流れた。辛抱強く工作し続けた甲斐があったか、内から門を開けさせ、

趙軍が突入すると同時に反抗組織が街中で蜂起し、そのまま営丘を落としてしまうまで、手筈は全て整っ

ている。

 とはいえ、一週間程度では全てを見極められる訳もなく、不安要素は多い。

 しかし民と斉兵の反意は本物のようで、その動きに半分は期待できるだろう。

 その上で趙深は趙軍のみで勝てるように作戦を立てている。民や反抗組織が思い通りに動けば制圧は楽

になるし、そうならなくとも作戦遂行には困らない。

 鍵となるのは勿論賦族である。ここ営丘にも当然のように賦族が居り、賦族の居る所、趙深の息が届く。

もし孫軍の支配力が健在であれば、賦族達を動かす事は難しかったが。今はその支配力が落ち、門を開く

事くらいなら、賦族だけでも充分に行える。

 門さえ開く事が出来たならば、今の孫軍を討つ事は難しくない。門を開けば戦意も落ちる。斉兵はほと

んどが投降し、斉政府も覚悟を決めるだろう。孫兵は死に物狂いになって反撃してくるかもしれないが、

これに対しては防ぐ術は無い。その太刀を受けながら、それに耐え、孫兵の意を全うしてやる他に無いだ

ろう。血を見ずに孫に勝つ事は出来ない。

 孫文教とでもいうものに取り付かれているとしか思えぬ彼らには、孫文以外にはまず屈しない。例え負

傷していても、いや負傷しているからこそ、余計に孫文の意に応えようとし、死をもって敗北の罪を雪(す

す)ごうとする。

 だが前にも述べたように、孫も一枚岩ではない。敗北の報を聞き、そして実際に自分がその敗北という

ものに直面した時、彼らの信仰に罅が入らぬとは限らない。孫文は魔法のように一代で大きな勢力を成し

た。それがまた魔法のように消えたとしても、不思議ではない。

 魔法使いも魔力が消えればただの人。孫文もまた人間であるからには、自ずと限界があろう。

 この一戦はそれを見極める為の良い試金石ともなる。

 無論、趙が無事勝てれば、の話だが。



 日が落ち、計画通り門が開け放たれると、趙軍は中へ雪崩れ込んだ。

 通りには人の影も無く、不気味に静まりかえっている。まるで嵐の過ぎるのを待ってでもいる様に、全

ての家々が窓と戸を閉じ、辛うじて僅かな明かりが漏れてくるのだけが、人の存在を知らせる。

 趙深は悪くない兆候だと感じた。何がと言えば、明かりである。これは民が全てから逃げようとしてい

るのではなく、自分達が居るぞと趙軍に知らせているのだと考えられる。それが意識しての事であれ、無

意識の事であれ、悪くない。

 明かりがなければ、完全に趙軍を敵と見なし、その目から逃れようと考えているか。或いはこの不気味

なまでの静けさは、罠か何かと考えられる所だが、そうではなさそうだ。そう思わせて油断させるのが目

的、という考えも出来るが。孫が今更そのような姑息な策を用いるとも思えない。最後まで孫に殉じよう

とする者達が、孫文の美意識を損ねるような策を用いる訳がないし。そこまでするようなら、初めから素

直に投降している事だろう。

 例え罠であったとしても、それはそれで良い。孫も落ちたものだと言う事になるし、形振(なりふ)り

構わぬようになれば、かえって隙が生まれ易いというものだ。

 趙深、趙起は慎重に軍を進めた。勿論両者同じ門から入るのではなく、複数の門から同時に討ち入って

いる。民に不安を抱かせぬよう、兵に気を配る事も忘れていない。金劉陶の兵達が略奪を禁じる事に不満

を抱くのではないかと案じていたのだが、孫への恐怖心と戦の緊張感、そして今までの訓練の成果が出て

いるのか、その心配は杞憂に終わってくれそうだ。

 不満を表に出さなかっただけ、という可能性もあるが、表に見せなければそれでいい。抑えられるよう

な不満であれば、後で褒賞を与えれば納得するだろう。

 その不満を見過ごせば大事に至るが、一つ一つ労わってやれば、その不満は小さいままで終ってくれる。

 趙軍は夜闇を粛々と進む。

 しかし静けさは長く続かなかった。死を覚悟した兵が、趙軍の到着を待っていたのである。

「全軍、突撃!!」

 前方に敵影を確認し、迷わず号令を発した。流れ矢で余計な被害が出る事を恐れ、弓矢や投石の使用を

禁じている為、この一戦は勢いと勇気が勝負である。

「オオオオオオオォォォッォオオオオオオオオオッ!!!」

 闇夜を震わす声を発し、先陣を切るのは賦族兵達。その巨体を踊らせ、闇にはまさに鬼と映る。ここに

居る斉孫兵のほとんどは賦族兵を目にした事がない筈だ。死を覚悟したとはいえ、彼らも生きている内に

鬼を見る事になるとは思わなかっただろう。

 恐ろしい音と怒声を上げ、両軍が激突し。刃と刃、肉と肉、声と声、全てがぶつかり四散する。

 まるで全ての存在がただそれだけの為にあるかのように、夜闇に音が響き渡る。その全てが黒と静けさ

に染め上げられ、死霊同士が戦っているようにも見える。

 それは多分に比喩的であるにせよ、夜は恐怖を際立たせるものだ。闇に包まれるからこそかえって生々

しさを増す、生と死の鬩(せめ)ぎ合い。闇に包まれた命の愚かな営み。

 斉孫の力は本物であったが、広大な平野ではなく、そして指揮官不在の今、自慢の統率力と突貫力は如

何にも映えず。兵一人一人の力というよりは、全体としての力が大きく衰(おとろ)えていた。

 絶大なる統率力による一撃粉砕の力。それを言い換えるなら集団の迷い無き突撃であるが。集団として

の纏まりを失っている今、それは発揮する事は不可能であった。

 斉孫の兵力も思っていたよりは少ない。不意を突けたのか、孫の魔力が減じた為かは解らないが、賦族

兵の力を防げられる程の抵抗力は感じられない。斉孫兵は次々に討ち取られ、趙軍にも負傷者が多く出た

が、それも想定していた以上の被害ではなかった。

 恐るべき力を誇り、楚も趙も滅ぼせて当然とすら考えられた強大なる孫という存在が、今趙の前に屈し

ようとしている。

 斉孫兵に今までのような力は無かった。彼らは確かに懸命に戦っている。しかしそれでいて尚、趙軍の

前に破れようとしている。皆命を賭して戦うが、願い叶わず死んでいく。

 屍(しかばね)が積み重なり、ぞっとする血の匂いが街中に滾(たぎ)っている。

 街路は狭く無いが、外と比べれば余りにも限定されている。それだけに尚更生々しい風景が目に付くの

か、血と死体との距離が恐ろしく近く感じられた。それはすぐ側にあり、死がいつも隣にある事を思い出

出させる。しかしそれを見、心は何故か高揚していく。恐怖に酔っている、そう言えば良いのか。よく解

らないものに自分が染められていくのを止められない。

 それは恐らく悪しきものだ。悪しき兆候である。

 だが今は、その心に従おう。

「逆らう者には容赦するな。敵の望むまま、その身を血に染めてやれ」

 趙起は雄々しく号令す。血の叫びに応えるように、殺し合いをする為の虚栄心を張り上げるように。

 最早、敵を恐れる必要はなかった。

 斉孫兵の動きはばらばらである。まだ軍として統率されていれば大きな力となっただろうに。如何に兵

として強くとも、個々で戦っているようでは怖くない。面白い事に、といえば不謹慎かもしれないが、個

人としての強さは、全体としての力の前には無力と思える。

 個人の力を束ねて全体の力とする以上、個々人の力は無視できないとしても、やはり全体としての力の

前には意味を失う。

 一対一では無敵を誇る力でも、一対二となれば半減する。いや、相手が二人であるから半分である、と

いうような計算式にはならない。中には十分の一にさえなってしまう場合もある。真の意味では一騎当千

というような力は存在しえない。もしそれがあったとしても、それは多分に虚飾された、真ではなく欺か

れた力であろう。

 だからこそ虚飾が見破られた今、孫の力が失墜したのだ。孫も他の国と変わらない、ただの人間の集ま

りでしかなかったのだと解れば、その力は失われる。

 賦族兵のような化け物染みた力を持っている訳ではなく、やはり孫、孫文という魔力によって、作り出

された力なのである。

 そう考えれば、確かにただ孫と名の付くだけで、あれほどの力を生み出していた事にも納得がいく。人

間は居る場所が変わるだけで、まるでその人自身までが変わった様に見える事があるものだ。

 しかし服を剥ぎ取られ、居場所から落とされれば、何も変わらぬ一人の人間へと還るしかない。惨めに、

無力に、そしてあるがままに。

 趙軍は着実に斉孫兵を打ち破り、営丘を制圧していった。

 血を求めたのは、ここに到った以上、投降に応じる兵はおらず、むしろ死ぬ事のみを誇りとしているだ

ろうからである。工作した者達はすでに街中で蜂起している。戦意の無い者はとうに逃げている。

 だからそれでも尚向かってくる敵に対し、投降を呼びかけるのは逆効果であり、その覚悟を侮辱(ぶじ

ょく)する行為でしかない。

 当時は碧嶺(ヘキレイ)後のように大義名分を頑(かたく)ななまでに護ろうとするような気風は、一

般に無かったと云われている。しかし後の走りといえるものが、孫には幾らかはあったようだ。そういう

気風を生み、尊んだ碧嶺という存在が大陸統一を成し遂げる事を考えても、そういう気風が少しでもあっ

たからこそ孫は大陸の半分を支配するような力を得たのかもしれない。

 そういう覚悟、生命すら投げ捨てる代価となるものがあればこそ、人は全てを擲(なげう)って、むし

ろ自ら進んで命を捧げようとする。その死をも厭(いと)わぬ力が、今までに出来なかった事を成し遂げ

た。そう考える事は、あながち間違っていないように思える。

 今までのやり方とは違ったものを使ったからこそ、今までになかった成果を上げた。そう考えられない

だろうか。

 だからそういう気風を持つ兵の命は、躊躇(ちゅうちょ)なく奪わなければならなかった。何故なら、

そうしなければ終らないからだ。誇りの為に死ぬ者は、決してその事を恐れない。死をすら恐れない者の

意を曲げる事は不可能である。

 その行いは確かに正義ではない。殺し合う事に正義を見出す事は愚かでしかない。しかしそこにそうい

う心があったからこそ、殺し合いというよりは、半ば儀式であったかのようにも感じられる。その死は彼

らが望んだ刑罰、そういう風に例えても、幾らかは合っているのではないか。

 結果として抵抗を示した斉孫兵は、いや孫兵は、全滅と言っていい程の死者を出したが。それが出来たの

も、彼らが死こそ望んでいたからだと思える。決して退かないからこそ、そこには敗北の死か勝利の生か、

その極端な二択しか残されない。

 死こそが救い。孫の為に命を捨ててこそ失態を償える。

 そういう気持ちで、彼らはむしろ自ら進んで死んでいったのだ。それは戦死というよりは、自殺に近い

死であったのだろう。



 終わってみれば呆気ない幕切れである。斉兵もほとんどが寝返り、斉政府の要人達も反抗組織や寝返り

兵達に捕らえられ、或いは命を奪われ、斉という国はもう機能していない。

 尤(もっと)も、孫が斉を支配下にした時から、斉政府など有名無実の存在になっていたと言えなくも

ない。

 こうして趙軍は、北方同盟は、また一つ、いやここに完全な勝利を得たのである。孫から斉を解放した。

これ以上はっきりとした勝利はない。

 まだ各地には孫の残党が幾らかは残っているが、それも次第に消えていく筈だ。東方の動きも気になる

が、暫くは大きな動きを取れないだろう。いや敗報を聞いてすぐさま軍を送ってくる可能性もあるか。

 東方にまだ余力があるのだとすれば、無い話ではない。趙軍を斉制圧で疲弊させ、勝利したと油断した

所を東方軍が襲う。それは考えられる話である。

 勝てば勝ったで新たな不安が出てき、その上暫くは斉の安堵に苦心しなければならない。苦労と不安と

いうものがどこから湧き出てくるのは知らないが、人は常にそれに追い立てられる定めであるようだ。

 むしろ不安を自ら呼び出す事で、人はそれを打開する為の知恵を生む、と言えるのかもしれない。そう

だとすれば、何と皮肉に出来ているものか。人はそれを追い出す事を理想としながら、それを同時に必要

としているのである。面白いというには、あまりにも皮肉過ぎる運命と云える。

 だが、趙軍が勝利した事には変わりない。それはそれで満足しておくべきだろう。




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