10-4.東進


 趙深は斉の全権を掌握し、事実上支配下に置いた。無論それは一時的な処置であり、いずれは斉へ返還

される事となる。それから領土を割譲させても良いし、属国とするなりしても良いが、孫からの開放を名

目としている以上、このまま乗っ取ってしまう訳にはいかない。

 そんな事をすれば反意が増し、後々まで大きな禍根を残す事になりかねない。今この時期に行う事は全

て、斉の民に大きな印象を残してしまう。それが良ければいいが、悪ければそこで失敗が決定付けられて

しまう程にそれは大きく。戦自体もそうだが、戦後処理こそより慎重に行うべきであり。例え建て前でし

かない事であれ、いやそうであるからこそ、それを大事にしなければならない。

 そうしてこそ斉民は自らの心を容れてくれたのだと錯覚し、落ち着く事ができる。今まで自分の意を全く

聞き入れなかった斉政府と比べ、満足し、胸を撫で下ろし、納得するのである。

 そう、民を納得させる事が、今最も望まれている事なのだ。

 その為に趙深は姜尚の斉入りを考えている。姜尚を王としてしまえば、一番多くの賛同を得られ、統治

も楽になるのだが。彼の性格を考えればそれは無理であろう。だからせめて姜尚には新王の後見人として

斉に来てもらいたいと考えている。

 斉を見て解った事だが、斉民が姜尚を望む声は考えていたよりも遥かに高い。どう例えれば良いのだろ

う。前斉王を簒奪者、姜尚こそを正当なる王と見ている。とでも言えば気分が一番良く伝わるだろうか。

 この様子では姜尚以外に誰が来たとしても、民は決して認めようとはしまい。例え一時的でも良いから、

とにかく姜尚が斉に来る事が求められている。

 趙深もその意を無視する事は出来ない。今後の事を考えても、斉の協力は必要不可欠である。その為に

こそ孫と前斉王政府を悪とし、姜尚こそ善、そして彼に組する趙深も善、という風に持ってきたのだ。こ

こで斉民の賛同を得られなければ、一体何の為に戦ったのか解らなくなる。

 趙深は故に姜尚の斉入りを前提として政策を進めており、強引にでも姜尚を連れてくる構えである。楚

の不快を買ってしまう可能性はあるが、今はそうするしかない。楚も姜尚も説明すれば幾らかは理解して

くれるだろう。いや、解らせなければならぬ。



 斉の後処理を一通り終えるまでに十日という時間を要した。それでもまだ大雑把であり、細部まではと

ても手が及ばないが、ともかく一段落はついた。

 その間に西方や窪丸の詳しい情報が入ってきている。

 西方は今までと変わらず防戦一方であるが、しかし孫からの圧力が減じ、少しずつ余裕が見えてきてい

るらしい。勿論楽になった訳ではなく、油断してしまえば一息に抜かれてしまうような恐怖に変わりはな

いのだが。孫文が北方と東方を気にし始め、幾らか孫の西進が衰えている事は確かであるようだ。もしか

したら孫の戦略の変更もありえるかもしれない。

 窪丸は激しい戦続きであったが、楚の援軍が良く働き、北方からの補給路を確保出来た事で、何とか孫

の猛攻を耐え続けている。

 孫文自らがその軍勢を率いていない事も、善戦できている大きな理由の一つになるだろう。多方面作戦

を取る以上、どうしても頭脳となる人間は前線から引き、一歩下がって情勢を見守らねばならない。

 孫文が全土を睨んで居なければ、目を離した場所に綻びが出てしまうからだ。孫文としても自ら窪丸攻

めを指揮し、一挙に北方を平らげたい所だろうが、西方から目を離す訳にはいかないのである。西方との

拮抗(きっこう)を保ちながら戦を続けるには、孫文がしっかりと全土を睨んでいなければならない。

 ここにも孫文の、いや孫の過信の悪作用が出ている。そしてそれを或いは理解しながらも、孫文は続け

るしかない。今更多方面作戦を止める訳にはいかないのである。それがまた苛立ちを募らせるのか、それ

とも開き直っているのか、孫文の心境を察する情報はないが、その心はどうしても穏やかではいられない

だろう。

 ならばここで趙はどう動くべきか。当然、東方へ侵攻すべきである。

 今窪丸へ返し、楚軍と協力して迫り来る孫軍を中央へ押し返すという手もあり、それも不可能ではない

のだが、中央には何といっても孫文が居る。大陸中央内であれば、孫文も遠慮なく自ら軍を指揮する事が

出来るし、むしろ望む所であろう。孫文が自ら軍を率いれば、それに勝てる者等何処にも居らず。その力

で目障りな軍勢を叩けば気分も晴れる。孫文の苛立ちを解消するには一番良い方法だ。

 中央では孫文がてぐすね引いて待ち構えていると考えて、まず間違いない。

 だから窪丸は防ぐだけでいい。西方と同じく、苦しい戦いを耐え抜き、耐え続ける事。それが今何より

も肝要な事である。孫も無限の力を持つ訳ではない。戦えば疲弊し、衰える。我慢比べである。孫が矛を

収めざるを得なくなるまで耐え抜く。それのみが孫に打ち勝つ道だ。

 窪丸への心配は消えないが(特に趙起は)、そのような一時の情に惑わされる訳にはいかない。窪丸を

思えばこそ、心を冷徹なまでに冷やし、目的を遂行せねばならない。情を重んじるが故に、情を今捨てる

のである。

 不可解に思えるかもしれないが、そういう状況は往々にしてあるものだ。

 斉民を姜尚で釣るのもその為である。このまま東方へ侵攻する為には、斉をしっかりと押さえていなけ

ればならない。しかし十日やそこらでどうにか出来る程、国というものは小さくない。故に姜尚を餌にし

て、少しばかりの時間を稼ぐ。

 後に姜尚が来るとなれば、斉もその時の為に懸命に働こうとするだろう。姜尚は希望であり、希望があ

るからこそ人は安心出来る。趙に従えば希望が手に入ると思わせる事ができたなら、斉民は決して趙を裏

切ろうとは考えまい。

 しかも今の斉民は反孫意識が強くなっている。窪丸か、それとも東方へ侵攻する軍が負けない限り、そ

の心が再び孫に走る事はないだろう。

 今の内だ。今の内に東方へ侵攻し、勝利を掴む。そうすれば斉も安定する。そしてその上で、いずれ来

るだろう孫の奪還軍に対して備えなければならない。全てはこれからである。



 趙深の意を受け、趙起は五千の軍勢を引き連れて東方へと侵攻を開始する。東方にどれだけの軍が残さ

れているかは解らないが、まずは奪ってしまう事だ。領土を奪い、孫と斉を切り離す。いますぐに東方全

土を制圧しようなどと考えなくていい。その第一歩となる拠点を得られれば良く。深奥まで達する必要は

なかった。

 例えその末端であっても、東方への侵攻はすぐに孫文の耳に入るだろう。まずはそれでいい。孫文を焦

らせるに足る事実を、少しずつ重ねていけばいいのである。

 東方は大陸を東西南北中央の五つに分けた中でも、南方に次いで広く、しかも縦長で北端から南端まで

行くのに多くの時間を要する。東端はぐるりと海に囲まれ、内陸部には草原が多く、行軍には適している

が、その分正面から戦わざるを得なくなり、数の優劣を覆(くつがえ)し難い。

 孫はこの東方のほぼ全てを掌握しており、一部の飼い殺しにされている勢力を除けば、どこを見ても孫

の旗が聳(そび)えている。北方で敗北したとはいえ、まだまだこの地には多くの兵力が残されており、

その士気も低くなく、侵攻と領土の維持は至難である。

 孫の支配力も当然強く、寝返りや協力も斉の時のようには期待できない。補給線の確保も難しくなるし、

確かにこれからが本番であった。

 孫文に圧力を加える為にとにかく出て来てみたが、さてこれからどうすればいいのだろう。

「・・・・・無理は出来ぬ。とにかく情報を得なければなるまい。全てはそれからだ」

 東方の情報は掴み辛く、今の段階では戦略を立てる事が難しい。趙深も大雑把な指針しか述べる事が出

来ず、東方侵攻は趙起に一任されていると言ってもいい。

 趙起は地図を広げて眺め見、暫く検討した後、軍を駐留出来る規模の街の中で、一番近い栄陽(エイヨ

ウ)を目指す事にした。

 栄陽とは、以前この付近を治めていた衛という国が支配していた街で、西側への軍事拠点となっていた

場所であり、孫が支配してからも北方侵攻の中継点として使われている。

 川の北側を陽と云うが、その名の通りこの街は北方とも繋がる川の北側に沿うように作られ、物資の運

搬に便が良く、交易もなかなかに盛んで、衛の資金源となっていた街でもある。

 今は衛という国も孫に滅ぼされ、一族郎党全て処刑され、人々も孫に服し、軍備増強が進められている。

具体的に言えば、物資と人の往来が激しくなり、守備兵も増やされ、常に軍が駐留されているという事だ。

 楚攻めの軍もここを経て来たに違いなく、おそらく常時駐屯されていた軍も使われたのだろうが、それ

でも備え、抑えとしての軍事力は残されているに違いなく、簡単に落とせるとは思えない。

 東方の最北西端にある場所であり、東孫の中でも最も新しく支配下に入れられた街の一つであるようだ

が、ここ一月二月の間に入れられた訳ではないのだから、離間策は効果ないと思える。

 ただ先の敗戦で孫の権威が低下しているとすれば、ここ栄陽にも当然その影響が出ている筈で、どう転

ぶかは解らない。可能性は低いが、試してみる価値はあるかもしれない。

 趙起は栄陽付近にて野営の準備をし、間者を放って様子を伺う。色々考えられる事はあるが、まずは相

手を知る事だ。そこから全てが始まる。



 報告に寄れば、栄陽の民は不安に惑っているらしい。

 趙軍の襲来に怯え、右往左往している者も少なくないようで、思ったよりも人心は混乱している。

 常勝不敗と思われた孫が破られ、破った相手がすぐ側に来ているのだから、考えてみればそれも当然か。

 しかし配備されている将兵は流石に前線に送られるだけあって肝が太く、敗報にも表面上は全く動じた

様子を見せておらず、着々と戦闘準備を進めているそうだ。行動する事で恐怖を紛らわしているとも考え

られるが、自分をいくらかでも律する余裕があるという点は評価すべきだ。

 兵数はざっと二千程度。孫という勢力を考えれば多いとは言えない。それだけ北方侵攻に自信を持って

いたという事か。確かに初めから負ける事を考えていなかったのだから、護りがなおざりになっていても

おかしくはない。

 孫将の自信家な所、詰めの甘さを考えればそれも頷ける。むしろ二千もよく残していたものだ。

 孫将は決して能の無い人物ではなかったが、一度敗北すれば全てが麻痺してしまうような政策を続けて

いたのであれば、やはりどこかおかしくなっていたとしか思えない。元々はもっと気転が利き、孫文の意

も即座に理解出来るような人物だったのだろうが。いつの間にか孫文の悪い所まで引き継いでしまい、無

用なまでにその自信を強めてしまったのだろう。

 或いは孫文がそう求めたのか。もしかすれば、自分はもう孫文の一部であるとすら考えていたのかもし

れない。孫文を慕い、孫文を敬うあまり、自分がまるで孫文になったかのような錯覚を得ていた可能性が

ある。

 孫の気風を思えば、東方に居る全ての将兵の上に立つに、そのくらいの気概が必要だったとも考えられ

るし。確かに孫という組織には、細かな綻びが出ていたのだと察せられる。

 人心もその上に安定していたのだとすれば、その孫将が敗れ、その上命を落とした事で落ち着きを失っ

ているとしても、おかしくはない。東孫の機能も鈍っているだろう。

 付近から援軍が来る様子はなく(どの街も篭って防備を固めているらしい)、人心もまとまっていない。

落とすとすれば、今が好機である。

 いずれ東孫が趙軍撃退の為に大軍を送ってくる事は避けられないとしても、それはまだ少し先の話であ

るようだ。東方に点在する拠点、それらの繋がりが回復しきるにはまだ時間がかかる。

 孫文からの命はすでに発せられているのだろうが、中央に居る孫文からの言葉が東方に届くには時間が

必要だ。栄陽の様子から察するに、東孫政府も未だ混乱したままなのではないか。彼らも負けた後の事、

孫将が戦死した時の対処方など、全く考えていなかったのではないだろうか。

 趙にも随分時間が必要であったが、孫にはそれ以上の時間が必要であるようだ。

 それを趙深は見越していたのかもしれない。おそらく想定の内にはあったのだろう。だから東方は趙起

一人に任せられる、と判断したのだ。

 とすれば、今の内にやれるだけの事をやっておかなければならない。

 趙起は栄陽攻めを決断した。最早迷う時は去っている。後は決断し続けるのみであろう。



 迅速に行軍し、栄陽を包囲した。

 栄陽から迎撃に出てくる様子は見えず、亀のように篭っている。包囲する事は容易かったが、しかしこ

こからが問題である。行動をはっきりと示した今、それが刺激となって他の街に行動を起こさせるきっか

けになる事も考えられるし。敢えて考えるなら、こうして趙軍を栄陽に釘付けにしておき、その内に密(ひ

そ)かに軍を集め、趙軍を包囲してしまう策、という可能性もある。

 何せここ東方はほぼ全てが孫の領土、それに引き換え趙軍は趙起が率いるただ一つのみ。まるで大きな

紙に小石が一つ乗っかっているようなもので、どうとでも包む事が出来る。

 しかし現実がどうあれ、人の頭の中と心では複雑に情勢が変化しているのもまた事実。現実は現実とし

て当たり前にあるとしても、それを冷静に見れない人間には何の意味ももたらさない。

 それは趙起に対しても同様で、何が実で何が虚か、孫将戦と同じ過ちを犯さぬよう、心して当たらなけ

ればならない。相手は孫文ではない。孫も同じ人間である。それを忘れてはならぬ。

 趙起は慎重に事を進める。

 降伏の使者を出し、断られては攻め、ある程度攻めてはまた使者を出す。しかし大した効果はないよう

だ。将兵の心に怯えの色は確かにあるようだが、孫を裏切るような考えを抱く者はまだいない。

 敗報に衝撃を受けても、孫がこのまま崩れ去るとは考えていないようだ。孫文が死にでもすれば別だが、

健在である以上、そんな事は想像もできないのだろう。負けたのはあくまでも孫将であって、孫文では

ない。

 よく考えてみれば、孫文の常勝神話はまだ生きている。そんな時に降伏を勧めても、それに乗ってくる

者はいまい。孫に飼い殺しにされている者達ならまだしも、孫の将兵はあくまでも徹底抗戦を貫くだろう。

 それは斉の時を考えれば良く解る。孫の将兵にかけられた魔法は解けつつあるが、その効力が失われた

訳ではない。孫文という神が居る限り、その信仰心も消えない。

 趙起もそれは重々承知している。それを承知した上で、その姿勢を崩さないのである。

 実は初めから彼は栄陽を力押しで落とすつもりだったのだ。降伏の使者を送っているのは、偏(ひとえ)

に戦後の印象を少しでも良くする為である。

 では誰の印象を良くする為か。それは栄陽の、いや東方に住まう民達の印象であった。

 確かに将兵の心はまだ揺るがない。このまま東方を北方同盟が制圧してしまうような事になれば解らな

いが、今の状況で北方に転ぶような者は一人も居ない。

 だが民は別である。彼らが孫を応援しているのは孫が強いからであり、孫文が他よりは暮らしやすい統

治者だからだ。孫文は民に寛大である。そしてそういう噂と印象を広める事で、戦いに勝った後、その地

を支配しやすくしてきた。だから孫文の統治を望む者さえ少なくない。孫が領土をこうも膨張できたのも、

そういう事が理由の一つにある事は、以前にも述べた。

 しかしそれを考えてみると、民の望む相手は必ずしも孫文でなくてもいい、という事になる。

 民にとっては自分達が暮らしやすい支配者であれば良く。その相手の家柄血統などははっきり言って大

した意味を持たない。勿論そういうものがあった方が箔は付くが、そんな飾りよりも、実際の統治方法を

重視している。

 戦が乱発し、その結果として重税が課される事が当然となっていた当時、それは尚更望むものであった。

少しでも楽に、少しでも安心したい。それが民の正直な気持ちであり、結局上に誰が立とうとそんな事は

重要ではなかったのだ。

 もし名家名族をのみ望んでいたのであれば、始祖八家が廃れる事はなかったろうし。前政権が解体され

るような事態にもならなかった筈だ。乱世などという言葉もまだ生まれていなかっただろう。

 血統信仰が北方に強く残っているのは、北方が裕福で飢える心配が少なかったからだ。今日明日食える

か解らない状況であったなら、北方も始祖八家などに構ってはいられなかっただろう。

 おそらくこれが始祖八家が没落した原因である。民を安心させる力、つまりは民を満足に食わせていく

力を失った為に、その地位から落とされたのだ。

 そうして皆飾りではない実質的な力を求め始め、その一つの発露(はつろ)として豪族王などという者

まで出現し、王と国が乱立するような状況に陥(おちい)っている。

 民の総意というものを、統治者は決して忘れてはならない。結局王もその上にしか立てないのだから、

その心を忘れてしまえば必ず没落する事になろう。驕(おご)れる者は久しからず、人は自らの立ってい

る場所を忘れてはならない。

 少し逸れてしまったが、ようするに趙起は、何度も説得したが応じず仕方なく攻め落とした、という形

に持って行きたい。一見無意味に思えるこの行動にも、大きな意味があったのだ。人に印象付ける為には、

執拗なまでに繰り返す事も必要なのである。

 面倒かつ難しい事であるが、似たような事は何度もやってきた。今それが出来ないなどと、一体誰が言

えるだろう。 




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