10-6.覇の呼び声


 勝利に乗じて東方へ侵攻し、何とか栄陽を得た訳だが、これは半ば賭けに勝ったようなもので、これか

らも同じように上手く行くと考えるのは危険だ。東方は揺らいでいるが、自壊する程その揺らぎが強い訳

ではない。

 栄陽の住民を抑えられているのも小康状態でしかないと言え、これからの状況に寄って大きく民の態度

が変わってくるだろうからには、安心できる材料とはならない。

 趙起は相変わらず不安定な基盤の上に立っているに過ぎず、それを忘れる事は崩壊(ほうかい)を意味

する。常に気を配り、不安を抱いている事がむしろ重要であった。

 治安も心配である。そこで警備隊を編成し、昼夜問わず街内を巡回させ、物々しいくらいの警備を見せて

いる。あまり厳しくし過ぎれば反感を起こさせてしまうが、今は厳しさを見せ付けるのも悪い事ではない。

戦後は力を誇示するような行動も必要だからだ。

 無論、行き過ぎてそれが単なる暴力となってしまっては元も子もないが。こうして趙兵の勤勉な姿を

見せ続ける事で、趙への信頼を築く事も出来るだろう。人と人の関係は不変ではありえない。良くも悪くも

常に変化を伴う。どれだけ悪感情を抱いている相手でも、最後には受け容れてくれる可能性はある。

 逆に言えば、どんなに良感情を抱いていてもふとした事で悪意を抱く可能性もある、という事でもある

が。これもまたどちらにも傾く可能性があるのであれば、悪くはない。自らの行いによって他者の心を変

えられるのであれば、自分が誠意を尽くせば良いだけの事。必ずそれが返ってくるのは解っているのだ

から、むしろ喜ぶべき事であろう。

 こうして過ごしている内にも、情報は次々と入ってくる。

 東方には窪丸のように飼い殺しにされていた勢力が三つあるようだが。趙軍が侵攻して来た事によって、

その三勢力への孫の接し方が少し和らいできているらしい。無論、軍備増強や国力増加に通じるような事

はさせないが、彼らに対する態度が少しだが軟化している。

 東孫も今は趙軍に専念したく、その想いが自然に態度に出てしまっているのかもしれない。そしてそれ

はこの三勢力に若干の脅威を覚え始めているという事でもある。

 確かにこの三勢力は、東方の北西、南西、東、に位置しており、それぞれが孤立させられ、連携する事

は考えられず、完全といえる程の無力状態にある。

 しかしここに趙が踏み込めばどうか。如何に弱い力しかないとしても、趙と連携を取られれば厄介であ

る。小軍とはいえ、補給線を断つ事、或いは横背から挟撃されるような事になれば、その被害は甚大にな

りかねず、無視できぬ力となる。

 こうなった以上、本音としては早々に滅ぼしてしまいたい所だろうが。本軍が中央に居る以上、東方に

残された軍には自ずと限りがあり、弱いとはいえ一朝一夕で一勢力の本拠地を落とせる筈がなく、みだり

に軍を動かすような事は出来ない。周辺の兵力を増強し、圧力を増させ、その手足を封じる程度が関の山

だろう。

 趙が居座っている今、他に関わっている余裕はないのだ。

 磐石の状態であれば全く問題にならなかったこの三勢力が、想像できなかった程の重みを今、東孫へ与

えている。三勢力はさぞ小気味良く思っている事だろう。

 しかしそれは決定的な脅威にはなりえず。三勢力が無力である事に変わりない。

 例え趙が援軍を要請し、それに彼らが応じたとしても、現実的な力は生じまい。言ってみれば付属品の

ようなもので、そこに趙軍が行って初めて少しの重みが生まれる。彼らはその程度の力しかなく、頼りと

するには余りにも弱い。

 兵力としては千か二千か。ひょっとしたらもっと多いのかもしれないが、武器や食料などはまともに軍

として機能できない程乏しいだろう。

 三勢力には趙の期待に応えられるような力はない。だからこそ彼らは今まで生き延びてこられたのだ。

 だがこの三勢力が居る事の効果は、いずれ趙を大きく手助けしてくれるかもしれない。ちくりとした

痛みでも、何も与えないよりはいい。今は無意味とすらいえる存在でも、後々はどうなるか解らない。

 この勢力の事は常に頭に置いておく方が良いだろう。

 考慮すべき報は他にもある。むしろこちらの方が重要か。

 東孫が栄陽奪還の為に軍を編成しているようなのだ。流石に一拠点を落とされた事で本気になり、方針

が決まったのだろう。攻撃を受ければ反撃をする、馬鹿にでも解りそうな対処法である。

 誰にでも解る結果なのだから、趙起も覚悟していた。そしてこの一戦の勝敗如何で、このまま東方侵攻

を続けられるか、それともここで潰えてしまうかが決まる事も、解りすぎるくらいに解っている。負け

る訳にはいかない。ここで潰えてしまえば、趙はもう二度と孫に対抗する事は出来なく なるだろう。

 負けたとしても、北方へ退けば良い事なのだが。退けばもう一度東方へ侵攻する事は難しく、対孫戦略

は崩れ、総合力で負ける西方と北方はいずれ孫に飲み込まれてしまうだろう。孫に勝利し勢い付いている

今、この唯一無二の好機を逃すような事になれば、二度と孫の大陸制覇を阻む事は出来まい。

 世の流れとは、そういうものである。一度失ってしまえば、もう二度と手に入る事はない。それが孫文

という一大傑物相手では尚更だ。

 何としてでもこの機会を逃す訳にはいかない。

 敗北の許されぬ戦いは尚も続く。

 肝が縮まる思いだが、趙にも勝ち目が無い訳ではない。

 確かに東孫は大規模な兵力を集めようとしているが、東方全体から兵を集めるには余りにも時間がかか

り過ぎるし、西方と窪丸との戦いであらゆる物資を必要としている今、東方の全兵力を動員できる余裕は

孫にも無い。

 集められる兵力は東方北西部、ようするにこの栄陽周辺にある拠点からのみで、どれだけ駆り集めたと

しても万を超えるような事はない。そこまでの力があるのであれば、趙起も初めから東方へ侵攻できなか

っただろう。趙がこの地に辿り着けたという事が、東孫の限界を表している。

 先の戦と同様、孫という名に惑わされなければ。心を萎縮(いしゅく)させず、目の前の事を正確に掴

み、過小評価してはならないが、過大評価もしないよう努めれば、決して勝てない相手ではない。

 ならばこれはむしろ好機ではないだろうか。栄陽に、そして東方に趙の力を見せつけ、孫衰えたりと高

々と宣言する為の、絶好の機会である。

 東方に孫文は居ない。東孫がその重大さをまだ理解していないのであれば、勝つ事は難しくない。



 栄陽奪還軍が到着するまで、初報から一週間という時間を得る事が出来た。これも事前に防衛を考えて

兵を配置していなかった為と、そもそも護るという事への思想の希薄さが原因だろう。全てが鈍重であり、

これが同じ孫軍とは思えない鈍さであった。

 趙起の脳裏には孫文の率いる疾風のような軍が焼き付いている。だからこの鈍さを見ると、敵ながら腹

立たしさを感じてしまう。趙起にとってはありがたい事の筈なのだが、孫文を侮辱されているかのようで

腹が立つ。

 趙起もまた孫文に対して敬意を抱いている。その力を敬いでもしなければ、もうどうにもできない、と

いう微妙なる心の動きも理由としてあるが。孫文という強大なる力に対して、他の者と同様、純粋に憧れ

のようなものも持っているのである。

 もし立場が違うなら、孫の臣下として生まれていたとしたら、おそらく命を投げ出してでも孫文の命に

従い。彼こそが大陸唯一の王であると崇めさえしていただろう。

 だからこそ東孫のありとあらゆる鈍さ、そして北方侵攻した東将の詰めの甘さが腹立たしい。孫文なら

ば、いやせめて自分ならば、もっと上手く出来ただろう、このような無様な姿を晒す事はなかっただろう。

そのようにすら思う。

 そして孫文ですら国が大きくなれば一人では賄いきれなくなるのかと思うと、この大陸の広さ、無慈悲

さを痛感させられる。

 大陸の半分でさえ、一人で背負う事が出来ない。そう現実として告げられる事は、趙起には衝撃であり、

人間というものが如何に小さいものであるかを思い知らされる事が不快であった。

 何をどう言い繕おうと、人間などはたかだか1、2m程度の高さの肉の塊でしかなく。如何に大きかろ

うと、優れていようと、この広き世界の前では塵芥(ちりあくた)でしかない。

 悲しくもあり、虚しくもあるが、それを否定する事は出来ぬ。

 しかしどれだけそれを眼前に突き付けられても、孫文は否定し続けようとした。

 孫に他が付け込む隙が出来たのも、その心があった為だろう。孫文はあくまでも大陸を一人で賄おうとし、

支配しようとした。東方全土を任せた東将でさえ、孫文の手足に過ぎなかった事を思えば、意地でもそれ

を通そうとしていた事が考えられる。

 無理を道理に変える。それが孫文の力の源泉であったのかもしれないが、それ故にどうにもならない事が

生じている。

 もし孫文がそれを認めており、それに応じた政策、戦略を立てていれば、今頃はまた違った結果になっ

ていたのか。いや、認めてしまえば、それこそ孫文の魔力は消えてしまうのかもしれない。傲慢なまでの

意志が消えてしまえば、孫文もまた凡人に成り下がるのだろう。

 趙起はそれらを想うと不快であり、口惜しい。

 彼もまた孫文と同じく、無理を道理に変えるという野望を、強く強く心に抱いていたのだ。

 孫文、趙起、どちらも絶対的な理というモノに逆らおうとしていた。

 趙起もまた孫文足らんとし、同じ道を歩んでいた。

 もしそうであるなら、趙起、いや碧嶺という存在を知る上で、それは重要な手がかりとなる。



 栄陽へ攻め寄せた軍は約八千。これで充分と思ったのか、それともこれだけしか集められなかったのか。

それを知る事は出来ないが、それは大した問題ではない。趙起は目の前にある、八千という軍勢を見てい

ればいい。

 こちらが使えるのは約四千。兵数から言えば倍もの差がある。正面からぶつかればまず勝ち目はなく、

住民を再び孫に傾けさせる力とするにも充分である。

 尤も、趙軍の敗勢が濃厚になるまでは、民も直接的な行動には出まい。そこまでの忠誠心と意気がある

なら、とうに行動を起こしている筈で。行動を起こせば、それがどんな些細な事であれ、趙起の耳に入る。

 不穏分子達は知りもしないだろうが、彼らの動きは全て把握されている。何故なら、趙起の情報源とな

る賦族は、そういう陰の部分にこそより多く接触する機会があるからだ。汚れ仕事、人の嫌がる仕事、使

いなどには賦族が使われる。密告するような知恵が賦族にあるとすら考えられていなく、そういう意味で

賦族は大陸人に信用されている。

 だからこそ末端である賦族から、順々に真意まで辿っていく事は難しくない。賦族が大陸人の計画に深

く関わる事はないが。情報をいつも持たされているのは賦族なのである。

 彼らに心底までは読めぬでも、その言動を知る事は出来る。そしてその言動さえ知っておれば、思考を

読み取る事は難しくない。人の考える事に大差なく、何を考えていようと現実にやれる事はある程度決ま

っているのだから、材料さえあればその心を読む事は難しくない。

 それは趙起に置いても同じ事なのだが、幸いにも不穏分子達にはそこまで考える余裕が無いらしい。秘

事を成すには秘密を守る事が一番重要だが、その点の考えが甘いようだ。情報はどこからでも漏れるもの

だという事を、彼らは理解していないのだろう。

 彼らの行動は趙起に筒抜けであった。

 栄陽内には目立った動きは無い。様々に活動をしている者がおり、孫からの間者も入ってきているよう

だが、特に何をする様子も見えなかった。孫もただの情報源としか考えていないのだろう。何か工作する

訳でもなく、ある程度話を聞くとそれだけで去っていく。

 裏工作をしないのは孫らしいが。孫が磐石ではない今、その行動は愚かしく思えた。

 無論、目立った行動がないからといって、何も起こらないとは限らないが。準備の整っていない反乱な

ど、高が知れている。おかげでそちらを他の者に任し、趙起は目の前に迫る敵軍に集中する事ができた。



 八千の兵、これは当然ながら脅威である。しかし数だけで勝負が決まる訳ではない。その内訳を見ると

二軍三軍の者達が多数のようであるし、弱いとは言わないが、孫、という名に響くような強さは感じられ

なかった。

 それも当然かもしれない。北方侵攻に伴い、一軍となれるような者は根こそぎ連れて行かれている。し

かも北方侵攻ならば、当然北方に近い栄陽付近から多くの兵を出させる事になる。後に残っているのは抜

け殻のようなものであろう。

 流石に負傷兵まではいなかったが、必死に掻き集め、数だけを揃えた兵であると考えられる。

 その上率いる将も東孫本営から送られてきた将軍ではなく、付近の拠点を任されていた中の一人である

との事。付近では一番勢威があるか、一番大きな拠点を任されていた者であろうが。結局は同格の者が上

に立つという事で、他の者の不満は隠せまい。北方侵攻軍に加わらなかったという事で、その実力も知れ

ている。威で服させるような力も持っていないだろう。

 孫は実力主義である。それは厳しい競争社会だという事を意味する。彼らの中には暦とした順位だけが

意味を持ち。最上位、つまり神である孫文の命ならば喜んで従うが。それ以下の、特に同格には激しい競

争意識を燃やしていて、はっきりと敵とさえ考えている節があり、例え本営から命じられた事だとしても、

同格の者に素直に従うとは思えない。

 それが孫文からの命ならまだしも、そうではないのだから尚更である。

 孫の将兵は基本的に孫文以外は認めていない。まだ孫将は長く東方を任されていた事と、孫文からの信

任も厚かった為にそれなりの敬意を払われていたようだが。今回の軍を率いる将は、明らかに将兵からの

敬意が薄い。

 皆仕方なく従っており、その内自分がその座に就いてみせるというような野心こそあれ、力を貸そうと

いう意思は無いようだ。特に孫の不敗神話が崩れた今、その心理的不安と相まって、その心は強くなる。

 孫という名の下に、形だけだとしても、一つになっていた心が離れ、精神的に独立、いや分裂しようと

しているのだ。

 栄陽奪還軍として集まった者達は、自らが手柄を立てて上に行く事しか考えておらず、人の足を引っ張

っても、手助けしようなどとは考えてもいない。数的優勢からか、未だ自分自身は負けていないせいか、

趙に負けるとは微塵も考えておらず、その余裕がまた悪く作用している。

 奪還軍には人の和というものがない。その上他者を侮(あなど)るという孫の悪癖だけは人並み以上に

持っている。獅子は兎を狩るにも全力を尽くすものだが、獅子でない彼らにその心を期待する方が無理と

いうものだ。

 彼らは獅子の威を借りる者でしかなく、それを自分では理解していない。愚かにも集まって兵数が増

しただけで、まるで自分まで大きくなったような気になってしまっている。

 そのような者達を相手に負ける気はしなかった。孫軍にかけられていた魔法は解けたのである。孫文

本人でもない限り、再びその力を生み出すような事はできまい。

 彼らはただの雑軍であり、烏合の衆である。こちらが手を出さずとも、勝手に自滅してくれるだろう。

 趙起は打って出る事をせず、機を計る為に固く栄陽へ篭る事にした。



 孫軍は景気良く攻めてくる。どの顔もどの顔も勝利への自信に満ち溢れ、自らが選抜から外れた兵なの

だという事を解ろうともしない。いや、認めたくないのかもしれない。それを否定しようと、激しく攻め

立てているのだろう。

 しかしよくよく見ると、どの動きにも精彩を欠き、無駄が目立つ。

 特に部隊間の連携が劣悪であった。自分の居る場、今やるべき事をまったく理解していないどころか、

それを考えようともせず、ただ栄陽に向かって吠え立てる。野犬が放り捨てられた肉に飛びつくが如く、

それは思慮の欠片もない行動であるように見えた。

 彼らには果たして頭脳というものが備わっているのだろうか。これで考える力があるというのであれば、

思考というものは一体なんなのだろう。

 彼らの中にあるのは激しい競争心と名誉欲。そして自分が北方侵攻から外されたという事からくる負い

目と怒り。彼らは皆こう考えているに違いない。自分を外すから、自分を連れて行かなかったから、孫の

北方侵攻は失敗したのだと。

 それが何の根拠も無い事であれ、彼らにとっては真実であり、言わば正義、信仰である。そう信じてい

るからこそ、今も愚かしく攻め立てていられるのだろう。冷静に自分達を眺め見れば、彼らも気付けただ

ろうに。

 時間が多くあった為、栄陽の防衛準備は整っている。一本調子の攻め方を防ぐのは容易く、趙軍には余

力があった。

 的確な指示で尽く相手の狙いを外し、弓矢、投石などで機先を制す。そうした単純作業というのか、反

射行動のようなものを繰り返しながら機を待つ。相手の不味い攻め方のおかげで、より多くの兵力を温存

出来ている。良い流れだ。

 こうして三日が経ち、四日が経った。

 この頃になると孫兵の間にも流石に違和感が生まれていた。これほど苛烈に攻め立て、烈火の如き気迫

を見せ付けているというのに、何故栄陽は落ちないのか、降伏しようとしないのか。我らは孫なのだぞ、

だのに何故平伏さない。我々がかつてそうしたように、何故孫の名の下に頭を下げないのか。

 疑問が頭を冷やし、少し冷静になって見ると、趙軍にさほどの損害も与えていない事に気付く。それど

ころか孫軍の方が負傷しているではないか。どの部隊もどの部隊も疲れ果て、怪我人が続出し、これでは

どちらが攻めているのか解らない。

 盲目的に行動できている内は良かったが、一度現実に気付いてしまうと凍えるような恐怖が浮かんでく

る。先に見えるのは死。抗える事の無い終わりへの恐怖。

 それが現実的に見えた時、孫兵の心は別の動きをし始めた。死からの回避が全ての基準になり、しかし

その事が不思議にもかえって人を死へと駆り立てる。誰も死にたくて死を目指す者はいない。生を求めな

がら、気付けば死を目指している。

 混乱が広がるのに時間は要らなかった。心の、恐怖の伝達速度というのは、一瞬である。おい、何かお

かしいんじゃないのか。そうたった一人が気付けば良かった。それだけで全ての虚構(きょこう)は意味

を失くす。

「弓兵はありったけの矢を射よ。残りの者は我に続け! 孫、恐るるに足らず」

 矢を温存する事を止め、今までの倍の量の矢を射させ、孫軍の混乱が極まった所を見計らい、趙起は四

方の城門から打って出た。

 傷つき衰えた孫軍を蹴散らす事は紙を破るよりも容易い事であった。彼らはただの弱兵であり、孫の名

も、兵数差も、もう何の効果ももたらさない。それらは全てが死に、あるのは全てを見捨てて必死になっ

て逃げ逝く醜き者共のみ。

 趙起は悪鬼と化し、その者共に分を解らせてやるだけでよかった。後は敵全軍が撤退に移ったのを確認

すると深追いをせずに栄陽へと凱旋し、再び堅く門を閉じている。これで栄陽を完全に掌握する事が出来

る。東孫が意地になって再び来る事も予想されたが、それもそれで良い。栄陽に篭って耐え、せいぜい国力を疲

弊させてやれば良いのである。こうなった以上、何をしても歪みが広がるだけだ。

 三度目の勝利によって、孫の敗北は決定的となった。もう誰も否定出来はしない。孫文は苛立っている

だろう。東孫の無能さ加減を罵り、呪ってさえいるだろう。しかし遅いのだ。何をどうしようとも、すで

に動き出している。はっきりとは解らないが、何かがそこへ向かって動き出している。

 その前には誰もが平伏すしかない。古から数多の実力者がその前に平伏してきたように、孫文もまた平

伏す。その時はそう遠くない。

 趙起はそれを小気味よく感じながら、自分にもいずれそれが来るのだろうかと思い至ると、身震いする

恐怖を味わった。遅かれ早かれ誰にでもそれは来る。誰もそれからは逃れられぬ。だからこそ人はそれま

でになすべき事を成さねばならぬのだろう。時間は確かに有限である。人には寿命以外にも潰えるモノが

あるのである。




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