10-7.平らかにせよ


 東孫の状況は栄陽の一戦からおおよそ察する事が出来る。考えていた以上に深刻な状態で、孫文が離れ

ている今、一勢力として大きな力を持つ事は変わらないとしても、最早脅威となる程ではない。甘く見て

しまうと足元を掬われてしまうだろうが、今日明日に趙軍が東方から追い出されてしまうような心配はな

いと思える。

 動員兵力も圧倒的とまではいかず、士気や統制も良いとは言い難い。至る所で破綻(はたん)が見え、

孫という一つの大きな結びは解けつつある。それを孫文の代わりに修繕できる者はおらず、孫文がいなけ

ればその力を発揮する事もできない。だが孫文は一人である。西方と窪丸侵攻を采配せねばならぬ以上、

東方へ戻る事は不可能。よってこの綻びを繕う事は出来ない。

 全ての核となる孫文が居ない以上、東孫に力が無いのも無理からぬ事である。

 趙起は迷ったが、この際もう一つか二つの拠点を落とす事を決めた。

 兵力が少ない以上、深入りするのが危険である事は今も変わりないが、それでもこの機会を逃すのは、

孫を相手取る以上、余りにも臆病に過ぎると思えたのである。領土を得られる機会があるとすれば今を置

いて他にはなく。その機を確実に突けないようでは強者に勝つ事など不可能だ。

 孫文も自ら来れなくとも様々な手を打ってくる筈。自ら来れない以上、そのどれもが決定打とはなりえ

ないだろうが、積み重なれば解らない。何しろ孫文は未だ健在である。栄陽を落とせたのも守れたのも、

孫文が東方を離れているからで。東孫には勝ったが、孫文そのものに勝った訳ではない。

 今は大人しく従っている栄陽の民も、孫文がもし東方へ来れば、別の考えを起こすだろうし。残念なが

ら、趙起には孫文程の力を民や兵に及ぼす力は無い。孫文の力は、今はまだ孫文だけのものであり、依然

大陸で最も強力なモノであった。

 だから孫文を西方が引き付けている間に出来るだけの事をしておかなければならない。後々の事を考え、

趙起は少しでも力を蓄えておかなければならないのである。

 趙深も趙起も北方と東方で得た領土をそのまま双に渡すつもりはなかった。北方は名目上双の支配地に

しなければならないだろうが。新領土となる金劉陶はほぼ趙深によって掌握されているし、紀にも紀陸(キ

ロク)という楔(くさび)になる存在を残してある。双には大した人材が居ない為、例え趙深が一時退い

たとしても、その間に双が新領土を掌握する事は不可能だろう。

 双の血統一辺倒のやり方に、他国人が喜んで付き従う事はまず無い。その上、双の重臣は宮廷の陰謀と

税の取り立て程度しか出来ない輩である。愚かな政治を続ければ、民も兵も趙深の統治を懐かしむように

なり、自然の流れで趙に傾く事になるだろう。愚か者が愚かな事をするのにも、そういう利点はある。勿

論、それだけ民と兵を苦しめてしまう事になってしまうのだが。

 同盟国といえる越と楚との仲も、趙深と趙起がおらねば成り立たない。その為に全てを趙が動かし、命

懸けでそれを行ってきた。今更双がのこのこと顔を出したとて、なびく者は居ない。皆誰が本物であるか、

解りすぎるくらいに理解している。

 双の重臣は人を使うという事を、如何にも貴族らしく尊い事であるかのように考えているが、実際はそ

うではない。自ら動かず何もしないような人間に、誰も期待や希望を抱く事はない。双正のように半分神

聖化されている存在ならばまだしも、その使いでしかない彼らに、心から敬意を払う事はないのである。

 むしろ神の権威を私物化していると、反感を抱かれるだけであろう。双に奪われる心配はまずない。

 東方の領土もそうである。双の名と資金力だけは借りているが、栄陽は完全に趙が支配しているし。そ

の為に初めから双兵を使う事をなるべく避け(双兵が弱いという理由もあるが)、双が直接的に関わる事

を防いでいたのである。

 双の重臣達はこれも単純に、双の兵力が減じなくて済む、と喜んでいたようだが。趙は何も双の為に苦

労を買っていた訳ではない。

 双では王である双正(ソウセイ)のみがそれらの事情を悟っている筈だが、彼もまた黙している。不思

議な事に、彼だけは双が再び覇権を握る事を望んでいない。双の権威を増す事は、始祖八家の血統を正式

に継ぐ唯一の存在として望んでいるが、双王朝を建てる事は望んでいない。双正だけが何故か趙起、つま

り楓流を上に置く事に拘り、自らはあくまでも弟分、協力者として脇に退く事を望んでいる。

 その奥にどんな複雑な感情があるのかは知らないが。双正もまた自らの望みを達する為、趙の横暴に目

を瞑っているのだろう。

 しかしそれもいつまで続く事か。あまりにも趙の力大きくなり過ぎると感じれば、双正も考えを改める

可能性はある。そうなれば趙が双を軽しと見ないよう、どんな手でも使ってくるに違いない。それに重臣

達もいずれは趙の真意に気付く筈だ。

 だから趙起は今の内に力を蓄えておかなければならない。双から無尽蔵の資金と糧食を得られる間に、

北方の豊かな国力を持って趙の領土を増やしておく事が必要である。

 そしてそれは孫文打倒後に起こるだろう、西方との戦の為にも必要な事であった。

 西方も孫との戦で大いに疲弊する。その不利益は嫌でも西方が請け負い続けなければならない。そうし

なければ孫に勝てないのだから。

 しかしそれを終えて尚、西方の力は強大であろう。孫が消えたとしても、今度は敵となる趙や双、北方

連合や東方連合のようなものが自然生まれるのだから、依然としてその結び付きは強く残る。敵が強けれ

ば強い程、西方大同盟の結び付きは強くなる。

 その時に西方大同盟と真っ向から戦い、勝てるのかと言われれば、疑問である。西安(セイアン)とい

う堅固な要害(ようがい)に寄っているとはいえ、まがりなりにも孫文の攻撃を防ぎ続けているのだ。例

え孫文がいくらか力を抜いている部分があるとしても、それを防ぎ続ける事は至難の業。仮に趙起が同程

度の国力と兵力を持っていたとしても、同じ事が出来るかどうかは解らない。

 西方も孫同様疲弊して尚強大。その事も忘れる訳にはいかなかった。

 結局同盟も協力も全て方便であり、お互いにお互いを利用しあっているだけの関係である事を、決して

忘れてはならない。信義など力の下ではどうとでもなる。その事を忘れれば、滅びを招く事になる。

 それらの事を踏まえ、欲を出した訳ではないが、取れるものはやはり取っておくべきだと趙起は判断し

たのである。

 拠点をもう一つ二つ落とせば、この北西部一帯を掌握する事も難しくない。東方の民も孫を見捨てた訳

ではなく、単に迷いが生まれている段階でしかないとしても、孫文不在の今、東孫が負け続けている今、

しっかりとした基盤を築いてしまえば、趙に逆らう気も失せるだろう。

 民と兵の心を考え、より自分を正当化できるよう、趙に従うのは仕方のない事だと自分にも孫文にも言

い訳しやすい状況を生み出す事は、重要な事だ。



 攻めると決まれば、後はどこに向かうかだが。趙起は栄陽北東に位置する平望(ヘイボウ)という拠点

を目指す事にした。平望の北は険しい山脈が連なり、北からの侵攻を心配する必要が無く、距離も近いの

で連携を取りやすい。次に目指すとすれば、うってつけの場所だ。

 当然平望からも栄陽奪還軍の兵が出されていた筈で、あの一戦による疲弊はまだ癒えていないだろうし、

彼らも次は平望である事を覚悟し、恐怖している筈。今突くとすれば、確かにここしかない。

 鎧袖一触(がいしゅういっしょく)とは言わないまでも、攻略は難しくないだろう。

 ただいきなり侵攻する事はせず、趙起はまず降伏の使者を何度も送った。何度も、と書いているように、

その効果は捗々(はかばか)しくなかったが、それはそれでいい。後々の為に、攻める前に使者を送る、

という事を印象付ける事が目的である。

 それに東方全土が動揺しているだろう今、万が一にでも成功する可能性が無いとは云えない。もし成功

すれば被害なくして一拠点を得られるのだから、成功率がどれだけ低かろうと試してみる価値は充分にあ

る。失敗しても大きな害はないのだから、やっておくべきだろう。今なら使者が殺される可能性も低い。

 使者を送る事にも、その地の状況を見てこれる、という利点がある。敵が簡単に手の内を明かすような

事はないとしても、その表情と気配を直接感じられるという事は、大きな情報源になる。

 ようするに何事にも無駄は無く。例えそれが目的に適ったものでは無いとしても、得られる物はいつも

あるという事だ。視界を広げれば色んなモノが見えてくる。これはこうだと一人で決め付けず、素直に眺

め見る事も重要である。

 趙起は三千の兵を率いて進軍しながら何度も使者を発した。勿論間者も別に無数に発している。情報が

欲しい。どういう状況で、どういう考えに傾いているのか。兵は、民の心中はどうか、その真意はどこに

あるのか。

 情報が増え過ぎれば、かえってそれを捉えるのが難しくなるとしても、まず何かを得なければ考える事

が出来ない。情報を得るという事自体は、決して悪い事ではない。問題はそれを受け取 る側にある。

 得た情報では、平望に篭る兵数は約二千。栄陽侵攻にしくじった敗残の兵も多く含まれ、士気は低く、

まるで戦意が感じられないらしい。

 それでも降伏に応じないのは、戦わずに降ったという汚名を孫文に知られるのが怖いからだろう。

 ならば上手くその心を利用し、納得させるような事が出来れば、もしかしたら実質上降伏させる事も出

来るようになるかもしれない。

 難しく、本当に出来るのかは疑問であるし、まず今回は不可能であろうが、それを考えながら行動する

事はいずれ役立ってくれるだろう。人の心を見、探り、その心を考える。そういう思考を身に付ける事は、

非常に有意義な事だ。

 ただ戦って倒すだけが能ではない。むしろどれだけ戦わせずに戦うか。それを考える事が、重要なので

はないか。それもまた、戦わずに勝つという事だと思える。



 平望を包囲した後も使者を送り続けた。

 それは相手の降伏を狙ってというよりは、相手の出方を窺(うかが)う為である。少しずつ変わってい

く敵兵と街内の状況を感じ取り、どのようにどこへどういう理由で向かっているのかを探っている。

 趙起も相手が降伏に応じてくるとは考えていなかった。それが一番良い方法だとしても、今の段階では

難しい。それが現実的な方法になるにはまだ時間必要だ。今はその為の布石の段階である。

 まずは民に印象付ける事だ。栄陽戦と同様、趙軍の敵は孫軍であり、そこに住まう民とは交戦する意志

も敵対する意志もないのだと、何度も繰り返す事で頭の中に刷り込ませる。云わば、それを常識だと思い

込ませるのである。

 これは時間がかかる上に目立った功が見えず、持続するのが非常に困難な作業であるが。その膨大な時

間の積み重ねに耐えられた時、人が想像する以上の効果を生む。孫文がそうしたように、趙起もまた時間

と労力を重ね、人々に印象付けなければならない。

 孫に勝つ為に一番容易い方法は、孫になる事であろう。孫の力をもって孫を降す。それが一番想像しや

すく、実際効果もある方法だ。

 趙は孫を打倒する為に孫となり、孫を超えなければならない。

 結果として降伏勧告は成功しなかったが、住民の心を慰撫し、敵兵を徹底抗戦ではなく逃亡へ追いやる

手段としては充分な効果をもたらしてくれた。栄陽同様、孫軍はただ孫というだけでは民の心を掴んでい

られなくなり、戦闘持続を困難にさせ、元々低かった士気を更に下げ、降伏はしないが命を賭して戦うと

いう選択肢を孫兵に選ばせる事も出来なくした。

 上下の関係も随分揺らいでいるようで、驚くべき事に将を見捨てて逃亡するような兵も少なくない。孫

の行く末に不安を感じ、何も考えず命を捧げる覚悟が持てなくなったのだろう。戦争に勝てば得られる物

はあるが、負けてしまえば命の捨て損である。どうせ一兵士など誰も覚えてはいないのだから、今逃げて

おいて、勝敗が付いてから勝った方に従えば良い。そのような考えも生まれているのかもしれない。

 孫という名に殉ずる気風は薄れ、孫という組織はこういう点でも綻(ほころ)び始めている。

 それがいつまで続くのか、どれだけ強まるのかは解らないが、利用しない手はない。初めからそれを当

てにするのは危険だが、それを一つの材料とする分には役立ってくれるだろう。

 孫文は健在でも、東孫は自壊し始めている。おかしな状況であるが、よくよく考えれば自然な事なのか

もしれない。むしろ今まで孫文一人でよく持たせていたものだ。よく勝利し続けていたものだ。それは賞

賛に値(あたい)する。

 しかし来るべき限界が遂に訪れた。そういう事なのかもしれない。



 平望を落とすと、住民は尽く趙に従った。しかも栄陽同様表面上は仕方なくという風を装っているが、

その実率先して従う姿勢を見せる者も少なくなかった。

 これは栄陽では見られなかった光景であり、人心の変化が察せられる。孫文もおそらくそうであったよ

うに、勝ち続ければ続ける程、その者にとって良いように良いようにと状況が自然に変わっていく。それ

は非常に快く、気分を晴れさせるに充分である。

 しかし趙起はそれを快いまま受け止められなかった。

 運び屋時代に似た状況でしくじり、苦渋を舐めた記憶が浮かび、その快さを払拭してしまったのである。

 今彼は養父の姿と言葉を思い出している。あのようにならなければならない。欲や目先の利に溺れれば、

同じ悲劇を繰り返す事になるだろう。それだけは避けなければならない。

 苦しかった記憶は決して消えず、例え一時忘れたとしても事ある毎に浮かび上がり、心を苦しめ、平静

へと返す。悔いた自分に見張られているかの如く、忘れられぬ傷跡は疼(うず)き続ける。

 同じモノを求める趙起と孫文との間に違いがあるとすれば、そういう所なのだろう。趙起は自らの力を

試す為にこんな事をしている訳ではない。出世欲や名誉欲とも違う。それが全く無いとは言わないが、根

源となる理由ではない。

 趙起はある意味流されてここに居る。常に大きな流れというもの、自分を圧倒的な力で打ち流す奔流を

感じながら生きている。自らの意志で乗ってはいるが、その流れを自分の意志で操れない事を知っている。

 趙起が出来るのは、ほんの少し流れる方向をずらすか、何かしがみ付ける物を見付けた時、必死にそれ

にしがみ付くかどうかの選択をする事くらいである。そして例えそれにしがみ付けたとしても、流れに耐

えられるかは解らない。

 彼は自分がそういうか細い自由意志の中で生きている事を覚っている。

 どうにもならない中で、自分以外の全ての仲間が苦しみ、絶望の内に死んでいく。いや死ねばまだ楽で

あろう。もし生かされでもすれば、その生は決して救われない地獄となる。

 趙起は浮かれそうになる度その事を思い出し、かつての仲間達の末路を考えると、生々しい絶望に陥(お

ちい)ってしまう。彼らが生きているのか死んでいるのかは解らないが、どちらにせよ幸せな道ではある

まい。

 過ぎ去った失敗。若気の至り。色んな言い方が出来る。その言い訳もいくらでも考えられる。誰にでも

ある失敗。仕方なかった、やるべき事は、出来る事はやっていた。単に運が悪かったのだ。言うだけなら

何とでも言える。過ぎ去った過去の話、どのようにも言い繕う事は出来る。

 しかしそこに何を言ったとしても無駄である。過去は歴然としてそこに在り、決して変えられない。

 出来る事は現在と未来のみにあり、過去は決して変えられないのだ。

 そうだからこそ悩み、苦しむ。忘れられれば楽になるのかもしれないが、趙起が生来備える責任感のよ

うなものが、そうする事を許さない。

 それが為に失敗を教訓とする事が出来、それが為に覇を築くに至ったのだとしても、果たして彼にとっ

て幸せであったのかどうか。

 ただ言えるのは、趙起は自らに酔う事も自らの功に溺れる事も出来ないだろうという事。むしろ成功す

ればする程に過去が彼を苦しめよう。何故あの時こう出来なかったのか。自分が今成功しているとして、

そんな事で償(つぐな)えると思うか。あの時趙起のおかげで幸せも命も全てを失った者達の恨みと憎し

みを、こんな事で購(あがな)えられる筈がない。

 どれだけの人間を今救い、未来で救えたとしても、それで過去に投じた不幸と災厄が消える訳ではない

のだ。過去に起こした不幸は歴然として残り、いくら何をどうしようとも、不幸だった過去が幸福に塗り

替えられる事はない。

 それが死者なら尚更だ。死んでしまった者には何も与えられない。だから救われずに死んだ者は永遠に

救われる事がない。それ以上不幸になる事もないが、幸福になる事もないのだ。救いようがないからこそ

地獄である。

 ならば生きている時、救える時に彼らを救わなかったのは誰か。趙起である。それが消える事は決して

ないだろう。

 その事を趙起自身が誰よりも理解しているからこそ、忘れる事も逃れる事も出来ないのである。

 だがその心の傷こそが趙起を平静に導き、溺れる事無く冷たいまでの目で世を、自分を取り巻く状況を、

静かな目で見させているのだとすれば、これもまた大いなる皮肉である。その傷があるからこそ何度敗北

し、失敗しても最後には打ち克ってこれたのだとしたら、何と悲しくも恐ろしい皮肉だろうか。

 その傷が無ければそうなれないのだとすれば、それは幸せな事なのか、それとも不幸せな事なのだろう

か。或いはどちらでもない事なのか。

 人の望むものが本質的にはいつも望む姿ではないのと同様、そこに立つ事が、望んだ道に結びつくとは

限らないのだろう。

 自分に良い流れに乗る事もまた、趙起を苦しめる。それが成功し、望む道に近付けば近付くほど、心は

冷徹に思い出したくもない過去を浮かび上がらせる。

 しかしその道を進まなければ、同じ悲劇を起こしてしまう。

 趙起を突き動かしていたのは、喜びではなく苦しみである。

 孫という勢力が衰えつつあるのを厭う気持ちは、孫文への尊敬心や盛者必衰(じょうしゃひっすい)の

理への悲しみと虚しさだけではなかった。言わば、自分一人だけが苦悩からまた一つ抜け出る事への申し

訳なさ、その心が最も重かったのである。

 幸福になる事も、望んだ地位と姿を得る事も、決して彼の心を満たさない。それどころか、更に重い枷

を与えてしまう。

 その事を改めて思い知らされた今、趙起の顔に浮かぶのは笑顔ではなく、深い皺(しわ)だけであった。

例え何をしても、そこから抜け出す術は無いのだろう。それでも彼は進み続けなければならない。一度受

けた生は止まる事など出来ないのだから。




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