10-8.東趙


 無事平望を落とした事で、趙起は東方に二つの拠点と出来る街を得た事になる。しかし民は常に孫文に

遠慮する必要があり、東城の時のように民兵を組織して兵数を臨時に増やしたりする事は、彼らの気持ち

を考えれば遠慮せざるを得ない。

 そうなれば自兵力を守備兵に割くしかなく、残りの動員兵力はざっと二千といった所となる。これでは

流石にこれ以上侵攻を続ける事が出来ない。必死にやれば何とか五分以上に持っていき、或いは落とす事

も不可能ではないのかもしれないが、後の統治が不安となってしまう。

 例え落とせたとしても、安定させる事が出来なくては意味がない。人心を安堵させ、反意を抱かせる隙

を与えない。それが民に反意を起こさせぬ理由を与える事にもなる。仕方ないのだ。勝てる訳がない。だ

から大人しく従うしかない。そう思わせる事は非常に重要だ。

 しかし正直な所、もう一つだけ敵拠点を落としておきたい気持ちが強い。

 平望の南、栄陽の南東に衛陽(エイヨウ)という街がある。ここは栄陽、平望と合わせ、孫台頭(たい

とう)前は衛という勢力が支配していた土地で、名に国名を冠しているように、衛陽は衛の都として機能

していた東方北西部でも特に大きな街である。

 陽という名が示すように、衛陽もまた川の北側に位置し、栄陽と川によって繋がり、物の行き来が盛ん

で、他国との交易も盛んであった。衛はこの川によって栄えた勢力であったと言っても過言ではないだろ

う。この川に沿う二つの街が同音なのも縁起を担ぎ、衛が栄えるという意味を込めたのであろうし、どれ

だけ重みを置いていたかが解る。

 平望がこの三つの内でも最も規模が小さいのは、この川という運搬路から外れていた為だと思われる。

それに山の側という事を考えれば、繁華な街にする為というよりは、主に鉱物や樹木などの資源を得る為

の資源庫であったと考えていいだろう。

 平望で得た資源を衛陽、栄陽が売り捌(さば)く。そういう関係が出来ていた。

 だから平望はある他から意味切り離されている為、守りやすい。しかし栄陽は違う。深く繋がっていた

だけに栄陽と衛陽は行き来が容易で、二つを押さえていれば連携しやすく堅固になるが、どちらかを奪わ

れれば途端に護り難くなるのである。

 だがそれを逆に言うと、栄陽を得た今、衛陽を落としやすくなっているという事になる。ただし衛陽の

兵力がこの付近では最も多く、防衛設備も整えられている。今在る二千の兵力では難しい。せめて倍の四

千の兵力は欲しい所だ。

 本来なら無理は慎むべきなのだが、衛陽を落とさない限り防衛に不安が残る。それにこの三拠点を得ら

れれば、衛の復興という名分を利用する事も出来るだろう。

 孫という名が強過ぎ、衛という名も今では化石のようなものになっているが、滅びたのはさほど昔の事

ではない。上手く利用すれば、民を起こすきっかけくらいにはなるだろう。例え衛の王族がすべて殺され

ていたとしても、衛の民としての記憶までが消える訳ではないのだから、人にその記憶が残っている限り、

利用出来る可能性はある。

 そこに大きな意味は無いとしても、ちょっとしたきっかけで人が動く事もあるのだから、疎かにしない

方が良いだろう。

 迷った末、斉に居る趙深へ、援軍を送ってもらえるよう使者を発した。窪丸方面も楽ではなく、北方も

二方面作戦で大変な時であるが、東孫の力を奪う為に是非とも兵が欲しい。その想いを止める事は、趙起

には出来なかった。

 とはいえ実質的な総大将は趙深である。彼が大陸中の状況を把握し、最終的に全ての事を決める。今は

趙深の他にそれが出来る者はおらず、その命は絶対的なものと言っていい。趙深の許しなくしては、何事

も動かせない。

 果たして兵を送ってもらえるのだろうか。自分は短絡的な物の見方しかできてはいないのではないか、

愚かな事を言って趙深を失望させるのではないか。そんな風な不安も趙起は感じていたのだった。



 不安は杞憂に終わり、趙深からの返答はすぐに二千の兵を送るという事であった。それは斉から集めた

兵で、中には民兵も混じっており、兵自体の質は一等とは言えないが、確かに今東方に送れるとすれば、

この兵しか居ないだろう。

 斉の安堵、窪丸の防衛、何処もいくらでも兵力が欲しい。そんな状況で二千もの兵を集めてくれたのだ

から、感謝しこそすれ、不満など漏らせる訳がない。趙起も心から増援を喜んだ。

 元々無理を言っているのは理解しており、望んだ数が送られてくるとは思っていなかったので、むしろ

感謝していた。誰であれ、常に最上の兵を用いられる訳ではない。どんな兵も掌握し、上手く統制出来る

ようにならなければ、孫文を打倒する事も、西方に勝つ事も不可能であろう。

 もしここで敗北するようならそれまでである。力が無かったというだけの事だ。多少の不利は常に存在

する、それは負けた理由とはならない、全ては自分の力が足りなかったのだ。そう考えれば覚悟も出来る。

 ただ満足な訓練を積んでおらず、士気も低いだろうから、行軍速度やその他諸々の面に置いて、様々な

不備が出、それによって全ての行動に時間がかかるだろう事は不安である。しかしどの道平望の安定の為

に時間を割かなければいけないし、焦っても心を消耗するだけであるので、どっしり構える事を学ぶ為に

も、そういう事を極力考えないようにした。

 待つ事も、時間をかける事も、悪い事ばかりではない。人にはそういう事も必要なのだ。

 それにその間に嬉しい報がもたらされている。

 趙深からの報告によると、東孫が敗北を繰り返している事で他の孫軍にも動揺が生まれているらしく、

孫文が前線から一歩引いている事もあって、目に見えて鋭気が削がれているらしい。

 西方侵攻も窪丸侵攻もその力が減じ、防衛が少し楽になって、兵と民の気力も回復の兆しを見せている

そうだ。いつまで耐え続けるのか解らない彼らにとって、吉報は救いである。

 だが趙深は現状を必ずしも楽観できるものではないと考えているようで、孫が衰えているように見える

のも、一時力を蓄える為、東方へ兵力を回して東方防衛に重点を置く可能性もあるから、くれぐれも気を

付けるようにと、最後に付け加えてあった。

 確かにこの状況に孫文が黙っている筈はなく、東方に出来た東趙ともいえる勢力に力を集中し、まず東方

の再統一を第一と考えてもおかしくない。

 もしそうであれば、今までの時間を利用してすでに準備を進めていた可能性もあるし、趙起を北西部で

戦わせて疲弊させ、時間を稼いでいたという事も考えられる。

 大きな動きがあればすぐに間諜が察する筈だが、ここは東方である。孫文が中央に移動しているとはい

え、孫の本拠地なのだ。流石に奥地までは手が届かず、そこで何がされていようと調べるのは難しい。頼

りの賦族も趙深から遠ければそれだけ影響力が薄れる。孫の本拠地となれば、趙深の手も届かない。趙深

も完全に賦族を掌握している訳ではないし、賦族の王である訳でもない。そこに協力者が居なければ、無

力なのである。

 だから気付いた時には遅過ぎた、というような事も充分に考えられる。

 しかしそれを考えれば尚更衛陽を落とす事が必要である。孫の本軍に備える為にも衛陽を落とさなけれ

ばならない。趙深もそう思ったからこそ、無理をおしてでも増援を送ってくれたのだろう。

 ならば早急に、しかも被害をなるべく抑えて勝たなければならない。

 趙起はその為の方策を練り始めた。困難でもやるしかないのだ。



 衛陽を攻めるとなれば、やはり川を利用するしかあるまい。その点趙起は越との付き合いによって、自

然と川や川舟の事を知るようになっている。その知識と経験を活かせば、下手を打つ事はないだろう。

 しかし趙起はこの衛(栄陽、平望、衛陽を総じてこう呼ぶ事にする)一帯の地形を完全に把握している

訳ではない。川路を重視するにしても、どうしても道案内が必要であった。

 適任者を探させると、どうやら栄陽に居る、楊辺(ヨウヘン)という老人がこの辺りの地理に特に詳し

いらしい。物心付く頃から舟に乗っていたようで、衛の事なら、特に川の事なら誰よりも知っている。付

近では有名な人物で、楊辺ならばまず間違いはないとの事だ。

 同業者からの信頼も篤(あつ)く、楊辺の力を借りる事が出来れば、舟の調達も楽になる。

 始めは老齢を理由に断られたのだが、何度も説得させ、ようやく協力を得る事が出来た。無口で頑固だ

が正直な男で、不承不承といった風であったが、一度引き受けた事は決して疎かにすまい。

 趙起はその時平望に居た為に面識はないが、栄陽を任せている百がそう言っているのだから、間違いは

ないだろう。軍を輸送させる為の舟と水夫も、楊辺の協力で何とか用意出来たとの事。

 これで衛楊攻めの準備が整った。後は増援が栄陽に到着するのを待ち、平望から趙起率いる軍が、栄陽

から川を使って百率いる軍が、衛陽へと向かう。進軍速度の違いを考えると、趙起が先に出発する必要が

あるだろう。川路の倍は時間がかかると見なければならない。

 趙起は進軍路を練り、日時を計った。

 百軍と足並みを揃(そろ)える為には、どうしても何処かで待ちながら連絡を詳細に取り続ける必要が

ある。ただし待つといっても一々野営する必要は無く、その道々の町に駐留していけばいい。川にもその

流れに沿って村や町がある。二千の軍勢を率いている為、留まれる町は限られてくるが、用意するのはそ

う難しい事ではない。

 問題は、百軍と上手く連絡が取れるかどうかの方だ。多少時間が前後するのは良いが、あまり差が開き

過ぎると同時に攻める利点を失う。

 援軍が遅れていると悟られてしまえば、衛陽の兵が意を決して出てこないとも限らない。趙の軍勢も個々

では二千の兵でしかない。二千といえば堂々たる軍隊であるが、衛陽の兵は少なくとも三千は居ると思われ

る。その全てを結集されれば不利である。

 士気はさほど高くないと思え、積極的に打って出てくる可能性も低いと考えられるが、予断は禁物だ。こ

んなものだろう、そう思ってしまうとそれが仇となりかねない。平望を落とした事で東方の混乱が更に深ま

っているとしても、それが全ての場所でそうとは限らないし、全ての人間が趙を恐れていると考えるのも愚

かな事であろう。

 むしろ逆境の中だからこそ雄々しく吼えるような者が居る。孫に対する忠誠心の篤い者も居るだろうし、

間者と賦族によって多くの情報を得ているとしても、それで全てを把握(はあく)している訳ではない。常

にあらゆる事態を予想し、最悪の事態に備えておく、それが一番重要な事である。

 趙起は前にも述べたように、勢い付けば付く程に、その事そのものに対して恐れを抱くような所がある。

決して油断はしない。常にそう自分に言い聞かせ、自分と向き合い、不測の事態に陥らないよう努力し続け

ている。

 まるで苦行のようだが、実際そうであると言えなくもない。悟りに向かって苦行を続ける修行僧のように、

趙起もまた望む自分、望む未来に向かって、絶えず己と己に触れるモノを鍛え続け、あらゆる困難に打ち克

とうとしている。

 心にある何かが常に趙起を捕え、生きている限り決して離れない。その絶望的な何かに対して趙起は永遠

に無力であるが、それを知りつつ足掻き続ける事を止められない。

 それは悲しさか、虚しさか、それともそれだけが生なのか。

 解らないが、衛陽を落とし、東趙とでも呼べる国を東方に建てる事が出来たなら、少しは余裕が生まれ、

ほんの少しだけ気を休める事が出来るだろう。

 言わば趙起は、その一時を得る為に衛陽へと向かっている。



 斉からの増援到着まで思っていたよりも時間がかかった。だがそれも兵の質を考えれば仕方の無い事だ。

時間は貴重であるが、費やした時間を嘆くよりは今後の事を考えるべきだろう。

 趙起は遅れによって心が騒ぐのを覚えたが、決してそれに呑まれる事はなかった。全てを受け入れ、計

画などは常に修正されるものと考えなければならない。

 百軍が出発し、伝令の往来が激しくなる。増援の遅れは大した障害にはならなかったようだ。

 作戦では、まず趙起軍が包囲し衛陽に威圧を加え、その上で百軍が川路から背後を突くという事になっ

ている。おそらくそれは衛陽も察している筈だ。何か手を打ってくるかもしれないし、もし川に何か仕掛

けられでもされれば、百軍が壊滅してしまう危険性がある。

 衛陽も川を生命線としている街である。その防備には心を配られているだろう。

 楊辺という老人がどれだけ詳しかろうとも、新たに仕掛けられた罠まで看破(かんぱ)出来るかどうか、

そこまで親身になって協力してくれるかどうか、は解らない。

 無口で頑固で正直、そういう人物だとしても、いやそうだからこそ、孫に対して義理立てする可能性が

あるし。彼が人に思われているような人物ではない可能性もある。

 楊辺が選ばれたのは同業者などからの評判の高さが最も大きな理由であるが、その同業者達が嘘を教え

たのかもしれないし。もっと考えれば、楊辺は孫の間者であるかもしれない。

 果たして無事に作戦を遂行出来るのか、それとも思わぬ事態に遭(あ)ってしまうのか、戦の前はいつ

も心臓を握り潰されるような緊張感を感じる。しかし人は何にでも慣れてしまうものだ。この不安でさえ、

今では当たり前の事に感じ、心は騒ぐものの、乱れるまではいかない。

 今までにはもっと不利な戦があり、一度は孫文に大敗し多くを失った。それを考えれば、小さな不安で

ある。抑えられない程ではない。

 真に慣れとは恐ろしいもの。今では殺し合いにさえ慣れきってしまっている。それに比べれば、全ては

小さな事だろう。

 そう思えば、養父が今の自分を見ればどう思うか、などと考えてしまうが、今更引き返そうとは思わな

い。自分が養父に恥じない生き方をしているのかは解らないが、養父もまた趙起を外界へ送り出したから

には、そういう道を歩くことを悟っていた筈。

 このような生き地獄の中で、父は雄々しく天を翔けよというのだろう。この乱れた地を平定し、真の竜

となって天に飛翔せよと。その為にこそお前は生を受けたのだと。

 ならば精一杯に生きるのみ。何をどう出来るのか、何がどうなるかは解らないが、この世界を突き進ん

でみたいとは思う。そこにどのような未来と結末が待っていようとも、自分の行き着く先に何があるのか

を知りたい。それは人間として自然な心である。



 趙起軍は衛陽の包囲を完了した。川路の封鎖までは出来ていないが、東孫の繋がりが薄れている今、陸

路の封鎖だけでも衛陽の兵と民に与える精神的圧迫は少なくあるまい。

 趙起は前と同様何度も使者を送り、降伏を勧めながらも小競り合いを繰り返し、少しずつ衛陽を消耗さ

せた。

 しかしどうした事か、百軍の到着が遅れている。このままでは機を失し、敵軍に好機を与えてしまう事

になるかもしれない。衛陽がこの近辺で最も大きな街であるからには、配された将もそれなりに有能だろ

う。流石に機を見れば逃しはすまい。

 もしここで趙軍を討つ事が出来れば、武勲並ぶ者がいなくなる。少なくとも東方では第一等間違い無し

で、単純に西方や窪丸攻めに参加するよりも遥かに大きな栄誉を得られる。

 孫文に認められ、討ち死にした孫将の代わりに、新しくこの東方全土を任される可能性もある。思い切

った行動に出る事も充分考えられる事だ。

 一体百軍に何があったのだ。敵の待ち伏せにでもあったのだろうか。それとも舟に穴でも開けられてい

たのか。やはり罠であったのか。

 腹を見せては兵が動揺すると思い、表面上はいつも通り振舞っていたが、兵達も百軍の遅れには気付い

ている。いつその不安が混乱に変わってしまうか解らない。

「百よ」

 趙起はまだ来ぬ百軍を川面の先に探す。これ以上送れるようであれば、作戦を続ける事は出来ない。

 今孫軍に打って出られれば、非常に困難な事態になるだろう。




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