10-9.望みはまた繰り返す


 いくら待っても百軍の影さえ見えない。最早これは来ない、勝機は失せたと判断した方が良さそうだっ

た。これ以上無い望みに縋(すが)るようであれば、致命的な事になりかねない。いや、すでになってい

る可能性もある。

 衛陽内での動きに今までとは違うものが混じっている。覚られたのかもしれない。

 それは最悪の仮定であるとしても、大体において現実というものは予測していた最悪の事態すら上回る

ものであるのだから、そうなると考えて行動しておいた方がいい。

 趙起は撤退する事を決めた。ここへ来ての撤退は痛く。折角孫の牙城に楔(くさび)を打ち込めたとい

うのに、この一敗のせいでその希望が潰える可能性もある。しかしそうだとしても、やはり無理は禁物で

あり、趙起軍のみで戦っても勝つ見込みが少ない以上、このまま戦闘を続行する事は出来ない。

 悔しいが運が無かった。その時ではまだ無かった。そう思い、諦めるしかないだろう。

 こうなればせめて百軍に降りかかったであろう災厄が、少しでも軽い事を祈るのみである。

「全軍、平望へと撤退する」

 決定すれば迷いなく。趙起は即座に命令を下した。

 退くにせよ、戦うにせよ、やるとなれば速やかに行われなければならない。撤退戦の経験は少ないが、

何度も訓練を重ねている。兵達の動きにも無駄が無く、機敏に動いているように思える。だがよくよく見

てみると、ここに来ての撤退と敗北が気に入らないのか、戸惑っているのか、細々とした所に不備が見え

るようだ。

 経験不足だけは如何(いかん)ともし難い。勝利を得た事で自信が付き、激しい戦を生き抜いた事で得

難い経験を積んではいるが。それだけに退く事に対して幾らかの抵抗心が芽生えているとも考えられる。

今までは行けば死ぬか勝つか、或いは護りきるか死ぬか、しかなかったのだから、生きながら退くという

行為に戸惑いを持つのは無理もない事かもしれない。

 訓練をいくら積んでも、実戦とは雲泥の差がある。そして彼らは今回も勝利のみを信じていた筈。兵と

してはそうであるべきだとしても、退くとなれば無用な自信は害となる。しかしそれならそれで、実戦訓

練として得難い経験を積めると言えるのかもしれない。それが多分に希望的であっても、そう思う事で心

を慰めるしかない。

 無論、その都合の良い考えが通用するのは、無事逃げ切れれば、の話になるのだが。

 どちらにせよ、趙起がしっかり統率すれば良い事だ。どのような条件であれ、問われているのは常に自分

の力量である。それを忘れなければ、道を見誤る事は少ないだろう。

 趙起軍は表面上は速やかに退いて行く。衛陽の軍勢も戸惑っているのか、それとも機を見ているのか、

出てくる気配を見せない。しかしいずれは追撃の軍を放ってくるだろう。追撃こそ最も戦果を挙げられる

行為であり、これを見逃す手はない。こちらの底が見えているとすれば尚更だ。

 故に趙起は追撃が来る事を常に想定し、それに対処出来るようにしながら退いていかなければならない。

これは言葉にするよりも遥かに困難な事で、或いは拠点を死守する事よりも数段難しい。

 趙起の脳裏に、孫文に敗北し、窪丸まで逃れた日の記憶がまざまざと甦(よみがえ)る。

 あの時程には絶望的な状況ではなく、まだ現実に軍を破られた訳ではないとはいえ、同じ状況に陥らさ

れないとは限らない。それほどに撤退戦というのは恐ろしく、精神的に厳しい状況を強いられる。常に追

われるという事の、何と恐ろしい事か。人に狩られるという事は、人にとっても恐怖でしかない。

 しかしそれもまた兵を鍛える為の良い経験だと考える事にした。無理矢理であり、現実を見てはとても

そんな事は当て嵌まらないのだが。それでもそう思い込む事で趙起は己を保とうと試みたのである。

 これは自らの精神を鍛え直す良い機会でもある。あの時植え付けられた孫文への恐怖心が、この程度の

事を乗り越えたくらいで消えるとは思えないが、それでもいくらかそれを和らげる、或いはそれに耐え得

る力を与えてくれるきっかけくらいにはなるかもしれない。

 そう思い、趙起は自らを鼓舞した。こうして自ら奮い立たなければ、それに打ち克つ術は無いように思

えたのだ。



 隊列を崩さず、いつでも反転して迎え撃てるよう陣形としての兵の位置はそのままに、全兵が反転する

事で後退を行っている。

 撤退するとはいっても、まだ負けた訳ではない。勝つ見込みが薄れたから逃げているのであって、敵襲

によって崩された訳ではない為、兵の心にも平常心は残っている。確かに焦りは抱いているものの、隊列

を乱さず後退する事は出来る。

 負けてから逃げるのでは遅い。負ける前に逃げるのが重要であり、兵を混乱させずに退く事が一番重要

な事である。兵が落ち着いているからこそ軍として動ける。軍として動けるからこそ戦えるのであり、将

もその為にこそ在る。将は軍として保つ為、常に先々の見通しを持ち、誰よりも落ち着き、迅速かつ的確

な判断を下し続けなければならない。

 将が一瞬迷うだけで被害は増加する。下手をすればその一瞬の為に軍が壊滅してしまう事もある。迅速

な判断と命令を徹底させる事。それは軍を統率するにおいて何よりも重要な事である。

 困難な撤退戦を行うからこそ、余計にその根幹ともいえる部分の重みが増す。それが難しければ難しい

程、その事の基本がより重要になってくる。

 趙起は内心の焦りを抑え、走り出す心を止めるようにして行軍を続けさせた。遅くてはならないが、速

すぎても陣が乱れる事になる。

 すでに一時は経っただろうか。しかし背後を気にし、隊列はそのままでいつもとは逆方向に動く、とい

う変則的な事をしている以上、その速度は大幅に減少せざるを得ず。進んだ距離は常の半分も行っている

かどうか。

 趙起はそろそろだと感じた。追っ手はもうすぐ追い付くだろう。来るとすれば此処である。目前にある

餌に跳び付くように、彼らは必死になって自分達を追い求めて来る筈だ。

「全軍停止! 反転してこの地で敵を迎え撃つ!」

 これ以上逃げる必要はなかった。味方ですらこの撤退を疑っていないだろう。いや、趙起自身ですら今

の今まで撤退だけを考えていた。それなのに何故ここで迎え撃つ事にしたのかは解らない。咄嗟(とっさ)

に浮かんだ思い付きのような考えであるが、しかしそれが勝利を取り戻す道であると思えたのだ。

 趙が敗北したという印象を残してはいけない。完全なる勝利でなくてもいい、些細なものでも良いから

勝利を積み重ね続ける事(或いはそう印象付ける事)が必要である。負けてはならない。意味なく退いて

はならない。そこに意味をもたせなければ敗北したという印象を与えてしまう。何かしなければ、何かし

なければならない。敗北を薄れさせる何かを、今絶対にしなければならない。

 そのような必死の想いが、一矢報いる可能性を見出させたのだろう。

 今の状況を逆に考えれば好機であった。敵どころか味方ですら撤退を疑っていない。この状況であれば、

迫り来る孫軍もまさか趙起軍が反撃してくるなどと想像もしていないだろう。そこを突いたなら、これ以

上の不意打ちはない。

 孫軍は勝利に溺れ、忘れているかもしれないが。彼らが打って出たという事は、衛陽という堅固な鎧を

脱ぎ捨てた事も意味する。

 不利は必ずしも不利であるとは限らない。優勢であれば全てが優勢であるとは限らない。どういう状況

であれ、長短は混在する。だからこそ人は、起死回生(きしかいせい)の一手、という奇跡にも似た事を

引き起こす事があるのだろう。それは無かったのではなく、初めからそこに在ったのだ。ただそれに人が

気付けるか気付けないか、奇跡もそれだけの事なのだろう。



 結論から言えば、趙起軍は迫り来る軍勢を容易く打ち破った。衛陽軍は趙軍の攻撃に対して何の対処も

しておらず、まるで白昼夢でも見ているかのように、困惑したまま散々に打ち破られ、必死に衛陽へと逃

げ帰るしかなかった。

 高々一時の間に、攻守と勝敗は完全に入れ替わってしまった。今度は趙軍が衛陽軍を追う番である。

 しかし趙起はあくまでも慎重を期し、形ばかり追撃した後再び反転し、平望へと引いた。向かう方向は

同じだが、その意味は変わった。面白いもので、全く同じ事をしているのに、何もかもが違うのである。

 不安を宿していた兵の目にも光が戻り、行軍に勢いが生まれた。

 実は敵軍にそれほどの被害を与えた訳ではなく、言ってみれば驚かせて追い返したようなものなのだが、

兵達には自信が戻っている。

 この分であれば、敗北の印象も強くはならないだろう。小さくとも勝利は勝利である。衛陽を落とせず、

作戦としては失敗したが、孫軍を破り、敗走させた事は変わらない。

 いずれ衛陽軍も自分達がされた事に気付くだろうが、その時はもう遅い。趙起軍はとうに平望へ帰還し

ている。趙起軍壊滅の危機は完全に消えたのである。

 安全を意識できるようになると、百軍への心配が強くなる。一体どうしたというのだろう。彼らに何が

あったのか。栄陽は今どうなっているのか。もし百軍に深刻な事態が訪れたのだとすれば、栄陽への支配

力も薄れているかもしれない。

 栄陽を失えば北方への道も失う事になる。平望は孤立し、趙起軍は力を失うだろう。

 とにかく情報を集め、全てを知らなければならない。



 詳しい事を知るまでには思った以上に時間がかかった。何とか得た情報をまとめると、川舟の船員に孫

の間者が紛れ込んでいたのか、或いは孫への忠誠心が高い反骨者が居たのか、百軍は舟に乗り栄陽を出る

には出たものの、暫く進んだ所で水夫達に裏切られ、舟に穴を開けられ沈められてしまったらしい。

 百軍は川に落ち、溺れ、数十名という死者を出した。多くの者は何とか岸へ辿り着き、百も急いで軍を

まとめて栄陽へ戻ったが、裏切った水夫達の行方は掴めず。ようやく再編と準備が終わった頃には、趙起

から撤退するという使者が届き、出撃を断念する他なかったという。

 ただ水夫を集めた楊辺という老人だけは進んで百の下へ出頭し、潔く己のした事を認め、その処罰を待

っているそうだ。百としては即座に斬首しても良かったのだが(そのくらいの権限は与えてある)、どう

にも不明瞭な事が多く、この老人であれば何か訳があったのだろうと思わせられ、取り合えず牢に入れ、

趙起の命を待っているとの事。

 幸い趙起軍が孫軍を見事に撃退した(事実とは違うが)という報は栄陽にも伝わっており、百軍の被害

も軍としての機能を失う程ではなかったので、支配権は維持出来ているようだ。

 この隙を突いて衛陽が栄陽へ軍を向けていない事を思えば、楊辺の言葉通り、今回の騒動は水夫達が独

断で行った可能性が高いが。どちらにせよ、一度会って詳しい話を聞いた方が良いだろう。

 再侵攻の準備にも時間がかかる。その時間を利用し、楊辺に会うのも悪くない。

 趙起は平望を斯に任せ、自ら栄陽へ向かう事を決め、少数の護衛と共に急ぎ出発した。



 途中の町村にも寄って話を聞いてみたが、民の間には趙が勝った、負けた、いや引き分けだ、などと勝

敗に関して様々な憶測と噂が流れているようだ。

 しかし百軍の噂や逃げた水夫達の消息などに関しては、全く情報が流れていない。これは水夫達がこの

近辺から姿を消したか、或いは固く口を閉ざしている事を意味する。

 これは一体どういう事だろう。もし孫に対し忠誠心を抱いているのであれば、彼らのやった事を大いに

宣伝し、趙の敗北を強く印象付けようとした筈だ。反骨心や義憤からやったのだとしても、自らの手柄を

黙っているような事はせず、自分達が趙軍にしてやったのだと、小気味良く吹聴する筈である。

 それをしないという事は、水夫達には趙や孫というのではない、独自の理由と集団的な意志があるとい

う事ではないだろうか。

 それが何かは解らないが、決して思い付きや個々人の考えで行った事ではなく、それでいて孫とも関わ

りがなく、ただ彼らの理由と目的によって実行されたのだという事が想像出来る。

 だとすればその理由と目的とは何か。趙に対して恨みがあるのだろうか。趙起の統治は水夫達にとって

腹立たしいものだったのだろうか。

 栄陽に到着しても尚、趙起はそのような考えに集中していた。だがいくら考えても、それが他人の理由

である以上解る筈がなく。何一つ浮かぶ事はなかった。

 趙起は百との会話もそこそこに、すぐに楊辺の居る牢へと向かっている。楊辺を呼び出したのではなく、

自ら楊辺の居る場所へと赴いたのである。

 普通に考えれば、そんな事をする必要はないだろう。むしろそんな事をすれば支配者としての権威を軽

んじる事にもなりかねず、上に立つ者としては軽々しい行いと言える。だが楊辺という老人が話しに聞い

ている通りの人物であれば、権威を笠に着たとて何の効果もなく、むしろこうして真っ直ぐにぶつかった

方が良いだろうと思ったのである。

 趙起は敷物を使う事すらせず、兜を脱いで同じ場所に座り、同じ場所で楊辺と会った。その事に楊辺は

幾らかの感情を抱かさせられたようだったが、その表情は動かず、真っ直ぐな目で趙起を見詰めている。

 そこには恨みのようなものは感じられない。話に聞いていた通り、例え怒る事はあっても、他人に恨みを

残しておくような人物ではなさそうだ。

 だとすればあの裏切りは誰かの為か、それとも彼の信ずる義の為なのか。

「何故に貴方はそれを為したか」

 趙起は詰問するようではなく、かといって疑問をぶつけるようでもなく、ふと心から言葉がもれてしま

ったという風に、楊辺へ問いかけた。それは確かに趙起の心にあった全てであり、楊辺同様恨みも憎しみ

も感じられない。

 楊辺はそれを受け、暫く黙っていたが、やがてゆっくりとその口を開き、こう述べた。

「私は、私は、しがない船頭でございます。川と共に生き、舟だけを気にかけ、それのみをし、それのみ

しかない男でございます。私にとっては、どなたが上に立たれようとも関係のない話です。私が仕えるべ

きは川でして、愛するべきは舟でございます。どなたが何を為されようとも、それは変わりません。です

が、我々には我々のやり方、決まりというものがございます。それを違えるような事には、決して賛同す

る訳にはいかないのでございます」

 そしてそれきり黙ってしまった。

 趙起は飲み込むようにして、その言葉を一つ一つ確かめてみた。それらは趙起には理解出来ない言葉、

理解出来ていない感情であったが、長くを考えるにつれ、あっと思い浮かんだ事がある。

 趙起は確かに彼らのやり方と決まりそのものを変えようとしたのである。栄陽を落とし、その統治に心

を配ったが、それは同時に趙のやり方を取り入れる、栄陽の民からすれば押し付けられる、という事でも

あった。

 川や舟に関してもそう。趙起は北方のやり方、つまりは越式のやり方をここ栄陽にも取り入れようとし

た。それが一番良い事だと疑いもせず、ただそうするように布告したのである。いつの間にか趙起の頭の

中では越式だけが舟と水に関する全てであり、それのみが良い事になっていたのであろう。

 しかしここは東方、風土や風俗も北方とは自ずと変わり、東方には東方のやり方がある。そして北方と

一番違うのは、民が完全に趙に服していないという事である。北方からきた趙起は東方の民からすれば異

人に等しく、そのやり方を押し付けられる事は、東方の民にとって侮辱でしかない。東方のやり方を認め

ていないからこそ、馬鹿にしているからこそ、北方のやり方を押し付けるのだと考えられるからだ。

 越商に自分達の仕事を奪われはしまいかという恐怖心もある。

 やり方が越式になってしまえば、衛式しか知らない楊辺らは越の下に付かざるを得なくなる。これは彼

らにとって死活問題であり、面目を潰される事だ。

 誇りを貶(おとし)められ、その上戦にまで強引に参加させられて、誰が喜ぶだろう。

 趙起は思い知らされた。自らの不徳と愚かさが、この時程身に染みた事は、彼の人生に置いても多くは

ない。またしても自分の愚かさ故に、多くの人を失ってしまったのである。もう少し人の心を感じ取れて

いれば、数十名の兵を溺死させる事もなかったのだ。

 趙起は楊辺に深く頭を下げると、黙って牢を出た。彼に、いや彼らに対する敬意を表すには言葉など無

意味である。彼らと同様、行動によってのみ示さなければならない。

 すぐさま法を変え、従来通り全てをとは言わないが、その多くを衛式に戻すように布告した。それから

楊辺を牢から出し、趙起から教えを乞う形で、水運の一切を取り仕切る職についてもらえるよう、改めて

協力を願い出た。

 楊辺は趙起の態度の変化を見てすぐに自分の態度も改め、彼に従う事を心から約している。しかし趙起

の命に背いた事は事実であり、その主動者である自分がのうのうと仕える訳にはいかない。代わりに信頼

できる者を紹介するから、自分を重く罰して欲しいと言い張り、決して牢から出なかった。

 趙起もその心に感じ入り、またしても楊辺を侮辱するところだったと反省し、再び心から謝して、その

まま幽閉する事を決めた。ただしあくまでも客分待遇であるとし、気を配っている。

 無論、全ては水夫達の心を取る為である。

 これでもう水夫達が離反する事はなくなり、逃げた者達も戻ってくるだろう。

 水夫に対する罪は問わない。楊辺が全ての罰を引き受けた以上、温情を見せる必要がある。

 全ては人心を安定させる為。

 溺死した兵達には申し訳なく思うが、遺族を手厚く遇する事で詫びとするしかなかった。




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