11-2.東方に至る影


 東孫軍が衛陽の目と鼻の先に布陣した。そこは東方に多く見られる平原で、大軍の運用にも適している。

天幕も張りやすく、割合過ごし易い為に野営をするには良い。今後どう攻めてくるのかは解らないが、取

り合えず駐止点を確保したと言う所か。

 普通ならば付近の町村を奪い、拠点として使う所だが。彼らも民へ配慮しなければならない。略奪する

事も出来ず、兵糧も全て東孫が賄う。現地調達が出来ない為に物資の輸送にも時間がかかる。何しろ大軍

なのだから、付近の拠点のみでは賄えず、東方全土から輸送せねばならない為、補給線も東方全土に広く

及ぶ事になる。

 行軍はその分遅くなり、また常時多くの輸送部隊を連れて進まなければならない為に更に軍足が鈍くな

る。故に潮が満ちるようにして、ゆっくりと進軍しなければならなかった。

 しかしその事も兵数差を考えればさほど問題とはならない。例え半月が一月先に延びようと、滅ぼされ

る事自体に変わりないのであれば、むしろその延びた分だけ恐怖心が増すというもの。半月でどうにか出

来るような差ではないのだ。

 だからこそ東孫も開き直り、時間をかけても着実に準備を整え、攻め寄せる方を選んだのだろう。

 それが孫文の命なのか、子庸の考えなのかは解らないが、こうして二万の軍を眼前に突き付けられると、

流石に身震いがしてくる。

 果たしてどう戦うべきか。

「小手調べといくか、それとも待つか」

 趙起はある程度作戦を練っていたものの、決定的なものを生み出せず、多くの迷いを抱えている。

 守勢に回っている以上、結局は敵に応じてこちらも決めていくしかなく、それは後手後手に回る事を意

味する。軍も一つの勢いである以上、待ち続ければいずれその力を失う。打って出ようにもこの兵数差で

は如何ともしがたい。何とか上手く護りきれれば良いのだが、この大軍相手に一体どれだけの事が出来る

のだろう。

 戦を長引かせる事で孫に疲弊(ひへい)をもたらし、それによって東孫軍を退かせるしかないだろうが、

言葉で言う程容易い事ではない。

 東孫軍が二手に別れ、衛陽を包囲しつつ、より手薄な平望か栄陽を狙うとも考えられる。何せ二万もの

軍である。二つの軍に分かれたとしても一万ずつ、その威力は拠点を落とすには充分であろう。

 東孫が優勢である以上、どうとでも手が打てる。それが一番怖い事であった。趙起が事前に対処できる

事には自ずから限界というものがある。

 東孫軍が不気味な沈黙を保ちつつ、優勢にありながらいつものように激しい攻勢を仕掛けてこず、敢え

て座してこちらを窺(うかが)う姿勢を見せているのもまた怖い。この子庸軍には趙起が打ち破ってきた

孫軍に見られた逸りのようなものが感じられない。あくまでも重々しく、孫という強大な組織の本質を見

せ付けるかのようにどっしりと構えている。

 こう構えられては、弱者である趙が付け入る隙を見出す事は難しい。このまま奇を衒(てら)わず正攻

法で無理なく攻められてしまえば、そのまま呆気なく押し切られてしまうのではないか、という虞(おそ

れ)も浮かぶ。

 ただ居るだけで噴出してくるように感じられるこの圧力は何だろう。これが数の力というものなのだろ

うか。正に圧倒的である。

 これならばまだ攻められていた方が良いかも知れぬ。考える暇も無く体を動かす事が出来れば、ある意

味それは救いだ。その時だけは不利も危うい未来も考えずに済む。

 それがこうしてただ滅びの時を待つような姿勢を強いられる事は、耐え難い苦痛だった。確かにこれは

上手い方法である。兵を損なわず、敵兵の心を損なう。戦わずして勝つとはこういう事かもしれない。

 圧力を加えながら、内部に罅が入るのを待つ。それもまた確実に勝機を生む方法であろう。

 趙起は敵の間者が工作する事を考え、拠点内の動きにより気を配る事にした。眼前に在る東孫軍も脅威

であるが、それよりも内から壊される事の方が怖い。

 民もいつまで黙っていてくれるか。不安は募る一方である。



 東孫軍は一日休息を取った後、ゆっくりと進軍を再開させ、潮が満ちるように衛陽を包囲した。

 火のように攻め立てるのではなく、包囲したまま依然こちらの様子を窺っている。その位置も遠めで、

弓矢などの殺傷距離外に置きながら、確かめるように少しずつ距離を詰めてくる。

 大軍が勢いを持って攻めかかるのも恐ろしいが、このように静かに攻められるのもまた恐ろしい。これ

では確かに東孫軍が逸る必要など無いだろう。ごく当たり前に、やるべき事をそのままにやりさえすれば、

それで勝てるのだから、急ぐ必要も焦る必要もないのである。優勢にある以上、よほどの事をしなければ、

何をしようとも敵に圧力を加える事が出来る。

 落とすのに時間がかかればそれだけ疲弊するとはいえ、数日程度の時間を削る事に必死になる意味もな

い。時間をかけても確実に敵戦力を削ぎ、自然の流れのまま勝てばいい。

 そんな余裕が感じられる。

 ただ心配していた敵の工作は今の所ないようだ。機を計っているのだろうか。圧力を加え、趙に歪が生

まれるのをじっと待っている。

 その歪は遠からず訪れるだろう。民に対する趙の支配力は絶対ではなく、力を見せれば容易くどちらに

も転ぶようにしているからには、この状況が続けば続く程、不穏分子が蜂起する可能性が強くなる。外に

は二万と言う圧倒的な味方が居るのだ。ここで一騒動起こし、再び訪れる孫の統治後の為に功を立ててお

こうと考えるのは、むしろ自然な事である。

 一度誰かが起こせば、それに乗っかる者も多い筈だ。敢えて自分から行動しようとする者は少ないが、

一度それが起こればそれに従おうと待っている人間は常に多い。

 だから子庸はその時を待っていれば良い。

 今の所目標を衛陽一点に絞(しぼ)っているようだが、いずれ他の拠点へも侵攻するのだろう。そして

その時が趙の最後の時。やはり勝つのは孫だと民の心が決まってしまえば、全てが終わる。

 積み上げてきた事もあっさりと崩れ落ちるだろう。趙起は今、そういう状態にあるのだ。

 起死回生の一手を打とうにも、こうもどっしりと構えられてはどうにもならない。放っている間者も簡

単には忍び込めぬようで、敵の内情も上っ面の事しか解らない。子庸は防諜にも当然気を配っているよう

だ。確かに孫文が認めるだけの人物。詳しい情報を得るのには時間がかかるだろう。

 仕方が無いので、迎撃準備だけを整え、なるべく兵を休ませるようにし、気力を損なわないよう配慮し

ながら、敵の動きを待っている。

 こうなると敵に早く襲い掛かってきて欲しいような、妙な気持ちになってくるが。確かに人というもの

は滅びそのものが訪れる事よりも、それを眼前にちらつかされながら焦らされる事の方により多くの恐怖

と痛みを覚えるものである。



 東孫軍がようやく攻撃を始めた。それはその軍容からすれば余りにもゆるく、穏やかとすら見えたのだ

が。それだけに無理がなく、戦果が少ない代わりに被害も少ない。

 遠目から申し訳程度に矢を放ち、こちらが反撃しては木の板といった矢避けを構えてじっと耐える。防

壁を攻撃しても、こちらが迎え撃とうとすればすっと引いてしまう。

 被害を与えようというのではなく、こちらの出方を窺い、精神を疲弊させるのが目的であるかのようだ。

 その攻撃はまるで遊びのようにも見えたが、しかしいつ本気で来るか解らず、本気で攻めかかって来ら

れるのと変わらぬ恐怖を与えられ、心が磨り減っていく。

 これも恐るべき攻め方、確実に葬(ほうむ)る方法であろう。

 敵兵達もそれを機械的にやっているように思える。慣れている兵を配備しているのか、訓練を積んでき

たのかは解らないが、逸りも気負いも感じられず、淡々とそれを行われる事は、やられている側にとって

は底冷えのする恐怖である。

 反撃しようとすればすぐに引くので戦いらしい戦いも起こせず、気持ちだけが焦る。ただでさえ大軍の

包囲によって疲弊しているのに、このような事をされれば兵の精神は長くは持つまい。

 後は兵が耐え切れずおかしな行動を取るのを待ち、それを確実に突いていけばいい。簡単な事だ。何も

難しい事はない。

 子庸は待てばいい。主導権を握りながら、後は衛が自壊するのを待っていればいい。この戦はそういう

戦である。被害を覚悟して攻め立てる必要は、初めから無かった。



 趙起は作戦の根本的な変更を余儀(よぎ)なくされた。考え方が初めから間違っていたのだ。東孫が取

るべき方法とは待つ事。動せず、静する事で勝機を掴む。それは孫らしくはないが、おそらく一番効果的

な方法である。相手が孫でなければ、趙起もそれを第一に予想しただろう。迂闊(うかつ)と言えばそう

だが、それよりも子庸がより巧みであったと言うべきだろう。

 子庸は自分が孫文ではない事をはっきりと理解しているのである。今までの孫将のようにまるで自分が

孫文の一部であるかのように考えるのではなく、自分はあくまでも臣下の一人に過ぎず、軍も孫文から預

かっているだけである事を理解している。兵は孫文を慕っているのであって、子庸を慕っているのではな

いのだ。

 しかしそれを逆に言えば、孫文に拘らず素直な手が打てるという事でもある。その上変わり者との評判

なのだから、他の孫将と違う事をしたとしても、さほど違和感を与えない。不満を抱く者も居るかもしれ

ないが、子庸が孫文から信頼を得ているというその一事によって霧散してしまうだろう。

 実績もあるのだから、誰が文句を言えるだろうか。例え文句を言ったとしても、それこそ虚勢に過ぎな

い。子庸はそんなものを考慮する必要のない事は充分承知している。彼は冷静だ。

 下手をすると趙起はこのまま何も出来ずに終わってしまうかもしれない。

 打つ手が考えられるとすれば、平望、栄陽から軍を発し、東孫軍を牽制させるなり、補給路を断たせる

なりする事だが、それをするとかなりの損害が出るだろうし、成功するかも解らない。むしろ出てきたの

を幸いと各個撃破されてしまう可能性もあり、短慮(たんりょ)するのは禁物である。

 とはいえ、このまま座して居ても子庸の思う壺。黙って耐えるのにも限度がある。

 待つも動くも危ういとすれば、一体どうするべきか。

 衛一国の力で駄目だとなれば、後は外部の力を借りるしかなくなる訳だが。北方からはすでに借りられ

るだけの力は借りており、これ以上の増強、ましてや援軍など不可能である。緑の力を借りる手もあるが、

この圧倒的不利な状況で、緑が命を懸けて動くとは思えない。例え動いたとしても、その小さな力では東

孫軍に一息に揉み潰されてしまうだろう。

 なら他の飼い殺しにされている勢力の手を借りればどうか。これも難しい。確かに二万もの軍勢が出て

いるのだから、東孫はほぼ空になっている筈。そこを突くなら、小さな力でも大きな効果を発揮する事は

出来る。

 しかしその程度の事は誰にでも想像出来る事。当然子庸も手を打っている。その為の備えをしっかりと

してある事だろう。

 失敗を覚悟でやってみるのも悪くは無いが、東孫に多少痛い思いをさせた所で、根本的な解決にはなら

ない。一時の時間稼ぎなど、無駄である。もっとはっきりとした被害を与えなければ、意味がない。

 他勢力はまだ使うべきではない。彼らが生きてくるのはこの窮地を乗り越えた先であろう。この壁は趙

起が自力で乗り越えなければならない。趙起が持つ兵力だけで、何とかするしかないのだ。

 一万程度の力では、倍近い東孫軍にはっきりと及ばぬが、しかし無力ではない。地の利はこちらにある

し、上手く使う事が出来れば、道が拓(ひら)けるかもしれない。

 そう信じ、立ち向かうしかあるまい。



 時間が経つにつれ、それなりに情報は集まってきている。

 粛々とした形は保てているが、東孫軍の兵質はさほど良くないようだ。或いは目に付き易い位置にわざ

とそういう兵を配備し、こちらの油断を誘っているのかもしれないが。様々な点を考慮すると、どうやら

罠ではなさそうだ。

 しかしそれが解ったからといって、それだけでどうにかなる問題ではない。

 子庸の事も相変わらず解らない。謎に包まれたまま、暗闇で目を光らせている。実体が掴めない以上、

考えがまるで読めず、手が打てない。厄介な者がきたものである。

 もしかすれば今まで得た子庸の情報も意図的に流されたもので、そういう不気味な印象を趙起に植え付

ける事で困惑させようと謀ったものかもしれない。

 謎は深まり、泥沼に陥(おちい)っている。

 考えれば考えるほど解らなくなる。これは非常に悪い兆候(ちょうこう)である。

 信頼出来る事がなく、裏付ける証拠もなく、無意味に全てを疑わざるを得ない事の、何と始末の悪い事

か。間者や偵察兵から得られた情報にさえ罠が仕掛けられている可能性がある。疑えばきりがないが、疑

わざるを得ない。これは非常にしんどい状況だ。

 味方を疑う訳ではないのだが、罠というものは当人の意思に関係なく仕組まれているものである。

 もしかしたら二万の大軍も実際には烏合の衆でしかなく、一度突けばそれで崩せる程度の軍なのかもし

れないが。そう思わせる事が狙いであったとしたら、壊滅するのは趙の方となる。そういう罠がそこかし

こに仕掛けられている事が考えられる以上、思考に労するのみでいつまでも動く事が出来ない。

 敵を知る事ができないと言う事は、真に始末が悪い。

 敵の攻勢が緩やかな為か、時間も余計に長く感じ、焦燥だけが募っていくのを感じる。状況を打開でき

ず、思考に疲弊していく。真に巧みなやり方である。いや、趙起が愚かで臆病なだけなのか。何か確かな

ものがなければ決断できないというのは、大きな弱点であるのかもしれない。

 結果として趙起が下した決断は、とにかく待ってみようと言う事であった。例え二万の大軍とはいえ、

ある程度は防ぐ自信がある。民も暫くは抑えられる。軽挙妄動(けいきょもうどう)するよりも、もう少

し情報を得る必要があると、彼は考えたのだ。

 だがそれはやはり消極的といえる方策であった。



 包囲されてから一週間が経ったが、相変わらず東孫軍の動きはゆるりと淀みなく、必死になって攻めて

来る様子は見えない。大きな動きがなく、相変わらず何を待つかのようにじっとしている。

 偽兵を用いており、実は今も別働隊が平望か栄陽に向かっているのではないか、とも考えたが。そうい

う様子でもなさそうだ。いっそ二分してくれれば、包囲する兵が減り、勝機も見出せるのではないかと思

うが、それはあまりにも都合の良過ぎる考えだろう。

 だがこうなってくると、子庸が衛を攻めあぐねているのではないか、という考えも浮かんでくる。

 三拠点を掌握した事で趙は衛という強固な形を手に入れた。守備兵も少なくなく、出来る限りの備えを

している。もし平望、栄陽の軍団を用いて包囲する東孫軍を上手く急襲できたとすれば、東孫軍がこうむ

る被害は少なくない。その動きに衛陽軍が呼応すれば、大きな戦果を得られるだろう。

 数では負けているが、兵の質では負けていない。むしろ勝ってさえいるかもしれない。

 例え中央から精兵を東方へ移したとしても、大した数を動かせない。移動時間を考えれば、大軍を移す

のは無理であり、東方へ移動したのは子庸とその配下の兵だけであろう。故に東孫軍は張子の虎とまでは

言わないが、今までの東孫軍同様に孫という名の響き程の力を出せるとは思えない。

 将を変えれば兵が息を吹き返す事もあるが、弱兵を一瞬で精鋭に変えるような魔術は何処にも無い。そ

れに近い事が出来るとすれば孫文ただ一人だが、子庸は孫文とかけ離れている。二万という軍は確かに強

大であるが、子庸自身も衛を落とすのは楽ではないと考えているのではないか。

 今回もまた趙起が無用に相手を買っているだけではないだろうか。

 迷いが浮かび、振り払い、再び迷う。

 考えても考えても答えが見えない。永遠に答えは出ぬと知りながら、それでも縋りつくかのように思考

を続け、時間だけが過ぎていく。

 一体何が実で何が虚なのだろう。子庸の実像が見えず、自らの思考の中で滅びようとしている。

 このままではいけない。ただ間者を放ち、得られた情報から推測しているだけでは、いつまで経っても

本質を掴む事は出来まい。子庸がそれを隠す事が巧みならば、暴くにはそれ相応の手段を用いなければな

らない。例えそれが子庸の本当の狙いであったとしても。



 趙起はまずこちらから積極的に攻めてみる事にした。勿論それは打って出るという意味ではなく、弓矢

によって激しく射かけるという事である。距離がある為にさほどの効果は見えないだろうが、こちらが何

かをする事で、子庸の意図を引き出せるかもしれない。

 座して見えぬとすれば、敢えて動くしかあるまい。

 それが罠であったとしても、他に方法を見出す事が出来い以上、やるしかなかった。何もせずに待つ事

には限度がある。子庸はただ待てば良いが、趙起はそういう訳にはいかないのである。

 数日そんな事をしてみたが、東孫軍の動きに変化はない。趙起の狙いなど、初めから読まれてしまって

いたのか。おそらくそうだろう。苦し紛れだと言う事は、趙起自身はっきりと解っている。それを子庸が

悟れぬとは思えない。

 とすればこれも矢を無駄にしただけだろうか。いや、それを確認できただけでも悪くはない筈だ。事実

はどうあれ、そう思おう。そう思う事が肝心である。何事も無駄ではない、無駄にしない、その思いが挫

ければ心が折れてしまう。

 それだけは避けなければ。

 しかし敵ながら驚くべき男だ。衛は、いや趙起はこれでほぼ無力化されてしまった。動けない以上、東

方に国を得た意味がない。孫に揺さぶりをかける事も、東孫に脅威を与える事も出来ないだろう。

 まさかこうして包囲しつつ衛を無力化するのが目的なのか。そうして趙の目を引き付け、衛を無力化し、

その間に孫文が動く。例えば窪丸侵攻に加わり、一挙に攻め落とす。

 東方へ配慮する必要が薄れれば、そういう手が見えてくる。敵を西方と窪丸に絞れれば、思い切った手

を打つ事も不可能ではなくなる。

 本当に疲弊しているのは趙の方なのだ。窪丸を必死に食い止めながら、衛という国を建て、それを護ろ

うとしている。多方面作戦を強いられているのは、むしろ趙の方であろう。もしやこれこそが孫の真意だ

ったのではないか。

 そうとでも考えなければ腑に落ちない事がある。

 子庸の目的が衛を無力化する事にあると考えても、それで辛いのは東孫の方であろう。西方と北方を合

わせれば、おそらく孫と国力は互角。その上で動かしている兵数の多いのは孫。であれば、先に音を上げ

るのは孫という計算になる。果たして二万もの大軍を、それだけの為に使うだろうか。 そこには何か裏が

ある。或いは何かの意図が隠されているとしか思えない。

 少なくとも、子庸の動きはどこかおかしい。

 それともやはりそう思わせるのが目的か。趙起と趙深を悩ませ、その思考と力を鈍らせるのが真の目的

なのか。

 解らない。解らないが、この動きには何かしら大きな意味がある筈だ。

 ならばその意味を掴む事で、状況を打開する手が見えてこよう。逆に言えば、それが見えない限り、見

つけない限り、趙起は勝利を掴む事が出来ない。

 今のままでは何をしても何を考えても堂々巡りである。

 行くべきか、待つべきか。決断すべきはこのどちらかだ。それは解っている。しかしそれを選ぶべき確

かなものが何一つ無い。

 この決断が衛の生死を分かつというのに。

 趙起は恐れに取り付かれ、迷い、ただ只管に迷っていた。

 しかし選択をしていない訳ではない。彼は必死に恐怖に耐えながら待つという決断を、下し続けていた

のである。

 それは非常に孤独で、苦痛を伴う役割であった。しかもそれをしたとて、何も解決していない。




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