11-4.背負う心、望む心


 趙起は一千の兵を割き、舟を使って子庸軍に仕掛けてみる事にした。

 事態がより切羽詰ったものとなった以上、折角下した決断も変更せざるを得なくなる。

 とはいえ、まともに戦っても勝てるとは思えない。子庸軍の半数以上は寄せ集めであると考えられるが、

こちらもそれは大差なく、力の差は歴然としてある。工夫しなければならない。

 趙起はこれはと思う者の中から、盛良(セイリョウ)という男を選び出し、この男に一千の部隊を預け、

ある事を命じている。

 それは下手すれば全滅しかねない危険な役目だ。その上効果があるかも解らない。もし成功したとして

も無意味に終わり、最悪一千の兵を見殺しにしなければならない事態になる可能性がある。

 そういう役目であるから、選ぶ兵も強さより忠誠心、責任感の強い者を選び。その上に盛良という退け

ない理由を持った者を置いたのだろう。

 盛良は賦族と大陸人との混血の一人であり、双で軍を編成した時からすでに趙起と共にあった。その経

験と今まで生き残ってきた武運を思えば、生え抜きの古参兵と言っても差し支えない。そして実際に大き

く成長を遂げてもいる。

 どちらかと言えば大柄な部類に入るが、体格は大陸人とさほど変わらず、賦族兵が持つような圧倒的な

力は持っていない。だがその代わり、彼は賦族の持つ手先の器用さという才を最も多く受けている者の一

人で、趙起と趙深が舟と川に着目しているのを知るや、操船と天候読みを会得する為にその努力の全てを

注ぎ込み、短期間の内に本職に比べても遜色(そんしょく)ない程の腕前に達した。

 彼が選ばれたのには、その操船の腕と経歴を見込まれたという事もある。

 この盛良は混血の例に漏れず、親兄弟を知らず、子供の頃から辛苦を嘗(な)め尽くし、趙に入る事で

ようやく家族と安定を得る事の出来た男である。その彼にとって趙こそ、趙の世こそ全てであり。他に生

きる場所は無い。

 大陸人でも賦族でもない彼には、そのどちらでもない、新しく生まれた趙という場所に生き場を求める

しかないのである。

 ようやく手に入れた居場所を、可能性を、今失う訳にはいかない。

 その上、盛良は生来責任感が強く、気骨もあり、自分の命よりも使命を優先する所がある。正に決死の

部隊を任せるには打って付けの人物である。それだけに尚更、命を賭ける事だけを期待され、それだけの

為に死地へ送られる事は惨くも思えるが、これも戦の習い。戦とは須く惨たらしいもの。今更同情する方

が愚かであるのかもしれない。

 盛良は異論を挟む事無く受け容れ、すぐさま準備を整え始めた。しかしただ一千の兵を連れていった所

で意味を為さない事は重々解っている。彼も昨日今日趙軍に編入された男ではない。のこのこ出て行けば、

一万の前に容易く蹴散(けち)らされるだろう事は、当然理解している。

 小軍が大軍に立ち向かうには、相手の隙を突く以外にない。その為に最もよく使われるのは夜襲だろう

か。相手が戦う準備を整えていない所を突く、出来れば奇襲する、それだけが勝つ、或いは効果を挙げる

術であろう。

 問題は、そんな事は相手も承知している、という所だ。夜襲に対する準備は充分整えているだろうし、

むしろこちらが焦って出て来るのを待ち構えていると考えられる。

 夜襲とは言え、敵陣に行かねば襲撃出来ないのだから、身を守る鎧となる拠点から出て行く事には変わ

りない。だからその手を読めたとすれば、逆に隙を付けるこれ以上ない好機を得る事になる。夜襲だの策

だの言っても、本質的な何かが変わる訳ではない。劣勢はあくまでも劣勢であり、千の軍勢が突然一万に

膨れ上がったり、何の理由も無く倍の力を発揮したり、そのような事は起こりえない。

 千で一万に立ち向かう事に変わりはないのである。

 では何が変わるのかといえば、それを見る人の心が違うのであり、心を惑わせるからこそ初めて効果が

生まれる。逆に言えば、相手の心を惑わせられない限り、何をやっても餌を投げ与えると同じ、不利は不

利のまま玉砕するしかないのである。

 策を思い描いて勝った気になるような愚かな真似はせず、ここはしっかりと考えなければならない。

 今回は川を使う為、子庸軍も多少面食らう可能性はあるが、それだけではまだまだ弱い。もっと出会い

頭に横面を張るような、驚きと衝撃が要る。例え一時でも良いから衝撃を与える。それでこそ隙も生まれ

ようというもの。

 ではその為にどうするべきか。

 盛良はずっとそれを考えていた。趙起に命じられる前から、ずっとその事を考えていたのだ。彼の得手

は水軍。その素養のある者はまだ趙軍には少なく、だからこそ自分はそれを会得しようと努力し、自分の

力を生かせる機会を広げようとした。

 だから二万の軍が来ると聞いてからも、どうにかして水軍を役立てないか、川と舟を役立てないかをず

っと考えていたのである。別に誰かから命じられた訳ではない。彼のように責任感の強い、言ってみれば

無用なまでに責任を負い続ける型の人間にとって、常に自分が何かをせねばと考える事は、至極当然の事

なのだ。

 少数の軍で効果を発揮するには、単純に夜を使うだけでは足りない。そして拠点を包囲されている以上、

奇襲の方法も限られ、ある程度事前に予想できるからには奇襲としての効果も薄れる。

 もう一つ何かが必要だった。別に突飛な事でなくていい。相手を驚かせる何かを上手く組み合わせる事

が出来れば、作戦成功も夢物語ではなくなる。

 ただし無理を道理に変えるには、相応の代償が必要である。盛良に賭けられるのは自分の命しかない。

ならば生か死か、ではなく、死を前提として考える事が必要だった。人を驚かす為には、人がやらない事

をやるしかない。兵数が少ない以上、最も人がやらない事、即ち死をもってそれを為す以外、方法が無い

ではないか。

 一千の兵全てを犠牲にするような、そのような途方も無い愚かな策。それをしてこそ、初めて大軍を揺

さぶる事が出来よう。一人や二人では足りない。万の軍を揺さぶるには、それなりの数の死を持って、そ

れに代える必要がある。

 盛良は慎重に兵を選んだ。死に怯えるでもなく、嬉々として向かうでもなく、どちらであってどちらで

もない。死を恐れながら、しかし死ぬ事も吝(やぶさ)かではない。そういう者を選ぶ必要があった。大

言壮語を吐く者ではなく、人知れず覚悟を持つ人間を選ぶ必要があったのだ。

 そういう人間は多くない。だが少なくもない。今のような窮地(きゅうち)だからこそ、幸か不幸か、

選ぶ事はそれほど難しくはなかった。



 夜闇に紛れ、一千の兵が出る。

 一万に比べれば微々たる数ではあるが、一千の人間といえば少なくない。むしろ途方も無く多い数であ

る。広い川でも一部を埋めるには充分で、それだけの人数が居れば当然目立つ。身に付ける鎧や衣服、そ

して舟自体も墨で黒く塗りつけていたが、どの程度の効果があるかは解らない。近付いて目を凝らせば、

夜明かりにでも浮かび上がってしまうかもしれず、音が立つのを防ぐ術もなかった。

 冷や汗を拭うようにして、盛良軍は一艘(いっそう)ずつ慎重に進む。

 盛良がまず考えたのは、部隊を小分けにする事だった。分ける事で軍としての力は落ち、ただでさえ圧

倒的な兵力差が更に開いてしまうのだが。少数の方が身を隠しやすい。多くの部隊にする事で、かえって

見付かりやすくなる不安はあったが、なるべく広範囲に効果を及ぼしたい事もあり、そちらの手を採った

のである。

 それに子庸軍も趙軍が夜襲をかけてくるなら、必ず兵力を集中させると考える筈だ。趙軍がもし勝てる

とすれば、その四千の兵力をただ一方面に集中し、そこを突破する事だけだと考えるのが自然である。そ

れに包囲するという事は、陣が薄く広がると言う事であり、一万の軍勢を平望へ向けた今、一点突破の好

機とも考えられる。

 そしてその一点とは、おそらく子庸の居る場所であろう。趙軍は最早子庸を討ち取る事でしか勝利を望

めない。一か八かの特攻をしかけてくるかもしれないとは、充分に予想出来る事だ。

 子庸が慎重かつ冷静な人物であるとすれば、想定できる事には全て対処していると考えていい。

 だがそれを逆に言えば、想定していない事には何も対処できていない、という事である。勿論、多少の

事なら軌道修正出来るだろう。しかし子庸の考える道理に合わない方法でなら、虚を突く事が出来るかも

しれない。

 子庸軍全体ではなく、子庸一人を悩ませられれば、その思考と動きを封じる事が出来る。それだけでは

起死回生の一手にはならないが。それに繋げる事は出来る。

 盛良はその可能性の為に命を捨てる。子庸の動きを一時封じた所で何がどうなるとは思えない。だが趙

起がそれを望んだ。ならばそこには自分の考え付かぬ、大きな狙いがあるのだろう。反論も修正案も必要

ない。趙起が欲したのは、命じた事を命じたまま、或いはそれ以上に、正確に実行する事。盛良はそれが

出来ると見込まれたのである。

 その意味を考える必要はない。ただそれを実行する事、成功させる事だけを考える。それが盛良の役目

であり、使命。そして自ら望む使命でもある。

 不器用かもしれないが、それもまた未来へ繋がる生き方であろう。

「慎重かつ迅速に。何よりも任務遂行を。趙の、そして願わくば我らの未来を失わない為に」

 盛良は夜空に輝く北斗と南斗に向かい、存命と成就(じょうじゅ)の祈りを捧げた。



 航行に問題はなかった。晴れ渡る空が夜闇にも星々の輝きで知れる。夜間での操船の経験のある者は少

なく、苦労しているが、この分なら何とかなりそうである。

 夜襲であれば曇りか雨の方がありがたく、晴れるのは厄介なものだが。作戦の事を考えても、今回はむ

しろ好都合といえる。ただし明るい分見付かりやすくなっている為、その点には配慮しなければならない。

 それぞれの隊は目標地点に達するとすぐに陸に上がり、舟を隠して身を潜め、とにかく目立たない事に

重点を置いて行動しなければならない。ばれた時は腹を括って囮役を務めるのみだが、ばれないで済むに

越した事はなく、その方が策としての効果も高い。

 幸い、間者によって探り出した見張りの配置が正確だったのか、運が良かったのか、上手く敵兵の裏を

かけているようで、若干の修正は必要だったものの、計画は概ね予定通りに進んでいる。土砂や木などで

川を封鎖されているかとも考えていたのだが、趙軍が衛陽に篭る、という事を前提に戦術を立てていたの

か、そうする時間と余裕がなかったのか、川に何か仕掛けられている様子はなかった。

 子庸軍が半減した事も上手く作用しているのかもしれない。二万の軍が一万になる。これは大変な事で

ある。子庸軍の優勢は変わらないが、様々な点で不備が見えてもおかしくない。

 だがそう見せかけながら、密かに迎撃の準備を整えて待ち構えているという可能性もある。こうして計

画通りに進む事が、逆に怪しいと言えばそうかもしれない。

 一度発した以上はやるしかないのだが。最悪の事態を想定して行動する事も、決して不利益にはならな

いだろう。考えすぎれば行動に影が差す事になるとしても、何も考えないよりはいい。

 予定通り兵を伏せたという合図が入る度、趙起、盛良、どちらの緊張も増していく。連絡手段から足が

つくのではないか、という不安とは別に、これにしくじれば後がないという恐怖が強く心に在る。

 やらなければ良かったのではないか、という迷いも浮かぶ。無意味な感傷だが、そう思いながらも浮か

べてしまうのが人の心というものか。

 それでも盛良は辛抱強く機を待っている。時間は限られているが、夜は短くない。それに深夜よりも明

け方の方が効果があるというもの。夜襲の為に昼間充分に睡眠を取ってもいる。それでも夜になれば欠伸

を漏らすのが人間だが、気にする程の眠気ではない。

 敵陣に近い為か時間の流れが遅く感じられるが、それはそれで悪くない。時間に追い立てられるよりは、

時間を長く感じられる方が良いというものだ。今更焦るような者は連れてきていない。

 この永き時間を、じっと待つ、静かに待つ、息を殺して待つ。

 焦らず慎重に時間をかけ、ようやく準備が整った頃には、すでに夜も半ばを越していた。

 空は依然晴れている。頃合も良い。

「作戦実行に移る。各自、己が使命を果たせ」

 ようやくだ。むしろもう、その時が待ち遠しい。



 火の手が上がる。次々と時間を変え、至る所に。

 囮として燃える舟を川に流した事も、その実行を大いに助けてくれた。夜闇に浮かぶ炎、これ以上目立

つ物は無く、見事に敵兵の注意を逸らしてくれている。

 子庸が川舟を配備していれば炎舟をそのままぶつけてやった所だ。

 狙いは敵の兵糧である。子庸軍は長期包囲にも便の良いように補給部隊を分け、四方にまんべんなく配

置しているのだが。まずその部隊、或いはその近隣の部隊へ密かに近付き、夜襲を仕掛ける。彼らも警戒

していた為、それ自体の戦果は少なく、むしろ返り討ちにあってしまうのだが、人の目は当然そちらへ惹

き付けられる。

 注意がそちらへ向いたのを見計らい、身を隠していた間者なり少数の兵なりが兵糧へ火を付け、水には

異物を入れる。

 そして兵糧から火の手が上がった事に驚く敵兵の隙を付き、戦闘部隊は急いで撤退する。勿論逃げれぬ

事の方が多いが、そこは一か八かである。初めから死ぬ事は覚悟している。それでも撤退を講ずるのは生

き残るという意志を持たせなければ意気が衰えてしまうからで、それ自体には作戦上の意味はない。

 覚悟する事と希望を持つ事はまた別の話。例え不可能事であっても、希望はあった方がいい。

 こうして叶わぬ望みに満足しながら、多くの人間が死んでいく。敵兵の方が圧倒的に多い為、ほとんど

虐殺されているようなものだ。子庸軍に死傷者は少ない。

 盛良もまた誰よりも早く死んだ。自分が死ねば後の指揮がどうなるかとか、上手く作戦を遂行出来るの

だろうかとか、そのような事は一切考えなかった。そんな事を考える事自体が、死を覚悟した者に対する

侮辱である事を、彼も決しているが故に解っていたからだ。こういう一種独特の気分は、そこに居る者に

しか解らない。

 だから盛良は迷い無く誰よりも早く死ぬ。作戦云々ではなく、むしろ死ぬ為にこそ死ぬ。こういう場合

は誰よりも命じる側の人間が一番早く死ななければならない。

 兵に死ぬ事を迷わせてはならない。死へ飛び込む事を身をもって教える。そうしてこそ初めて兵も恐れ

ず立ち向かうというもの。そこには生命一般の論理や倫理などは通用しない。

 兵は盛良のその潔い死に様を見、己も負けじと死地へ飛び込んでいく。彼らは囮である。燃やした舟と

同じ。誰よりも目立ち、誰よりも派手に命を燃やし、そして誰よりも派手に死んでいく。人に憧れを持た

せるまでに死んでいく。

 そしてその姿を別の兵が見、心を奮い立たせ己もまた死へと飛び込む。その連鎖こそが成果を生むのだ。

他には何も要らない。

 盛良の死に様と人選が良かったのだろう。皆、上手く死に、その効果は絶大であった。

 盛良以下千の兵のほぼ全ての命と引き換えに、敵兵の戦意と戦闘継続時間を大きく削ぐ事に成功したの

である。子庸軍は一時的にだったが大混乱を示し、散り散りになって逃げる者も少なくなかったとか。孫

に命を捧げようという者は少なく、逃亡兵という予想以上の戦果も生み出した。

 ここで趙全軍を持って一大攻勢に打って出ていれば、或いは敗走させる事も出来たのかもしれない。

 だが趙起は城門を開いて打って出る事をせず、火矢を射かける程度に止めている。

 混乱しているとはいえ戦力差は依然倍以上であり、子庸もここまでは予想していなかったかもしれない

が、おそらくこういう事態も考え、それに対する手も用意している筈。確かに今うまうまと乗ってしまえ

ば、敗北を決するのは趙軍の方かもしれなかった。

 そして実際、子庸は部隊を用意していた。精鋭を手元に集め、策が成ったと喜び勇んで出てくる趙軍を、

逆に奇襲してやろうと目論んでいたのだ。趙起が盛良軍を囮に使ったように、彼もまた雑兵を囮に使う事

を考えていたのだろう。

 子庸軍が見事に混乱したのにも、一つにはそういう理由がある。子庸軍の内情も苦しいのは同じ。なら

ば多くの犠牲を払ってでも、衛陽を落としてしまいたかったのだ。どうせ雑兵など後の孫の世には不必要

な人材である。ここで捨てたとて、孫文も表面上は怒るだろうが、内心満足してくれるだろうという打算

もそこには在った。

 奇しくも両軍同種の策を練っていた訳だが、子庸の方がより狡猾であった。今回は結果として子庸の裏

をかいた事になったが、子庸の方が上手であった事は間違いない。趙起が貪欲に別の意図を持っていなけ

れば、勝利していたのは子庸の方であっただろう。



 戦術上の勝敗はどうあれ、子庸は手痛い一敗を被(こうむ)った。死傷者は少なく、盛良軍をほぼ全滅

させたのだから、むしろ戦果を挙げたとも云えるのだが。心理的打撃と、兵糧の半分近くを燃やされた事

は痛い。失ったのは全て捨て駒の雑兵達の分と考えても、それは無視できない事態である。

 兵を食わせられないという事は、軍の根幹を揺るがす大事なのだ。

 平望に向けた兵を返そうかとも考えたが、それこそが趙起の狙いではないかと思い直し、子庸は兵糧だ

けをいくらかこちらへ回す事を命じた。しかしそれがまた裏目に出、その輸送部隊が襲撃され、また兵糧

を燃やされてしまったのである。

 子庸の動きを予想していた趙起が、火計の混乱に乗じて平望との輸送路へと盛良に与えた兵のいくらか

を伏させていたのである。勿論その兵も盛良軍同様に壊滅(かいめつ)したが、その使命は果たした。

 子庸もよもやここまでするとは考えておらず、輸送隊に少数の兵しか割かなかった事が災いしたといえ

る。いや、この時点で信じるに足る兵が僅かになっていたという事だろうか。子庸も出来るものなら、多

くの兵を輸送に回したかった事だろう。

 しかし食糧が少なくなった事で動揺している兵が多く、精兵と雑兵に分けられている事が、待遇から何

となく察せられるようになった今、子庸は軍の統制に多くの兵を割かざるを得なかった。

 将兵間に不信が芽生え、食糧を二度も燃やされた事で雑兵の怒りは頂点に達した。

 今までの余裕が嘘のように(元々見せ掛けだったとはいえ)、数では圧倒的優勢を保っているものの、

子庸は窮地に立たされている。

 現状で東孫が用意できるだけの食糧はほぼ全て持ってきている。新たに東孫から輸送させているが、そ

れだけでは全然足りない。そこで仕方なく付近の町村から得ようとしたが、強く言う事も出来ず、勝ち目

の薄れた東孫軍に対して民も積極的に力を貸そうとは思えなかったのか、大した量は集まらなかった。

 いっそ略奪を、とも考えたが。もしそんな事をしようものなら、孫文に殺されてしまうだろう。

 どうしようもなくなり、最早一日でも早く落とすしかないと衛陽への攻撃を激しくさせたが。士気は当

然上がらず、全く成果が現れない。それどころか焦る子庸に対して雑兵の不満は弥増し、殺意にも似た気

持ちを抱く者まで現れ始めていた。

 子庸は身の危険を感じながら包囲を続けている。まだ暫くは兵糧も持つが、打開策を見付ける事が出来

ず、焦りが伝播(でんぱ)しているのか、平望に向かわせた軍の働きも思わしくない。

 まだ勝っている。勝機は消えていないが。どうしようもない泥沼へと、足を踏み入れる事になっている

事もまた認めなければならない。




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