11-6.前門の竜、後門の獅子、内の蝙蝠


 北方への援軍を栄陽の百に任せると、趙起は平望の斯を衛陽に呼び寄せ、深撫攻めの軍勢を新たに編成

しながら子庸の動向を探っている。

 子庸に今の所衛に攻め寄せるつもりはないようで、軍備を整えてはいるものの、進軍する為というより

も篭城するという風だ。ただしこちらの出方によってどう出てくるかは解らない。そしてその不明さが趙

起を封じるという事になる。

 だがこの状況は、趙起が子庸を封じているという言い方も出来る。一時は衛滅亡の危機すらあった事を

思えば、むしろ良い状況であるのかもしれない。しかし大陸全土を眺め見るとそう都合よく考える事は出

来ない。

 このままでは北方へ向けるべき軍事力が半減してしまう。何としても早急に子庸を討たなければ。

 子庸の手勢には先の戦での被害がほとんどなく、三千の精兵が手薬煉(てぐすね)引いて待ち構えてい

るのだとしても、これを討たなければならない。

 趙起は援軍に使う筈だった兵と、各地の守備兵と負傷兵を交換した兵を合わせて何とか数を集め、五千

という軍勢を集める算段を立てる事が出来た。

 ただし軍の錬度は決して高くなく。頼みの賦族兵も半数程は援軍へと回し、手元には千程度しか居ない。

これで真っ向から子庸にぶつかるとすれば、六分の優勢といった所か。いや、子庸が深撫に篭る事を徹底

するとすれば、四分の劣勢に落ちるかもしれない。

 前回圧倒的劣勢でありながら子庸を打ち破れたのは、子庸の率いる軍が特殊な状態にあったからである。

あれはそこに当然あるべき勝利ではなく、運良く拾った勝利と考えなければならない。子庸が無能であっ

たから勝てた訳でも、劣勢を跳ね返す程に衛軍が強かったという訳でもないのだ。

 故に趙起も時間稼ぎこそが子庸の狙いと知りつつ、慎重に行動するしかなかった。早急に討つべきなの

は確かだが、今出来る早急という速度は、常に比べていかにも拙い。

 結局兵が集まり、全ての準備が整えるまで、更に半月もの時間を要した。



 趙起軍が衛を出発する頃には、すでに孫文が窪丸を出たという報告が入っていた。今頃は東城にて激戦

が始まっているだろう。北方への援軍はぎりぎり間に合ったという所か、後は百が上手くやってくれれば

良いのだが。

 北方の状況が非常に気になるが、今は東方の事である。

 東方の多くの拠点の動向は相変わらずで、趙か孫かその姿勢を決めかねている。一度子庸を破ったとは

いえ、趙もまた窪丸を取られている。しかも現在孫文が侵攻中であり、深撫には子庸が陣取っている。こ

れでは民がその心を一方へ決めるにはまだ早いと見るのが妥当である。

 その心を趙のみへ傾けるには、やはり早急に子庸を討つ事が必要だ。

 この半月の間に、子庸もまた戦の準備を整えている。予想通り拠点に篭って時間を稼ぐつもりのようで、

防備に資金と労力を投入し、防衛力が見るからに増した深撫の姿は、孫らしからぬ拠点の姿となっている。

付け焼刃といえばそうだが、こう護りに入られれば落とすのは難しい。

 衛陽に仕掛けたような川路を使い急襲する作戦も取れず、寝返りも期待出来ず、真っ向から攻めて落と

すしかないだろう今、一体どれだけの時間と労力、そして命を消費しなければならないのか。

 子庸の性格を考えれば、守勢こそ本領を発揮する場と思えるし、孫の傾向である防衛下手を期待するの

は無意味であろう。

 趙起が深撫に到着してまず驚いたのは、その防柵の数であった。辺り一面、木を十字枠にしただけのよ

うな簡単な作りではあるが、まるで全てを埋め尽くすように設置された柵の数。柵の海といっても良い程

で、柵一つ一つの強度は弱いようだが、まずその数に圧倒される。

 そしてその後ろには小数に分けられた無数の部隊がこれまた海のようにひしめいている。手には弓矢を

持ち、今か今かと待ち構えている様子だ。

 慎重と聞いていたが、やはり子庸も孫、ただ待つだけでも篭るだけでもない、攻撃的な守勢を見せてき

たというべきか。それともこれもそう思わせる為の罠で、真意は別にあるのだろうか。

「全軍停止。一切の攻撃を禁ず」

 趙起はとにかく少し離れた場所に陣を敷き、兵の疲れを癒す事を考えた。どの道攻めるしかないとして

も、遠路移動してきた今、攻める手はない。疲れを抱えながら攻める事に意味があるとは思えない。子庸

も趙起がそう動くだろう事は重々承知で、これで楽に一日稼がせたかと思うと癪(しゃく)だったが、敢

えて強行する気にはなれなかった。

 しかしいつまでも子庸の思惑通りに進ませる訳にはいかない。どこかで子庸を上回らねば、彼の思考の

上を行かなければ、趙起の勝機は薄くなる一方である。

 兵を休ませ、敵兵を監視しながら夜明けを待ち、趙起は太陽が完全に姿を現すのを待って、索敵(さく

てき)しつつ慎重に軍を動かし始めた。

 この柵海を突破するには、数に任せて突撃を繰り返すしかないだろうが。どうも敵の動きと配置に違和

感を覚えたので、全軍を投じる事を避け、千の軍勢のみを進ませる事にしている。

 相手を術中にはめるには、まず真意を隠す事である。その為には別に目立つ物を作るのが最も簡単な方

法だろう。この柵はどう考えても多過ぎる。こんな数合わせの柵をいくら置いたとて、さほどの用も成さ

ないのは明白。故にこれは囮ではないかと考えたのである。

 予想が当たった事はすぐに判明した。

 進軍していく兵が突如悲鳴を挙げながら崩れ、よくよく見ると彼らの居た場所には大きな穴が数箇所空

いている。中には尖った杭などが設置され、運良く杭を避けた兵も上から矢を浴びせかけられ、急ぎ軍を

引き返させたが、数百もの死傷者が出てしまった。

 生存確認と救助をしようにも矢が降り注いでは手が出せず、正確にどれだけの兵が死んだのか、生きて

身を潜めているのかは解らない。

 危ない所であった。まだすぐに退却出来るように全体から見れば少数の軍を進めさせていたから良いが、

これが全軍で攻めていたとしたら、軍は瞬く間に壊乱し、決定的な損害を受けていたかもしれない。

 この分では他にも罠が仕掛けられているのだろう。落とし穴は勿論の事、周囲に穴を掘って身を隠し、

不意打ちを狙っている可能性もある。柵内を良く見渡せないよう上手く兵が配されている為、例えそこ

に何もなかったとしても、こちらは警戒せざるを得なくなる。見事と言うしかない。

 時間を稼ぐには、敵に警戒させるのが最も有効な方法だろう。

「わざわざ兵を野に出したのにも意味があるという訳か。何と言う厄介な男だ」

 流石は孫文が認めただけの事はある。孫文が任すべき仕事を間違えたようだが、確かに有能な男だ。自

分がやるべき事をよく理解し、余計な欲を出さず、それのみをこなしている。ようやく自分の土俵に上が

り、存分にその力を揮(ふる)えたという事か。

 そう思えば、子庸が気の毒に思えないでもない。東方に出てくるのではなく、例えば中央の留守でも預

からせていれば、この男は問題なく大きな力を発揮できただろう。今更いくら功を稼いでも、先の大敗が

ある以上、勝っても負けても子庸を待つのは死だけである。

 確かに勝てば孫文もその功は認めるだろうが。その罪も忘れないのが孫文である。用が済めばおそらく

処理される。それでも忠を尽くすべきなのだろうか。功を積めば汚名も幾らか晴れるだろうが。子庸は待

っているのは死のみである、という今の状況を受け入れているのだろうか。

 謎めいているだけに何を考えているのか察する術はないが。だからこそ疑問が湧いてくる。

 趙起にしてもそうだ。頭から子庸を討つしかないと考えていたのだが、よくよく考えてみると、窮鼠(き

ゅうそ)を被害をおしてまで殺す事に、何か意味があるとは思えない。その鼠を迎え入れる道も、あるの

ではないだろうか。

 兵を殺され、本来は怒るべきなのだろうが。趙起に浮かんでいたのは多くの疑問である。この戦いに何

の意味があるだろう。子庸を討つ事が絶対に必要な事なのか。そして子庸にも、このまま孫文に死を覚悟

して仕える事に、何の意味があるのだろう。

 意地の為か。両者よく解らない意地の為に殺し合うのか。

 確かに子庸は敵である。同胞を殺された敵である。そして子庸も、自らを死地へ導いたのが趙起である

以上、深く憎んでいるのかもしれない。しかしそんな憎しみに何の意味があろう。まだ趙起を討てば子庸

が助かるのなら解るが、どちらにしても子庸は死ぬしかないのである。ならばおかしいではないか。

 趙起にしても子庸軍を何とか出来れば、別にその命を奪う必要はないのである。殺し合うのが戦の習い

だとしても、いやだからこそ、罪があるとすればむしろ戦そのものを起こしている趙起の方こそ責められ

るべきである。戦を始め、犠牲者が出たとして何の不思議がある。それは当然あるべき事ではないか。そ

れを憎むなら、戦など初めから望まなければいい。それが死しか生み出さぬ事は、幼子にも解る。

 冷静に考えてみると、戦う意味が見当たらない。人は確かに無意味な事に命をかける事もあるが、それ

を無意味と悟った今、それを行う事は罪であろう。

 そう考えると、子庸の行動にも別の思惑が見えてくる。積極的に出てこないのは時間稼ぎというだけで

はなく、彼もまた迷っている、いや待っているのではないか。趙起が深撫攻めの愚を悟り、子庸の事情を

察し、交渉を考えるのを待っていたのではないか。

 先の戦であっさり退いたのにも、孫文に見切りを付けていたから、或いは趙に付くという道も考えてい

たから、という見方が出来ない事もない。もし趙の力が本物であれば、乗り換える意味は出てくる。

 孫は決して居心地のいい場所ではない。孫文が行動的過ぎる為か、その性格の為か、とにかく将兵、特

に将は馬車馬のように働く事を求められる。実力主義とは、常に結果を求められているという事でもある。

考えてみれば、とてもしんどい事だ。

 そんな中で子庸は東孫へ来た。これを好機と考えてもおかしくはない。彼は気付いていた筈だ。この状

況を利用すれば、或いは自分が東方の覇者となる事も不可能ではない事を。

 孫文を裏切り、趙と繋がり、例えば奪った後東方を二分する事で盟約を結ぶ。孫文が遥か北方に居る今、

中央までは無理でも、疲弊しきっている東方を奪う事は不可能ではない。そして東方を取れば孫の力は半

減し、北方と子庸と西方で中央を包囲する事が出来る。そうなれば孫は大陸の覇者足(た)る力を失うだ

ろう。

 そこで子庸は北方と連携しながら機を計り、北方を出し抜いて中央を平らげる。そうして順当に力を増

し、天下を狙う。

 そこまでは夢かもしれないが。現実に孫文の支配力が落ちている、いやその影響範囲が狭まっている今、

子庸が動けば、東方各地に配された将も追従してくる可能性が高い。趙に大きな借りを作る事が出来るし、

東方の将を取り込むには趙起よりも子庸の方が有利である。密かに密約を結んでおき、 いずれは共に趙に

反旗を翻し、東方に覇を称(とな)える。その時はすでに落ちぶれているだろう孫とも協力してやっても

いい。後は趙と孫との間でいくらでも上手く立ち回る事が出来るだろう。

 孫文に罰せられる事が確定している子庸だが、その立場は実に微妙である。その牙をどちらに向けると

しても大きな影響力がある。

 孫文に殉ずるか、それとも野望に委ねるか。これは迷いを浮かべて当然の選択である。いや、迷いは初

めからなかったのかもしれない。子庸であれば、そういう事も当然視野に入れていた可能性がある。

 初めから裏切りを考えていたとは思えないが。もし万が一の事があれば、とは考えていただろう。

 趙起は考えた末、子庸に向けて使者を出す事を決めた。もしかしたら無為に終わるかもしれないが、胸に

騒ぐ何かが彼を突き動かしたのだ。それは勘と言ってもいいし、虫の知らせと言ってもいい。漠然として

はいるが、それだけにそれを選ばせる何かがあったのである。



 結論から言えば、見事に断られた。当然の事だ。予期していた事だけに、それ自体には驚くべき所は無

い。驚くとすれば、使者が子庸本人と直接会った事に対してである。

 影として身代わりを立てていたとも考えられるが、今まで味方にすら隠していたその姿を、わざわざ敵

からの使者の前へ現したというのは興味深い。

 子庸は大柄ではなく、小柄でもないが、どことなく華奢な姿をし。素顔は布のようなもので覆い隠して

いたが、恐ろしさは感じられず。賦族兵を見慣れている使者から見れば、むしろ弱々しく感じたという。

深撫の街もどこか忙しなさを感じ、余力があるようには見えなかったそうだ。

 それを鵜呑みにするのは危険だとしても、そこに子庸からの言外の言葉が含まれている事は確かだ。そ

れは戦術上の事というよりも、政治的な意味合いがあるように感じられる。

 それともこれも趙起を油断させ、時間を稼ぐ為の罠なのだろうか。

 その可能性もまた充分にある事は否定できない。しかし何かが変わっている事もまた事実。ならばそれ

を利用し、広げ、望みを達成する事は、不可能ではないかもしれない。

 子庸もまた悩んでいる。それが解るような気がした。いや、それを子庸自身が趙起へ伝えているように

思える。

 しかしそれが解ったとしても、真意を導き出すのは至難である。

 子庸に対する情報が余りにも少ない。一度本人かどうか確証もない姿を見せられた所で、それだけでは

判断できない部分がある。ここはもう少し攻めてみるべきか。深撫を、ではなく、子庸自身を。

 もし子庸を降す事が出来れば、早急に彼を破る以上の効果があるだろう。時間をかける意味は充分にあ

ると言える。失敗すれば全てが無意味に終わるが、賭けてみるのも悪くはない。そんな風に思えた。



 趙起は子庸を降らせる方向へと方針を変えると、戦闘行為を控えさせ、遠目に布陣したまま何度も深撫

へ使者を発した。

 答えはいつも同じであったが、少しずつ軟化しているようにも思える。後に残る事を良しとせず、子庸

からの返答は常に口頭であったが、同じ意味の言葉でも、その柔らかさ感じ方が随分違ってきている。

 答えが変わらずとも、人は常にその態度を変えるものである。それが知らず知らずなのか、意図された

ものなのかを見極めるのは難しいが、趙起にとって悪い傾向ではない。

 時間稼ぎの為といえば、そういう理由も付けられるのかもしれないが。その為だけなら、他にいくらで

も方法がある筈。こんな事をしていれば孫文に裏切りの算段をしていると誤解されかねないし。ただでさ

え大敗という斬首されても文句の言えない罪を犯しているのに、これ以上孫文に油を注ぐ意味があるだろ

うか。

 あるとすれば、それもまた趙起への言外の言葉と取れる。

 実は子庸の本心はとうに決しており、迷っているのではなく、起こすきっかけを待っている。敗北以後

の全ての行動も孫の為ではなく、全てその為の布石。孫に殉ずるのではなく、彼もまた先を見、その為に

行動している。そう考えるのは早計だろうか。

 もし早計でないとすれば、趙起の採るべき道はただ一つ。子庸に応じ、彼が裏切ってもおかしくない状

況を生み出す。子庸の裏を悟り、何も知らない風を装いながら、密かにそれを築く。

 子庸もまた将である。人の上に立つ者。しかも東孫を任されたという大きな責任を持つ。ならば己が一

個の心で全てを決する訳にはいかない。軍事の事ならばまだしも、寝返りという事になれば、自ら立つと

なれば、様々な準備と状況が必要なのだ。

 別の言い方をすれば、子庸を程よく追い込んでやらなければならない。彼の為ではなく、趙の為に。

 そしてそれをしながら、少しでも趙に良い方向へ持っていかなければならない。そういう意味では、依

然血の見えない戦は続いている。



 趙起は自軍から二千の兵を割き、斯を将として、深撫に続く街道の封鎖を命じた。

 彼がまず考えたのは、子庸軍を孤立させなければならないという事だ。これは軍事的に見ても妥当な方

法であるので、多くの者はそこに攻略以外の意味が含まれているとは思わないだろう。

 深撫を攻めあぐね、正攻法では無理と思い、まず孤立させる事で力を奪おうとする。これは至極真っ当

な考えである。

 子庸に趙起軍を二分させる意図があるとは考えなかった。そこまで趙起の行動に確信が持てるとは思え

ないし、もし持てたとしても実際孤立させられる事は子庸にとって非常に不利だからである。

 彼もまた別働隊を組んで斯軍を待ち伏せする策も考えられたが、付近には兵を伏すに適した場所が無く、

例え落とし穴などの罠を使うとしても、少数の兵を見せて誘い込むくらいしか上手く機能させる方法がな

い。何かあればすぐ引くよう斯に命じているから、深刻な損害を受ける前に脱する筈だ。

 それに深撫は篭城の準備がされている拠点ではなかった。子庸軍の兵糧の多くは先の戦いで焼かれてい

るし、この深撫の備蓄も高が知れている。故に他拠点からの輸送に頼らざるを得ず、補給路を封鎖されれ

ば干上がってしまう。

 食糧こそ子庸軍にとっての急所である。

 他に危険性があるとすれば、封鎖した部隊を他拠点からの援軍に攻められる事だが。劣勢になっている

子庸に積極的に力を貸そうとは考えない筈だ。北方での勝敗が決まらない今、趙に組するとも思えないが、

子庸を助ける事はそれ以上に考えられない。

 迅速な勝利を諦めてしまえば、趙起にも採るべき手が見えてくる。北方に居る孫文の影に怯えなければ、

いくらでも方法はあるのだろう。

 趙起は時間を気にする事を止めた。北方には趙深や姜尚が居るのだ。自分程度が心配したとて、出来る

事はない。それよりも東方でやるべき事をやらなければならない。子庸を利用し、最終的には趙が東方に

覇を築く。それが北方への最も大きな支援になる筈だ。北方が危険だからといって、出来る事が北方にし

かない訳ではない。冷静に大陸全土を見据えれば、打つべき手は見えてくる。

 心に躍らされず、冷徹なまでの目で眺め見る。それもまた、覚悟というもの。




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