11-8.竜威、獅子を臥す


 一万の軍を率い、趙起は東城に到着した。東城は孫軍に包囲されていたのだが、今はその包囲も解かれ、

迫り来る趙起軍に対応する為だろう、軍を二分し、それぞれ東城、趙起軍へと向けられている。趙起軍へ

向けられた軍の方に孫文が居る事を示す旗が掲げられている事を思えば、孫文は趙起軍こそまず討つべき

敵と見なしたのであろう。

 その考えを補完するように、東城は遠目に見ても疲弊しきっているように感じられる。趙起から辛うじ

て目に出来る弓兵達には覇気が見えず、放つ矢にも勢いがない。完全に劣勢と言った風で、孫軍に脅威を

与えられる力はすでに無いと思えた。

 一瞬、趙起の頭に何度も進退を繰り返して孫軍を惑わし、そうする事で東城の疲弊を抑え、時間稼ぎを

しようか、という考えが浮かんだが、すぐに否定した。

 確かにそれも悪い手ではなく、実際効果もあるだろうが。見え透いた手はすぐに悟られてしまう。そう

なればその時点で効果は失せるし、孫軍にも東城の限界をはっきりと悟られてしまう。

 孫文はそう思わせる為の罠だとは迷うまい。何故なら、東城の疲弊は明らかだからだ。

 ここで小細工など弄(ろう)すればその為に自滅しかねない。孫文を甘く見る事も、一時の逃げに希望

を抱く事も、等しく破滅への道であろう。自分だけに都合のいい考えに流されてはならない。逃げ腰にな

らず、今こそ勇を持って示さなければ。

「全軍、微速前進せよ。決して逸ってはならぬ」

 趙起は孫文に挑みかかるようにゆっくりと軍を進めさせた。孫軍もそれに応じるように弓矢を構え、射

程距離内へ踏み込んでくるのを待つ。おそらく東城の動きと趙起軍の動きを見定める為だろう、動かずど

っしりと構えている。

 孫文らしくはないが、無難な手だ。

 孫軍が待ちの姿勢に入った事で、趙起の方に主導権が生まれる。

「全軍停止」

 しかしその主導権に今の所勝利を掴む程の力は無い。

 趙起もそれを重々承知している。だから射程距離内に踏み込む事を躊躇(ためら)ったのだろう。

 こうして両軍睨み合いの格好となった。どちらもどちらを窺うように距離を取って眺め見ている。

 近くで見る孫軍は確かに恐るべき気迫と力強さを感じさせた。陣から立ち上る気が濃く猛々しい。それ

は雰囲気と言っても良いものだが、より濃厚かつ確かなもので、軍気とでもいうべきものである。

 昼夜問わずの戦いで孫軍も大いに疲弊している筈だが、その気迫が衰えている様子はない。士気も高く、

戦闘意欲も強い。まさに戦獣と言った風で、今か今かと趙起軍を待ち構えているように見えた。

 趙起としてはそこに飛び込むしかないのだが、余りにもそれは危険である。自ら獅子の口に飛び込むよ

うなもので、それを行うのは自殺に等しい。

 汗が滲(にじ)む。進退きわまった、と言ってもいいくらい、その圧力は現実的な重みを伴って趙起軍

に圧し掛かる。

 目の前に居るのは掛け値なしに大陸最強の軍勢である。孫軍の中でも選りすぐりの強兵、そしてそれを

孫文自身が指揮する。最高の兵を最高の将が率いる。その強さは言わずもがな。果たして寄せ集めと大差

ない兵を率いる趙起に、勝ち目があるのだろうか。

 頼りの賦族兵は二千。賦族兵ならば孫軍の精鋭にも対抗できるかもしれない。しかし孫軍の兵数はざっ

と見積もっても一万三千は居る。それを二分し孫文が率いるのは約七千と言った所か。

 この時孫文は二万の兵を持っていたという説もあるが、窪丸陥落時に一万強だったものが、いくらその

後ある程度準備をしたとしても倍になる事はあるまい。残していた予備兵力を引き入れても一万三千程度、

もしくはそれ以下と見るのが妥当である。

 例え同程度の力を誇る兵を持っていたとしても、その数は孫軍の三分の一程度でしかない。果たして賦

族兵を除いた八千の兵で、孫軍の残り五千に対しえるだろうか。答えは否と言わざるを得ない。兵の質に

はそれ程の差があった。東城に居る兵と連携を図りたい所だが、しかし東城も六千の孫兵が睨んでいる。

身動きが取れない。それに兵が疲弊しきっている今、例え連携出来てもどこまで戦えるかは疑問だ。

 つまり趙起は己が軍のみで孫文を破らなければならない。だがどう計算しても状況は不利である。与え

られる精神的重圧は考えていたよりも遥かに強く、趙起でさえ恐怖を抱く。孫文は恐ろしい。とても敵わ

ないと思わせられる。孫軍が二分した為、兵力においては優勢である筈なのに、まるで敵の半数の兵しか

持っていないかのような圧力を感じるのである。

 敵の半分の力、客観的とは言わないが、それがある意味正当な評価なのだろう。

 ここまで来た以上進むしかないのだが、このまま進んでも勝てはしない。

 趙起は後一歩踏み出す事を恐れた。兵もまた同じである。将の気持ちは兵に伝染する。その上今回の場

合は兵自身もまた個別に恐怖を抱いている。兵の気持ちもまた将に伝わる。互いに恐怖しあい、互に伝染し

あう。趙起が敗北を感じたのは、当然の事であった。

 そう、趙起はこの時点で敗北を感じている。出来る限りの準備をし、窪丸と白祥を犠牲にしてまで孫文

を疲弊させたのだが、それでも尚孫文は強大であった。戦場で対峙(たいじ)すればそれが良く解る。趙

起の脳裏に、以前敗北した記憶が甦(よみがえ)ってくる。

 野戦で孫文に勝てる者はいない。窪丸という防壁があり、孫文に絶対に落とすという意志なくして初め

て互角に戦えたのだ。今の戦力では余りにも頼りない。せめて後五千も兵があればと思うが、しかし例え

あったとしても勝つ自信が持てたかは疑問である。

 この敗北感は兵の数や質の問題ではない。心の問題であった。やはり強い、やはり勝てない、そう思う

事が最大の問題なのである。

 ただ趙起はそれに気付いてもいた。孫文という存在に対し、必要以上に恐怖を抱く己の心に。感じた敗

北は正当な評価ではなく、己の弱さでしかないのだと。そう気付けたのは心に余裕もあったからだ。身が

竦(すく)む程に降り注ぐ精神的重圧、しかし今の趙起はそれを受け止める事が出来た。それは彼の内部

にある種の変化をもたらす。

 趙起の心に何かが灯った。

 開き直ったと言えばそうなのかもしれない。もしくは趙起軍が来たのを知り、疲れ果てながらも懸命に

それに応えようとする東城に対しての想いがそうさせたのかもしれない。或いは死した白祥の魂が力を貸

してくれたという見方もあるだろう。

 趙起の生来の性質、そして後天的に積み重ねてきたモノの成果。東方の孫軍との数々の経験。そういっ

た事も上手く作用したのだろう。

 その本当の理由は趙起自身にも解らなかったようだが、まるで慣れてしまうかのように、趙起の目に違

う孫軍の姿が映ってきたのである。

 いや、違うというよりは、曇りが晴れたと言い換えるべきだろうか。余計なものが消え、そこにあるが

ままの姿が見えるようになってきたのだ。

 恐怖と重圧に押し潰された。だがそれに耐え、素直に向き合った時、かかっていた霧は晴れたのだ。

 孫兵もまた疲弊していた。それも軽度ではない、重度に疲弊していた。孫文もまた万能ではない。孫兵

も無限に力が湧く訳ではない。何度も気付き、悟った現実が、今趙起の眼前に現れていた。

 孫軍にも東城同様限界がきている。考えれば当たり前の事だ。孫文の攻めは常軌を逸している。それに

従う兵もまた命を削らされる。確かに恐るべき強さ、激しさだが、だからこそむしろ護る側よりも、孫兵

の方が疲労するのである。

 孫兵は窪丸から続く戦の為、精根尽き果てようとしている。目がやたらに光っていたのは、限界が訪れ

ている肉体を、無理矢理精神の力で動かしていたからであろう。だからその意志の力のみが、色濃くそこ

に見えたのだ。

 孫軍は怖い、確かに恐ろしい。しかしそんな事は当たり前の事。自分よりも強い相手がそこにいるのだ

から、恐怖を抱くのは自然な事である。だが恐怖もまた受け入れる事が出来る。恐怖するのが当然だと思

えば、それを前提としてものを考えるとすれば、そこに虚飾はなく、ありのままの姿が見えてくる。恐怖

という感情の先に、いやその恐怖という感情の中にこそ、真実の姿があるのだ。

 虚もまた実を基にある以上、虚の中にこそ実もまたあるのである。それと素直に向き合えば、本当の姿

は必ず見えてくる。

 趙起が敗北を感じたのは事実だ。しかしそれは一時の事であった。孫文の力の底が見える。孫にもまた

限界というものがあった。それを知っていたからこそ、子庸は孫を、孫文を見限ったのだろう。あの慎重

な子庸が孫を裏切り趙に付いたという事もまた、明確な自信となって趙起を助ける。

 東方で起きた全ての事象が、今趙起の支えとなり、孫文の虚を晴らしたとも言えるのかもしれぬ。

 孫は強い。しかし趙もまた以前の趙ではない。いまや孫と肩を並べるどころか、孫を圧し、孫文自身を

北方にまで来させる程の力を有している。孫文の自信、強きな行動の裏には、紛れも無い北方への恐怖が

ある。でなければ最大敵国である西方から、どうして離れようとするだろう。孫文もまた恐怖に囚われ、

その道を誤ったのだ。

 滅びが見えているのは孫の方である。

 そう気付けば力が湧き、むしろ孫文に同情する余裕まで生まれてくる。

 孫の時代は終わった。そう悲しめる程に。

「恐れるな! 全軍前進!」

 趙起は雄雄しく叫び、自ら先陣を切るが如く駆け出した。反射的に兵が続き、一つの流れが生まれる。

 何故孫軍が睨み合いに応じたか、らしくなく止まって待ったのか。以前のように策がある訳ではない。

彼らもまた限界なのだ。気力だけで戦っているのだ。昼夜問わず戦って平気でいられる人間が、この世に

居る訳がない。

 孫文の威がそれを隠していたが、よくよく考えれば当たり前の事。その上、ようやく東城を落とせると

思っていた所に一万の援軍。精神的疲労も並々ならぬものがあろう。

 そしてそれだけの援軍が来れるという事実が、東方が趙の支配下に、少なくとも衛一帯は安堵された事

を意味している。しかもこの短期間で。

 その理由を孫文が悟れぬ訳がない。子庸の背信を彼は今明確に悟った筈だ。

 そう、本当に敗北を感じていたのは孫文の方であった。彼は今、その戦略が完全に崩れた事を知ったの

だ。これで全てが終わったとは思わないだろうが、現段階での敗北は悟った筈。それでも逃げずに残った

のは意地のようなものである。野戦では負けないという、ここで趙起軍を破れば或いは勝機を取り戻せる

かもしれぬという、驚く程傲慢で、悲しい執着でしかなかったのだ。

 孫文もまた人間である。無敵無敗などありえず、彼もまた揺らぐ。だからこそそれに気付いた趙起は、

恐怖心を受け入れ、孫文という呪縛を解き放つ事が出来たのだろう。同じ人間を、恐れる意味などないの

だから。

 喊声(かんせい)を上げて両軍が激突する。しかしその意味は、戦闘開始前とは、最早異なっていた。



 孫文率いる軍がゆっくりと趙起軍に応じる。策を講ずる時間はなく、こちらも全軍をもって相手取るし

かないと考えたのか。

 近付くにつれ、孫軍の疲労がよりはっきりと見えてきた。その目の光は曇らず、むしろ強くなっていた

が、それ故にかえって痛々しさがある。ぎらぎらと光る瞳の色が、死人の嘆きにも感じられた。気力のみ

で動く人間というのは、生や死という現象を超えてしまっている印象がある。

 それを見、趙兵が恐怖しなかったとは言わない。むしろここにきて孫の恐ろしさ、いやおぞましさを知

ったと言うべきだろう。限界以上に自分を働かせるという事、それがどういう状態なのか、彼らは思い知

ったに違いない。

 孫兵は孫文という名で動かされている。そこに自らの意志などはなく、ただ孫という名に突き動かされ、

戦っている。限界とか疲労とかそういう事は問題ではなかった。孫文に応じるには平常の人間では不可能。

普段は眠っている脳奥にある力、それを使わざるを得ない。それは確かに超人めいた力ではある。

 孫文という名、彼が持つ圧倒的な何か、そして彼に対する深い信仰心がそれを無理矢理目覚めさせ続け

る。だが当然それからくる疲労は通常の比ではない。正に死人。後に碧嶺と趙深が理想とし、賦族が求め

た姿の一端がそこにあった。

 死人。そんなものを目にすれば恐怖するしかない。だが趙起はすでにそれが虚である事を見抜いている。

それは理想の兵ではあったが、理想の状態にはなかったのだ。死兵ではなくあくまでも死人。すでに終わ

っている生を自覚できぬ、悲しき亡骸(なきがら)。

「臆するな! 見よ、あの顔を、姿を! 頬はこけ、目には異様な光を帯びている。これが正常な人間と

言えようか。あれは死人、死に損ないの亡者である。生あるものが、勝てぬ道理なし! その真なる姿を

しかと目にし、我らの手で哀れな運命を断ち切ってやるのだ!!」

 趙起は自ら先陣に進み、先陣に配していた賦族兵と共に孫兵へと打ちかかる。

 賦族兵も言ってみればまだ未完成の段階とはいえ、現時点でもある種死兵である。大陸人とは違う、異

質の存在である事に違いはない。そして彼らは孫兵が孫文を信奉(しんぽう)しているのと同じくらい趙

起を信奉している。その心は恐怖の全てを打ち消す程ではないにしろ、それを抑えるには充分であった。

「ウォオオオオオオオオオッ!!」

 賦族兵はその巨体から獣そのものの雄叫びを上げ、勢いに乗って孫兵を粉砕する。その手には破砕(は

さい)が握られ、鉄塊が無慈悲に全てを砕く。

 勢いは後から反応するように動いた孫文軍よりも、当然先に動いた趙起軍の方が上である。それに兵と

しての総合的な部分は解らないが、体格的な面だけなら賦族兵の方に明らかに分がある。勢いに乗った賦

族兵に対しては、流石の孫兵も圧倒されるしかなかった。

 孫も最早疲弊を隠せず、容易くとは言わぬでも、明らかに趙起軍が優勢になった。勿論その優勢は一時

的なものではあるが、兵を奮い立たせるには充分である。

「見よ、孫が崩れる! 勝機は我らにあり!」

 それを確認した後、事前に各部隊へ配していた者が威勢のいい声を上げ、遮二無二突進し始めた。そう

なれば付近の者も従うより他になく、訳の解らないまま突進する。

 そこには新たな流れ、勢いが生まれ、その勢いがまた勢いを生み、趙起全軍に大いなる力を与える。

 今一つとなった彼らはただ敵に向かって突進するという単純な行動だからこそ、より強く大きな流れと

なって、いつの間にか迷いと恐怖すら飲み込み、ただ一つの勢いとなって孫文軍に叩き付ける。

 こうなっては孫文も堪らない。

 兵も彼もよく持ち、何度かは趙深軍を跳ね返すのではないかとすら思えたが、結局は屈するより他にな

かった。

 一つには前に述べたように、孫文がこれ以上戦闘を続ける理由を失ったという事がある。東方に衛とい

う国が安堵され、子庸が裏切っただろうからには、西方の事も考えると、これ以上ここで戦う意味はない。

むしろ一刻も早く中央へ戻り、全てを練り直さなければならない。

 それは少しでも早い方がよく、遅れればそれだけ孫の存亡に関わる事になると思えた。

 しかしこのまま退けば、趙起軍が来た為に逃げた、という印象を人に与えてしまい、常勝不敗の孫文神

話に傷が付く。それにもう少しで東城を落とせるという手応えも感じていた。だから愚と解っていても、

簡単に意地と執着を捨てる事が出来なかったのである。

 だが当然、その中途半端なやり方では本来の力を発揮する事が出来ない。迷いがあれば全てに遅れが出

る。その無用な、自身ですら愚と思う躊躇が、孫文の力を減じさせた。

 必ずしも、趙起が上手くやった訳でも、趙軍が強かった訳でもない。兵の疲弊、孫文の精神状態、色ん

なものが今趙にとって有利に働いたに過ぎない。

 しかしそれを生み出し、有効利用したのは趙起である。ならば今趙起は孫文を上回ったと言っても差し

支えないだろう。勝った。そう述べるのも過言ではあるまい。

 孫文は決断すれば速い。東城を睨ませていた別働隊とこれ以上ない連携を取り、ほとんど寄せ付ける隙

を与えず鮮やかに逃げた。

 趙起も勝つには勝ったが、実力だけで孫文に勝ったとは言えない事を理解している。そして今は孫軍を

破るのが目的ではなく、退かせる事にあるのだという事を忘れていなかった。

 だから追おうとはせず、孫の逃げるに任せている。追撃は最も効果的に戦果を得る手段の一つであるが、

今の孫軍は敗走という姿ではなく、あくまでも後退であり、戦闘能力を失っているとは思えない。それに

別働隊と連携されては孫軍の方が数も上、下手すれば返り討ちにあってしまう。

 趙起は慎重過ぎる嫌いがあるのかもしれない。しかしその慎重さは何事かに裏付けされた慎重さである。

彼も無意味に心を抑えている訳ではなかった。

 ともあれ、ようやく趙起は孫文に一敗見えさせる事に成功した。確かに孫文を負かしたのではなく、下

がってくれたという方がより適当であろう。しかし形だけでも勝った事には違いない。孫文の無敵神話に

楔(くさび)を打ち込んだ。これは孫に勝つという以上に大きな事であった。そして趙起がそれを為した

という事が、後々にも大きく作用する事になる。



 戦った、というよりも、趙起が孫文を追い出した、という方が状況としては合っている為に、両軍の被

害は大きくない。勿論死傷者は出たが数百という数であり、孫文相手では全滅すら視野に入る為、戦果も

同様に少なく、被害でいえばほぼ同等であったのだが、北方は大きく沸いている。

 戦死者が出た。そんな中で喜ぶのはおかしいのかもしれない。しかし戦死者が居るからこそ、逆に喜ぶ

しかないとも考えられる。自分が生き残ったという喜びもあるだろうが、勝利したからこそ死者も報われ

るという考えが、そこにはあるのだろう。

 だから悲観する心よりも喜びの方が勝る。あの孫文に勝ったとなれば尚更だ。

 趙起は楚王、姜尚、李項(リコウ)、凱聯、胡虎、鏗陸といった面々と再会し、お互いの無事を祝した。

そして楚王に乞うて白祥を筆頭とする戦死者達の追悼の儀を行い、窪丸を取り戻す事を英霊に誓っている。

それは士気高揚という意味合いもあったが、彼らの本心でもあった。

 それと同時に軍の再編にも取り掛かり、孫文の動向を窺う。

 孫文はどうやら窪丸から中央へと戻ったようである。西方に力が戻りつつある事もあり、後退したのは

あくまでも西方に備える為、という風を装う意味もあるのかもしれない。

 その証拠に、窪丸には一万の軍を留め、再び東城を狙う構えを見せている。あくまでも強気な姿勢を崩

さず、決して孫文が趙に敗れた訳ではないのだと、少しでも天下に示そうというのだろう。

 しかしそれこそが孫文の敗北宣言とも取れる。そういった行動が、逆に人へ敗北の印象を与えるものだ

が、孫文の傲慢(ごうまん)さはその危険性を否定するのだろう。ここに到っても、孫文は孫の力が衰え

たとは考えていないようである。東方の戦力を再び増強し始めているという噂が入っている事を考えても、

子庸も趙も西方もすぐに滅ぼす、ただ順番が変わっただけだ、程度にしか考えていないに違いない。

 孫文の自信はいささかも崩れていない。そしてその自信こそが孫に害を為し、敗北という屈辱を味わう

破目に陥った事にも、全く気付いていないようだ。いや、気付きたくないだけなのか。

 あれだけ頭の回る孫文が、自分一個の事となると、まるで痴呆のように回らなくなるのは不思議という

しかないが。もしかすればそれこそが人というものなのかもしれない。

 誰も自分を正確に認識する事など、出来はしないのだろう。

 孫の動きに対し、趙もまた急ごうとはしなかった。孫文とは別の意味で時間をかける。まずは窪丸を取

り返したい所であるが、例え取り戻せたとして、二度陥落した窪丸では最早孫の猛攻に耐えられはしない。

 であれば、ここは焦らず当初の戦略通り西方と東方と連携し、孫文を中央に追い詰め、その力を奪った

上で滅ぼす。その方針を進める方がいい。

 それにいつまでも衛を空けておくのは危険である。子庸もどう出るか解らない以上、その側で常に趙起

が睨んでおかなければならない。

 窪丸に未だ一万の兵力が居る事は不安だが、孫文が引いた以上、こちらに動きがない限り、打って出て

来る可能性は低いだろうし。もし攻めてきたとしても、孫文不在ならば護りきる自信がある。

 そこで趙起は百と約五千の兵を姜尚に預け、自分は残り五千の兵を率いて衛に引き返す事にした。北方

での仕事は一先ず終わった。当面は東方に目を向ける事になろう。




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