孫文(ソンブン)を北方から引かせ、子庸(シヨウ)を降らせた事で、ようやく衛(エイ)を安堵する 事が出来た。その上で更に地盤を固めるべく外交に力を入れ、趙起(チョウキ)は緑(リョク)を傘下に 治める事に成功している。緑としても子庸が降った以上、衛に属する事に吝(やぶさ)かではない。 そして、衛に、と記しているように、趙起は北方同盟という括りを半ば無視するかの如く、衛独自にこ れらの事を進めている。勿論楚(ソ)や双王、双正(ソウセイ)と言った北方をまとめる為に重要な人物 にはそれなりの敬意を払っているが、一つの独立勢力として動き始めているといっても過言ではない。 その為には東方にある衛という地はまことに都合が良かった。子庸と北方を繋ぐ重要な位置に居て、双 方を睨みながら動く事が出来る。人心の掌握も進んでおり、国内には趙起を国王として見ている者も少な くないようだ。 あまり勢威をもたげれば危険視される可能性があるとしても、北方同盟内での発言力強化、そして後々 の為にもそれは必要な事である。趙起と趙深(チョウシン)の望みは孫文打倒ではなく、窪丸(ワガン)、 集縁(シュウエン)という領地を取り戻す事にある。 その為には北方同盟の意義を失うだろう孫打倒後の事も、常に視野において行動しなければならない。 故に北方同盟内の不和を避け、その上で力を蓄えていく必要があった。 趙深は双正に働きかけ、趙起を東征(とうせい)将軍に任命する事で、まずはその名分を得させている。 東征将軍とはその名の通り東方制圧の一切を預かる役職で、その権限は軍事のみに止まらず、支配、統 治にまで及ぶ。言ってみれば、小王とでもいうべき候に等しい権限を持つのである。今では馴染みの無い、 古代を覗き見るような古臭ささえ漂う役職であるが、双という国家が正統なる始祖八家の一つにして最後 の脈流である以上、それを任命する資格はある。 名ばかりで実は無くなったとはいえ、未だ始祖八家から続く政権は生きているのだ。 勿論それに強制力はないが、確固とした名は生きており、生きている以上、もしそこに力が戻りさえす れば、息を吹き返す。そういう点において双という勢力はまことに便利であり、趙深が目を付けた理由の 一つにはそういう所もあるのだろう。 始祖八家である双には、他の勢力には無い、歴史と正統という恐るべき力がある。 それに北方の楚や越(エツ)といった勢力にとっても、衛という存在が居る事には利点があった。もし 子庸が何か企んだとしても、その一切を受けるのは地理的に見て衛である。誰も子庸という存在を信用し ていないし、そういう意味では子庸への盾として、衛が重要な意味を持つ。 北方同盟国も連戦によって大きく疲弊しており、小康状態とでもいうべき現状は歓迎すべき事であった。 北方の大半を趙深が掌握し、東方では趙起治める衛が力を持ち始めた。この二者によって東西から睨ま れているような状況は必ずしも好ましくはないが、今の状況では協力し合う他ないし。楚も越も今では趙 に従属する事にも吝かではないと考えている節がある。あくまでも現状は、の話であるが。 越は水運の関係ですでに北方全土と経済上切り離せなくなっており、そういう意味では北方全土と同化 してしまっている。越が商人の国であるからには、国の勢威に拘るよりも、経済の方に重きを置くと考え ておかしくはない。むしろ自然である。 越もまた、北方同盟という形が必要なのである。 楚にしても近隣を押さえられている以上、双であれ趙であれ、争うのは得策ではない。孫と繋がる道が 無い以上、少なくとも現状では共に歩むしかなく。いずれは斉も楚領になる事が決められたし(勿論この 時点で双の意志など無視され、趙深と楚の間で取り決めが為されている)、楚はさほど領土欲の旺盛な国 家ではないし、楚斉が一つの国となれば少なくない力を持つ事になる。ならば楚としてはここで争うより も、このまま同盟内で少なくない影響力を維持しながら、地盤を固める方向へと持って行くのが賢明とい うものであろう。 姜尚(キョウショウ)と趙との繋がりも強く、少なくとも姜尚存命中、そして趙が実権を握っている限 り、その同盟関係は非常に強固で、双方に恩恵をもたらす。敢えて自らを主張する必要は無いのである。 どの関係もこの先どうなるかは解らないが。現状では互いに必要としている以上、越も楚も趙のやり方 に異議を唱えないだろう。むしろ率先して趙を立たせようとしているようにも見え、孫文と戦うには趙の 力が必要だと考えているように思える。 それらの理由から、北方の国々も趙起を東征将軍とし、実権を持たせる事にも大きく異論を投げかける 事はなかった。
趙起は東征将軍に任じられた訳だが、その言動は大胆になるのではなく、現実にはより慎重にせざるを 得ない。 彼としても権力が大きくなる事は、必ずしも利点のみをもたらす事ではないのである。 権力が大きくなれば相応の責任を伴う事になり、他者に与える影響が良くも悪くも大きくなる。それが 個人ではなく国家間の問題にまで発展するかもしれない程に大きいとなれば、不安を感じて当然であろう。 今まで以上に慎重かつ固い意志を持たねばならず。その権力に相応しい言動が求められ、他国との関係 により気を配る必要がある。 楓という国家が大きくなった時と同様、趙起には責任からくる不自由さが発生している。 それは懐かしさではなく、鬱屈(うっくつ)した気持ちをもたらすものであった。 何より東征将軍の任を与えられたからには、これからも双の臣として趙起という仮面を被り続けなけれ ばならない。 間違っても楓流(フウリュウ)が双の臣になる訳にはいかず、今となってはもう趙起が楓流である事は それなりに知られており、窪丸を失った以上、今更隠し続ける事にも大した意味は無いのだが。趙起はこ れからも趙起という名を使い続け、趙深もまた双に仕え続けるしかない。 臣と言っても名ばかりの事だと言えば、確かにそうだ。趙二名は双臣とは名ばかりである。だが名ばか りとて、それに属している事には変わらない。常に意識せねばならず、それから逃れる事が出来ない。 例を挙げるならば、楚に逃げ延びている窪丸の民と兵達の事がある。 本心ではすぐにでも庇護し、衛に迎え入れたい所なのだが。趙起としては窪丸との繋がりはほとんど無 く。辛うじて趙深の縁者という関係で薄い繋がりがあるものの、そんなものは他人同然である。 まだ趙深がそれを行うのなら解るが、趙起が手を差し伸べるのはお門違いというもの。 だから衛に迎える事は出来ず、一番信頼のおける者達を、言ってみれば人質のようにして楚に置かざる を得ない。 窪丸を取り戻すという意志を見せ続ける為と、窪丸の民達にも少しでもその地から離れたくないという 気持ちがあり、楚に留め置く事にもそれなりの意味があるとしても。すぐ側に居ながら他人として振舞わ なければならない事は、趙起にとっても辛い事であったろう。 そして集縁に続いて窪丸、そして白祥(ハクショウ)という有能かつ信頼できる将を失った事に対し、 割り切れない気持ちがあるに違いない。彼はこれで居場所を、いや故郷を三度失った事になる。その辛さ は筆舌に尽くし難い。 結局孫を滅ぼさねば、趙起もまた羽ばたく事は出来ないのだろう。本来の自分に戻り、本来の生を取り 戻す事は出来ないのだろう。 衛という領土を得たとして、それがどうだというのか。益々中央から離れただけではないか。 そう思えば、趙起は己が無力さを拭い去る事は出来なかった。
しかしその心中がどうあれ、役割を負った以上、それは果たされなければならない。 今の世は、誰も踏み止まる事は許されぬ。過去を嘆いているような時間は無い。 趙起が衛を安堵し、緑を従属させた事で東方北西部を掌握した間、子庸ものんびりと遊んでいた訳では ない。彼も彼で己が野望を果たす為、惜しまず働いている。すでに話を付けていた拠点を取り込むのは勿 論の事、孫文撤退の報を誇大に吹聴し、時には武力を見せ付けながら、次々に領土を増やしている。 このままでは東方中央部を切り取るのも時間の問題だろう。確かに子庸は有能であり、味方とすれば恃 (たの)むに足る力を持っている。しかしその能力を恃んだ孫文が手痛いしっぺ返しを喰らったように、 油断していればその力がいつの間にかこちらへ向けられている事になるだろう。 子庸を好きに動かせてはならない。黙ってその働きを祝している訳にはいかなかった。 そこで趙起が目を付けたのは東方の東部に飼い殺しにされていた勢力、布(フ)である。 布は民間の反乱勢力から生まれた国と言われ、その反乱勢力が同胞である証として布を頭に巻いた所か ら付けられた名だと伝えられている。昔は巾(キン)と名乗っていたようだが、その反乱が最終的には失 敗に終わった為、運勢を変えようとして字を変えたらしい。 この国の在る場所はその反乱勢力が逃げに逃げ、最後に辿り着いた地であり、その事を証明するかのよ うに、今も裕福な国ではない。平原に位置している為に作物は取れるが、他に比べて収穫量は少なく、名 産がある訳でもなく、食うのが精一杯で、長く細々と生きてきたような印象を受ける。 孫が台頭するまで付近に大きな勢力が生まれなかったから良いが、もし生まれていたならばとうに滅ぼ されていただろう。 交通の便も悪く。追っ手を恐れてだろうか、長く整備すらしてこなかったようで、狭く入り組んだ地形 も多く、今も大軍の行き来が難しい。孫文に飼い殺しにされたのもそういう面倒さがある為だろう。実入 りが良い訳でもなく、重要な中継点ともならず、捨て置いても恐れる意味は無いという訳だ。 東方に飼い殺しにされていた三国の中でも最も小さな国であり、ただこの勢力を取り込むだけでは子庸 を抑える役には立つまい。 そこで趙起は子庸と交渉し、孫を打倒するにはそれぞれの勢力がそれなりの力を持つ事が必要であると 訴え。一つの勢力に領地が集中する事で足が鈍り、東孫の二の舞になってしまう危険性があると、もっと もらしい指摘もし。半ば強引に緑、そして無事従属できれば布ともう一つの国にも、その近辺の領地を与 え、力を増させる事を強引に決めている。 同じ降伏した者として子庸だけを優遇するのも間違っているし、不満が生じる。そんな事をすれば、東 方の他の拠点にも悪影響が出るだろう。そう言えば子庸も苦々しく思いながらも今は趙起に属する者であ るからには応ぜざるを得ず。不承不承承知したようだ。 勿論、交換条件もしっかりと出しており、少なくない代償は取られている。 その代償とは中央の事で、中央制圧後は子庸にも少なくない領地を与える事になった。しかしそれを差 し引いても、緑、布の力を増させる事は必要である。 それに約束事など、どうにでもなるではないか。中央を制圧する頃には子庸と盟を結ぶ価値は薄れ、む しろ敵対関係に変わっており、その存在は邪魔でしかなくなっている筈だ。 そのような関係での約束事など、一体どれ程の意味があるというのか。 そう、先の約束など、その程度の事でしかない。 だからこそそれに不承不承でも応じた子庸の態度に、晴れやかならぬものも感じる。
布は領地を安堵する事で従属に応じた。自らの力量を理解しているようで、求められれば否定する意志 は初めから無かったらしい。孫に屈服する以前から、いずれそうなる事は理解していたのだ。力弱き者が 生き残るには、大樹に身を寄せるしかないのだと。 例えそれが、いずれ滅びるしかない道であろうとも。 東方の情勢は子庸を得た時点でほぼ決まっている。考えられる危険性があるとすれば、東孫の最後の抵 抗、或いは孫文直々の出馬だが。西方も力を回復している今、孫文も苦しく、彼としても何処かは手を引か ざるを得ない。 出来れば西方か北方と一時停戦協定を結びたい所だろうが、孫文の気性からいってそれは無く。もしそ の気になったとしても、今更孫と結ぶ国は無いだろう。 孫には利用されるだけ利用された後、何の遠慮呵責(えんりょかしゃく)無く無造作に裏切られるに決 まっている。そのような孫文のやり方は、自身が強大な内は良いが、状況が苦しくなればなるほど辛くな る。自業自得とはいえ、やはり恐るべき事だ。趙起は孫文の二の舞にならぬよう、注意せねばなるまい。
こうして一つの問題が解決し、東方制圧はそのまま子庸に任せ、趙起は最も重要な問題の一つである領 地の割譲について考えている。 まず緑と布にはその付近一帯を与えるとして、しかしそれだけでは足りない。それは領地の問題ではな く、そこに住まう者達の問題である。 彼らは飼い殺しにされていた勢力であり、付近に居た元孫の将兵達から、平たく言えば馬鹿にされてい る存在である。その力は無力で、吹けば飛ぶような存在。笑われはすれども、決して恐れられない存在。 それに対する侮蔑(ぶべつ)の心は衛に降った今でも大差は無い。そんな国に属せと言われても、果た して懸命に働こうとするだろうか、大人しく従うだろうか。 答えは否であろう。 命じれば嫌々でも従うしかないのだろうが、その心には不満と侮りがある。そんな者達を付けたとして も、有事の際の力とはならない。将に敬意を払わぬ兵を与えても、かえって害するだけである。 そして趙起と子庸、この二者が東方をどの程度分け合うかも大きな問題である。 子庸との交渉の末、得た孫領を従属勢力に分ける分を除き、ほぼ二分する事が決まっており。衛や従属 勢力を入れれば、趙起の方が大きくなると考えても、子庸の力は余りにも大きくなってしまう。 境界を何処に引くかも難しい問題だ。その付近を詳細に調べ上げ、子庸にしてやられないように今から 備えておかなければならない。子庸はしたたかである。最後まで利を得る為の努力は惜しむまい。 領地の割譲についての問題点はおおよそこの二点だろうか。 そして性急な対処が必要なのは、従属勢力に割譲する領地に付いての問題の方だろう。そこで新しく得 た領地の将兵を大幅に再編する事を決定した。 その付近に居た者達をそのまま使えば長年積もってきた侮蔑心がどうしても作用する。だが少し離れた 場所から連れて来れば、ある程度は和らぐだろう。その上でしっかりとした将を付ければ、安心とは言わ ないでも、ある程度の効果は見込める。 孫の将兵はその地の出身者が守備兵となるのではなく、まず全土から広く定められた拠点に集められ、 そこから出身地や出自など関係なく純粋に兵としての実力によって上の者から激しい戦地へと割り振られ ていく。それは確かに孫文という影響力とその戦略から見ても悪いやり方ではなく、だからこそ孫は強か ったとも言えるのだが。その代償として大抵の者はその土地への愛着が薄く、身軽に動ける分だけ執着心 も薄い。 その上前線から遠ざかる程、目に見えて兵の質が落ちるという現象を生み出してしまう。 東方の将兵があっさり降伏しているのにも、そういった理由が大きく作用しているように思える。家族 が居る訳でもなく、その土地に拘る何かがある訳でもないとすれば、人は無慈悲に決断してしまうのでは ないか。その地を護ろうとする意志もまた執着であるからには、それが薄いとなれば、あっさりそれを手 放してしまう事にもさして不思議はない。 今の趙起にとってはありがたい事であるが、いずれは考えなければならない問題として彼自身にも降り かかってくる事だろう。 ただこういう事情があるからには、守備兵を大きく再編する事にも大きな抵抗は生まれず、概ね素直に 兵達は従っているようだ。今の所はその問題は趙ではなく、孫に降りかかっている。 従属勢力への侮蔑心にも長い歴史がある訳ではなく、孫という勢力の上に自然発生的に成り立っていた 事だとすれば、将兵を一新する事で全て消えるとは言わぬでも、一先ず解決出来ると考えられる。 ただし再編の規模が大きいだけに大変な作業であり、一日二日で終わる筈がなく、将兵の移動時間も考 えれば月単位の時間を要するだろう事は明らかで、それにかかる費用も馬鹿にならない。 手を打っても、それで即解決とはいかないのが難しい所だ。
趙起が様々な問題に対処している間、孫文もまたその動きを活発にしている。 窪丸から兵を発するような事はしていないが、西方と東方に対する軍備増強に力を注ぎ、特に東方の子 庸に対してその矛先を鋭く研いでいる。 今となっては孫文が中央に追い込まれている状況である以上、軽々しく動けない筈だが、それも孫文に 限って言えば保証できない。 何故といえば、孫文の威は今も強く。民や将兵に対する影響力もまた強いからである。 例えば他への備えを犠牲にしても戦力を集中し、東方を突いて子庸軍を破りでもすれば、おそらく東方 の勢力図は一変してしまうだろう。 孫文が現れれば当たり前のように孫文に靡(なび)く者も少なくないだろうし、衛に寝返って日が浅い のだから人心は大きく動揺する筈だ。彼らには孫にも趙にも子庸にも忠誠心は薄く、ただその時力在る者 に従う。 ならばそれがこれからはそうではないと考えるよりも、これからもそうであると考える方が、可能性は 高いだろう。 勿論他を捨てて一点を強行突破するなど無謀でしかないが、しかし孫文の場合はそれでも吉と出る可能 性があるのだ。その事は忘れない方が良いだろう。孫文という名は最早一人の人間ではなく、大陸を覆う ような化け物へと変じている。 孫が窮地に陥れば陥る程、それに対する恐れが不思議と強まる。 何故ならば、人は自分が窮地に陥れば陥る程、他者への恨みと怒りが強まるものだからだ。 だが子庸も後に孫文の報復が来るだろう事は充分に予測している。何かしら手を打っている可能性はあ った。 しかし例えそうだとしても、それは子庸にとっての良策であり、趙にとっても良いかどうかは解らない。 子庸も現段階ですでに侮れない勢力となっているのだ。堂々たる軍隊を持つ、一強国である。この事も 肝に銘じておかなければなるまい。 孫も子も強大な敵である事に変わりはないのだから。 |