12-2.二虎の雄


 北方同盟は暫くの間休息を取り、力を蓄え直さなければならない。衛もまた同様で、軍の再編と領土の

分配等々、一通りの処理を終えるまでは本格的に動く事が出来ない。

 子庸だけが活発だが、むしろそれはそうして早期に領土拡張をする事で、趙の負担を増させようという

意図があるかのように思える。考え過ぎかもしれないが、そこまで考えても子庸の場合は強ち外れていな

いのだろう。

 だが子庸もまた無遠慮にそれを行える訳ではなく、今はまだ後ろ盾としての強力な力が必要であるから、

趙を疲弊させようとするのは二次的な目的で、単に状況を自分の流れに持ってこようとしていると考える

方が、より正確かもしれない。

 ともあれ、趙はこれ以上仕事を増やしたくない。兵達にも休息と褒美を与えなければならないし、依然

やるべき事は山積みであった。

 しかし敵する孫文は子庸以上に活発である。そうである以上子庸もまた活発に動くしかなく。そうなれ

ば趙もまた活発にならざるを得ない。

 子庸は何か孫への対抗策を考えているだろうが、おそらく上にも述べたように、趙の疲弊を無視した策

を取り、漁夫の利を得ようと目論むだろう事は誰にでも想像出来る。

 誰にでも想像出来るのなら、そう思わせておいてその裏を行くのでは、という考え方も出来るが。例え

そうしようと目論んだとしても、子庸に二心がある事は初めから解っていた事。裏をかく事で精神的動揺

を趙に与える事は出来ない。

 ならば子庸がそのような無駄な事を行うと考えるよりは、むしろ敢えてこちらに悟らせる事で圧力を加

えようとする可能性の方が高いと思われる。

 真に厄介な存在であるが、子庸からの援助の申し出を無視しようものならば、孫文に喰われるは必定。

 子庸は護らなければならない。だが戦は控えたい。ではどうするか。

 西方を使うしかあるまい。

 西方としても今子庸を崩されては困る。それは北方、西方、東方を得、ようやく現実となった孫文包囲

網を崩される事であり、下手をすれば孫が勢力を盛り返しかねない。

 しかし今ならば孫文は明らかに弱体化している。元が強大過ぎた為に依然大きな力を誇っているが、そ

の力は半減したと言っても良い程だ。

 西方としては孫文打倒後の事を考え、出来ればこの機を利用し、中央に領地を得ておきたい所だろう。

西安(セイアン)で防ぎ続けるのも悪い手ではないが、自領土に攻め込まれれば土地と民が疲弊してしま

う。防衛設備も随分傷付いている筈だ。修復が必要だろう。

 そして何より、篭って耐えているよりも、出て勝利と領地を奪う方が、兵と民の意気を揚げやすい。散

々疲弊させられ、それでも耐え忍ぶしかなかった鬱憤(うっぷん)を晴らす為にも、この機を逃したくな

いと考えるのは当然だ。

 だが西方も馬鹿ではない。単騎孫に攻めるような愚かな真似は決してするまい。西方を動かすには、こ

ちらも動く必要がある。

 つまり孫文の意識の何割かを、再び北方へと引き付けなければならない。

 正直な所、今は軍を動かす事さえしたくないのだが、何も支払わずに動く程西方はお人好しではない。

子庸と連携し、孫文を攻める構えを見せる必要があった。



 楚の東城で軍備増強が顕著(けんちょ)になっている。

 わざとらしいとも思うが、隠す必要がないと言えばそうだ。見せかけだとばれぬよう、ある程度は本気

で動く必要がある。

 相手と見るのは勿論窪丸に残されている孫の精兵一万。もしかしたらその兵も幾らかは編成し直されて

いるかもしれないが、その力は恐るべきものがある。窪丸が消耗し、防衛力が大幅に低下しているだろう

事を差し引いても、まともにぶつかって勝てる相手とは思えない。

 だがそれでも挑むしかない。

 姜尚は再び自ら一万の軍勢を率い、胡虎(ウコ)や鏗陸(コウリク)、凱聯(ガイレン)といった楓将

に、勿論楓兵も加えて共に出発した。しかしそのまま窪丸へ侵攻するのではなく、窪丸へと続く道に止ま

り、防衛点を築き始めている。

 姜尚が考えたのは、一万の兵で攻めても、まず間違いなく勝てないだろうという事である。まともに孫

の精兵と戦ってはならない。もし矛を交えれば、恐らく楚楓軍は敗れ去る。敗れればそれに乗じて孫軍が

再び東城を襲うかもしれない。襲われれば今度も耐えられるかは疑問だ。

 故に決して正面から挑んではならない。

 だが攻める意志の無い軍を出しても、何ら意味を成さない。そういう心は自然と知れる。今はもっと攻

撃的な姿勢を見せる必要がある以上、何もしない訳にはいかない。

 そこで考えたのが、防衛点となる陣地を構築する事であった。それも一つではなく、窪丸へ向かって幾

つもの防衛点を築く。そうすればもし孫軍が反撃を企てようとも逃げる時間を稼ぐ事が出来るし、防衛点

となる場所があれば、それを使って或いは五分に戦う事も出来るかもしれない。

 そうして何度も退きながら孫軍を各防衛点に引き付けつつ疲弊させ、最後に東城を空にしてでも援軍を

発し、軍合流後一挙に叩く。そういう手も見えてくる。

 孫の精兵とはいえ、それを率いるのは孫文ではない。前にも述べたように、孫の精兵が真の力を発揮で

きるのは、唯一孫文が先頭に立って率いた時のみである。それ以外の者が率いても、例の人間を超えるよ

うな常軌を逸した力を発揮する事は出来ない。

 それならばまだ打つ手はある、と言う訳だ。

 勿論、そう簡単にはいかないだろうし、陣地を構築するのにも時間がかかる。余り簡単な物では防衛点

としての意味を成さなくなるから、それなりの物を造らなければならない。

 だがそれを行うだけの価値はあるだろう。

 後はそれを見た上で、子庸と西方、そして孫がどう動き出すか。

 幸運を祈り待つのみである。



 姜尚の陣地構築が窪丸に近付くにつれ、子庸の方でもそれに合わせるような動きが見えてきた。

 具体的に言うなら、子庸が兵力を一点に集中し始めたのである。

 ご丁寧な事に衛にも助力を乞う使者が訪れている。趙起はそれに応じ、三千の兵を斯に任せた。

 楚にも百と五千の兵を残している為、更に三千の兵と斯を割くのは痛手であったが、趙起もまた姜尚同

様、自らの痛みを堪えてそれを為すしかない。出し惜しみをしている余裕は無いのだ。

 子庸が何をするつもりかは知らないが、衛には当面の敵はいないし、今兵力を減じても支障はないと判

断したという事もある。

 各拠点を治めている者達の心もある程度は取れている筈であるし、例えば子庸が大きな敗北でもしなけ

れば、謀反を起こすような危険性は低い。完全に安心しきる事は危険であるが、子庸が健在である事が、

今は衛にとっても必要なのである。

 子庸を敗北させてはならない。

 ある程度大陸各地でその勝敗は決まってきているものの、最終的な勝敗は未だ未知数。乱は益々深まり、

人心も安定とは対極の位置にある。いつ何が起こってもおかしくはなく。全てが一挙に覆る可能性は相変

わらず少なくない。

 だからこそ趙の行く道もあるといえるのだが、機会を得られるのは何も趙だけではない。全ての者に等

しくとは言わないが、それなりに機はあり、その事を忘れる事は危険である。何も自分達だけが特別では

ないのだから。

 天は万民に微笑み賜う。独り傲慢になってはならない。

 故に趙起もその小康状態のような安定に胡坐(あぐら)をかく事なく、富国強兵に勤しんでいる。

 特に水運の整備に力を注いでいる。今趙起が最も重視しているのは水運である。大陸全てが水に覆われ

ている訳ではないが、東方はほぼ全土が川に覆われている。いや、そこまで言うと大げさかもしれないが、

ほぼ全土に植物が茂っている事からも解るように、東方にはそれらを養えるだけの大量の水が存在する。

 大陸北部を占める山脈から流れ来る水と、北方と繋がる大水脈、それらが東方を大いに潤し、北方程で

はないが、緑豊かな平原を作り上げている。この水の流れを上手く利用すれば、軍の再編も物資の運搬も、

迅速に行える事だろう。

 越と繋がって以来水運の便利さに関心を強く持っていたが、衛という自分の領地を得た事で、北方に敷

いた時よりも、遥かに自由に、そして便利に用いる事が出来る。ここではもう双に遠慮する必要は無い。

東方の商人や船頭達には配慮しなければならないが、己の好きに進む事が出来る。趙起はここに自らの国

造りを始めているのである。



 北方と東方の動きを見、西方もまた動き始めている。利を見れば、その機を逃す訳がない。

 こうして孫は三方から一度に攻勢を仕掛けられる事になった。間者の報に寄れば、孫文自身は集縁に移

動し、そこから三方の軍を指揮する構えであるそうだ。自ら率いて迎撃に出ないのは、まだ余裕があると

考えているのか、それとも冷静である為か。

 対孫同盟にとって、これは良い事だろうか、それとも悪しき事なのだろうか。

 孫文が一歩退いた位置に居るという事は、孫軍の力がその分衰えるという事を意味する。孫の力が孫文

と強く結び付いている以上、はっきりとその効果は出る。しかし孫文が冷静さを保っているとすれば、孫

という勢力の力は健在であると考えられ。軍を軍として正常に機能できるとすれば、孫は未だ大陸屈指の

力を持っている。

 確かに最盛期から比べれば力は半減しているが、それでも付き従う兵や民が多い事から、強大な力と影

響力を失っていない事が解る。趙が孫文に勝利を収めたものの、それが決定的勝利ではなかった事は、民

も良く知っているのだろう。あの勝利もまだ今の段階では、さほどの効力も無いという事か。これが効い

てくる為には、更なる孫の弱体化が必要なのだろう。

 まだまだ足りないという事か。

 現在、孫の軍勢は大きく四つに分かれている。

 即ち。

 大陸中央西部、西方へと続く拠点、西留(セイリュウ)。中央北部と北方南部を繋ぐ拠点、窪丸。大陸

東方南部、東孫の最重要拠点でもあり、膨張を続ける子庸への最後の砦、抱盛(ホウセイ)。そして孫文

自身が予備兵力と共に座す、集縁。

 この四拠点に駐屯(ちゅうとん)する軍である。

 それぞれに一万から二万という兵力を持ち、独自でも一地方に覇を称えるに充分な力を持っている。特

に抱盛が一番多く、二万強もの軍勢が居るらしい。しかもそれらは子庸の求めに屈せず、孫文を慕う、或

いは恐れている者達が東方一帯から押し出されるようにして集った兵団であり、その強さはまちまちであ

るが、忠誠心と士気は低くない。

 子庸も最後は力で制圧するしかないと考えているだろうから、まず大きな戦がこの抱盛付近で起こる事

は確かである。そしてその勝敗は今後を大きく作用する。孫と子庸だけではなく、趙と子庸との関係にも。

 今後を占う重要な一戦である為、孫文も最も意識を置いていると考えられ、これから起こるだろう孫と

の一連の戦群の中でも、最も激しいモノとなるだろう事も予測される。

 他の兵力は西留に一万五千程度、窪丸と集縁に一万といった所か。大雑把な数で正確ではないが、少な

くともそのくらいの兵力は在ると考えておくべきだろう。これより多くはあっても、少ない事は無いと思

える。

 対する対孫同盟の軍勢は、西方の総兵力が三万弱、子庸が二万程度、北方が一万。決して劣ってはいな

い。数でいえば互角以上だ。しかしこちらもその質はまちまちで、疲労の度合いが強い。西方に至っては

その全てを一国の意志で動かせる訳ではないし、優勢であるとはとても言えない。

 要するに、相変わらず勝敗の目処(めど)がはっきりとしないという事だ。ここに来ても尚、対孫同盟

と孫の力は互角に近い。それもまた孫という勢力が一体どういう勢力であったかを如実に示している。最

後の最後まで解らない。孫文が居る限り何が起こってもおかしくはない。そういう稀有な何かを持つ存在

だったのであろう。

 碧嶺(ヘキレイ)ではなく、孫文が覇王となっていてもおかしくはない。むしろその方が自然であった、

と後世まで言われ続けているのは、恐らくその為だ。

 しかし当初の趙の力を思い、孫との圧倒的差を覆し、互角にまで持ってきた事を思えば、趙深、趙起と

いった存在の恐ろしさも際立っている。当時は言ってみれば裏方に隠れ、様々な資料が見付かるまでは謎

に包まれており、孫文や双、姜尚などといった存在の陰に隠れていたが、彼らもまた孫文と同種の存在で

あった事は間違いない。何かが常人とは違っていた。それは才や能ではなく。もっと精神的な、そして人

間らしい何かであったのだろう。言うなれば天を思わせる強い意志力とでも言おうか。

 それが何かははっきりと解らぬが、あくまで人であり、人という力を誰よりも行使した。そう考える方

が、何か得体の知れない力や運命に任されてと考えるよりは、ずっと合っているように思える。彼らはあ

る意味特殊な存在ではあったが、他の何者でもない、誰よりも人間だったのである。

 だからこそ面白く、運命と言うもの、天命というもの、人生というものの不思議さを思わされる。一体、

そこに何が違ったのかと。

 ともあれ、ようやく孫との最終決勝点が見えてきた。

 その時誰がどれだけ勝っていたか。それが乱世終結へ繋がる、大きな理由の一つであろう。



 対孫同盟軍と孫軍はしかし、一息に決着がつくようにはぶつからなかった。それは孫への恐れもあった

ろうが、それよりもそれぞれの思惑により強い理由がある。

 まず北方は窪丸軍とぶつかる事を望んでいない。先に述べたが、姜尚は勝てるとは考えておらず、勝利

ではなくあくまでも圧力を加える為に陣地構築を続けている。勿論勝機が見えれば躊躇(ちゅうちょ)し

ないだろうが、決して猪突猛進(ちょとつもうしん)をしたり、意地で挑んだりはしない。姜尚は消耗を

恐れ、北方へ戦火が飛ぶのを恐れている。

 それに比べ、西方と子庸は力を蓄えており、決戦を挑むに充分な力を持っている。

 しかし彼らには彼らの思惑があり、例えば孫の攻撃を一身に引き受けようなどという考えは無い。孫文

自身が持つ予備兵力の事もあり、初めに挑んで孫文の第一目標となる事を恐れている、いや避けていると

言った方がいいか、とにかく自身の消耗は最低限に抑えたい。

 それは北方と同様だが、内情は随分違う。北方は現実的に見て勝ち目が薄いのであるが、西方と子庸は

挑めば勝てなくもないが、しかしそれによる被害を避けたい。つまり出来るがやりたくないという事であ

り、おそらく出来ない、という事との間には大きな差がある。

 孫から動かないのは、もしかしたらそういう事を察し、時間を稼ぐ為なのかもしれない。孫も大きく疲

弊しており、休息と準備時間を得られるのはありがたい。孫文がそれを口に出す事はないが、彼らも苦し

いのである。

 劣勢の時はただ懸命に挑んでいた対孫同盟であるが、ある程度状況が改善されてくると、未来への欲を

思い出してしまう。皮肉な事に、余裕が出来た分だけ、余計な考えが浮かぶのである。

 どこかに自分が動かなくても良いのではないか、今までのように必死にならずとも、ある程度余力を持

って出来るのではないか。という甘えにも似た計算が表れる。

 これはどうしても防ぎようのない事だ。

 西方、北方、子庸という繋がりは打算的なもので、友情とか大義とか、そういうあたたかいもので結ば

れている訳ではない。初めからそうであった以上、様々な弛(ゆる)みが生まれたとしても、誰がそれを

責められよう。

 逆に孫は窮地が見えてきた事で、それに対する覚悟が生まれている。孫を見放す者はとうに去り、今残

っている者は個人差あれど、ある程度の覚悟を持っている者であろう。

 全く弛みも弱みもない訳ではないが、集団としての力は孫の方が上だと言わざるを得ない。

 こういう様々な事情が、今の膠着(こうちゃく)状態を作り出している。

 しかし案ずる必要は無い。北方軍がゆるりとだが確実に窪丸へと進んでいるように、全ての事態は両軍

の激突を避けられなくなっている。

 西方も子庸も迷っているのではなく、単に機を計っているに過ぎない。その時はもうすぐそこにあった。



 趙起は衛にて大きなうねりを外から眺め見る格好になっており、その事に対して少なくない不満を持っ

ている。

 しかし今彼が衛を離れる訳にはいかず、少なくとも情勢が落ち着くまではここをしっかりと治めていな

ければならない以上、吉報を待ち続けるしかない。

 趙深がそうしてきたように、彼もまた己が役割を果たさなければならない。

 こうなると後二人、今趙深と趙起がやっている事を代わりに出来る者が欲しい所である。現状、真の意

味で同士と呼べるのは趙深と趙起の二人のみ。これはやはり辛い。

 可能性があるとすれば北方に居る胡虎であるが、彼は双の臣下でも趙の臣下でもない為に、自由に動か

す事は出来ない。あくまでも協力者として姜尚と共に歩むのが関の山である。側に呼ぶ事が出来れば、片

腕として役立ってくれる筈だが、それは出来ない。

 楊岱(ヨウタイ)など若い者も育てているが、まだまだ時間が必要だ。

 何度も思う事だが、どうしても人材が足りない。常にそういう人物を探しているのだが、なかなかに信

頼でき、政治的な事を任せられる人物というのは居ない。

 一国を安心して任せられるという事の、なんと偉大なる事か。自らの権威が広がるにつれて、しみじみ

とそれを思う。やはり人である。一番大事なのは人だ。

 泰山(たいざん)の長老でも生きていればとまで思ってしまうが、死んだ者をいくら求めても詮無い事

である。盛良が生きていれば水運整備にも大いに活躍してくれたろうし、白祥が生きていればもっと楽に

なっただろうが、死者に願ってもどうしようもない事である。

 死なせない事。やはりそれが一番重要な事であるようだ。人道的だけではなく、実務的にも。

 後考えられるとすれば双正であるが、彼は少なくとも今はまだ、自ら動く事をしないようである。何か

を待っているのか、単に億劫(おっくう)なのか、それとも趙の真価を試しているのかは解らないが、彼

もまた趙深に全てを委ね、宮廷にて怠惰で優雅な暮らしを続けている。

 即戦力となる人材が次々と戦死している今、人材不足は更に大きな問題となって圧し掛かってくる。

 だが今のままではどうする事も出来ず、趙起は大人しく孫との決戦の勝敗を待つしかなかった。

 口惜しいが、それが現実というものであった。

 ようするにこの時の趙起は、全てが歯痒かったのである。




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