12-3.須らく罠


 この大陸の情勢が大きく変化する時が近付いている。

 その時がくれば大同盟もその役割を終える事になるだろう。孫を打ち破ったとしても北方大同盟対西方

大同盟という図式には成らず。もし孫が勝ったとしても、再び大きなうねりが大陸を襲い、全ての関係が

瓦解してしまう事になる。

 大同盟を成す意味、孫の圧倒的な力、どちらが失せても勢力間の関係は大きく変化する。ある意味今の

状況は、この二つの大きな力によって辛うじて均衡らしきものが取られているのだから。

 この状況は遥か後世、これより八百年近く後に起こる、五国家間の争いにも似ている。賦族という存在

が起こした国、その圧倒的な力に抗する為、他の四国が手を結び、そして打ち倒す。しかしそれも結局は

新たなる戦乱の引き金に過ぎず、終りではなく始まりにしかならなかった。

 大陸の均衡が崩れる時、良くも悪くも全てが乱れるのである。争えば必ず乱れる。それもまた道理とい

うもの。

 だがそのような理屈は何の抑制にもならない。全ては動き始め、その一切を終えるまでは、決して止ま

らぬ。一度流れたものは、行き着くとこまで流れ行くしかない。

 少なくとも、人はそう考える。

 初めに動きを見せたのは意外にも西方であった。北方が窪丸へ侵攻しているという報を聞き、いつでも

動けるように準備していた軍勢を西留へと出発させている。

 注意を東方へ向け、更に北方にも気を取られていた孫からすれば、これは不愉快極まりない動きである。

まず東方、或いは小うるさい窪丸侵攻軍を打ち破り、それから最も大きく厄介であろう西方へ向かう腹で

あったのが、これによって戦略の変更を強いられる事になった。

 西方大同盟も一枚岩ではなく、問題が多々ある為にその足は鈍いだろうと踏んでいたのだが(現に西方

は長らく活発な動きを見せていなかった)。中央侵攻、対孫に関しての利害はほぼ一致しているようで、

その動きに淀みはない。

 単純に三方から圧力をかけられる時を待っていたのだろう。それが例え小さなものでも良かった。孫の

注意を三分させる状態に出来れば充分利用できる。彼らはずっとその時を待っていたのだろう。

 そしてその事は、孫を侮る訳ではないが以前程の脅威も感じていない、という事を意味している。いつ

でも出来るのだ、焦る必要は無い。そういう余裕が西方内に生まれている。

 孫文はその意が感じられるだけに尚更腹立たしいであろう。

 西方の動きに対し、孫文はどう出るか。

 窪丸と東方には充分な兵力を置いているから、予備兵を率いて西方に戦力を集中する事が一番無難な道

と考えられる。西方軍もかなりの大軍である。孫とても脅威を覚えざるを得まい。

 しかし大軍相手であるだけに、西方との戦は時間がかかる。西方軍はその護りでも見せ付けたように粘

り強く、そして慎重である。決して無理はせず、挑発にも乗ってこない。そのような者達を片付けるには

こちらから積極的に攻めるしかないが、それこそ西方の思う壺であろう。得意の防衛陣を築いて待ち受け、

孫は大きく疲弊させられる事になる。西方の技術力には定評がある。その力を最大限に利用されれば、今

同様の方法を取っている姜尚など足元にも及ばない。堅固かつしぶとく、厄介な相手である。

 最も高い技術力を持つ玄一族は、その戦嫌いの性格から西方軍に協力していないようだが、彼らを抜い

ても相当な技術を持っている。孫軍が、例えある程度力を抜いていたとはいえ、西安を抜けなかったのだ。

その力を応用されれば、例え野戦に持ち込んでも、一息に抜くような事は出来ないだろう。

 西方は北方との戦いのように、勝つにしろ負けるにしろ短期決戦が行えるような相手ではない。

 そうして西方に梃子摺(てこず)っていれば当然北方と東方が活気付き、その牙を更に深く孫軍へ喰い

込ませてくる。まだ北方は良いとして、東方の子庸軍が厄介だ。もしそのまま侵攻され、東方を制圧、

そして中央まで侵攻されるような事になれば、孫にとって致命傷になりかねない。

 西方に孫文が釘付けられたまま、子庸軍の侵攻を食い止められるかと言えば、孫文も疑問だと答えるし

かない。補給の面でも相当厳しくなってくる。

 蓄えが不足している訳ではないが、連戦に次ぐ連戦、そして大軍を運用している事から、食糧や武具の

消費が激しい。精兵には無論最上級の物を与えているが、全体としては武器、防具の質も随分下がってい

るのが実情である。食糧も以前のようには潤沢に扱えず、更なる節約を考えなければならないなど、確固

とした地盤が崩れつつある今、孫文も楽観視している訳にはいかない。

 もう少し食糧などを大事にすべきだったか。そんな気弱な感情まで、時に生まれてくる程だ。

 基盤となっていた東方が奪われた事が辛い。初めから土地にさほどの執着心もなく、故郷にも大して敬

意を払ってこなかった為、単に全てを道具としてしか考えていなかった為に、土地土地との繋がりが薄く、

状況次第で容易く寝返るような繋がりしか築けなかった事も悔やまれる。

 孫の侵攻も速過ぎた。余りにも短期間の内に多くの領土を奪った為に、細かな歪をそこら中に残してい

る。これでは窮地となった今、全ての膿(うみ)が一斉に吹き出したとしてもおかしくない。むしろ自然

である。

 しかし土地への執着が薄いからこそ、翼を得たが如き進軍速度を生み出せ、土地土地に拘らないやり方

を行え、その結果孫という勢力を大きく飛躍する事が出来たと思えば、自分のやり方を否定するつもりは

ない。

 ただ失策は失策として受け容れなければならない。それは認めよう。自分はしくじったのだと。

 孫文は自己というものが途方もなく大きい人間だが、決して欠点を認められない男ではない。これだけ

見せ付けられれば、おそらくこの時点では、いやもっと前に気付いていただろう。

 しかしだからといって、簡単に変えられるものではない。そうする為には初めからやり直す必要がある

が、大きくなってしまったモノを変えるのは難しく、時間がかかる。乱世では特にそうだ。失敗は滅亡を

呼び寄せる。

 孫文が致命的な失敗を犯したのだとしたら、それを認めようが認めまいが、彼の行く末は決まっている。

それを変える事はまず出来ない。何故なら、とうの昔にそれは動き出しているからだ。気付いた時はすで

に決まってしまった後なのだ。

 ではどうするか。

 その恐るべき力を持って、全ての劣勢を跳ね除け、再び流れを自分の方へ引き寄せるしかない。力を持

って大陸を統一し、完全に支配する。当初よりの方法を、そのまま貫くより他に無い。

 孫文は決して諦めはしない。自らの誤りを認めても、その心ごと己が力で打ち砕き、状況を打破しよう

とする。正に獅子の心を持つ漢、それが獅子王、孫文である。



 孫文は西方の動きに多少戸惑ったような気配を見せたが、動揺する様子はなく、すぐに対応している。

 つまりは出し惜しみせず、自ら軍を率いて動いた訳だが。その先はなんと西方ではなく、東方であった。

 例え西方が大軍で押し寄せて来るとしても、いやだからこそあらゆる事に時間がかかる。それに西方の特

性が加われば充分に時間が稼げると判断したのだろう。

 ならば西留にてただ待つよりも、その時間を利用して他の力を一つ、また一つと潰す。孫らしい攻撃的

な作戦である。

 それなら東方ではなくまず窪丸ではないか。一番弱いだろう北方軍を初めに潰すのが利に適っているの

ではないか、と思う所だが。孫文もこの軍勢が無力とは言わぬでも、脅威とはならない事を知っている。

あくまでも軍勢を繋ぎとめる為、西方と東方の為に少しでも兵を引き付けようと北方軍が無理して出てき

た事は、孫文もようく知っている。

 解っていながらも無視出来ないのは腹立たしいが、脅威にはならない。窪丸に五千の守備兵でも置いて

おけば充分であろうし、すでにそれを実行している。五千の兵を残さなければならぬのは惜しいが、それ

だけである。北方軍は無視してもいい。

 むしろ問題があるとすれば集縁の方だろう。この地の民は表面上は従っているように見えるが、その実

全く威に服していない。孫文何するものぞという気風が常にある。以前の統治者がよほど良かったのか、

孫文に決して靡(なび)こうとしない。

 力だけではどうにもならぬものが、この地の民にはあった。

 だから集縁を手薄にする方が危険である。この地と係わりの深い者を将とし、その上で多くの兵を付け

てやらなければならない。その為、窪丸から引いた兵を丸々集縁に留め置かなければならない。これで計

一万の兵が身動き出来ぬようにされている訳だ。まったくもって腹立たしい事である。

 孫文もまさか今このようなものに足を引っ張られる事になるとは思わなかっただろう。

 しかし誰がそう思わぬとも、全ての事には必ず結果が現れる。良くも悪くも。それもまた事実であった。

 ともあれ、北方と中央はこの一万の兵で安泰(あんたい)である。孫文がどうにかならない限りは揺ら

ぐまい。ならば後は脅威となりうる東方を、如何に早く叩けるかが問題だ。子庸軍さえ潰せば、全力を持

って西方に向かえる。全力を持って挑めれば、五分以上に渡り合えるだろう。勝機は充分にある。

 これに対し、果たして子庸はどう出るのか。抱盛の軍に孫文の軍を加えれば三万もの大軍となる。孫文

が三万の兵を率いるのだ。これを脅威といわずして、何を脅威と呼べるのか。

 孫文の思惑は、確かに成功しそうに見えた。



 孫文の動きに対し、子庸は効果的な手を打てずに居る。

 孫文が来る前に抱盛を落としてしまえれば一番良いのだが、抱盛の軍備は侮れず、孫文の進軍速度は速

く、とても不可能である。歯痒くも待ち構える姿勢を取り続けるしかない。

 子庸はもっと早く、孫文が意を決す前に攻勢を仕掛けるべきだったと悔いただろうか。いや、そうは思

えない。

 この状況を想定出来ていたかは解らないが、子庸ならばいずれ孫文が来るという当たり前の事を、例え

考えていたよりも早くなったとしても、悔いるような決断はしていまい。彼はおそらく孫文を最も知る者

の一人である。孫文が打つだろう手は全て考えていた筈だ。それに孫文にとって今一番憎むべきは子庸で

ある。ならば少々強引でも子庸から討とうと考えるのは不思議ではない。むしろ当然である。

 ならば想定出来る手に対し、子庸はどういう手を打っているのか。それとも何もしていないのか。

 残念ながら趙起へは何も入ってこない。来るとすれば趙深ではなく趙起へ使者が送られて来るはずだが、

全く来ていない。発している間者もその辺の情報は掴めずにいる。

 援軍に出した斯からも使者が来ない事を考えれば、全ての事は子庸一人の胸の内に秘められているとい

う事か。そういう部分は孫に仕えていた時と変わっていないのだろう。

 困ったものであるが、あちらから何も言ってこないという事は、これ以上趙起の協力は必要ではないと

いう事だ。

 しかしそれでは安心出来ない。例え協力が必要ないとしても、そういう連絡はするべきではないのか。

秘密を護るには自分一人の胸にしまっておくのが一番だとしても、あまりにも不遜(ふそん)だ。やはり

子庸は趙起になど敬意を持っていないのだろう。恐れてすらいないのかもしれない。

 子庸は一体何を考えているのか。

 孫文の性格を考えれば今更孫へ復帰する事は不可能だと思えるが、もし子庸の裏切りが孫文の指示であ

ったとしたら・・・、いやそれは考え過ぎか。孫文がそんな事を行うとは思えず、その事から来る利が孫

にとって薄い。

 もしかしたら初めは計略であった可能性もあるが、そうだとしてもそれに乗じて本当に寝返ったと考え

る方が当たっているだろう。

 子庸は何をしてくるか解らない不気味さを持つ。今趙起を無視するような格好であるのも、自ら孫文と

戦い、それに打ち勝つ事で次代の覇者たる資格を得ようという腹積もりであるとも考えられるが、その真

意は読めない。

 それに孫文襲来によって東方がまた揺らがぬかも心配である。

 ここ衛はまだ離れているから良いが、抱盛一帯はかなり動揺するのではないだろうか。東方の民は未だ

孫を裏切っているのではなく、仕方なく子庸や趙に協力している、協力を強要されている、という形で

いる者が多い。

 例えそれが建前だったとしても、その事は少なからぬ力を持つ。子庸に付いた者達も、子庸に寝返った

時のように、またあっさりと孫文へと寝返るのではないか。孫文の強さは彼らが一番良く知っているのだ。

 それともどちらとも距離を取り、勝敗を待ってその進退を決めようとするのだろうか。

 解らない、解らないが。どちらにせよ衛にも余波が来ないとは限らない。趙起は残り少ない軍勢を集め、

いつでも動けるよう準備を整えていた。

 いざとなれば、彼の持つ手勢が東方を抑える唯一の力となろう。



 孫文の動きは速い。あっという間に抱盛へ着き、軍がある程度整うのを待つと、すぐに子庸の篭る阜擁

(フヨウ)へと進軍、何とこれをあっさりと打ち破り、子庸は撤退を余儀無くされた。

 子庸軍も善戦したが、孫文軍の勢いにはとても敵わない。しかし子庸もまた見事なもので、ほとんど追

撃を許さず、犠牲も少なくして退いたとの事。孫文の癖を掴んでいるのか、巧みな用兵を見せたという。

 だが当然それだけでは孫文の猛攻は収まらない。追いに追い、子庸は後退を繰り返し、遂には南部一帯

を突き抜け、中部にまで追い詰めた。子庸軍は防戦一方で、良く戦ってはいたが次々に拠点から退かざる

を得ず、果てしなく後退を強いられている。

 しかし中部からも追い出され、北部、つまり深撫(シンブ)付近にまで近付いてきた頃だったろうか、

急激に孫文軍の勢いが衰えたかと思うと、立場が逆転。一転して孫文が退き、それを子庸が追う格好とな

って、再び戦線が中部から南部へと移動して行く。

 退きに退いた孫文はとうとう抱盛にまで敗走を余儀無くされ、そこで力尽きたのか、子庸軍に包囲され

た後は全く動けなくなってしまったという。

 兵の士気も上がらず、長い敗走の行程で兵力は一万以下にまで減少し、今も減り続けている。

 孫軍がこのような惨めな姿を見せるのは、初めての事であった。

 一体孫文軍に何が起こったのか。子庸は何をしたのだろう。

 そして話は孫文軍の撤退に止まらない。丁度孫文が撤退を始めた頃だろうか、西方の動きがそれに応じ

るように急激に活性化し、今までの鈍重な態度が嘘のように果敢に攻め始め、遂には西留を落としてしま

ったという。西方軍はそれだけに止まらず、今も中央に領土を広げつつあるとか。

 おそらく子庸と西方とで独自に約定が結ばれ、東西協力して今回の戦略を打ち出したのであろう。これ

は北方には全く知らされていなかった事であり、裏切り行為にも等しいが、今更それに文句を言ったとて

後の祭りである。

 子庸も西方も北方の、いや双の余りの成長ぶりに危惧(きぐ)を抱き。両者手を結ぶ事で孫文打倒後を

有利に進めようと考えたのかもしれない。

 確かに北方が東方にまで手を伸ばしている以上、その上に中央まで取られては、次の覇者となるのは北

方、いや双である。趙と双の関係を知らぬ者は、当然そう読む。ならば今のうちにお互いに中央を得、双

の膨張を抑えつつ、後の為に足がかりを築いておきたいと考えるのは当然の事だ。

 趙起が甘かった。これでは孫文打倒後に子庸が素直に東方北部を明け渡すとも考え難い。それに孫文を

破るだろう今、子庸の東方、中央への影響力は絶大となる。孫文を討った者が孫の支配地を継ぐ。そう考

えるのは自然である以上、これは大変不味い状況である。

 北方が連戦によって疲弊している事を良く知った上で取られた効果的な方法だ。趙起は余りにも子庸を

信用しすぎたと言わざるを得ない。

 子庸に対しては一時的な仲間、同盟者と見るよりも、はっきりと初めから敵だと考え、そのように手を

打っておくべきだった。

 斯と共に送った三千の兵も、今頃どうなっている事か。はっきりとその意を見せた以上、子庸がこれま

でのように嘘でも好意を見せる事は考えられない。後ろ盾の要らぬ力を身に付けた以上、誰に遠慮する必

要もなくなるだろう。

 よくよく考えてみれば、あの援軍要請は衛を疲弊させる為だけではなく、斯と兵を人質に取る為ではな

かったのか。

 最早子庸に対し、一刻の猶予もない。

 趙起もまた迅速に手を打たなければ、惨めな目に遭わされるだろう。

 孫がそうされたのと同じように。



 間者からの報に寄れば、孫文が撤退した理由は偏(ひとえ)に補給不足の点にあるという。

 子庸はただ引くのではなく、事前に各拠点にあった食糧をごっそり持ち出しており、防ぎ切れずに撤退

すると見せかけて、空の拠点を押し付けていたのである。

 民にもほとんど食糧を残しておらず、占領しても孫文軍が得られる食糧などは無い。それどころか民か

ら食糧を寄越せとせがまれ、孫文はそれを無下にする事は出来ない。手持ちの兵糧の中からいくらかを分

け与えるしかなく、拠点を得れば得るだけ減っていく。

 元々孫文は速度を重視する時には輸送隊を置き去りにし、奪った拠点拠点から食糧を得て更に侵攻する

という風がある。その為に手持ちの食糧は多くなく、それを民に与えたものだからすぐに尽きる。

 それでもまたすぐに拠点を奪い返して得れば良いと考えていたのだが、それがいくら奪っても奪っても

拠点の倉庫は常に空に近く、その上民に施さなければならない。限界が訪れるまでにはそう時間はかから

なかった。

 だが孫文軍は真に恐ろしい。ほぼ飲まず食わずで尚も子庸に追い縋る。子庸も念の為に準備はしていた

ものの、本当に北部付近まで引かなければならなくなるとは考えていなかったに違いない。

 しかしその力もいずれ失せる。子庸の意図には気付いていたが、それでも子庸さえ討ち取れればと思い、

必死に追った。だが当然のように限界が訪れ、とうとう孫文も諦めざるを得なくなり、撤退を余儀無くさ

れる。

 そうなれば子庸軍は待っていたとばかりに攻め立てる。孫文はここでも脅威的な力を見せ、抱盛まで逃

げ延びた訳だが、その被害は甚大。その上、逃げ延びた頃には付近の拠点がいくつか離反しており、抱盛

からも食糧が奪われていて、来るべき筈の輸送隊も討ち取られていた。

 おそらく彼らも子庸と事前に話を付けていたのだろう。もし孫文が本当に危機に陥るなら、自分達は子

庸に味方しようと。裏切っていない拠点も多くあったが、ただ自らは参加しないというだけで、敢えて命

懸けで裏切りを止めようともしなかったようである。あくまでも静観し、その勝敗を待っていたのだろう。

 この時になって孫文は子庸に敗れていた事を悟った。とうの昔に、孫文が子庸に向けて軍を発した時点

で負けていたのである。

 もし子庸を意地になって追わず、西留を得た時点で異常に気付き、その歩を止めていればこんな事には

ならなかっただろう。しかし孫文は追った。愚かにも。

 素直に西方へ行っていれば、北方へ無意味な余裕を見せなければ、最悪の事態は避けられただろうに。

 いや、もしかすれば全てはもう決していたのだろうか。孫文がどういう手を取ろうとも、それに対する

方法はいくらでも仕掛けてあったのかもしれない。孫文が子庸を信用し、重用した時点で、その運命は決

していたのかもしれぬ。

 これが孫文敗走のカラクリである。

 わざと引き、追わせる事で疲弊させ、食糧と水を失わせる。その上で手薄になった抱盛を寝返り者に仕

掛けさせ、更に西方と結び、背後から圧力をかける。

 これでは孫も堪るまい。おそらく孫文は抱盛を早晩捨てて集縁に戻り再起を計るだろうが、追い詰めら

れている事は確かである。

 しかし追い詰められているのは、北方もまた同じであるのかもしれない。

 趙にとっても楽観出来ぬ事態であった。




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