12-4.志流


 子庸が孫文を破った。誰の目にも明らかな方法で、完全に。

 しかし子庸が拠点を言わば餌とした事で、民から反感を買ったのではないか、という疑問が浮かぶ。も

しそうであれば今後の統治に支障をきたし、その勝利も半ば無意味なものとなろう。

 だがこの疑問こそ無意味であった。何故ならば、民は子庸が本当に逃げていたと考えていたからだ。何

しろ相手はあの孫文、敗走してもおかしくはない。むしろ当然であるとさえ思え。後に孫文が敗走する事

になったが、むしろそちらの方に対して夢でも見ているような気になったらしい。

 いずれそうなるだろうと考えていた為に、子庸が退いて、孫文が再び頭上に立った事にも疑問を挟む必

要はなかったのである。

 それが瞬く間にまたしても子庸が取って代わった事には驚いたが、その驚きは子庸強しとの印象を強め

るだけで、染み入るようにして民達へ子庸の名を浸透させる事となっている。子庸も孫文に劣らぬではな

いかと思われる程に、彼の勇名は上がっていた。

 正直な所、訳が解らなかった、というのが民の本音だろうし。子庸がそこまで計算していたのかは解ら

ないが、彼にとって不都合な事にはならなかった。

 勝利を得た後も冷静である。

 孫文を抱盛へ追い詰めているにも関わらず、一挙に突こうとはせず、慎重に包囲をし、その上で中央へ

の逃げ道を空け、その動向を窺(うかが)っている。

 そのまま攻めようとしないのは、孫を窮地に陥らせる事で死に物狂いにさせてしまうのを避ける為と、

おそらく西方への配慮であろう。

 ここで攻め落とすのも良いが、あまり出過ぎては西方との不和を招く。戦をするにしても、最低限、孫

文が牙を剥いたので仕方なく矛を交えた、という風に持って行きたい。

 いや、孫文に素直に退いて欲しいのは本音か。そうすれば労する事無く抱盛を得、東方を制圧する事が

出来るのだから、それに越した事は無い。

 正直な所、子庸としても孫文とまともにやりあうのは避けたいし。例えやるとしても西方と組み、損害

を分け合わなければならない。次の戦を考えて行動せねばならぬのは子庸もまた同じ事、目前の勝利に溺

(おぼ)れている訳にはいかないのである。

 この不遜とも呼べる態度に対して孫文はどうしたかと言えば、意地になって挑む事はせず、あっさり東

方を捨てて中央へと戻っている。だが皆が望むように集縁にまで退いたりはしていない。退いたのは中央

と東方を繋ぐ拠点、開東(カイトウ)までであり、そこで軍の再編を急いでいるようだ。

 孫文としては中央も心配であろうが、今はとにかく子庸の動きを止めなければならない。敗れた事で求

心力も衰えている事であるし、何としてもここで子庸を抑え、出来れば今一度勝利して先の敗北は間違い

であったのだと民へ印象付けておきたかった。

 そうしなければ例え西転して西方を破ったとしても、子庸から逃げたと見られるのが落ちであろう。

 西方にいくら勝利しても、子庸に勝利した事にはならず。敗北が帳消しになる事は無い。

 何としても子庸に勝つ事が必要であった。

 幸い、というべきか、孫滅亡の危機とすら言えるこの状況でもまだ孫には兵がある。手痛い敗北を喫し

ていても、それはあくまでも補給を欠いた為であり、まともにやり合えば負ける筈が無い。同じ轍(てつ)

は踏まぬ。深追いさえしなければ、孫に敗北の文字は無いのだ。まともに戦える状況にあれば、孫文に負

けは無い。

 だが再起を計り、開東にて待ち構える孫文を嘲笑(あざわら)うかのように、子庸は動かない。彼もま

た抱盛に留まり、孫文を眺めている。

 そのままいつまでも呆けて待つがいい。その内に西方が中央を蹂躙(じゅうりん)するであろう、とで

も言うように。

 彼らの立場は完全に入れ替わっていた。孫が主導権を握る時代は終わったのである。

 今後は孫文の方が決断を強いられる番であろう。退くか攻めるか、決めるのは彼の方だ。しかし常に劣

勢を強いられるのもまた孫文の方である。何をしてもどこかで無理をしなければならない。

 今子庸を攻めれば勝てはするかもしれない。しかし先の二の舞となる可能性がある。そこでもし止まっ

たとしても背後から西方がやってくる。痛い目を見るのは孫の方だろう。

 いっそ中央を捨てて東方を制圧し、そこに新たな孫を打ち立てるという方策もあるが。そうするつもり

であれば子庸も黙って退くような事はすまい。孫文を引き付けるか止めるか、子庸の選択は解らぬが、ど

ちらにせよ孫文にとって良い目は無い。翻弄(ほんろう)され、これまた痛い目を見るのが落ちである。

 孫文がこの状況を打破する為には、子庸と西方、両者の力量を正確に見極め、双方に適当に対処してい

く必要がある。出来れば子庸を誘き出し、野戦にて討ち取りたい。子庸の首さえ取れば、中央東部と東方

南部は再び孫の手に落ちる。

 しかしそれは現実的な案ではない。子庸は決して孫文に挑もうとはしないだろう。彼は待っているだけ

でいいのだ。誰が敢えて危険を冒そうなどと考えるものか。

 とはいえ、このまま座して待っても状況は悪化の一途を辿るのみである。最早孫には他を圧倒出来るよ

うな国力は無く、戦を続けられる力は残されていない。残った兵糧や武具を考えても、戦力を集中し短期

決戦を挑む以外の選択肢が無いのである。

 あの強大なる孫が、誇り高き孫が、無様な事だ。

 しかしその無様なまでの零落(れいらく)さが、かえって孫文を冷静にさせた。

 子庸にしてやられ、ここの所の失策続きで怒髪天を突く心境であり、それもまた孫を鈍らせていた原因

の一つであったのだろうが。それも行き着く所まで落ちてしまえば、かえってその怒りと状況のどうしよ

うもなさ故に、開き直る心が生まれてくる。

 孫文は未だ生きている。その闘志も死んではいない。

 獅子は決して諦めぬ。

 獅子の心は決して折れぬ。

 その事を誰もが思い知らされる事になる。



 孫文が退いた。開東から出、西方に対処する為に西へと向かうのだろう。手勢のほとんどを連れている

事を思えば、東方だけでなく開東をも放棄したに等しい。流石の孫文も窮(きゅう)するあまり、誇りに

拘っていられなくなったのか。

 その思考も想定内であったので、子庸は孫文が充分に退くのを憎々しいまでにゆっくりと待ち、その上

で開東へと軍を動かした。

 開東に置かれた兵力は二千程度か。或いはもっと少なかったかもしれない。詳しくは知られていないが、

今の子庸軍を相手取るには少な過ぎる数であった事は確かである。

 その事に子庸は違和感を覚えたようで、開東の状況を知れば知る程にその足は自然と鈍り、孫文を意識

するあまりだろう、慎重さが徐々に鈍重さに変わっている事にも気付かなかった。

 そして目前の開東の違和感に気を取られる事で、他への警戒が疎かになっていた事にも。

 伏兵を恐れ、間者を無数に発し、状況を確かめ、その上で更に確認して進む。だがどこをどう探って見

ても、何をどうしても、何も出てこない、何も見付からない。

 子庸もここまでくると怒りを覚え、敢えて少数の兵力しか置かなかったのは時間稼ぎの為か、自分は孫

文という名に担がれたのかと苛立ち、今までの慎重さを捨て、一挙に行軍を速め、開東を突いた。

 子庸には孫文が余裕の笑みを浮かべて退いていく様が見え、嘲笑っているように思えたのだろう。その

攻めは珍しく苛烈(かれつ)極まりないものとなった。それが無用に兵を疲労させる事であっても、今の

彼には怒りを抑える理由にはならない。

 開東に残された孫兵は良く戦ったが、その数では勢いに乗る子庸軍にとても抗する事は出来ず。数日粘

った末に突破され、街内への侵入を許してしまった。

 勝利だ、制圧だ、と意気込んで子庸軍が入り込んで行く。兵も気が逸り全体の統率は乱れていたが、そ

れを抑える者はいなかった。目前の勝利に目が眩(くら)み、未だ勝敗が決した訳ではない事を忘れてし

まったのだろう。

 開東は静まっていた。戦中の民はじっと家内に篭り、嵐が過ぎ去るのを待つようにして忍ぶのが常であ

る。守備兵にも最早抗する力無く、子庸軍は文字通り無人の野を進むようにして敵軍の本拠を目指す。そ

こに居る守将を討ち取れば、それで終わるのだ。

 しかしそうして奥まで入りきった頃だろうか、何処からともなく無数の孫軍が出現し、一斉に攻撃を仕

掛けてきたのである。

 不意の事態に驚く子庸軍に抗う術はなかった。困惑したまま散々に打ち破られ、散り散りになって逃げ

ていく。もう軍も命令もあったものではない。皆が皆、ただ出口だけを求めて逃げ惑い。その大部分が抵

抗もせずに背中から斬られていく。

 子庸も同様に混乱しており、近くに居た兵達をまとめ、形だけを保って逃げるのが精一杯で、軍をまと

める事などとても出来なかった。死の恐怖に怯え、死に物狂いで逃げる事しか出来ない。

 子庸は辛うじて逃れる事が出来たが、この戦いで大きな損害を与えられ、暫くの間敗戦処理に追われる

事になってしまった。こうなっては大軍を動かす事など出来ない。散り散りになった兵をまとめ、各拠点

から兵を募り、それらを再編して出撃準備を整えるまでには多くの時間を必要とするだろう。

 それに引き換え孫軍は多くの戦利品を得、その軍容を潤(うるお)す事となった。捕虜も多く捕えたよ

うで、その中から孫に寝返る者もいるだろう。そして何よりも孫健在なりという印象を民に与えられた事

は大きい。人の印象など一息で覆るもの。それが以前強く植え付けられていたものであれば尚更である。

 孫は終わった。そう印象付けさせるにはまだ早く。一度でも勝利すれば、人心は孫という力へあっさり

と傾く。

 子庸は逸り過ぎたという事か。順調に行くあまり、勝利に溺れてしまったのだと、言わざるを得ない。

 しかし何故こんな事になってしまったのだろう。孫は開東を諦めた筈ではなかったか。孫軍は一体何処

から出てきたのだろう。まさか遠く離れた場所に居た者を、一瞬にして移動させる事が出来る筈もあるま

いに。

 種は至極簡単なものであった。

 初めから孫軍は移動していなかったのである。居なかった兵が現れたのではなく、そこに初めから居た

のだ。そこに居た兵がそこに現れた。何の不思議も無い。

 孫文と共に移動していたのは実は開東の民であり、鎧をかき集め、状態の良い物は兵の物と交換し、残

りを民に着せて兵に偽装(ぎそう)させ。本当の兵を民の代わりに家内に潜ませ、頃合を見計らって一斉

に攻撃させた。

 戦中は民は家に篭るもの。孫文が引き連れているのであればそれは兵に違いない。そういう思い込みを

逆手に取った策であり、その上で守備兵を置いて本気で戦わせたのだから騙されるのも頷ける。それにあ

の孫文が今更こんな手を使ってくるなどと、一体誰が思うだろう。

 しかしだからこそ効果は絶大である。

 元々孫文は正攻法を好むが、策を弄しない訳でも、苦手とする訳でもなかった。かつて楓流を鮮やかに

打ち破ったように、むしろ得手としている。

 だがその力が強大になるにつれ、自らは一歩引き、前線を臣下に任せざるを得なくなる。そして臣下は

どうしても孫文の意向を重んじなければならない。いや、孫文の代行者である、孫らしくしなければなら

ない、という思い込みにどうしても縛られてしまう。誰もが孫文の真意を理解出来る訳ではない。

 その為、自然と小細工を用いる事を嫌い、正攻法、つまり力押しで勝とうと考えるようになった。確か

に堂々と正面から勝つ方が、より強いという印象を与える。孫文もそれで勝っている内は文句は言わない。

むしろそれを称えた。

 それによって孫という軍勢の戦法が狭められ、墓穴を掘るような結果に終わる事も起こっていたのだが、

それを改めるような様子はなかった。むしろ墓穴を掘るからこそ、よりそれに拘るようになってしまった

のかもしれない。不利な状況を打破してこそ孫であるとでも言うように。

 いつの間にか孫文自身ですら、初めからそうであったかのように錯覚するようになっていた節がある。

 孫文が目指す所は確かにそこであったし、圧倒的な力を示し続ける事は必要で、それを自分から否定す

るような真似は出来なかったのだろう。人は自分の生み出したものに、いつの間にか自分自身が囚われて

しまっている事がある。

 しかし孫文は無能ではない。事ここに到って尚、それに拘るような男ではなかった。

 孫文は自らの劣勢を受け止め、要らぬ拘りを捨て、勝つ為にこそ全ての力を揮う。獅子王と呼ばれる前

の、平原の獅子と呼ばれていた頃に戻ろうとした。

 意地も拘りも捨て、再び東方を席巻した時の、そして大陸の覇者となるに最も近かった頃の自分に還り、

もう一度天下に挑もうとしたのだ。

 失意に溺れるのではなく、その海から新たな自分を誕生させる。

 まさに恐るべきは孫文。焔(ほむら)の如く燃える心は、その生ある限り、消す事は出来ぬ。



 子庸敗退の報を受け取るや孫文もすぐに開東へ引き返し、刃を研いでいる。おそらくあまり遠くない未

来、その鋭い刃を再び子庸へと向けるのだろう。

 そこで子庸を打ち破るような事になれば、大陸の情勢はまた大きく変動するかもしれない。少なくとも

民の意識は変わり、孫への遠慮とでもいうべき心が強くなるだろう。そうなれば今後の展開次第でどう動

くか解らなくなる。子庸へ寝返っている元東孫の兵達にも不穏な心を芽生えさせるかもしれない。将を討

ち取って、もう一度孫へ付いた方が良いのではないかというような。

 皆改めて思い知らされたのだ。孫文が生きている限り、孫は決して死なぬのだと。

 だが状況は孫にとって良い事ばかりではない。西方は着実に進軍しており、その歩は孫文の勝利を知っ

て尚止まらない。

 むしろ西方は小気味良くすら感じているのかもしれぬ。

 何故ならば、西方にとっても子庸という存在は煙たいものになっているからだ。

 そもそも西方と対等の同盟を結ぶ事自体が不遜なのである。西方にとって今は子庸という存在が必要だ

が、大きくなり過ぎては困る。孫文を打ち破り、その後継になられては困るのである。いずれ西方の覇道

に子庸が立ち塞がるのは明白であり、孫に負けるのは困るが、勝ち過ぎてはもっと困る。きちんと共に弱

体化してもらわなければ、子庸と組んだ意味が無い。

 そういう思いからすれば、今回の敗退はありがたい事だ。いつまでも孫文と子庸で互いの力を削り合っ

ていればいい。その隙に西方が中央を平らげる。北方が消耗しきっている今、孫文、子庸が潰し合えば、

最早西方を止められる勢力は居なくなる。

 西方は中央西部を遠慮なく平らげていく。

 孫軍も必死に抵抗したが、西留を落とされた以上、その歩を止める事は難しい。他に防衛拠点が無い訳

ではないが、西留のように時間をかけて準備されておらず。そもそも孫が防衛を軽視していた為に、一度

護りに徹する状況になれば弱いのである。

 孫文以外にこれといった将が居なくなってしまった事も災いし、孫文の意識が遠のけば遠のく程、孫兵

の力は目に見えて弱まる。

 孫文も何とかしたいだろうが、対抗手段は彼自らが出向く以外に無い。しかし今子庸から目を離せば、

程なく力を回復し、再び孫へ襲い掛かるであろう。

 子庸を一度破っただけでは、事態を好転させる事は出来ぬのだ。

 孫文は強い。確かに強い。だがたった一人の力でこの窮地を脱する事は不可能であろう。人の限界を思

い知らされるようで悲しくもあるが、不可能であったと言わざるを得ない。

 最早彼が選べる道は一つであり、辛うじてその中で変化を見出すとすれば、西方と子庸、どちらに多く

損害を与えて滅びるか、という事だけである。

 憤怒の炎に燃えようとも、その恐るべき力を最大限に行使しようとも、抗えぬ運命というのは存在する。

すでに選択する時は過ぎていた。決してしまったものを覆す事は出来ない。それがつまり、抗えぬ運命で

ある。初めから決まっていたのではなく、すでに自分が選び取ってしまっていた運命なのだ。

 それを悟った時にはもう遅い。選択の時はとうに過ぎている。結果というものが見えるまでには、多く

の時間が必要であるが故に、気付いた時は引き返せなくなっている。

 だからこそ最善の道を選ぶ為には、時には愚かしい妄想と思える程の理想にさえ、挑まなければならぬ

時がある。しかしそのような時、果たして儚い可能性を信じてその道を選べる者が、どれだけ居るという

のか。

 孫文でさえ、理解した時には遅過ぎた。人は全てに遅過ぎる事は無いのだと、何としても否定したいも

のであるが。やはり遅過ぎるという事はありうる。もっとも、それが人がそうであると思い込んでいた瞬

間であったのかどうかは、別の話だが。

 ともあれ、この三つ巴の決戦の勝敗はもう決まっていた。後は、それが訪れるまでの過程の問題である。

どちらがどれだけ勝利するか、優勢であるか、それだけが未来に変化を及ぼす要因となる。



 北方は側に居ながら、この大陸の情勢を大きく変化させるであろう決戦に参加出来ずにいる。

 窪丸付近にまで達した姜尚軍は、それ以上手を出せずにいる。

 軍を編成し、進軍させるだけで限界だった。窪丸に残された兵力は減じ、その質もかつて孫文が率いて

いた者達に比べれば随分劣る。だがそれでも尚、戦いを挑む事は難しい。

 戦えば或いは勝てるかもしれない。時間をかければ攻略する事も不可能ではない。しかしそれを今行え

ば、次に来るだろう西方、子庸との勢力争いに使う力を失う。それ程に北方は疲弊している。

 そもそも戦などというものは、矢継ぎ早に行えるものではない。あっても数ヶ月に一度、いや、出来れ

ば年に一度も行いたくないものである。乱世とはいえ、年中戦をしている訳ではない。それは現実的に不

可能である。

 戦による消費は軍を維持する比ではなく、ありとあらゆるものを膨大に失わせる。

 それなのに北方は、いや趙は、窪丸を出て以来戦をし続けている。手を替え品を替え、奇術でも用いる

ようにして何とか装ってきていたが、とうに限界は超えていた。

 趙深もこれ以上賄(まかな)えず、趙起にも力は残されていない。得たものは多いが、失ったものはも

っと多い。差し引けば衰えたとも言える程に、北方もまた困窮(こんきゅう)を迎えている。

 その辛さは孫に匹敵すると言ってもいい。

 とはいえ、このまま何もせずに眺めているだけでは後々不利となるのは明白。

 北方も黙って見ている訳にはいかない。後の事を考えれば、今座して見ている訳にはいかないのである。

このまま無理を続けるしかない。

 せめて窪丸だけでも取り戻しておきたい。他勢力に窪丸を取られれば、北方にとって脅威となる。西方

と子庸、どちらが優位に立とうとも、交通と防衛の要である窪丸を抑えておけば何とか抗する事も出来よ

う。しかしそれを奪われてしまえばどうなるか。首を押さえられたも同然である。

 窪丸だけは奪い返さなければならない。しかも早急に。

 ただ奪い返すだけでも駄目なのだ。一刻も早く取り戻し、修復と防衛の準備を整えておく必要がある。

 姜尚はその事を思い、珍しく焦りを覚えていた。

 何しろ窪丸を盾と出来なければ、矢面にさらされるのは楚である。そうなれば今後どうなるとしても、

楚領が荒らされ、独立する力を失うだろう。そうなれば何れかへ属すしかないが、今の世の中属国程惨め

なものはない。東方の三国がそうであったように、窪丸が飼い殺しにされていたように、そこにはゆるや

かな滅びしかない。いや、今後も激しい戦が続く事を考えれば、それ以上に惨めとなろう。あらゆる戦に

駆り出され、先陣に配されては消耗を繰り返し、役に立たなくなればもうそれまでだ。

 それで楚という国は滅びる。

 姜尚は歴史を学んでいる。滅亡する道が何処にあるのか、そして一度屈すればどういう未来が待ってい

るのか、解り過ぎる程に理解していた。

 何としても窪丸を取り戻さなければ。その後は趙に引き渡してもいい。とにかく窪丸を得、以前同様盾

として戦火が楚領にまで伸びる事を防がなければならない。

 姜尚にも姜尚の思いがある。

 彼もまた、無償で趙に、北方同盟に奉仕している訳ではない。

 そこにはいじらしい程の想いと、信念があった。



 このように様々な思惑を抱え、あらゆる者の道筋が交差していく。

 そこに待つのは絶望か、それとも勝利の喜びか。

 どちらにせよ、恐るべき傷をあらゆるものに残す事は確かである。最早それは避けられぬ。

 あらゆる智も勇も、個人的なものは全て、その前には無力でしかなかった。

 確かに逃れえぬ未来はそこに在る。

 趙深、趙起もまた、そこからは逃れられない。

 今はただ待つしかなかった。再び立つ時に備えながら。



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