12-5.来るべき時


 西方と子庸が独自に動いている事に対し、双王を通して一言問うてみたがその答えは要領を得ず、互い

に子庸が、西方がやった事であり、すでに北方にも話を通しているものと思っていた、の一点張りである。

これは充分予測出来た答えではあったが、そこからくる腹立たしさは変わらない。

 だが今更何を言っても無駄だという事も、趙深らは充分に理解していた。そもそもこの三同盟のような

ものは互いに敵対行為は控えるものの、それ以外の行為、つまり誰が誰と結ぼうと、新たに約定を交わそ

うと、誰と誰がいがみ合おうと、それを止めるような強制力はないのである。

 この三者はあくまで一時的に協力し合う関係に過ぎない。友人でも主従でもない。だから初めから北方

がそれをどうこう言う筋合いは無いのだ。例え詰問しようとも、北方も充分勝手な事をしているではない

か、と切り返されるのが落ちであり、北方もまたそれに応ずる答えなど出しようがなかった。

 しかし取り合えず口を出すという意思表示は重要である。解りきった事も時には言わねばならぬ事があ

り、そういう意思表示をしなければ容認したと取られてしまう。そのくらい解るだろうという事も、政治

においてははっきりと告げなければならない。何故ならば、そこはそういう場であるからだ。

 ともあれ、北方、西方、子庸の三同盟という繋がりは薄れている。今では互いの戦を避ける以上の効果

は無いと見るのが正確だろう。

 今後は北方の要請に応じるかも疑問であるし、孫の力が減退する度にその傾向が強まるに違いない。ど

の勢力も自分の利をより強く求めるようになり、孫という脅威が消えつつある今、互いの敵対関係が強ま

る事が予想される。

 誰も彼もが孫打倒後の事を念頭に置き、それに従って行動するようになるだろう。

 勝利がそこに見えてきた時、その時が一番危険な状態でもある。今がそれであり、孫文がそれを突かぬ

とは思えない。一応その事も述べておいたが、効果があるかどうか。

 だがそれによって西方と子庸が弱体化するとすれば、それこそ北方にとっても望む所である。北方もま

たそこは他と変わらない。化かしあうようにして動いている。

 西方と子庸、そして孫文。現在大陸中央ではこの三勢力が鎬(しのぎ)を削っている。その動きは苛烈

さを増しはすれども、衰える気配は見えない。

 子庸が敗れた事で一時治まったように見えたが、しかしそれはあくまでも一時の事で、西方をより肥え

らせる以上の効果はなかった。孫文が子庸に目を向ければ向ける程、西方は活気付いてより深く侵攻してい

く。最早孫には二勢力と争うだけの力は無く、衰えは隠せない。

 西方はすでに中央の三分の一を喰らおうとしていた。それに大して孫は何をしているかと言えば、まる

でその行為を黙認するかのように、手を打てずにいる。

 孫文はあくまでも子庸を先に滅ぼすつもりのようだ。どちらかをまず打ち破らねば生き残れないと考え

れば、それは賢明な判断と言えなくもない。

 どちらかを倒さねばならぬのなら、より弱き方を狙う。それは至極当然の事であろう。勿論そこには子

庸に対する怒りと自身の誇りというものもあるのだろうが、孫文が個人的な事だけに囚われるとは思えな

い。そこには冷静な判断も残されていたと見るべきだ。

 しかしそうであればこそ、孫文は再び決断を迫られる事になった。

 つまり、窪丸をどうするかである。

 窪丸に居る守備兵は今の孫から言えば多すぎる程の戦力。一兵でも欲しいこの状況で、五千もの兵を遊

ばせておくのは許し難い。特に窪丸は先の一戦により半壊に近い状態にある。街自体に損傷は少ないが、

防壁や砦などはもうその役割を十全に果たす事が出来ないだろう。

 そんな物を手元に置いてどうしようというのか。確かに使えない事はないが、如何にも無駄である。そ

れならばいっそ窪丸を放り捨ててしまった方が良いのではないか。

 北方がより中央へ近付くのは避けたい所であるが、近付けば近付いたで西方と子庸と北方という三国の

間に新たな緊張が生まれ、それによって互いへの不審と疑念を煽(あお)る事が出来るかもしれない。そ

して何より、交易にその財源を置いていた窪丸からは大した食糧が得られない。窪丸は豊富に備蓄してい

た筈だが、戦で粗方費やしたのか孫軍が奪った時にはほとんど残されていなかった。

 こうも戦続きでは交易もままならず、無駄に兵を費やすだけの存在となっており、はっきりと足手まと

いなのだ。

 故に孫文は窪丸から更に三千を引き、中央に移動させる事にして、それを迅速に実行させている。窪丸

だけでなく、他の拠点に対してもそうだ。各拠点に分散していた兵力を集め、その全てを護ろうとするの

ではなく、主要な地に戦力を集中させ、逆に反撃をしかけようという腹積もりであるのかどうか。

 思っていたよりも西方の侵攻が速いという事もあり、孫もなりふり構っていられなくなってきたのかも

しれない。最早全ての維持は不可能で、民に対しては酷な言い方だが、護る場所を選別し始めていると言

っても過言ではなかった。

 だがそれを言えば元々民は誰が上でも関係なく、今民に蜂起(ほうき)されれば国家としても非常に困

った事になる為、西方だろうと子庸だろうと略奪をする事は出来ない。孫が手を引くとしても、さほど困

る事はなかった。

 そういう民の気分をも孫文は計算していたのかもしれない。今領土を放棄したとしても、さほど悪評は

残すまいと。無論、全く悪感情が残らない事はないだろうが、後で何とでも出来る範囲であると判断した

のだろう。

 この孫の新たな動きに対し、何らかの意図を敏感に察したのか。西方はその侵攻を緩め、地盤を固める

方向へと方針を変えている。

 逆に戦を急ごうとするのは子庸である。孫文が形振(なりふ)り構わず力を結集し始めた事は、子庸に

とって最も恐れなければならない事だ。そんな事をされては共倒れにされてしまう。それも粉微塵(こな

みじん)に砕け散るまで。

 玉砕覚悟で突っ込むような事は、最後の最後にならなければ行わないだろうが、その可能性が出てきた

以上、孫文が準備を終える前に対処せねばならない。折角勝機が見えてきたものを、今余計な事をされて

は全てが徒労に終わってしまう事になる。

 中央は新たな動きを見せている。活発に動き始め、その行く末を見極めるのは難しい。

 対して北方の姜尚は動かない。窪丸付近に陣を敷いたまま動きを見せないでいる。窪丸の兵力が減少した

た今、今が好機ではないかと思えるのだが、まだ機に非ずと見たのか、それとも別の意図があるのか、慎重

に窺っている。



 子庸の動きを感じてか、後手に回るのを嫌ってか、意外にも孫文の方が先に打って出た。その矛を他へ

逸らすつもりも、鈍らせるつもりも無いようで、一勝を挙げて士気の高まった兵を率い、今度こそ完膚(か

んぷ)なきまでに叩き潰そうと子庸に挑む。

 それに対して子庸は野戦を挑むような無謀な真似はせず、定石通り抱盛に篭って迎え撃つようだ。先に

使ったのと同じ手は使えないが、子庸もまた準備はしていた。その理由の大部分が敗戦処理の為だったと

はいえ、戦闘準備も同時に整えていた。兵を集め、鎧を修繕し、孫の矛先に耐えられるよう準備はしてい

たのである。

 兵糧も膨大な量を運び入れ、時間をかけて耐え抜き、孫を疲弊させて打ち破る構えである。孫と子庸の

総力戦が展開される事は、最早疑いようがない。

 純粋な軍事力、軍事能力で言えば孫に分があるだろう。しかし兵力は子庸の方が大きく、また孫は背後

に西方という敵を抱えている。子庸にも充分に勝機があった。

 だが孫が本当に中央を放棄する考えだとすれば、後顧を憂えず全ての力を持って子庸を抜け、東方に返

り咲こうとする筈。そうなれば果たして子庸は耐えられるだろうか。孫の突貫力には目を見張るものがあ

る。今までそれに耐えれた者は少ない。しかも今度の攻勢は今まででも最も強いものになるだろう。死に

物狂いで孫文がやってくる。そこにあるのは恐怖のみである。

 それに耐えられれば子庸の勝ち、抜けられれば孫の勝ち。単純化すればこういう構図になるだろうか。

 兵数は孫軍が一万五千、子庸軍が二万程度。孫が並々ならぬ覚悟である事は、その数からも解る。一度

手痛い敗北を喫している事を考えれば、一万五千を集めるのにも相当無理をしたと考えられるからだ。

 その力はおそらく現在動員出来る数のほぼ全てであろう。それに対して子庸はまだ余裕があり、援軍も

用意されている気配がある。しかしその兵の質にどの程度信頼がおけるかは疑問だ。

 子庸の連れている兵の中には元孫兵であった者が多く、子庸が手痛い敗北を被(こうむ)った事でただ

でさえ弱い結束が乱れていると考えられる。その中には子庸に対して忠誠心が強い者もいるとしても、少

なくとも半分は揺らいでいると考えておいた方が良いだろう。

 やはりどちらも決定打に欠けると言うべきか、この一戦の勝敗は測り難い。ほんの少し、ほんの少しの

事で大きく覆る可能性は、相変わらず残されている。そしてその可能性は最後まで消えないだろう。

 それに対して西方としては、孫文に東方へ逃げられては非常に不味く、何としてもここで決着をつけた

いという思いがある。子庸を利するのは避けたいが、そうも言っていられない状況になれば子庸を助ける

事も吝(やぶさ)かではない。

 だが孫文が東方へ逃げるとすれば、西方は労なく中央を手に入れる事が出来る。ならば敢えて逃がし、

例え孫という危険性を残しても、後々の為には中央を確実に取っておく方が良い。と考える事もありうる。

西方も何を考えているか解らぬ以上、その動きは読み難い。

 とすれば、今その意を明らかにしている者は誰も居ないという事になるだろうか。

 そしてそれは何も西方や孫文、そして北方や子庸といった勢力だけではない。気付く者は少なかったが、

他の全てに対しても言える事であった。



 孫文が抱盛へ兵力を集中させた事で、思わぬ変化が現れている。それは初めはゆるりとしたものであっ

たのだが、孫と子庸の戦いが激しくなるにつれ、いつの間にやら無視できぬ所まで大きくなっていた。

 その兆しがはっきりと現れたのは、中央西部から中部にかけてだった。

 この付近は完全に孫文から見捨てられたと言ってよく、残された孫兵の数もはっきりと足りず、その力

は侮れないとしても、すでに頼むに足るようなものではなくなっていた。

 これに対して西方は軍勢を一点に集中させる事を止め、軍を三つに分けて侵攻させている。

 孫を侮っている訳ではなく、その程度の戦力で充分に戦えるまでに、孫の兵力が弱体化していたという

事だ。今となっては3万という大軍をそのまま一点で動かす事は無意味であった。

 中央における孫の支配力は見る影も無い。まだ中部にある集縁に最後の砦としてそれなりの兵力が残さ

れていたからその付近は活気が残されているが、他の拠点などには少数の兵しか残されておらず、孫の支

配地とは言えないまでになっている。

 だとすればそこに(孫にとって)不穏な動きが芽生えたとしても、何ら不思議は無い。

 具体的に言えば、孫を見限り西方に寝返る者達が出てきていた。

 東孫からも多くの寝返り者が出たように、ここ中央でも同様の事が起こったのである。孫文がそれを想

定していなかったのだとすれば、やはり自分の力に甘えていた部分があったのだと言わざるを得ない。

 兵や民が孫を信奉していたのは、あくまでも孫に力があり、その力を結果として民の為にも使う事になっ

ていたからである。山賊夜盗から街を守り、敗北を知らず、その力はまことに頼もしい限りであった。

 だが北方で敗北を喫した頃から状況は変わってくる。

 今となっては往時の見る影もない。辛うじて孫文の力のみで持っているが、最早信奉するには値しない。

特に見捨てられたも同然の者達にとって、裏切ったのはむしろ孫文の方であった。

 捨てられた、裏切られたと考える者達は次にどう考えるだろうか。

 そう、彼らは新たなる保護者を求めたのである。

 他にも、これぞ好機と野望を燃やした者も居る。子庸が急激に肥大化したように、自分もまたこの乱世に

名を刻もうではないかと。

 そもそも子庸なる者は何者か。元は孫の一臣下に過ぎなかった。例え多少目をかけられていたとしても、

それ以上ではなかったのである。そんな子庸が、何故当たり前のように孫文と肩を並べ、五分に戦えるま

でに大きくなっているのか。

 そこには様々な理由があれど、それを望む者にとってそれはどうでも良い事であった。元同輩である子

庸があれだけ大きくなっているという事だけが重要だったのである。

 自分にもそうなる可能性がある。いや、そうなって然りである。そういう気持ちが掻(か)き立てられ

さえすればいい。

 例えそれが夢のような想いであっても、実際に子庸が成り上がっているという事実が、まるで自分も成

功して当然であるかのような錯覚を彼らに抱かせる。人は例え他人の事でも、いや良く知らぬ他人事であ

るからこそ、自分にとって都合の良い理由にしてしまえるのだろう。

 今までの自分には単に機会がなかっただけだ。だから孫に服従し、その威に甘んじてきたのだが、しか

しこれからは違う。自分にもようやく機会が訪れた。見よこの中央を、西方が容易く侵攻し続けているよ

うに、領土を切り取り放題である。

 ならば西方ではなく、それを自分がやったとして何の罪があろう。我々は孫から見捨てられたのだ。な

らばこれ以上孫に従う道理無し。

 こういう考えが芽生えたのも当然であったと言える。

 中央には雑多様々な思惑が生まれ、西方に取り入ろうとする者、自らの勢力を大きくしようと画策する

者、或いは取り合えず団結して力を結集し、西方と孫の動向を窺い、その結果如何で今後の道を定めよう

とする者、などがそれぞれに別個の活動を始めたのである。

 大陸中央は他の四方面と比べれば、人の住む場所は小さい。しかし人口は決して少なくなく、経済力の

ある大きな街も幾つか在る。何も西留や集縁、開東だけが街ではない。各街が団結するなりすれば、脅威

とは言わぬでも、確かに幾らかの敬意は払わねばならぬ力となるだろう。

 それに西方としても無駄に兵力を減らしたくはない。戦って勝つよりも、懐柔(かいじゅう)する道を

選ぶに越した事は無く。それをあちらから言い出してくれるとすれば条件を提示しやすくもなり、正に一

石二鳥というべきか、棚から牡丹餅というべきか、ともかく好都合であった。

 戦無く領土を得られれば、後の統治も楽になり、収益も多い。中央に野望の火が点く事は、西方にとっ

ても歓迎すべき事である。

 困るとすれば第二の子庸になろうとする者達であるが、それはそれで使い道があった。彼らが動けば動

く程中央はかき乱され、残されていた孫兵力が更に減少するし。中には粗野な者もいるであろうから、そ

ういう者達から街を開放するという名目で動けば、領土を得られる上に住民からは感謝される。笑いが止

まらないとはこの事か。

 中央の新たな動きによって、孫文や子庸にどう影響が出るかも気になる所であるし。西方はこれ幸いと

ばかり再び侵攻速度を緩めて待つ体制に入り、自身も間者などを使って中央の乱を拡大させながら、その

時を待つ事にしたのであった。



 中央の乱を見、それに呼応する動きを見せたのは西方だけではなかった。窪丸を睨む姜尚にとっても、

これは好機である。

 今戦えば勝てる可能性は高い。中央が乱れている今、窪丸もまた捨て置かれ、補給なども滞(とどこお)

っている筈。防壁の修繕などもまともに行われていないだろうからには、今の窪丸を攻め落とす事は難し

くない。

 だがその上で、いやだからこそ姜尚は窪丸を守る孫将へと使者を発した。

 もし窪丸に残されているのが今も精兵中の精兵であったとしたら、こんな使者の言などは一笑に伏され、

その上で斬り捨てられてしまうかもしれない。だがもしそこに残っているのがそうでなかったとしたら、

孫文が兵欲しさの余り精兵を根こそぎ持っていったとしたら、窪丸を降らせる事も或いは可能であろう。

簡単とは言わないが、可能性は低くない。

 姜尚は様々な想いに囚われているとはいえ、その心は冷静であった。そしてこの精神の強靭さこそが彼

の最も大きな力であり、その身に高貴な威をまとわせる理由でもあったのだろう。

 一度の使者で降らせる事は無理かもしれない。しかし今後も状況が変わっていくなら、窪丸も折れるし

かなくなるのではないか。

 そしてそれは遠からぬ未来であると、姜尚は予測している。



 姜尚の予見した通り、いや彼の予想を上回る事態が生じた。何と集縁が西方に寝返ったのである。

 集縁は一時は孫文の中央における本拠地にもなった場所であり、孫にとっても重要な場所であった。そ

の上集縁は(孫にとって)問題のある街で、目を放せない場所としていつも孫文の念頭に置かれていた。

 だからこそ兵力も他よりは多く配し、この地に関わりの深い者をわざわざ選んで任せていたのである。

 しかし孫文はまたしても人選を誤った。子庸同様その人物は容易く孫を裏切ったのである。楓(フウ)

に義理立てした訳でもない。単に西方に利ありと見、今が一番集縁を高く売り飛ばせると考え、あっさり

と寝返ったのだ。

 勿論、民にも兵にも尤もらしい別の理由を掲げてある。彼はそういう風に上手く人心を操作し、そして

その上を渡っていくのを得手としている。

 その者の名を魯允(ロイン)という。

 初めは楓流が野に居た彼を登用したがその人柄は信頼に値せず、袁夏(エンカ)へ紹介した。その後楓

流は袁氏を滅ぼす事になり、責任を感じてか改めて臣下に迎え入れたのだが、楓が孫に破れ逃げ落ちる際、

知らぬ間に何処かへと消えてしまっていた、あの男である。

 何故この男が今ここに居るのかは解らないが、おそらく上手く孫に取り入り、いつものように上手くそ

の中で生きてきたのだろう。世渡りが上手く、確かに弁も立つ。集縁の民にも上手く取り入ったのか、信

用はされていないがそれなりに重きを置かれていたようだ。察するに、楓流の密命を帯びて孫に仕えてい

るふりをしているのだ、とでも吹き込んだのだろう。

 楓流から離れて心寂しい民達には、そんな言葉もあたたかく感じられたのかもしれない。

 今西方へ降る事も、あくまでも一時凌ぎであるとし、楓勢が落ち延びている北方と西方との同盟関係を

強調し、都合よく理屈を創り上げたに違いない。そういう事だけは巧みな男だ。

 集縁が西方へ寝返った事で、中央の勢力図が完全に覆った。一番大きなものがそちらへ傾けば、後のも

のも自然とそちらへ引っ張られる。それを知っていたからこそ魯允は集縁に拘り、その売り時を見計らっ

ていたのだろう。

 孫が再び盛り返せばそのままで良し、もし他の勢力が力を増してもそちらへ売り払えば良いのだと。

 集縁の民が気付いた時はもう遅い。魯允は集縁を離れ、それなりの地位に迎え入れられている、という

寸法だ。

 中央の乱れで一番得をした者の一人が、この魯允であった事は確かである。

 そしてこれをきっかけに孫は完全に中央での力を失い。最早冗談ではなく、東方へ抜けるでもしなけれ

ばどうにもならなくなった。

 そしてそれは子庸にとっても危険であった。中央の乱がそのまま彼に降りかかる可能性があるからだ。

孫が崩れ、その連鎖反応で子庸もまた崩れてしまうかもしれない。

 子庸には何か確かなものが必要であった。早々に孫文を討ち、その後継の資格を得る他、滅びの連鎖か

ら逃れる術は無い。

 こうして魯允を起点にして、西方が一番利する方向へと、運命は流れていくように思えた。




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