12-6.孫後の乱


 魯允を起点としてはっきりした形となった中央の乱は、大陸全土に強い影響を与えている。最も強い影

響を受けているのは当然孫領であり、開東一帯以外はもう孫文の手を離れてしまっている。

 孫文は未だ力を持ちつつも孤立した状態にあり、このままでは近い将来に戦う術を無くしてしまうだろ

う。残っている僅かな蓄え、開東一帯のみの生産力ではとても孫文が率いている軍勢を養う事

は出来ない。例えこのまま抱盛を落とせたとしても、果たしてそれにどれ程の意味があるのか。

 今更一つ二つ拠点を落とした所で、状況が変わるとは思えない。孫文は退くべきだった。或いは軍を解

体して兵を選抜し、現状を受け容れるべきであったろう。もしそれが可能であったならば。

 そうした方が良いと解ってはいても、そうしてしまえば孫文という存在は力を失い、兵の信仰心も消え

てしまう。力を持つからこそ孫は機能していたのだ。今更それを自ら放棄する事は出来ない。

 孫文は恐らく焦っていただろう。このままではどう動いたとて、いずれその力を失ってしまう。それは

避けようの無い所にまで来ていた。

 その良く見える目で見通せば、自らの未来も解り過ぎる程に解ってしまう。だからこそ常勝不敗と言わ

れるまでの力を得たのだが、一度下り坂になってしまえば、見えるのは絶望しかなくなるという皮肉を生

み出す。力あるが故に、自らの末路が見えるという事は、何という哀しさか。

 趙起に趙深が居たように、こういう時に頼りになる者が居れば良かったのだが。目をかけていた者は死

ぬか、裏切るか、そして今も次々に人が去って行く。孫文はその点恵まれてはいなかった。彼に何が足り

なかったのかといえば、そういう頼むに足る存在なのだと思える。

 確かに孫には兵として優秀な者が多く、実際驚くべき働きを示しているのだが。将として同胞として、

或いは盟友として、任すに足る存在を得られなかった。

 それが孫文の不幸だったのか、逆にだからこそ一時期だとしてもあれ程の勢威を誇れたのかは解らない

が。こうして零落の時を迎えている事からも解るように、孫にしても決定的に足りないものがあったので

ある。

 子庸はこの状況を活かすべく、護りを堅め、持久戦の構えを見せている。孫文としては何としてもここ

を抜きたく激しい攻めを繰り返しているが、状況が状況だけに以前のような鬼神の如き力は発揮できず、

決定打を見出せない。

 不安要素が多く、はっきりと焦りを抱いてしまっている今、孫文に在ったあの絶対的な何かが薄れてし

まっていた。将兵もそれを敏感に感じとっているのか、狂信的な力を出せずにいる。孫の強さが絶対的な

精神的安定、簡単に言うなら勝利への絶対的確信と孫文への疑いなき信望、にあったとすれば、それが崩

れた今、以前の力を期待するのは無理というものである。

 今に至っては子供でも不利な状況である事が解る。確かに孫文は強く、その強さへの信仰は残っている

としても、数多の不安要素があり、確実にその力が衰えている以上、何かもっとはっきりしたものが生ま

れない限り、将兵に疑い無き力は与えられない。

 信仰に疑いが差した今、行動に精彩を欠くようになるのもまた致し方のない事であった。

 迷い、それははっきりと人から力を奪う厄介な心の働きである。

 この段階では孫文自身ですら自分に疑念を抱かなかったかも疑問だ。例え自分の力への自信を失くして

いなかったとしても、以前と同じようには戦えぬ事は解っていたであろう。

 そこで諦めるような男ではないが、明らかにその力には陰りが生じていた。

 だからこそ子庸も護りきる事が出来たのだ。どれだけ準備を整えていたとしても、以前の孫であれば防

ぎきる事は出来なかっただろう。

 もしそれをも想定して持久戦の準備を整えていたのだとしたら、子庸もまた恐るべき目を持っている。

 孫文はその後暫くの間激しく攻め立てていたが、最早抜く事は不可能だと悟り、その軍を退いた。

 子庸はそれを追うでもなく、後は坂道を落ちきるまで転がるのを待つだけだ、とでも言うように悠々と

見逃し、再び軍備を整え始めている。彼とすればもう孫は敵ではなく、それを崩した後の領土争いが本番

だとでも考えていたのだろう。

 孫文は開東に篭り、刻一刻と迫り来る滅びの時を、ただ待っているしかないように思えた。



 中央と東方の動向を窺いながら、窪丸を睨む姜尚は何度も窪丸へ降伏の使者を送っている。初めは何の

返答もなかったのだが、孫文が劣勢である報が届く度にその態度が軟化(なんか)し、今ではそう遠くな

く降伏させる事が出来るだろう見通しが立つまでになっている。

 何しろ集縁までが西方に付いたとなれば、窪丸は孤立したも同じ、強硬でいられなくなるのも然りとい

うもの。玉砕覚悟で突っ込むか、或いは降伏するか、選べる道は二つに一つ。孫の本体まで劣勢となれば、

援軍という希望など見出す余地もなかった。

 姜尚にとって幸運な事に、窪丸には精兵が残っていなかったようである。もし居たとすればとうに覚悟

を決め、死を賭して、いや死ぬ為に特攻を仕掛けてきていただろう。

 そうなれば負けはしないとしても、深刻な打撃を受けていた筈である。それをどうやら避けられた事は

非常にありがたい事であった。

 これでこれ以上力を減ずる事無く、窪丸という盾を手に入れる事が出来る。姜尚は無理をしたが、どう

やらそれをしただけの価値は得られたようだ。

 しかしそうなれば次に気にかかるのが集縁という存在である。ここが西方に付いたとなれば、西方の気

分次第で北方から中央への道を塞がれてしまう事にもなりかねない。窪丸が交易で成り立っている以上、

これは厄介な事である。

 窪丸を盾とする姜尚の望みを叶える為には、窪丸にそれなりの力が無くてはならない。防壁などを修復

するだけでは不完全であり、この一帯が農耕に向かない土地柄である以上、ある程度の財力を持っていて

もらう必要がある。

 手間はかかりそうだが、今後も楚が率先して協力していかねばならないだろう。

 だがそうであるからこそ北方と窪丸を繋ぐ楚という国の重要性は増し、発言力も大きくなる。

 順風満帆(じゅんぷうまんぱん)とは行かないが、まずまずと行った状況にはなっている。ならばそれ

で良しとすべきであろう。



 趙深もまた、この状況に満足するしかなかった。彼の、いや彼らの望みは集縁までを奪回する事であっ

たが、今西方と揉めるのは得策ではなく、それだけの力も無い。窪丸を降伏させる事が出来そうという事

だけで満足するしかなかったのである。

 しかし予定が到る所で狂いを生じ、その望みを叶える事が出来なかったとしても、趙としては少なくな

い力を得た事は確かだ。それを使えば、そして集縁の人心が楓から離れていなければ、まだやりようがあ

る。後へ続く道を開拓出来たと考えるならば、これも決して不味い状況ではない。

 窪丸に飼い殺しにされていた時を思えば、驚嘆すべき事態の好転とすら言えるだろう。

 孫の一強時代は終りを告げた。そう考えれば充分に結果は出ている。これ以上を望むのは、流石に分に

過ぎるというものだ。

 とはいえ当然良い事ばかりではない。不安要素も数多く生まれ、残っている。

 戦争続きの為に様々な所で支障が出、今年、いや来年にかけても作物の収穫量は明らかに減るだろう。

民も戦争を厭(いと)う気持ちが強くなり、孫との事に決着がつけば、暫くの間は何処も戦を避け、国力

回復に努めるしかなくなる。

 孫文が最後に何かを仕掛けてこぬとも限らないし、子庸もまた今後は目障りな存在となるだろう。

 だがそれを悩んでいても仕方の無い事だ。今は将来の事を考え、少しでも国家人心を安定し、次の段階

へ進む為の準備を整えなければならない。

 趙もいつまでも双の臣下で居る訳にはいかず、北方同盟もこのままではいられまい。後の事を考え、今

から準備をしておかなければ間に合わなくなる。

 趙深の仕事は依然山積みである。覚悟した道とはいえ、やはり困難極まりない。

 今までやってきた事の成果が出るのもまだもう少し先の話になるだろう。

 その時まで、いやそれを越えてもまだまだ気を抜く事は出来ない。

 趙深は誰よりもその事を理解し、その為に実行し続けた。だからこそ彼は偉大なのであり、大陸を動か

したに等しい存在であると、後世まで称(たた)えられるのであろう。



 絶望的な未来、最早取り戻せぬ時と力、明らかな滅びの見える孫文が選んだ道、しかしそれは最後まで

全く変わらなかった。

 孫文は一時開東に退いたのだが、それは開東に篭る為ではなく、その逆、つまり残る全ての力を結集し

て再び抱盛を攻める為であったのだ。

 開東に一兵も残さず、民が食うだけの最低限の食糧以外は全て持ち出し、鎧も矢もありったけの物を用

い、運び、可能性があるとすれば唯一生存出来る道であろう、子庸打倒を選んだのである。

 緩やかな自滅の道でも、他と共存する道でもなく、ただ己が力で運命を切り拓く。最後まで孫文らしい

決断であったといえる。

 しかしその意気込みだけでは抗えぬものがあり、孫文はこの戦いでその生涯を終える事になった。

 そして子庸は孫文を破ったという称号、言わば後継の証を手に入れる事が出来た訳だが、その代償は考

えていたよりも遥かに大きくなった。

 孫文はやはり恐ろしい。負けはしたが、ただでは負けなかった。憎き子庸の未来を、しっかりと奪って

逝(い)ったのである。

 子庸は準備をしていた、確かに充分な準備をし、彼が考えられる限りの万全の体勢で迎え撃ったのだが。

それでも尚孫文の命を燃やし尽くした猛攻の前には壊滅的な損害を受けるしかなく、孫を継ぐに足る力を

失ってしまったのである。孫文を倒した漢という名声は得たが、それと引き換えに覇者として立つ力を失

ってしまった。

 それ程に孫文の最後は凄まじく、それを誰かが受け止めなければならなかったとしても、子庸がその役

割を与えられた事は不運であったと言うしかない。孫文への信仰心は衰えたといえども、その命そのもの

を燃やしての攻め、まさに荒ぶる鬼神としか思えぬ戦い方を見ては、兵も奮い立たずにはいられなかった。

 孫文は確かに獅子という二つ名を与えられるに相応しい存在である。本来の力を取り戻した孫軍に対し、

無事でいられる訳が無い。

 乱世にて力無き者に従う者はおらず、残ったのは主人殺し、裏切り者との謗(そし)りのみ。

 力を失った子庸には、その行いに相応しい最後の役割が与えられた。

 即ち、子庸を討つ事で孫文の仇を討ち、その者にこそ正式な後継の証が与えられるのだと。

 子庸から多くの者が離れ、彼もまた程無く自らと同じ野望を抱く者に討たれた。皮肉というべきか、当

然の結末というべきか。

 しかし今更後継の証など得ても、何の役にも立つまい。はっきりとした力を持つ者は居らず、後は同程

度の力を持つ者達が、飛び抜けた一つ、或いは幾つかになるまで激しく争い合うのみ。

 こうしてまた東方南部と中央東部という孫文と子庸が最後に支配していた領土の中で独立、対立という

激しい勢力争いが生じ、勢力図は更に大きく塗り変わっていくのであった。

 歴史として、結果論として見れば、子庸は新たな乱を生む為、孫文への生贄として選ばれたという事に

なる。子庸は決してその事に納得はしないだろうが、ふと現れて、ふと去っていく、彼もまたそのような

一人でしかなかった。

 孫文同様、哀しくも滅び行く役割でしかなかったのだろう。



 子庸という勢力が崩れ、ようやく趙起の許へ斯からの報が入った。彼としては囚われていたという印象

はなく。むしろ丁重に扱われ、その期待に応えるべく真面目に援軍という役割のみをこなそうとしていた

らしい。

 斯が単純だったというよりは、子庸が巧みであったと言ってやるべきだろう。

 それに例え疑心を抱いたとしても、何も出来なかった筈だ。子庸軍の中に取り込まれてしまっている以

上、斯には子庸軍として戦う以外の選択肢は無い。だとすれば、素直に従っていた斯は、結果から見ても

賢明であったと言えそうだ。

 しかしその状況も子庸が討たれた事で大きく変動し、斯と衛兵達にとっては子庸が生きていた時よりも

かえって危険な状況となってしまった。

 斯は予備兵のような役割、いざという時の一手としての役割を与えられ、常に子庸と共に在った。

 だから損害も最小限で済んでいたのだが、孫文が討ち死にした戦、そしてその後の子庸が討ち取られた

戦では最も激しい中で戦うしかなく、何とか生き延びる事は出来たものの、兵数は三分の一の千にまで落

ち。生き残った者も怪我人が多く、布まで逃げるのが精一杯で、とてもこれ以上は進めず、衛まで帰還す

る事は絶望的であるという。

 その上この乱れに乗じようと山賊夜盗の類まで多く出没、或いはその活動を活発にし、治安が乱れ、人

心は不安定極まりない。布も趙起の政策によってその力を増していたが、布だけの力でこの状況を乗り

越えるのは至難であるようだ。

 孫文、子庸というたがが外れてしまった今、東方南部と中央東部は乱れに乱れきっている。

 趙起はすぐに対処する、斯達はそのまま布の防衛に協力するように、との返答を出しているが。衛とし

てもこれ以上動かせる兵力は少なく、あまり衛の兵力が減じるようならば、衛近辺の山賊夜盗までも活発

になる可能性があり、簡単に動く事は出来ない。

 すぐに、とは言ったが、軍を編成しそれを動かすまで、そして動かしてから布に辿り着くまでには多く

の時間を要する。

 窪丸が落ちれば、楚に残してきた兵力を回収出来、それを布に回す事が出来るのだが。それまでは迂闊

に動けないのが実情であった。

 そこで趙起はまず付近の拠点を懐柔して、領土拡大し、兵力と国力の増強を行う事にした。子庸が死に、

領土の所有が曖昧になっている今、早々にはっきりとさせておかなければならない、という事情もある。

 まず手を出したのは深撫(シンブ)である。ここは一時子庸が本拠としていた場所で、その為に子庸、

そして衛との関わりも深い。深撫の民も子庸が討ち取られ、こうなる事は覚悟していたのだろう。労せず

して取り込む事が出来た。

 元々この地一帯は衛が得る事が決まっていた事もあり、衛に加わる事にはさほどの抵抗はなかったよう

である。これには趙起が地道に民の心を取るべく行動していた成果もあるのだろう。どうせ付くならば頼

りがいのある相手の方が良いに決まっている。

 だがこれだけで布に送る軍勢が出来るかといえば、そうではない。深撫も前線からは離れており、最小

限の兵力しか残されておらず、だからこそ不安を抱いていたのだ。掻き集めればいくらかの兵は得られよ

うが、一軍を編成するには足りない。

 幸いというべきか、大抵の拠点は戦で消耗したか、或いは前線から離れている為に減らされたかで、持

っている兵力は少ない。その為に協力し合い、動員兵力を増やそうという新勢力もいるが、上手く同盟関

係を結べている勢力は少なく。従属国とはいえ、雨後のたけのこのようにして生まれた新勢力達よりも安

定した力を持っている布が、今日明日に滅ぼされるという事は考えられない。

 布に居る斯も軍事能力だけを見れば、趙起に匹敵するとまではいかずとも、任せるに足るだけの力は持

っている。一連の戦いの中で生き延びられたのもその為で、並の者ならば、とうの昔に全滅していた筈だ。

 孫文と子庸という二勢力が滅ぶ中、その渦中にいながら生き延びたという事は特筆に値する。

 しかしそうとはいえ、何が起こるか解らないのがこの世の中というもの。早急に対処せねばならない。

 趙起はとにかく力を集める事に尽力する事にした。西方も大きいが、趙もまた大樹である。寄らせるに

充分な力はあるだろう。



 東方南部、中央東部に新たに巻き起こっている騒乱は終りを見せない。西方に付く者、衛に付く者も居

たが、その多くは独自に動き、己が道を歩み始めるようだ。

 趙起の求めに応じる者も思ったより少なく、時にその返答は挑戦的ですらあった。乱れるまでは味方で

あったのだから、衛の内情もそれなりに理解しており、恐れるに足らずと考えているのかもしれない。

 そしてそれは事実でもある。この乱は趙起にとっても領土拡張の為の好機であると言えたが、それを上

手く為せないのは、衛に余力がほとんど残されておらず、緊張の高まった衛領内の治安を悪化させぬだけ

で精一杯だったからである。

 勿論、それは新興勢力達、或いは復興勢力達も同様なのだが。中には孫軍、子庸軍の残党を誰彼構わず

受け入れ、兵力を飛躍的に増した者達も居り。また孫、子庸の残党が起こした勢力には、馬鹿に出来ない

兵数を抱えているものも存在している。

 激戦とはいえ兵が全滅するような事はまず無いのであるから、逃げたにせよ、最後まで戦って生き残っ

たにせよ、多くの兵はこの付近を彷徨(さまよ)っている。それらを味方に出来れば、一時にして大きな

力を得る事も不可能ではなかった。

 中でも蜀(ショク)という勢力の成長が目覚しい。

 蜀とは元は東方南部で孫に飼い殺しにされていた勢力で、一時は子庸に属し、その庇護を受けていた。

子庸存命時は主に補給の確保といった後方支援を勤め、その為に被害は少なく。補給部隊など子庸から与

えられていた兵を子庸没後に取り込む事も難しくなかった。

 そして今その温存していた力を解放し、付近の街を取り込んで、一気に膨れ上がったのである。

 しかしその内情は安定しているとは言えず。元は、と言っているように、この好機に動きもせず右往左

往するだけの王達に業を煮やした有力将軍が謀反を起こし、国を乗っ取ったのが今の蜀である。軍事力を

全て掌握しているこの将軍の地位は安定していると言えるが、しかしこのやり方に不満を抱く者も数多く、

国としてまとまっているとは言い難い。

 いつ火が点いてもおかしくない火薬庫のようなもので、もしかしたらここも孫、子庸に続いて、一時の

内に瓦解してしまうかもしれない。

 だが不安要素はあれども、現在最も優勢を誇っているのには間違いなく。今後どう動くとしてもその力

は侮れない。他にも勢威を延ばし始めている勢力もあるようであるし、東方平定は夢のまた夢となってし

まった。

 今は乱暴な手を出さず、慎重に事を行い、とにかく布へ繋がる道を構築するしかないようだ。

 趙起としては歯痒いばかりであるが、じっくりと進めていく以外の道はなさそうである。

 とはいえ、このまま手を拱(こまぬ)いているつもりは無い。

 現在趙起が運用出来る力、それは衛だけではない。属国たる緑が居る。

 強化政策の恩恵は当然この緑も受けている。衛に近く、前線から離れている事もあって、その力は多く

ないが、いつでも使えるよう準備だけはされていた。

 動員兵力は二千から三千といった所か。決して多くはないが、少なくもない。いや少ないどころか、現

状であれば領土拡張にも充分応えられるだけの力となろう。

 趙起が緑へ打診すると、緑は黄架(コウカ)という将に二千の兵を付けて送ってきた。

 黄将軍は取り立ててどうといった所はなく、地味な印象を受けるが、人柄も能力も悪くない。ただ自分

を喧伝する術を持たないというのか、率先して前へ出る人物ではないというだけである。

 その事がかえって評価されたのか、それともこいつならどうなっても支障はないと緑王に判断されたの

かは解らないが。この将を付けてくれた事は、趙起にとっても悪い話ではなかった。

 そして趙起はこの軍勢に衛兵千を加え、自らそれを率いて布へと向かう。やはり自らの道は自ら切り拓

かねばならない。




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