12-9.これも一つの節目


 趙起は趙深と久しぶりに二人でゆっくり話す機会を得たが、その席で趙深がさも当然であるかのように

重大な事をもらしている。

 つまり。

「そろそろ楓流様に戻られては如何か」

 という事だ。

 そもそも楓流(フウリュウ)が趙起として双に(形の上で)臣従しているのは、孫という大勢力に対抗

する為には衰えた楓だけではどうにもならず、そこで双という勢力の力を利用しようと考えたからだった。

そしてその中には、様々な経験を積ませる事で楓流をもう一歩、二歩成長させようという趙深の思惑もあ

った。

 孫文が死に、孫という勢力が事実上瓦解した事により、その目的は果たしたといえる。これ以上双に属

する意味は無い。むしろこれからは楓王として双とも勢力争いを繰り広げていかなければならない時であ

ろう。

 今回の領土分配もそうであるし、孫を打倒した以上名を偽る意味もなく、窪丸の安全を一時的にでも確

保出来たとすれば、これ以上趙起という役割を続ける必要はないのではないか。

 現状でも趙起という名が知られ過ぎてしまっている。

 全ては後の為とはいえ、衛という国を再建し、東方に少なくない勢力を得、結果としてその武名も大い

に知られるようになった。もしその正体を明かすとすれば、良いも悪いも影響は少なくないだろう。

 趙起は半ば独立していた存在であるが、双の臣下である事は知られている。楓流が名を変えて双臣とし

て過ごしていた事が知られてしまえば、人々に楓は双の属国であると印象付けてしまうかもしれない。

 人に与える印象というものは重要である。事実がどうあれ、その印象の方が真実であると受け取られ兼

ねない。

「確かにそういう危険性はあるでしょう。しかしいつまでもそれを恐れ、趙起という仮の名に拘っていて

は、それこそ双臣という枷から逃れられなくなります。今を逃せばこのままずるずると趙起という名に引

き摺られてしまう事にもなり兼ねない」

 確かにそうだ。それに例え今それを拒否したとしても、いずれは楓流に戻らなければならない。趙起は

あくまでも仮の存在なのである。戻る時が遅ければ遅い程、趙起の考えている不安はより現実味を帯び、

強くなっていくだろう。

 ならば今しかない。確かに今がその時である。趙起としての仕事は既に終えているのだから。

 それに趙深が言うには、趙起で得たものをそのままとは言わないが、楓流という名に繋げる手段もある

という。

「そういう噂をまことしやかに流すのです。趙起が実は楓流様であったのだと。楓には私という存在が居

ます。ならばそれだけである程度信憑性が出ます。そして公的ではなくあくまでも噂として流す事で真実

をぼやかし、ある程度操作する事が出来るのです。噂というものは面白い話の種になれば良く。無責任な

ものです。しかしそういう噂が流れれば、楓流という名へ親近感を抱かせる事になります。貴方が趙起と

して民の信頼を得ていたならば、人々はその噂を好意的に受け取ってくれるでしょう。その上で貴方が楓

流としても彼らに好意的な態度を取り続ければ、その噂はより良い効果を及ぼす事になります。衛が初め

から半ば独立国としてきた事を考えれば、趙起という名が有名になった事も決して悪くはありません。趙

起という名が一人歩きを始めるようになれば、趙起という存在が大きくなり、その分双臣という印象は薄

れます。人が双ではなく趙起という名に力を見るようになれば、趙起という存在をも双から独立させる事

が可能なのです。噂が無責任で曖昧であるからこそ、出来る事もあるのです」

 勿論、趙深の言うように都合よく行くかは解らない。だが趙が今までやってきた事が民に受け容れられ

ているのならば、そしてこれからもそうさせる事が出来るならば、良い方に傾ける事は出来る。人の好意

というものは、何よりもその人が抱く印象に影響する。同じ事をしてもそれを行う人によって受け取る側

の印象が違うのは、おそらくその為だろう。

 時に好意は何よりも優先される。だからこそ好意を抱かれる事は重要で、敵意を抱かれる事を避けねば

ならない。

 その為にこそ人が礼法を作り出したのだと言えば、その効果の程は解るだろう。

 心配なら、ここですっぱり趙起という存在を切り捨ててもいい。結局、楓流が善政を敷いていれば、人

は付いてくるのだ。趙起という名に振り回される必要は無い。

 だから問題は他にあると趙深は言う。

「それは軍の事です。今東方に居る兵は東方出身者が多く、そのほとんどは趙起が新設した軍です。しか

しその中には北方から援軍として送られてきた兵もいますし、名義上はあくまでも双軍。これでは双とい

う国の印象が強くし兼ねない。早急に再編し、東方から双兵を除く事が必要でしょう。

 趙起がこの地を去る事も必要です。このまま衛に居座り続ける事は避けねばなりません。それは他国に

この地を乗っ取る意思ありという印象を与え兼ねない。趙起はその役目を終え、双本国へ呼び戻された。

そういう形を取らねばなりません。賦族兵達もそうです。双として来た者は、双として去る必要がありま

す。役割を終えたものに執着せず、あるべき形を取って手放すべきなのです。

 すでに趙起としての役目は終えている事を肝に銘じておいて下さい。いつまでも仮の名にしがみ付いて

いてはなりません。仮の名に慣れる事は、自分を見失う事に繋がる。貴方は本来の貴方でいなければなら

ない。いつまでも仮の自分、都合のいい自分に甘えているべきではない」

 その言葉は趙起の心を刺した。

 趙起として過ごしてきた時間は長くないが決して短くはなく。正直な気持ちを言えば、まるで自分が初

めから趙起であったかのように思う事も度々あった。

 居心地が良かったのだろう。楓流としての責任から開放され、全く別の自分となって新たに一から築き

直す。それは苦労多い事であったが、楽しくなくもなかった。むしろ甘美であったとさえ言えるのかもし

れない。

 人は誰でも別の自分になりたい。今の自分の全てを捨てて、すっきりと新たな自分になりたい。という

願望を抱く事がある。自分に必ずしも不満ばかりある訳ではないが、満足しきっている訳でもない。面倒

な事も多く、今まで築き上げてきた大切な筈の繋がりにさえ、足を引っ張られるように感じる事がある。

 家族、友人という繋がりにすら嫌悪を抱き、そこに安堵しつつも、それから逃れたいという心が生まれ

る事も、珍しい事ではない。

 まるでそういう矛盾の中に人生があるかのように。

 楓流もまた趙起となる事で全く別の自分を生きる事が出来た。ならばそこに甘えていた部分がなかった

かと問われれば、完全に否定する事は出来ない。趙起である事がある意味楽ではなかったのかと問われれ

ば、否定出来ないのである。

 楓という勢力が孫に飼い殺しにされ、このままではゆるやかに滅びるしかなかった時。その時に感じ

た無力感、絶望。それらの感情から別人となる事で抜け出し、その上新たな人生が概ね成功しているとし

たら、そちらに寄りかかりたいと思う気持ちが芽生えて当然であろう。

 それは都合の良い抜け道として楓流の目に映り、知らず知らず趙起になりたいとさえ考える事もあった。

 趙起として思うまま動けたのも、そういうある種の無責任さにあったとも言えるし。楓流が趙起という

名に甘えていた部分は確かにあった。それを趙深は察していたのだろう。いや、そもそもその為にこそ趙

起という名を与えたのか。

 確かにあの時の楓流は責任によってがんじがらめに縛られていたように思え、おそらくそれが必要以上

に彼の心をを苛(さいな)んでいた。敗戦、そして集縁から追われたという事実は、楓流の心を打ちのめ

すに充分であった。

 それを乗り越えるにはまだ楓流という心は弱く、そのまま受け容れるにはあまりにも自信を失っており。

そこから抜け出させる為には、趙起という別の人生を与える事が必要だったのかもしれない。

 そうする事で楓流は責任に押し潰される事なく、それに打ち克つだけの強さを身に付ける事が出来た。

 後はそのあまりにも自分にとって都合の良いものに対する甘え、依存から解き放つだけである。そうす

る事で楓流は一回り大きく成長し、成長した自分を実感する事も出来る筈だ。そしてその実感から生まれ

る新たな自信が、これからの道のりを進む為に必要なのである。

 楓流が趙起という殻を破る事が出来た時、新たなる自分が生み出される。そしてその新たなる自分が持

つ力が、趙深にとっても必要なのだ。



 双、楚、越、緑、布、それぞれの王と重臣、それに楓代表も兼ねている趙深と衛代表である趙起を加え

た面々が、一同に会した。場所は斉の都、営丘(エイキュウ)。盟主である双に集まるべきではとの意見

もあったが(主に双の重臣達から)、双は東方からあまりにも遠く、そこで北方と東方の丁度境となる斉

が選ばれたのである。

 他にも、双に属する衛にするのが筋ではないか、という意見もあったが。どうやら北方同盟である以上、

北方である事に拘りたかったらしい。そうする事であくまでも北方国が主導であるとしたかったのか。

 斉に決まったのも双自らが、自国以外ならばここと強く主張したからであり。ここからも双の抱える妙

な価値観が窺える。

 彼らが営丘に集まったのは、言うまでもなく領土の分配と今後の関係を定める為だ。

 窪丸、斉は前述したようにそれぞれ楓と楚に渡される。金劉陶の領土は双が奪ったものであるから、当

然双のものであるし、紀(キ)もまた双に属する。越には越王からのたっての希望で、領土ではなく水運

の権利が与えられた。

 水運の権利とはつまり、北方と東方の一部を除いた全ての水路が越に属する、という意味である。

 それは必ずしも越領となる事を意味しないが、各地の水運連の盟主となり、税を課す権利を得、水運に

関する一切の裁量が越に任される事を意味する。

 これは莫大な富に繋がる重大な権利であったが、多くの者はその利に気付かなかったようである。しか

し流石に趙深や姜尚といった面々は、その程度で良いのかと喜ぶ者達が簡単に同意しようとするのを妨(さ

また)げ、ある程度の制限を加えている。

 越もここで我を張り過ぎるのは賢明ではないと判断したのか、それを受け容れた。越にしてみれば、全

てを支配する事が出来ずとも、ある程度税を課せるだけで莫大な利益を得る事が出来るのである。無理を

する必要は無かった。

 ここまでは順調に決まった。どれも会する前からある程度決まっていた事であるし、水運に関する事以

外はさほど時間をかけずに済んでいる。

 問題となるのはこれからである。

 つまり東方に関する事だ。

 まず緑と布はどこに属するのか。北方同盟に参加した全ての国の下に位置する事になるのは当然として、

直接監督する国をどこにするかを決めねばならない。

 衛の事もそうである。双は衛を双だけに属する国だと言い、他国はいや北方同盟全てに属する国だと主

張する。流石に衛を分解して切り取るような事は言わなかったが、いずれの国も自国の権利を主張し、全

く譲らない。議論(というよりは単なる欲望のぶつけ合い)は過熱し、各国間の間柄もすでに決まって後

は見守るだけの越以外は険悪な雰囲気が強くなってきた。

 特に緑と布はそうだ。自国を物のように扱われて憤慨し、確かに属したといえども我々は独立した一個

の国ぞ、とまくし立てる。

 ところが北方諸国はそう言われて反省するどころか、お前程度が何を言う、とでも言うように半ば高圧

的に切り捨てる。

 姜尚が宥(なだ)め、趙深が冷静に指摘したりもしたが、全く治まりはつかなかった。

 何しろどの国も損害が多い。少しでも多く得なければ納得出来ない気持ちがある。身勝手と言われれば

そうだが、それはお互い様である。ここで分別者らしく振舞ったとしても問題が解決する訳ではない。

 それに孫が滅びた今、今後は同盟国同士で敵対する事態になるかもしれない。敵を利すれば自国が滅ぶ

可能性が増す。譲る事など出来る筈もなかった。

 こうしてそれ以上進む事無く、その日を終えたのである。



 それから数日議論が続けられたが、解決の糸口が見えない。

 それも当然の事で、お互いが自国の利益のみ述べた所で、納得しあえる訳がなかった。どちらかが、い

や全ての国が妥協すべき事は重々解ってはいるのだが。では誰がどれだけ妥協するかとなると、また揉め

る。皆自国が少しでも利するようにしたい。しかしそんな押し付けがましい論をいくら交わそうとも、納

得し合う事など永遠に不可能である。議論は白熱するのみで、もう意見を述べるというよりは、口喧嘩を

しにわざわざ集まっているようなものであった。

 そこでこのままではどうしようもないからと、一時的な処置となるか恒久的な処置となるかは経過次第

であると前置きし。東方は全て北方に従属するものと考え、東方の盟主とでも言うべき存在に衛を置き、

東方の諸勢力は衛に税を運ぶ。そして衛が決められた配分に従って北方のそれぞれの国に税を納める。と

いう事にしようではないか、という提案がなされた。

 領地を得ても飛び地では護る事が困難であるし、東方諸国がばらばらに属すようでは、互いの連携も取

り難くなる。まだ東方には蜀という勢力も居るし、その先には西方同盟が待っている。まとまりを欠けば

付け入る隙を与えてしまうだけだろう。

 それならばいっそ税だけを分配し、東方にも一つの大きな同盟のようなものを結ばせるのが良いのでは

ないか、という意味である。

 だがこれでは東方への北方からの影響力が、自ずと薄まるであろう。東方を押さえる最も重要な国であ

る衛を誰に任せるか、これが大きな問題になってくる。

 しかし他に妙案がある訳でもなく、このままでは北方国同士で争うような事態に発展しかねない事もあ

って、とにかくそれでやってみようという事になった。

 となれば衛を誰に任せるのか。

 東方をきっちり押さえる力があり、その上で私利私欲に走らない。そういう人物が適任である。

 それには姜尚、趙深、趙起という名が挙がった。この三名は功も大きく、能力も充分であり、人物とし

ても問題無い、と思われている。だが姜尚は斉を治めなければならないし、趙深、趙起どちらに任すとし

ても、それは双の支配下になるという事を意味する。

 ただでさえ双の支配地は増大し、その力は飛躍的に増している。その上、双には他国を見下す風潮があ

り、例え始祖八家の最後の血脈とはいえ、いやだからこそこれ以上力を付けさせる訳にはいかなかった。

 こうして再び会議は暗礁(あんしょう)に乗り上げたかと思われた時、趙深がこんな事を言い出した。

「孫文は死に、私の目的は果たされました。そろそろ私は双から辞したいと思います」

 皆が少なからず驚きの感情を目に浮かべ、一様に趙深を見る。ただ一人双王、双正だけが落ち着き払っ

ていたのは、予(あらかじ)めそれを聞いていた為か、それとも興味を失くしていたのか。

 趙起も驚きを隠せなかった。確かにそろそろ双から離れる時とは言っていたが、まさかこんな早く、こ

んな場所でそれを聞く事になろうとは、その真意は何処にあるのだろう。

 しかし落ち着いて考えてみれば、趙深の意図は明確であった。

 姜尚が手助けするように、問う。

「それは、貴方が双から離れた存在として、衛を治めるという事ですかな」

 趙深は頷く。

「その通りです。本来、私は楓国の臣。盟約に従い双国に協力しましたが、これ以上居続ける事はむしろ

約を違える事になるでしょう。ならばこれも天命というもの。私が双から離れ、衛に行くとなれば、この

議論にも決着が着き、これ以上余計なしこりを残さずに済みます」

 姜尚が応える。

「しかし貴方は楓の臣。それは無用に楓を利する事になりはしませんか。確かに楓の功は大きいが、筋か

ら言えば盟主である双に任せるのが正道というもの」

 双臣から同意する声が上がる。しかしそれに注意を向ける者は居ない。姜尚でさえも。

 趙深もまたその声を無視して続ける。

「確かに。ですがその疑問もまた私が行くべき理由となります。何故なら、私はすでに双と大きな関係が

あるからです。楓国としてもそう。楓は双と最も長く同盟を結んでおります。そして双正様は楓流様を兄

事されておられる。なれば楓がそれを担う資格は充分にある。

 勿論これは楓流様も同意されておられる事であり、私は双に属する者として参加してもおりますが、楓

の代表でもあります。それだけの権限を楓流様より与えられております」

 姜尚は深々と頷く。

「なるほど、確かに筋は通っている。それに東方についてはそこにおられる趙起殿の功が大きい。その事

も考慮すれば、なるほど趙深殿に行って頂く事が、最も適当かもしれませんな。今のまま終わらぬ論を続

けているくらいならば、いっそ思い切った手を取る方が良いかもしれません。

 ただし趙深殿。もし何かあるようであれば容赦しません。よろしいか」

「はい、それはもう」

 今度は趙深がゆっくりと頷く。

 姜尚の言はつまり彼が隣国の斉にて衛を監視するという意味である。

 双から離れた趙深が治め、それを姜尚が監視する。これは全く理想的な話ではないか。何故それに気付

かなかったのか。場は一転してそのような空気に満たされる事となった。

 五月蝿い双臣も趙深が上手くやったと微笑んでいるのみであるし、東方の国としても趙深ならば善政を

敷くとの評判も高く。元々趙起を通して降伏したのであるから、それと繋がる趙深であれば、色々と便宜

も図ってくれるだろうという期待も生まれた。

 越は水運以外に興味なく、楚も姜尚が納得すれば文句を言わない。

 こうして北方同盟会議は、無事幕を下ろしたのであった。



 趙深が長けていたのは、自分が双を離れる事、つまりそれは縁者である趙起とその私兵ともいうべき軍

も同時に離れる事を意味していたという点である。

 勿論それは強引な理屈であるが、どの道趙深が衛に赴くとなれば兵が必要で、それならば双としても自

らに属する軍からそれを出した方が後々有利になるだろうという目論みが生まれる。その目論見でさえ趙

深の掌の上であるのだが、今では双臣達も趙深を頼りにしている。だからこの強引な理屈にも、表立って

文句を言う者は居なかった。面倒な事は万事彼に任せておけばいいという訳である。

 双正も勿論異を述べず、むしろ礼を言い、今までの功に報いる為と称し、褒美まで与えている。

 こうして知らず知らずの内に、双臣もまた趙深とその一党が双から離れる事を認め、それを祝福さえす

る事になったのである。

 巧みというべきか、あくどいというべきか。察しの良い姜尚と、双正を味方に付けていた事を差し引い

ても、趙深には並々ならぬ所がある。

 趙深は早速賦族兵を主とした軍を率いて衛に向かったが、趙起は途中まで同行した後、一人窪丸に戻っ

ている。

 白祥が居ない今、楓をこれ以上空けている訳にもいかないし。趙深が衛に行く以上、楓流が戻るしかな

い。計画が早まったが、これもまた天意であろう。図らずも望んでいた結果が転がり込んできたのだ。そ

れに乗らない手はない。

 とすれば、あの趙深の言葉はそのままの意味ではなく、楓流への訓戒であったのだろうか。趙深はある

程度こうなる事を予測していたのではないか。いや、それは買被り過ぎだろうか。

 何にせよ、腹が決まれば楓流に迷いは無い。孫に一度奪われた事もあり、人心を落ち着ける事、無事平

穏を取り戻す事は、王である楓流の責務であろう。

 それに我が家に戻れる事も純粋に嬉しい。

 長らく不在にしていたが、皆元気でいるだろうか。顔を思い浮かべるだけで懐かしさが満ちてくる。ま

るで百年、二百年ぶりであるような気になる。

 思えば、随分離れていたものだ。

 集縁は未だ他国の手にあり、様々な問題も残されている。しかしこの辺で少し心を休めても罰は当たる

まい。

 楓流は旅上にて、久しぶりに穏やかに微笑んでいた。

 窪丸には家族が待っている。




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