13-1.至極当然


 楓流(フウリュウ)が趙起(チョウキ)という名を捨て、窪丸(ワガン)へ向かっていた頃。その窪丸では一

波乱起きていた。

 知っての通り、窪丸は一度孫に奪われ、それを姜尚が降伏させる事で取り戻している。当然、そこに配

備されていた孫将兵も窪丸と一緒に北方同盟に服し、窪丸と共に楓に属する事になる。

 これが他の拠点や街だったならば問題にならなかったろう。元孫将兵にとって悪い事に窪丸は楓の本拠

地であり、その支配権を楓に渡さなければならず。窪丸周辺には彼らに対価として与えるべき相応の街が

存在しない。

 これでは元孫将兵の立場が宙に浮いてしまう。その地位と命を保障してくれると思えばこそ、孫を見限

って北方に付いたというのに、これでは意味がない。このような立場に落とされるとは甚だ遺憾である。

他の降伏した者はいずれもそれなりの地位を与えられている。だのに何故、我々だけが楓の一臣下に甘ん

じなければならないのか。

 まだ楓側が元孫将兵を丁重に扱い、彼らの微妙なる立場を理解してやっていれば、ゆっくりとではあっ

ても解決出来た問題かもしれない。だが悪い事に楓を預かったのは名目上とはいえ凱聯(ガイレン)であ

る。彼にそのような機微を考える事は不可能であり。理解するどころか、彼らを降伏した軟弱者、ともす

れば敵として扱い、無用に彼らの敵愾心(てきがいしん)を煽(あお)っている。

 胡虎(ウコ)や鏗陸(コウリク)、奉采(ホウサイ)が諫(いさ)め。明慎(ミョウシン)が暗に教え

ようとしたが。凱聯は全く省みる事なく、態度を改めようとはしなかった。

 これでは状況が悪化するのは当然の事であり、元孫将兵はここにきて楓頼むに足りずと判断したのか、

楚へ接近し始めた。

 元々楚の姜尚との間で降伏が結ばれたのであるから、彼らが姜尚を頼ろうとしたのは自然である。北方

同盟全体に服した形になっているものの、彼らとしては楚に降ったという印象の方が強い。

 だが姜尚は斉を任されており、窪丸にまで出向いている余裕は無い。楚としてもはっきり言ってこのよ

うな争いに関わりたくはなく。ここでもし元孫将兵に加担する格好でも示してしまえば、後々にまで楓と

の間に禍根を残す事になるかもしれない。

 かといって頼られてきたものを無下にするようでは、楚の器量を問われる事になる。

 仕方なく楚王が元孫将兵を宥(なだ)める書状を送ったが、そんなもので彼らの怒りと不満が治まろう

筈が無い。王では話にならぬ、姜尚を出せと言い出し、楚王を激怒させた。

 こうして楚まで交えて日に日に感情は激化し、一触即発の空気が漂い始めた。楚王の方はその話を聞い

た姜尚が慌てて宥め、下手すれば楚の参戦となりかねかった事態を収束させたようだが。楚を頼ろうとし

た元孫将兵に対して凱聯が激怒し、関係は更に険悪なものとなっている。

 もう楓というよりは、単純に凱聯対元孫将兵という図式に変わり。元孫将兵の中には窪丸砦に立て篭も

って、凱聯と一線交えようという言まで出ているという。彼らとしても楓と矛を交えるのは危険であるが、

凱聯との私戦という形に持っていければ話は別である。

 そして王の許可なく兵を用い、私事で軍を用いたとなれば、勝とうと負けようと凱聯はその罪から逃れ

る事が出来ない。窪丸を任されているとはいえ、何処かの国が攻めてでもきたのなら別だが、凱聯が勝手

に軍を動かす事は罪となろう。それが私事でだとすれば、極刑に値する。

 窪丸に王不在という事実を楓は公的には認めていないが、元孫将兵は知っている。ならばそれを利用し、

凱聯に復讐してやろうと考えてもおかしくはあるまい

 皮肉にも凱聯を慕う兵は少なくない。一戦を挑むとすれば、楓流や趙深の許しがなくとも付き従う兵が

居るだろう。凱聯さえ動かせれば良いのだ。挑発に挑発を重ね、気の短く誇り高い凱聯を動かす事など、

造作も無い事と思えた。

 楓流が戻ってきたのはそんな時である。

 楓流は当然慌てた。今そんな事になれば、それがどのような結果になろうとも、何一つ窪丸にとって良

い事にならない。争えば死傷者も出る。そうなれば双方に明らかな恨みが生まれ、その恨みが更に悪感情

をもたらし、それはいつしか止めようのない奔流となって、窪丸を崩壊させてしまうだろう。

 それに元孫将兵が居るのは窪丸だけではない。衛にも東方にも中央にも、今となっては大陸中何処へ行

ってもその姿を見かける。無用な争いを起こしたとなれば、彼らの心にも深く敵愾心を植え付ける事にな

る筈だ。

 下手すればこの一事によって、彼らの全ての心が楓から離れていくかもしれない。

 そうなれば後の事は目に見えている。

 孫が滅びたとはいえ、それで大陸が治まる訳ではない。孫もただの一勢力に過ぎず(一大勢力ではあっ

たが)、その一つの勢力が滅びたとて、争いの芽が消える訳ではない。孫文という乱世の一波が消えたと

しても、何も変わらないのだ。いやむしろ激化するであろう。孫という残党が新たなる火種となって。

 現状も小康状態でしかなく、何かをきっかけにどのような戦が起こってもおかしくない状況である事は

変わらない。

 だから元孫将兵が行く先はいくらでもある。そして楓から離れた者達を誰が受け容れたとて、楓が文句

を言う筋合いはない。そんな事をしても惨めな姿を世に晒す事になるだけだ。

 最悪、楓は孤立の道を進み。西方、或いは楚に喰われてしまう事になるかもしれない。

 楚との仲は浅くないが、状況が変わればどう出てくるか解らない。姜尚もまた、そこまで甘い男ではな

く。今内乱などという下らない事を起こし、楓という国家にそれを止める力がないとなれば、楓頼れずと

して見限ってもおかしくはない。

 楚としても足を引っ張るような関係は必要ないのである。

 それが何故凱聯には解らぬのか。何故あの男にいつもいつもこのような下らない事で振り回されなけれ

ばならないのか。

 いっそ戦を起こさせ、その責任を取らせてしまおうか。そうすれば合法的に凱聯を抹殺(まっさつ)出

来、もう二度と煩わされる事がなくなる。ひょっとしたらこれは良い機会なのではないか。

 楓流に全くそのような考えがなかったとは言えない。しかし例えそれを実行したとしても、確かに元孫

将兵の溜飲(りゅういん)を下げる事は出来るだろうが、今度は楓兵に強い不満が生まれるだろう。王は

自分達よりも、あれだけ長く尽くしてきた凱聯様よりも、新参の余所者(よそもの)を取るのか、と。そ

んな風に思われてしまえば、軍の統率などままならなくなる。

 あちらを立てればこちらが立たず。どちらに味方しようとも禍根を残す。だからこそ凱聯が起こす問題

はいつも厄介なのだ。

 楓流は何としても争いを収め。その上で凱聯(とその取り巻き)、元孫将兵、どちらに取っても納得出

来る裁可を下さなければならない。

 これは非常に難しく、頭を悩ませる問題であった。

 懐かしさも全て凱聯に打ち砕かれた。



 帰郷した楓流を盛大に迎え入れる事は出来なかったが(公的には不在を認めていない為)、流石にこの

時ばかりは凱聯も元孫将も互いの確執に拘る事なく参上し、祝賀を述べている。どちらも自分に楓流が味

方してくれると信じ、喜び勇んで駆け付けたと言う訳だ。

 両者その顔に身勝手な理屈を貼り付け、不愉快な笑みを見せている。何故それを確信する者は、このよ

うな醜い表情になるのだろうか。これではまるで、人の確信というものを人そのものが嘲笑(あざわら)

っているようではないか。

 その事に腹を立てた訳ではないが。楓流はその二者の姿を見るなり。

「この愚か者共が! 我が前に二度とその顔を見せるなッ!!」

 叱責、いや怒号のみを返すと。秘密裏に開かれていたささやかな祝宴の席を立って、自室へと取り付く

島もなく消えてしまった。

 慌てて臣下の主だった者と胡曰(ウエツ)がその後を追ったが、全て拒絶され、無言のまま返事すら貰

えず、すごすごと引き下がるしかなかった。

 胡虎、そして誰よりも胡曰を下がらせたとなれば、そのお怒りはただ事ではないという事になり、静か

だった祝宴は一転して大騒ぎになった。

 怒鳴られた元孫将と凱聯に到っては、もう眼前に何の希望も見えず、ただふるふると打ち震えているし

かない。

 特に元孫将の方はそうである。例え形の上では臣下であるとはいえ、会うのは今日が始めて、その上で

この仕打ちとなれば、彼にも考えがある。彼は怒号に打ちのめされ、恐怖を覚えていたのだが、その震え

の最も大きな原因は公衆の面前で罵倒された事に対する怒りである。

 しかし彼が、こうなればいっそ、と思ったその時であった。

「すまなかった。私を許してくれ。もうあのような失礼な事はしない」

 あれ程倣岸(ごうがん)だった凱聯が見る影もなく憐れに許しを乞い、元孫将に跪(ひざまず)き、詫

びの言葉を滝のように止め処なくその口から溢れさせ始めたのである。

 その言葉自体にはもう何の意味があるのか解らないものが多かったが、そこに秘められた心は理解でき

た。嘘ではない。凱聯は本心から許しを乞うている。

 元孫将もこれには度肝を抜かれた。あの凱聯をただの一喝でここまでさせてしまうとは、楓流という男

は何と恐ろしい漢であろう。孫文に匹敵、或いは凌駕するのではないか。これ以上我を張れば、どんな目

に遭わされるか解らない。

 それに凱聯が詫びた事で彼の面目は立った。ならばこれ以上それを続ける事に意味は無い。

「いやいや、私こそ意地になって無用な事を致しました。数々のご無礼をどうかお許し下さい」

 元孫将は楓流を敵にするのは得策ではないと判断し、秘めていた反意と凱聯への恨みを、一時的にでは

あったが、水に流す事にした。

 凱聯がこの様では、それを無下にする事はかえって自身の漢を下げる行為となる。元孫将としても他者

に侮られるような事をする訳にはいかない。彼にも、いや彼らにも誇りがあるのだ。だからこそ凱聯と諍

(いさか)いを起こしたのである。

 このようにして、あれだけ緊張が高まっていた内乱の兆しも、結果としてみればたった一言で片付いた

のであった。真に不思議なものである。



 楓流の一喝(いっかつ)。あれは勿論感情からのみ出た言葉ではない。考えに考え抜いての行動である。

 凱聯は愚かしい所もあるが、楓流という存在には子供のように従う。それだけは運び屋時代から終生変

わらなかった。そして変わらないからこそ頼れ、また困らされるのであろう。そういう意味では凱聯も稀

有(けう)な存在と言えるのかもしれない。

 彼は最後の最後まで成長もしなければ、それ以上悪くなる事もなかった。

 だから楓流が一喝すればその傲慢な態度も一撃の下に砕け散る。それが久しぶりに会った際の最初にし

て最後の言葉であれば尚更であろう。

 だから問題はこじれた元孫将兵との間をどうするかの方にあった。楓兵の気持ちも考えねばならない。

困った事に凱聯だけをどうこうすればいい問題ではなかったのだ。そこで一計を案じ、両者に厳しい一喝

を加える事で、何者であれ乱の種を蒔く者は許すまじ、という姿勢を全ての者に示したのである。

 元孫将が侮辱されたと感じ、反意を持つ危険も考えられたが。それは凱聯の豹変を見れば解決する問題

であろうと計算していた。むしろ凱聯に怒りを覚えていればいる程、その豹変ぶりに肝を冷やす事になる

だろうと。

 結果として目論見通りになり、元孫将兵の心を一部だが取れた。しかし楓流にもはっきりとした勝算が

あった訳ではなく、最終的には賭けであったので、後で凱聯共々元孫将が詫びに訪れたのを見て、心より

安堵している。

 可能性は絶対ではない。

 もし凱聯がこうでなければ、又は元孫将が別の行動を取っていたとすれば、それこそ取り返しの付かな

い事態に陥ってしまっていただろう。

 未来は常に定まらず、故に常に不安を抱え続けていなければならない。楓流が心労から開放される日は、

少なくとも凱聯が居る限り、決して来ないだろう。

 こうして計らずも楓流に服する事になった元孫将の名を、魏繞(ギジョウ)という。

 元は山賊の首領であったとも、兵に取られた農夫であったとも言われ、その出自ははっきりとしない。

何しろ孫文は家柄や名声よりも現実の結果を尊び、それに従って兵を集めた為に、経歴がはっきりしない

者が多く居る。

 本人に聞けばいいのだが、偽称しない保証はない。誰もわざわざ誇る程でもない経歴を、一から十まで

正直に述べる訳がなく。大抵は良い様に変えてしまうか、口を閉ざすか、どちらかである。本当の素性な

ど、当時に戻り詳細に調べでも出来なければ、後世からは決して解らぬ事である。

 まあそれはともかく、魏繞はこの情勢ではより大きな樹に寄り添った方が良いと考え、孫文という存在

が大きくなるにつれて彼に賭けてみようという気になり、一念発起してその時に百名程いた部下を率いて

孫軍へ入り、大功こそないが堅実に功績を積み上げ、一拠点の将を任されるまでになった。

 少々計算高く、油断できない男ではあるが。部下の面倒見が良く、あまり過激な事も好まず、昔からそ

れほど酷い事はしてこなかったらしい(勿論、当時の山賊の基準での話である)。今更孫に義理立てする

気持ちはなく、楓流に従うのも吝かではないが。頼むに足りないと思われてしまえば、楓流もまたあっさ

りと見限られる事になるだろう。

 それがどんな形であれ、人が集まれば必ずしも善人や能のある者ばかり居る訳ではない。むしろ魏繞の

ような者が多く。こういう人物をどれだけ上手く扱えるか、服従させるかが肝要であるのかもしれない。

有能、無能とも言えぬ人物の方が、いつも多く居るだろうから。

 とはいえ魏繞は無能ではない。能力は中の上といった所だろう。取り立てて目立つ所はないが、何に困

る訳でもない。補佐的な役割を命じれば、充分に役立つ。

 戦死した白祥(ハクショウ)の代わりを務めるには甚だ力不足であるとしても、人材不足の楓にとって

は貴重な存在である。

 それに油断出来ぬと言っても、魯允(ロイン)や子庸(シヨウ)、子遂(シスイ)と言った面々程に毒

はない。信頼すればそれに応えてくれるだろう善良さは持ち合わせている。でなければとうに事を起こし

ていた筈だ。

 魏繞が率いている兵数はざっと千。北方に降る前はもっといたそうだが、いつの間にか消えていたそう

だ。兵としてもそこまで付き合う義理はないと考えたのか、それとも北方同盟もその程度の評価しかなか

ったという事なのか。

 確かに領土が大きく変化した北方や東方に比べると、西方は安定している。孫も結局は西方に侵攻出来

なかったし、疲弊したのは中央との境で孫軍の侵攻を防いでいた西安(セイアン)くらいだろう。他の街

はさほどの被害も受けておらず、地盤はしっかりしたままである。

 何処に付くかと言われれば、北方よりも安定した西方に、と考える方が自然である。

 西方同盟が堅固である限り、西方は崩れまい。

 中央侵攻も焦らず慎重に行っており、目立った綻びはないように見える。このままいけば、西方が中央

を制圧するのも時間の問題と思えた。

 今から西方の結束を揺るがす手段を講じておかなければ、窪丸にその矛先を向ける日も、そう遠くない

かもしれない。

 そしてそうなれば最悪二大同盟が激突する事態になる可能性がある。再び大陸を二分する大戦争に発展

し、大陸中がこれまで以上の混迷に満たされる事になるだろう。

 例えどちらもそうなる事を望んでいなかったとしても、意思とはまた別の多くの欲がそちらへ傾(かた

む)けば、そうなる事を避けられない。

 結局戦とは永遠に終わらないものなのかもしれない。一時終結したとしても、その終わった戦がいずれ

新たな火種となる。例えその国家民族を全て滅ぼしたとしても、その滅ぼしたという事実がまた新たなる

火種を呼ぶだろう。戦とは一度始めれば終わらない、無限に続く地獄である。だからこそ古今の賢人は一

様に、争いこそ避けるべきと口にするのかもしれない。

 そしていつの時代もそれが述べられているのは、人が何も変わらず、反省もしない事を意味する。正に

無限の地獄の中に我々は生きている。

 勿論、二大同盟が激突するのは最悪の事態で、どちらに属する国もそれだけは避けようとするだろうが。

中央と領を接する窪丸にとって、西方が安定している事は危険でしかない。集縁の事もあるし、今の内に

西方と接触しておくべきだろう。双としては周と関係を持っているが、楓としては大した関係を築けてい

ない。北方と東方との関係も重要であるが、西方との関係も疎かには出来ない。

 楓流は防壁や砦の修復、窪丸の安定だけではなく。外交の必要性にも迫られていた。

 こうして問題を解決し、どうやら今後の方針が決まった所でようやく胡曰を呼ぶ事が出来、積もる話し

をしながら、帰って来た事を実感する事が出来た。

 やはり楓流の心を真に癒してくれるのは胡曰しか居ないようである。その一事に関しては趙深で

も補う事はできなかっただろう。



 楓流は数日雑務の為に慌しく過ごしたが、それが落ち着くとすぐに今後の事に取り掛かった。

 その目の先は集縁にある。やはりこの地の奪還が一番大きな目標である。今の状況では叶わぬ夢だとし

ても、努力を怠る訳にはいかない。むしろ不断の努力こそが、その道を切り拓く事になる筈だ。

 調べた結果、集縁は今現在秦(シン)に属している事が解った。

 秦とは西方四家(秦、呉、韓、周)の中でも一、二を争う勢力で、特にその勢威を争ってきた周とは仲

が悪い。周が双と関係を結んでいる事に焦り、周が北方ならば秦は中央とでも言うように、半ば強引にそ

の地を得たという噂(うわさ)だ。

 地理的に見れば秦は西方の西端に位置し、中央だけではなく他の方面とも一番遠い場所にある。だから

こそ背後を気にせず勢力拡大に努めたのだろうが、その手を他方面に伸ばすとなれば不利である。

 秦が中央と繋がるには、必ず呉か韓を通らねばならないが。呉と韓は逸早く結び付いた事でその仲は悪

くなく、利害も概(おおむ)ね一致している。両国が共謀すれば秦にとって大きな障害となる。

 秦を孤立させるもどうするも、この両国の意思一つ。

 こうなれば周の協力を得たい所であるが、その仲は依然険悪で、協力してくれるどころか、周も得たり

とばかりに呉韓に味方するだろう。そして漁夫の利を得ようと画策する筈だ。間違っても秦に協力したり

はすまい。

 だから秦が集縁を得たとしても、その力が中央でどこまで伸びるかは解らない。だからこそ秦の統治を

他の三家も許したのだろう。

 秦は不安であろう。

 そこに楓が手を差し伸べたとすればどうだ。秦と集縁が離れているとはいえ、そこに楓が加われば話が

変わってくる。秦からの使者が届き難い事には変わらないが、楓が秦に協力するとなれば、集縁が中央で

孤立せずに済む。

 相手が窮すれば窮する程、差し伸べる手に価値が出てくるものである。簡単には乗ってこないだろうが、

秦も今の状況を考えれば、楓と繋がる事に同意せざるを得まい。

 楓流は秦との関係を深める為に積極的に動いた。勿論、秦へ行く道となる呉と韓にも贈り物をしたりと

心を配っている。

 西方も窪丸が中央と領を接する以上、そうせざるを得ない事は重々承知している。楓の動きを奇異と見

ず、むしろ当然であると受け取った。

 あまり西方と接触すれば、今度は北方が煩(うるさ)く言ってくるかもしれないが、その辺は趙深に任

せている。

 そちらの手筈も自ら行いたい所であるが、今の楓流では西方だけで手一杯である。無理は出来ない。趙

深の負担を増すのは申し訳ないが、彼ならば上手くやってくれるだろう。

 だが人に大きな事を任せる以上、自分はそれを引き受けるに足ると思わせられる程度の事はやっていな

ければならない。自分の無力さに甘えるのは傲慢過ぎる。

 楓流は軍事を凱聯と胡虎、内政を奉采(ホウサイ)と明慎(ミョウシン)に任せ、魏繞に目をかけつつ、

西方への外交と中央の情勢の調査に更なる力を注いだ。

 気心の知れた人材に囲まれ、窪丸のみに集中すれば良いというある種の気楽さは楽といえば楽で、凱聯

の起こした不手際への不満も大分和らいでいる。

 知り慣れた場所に居られる事は、それだけでありがたいものだ。




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