13-2.秦


 苦労したが、ようやく秦との間に盟約を結ぶ事が出来た。初めは秦も考慮するに足りないというような

返答をしていたが、内心では想像した通り様々な不安を抱えていたようで、辛抱強く交渉を続けるとむし

ろ秦の方が乗り気になり。条件は相変わらず煩く言ってくるものの、盟約を結ぶ事自体に反対する事はな

くなっていた。思った通り、集縁を持て余していたようだ。

 それならば今は無理としても、将来的に何らかの見返りを差し出す事で集縁を得られる可能性が視野に

入ってくるのではないか。よほどの条件が必要になるだろうが、そういう道がある事を憶えておいても損

はない。

 とはいえそれはあくまでも先の先、薄い可能性の話でしかない。今のままでは夢想に過ぎず、将来的に

も夢想のままで終わる事も考えられる。そんな夢を追うようでは愚かと言われても仕方がない。

 今は秦との繋がりを強める事だけを考える方が良いだろう。

 そして秦と繋がるならば、西方全ての情勢をもっと良く知っておく必要がある。西方もまた北方同様、

孫という勢力が消えた事で、思い出したように様々な内部の問題が浮上してきている筈。いつまでも一到

団結していられるとは思えず、その間に不和を招く、或いはその綻(ほころ)びを上手く利用できる方策

を練る事もまた重要である。

 出来れば集縁との結び付きも強くしておきたい。

 今のままでは、例えば楓流が直接集縁を訪れたりする事、などは秦にとって不快でしかないだろうが。

商売上の繋がりや物資を援助したりする事なら、秦も嫌な顔はしない筈である。

 集縁は戦地にこそなりはしなかったが、民を兵に取られたり、食糧を徴収されたりと、戦乱の真っ只中

にあったのだから当然被害は少なくない。秦がその地を治める事になったとしても、秦からは余りにも遠

く。何かを送る事も何かを送らせる事も難しい。

 秦としては少しでも早く充分な食糧を与え、生活を保障する事で民心を安堵させ、秦という国に対して

感謝と敬意を抱かせたいと考えている。

 だが他国の領土を通らねば輸送も出来ぬ関係から、それも難しい。中央の他の西方領土よりも集縁の復

興が遅れている嫌いがある。秦としてもこれは見過ごせない問題だ。

 だから楓が間に入ってくれるのは、正直秦としてもありがたい。元は楓領土だという事があり、あまり

関わらせると民心が秦へ向かなくなるのではないか、という懸念があるとしても。楓の支援はありがたい。

 どちらにせよ民心が楓へ傾いている事を覆せないのだとすれば、かえって楓との繋がりを秦が認めてや

る事で、住民に感謝の念を起こさせる事も考えられる。そしてそれは秦にとって決して悪い事ではない。

集縁が秦領である事は間違いようのない事実であるのだから、堂々と見守ればいい。

 現況を考えれば集縁が秦から離反して楓に付く事も、楓が集縁を奪う事も考えられないのであるから、

状況が変わるまでは楓を利用してやればいい。

 楓など恐れるに足りない。いかに楓流と趙深が油断ならぬ存在であれ、楓一国に大陸を動かすような力

は無い。窪丸一国の力など高が知れている。

 楓には衛という味方もあるが、その間には楚が居る。楓と楚は友好関係を築いているものの、もし楓が

西方と無闇に敵対するような行動を取れば、その関係を考え直すだろう。楓よりもむしろ西方と協力し、

楓領を得ようと考える可能性の方が高い。

 友好、友誼(ゆうぎ)と言っても国家間のそれは個人に用いるそれではない。多分に利害、損得が含ま

れている。故に尻尾を出せばすぐに掴まれ利用される事となる。むしろ恐れるべきは友好国と言える。

 それは楓もよくよく解っている。楓が集縁を奪う心配はしなくていい。秦が強勢である限り手は出せな

い。だからこそ秦は乗り気になった。楓からそれを言い出してくれるのを待っていたとすら言えるのかも

しれない。初め反意を示していたのも、簡単に飛びついてしまうと自国の値が下がるからであろう。秦と

してはあくまでも楓に頼み込まれて仕方なく受けた、という形を取りたいのだ。

 そして楓流もまたその感情を逆手に取った、と言えるのだが。実際は藁にもすがる気持ちで少しでも集

縁と繋がる方法を求めただけであった。

 そこには国家としてのものよりもより個人的な感情があったと推測される。

 何故なら窪丸も戦で大きく消耗しており、本音を言えば他国に構うような余裕が無かったからだ。

 とはいえ、集縁が変わらぬ忠義を示してくれている以上、その想いに出来得る限り応えていく事は、統

統治者として悪くない行動である。集縁の事を決して忘れていないぞ、と主張し続ける事は必要であろう。



 楓流は出来るなら集縁に無償で援助したかったのだが、現状窪丸にも余剰物資がなく、厳しい状況であ

るから、他に与えられる物が無い。そこで値をなるべく安価にする事でその意を示そうとしている。

 売る相手は無論秦である。しかし秦が買うと言ってもその金は集縁から得た税収なのだから、集縁とし

てもその値が安いに越した事はない。その上、物資運搬も地理的状況から楓がやるしかなく。秦が安く買

った物の何割かを懐に入れてしまう、という心配も要らない。

 大きな戦の後、そして中央と東方では未だ不穏が続いているという事もあり、あらゆる物の値段が高騰

(こうとう)し続けている。いくらでも高値で捌(さば)けるこの時に、無理をしてまで安価で譲ってく

れる楓流に対して感謝こそすれ、悪意を持つ者は居ないだろう。彼らも窪丸に余力が無い事は重々承知し

ている。

 秦に取っても安く得られるのは非常にありがたく。表面上損をしたのは楓のみという事になる。秦は秦

で上手く楓を利用してやったと考えているのだろう。

 こうして楓は集縁と堂々と交わる機会を得た。当然、より多くの情報が入ってくる。

 それに寄れば、魯允(ロイン)は西方に集縁を売り渡した後、住民がいずれ大きな反感を抱く事を承知

していたらしく、その身も軽やかにすでに秦へと移っているらしい。彼がどのような役職で迎え入れられ

たのかまでは解らないが、その役はおそらく軽くない。そしてその地位に満足する事無く、今後もあらゆ

る手を使って更に上を目指そうと企む事は、まず間違いのない事であった。

 であるとすれば、いずれ魯允というかつての楓臣は、楓流を身近で見てきた者として対楓の要となり、

楓流の前に立ち塞がる事となるだろう。秦もまた楓を終生の友と考えている訳が無く。利用できる間は利

用するが、用が済めば、或いは邪魔になれば簡単に掌を返す筈なのだから。

 そういう意味でも魯允という存在の価値があり、魯允自身も上手く吹聴して立ち回るに違いない。

 魯允自体にはさほどの才も能も無いが、そういう事だけは誰よりも心得ている。放って置けば何をする

か解らぬ危険があり。彼の言動にも常に気を配っておかなければならない。

 現在集縁を預かっているのは、張耳(チョウジ)という男である。

 義理堅く、民を慮(おもんばか)る心を持ち、徳望名高い。秦随一の臣との声もある程だが、魯允以上

の老齢であり、集縁まで出向くのは相当体に堪えただろうと思える。

 もしかしたら張耳を煙たく思った魯允が秦王に献策し、集縁に飛ばしたのかもしれない。出来れば長旅

でくたばってくれれば、という想いもそこにはあったのだろう。

 張耳を赴任させる事はそう難しい事ではない。

 何しろ集縁は孫文でさえ危険視した土地であり、よほどの人物でなければ治められない事は秦も知って

いる。高名な張耳以外にはないと嘘偽りなく、しかし魯允にとって都合よく、述べれば良いのだ。そうい

う弁の才なら魯允はいくらでも持っている。

 張耳も魯允の下心などお見通しだったろうが王命には逆らえず。到着してからも不満を見せる事無く政

務に励み。集縁周辺を安定させ。住民からも敬意を払われるようになっているとの事である。確かに集縁

を任せるに相応しい。

 だから魯允は政敵を追い払った上にその案を評価される事になる。張耳が有能である事を逆手に取った、

魯允らしい策と言えるだろう。例えそれで同僚や上司から疎まれるとしても、そのような事を考慮する男

ではない。

 それに張耳程の人物を、確かに彼くらいの人物が行かなければ上手く治まらないとしても、高齢をおし

て赴任させる事はなかなかに言い難い事であり。それを解っていながら言える憎まれ役もまた国家には必

要である事を魯允は知っている。

 新参者だからこそ言えるという事もあり、自分の役割というのか、売れる場所と売り方をよく心得てい

るのだ。真に抜け目ない男である。

 張耳も張耳でしたたかで、飛ばされた事に、表面上は、怒りを感じている様子は見られず。楓流は初め

張耳を取り込もうと考えていたのだが、付け入る隙を見出せなかった。そこでこういう人物には謀略より

も誠意を持って近付き、より良い関係を築いておく方が賢明であると判断し。無用な欲を持たず、張耳自

身の事をよく知る為に素直に接しようと考え直している。

 その姿勢は張耳に師事しようとしていたと言ってもものであった。

 彼の統治には学ぶべき所が多く。集縁の民でさえ敬意を払っているように、人物としても真に立派であ

り。秦が大きく成長したのにも少なからずこの人物が影響していると思える。

 ならば単純に心を取ろうとするのではなく。損得を捨て、純粋に学ぶ方が良い。そしてその姿勢こそが、

張耳の心を取る鍵となり。彼から学んだ事は、楓流を成長させる大きな糧となってくれるだろう。

 張耳の方も王であるという態度を前面に出さず、あくまでも相手を立てようとする楓流の姿勢に好意を

抱いたのか。少しずつその心を見せ始めるようになり、遂にはまるで楓流が子弟ででもあるかのような態

度を見せるようになっている。

 張耳は意外に豪胆というのか、思っていたよりも厳しい面を持つ人物であったが。心底にある深い慈悲

心に亡き養父の姿を見るような気がし、楓流の方も次第に当初あった損得勘定は消えている。

 集縁の民もこの事を大いに喜び、新旧二人の統治者が睦(むつ)まじい様子は、彼らの心にもある種の

救いを与えたようである。

 集縁の民は以前から楓流に対して申し訳ないと思う心を常に抱いていた。それはこの時になっても楓流

の下へ駆けつけられぬという罪悪感であり。確かに楓流への忠誠を失っていないとしても、何も出来ない

事に対して申し訳なさを感じずにはいられない。結局自分は我が身可愛さに楓流を見捨てたのだ、という

想いが浮かんでくる。

 だからこうして二人が仲良くしているのを見ると許されるような気がし。罪悪感の全てが消える訳では

ないとしても、救われるような気がするのである。

 楓流と張耳にそこまでの意図があったとは言わないが、この友好は二人に取っても小さくない恩恵をも

たらしている。

 しかしこうして楓流が張耳に近付くと、それを恐れる者、やっかむ者が出てくるものである。

 特に魯允。張耳を遠ざけ、自分の居場所をより高きに作ろうと画策する者からしてみれば、張耳が集縁

の尊敬を受け、同盟勢力と強い繋がりを持つ事は、心安らかならぬ事であろう。

 張耳もその程度の事は理解しているだろうが、楓流は魯允を知るが故に不安に思い、間者を発して秦の

より深い内情を探ろうとした。秦の内情を知る事は楓にとっても必要な事なのだが、この動きには国の利

よりも楓流個人の感情がより強く作用していたと思われる。

 国として考えれば、張耳と仲良くする事は良いとしても、深入りする事は避けた方が良い筈だったが。

それが出来ぬ所に楓流の青さがあり、良さがあったと言えるのかもしれない。

 強いだけの心に付いて行ける者は限られている。ならばそれは王の資格ではない。



 秦の内情が知れるにつれ、魯允の立場と張耳が派遣された理由が明確になってきた。

 秦には張耳の他に、商央(ショウオウ)、范緒(ハンショ)という名臣がいる。この三臣を俗に秦の三

功臣と呼び。秦を支え、大きく成長させる原動力となったと云われている。秦王も有能と云われているが、

この三人が居なければ西方四家と呼ばれるまでになれていたかは疑問だ。

 張耳を外へ出せたとしても、商央、范緒が居る限り、魯允が国政を縦(ほしいまま)にする事は出来な

いだろう。

 逆に言えば、この二人が居たからこそ張耳は集縁の統治に専念する事が出来たのだろう。

 魯允が何かまた良からぬ事を企んではおらぬかと心配していたのだが、今の所はそのような事を考える

必要は無さそうだ。商央と范緒が居る限り、魯允の動きは制限される。道理で張耳に国政を不安視する様

子が見えなかった筈だ。

 しかしそれを知っても楓流の不安は消えていない。

 三功臣は強い絆で結ばれており、それぞれに智謀と仁を兼ね備え、その仲を裂く事も、謀略で追い落と

す事も不可能であるかのように思える。

 しかし功臣であるからこそ尊ばれる事もあれば、疎まれる事もある。魯允という存在がそうであるよう

に、他に良からぬ事を考える者が居ないとは言えない。秦程の国になれば、複数国家における連合勢力で

ある事も手伝って、様々な不安要素を抱えているに違いない。

 まだ二人居るとは言っても、一人出た事でその力は明らかに減じている。楽観視するのは危ういと思え

るのだ。

 楓流自身が心配性である事も手伝い、彼は内情を知った後も間者や何やかや理由を付けては使者を発し、

不穏な動きが無いかと常に秦へと注意を巡らせた。

 張耳もその程度の事はしているだろうが、商央と范緒を信頼するが故に油断してしまう可能性がある。

 魯允は大した人物ではないし、実際大した功績を挙げてもいない。それなりに働き、それなりの結果は

出すが、それだけである。間違っても国政を背負って立つような器ではなく、もし彼に任せるような事を

すれば、楓に敗れた袁夏(エンカ)の二の舞になるだろう。

 しかしその程度の器でありながら魯允は生き続け、自分を立てる術を持ち続けた。例え主君が滅びよう

とも彼は必ず生き残り、新たな主を見つけ出す。

 寄生虫のような存在であり、そしてまた悪い事に魯允が属した勢力は必ず悪しき目に遭っている。袁夏、

楓流、孫文ときて、秦がまたそうならないとは誰も言えまい。

 魯允には何かそういうものがあるのだ。そうとでも思わなければ理解できない存在である。彼を懐に入

れれば、必ず災厄が降りかかる。

 楓流はそう確信すればこそ、例え三功臣ありといえども、秦の行く末に不安を覚えずにはいられなかっ

た。秦もいずれは敵対する国、負の遺伝子である魯允がそこに付くのは楓として喜ばしからぬ事ではない

が。張耳という知己(ちき)を得た今、素直に喜べぬ自分がいた。

 だがそんな楓流の心配を余所に、各勢力とも戦よりも国力回復、増強に終始し。大陸に何事も起こる気

配は見えず。静かに時は流れて行くのである。



 孫滅亡から一年が経ち、ようやく民は生活を取り戻している。

 唯一乱の続いていた中央東部、東方南部もほぼ国境が定まり。西方が武力制圧よりも外交で服させる方

針に変えた事も手伝って、未だ無数の勢力が乱立する姿には変わりないが、それぞれに同盟などを結び、北

方や西方とも繋がろうとする勢力が増え、ここの所大きな戦が起こる事はなくなっていた。

 緊張状態は解けぬものの、孫後の乱は収まったと考えていい。

 楓流も順調に西方との繋がりを強め。秦も楓への評価を改めたのか、より深い盟約を結ぼうという申し

出が来ている。

 簡単に言えば、婚姻か人質を出し合うか、いずれかの関係を築きたいという事だ。

 しかし楓流には妻も子も無い。重臣を人質として送るという手段もあるが、それをするに足る唯一の存

在であろう趙深は衛におり。後はもう秦から妻を娶(めと)るという手段しか残されていない事になる。

 張耳もそれはいいと縁談を勧め、秦王も乗り気であったが、楓流はと言えば煮えきらぬ想いに満たされ

ていた。

 楓流は出自の為か、養父の影響からか、生来女性への欲が薄い。胡曰などの事を考えると女性への興味

が無かったという事はないようだが、妻という存在を得たいと考えていなかった事は確かであるようだ。

 もし彼がそれを望んでいたとすれば、とうに一度や二度は結婚していただろう。記してはいないが、今

までにもそういう話が無かった訳ではなく。趙深もまた何度か勧めた事がある。妻を娶るという事以上に

簡単に他国との繋がりを深める手段は無く。それを利用しない統治者はまずいない。

 だが楓流はいつも煮え切らない態度で過ごし。結局そういう話は全て流れてきた。

 しかし今回だけはそういう訳にいかない。秦と楓、これは西方と北方という大勢力までが絡んでくる大

きな問題である。今までのようにはっきりした理由もなく流してしまうとすれば、秦との間に築いてきた

関係が瓦解してしまう可能性があるし、張耳との関係も険悪なものとなろう。そしてそれをきっかけに大

きな争いに発展しないという可能性もない訳ではない。

 大した理由もなく私情で国家間の関係を険悪にしたとなれば、民や将兵も黙っていないだろうし。下手

すれば王としての信を失う事になる。

 その事は楓流も解っていた筈だが、それでも尚煮えきらない。

 彼自身も不思議だったのかもしれない。何故これ程までに自分がそれを避けるのか。ここまでくると物

憂(ものう)さというよりは、意地になって避けているとしか思えない。

 胡曰の心情を考慮したという説もあるが、これはおそらく適当ではない。彼女は胡虎同様、自分はあく

までも楓流を補佐する存在であってそれ以上ではないとしていたし、楓流もまたそのように考えていただ

ろう。

 そこにあったのは家族のような結び付きであり、三人で初めて一つであるかのような心であった。

 胡曰という言ってみれば楽な存在がいるからこそ、今更妻という、しかも敵国の姫という厄介な存在と

面倒な関係を築きたくはなかった、という事は考えられるが。それ以上の気持ちは無かっただろう。

 こうして楓流は誰にもその理由が解らぬままに悩み続けたが、秦王や張耳は否定せぬのは承諾の証と見

て準備を進めていく。

 そうなれば楓流も流れに乗るしかなく。今更断る事は出来ない状況になっていた。

 しかしそこに横槍を入れたのが魯允である。

 魯允はどうしてそう出来たのかは知らないが。順当に地位を高めて秦王の信を勝ち取り。相変わらず三

功臣との溝は埋まらなかったが、それなりの居場所を築いていた。

 その魯允がこの婚姻に対し、猛然と反対したのである。

 そこには美しき姫に対して年甲斐もなく恋慕の情を抱いたのだとか。楓流に対して個人的に良からぬ想

いを抱いているのだとか。様々に噂されたが。最も大きな理由は単純に楓流相手では勿体無いと思ったか

らである。

 魯允は集縁の件で楓と仲違いした格好になっており。秦としても楓ではなく双か楚との繋がりを重視し

て欲しく、常々王にそう進言していた、という事も確かにあったが。個人的な感情だけではなく、高々窪

丸一国だけの楓ではなく、北方で最も多くの領を持つ双か、その次に位置するだろう楚と繋がった方が良

い、と単純に考えていたのだ。

 地理的に見ても、双と繋がれば西方の他の三家を挟め、圧力を加える事が出来るし。楚と繋がれば共に

窪丸を滅ぼして中央の領土を増やす事が出来る。それを何故楓なのか。確かに集縁には近いがそれだけで

ある。楓流なにするものぞ、という気持ちが以前から魯允の心にはあった。

 そしてそう言われれば秦王の気持ちも揺らいだのか。楓流が煮え切らない事も手伝って、紆余曲折(う

よきょくせつ)経た上で結局この話は無かった事になってしまうのである。

 張耳などは珍しく魯允を罵(ののし)る言葉を発し、ここまで準備しておいて今更こんな事にと楓流に

対して何度も詫びたが。楓流にしてみれば厄介事があちらから去り、その上秦に借りを作る事が出来たの

だから、これ以上都合のいい展開はない。

 張耳を宥(なだ)めながら、内心はほっとしていた。

 しかし一つ大きな不安が出来てしまった。

 それはやはり魯允の事である。例えそこに利があったとしても、魯允の言が秦王を動かしたとなれば、

しかも張耳の言よりも優先させたとなれば、これは由々しき事態である。そこまで発言力を大きくさせて

いる事に大きな不安を覚える。

 商央、范緒の二功臣は一体どう考えているのだろう。張耳だけではなく、この二人とも早急に関係を築

く必要を感じ、楓流は張耳に頼み込んで紹介状を貰い、それを胡虎に持たせて秦へ使者として派遣する事

にした。

 最早一刻の猶予も無い。そのように思えたのである。




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