13-4.賦族


 楓流はまず単純に間者の数を増やし、より組織的な運営をする事でその効率を増させようと考えた。

 彼は早くから情報の重要性に着目し、すでに諜報機関のようなものも作っていたが、それでもまだ足り

ない。趙深の諜報網を加えてさえまだ不十分で、組織としても、間者一人一人の技術にしても、もっと向

上させる必要があった。

 しかし何をするにしても限界がある。そういう技術を専門的に積んできているような者はほとんど居な

かったし。居たとしてもまだまだ技術として完成していたとは言い難い段階にある。技術として高い位置

で完成させるには、まだまだ多くの時間が必要だと思われた。

 そこで目を付けたのが賦族。特に大陸人との混血である。

 知っての通り賦族は生来恐るべき身体能力を持つ。その体力と筋力は大陸人の比ではない。だがその大

きな体がどうしても彼らを目立たせ、間者としては不利になる。被差別種である賦族であるからこそ出来

る事もあるし、大陸人の目を欺く事も出来るのだが。敵地や戦地へ潜入させる事は難しい。

 そこで大陸人と同程度の体格でありながら、賦族には及ばないものの強靭な肉体を持つ混血に目を付け

たのである。彼らならば大陸人に近い背格好でありながら、身体能力は個人差はあれ概ね上回っている。

その上、彼らは大陸人、賦族どちらにも入れぬ場合が多く。賦族以上にその力を持て余し、どこの国にも

属していない者が多い。

 その力と血を持て余すあまり、自分達を受け容れぬ世間を憎むあまり、山賊野党に身を落としたり、或

いは生きる為にそうなるしかなかったという者も多いが。だからこそ彼らに目的と仕事を与えてやれば、  何も持たない者にその意味を与え味方に付ける事はそれほど難しい事ではないだろう。勿論、簡単にい

くような事でもないだろうが。

 幸い楓流は賦族と同様混血も受け容れて使っている。その彼が頼むならその気にさせる事が出来るかも

しれない。衛にも多くの賦族や混血が居る。趙深に命じて集めさせれば、それなりの数がすぐにでも揃う

筈だ。

 ただしそこからが問題で、専門的な訓練を課し、それが一つの技能として実り、充分な経験を積ませて

一人前になるまでには多くの時間がかかる。一つの形となるまでに最低でも数年という時間を見ておく必

要があるだろう。それを高度なものとするには、更に十年、二十年とかかるかもしれない。

 でもだからこそ今やっておく必要がある。なるべく早い内に始めなければ、楓流が生きている内に間に

合うまい。

 楓流は早速趙深にその旨を伝え、協力してより専門的な諜報機関を完成させる為に動き始めた。この件

に関しては楓流一人だけでは不可能であるし、趙深としても悪くない考えだと支持している。だから忙し

くとも協力を惜しまなかったようだ。

 しかし先に述べたように、この方法では今現在の問題を解決する手段にはならない。

 実践訓練も兼ねて筋の良い者を早期に用いるという手もあるが。それを行うにしても、早くて半年から

一年は見なければならない筈だ。

 これはこれで良いのだが。現状を打破する手段ではない。

 そこで次に目を付けたのが水路である。

 双に属していた時から水路の整備に力を入れさせていた為、北方と衛内なら移動時間を随分短縮する事

が出来る。人の往来や各港との行き来も多い為、船頭や水夫の中に間者を紛れ込ませれば、自然と多く

の情報が集まるだろう。まさに一石二鳥である。

 しかしそれを行うとすれば、どうしても越の協力を得る必要が生じる。水路を使う以上、越と切り離し

て考える事は不可能だ。越も当然水路を情報収集に役立てている筈で、その目をかいくぐって暗躍(あん

やく)させる事も難しい。それに船頭や水夫にも彼らだけの繋がりがあり、そこに紛れ込むのは簡単では

ない。

 とはいえ越と協力し合うとしても、それは越自身が強力な諜報集団となる手助けをする事になってしま

う。その時はおそらく情報交換する事が前提になるだろうし。あらゆる活動に越の陰が付き纏(まと)う

とすれば楓が独自に活動する事は難しい。下手すれば越に全てが筒抜けになってしまうだろう。水運に関

しては越に一日の長がある為に、出し抜く事はまず不可能と見ておいた方がいいだろう。

 ただでさえ水運に関して特権を与えている上に、情報能力まで高めてしまえば、強大な敵がまた一つ出

来る事になる。水路はあくまでも移動手段だと考えておいた方が良いかもしれない。

 越という国を侮れば、手痛い目に遭う事は確かだ。

 新しい機関も水路も駄目となるともう手詰まりである。

 他に道が残されているとすれば、趙深の諜報網を強化する事。つまり各地の賦族の更なる協力を得ると

いう方法だろうか。間者の数を増やすのでも技術を向上させるのでもなく、各地各地で間者を手助けして

いる賦族の協力者の数を増やし、情報収集能力を増させる。

 その為には今のように全体性を欠くというのか、組織としてまとまりのない姿では困る。協力者は協力

者で大陸を覆う程の大きな繋がりを持たせ、その上でそれらを組織的にまとめ行動させなければならない。

 協力者というよりははっきりと補佐官とでも言うべき役を命じる、とでも言えば雰囲気が伝わるだろう

か。今までのような善意の協力者という形ではなく、その為の組織を作り、それらを楓が管理運営できる

ような形にしなければならない。賦族を一つにまとめる必要がある。

 だがそれをするには一つの大きな問題がある。

 それは賦族が指導者を欠いている、という点である。

 賦族が賦族としてあった時代。大陸人に使役される存在となる前、いやなってからも暫くは彼らにも王

のような存在が居た事が知られている。

 正確に言えば王というよりは将軍とでも言うべきか。より大きな存在に使われる、一地方指揮官といっ

た風であったようだが。元々賦族は階級社会で、特に軍部はそれが厳格であった為、この大陸という地に

閉じ込められてしまってからは、王同然の権力があったと考えていいだろう。

 しかし大陸人に使役され、差別されていく内に彼らの自尊心、誇りといったものは剥ぎ取られていき。

いつしか王という支配者ではなく、長老とでもいうべきまとめ役へとその地位は落ちていった。

 そして更に時を経るとその名も形だけのものとなってしまい。大陸人が、いや始祖八家が賦族を呼びつ

ける時、その代表者として出る以上の役割はなくなってしまったようである。

 その代表者となる存在(それが世襲制である家かただの役割である地位かは解らない)は暫くの間機能

していたようだが。それも始祖八家の支配が終りを迎えると共に意味を失くし。今ではその名さえ伝わっ

ていない。完全に歴史から消失してしまっている。

 最も歴史の古い双ならば何か残っているのではとも思ったのだが。双が公的に賦族を認めなくなった時

点で、賦族に関する記録を全て抹消してしまったのか、何一つ残されていなかった。

 趙深が双に居た際、双の記録も独自に調べていたようだが。賦族に関する記録は何一つなかったという。

もしかしたらあったのかもしれないが、その記録には賦族という名が一切使われていない為、調べようが

なく。それらしい記述も調べた中には無かったそうだ。

 現在の賦族は代表者を欠き、一つに繋がる為の核となるものが無く、賦族間の繋がりはどうしても小規

模なものに止まってしまう。賦族が一人一人大陸人の所有物として管理されているのもあって、団結する

事が出来ない状態にある事も影響しているのだろう。

 或いはそうさせる為に、大陸人が賦族をそういう状態に置いたのかもしれない。賦族の力を恐れた始祖

八家がその力を奪う為に差別と管理を徹底させた。或いはそれは副産物でしかなく、賦族への復讐心から

それを行ったのか。

 大陸に入る以前、賦族が大陸人を使役していたのだとすれば、大陸人が今まで賦族からされていた事を

復讐の為に賦族に課したとも考えられる。

 ともあれ今重要な事は、賦族に同族同士を結び付ける拠り所となるモノが無いという事だ。もしそうい

う存在なり権威なりがあったなら、それを用いて賦族を団結させる事も出来ただろうが。それが無い以上

一つの組織として纏めるのは難しい。

 人はそういう何かがなければ、団結し難い動物である。いや、人間だけではなく、あらゆるものがそう

なのであろう。この自然にあるモノは、核となる何かが無い限り、そこに集う事は難しく。集い続ける事

は更に困難である。

 故に賦族を団結させる為には、まず核となる存在を創る、または復活させる必要があった。

 楓流がまず考えたのは、単純に昔あった代表者を復活させるという方法である。

 しかし今現在そういう地位にある者が居らず、それに関しての記録も残されていない以上、これは不可

能というものであった。

 例えそれを復活させたとしても、誰にその地位を任せるかという問題があるし。適任者が見付かったと

しても、今では過去に消えてしまったようなものを復活させたとて、どれ程の効果があるのかは疑問だ。

賦族達は教育を受けておらず、自分達は人ではなく物だと思わされている。そういう状態にされた人間に

対して、いきなり過去にこういうものがあったと伝えたとしても、果たしてどういう効果があるか。

 自分達の過去の一端を知る事で、彼らに自尊心が生まれるという可能性もあるが。彼らがされてきた事

を思えば、突如こんな事を言われたとしても、素直に受け容れるとは思えない。

 まずは賦族を教化させ、彼らの意識を変えさせなければならない。自分も大陸人と同じ人間だと思い出

させ、当然の権利を得る為に自発的に行動させる、それが肝要であろう。

 そうする前に何を行ったとしても、効果は薄い。

 余計な事をして主人に見付かれば手痛い目に遭わされ、その瞬間に芽生えた心も萎えてしまう。見返り

を与えても、金に靡(なび)く者は金のみに従う。多くの利を見せられれば、すぐに寝返るだろう。

 根本から変えなければならない。賦族の心を奮い立たせ、彼ら自身の目的として楓に協力させる。誰に

強いられる訳でもなく、自主的に楓と志を共にする。その為には彼らに夢を見せ、その夢と楓が一つにあ

らなければならない。

 楓流が彼らの力を利用するだけだとしたら、彼らはいずれ必ず最大の敵となって楓流自身、或いは楓流

が残したモノ全てに牙を剥くだろう。彼らの夢と一つにある事。それだけは決して踏み外してはならぬ道

である。

 では賦族が見る夢とは何か。

 それは賦族の開放以外に無い。

 だがほとんどの賦族が望みを捨て、諦めて受け容れてしまっている今、そうさせる事は難しい。同じ目

的を持って生まれた趙深の諜報網が、楓流が知る限りの間、さほど育っていない事を考えても、それが解

る。一人を変えるのも困難であるのに、賦族全体をそうさせるのは不可能に近い。

 もし道があるとすれば、現実にその可能性を見せる事だろうか。大陸全土がいずれそうなる事も決して

不可能ではないのだと、賦族に希望を持たせる。そしてその希望を育てていく事が、賦族と共に夢を見る

第一歩になる。

 混血による諜報機関同様、これも遠大な計画になりそうだが。もし成功させる事が出来たなら、諜報機

関以上のものを得る事が出来るだろう。賦族全体の力、それがあれば大陸制覇も不可能ではないかもしれ

ない。あの圧倒的な力を万単位で集められたとしたら、一体この大陸のどの国の軍が、それに対抗出来る

というのか。

 困難で、現状を打破する力とはならないかもしれないが、これもまたやるだけの価値はある。いや、楓

が窪丸一国に甘んじない為には、彼らの力が不可欠だとすら感じられる。賦族兵を実際に率いた楓流だか

らこそそう実感出来る。

 しかしそれを行うには・・・・・。

 ここで楓流は大きな決断を迫られる事となった。

 賦族を味方に付けるには今以上に賦族を認め、優遇する必要がある。だが彼らを公的に認め、受け容れ

るとすれば、賦族を差別している大陸人ほぼ全員から大きな反発を受ける事になるだろう。窪丸や集縁の

民はまだ理解を示してくれるかもしれないが、他国からは痛烈な批判を浴びせられる事も考えられる。そ

うなれば他国との関係は悪化し。あまりにも楓が賦族に傾いたなら、彼らはきっとそれを阻止しようとす

るだろう。大陸人の総意として。

 それを覚悟した上で尚やるのか。それとも時期尚早として、先延ばしにするか。或いはここできっぱり

諦めるか。

 他に方法を思いつかないとはいえ、賦族は余りにも大きな危険を孕(はら)んでいる。

 楓流は悩んだが、実はその答えを悩んでいた訳ではない。答えは初めから決まっていた。彼は人の世に

下りてきて以来そうだった。変えるつもりも、変わる必要も感じていない。彼は初めから賦族を蔑視(べ

っし)しておらず、常に賦族に対して疑問を抱いていた。

 自分の事にかまけてそれを口にする事も、さして行動に出す事もなかったが。賦族を変える事に楓とし

ての利もあると知った今、何故その気持ちを抑える必要があるだろう。賦族を大陸人同様に用い、その差

を埋める事に反対する意志は初めから無かったのだ。

 これは大陸の歴史から見ても非常に大きな事である。

 もう記憶に残らない遥か昔から当然のように行ってきた賦族への差別。それを例え以前から直接的には

行っていなかったとはいえ、今一国として公的にそれを否定しようというのだ。

 確かに今までも賦族に対して同情なり、理解なりを示そうとした大陸人が居なかった訳ではない。しか

しそれはあくまでも私人としての態度であり、公人としてそれを認めようとしたのは、おそらく楓流が初

めてだったのではないか。

 しかしそういう先進的な考えを抱く楓流でさえ、悩まずには居られない事がある。

 そう、大陸人の反発である。それを乗り切る事が出来るのだろうか。

 大陸人の考えの変化に伴い、自然と賦族への心も変化してきた。今もまた変化し続けている。その変化

は必ずしも賦族を害するものばかりではない。だが大陸人には拭いきれぬ賦族への差別心がある。それは

楓の民や将兵も変わらない。楓流への信頼からある程度認めてはいるが、あくまでも大陸人が主、賦族が

従である範囲の中で受け容れていた。

 だから大陸人と賦族を同格にされてしまう事には、賦族への偏見が薄い者の中にさえ抵抗があるだろう。

今はまだ良いとしても、今後賦族の数が増え、そしてその地位が上がってくれば、そこに諍(いさか)い

が起こる事は避けられまい。それ程にその心は根強く、長い長い時間を経て引き剥がせなくなっている。

 敢えて言うなれば、賦族への差別から大陸人の歴史が始まっている以上、それを取り去る事は、大陸人

としての根幹(こんかん)を奪うに等しい。抵抗があって当然なのだ。

 だから悩む。例えそれを行う事の利があっても、それ以上の不利があるならば、それは利ではない。

 しかし楓流はそれらを飲み込んだ上で、賦族全てを動かす為に楓という国を用いようと結論を出した。

楓が楓であり続ける為に、そしていずれ再び来るだろう大きな戦乱を乗り切る為に、それが必要だと信じ

たのである。

 それが本当に必要であったのか、結局は楓流もまた目前にあるものに縋っただけではないのか、という

疑問は浮かぶが。楓流にある差別という事に対する反発と疑問、そして昔の体験からくる滅ぼさされる事

への異常とも思えるまでの恐怖心、を考えれば、そうなるのが或いは必然であったのだろう。

 一度決すれば迷わない。そして楓流は広く大陸に呼びかけ、大陸全土から賦族を募る事を考えた。

 ところが流石にそれは不味いと奉采や明慎、そして胡虎までもが楓流を止め。貴方が行うとすれば我々

はそれに逆らいはしないが、今その全てを行う事はあまりにも時期尚早である。まずはその為の準備をし

なければならない。でなければ楓という国の方が先に潰されてしまう。というような事を述べて反対し。

楓流も無理押しする事は出来ず、その政策は段階的なものへと変更を余儀無くされている。

 何しろ外だけではなく内にも凱聯という不穏がある。気位の高い彼の事、賦族が自分と同格になるなど、

例え楓流の言葉でも服すかどうか。表面上は従っても、事ある毎に何かしらの反意を示してくるだろう事

はまず間違いのない事だと思われた。

 凱聯というはっきりした不穏を言われれば、楓流もその意気を挫かれる。

 こうして始めに考えていたような事をすぐにやる訳にはいかなくなったが。楓流は段階的な措置の第一

歩として、賦族兵の中から内政や技術に長けた者を選び、それぞれに相応しい仕事を与え、それに応じた

地位を与えている。

 賦族に地位と責任を与えたのである。

 賦族兵達は楓流が自分達を差別してはいないと感じてはいても、賦族は基本的に兵として用いられると

考えていたからこの事に驚いている。

 今までも部隊長としての地位を与えられ、時に一拠点を任される事もあったが。それはあくまでも楓流

の代理として一時的なものでしかなく。賦族兵が賦族兵部隊として基本的に大陸人部隊とは別れていた事

からも解るように、その地位も結局は賦族兵内のものでしかなく。兵や民も一応は認めているが、そこに

差別意識が無かったとは言えない。

 しかしこうして明らかな地位を与えたという事は、大陸人、賦族の区別無く楓流が認めたという証では

ないか、と皆考えた。責任を与え、国という重要な仕事の一部を任せる事以上に、その者を信頼している

という証になる事はないだろう。

 ようやく賦族を賦族としてだけではなく、人として認めてくれようとしている。そんな風に賦族達は思

ったかもしれない。

 彼らも自分達への差別がそう簡単に消える訳がなく。楓流や趙深がそれを目指すとしても、それはまだ

先、楓が大陸の覇権を握れるくらいに強大になってからだと考えていたので。それが例え極々一部だとし

ても実現した事に対し、希望を大きくした。

 その結果として賦族兵達の意気が上がり、窪丸に集まる賦族や混血の数も増えている。

 この事はいずれ他国にも知られる事になるだろうが、楓流も何も考えていなかった訳ではない。

 確かに他国は良い気分ではなかろうが。あくまでもそれを内々で行っている間、そしてその力が脅威に

ならない限り、楓の態度如何で見て見ぬ振りを続けてくれるだろう、という見通しがあった。

 それは賦族兵を率いて戦っていても、功があり、大陸人に利をもたらしている間はどの国も民も兵も賦

族が共に戦っている事を黙認していた事から出した結論であり。希望的観測というあやふやなものではな

く、実体験からくるはっきりしたものであった。

 そして黙認されている間に国として力を付け、賦族という力を上手く活用する方法を生み出し、賦族の

開放を目指す。

 危険な方法であったが、楓流はその道を選んだ。

 まずは見せる事だ。孫との争いの時と同様、賦族の力が必要であると認めさせる事が出来れば、大陸人

に賦族を受け容れさせる事も不可能ではない。差別意識を失くす事は無理でも、必要だと思わせる事は出

来る。

 それには楓流が今まで北方と東方でやってきた事が大きく役立ってくれる筈であった。

 楓流は決して無計画にそれを選んだのではない。それなりの勝算はあった。

 あくまでも、それなり、ではあったが。



 幸い、賦族への優遇政策は大規模な反意をもたらすには到らなかった。それは孫との戦において賦族兵

が示した功績が大きかったからである。その功に照らし合わせれば、むしろその程度では不遇とすら言え。

賦族という被差別民であっても認めなければならない程に、それは大きかったのだ。

 そしてその事が大陸人にある賦族への畏怖(いふ)の念を呼び覚まし始めていた事にも、触れておかな

ければならない。それはこれ以後も変わりなく。賦族という存在が認められれば認められる程、その力の

大きさに大陸人達はその念を強くしていった。

 その事がまた後日大きな災厄を招くきっかけになったと言えるのだが、今の時点ではそこまで深刻なも

のではない。賦族もやるではないか、同じ賦族でも彼らは少し違う、そういう程度の、見直した、とでも

言うべき程度の範囲であった為、その念は楓流にとって良い効果をもたらしている。

 そして意外にもその効果が一番多く出たのが、あの魏繞(ギジョウ)であった。

 奉采や明慎、胡虎といった古参の者までが眉をしかめ、不安を隠せなかったこの一件も。彼は合理的か

つ意味ある事だと認め、自分の部下にも賦族兵が欲しい、部隊を任せたいと積極的に楓流へと働きかけて

いる。

 それが孫の実力主義に染まっていた為か、楓流に取り入ろうとしたのか、それとも賦族と繋がる事で他

の楓将には無い強みを築きたかったのか、は解らないが。この時期、楓の中で賦族優遇政策に一番協力的

であったのがこの魏繞である。

 楓流もまたそれをありがたく思い、今は素直にそれを受け入れ、賦族に関する事で度々話すようになっ

ている。それは相談といったような重いものではないが、楓流が話しかける回数が増えるという事自体が、

魏繞への信頼が高まっているように周りからは見え、結果としてその威が向上している。

 こういう時に真っ先に敵意を向けるのが凱聯であるが、今回はいつもの彼とは思えない程無関心であっ

たようだ。それ程に彼の賦族に対する蔑視は強かったのであろう。その理由は定かではないが、誰よりも

強い差別心を持っていた一人であった事は、まず確かであろう。

 この時の凱聯は気にするのも汚らわしい、とでも言うように、賦族を完全に無視していた。

 この事もまた後に大きな災厄を招くのだが、こちらも今の所ははっきりした形を見せる事無く、凱聯の

中で燻(くすぶ)っている。

 他国の反応も予測した範囲内で、大きな動きはなかった。その多くは、勝手にすればいい、楓などに構

っている暇は無い、お前の国には賦族程度がお似合いだ、と黙殺する格好であり、とても好意的とは言え

なかったが。反意を行動に移さないだけでも楓にとってはありがたい事である。

 そんな中、意外にも張耳が賛意を示してくれている。

 その意が彼の心全てとは思えず、本当は賦族をどう思っているのかは解らないが。大陸人と賦族は長く

争ってきたものの、もう数え切れぬ年月を共に過ごし、その間には(それが望む望まれないとに関わらず)

血を交わす事も無数にあった。今となっては大陸人、賦族という区別自体意味が無いとも言えるし。その

存在を認め、協力し合う方が良いのではないか、という風には以前から考えていたとの事だ。

 おそらく孫との戦で賦族兵が大きな戦果を挙げた事でその考えが確信へと変わり。秦ではまだ無理だが

他国が行うのであれば止めはしない。それが失敗したとしても成功したとしても、秦に大きな損害が出る

訳ではない。良い実験になるだろう。という所が本音だろうか。

 とはいえ、確かに張耳に賦族への蔑視が無かったとは言わないが、それを積極的に行うような考えは元

々無く、どちらかと言えば親賦族派の考えであった。その心に賦族への憐憫(れんびん)の情が無かった

とは言えない。

 それは小さな応援だったが、肯定的に受け容れてくれる事はありがたかった。それが良心ではなく利に

則したものだったとしても、こういう小さな感情には可能性が見える。

 しかしその事がまた、賦族開放への困難さを実感させる。張耳でさえこの程度だと考えると、確かに胡

虎らが楓流を止めたのにも頷(うなず)ける。賦族への差別という点で、楓流には鈍過ぎる所がある。だ

からこそ賦族開放を望めるのかもしれないが、大陸人の差別心を理解出来ないという事は、今後において

も良くない結果を招く事になるだろう。

 楓流は大陸人と賦族の歴史を。もっと正確かつ多く知る必要があった。

 だがそれをどう調べろと言うのか。どうやら大陸人で賦族に(道具としてではなく、同じ人間として)

興味を持った者は、今日までの歴史を通して見ても、非常に稀であるらしい。賦族の歴史も文化も全ての

情報は無価値なものとして捨てられてきたのだ。それを今更何処から得ればいいのだろう。

 もしかしたら泰山の長老なら何か知っていたかもしれないが、死者は何も答えてくれない。

 他に可能性があるとすれば賦族との関係が深い趙深だろうか。そういえば趙深とは賦族に関しての事を

あまり深く話していなかった気がする。賦族の力を利用するのみで、差別に疑問を抱いていたとしても、

楓流もまた賦族への関心が濃くはなかった。

 賦族を変えるには、まず自分の意識から変えなければならない。その心を胸に刻み。楓流は趙深と直接

話しをすべく、衛へと向かった。窪丸を離れるのは好ましくないが、今はそれがどうしても必要だと思え

たのである。




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