13-6.縁


 教えられた者の名は、呂示醒(リョジセイ)。衛陽における賦族のまとめ役というのか、代表というの

か、詳しくは会ってから話を聞かないと解らないが。賦族達から頼られている者の一人であるらしい。

 しかしこの名を聞くと、これが本当に賦族なのか、という疑問が浮かんでくる。

 それは名前の作りからくる疑問で、この呂示醒という名からは後世の賦族名から受ける印象をまるで感

じない。

 後世における賦族の名は、まず一字目を氏族を表す色、二字目に自然に関係する文字、そして三文字目

が個人を表す文字で出来ている。つまり氏族、姓、名という共通する法則があるのだ。

 呂示醒という名にはそれが無い。三文字というのは共通しているが、そこに法則性は見えず。単純に大

陸人名に一字付け足しただけ、というような印象を受ける。大陸人は物事の名が二字以上である事を不吉

としている事から、元は二字であったものを貶(おとし)める為にわざわざ一文字付け足したように見え

るのだ。

 これは何故か。

 賦族の名の起源や由来などについては、詳しい記録が残っていない為に解っていない。しかしはっきり

している事が一つある。それは後世使われている賦族名の法則は、実は楓流と趙深が作ったものだという

事である。

 昔からそうであったように長らく思われていたのだが。それは彼らの教化が成功した為で、元々はそう

いう特別な名の付け方はしておらず。単に貶められた名という意味の三文字名であったらしい。

 それに新たな法則を設ける事で意味を付け、賦族の名に誇りを持たせようとしたのが楓流と趙深であっ

た。これも賦族解放政策の一つなのだろう。

 だがそれをするならわざわざ法則を設けてまで三文字とせずとも、素直に二字に戻せば良いではないか、

という疑問が浮かぶ。

 これに関しての件(くだり)は後にまた詳しく書く事になると思うが。おそらく三文字を残したのは、

大陸人との同化を目指すのではなく、あくまでも賦族は賦族として残すという意思表示ではなかったかと

思われる。賦族は賦族である事を、特徴である三文字名を逆に利用して、広く示そうとしたのだ。

 そしてそれは賦族への差別という古来から続く大陸人の歴史そのものを変える為の、変化の第一歩でも

あった。

 呂示醒にはすでに話が通っていたらしく、趙深が付けてくれた案内(彼もまた賦族であった)に連れて

行かれるままに歩くと、すんなりと会う事が出来た。趙深は公務の合間にも賦族達と接触し、少しずつ関

係を築いていたのだろう。

 衛は趙起が統治した頃から賦族への締め付けが緩み、奴隷という立場は崩さなかったものの随分その暮

らしは楽になり、賦族達は大抵趙起に感謝していた。それならば姓を同じくし、関係も深いという趙深に

対し、赴任する以前から好意を持っていたとしてもおかしくはない。賦族達と親睦(しんぼく)を深める

のにもさほどの労は要らなかっただろう。

 趙深もまた衛で一人、着々と準備を進めていた訳だ。抜け目ないというべきか、あらゆる可能性を味方

に付ける努力を惜しまぬというべきか、全く彼らしい姿勢だと言える。

 楓流は趙深に比べてまだまだ可能性を無駄にしている事が多い。反省すべき事だ。

 呂示醒はよほど年配であるだろうと勝手に想像していたのだが、会ってみるとまだ壮年といった年齢で、

むしろ若々しくさえ見えた。賦族らしい体格とその体格に恥じぬ力を持ち、口調にも重みがあり、確かに

頼れる人物であると人に思わせる何かがある。

 その上彼は楓流に対して協力的であった。

 しかし詳しく聞いてみると。彼は確かに他の賦族からある程度の敬意を受け、その言葉は軽くなく、少

しは人を動かす力がある。だがその力に強制力はなく。あくまでも相手の善意によって動いてくれるので

あって、何かを命じられるような力は無い。もしやるとしても自分だけでは難しいだろう、との事だった。

 反対ではないが、呂示醒自身それが出来るとは思っていない。だから何処かその態度に踏ん切りが付か

ないようなぼんやりした所があり、その言葉の中にも歯切れの悪いものが多く混じるのだろう。

 出来れば確かに良いかもしれないが、まあ十中八九不可能だろう。そういうような感情が見え隠れして

いる。

 おそらくそれは賦族全体に蔓延(まんえん)している絶望と諦めから来るもので、彼だけの考えではあ

るまい。とすれば賦族は非常に協力的であってもこの程度であるという事か。

 なるほど趙深にして思い通りの効果を挙げられなかった訳だ。彼らからは強力な意志というものが感じ

られず、自ら何かを成そうという気持ちも無い。これを一から準備するとなれば、途方もない時間が要る。

 これが長年の差別の成果だとすれば、大陸人は、いや始祖八家は何と恐ろしい事を成し遂げたのか。全

ての希望を断たれた人間というのはこれ程に怠惰(たいだ)なものかと、楓流はその絶望を思うとそれだ

けで全てが重苦しくなるのを感じていた。

 彼らを動かす事など本当に出来るのだろうか。趙深は楓流なら出来ると言っていたが、果たして本当に

そうなのか。意志という行動の源を塞(ふさ)がれ、諦めという濁りが全てを汚染し、今では停滞という

泥の中に賦族全体が頭まで沈んでしまっている。これを清流に戻すのは並大抵の事ではない。例えもう一

度流れを取り戻せたとしても、濁りが消えるまでには長い長い時間を要するだろう。

 不可能とは言わないが、果たして間に合うのか。楓流が死ぬまでにそれだけの事が出来るのか。

 焦って理想論を説いたとて、これでは賦族の心に訴える事はできぬと思い。楓流は挨拶を述べる程度に

留め、その日は大人しく辞した。時間がある訳ではないが、焦っては仕損じるだけ。趙深を同志とするま

でがそうであったように、時間をかけて築いていくしかない。

 ただし収穫もあった。それは呂示醒と同じ立場にある賦族を紹介してもらえた事で、一人一人会えるよ

う話を通してくれる事になっている。それは今の楓流にとってとてもありがたい事であった。それだけ

でも彼に会ったかいがあったというものだ。

 協力者が呂示醒一人では万策尽きたように思えたが、他にも何人か居るのであれば、中にはより能動的

な者が居てもおかしくはない。趙深に率先して協力する賦族が居たように、未だ諦めという濁りに犯され

ていない者が居ても、決しておかしくはないのだ。

 それは希望的観測ではあったが、必ずしも非現実的な事ではなかった。



 その日から楓流は足繁くまとめ役の許へ通い、話を聞いた。そして遠方に居る親戚や知人など、知り得

る限りの賦族を教わり、その方々を紹介してもらえるよう頼んでいる。

 とにかくまずは誰か一人を動かす事だ。正直言えばそれは誰でもいい。とにかく一人動かす事が出来れ

ば、そこに新たな流れを生む事が出来る。そしてはっきりした流れが生まれれば、それは周りに少なくな

い影響を与える。まずは第一歩を示し、その姿を賦族へ見せる事が重要だった。

 幸い、楓流はその為に必要と思われる一人の知己を得る事が出来た。その名、氏備世(シビセイ)。栄

陽に住まう賦族のまとめ役の一人で、賦族にしては珍しく自発的に行動しており、骨のある豪胆な男(面

倒な厄介者)として大陸人の間にさえ名を知られている。何でもしばしば主人と争う程だとか。その度に

きつい処罰を受けているが全く意に介しておらず、今でもその性根は変わっていない。むしろ年々強くな

っているという。

 こう聞くとただの乱暴者のように思えるが、知識欲も旺盛(おうせい)で、主人の書斎からこっそり本

を借りては読み耽(ふけ)ったり、少しでも学のある人物の話を聞けばその話を聞きに言ったり、主人に

客が来た時なども、軒下(のきした)に潜んでは貪るようにその会話を聞くという話だ。

 智と勇をその身に抱き、何事にも屈せぬ強い意志を持つ。まるで伝承にだけ残る古の賦族が、時を間違

えて生まれてきたかのようだ。

 楓流は彼の噂(うわさ)を聞いた瞬間、この男だ!、と思い。趙深に簡単な挨拶した後、早速氏備世が

居る栄陽へと向かっている。そして何度も会って慎重に人物を確かめ、その思いを確信へと変えたのであ

った。

 その容貌は特徴的で、常に主人達大陸人と衝突してきたおかげで外見は傷だらけであり、もう人なのか

傷の塊なのか解らない。目も鋭く、射抜くどころか押し潰しそうな殺気を湛(たた)えている。猛獣が人

の姿を借りて出てくれば、丁度こんな感じなのだろう。

 確かに人外の存在と思え、良い意味でも悪い意味でも正真正銘の賦族であった。

 氏備世は楓流が親賦族的だと言っても、立場の高い人物の気まぐれに過ぎぬと考えており、初めから楓

流に敵意を示していた。

 しかし楓流はその態度に臆せず怒りもせず、一人の人間と人間として素直に話をし、会う度に氏備世か

ら警戒心を奪い去る事に成功し、今では笑顔を見せ合うまでになっている。

 こうなって見ると氏備世は実に気持ちの良い男で、何一つ愚痴らしい事を言わず、同情を得るが為の下

らない話もせず。自分がとってきた無用な警戒心を素直にわび。生活は楽ではないだろうに、どこから持

ってくるのか、楓流が来るとなると新鮮な魚やら果物やら、常に精一杯の、いやそれ以上の誠意を見せて

くれた。

 それが出来る事からも氏備世がただの賦族ではない事が解る。どういう手を使っているのかは知らない

が、相当顔が広いのだろう。

 楓流はそれらを確認できた段階で最早迷う必要無しと悟り、何一つ隠さず自らの計画を明かし、協力を

求めた。

 氏備世は初めは流石にそれは難しいと難色を示していたが、楓流が本気だという事を悟るや態度を変え、

最後には友人ではなく主従としてお仕えしたいと言い出し、強引に押し切ってしまわれた。その姿は行動

的を超えて能動的であり、意志の強さには目を見張るものがある。

 困った男ではあるが、味方にすればこれほど心強い男はいまい。

 楓流は氏備世の身柄を引き取り(奴隷から開放しようとも言ったのだが、それでは賦族の結び付きが弱

くなるとして、氏備世の方が断っている。同じ階級である事が、仲間意識を育み保つ上で重要なのである)、

得難い家臣を一人得たのであった。

 その名、氏備世。後に賦族を統べる紫雲の名を冠する事になる男である。



 氏備世を知る事で、楓流が持つ賦族の印象がまた変わる事になった。確かに彼のような極端な者はそう

はいないだろうが、皆現在を不満に思っているのは同じであり、その気持ちは楓流が考えていたよりも遥

かに大きい。

 氏備世に感化され同志となっている者も少なくなく、衛内では賦族への締め付けが緩い事もあって、行

動に出ようとする者、いやすでに行動している者も少なくないとか。賦族が表に出る事はないので、その

存在は知られていないが、皆地道に繋がりを広げており、まだ何事を起こすような力は無いとしても、将

来的に全賦族をまとめて立ち上がろうというような計画まであるようだ。

 よくよく話を聞けば、そこまで極端というか大きな願いを持つ者は、賦族内でもまだこの氏備世一人で

あるようだが。賦族全体にそういう機運が高まっている事は満更間違ではないという。

 ここでも先の孫との一連の戦の中での賦族兵の活躍が、彼らの気持ちを後押ししている。大陸全土に孫

にも劣らぬ力を持つと見せつけた事は、やはり小さくない効果を及ぼしているようだ。

 しかしそうは言っても冷静に楓流が外から見る限り、氏備世の思いは楽観的というか色眼鏡で見ている

というのか、少々甘く見過ぎている。生来持つ願いがようやく形になろうという時に、そう思いたいのは

当然だとしても、少し自重してもらわなければならない。

 今無闇に賦族が猛り、大陸人を不安にする事は、賦族にとっても良い結果をもたらさない。その熱意を

向ける先を、楓流が上手く用意してやる必要があるだろう。

 そこで賦族全体をまとめるという事よりも、まずは諜報部隊を作る事を最優先とし、その為の組織作り

を氏備世に任せる事にした。初めての主命、その上行動する事がとにかく好きな男であったから、その命

を氏備世は張り切って受けた。

 それに賦族も混血の扱いには困っていた所があったので、良い解決法が見付かったと喜んでもいる。や

はり賦族内においても、混血の立場は難しいらしい。

 良い機会だと思い、楓流が詳しい話を聞くと、何でもその大部分は生まれてすぐ捨てられる定めにある

ようだ。もし運良く捨てられずに済んでも、彼らの待遇は賦族より更に下であり、家畜の境遇すら羨む虫

けらのような扱いを受ける。

 捨てられる子にも稀に代わりに育てようという者が出るらしいが。自分の生活さえ苦しい所へ混血まで

養うのは無理があり、成人するまで生きれないのがほとんどである。

 中には裕福な大陸人に拾われる子もいるが。その際も奴隷以下の扱いである事は変わらず、ある程度育

つと売られる事が多い。そういう人間のほとんどは親切心で拾うのではなく、自らの欲の為に捨て子を利

用するのであって、もう混血として生まれた時点で、その幸福の全てが姿を隠すと言ってしまっても過言

ではないそうだ。

 中には無事成人し、その後も人として扱われている者も居るが。そういう幸運児は万に一人居るか居な

いか。

 氏備世も出来るなら手を差し伸べたいとは思っているが、如何に締め付けが緩いとはいえ奴隷は奴隷で

ある。身分と待遇がそうである限り、どうしようもない事も多い。

 それだけに混血に生きる道が生まれた事はありがたく。これからは楓の援助によって(勿論間者として

一生を生きなければならないが)助かる者が増え、その事に彼らは感謝するだろうとも言っていた。

 この感謝するだろう対象に賦族が加えられていない事がまた賦族と混血との間柄を表し、それ以前の会

話からも微妙な関係である事が察せられ、氏備世もまた必ずしも混血に好意的ばかりではない事が知れた

が、それを問う事はしていない。一賦族でしかない彼にそれを言うのは、あまりにも酷であるからだ。

 心中どう思っていようとも、余力が無ければ他人を助ける事は難しい。理想論から言えば、自らの命を

擲(なげう)ってでも助けるべきであるとしても、なかなかそうはいかない事は誰もが知る所。そういう

言い訳めいた同情が更に善を妨げるのだが。賦族にそれを言うのは、やはり惨(むご)い。

 少なくとも、賦族を差別している大陸人に、それを言う資格は無い。

 ともあれ、氏備世は楓流の考えに賛同している。もしかしたら今までこのように誰かから目的を与えら

れるのを待っていたのかもしれない。賦族である彼に出来る事は少なく、見える場所は狭く、如何に不屈

の闘志を抱いていようとも、大陸人から見れば人ですらない彼は無力である。彼に出来る事は他の賦族よ

り目立つ事で、他の賦族の分まで殴られ、蹴られる事だけだ。生意気な賦族をきつく処罰する事で主人の

溜飲(りゅういん)を下げさせ、他の賦族へ及ぶ被害を減らす。氏備世もその程度の存在に過ぎない。だ

からこそ彼は今まで生かされていたのだ。でなければ当に殺されていただろう。

 大陸人にとってはいつでも始末できる存在。だからこそ脅威とならず、生きてこられたのだ。

 悲しいがそう言い切れる。氏備世に出来る事はせいぜい主に一言二言文句を言う程度だ。そして甘んじ

て罰を受け、その上でまた逆らい。自分は決して屈しない、まだ屈していない、それだけの気持ちを慰め

とするしかない。そして傷だらけになりながら、その命が失われるまで、大陸人の掌の上で弄(もてあそ)

ばれながら、たった独り無意味に燃え盛っているより他に無い。

 だから今楓という力を得、その道が彼の目指す所に近いという事は、それだけで彼を歓喜させるに充分

である。

 そして氏備世が炎である事は、楓流にとっても悪い事ではない。目的を与えられれば、それを成し遂

げるまで決して止まらず、命すら惜しまない。そういう男は乱世では非常に役立つ。

 氏備世という男はとにかく動かし続けておけばいい。彼を止めようとすれば爆発するが、動かし続けて

いられる間は、命尽きるまで、いや尽きてからも大いに役立ってくれる。その行為は賦族の中でいずれ神

聖視されるようになり。そうする事が、つまり楓に命を捧げる事が美徳とまで言われるようになるだろう。

 間違えば暴発しかなねない、凱聯にも似た厄介な部分を持ってはいるが。氏備世は凱聯と違い人の話を

聞く。知恵もある。彼は誰よりも楓と賦族の為に働き、死に物狂いでそれを成し。賦族全てから敬われる

偶像となるだろう。賦族開放の父とさえ呼ばれる日が来るかもしれぬ。

 そしてそういう存在こそ楓流の求めていた賦族である。そう、楓流は氏備世を賦族の結束の核にさせよ

うとしたのだ。

 初めは呂示醒をその位置に付けるつもりであったが、彼には熱さが足りない。人を突き動かし、自ら先

導する為には、誰よりも強く激しい炎である必要がある。それは氏備世こそ相応しい。

 しかし燃えるだけではすぐに尽きてしまう。そうせぬよう側に居て上手く誘導する存在が不可欠であっ

た。その役目は呂示醒こそ相応しい。氏備世を炎だとすれば呂示醒は鉄のようなものである。打たれても

打たれても耐え、そしてより強くなる。だが鉄だけに自らは動かず、何者かの力を必要とする。

 そこに氏備世が熱を加わえ、楓流が槌(つち)で打つ。

 出来上がった刃は乱世を切り裂く光となろう。

 しかしいつまでも楓流が側に居てそれを見守る訳にはいかない。そこで彼らと楓を繋ぐ役割を楊岱へと

任せた。彼が伝令を出し、時に自ら伝令となって途切れなく情報を交換し、密接な関係を築き続ける。ま

だまだ少年の域を出ていないが、使いの役目であれば充分に果たしてくれるだろう。そしてその役目を果

たす中で大いに学ぶものがあるだろう。

 それに楊岱なら土地との繋がりが強く、様々な面で便が良い。彼と賦族の仲が親しいものになれば、宜

焚(ギフン)ら水運に関わる者と賦族との間にも親しみが浮かぶかもしれない。賦族開放には賦族に理解

を示してくれる大陸人を増やす事も必要である。その為にもこの人選は有用だと考えた。

 若い故に侮られはしまいかと気になったが、賦族には元々そういう感情が薄いらしく、一人前の男とし

て扱ってくれている。仲間同士区別なく助け合い、友好を築いていかなければ互いにやっていけなかった、

という事もあるのだろう。勿論逆に誰かを苛(いじ)める事で憂さ晴らししよう、という手段を取る賦族

も少なくはなかったようだが、幸いにも氏備世達は違ったようだ。

 楊岱の方も初めはぎこちなかったようだが、賦族を知るにつれて理解を示し始め、偏見が無いとは言わ

ないが、それも随分和らいでいる。

 一通りやるべき事を成すと、楓流は窪丸へと踵(きびす)を返した。

 賦族を繋ぐ事も重要だが、集縁や秦の状況の方が今の所は重要である。なるべく窪丸に居て、素早く動

けるようにしておかなければならない。

 慌しい旅になったが収穫は大きく、楓流の顔にさしたる疲れの色は見えなかった。



 即効性のある解決法を生み出せないまま衛への旅を終えたのだが。窪丸に戻ると商央、范緒からの使者

が来ていて、使者と彼の持ってきた書状から新たな情報を得る事が出来ている。

 秦では魯允一党が跋扈(ばっこ)している事に変わりなく、日々その傲慢(ごうまん)さを増してい

るように思えるが、二功臣が目を光らせている為、大きな動きは無い。しかし確実にその勢力を増してお

り、発言力も強くなっている。情けなくて張耳には言えぬが、このままでは我ら二者だけでは抑えられな

くなるかもしれない、という弱気な言葉もその書状には含まれていた。

 張耳には言えなかったが、彼らも以前からそういう不安を抱えていたに違いない。確かに魯允には大し

た才は無く、一国を牛耳るの事はとても無理である。しかしだからこそその程度の人物が権勢を握る事に

不安を覚える。

 いっそ魯允に二功臣を出し抜き、国を乗っ取れるくらいの才があった方が良かったのかもしれない。

 魯允のやり方を考えれば王は王として残すであろうし、彼が有能であれば国も栄える。正直言って三功

臣は老いた。いつまでも国を引っ張っていけるものではなく、三功臣に任せておけばいいというような多

くの秦臣に対しても、大きな不安を覚えている。

 元々そういう不安要素があったから、魯允などという者が台頭出来たのだろうし。付け込む隙は国中に

あるのだろう。

 秦という国はある意味で完成していたが、そうであるからこそ限界を迎えていた。我々はそれに気付く

のが遅すぎたのだ。書状の末尾は両者共そう結ばれてあった。

 この気持ちは実は張耳にも共通している。それには老臣の嘆きと言い捨ててしまうには済まされぬもの

がある。今回は魯允をきっかけにして始まったのだが、そうなる理由が秦にはあった。これは魯允には関

係なく、いずれ起こるべき問題であったのだ。

 そしてそんな秦を後目に、他の西方三国が勢威を強めている。

 まず呉と韓が婚姻を結び、その繋がりをより強固なものに変え、中央へ干渉し始めている。それに危機

感を抱いた周はすでに従属させていた魏へ強く働きかけ、半ば強引に属国化、いやもっと強く支配してし

まった。魏は国とは名ばかりの周の一地方領主になってしまっている。魏の力は小さくなかったのだが、

周の力はそれ以上に大きくなっていたのだろう。

 そして周は越とも繋がる様子を見せ、その意を遂げるべく活動し始めた。越も周と繋がる事は悪い話で

はなく、乗り気であるらしい。

 そうなると双には周が北方へ圧力をかけているように思え、心中穏やかではなくなる。今の所大きく動

く様子は見えないが、例えばこの不安な状況の中、秦から婚姻を結ぶという話が出ればどうだろう。婚姻

は無理だとしても、この機会に秦と同盟を結ぼう、それこそが双を安堵させる道である、と双重臣達が考

えてもおかしくはない。そしてそうなれば秦と楓、そして双と楓との関係にも水が差される事になり。そ

れが楓を重視している二功臣へも影響して、双と結ぶ事を進言していた魯允の権勢が強まる事になるかも

しれない。

 双、越、西方の関係が変われば、それは楓にも大きく影響を与える。それによって各国間の緊張が高ま

っていく事は避けられない。

 西方から生まれた緊張が、北方、中央へと伝播(でんぱ)しつつある。二功臣が不安に思うのも当然で

あろう。秦は内部に不安を抱える今、他国と争いたくない。特に西方の他三家とはそうだ。

 そしてそれは楓も同じ。双や越の動き次第では、楓が窪丸にて孤立させられてしまう状況もありうる。

まだ衛があるから影響力は消えないだろうが、好ましい事態にはならない。

 楓流としては秦にしっかりと西方の一角を押さえていてもらわなければならない。だから二功臣でも魯

允を抑えられぬというのであれば、援助せねばなるまい。最高の形で。




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