13-8.玄


 楓流は自分の技術を出し惜しみする事をせず、玄信に問われるままに全てを教えている。相応であると

判断すれば、対価は惜しまない。例え玄一族が民の力となる事をのみ望んでいたとしても、結果として彼

らが造った物が西方を利する事になるのだが。それを差し引いても、彼らの知己を得る事は非常に有益だ

と考えたのである。

 楓流は生来技術というものに非常な関心を示してきた。泰山の一族、そして彼らの用いる鉄器に逸早く

着目し、その有効性を信じた事にも彼のそういう一面が現れている。

 楓流が鉄器、水路と技術を求めてきたのは、国益というよりもより彼個人の好みであったと言える部分

があるのかもしれない。そんな楓流と玄信の仲が深まるのに時間は必要なかった。

 しかし友人とはいっても、彼らが交わす言葉は市井の噂ではなく、専ら技術の話である。この関係が生涯

変わらなかった事を思えば、世間でいう友情の定義で量るよりも、純粋にお互いの技術に対して興味と尊

敬を抱いていたと考えた方がより正確なのかもしれない。

 楓流は玄一族の治水技術に特に関心を示し、天然自然をそのまま受け容れる事から一歩進み、自らの暮

らしやすいように造りかえるという技に酷く興味を持ち。治水技術を主に学んでいる。他には橋や道に関

する技術にも関心を示していたようだ。この間の楓流は寝食すら忘れる程に、玄一族の技術習得に勤しん

でいる。

 玄信もそんな楓流に好意を持ち、一族の秘伝を伝える事まではしなかったようだが、様々な技術を教え。

時には自ら出向いて窪丸の技術者を指導してもいる。賦族に対する偏見も少ないようで、人種に関係なく

教えていたようだ。ここにも玄一族独自の姿勢が出ている。

 彼らにとっては民族、人種の違いなどどうでも良いのだろう。己が技術をどれだけ世の為に効果的に使

えるかが問題であり、その為であれば賦族だろうと何だろうと別する事はない。

 とはいえ玄信も楓流に対して一つだけは約束させている。それは決して教えた技術を私利私欲、特に戦

に用いない事であり、それだけは固持した、普段の彼からは珍しい程に執拗にそれを述べており、楓の技

術者達にもまるで刷り込むようにして何度も教え込んでいる。

 楓流の方もその事は初めからよく解っていたから、決して私利私欲の為には使わないと答え、その言葉

通り道や水路といった公共的な物にしかその技術を使わなかったと伝えられている。ただし、その技術か

ら得た新しい着想などは当然のように武具等にも用いられているし、玄の技術が形を変えて使われたらし

い物は少なくない。

 玄信はそこまで口を出せなかったのか、二人の友好関係が壊れる事は無かったようだが。その心中は複

雑だったのではないか。

 とはいえ現状の玄信との関係は良好以外のなにものでもなく。窪丸は彼らの技術を得た事で飛躍的に回

復、発展、繁栄していく。

 楓流が偉大というべきか、後々の事まで考慮していたのは、この技術を惜しみなく甘繁にも教え、時に

人を貸して集縁を支援させた事である。

 だが無論こんな事を勝手に行うのは大問題である。例え集縁一帯を任されているとはいえ、甘繁は一人

の将に過ぎない。個人的に楓流と交友するのは良いとして、治水工事のような大きな事は当然国家単位の

事業になる。一介の将に過ぎぬ者が行うとは越権行為も甚だしい。

 例え事前に秦に許可を取ったとしても、秦政府は良い顔をしないだろう。消費される資金も資材も膨大

な量に及び、楓流に上手く唆(そそのか)されおって、という感情が起こらないとは言えない。

 秦も楓の協力を得てそれを行えるとあれば、それを許可する事には吝かではない。結果としてそれは秦

を利する事にもなるだろう。しかし楓流と甘繁の関係が、少し行き過ぎているのではないか、という気持

ちを与えてしまったのではないか。

 甘繁、玄信共にあくまでも純粋に国益の事を考えて進めた事であり、現実に集縁もまた飛躍的に栄える

事になるのだが。秦からすれば、あまりにも楓の影響がこの飛び地である集縁に入り込んでいる事に対し、

幾らかの不快感、いや危機感を持つ事になった。そしてこの事がしこりとなって後々まで様々な関係に影

響を及ぼす事になる。秦に玄一族に対する不信というべきか、はっきりした不満が芽生え始めたのも、お

そらくこの頃からではないか。

 秦は以前より玄一族を尊重し、協力を得る為に様々な便宜を図ってきた。しかし望むような利益を得て

いるとは言えない。

 玄信が楓に遠慮なく技術を教えているように。例えどの国であっても、乞われれば、それが公的なもの、

公益をもたらす事、である限り協力を惜しまない。

 だが秦にしろ西方のどの国家にしろ、そのような考えを理解し難く。はっきり言えば邪魔な思想でしか

なかった。何の見返りも期待せず、ただ己が誇りのみに従い、益とする。それは確かに素晴らしい事だろ

うが。そのような事をされては支配者層にとって非常に困った事になる。

 民はこう思う筈だ。何故玄一族は見返りなしに行うというのに、国という公的な組織が、例え王という

所有者が居たとしても、いやだからこそ民を庇護する責任が生まれるだろうに、何故高い税金を貪りなが

ら民の為にそれを使おうとしないのか。何故玄一族のように公益を考えないのか。

 声高に叫ばれている訳ではないが、それはおそらく西方の民一般にある感情であろう。そしてこの感情

にこそ、玄一族を粗略に扱えないという理由がある。

 西方諸国は玄一族を尊重してはいるが、それは民と同じ所から発している気持ちではなく、決して彼ら

に対して好意ばかりを抱いている訳ではない。むしろ煙たがっていると言った方が正直な気持ちだろう。

西方が玄一族を形の上だけだとしても尊重しているのは、あくまでも民の反意を恐れるが故にである。

 玄一族を弾圧すれば、民の蜂起(ほうき)を誘う。だからこそ玄一族がどの国にも所属しない事に安堵

し、彼らの行う公共の利益という奴が西方全体に益をもたらす事に満足するしかなかった。それを独占す

る事も、国益を望む事も自重するしかなかったのである。

 それが楓に対してはどうだ。確かに楓は公共の利益も考えてそれらの技術を使っているのであろう。玄

一族としてはそこに異を挟む必要はなく。率先して協力して然りというものだ。しかしそれは西方の至宝

ともいえる技術を、西方以外の国家にもたらす事を意味する。

 楓から代価となる技術を得ているとしても、玄一族が鉄を武具に利用する事は考えられない。例え玄一

族の技術が向上し、その結果西方を利するとしても、軍事の面において楓に遅れを取る事は免れない。

 今までは玄一族の活動が西方内に限定されていたからこそ見逃していたのだ。それを例え今は友好関係

にあるとはいえ、いずれ西方と敵対するだろう国に、西方の誇る技術を与えるとは何事か。

 西方諸国に強い不満が生まれたとしても不思議は無い。

 特に楓は以前からその技術力には定評があり、今では広く評価され、鉄器の恐ろしさを知らぬ者はいな

くなっている。そこに玄一族の技術が加われば正に鬼に金棒。楓はいずれその技術を軍備に流用し、武威

を増すであろう。

 話はそれだけで終わらない。玄一族が西方以外の国家に西方と別なく教えたという事が知られれば、そ

れを求める国が後を絶つまい。玄一族がその全てに教える事はないとしても、幾らかの技術は大陸中に流

れていく。それはつまり、それだけ西方の優位が揺らぐという事である。

 今まで散々優遇してきた西方諸国に対してはさしたる技術を与えぬのに、たかだか一月二月過ごしただ

けの楓流などにその深奥まで教えるとは何事か。そこまで玄一族は我々を馬鹿にし、辱(はずかし)める

のか。そんな声が出るようになるのも当然であった。

 西方としては楓が玄一族の技術を得る事に何の利も無いのであるから、これは身勝手としても当然の憤

(いきどお)りである。玄一族もまた楓から様々な技術を得、鉄の技術によって堅牢な橋や道が出来ると

しても、それがどうだというのか。結局はそれも侵略者を利するだけではないのか。

 公共の利益という事は即ちそれを利用する者全ての利という事であろう。それは敵味方の別なく全てを

利するという事であり、西方諸国としては許し難い事である。

 それならばいっそ、そう考えたとしても不思議は無い。確かに民からの反意は恐ろしいが、このまま玄

一族を野放しにしてはおけない。そう思うのはむしろ自然ではないだろうか。

 楓流が玄一族と遇った事は天恵だったとしても、それが玄一族にとってもそうだとは限らない。むしろ

玄一族にとっては不幸でしかなかったとも考えられる。ここに人の関係の不思議さがある。



 楓流は西方へ発している間者から、度々西方諸国の玄一族に対する態度の変化を聞くようになった。中

には玄一族を西

方大同盟の組織下に置き、その技術が西方のみを利するように規制する案が、西方諸国内で真剣に討議さ

れているという噂までがある。

 勿論そういう噂に対しての民の怒りは小さくないようだが、不思議な事にそれが行動に到るまでには到

っていない。あくまでも反対するという姿勢だけで、以前孫が玄一族に弾圧を加えようとした時に起こっ

た反応とは明らかに違う。

 これはおそらく、民の中にも玄一族の技術が西方以外を利する事に対して腑(ふ)に落ちない気持ちが

ある、という事なのだろう。民もそれが西方だけを利している間は良いが、西方以外にまでその利が及ぶ

事には不満なのである。

 第一に敵国がそれを用いて強大化するという不安。第二に玄一族の技術は西方の特権であるという意識

を覆される事に対する不満と、それからくる玄一族への不信。

 自分の損得を捨て、公共の利益の為、つまり全ての民の利益の為に行動する。だからこそ玄一族は民の

支持を得、それによって広く西方内で活動する事が出来た。しかし西方の民にとっては、公共の利益もあ

くまでも西方の民だけの話であり、それ以外の地方は含まれていない。

 ここに玄一族の理想との決定的な違いがある。

 玄一族は民の感情を誤解していたと言うしかない。彼らが西方内に収まっている限り、民は彼らを支持

しただろう。しかしそうではなくなった今、民と玄一族の間にあった溝(みぞ)がはっきりと姿を現して

しまったのだ。

 この溝はまだ大きくはないが、誰が思う以上に深く。今後玄一族に対する西方全体の態度の変化に、大

きな影響を与えていく事になる。

 玄一族が己が理想に溺れ過ぎた、と言ってしまえば気の毒だが。決して理想だけでは埋められぬものが

この世にはあるという事だろう。



 西方の変化を余所(よそ)に、楓流と玄一族との結び付きは強まる一方である。両者共に互いを知れば

知るほどにその技術の有用性を実感し、互いの技術を結び付ける事で新たなる技術が無数に生まれるのだ

から、その仲が熱を帯びるのも当然というものであった。

 その技術が現実に何かを生み出すまでにはまだ時間がかかるとしても、頭の中でだけならば、今までに

なかったような物をいくらでも生み出している。そしてそれはただの妄想ではなく、充分に現実的なもの

であり、想像が今までの限界を超えて広がっていく事は、技術者にとって何よりも楽しい事であった。

 楓流はそれを軍事的に利用する事も考えていたのだが、当然それは伏せている。ただしこの頃からすで

に武具の改良などは行われていたようだ。玄信がそれを非難していない所をみると、それを巧妙に隠してい

たのか。

 玄信も楓の奥にまで踏み入れるような事は考えておらず、楓の技術者を相応に尊重していた。西方の間

者という意識もないので、楓の全てを暴く必要も無い。知られたくない事があるのは玄一族も同じであり、

その辺は互いに理解ている。隠そうと思えば、容易に隠せただろう。

 或いは、互いに約束を反故にしているという意識自体がなかったとも考えられる。

 そもそも技術者とは、求道的な職業である。新しい技術を生み出しても教えあい、切磋琢磨(せっさた

くま)して互いの技術を高めてきた。模倣もそれが新たなる技術に繋がるのであれば、罪ではない。真似

る者を謗(そし)るよりも、誰にも真似られぬ技術を会得する事の方へ精神と努力を注ぐ。自分が本物の

技術を持っていれば、他人がどうしようと関係ない。そんな意識があったのかもしれない。

 だから玄一族の技術を基にして新たな軍用技術を生み出されたとしても、そこに異を唱える事が出来な

かったのか。

 技術が尊重されていない訳ではなく、尊重されているからこそ黙認されるというべきか。これは難しい

問題である。

 それに玄信と約束した言葉だけでは、何が何処まで駄目なのかを判断する事が難しい。それは玄信の主

観に頼った約束であり、そこまでを資料の中に見出す事は不可能で、今となっては想像に頼るしかなく、

曖昧なものとして扱わざるを得ない。

 当時の規準、彼らの規準は、抽象的なものとしてしか捉えられない。ここに後世での限界がある。

 我々から見ればおかしく思える事があっても、楓流は約束は護っており、軍事への流用もその範囲内で

行われていたという事なのだろう。護られていたから玄信も口出ししなかった。そう考えるのがおそらく

妥当である。

 矛盾しているような事が平気で受け容れられている事は、我々の間にも少なくない。

 不文律、正義、そういったものはいつの時代もはっきりとしないものなのだろう。

 楓流は国力増強に努め、その副産物として軍備も増強されていった。玄一族の技術、特に治水技術は素

晴らしく、河川に手を加える事で劇的に収穫高を増した土地も少なくない。特に衛にその影響が大きく、

窪丸へ送られてくる物資も増えた。

 窪丸復興は考えていたよりも早くなるだろう。

 楓の民の玄一族への感謝は大きく。皆西方の民に劣らない敬意を持つに到っている。明らかに利をもた

らすもの、そしてそれを運んできた者に対して、人々は敬意を惜しまない。それが当然なものとなり、価

値が薄れるまでは、子供のように一途に敬う。不要となればこれまた子供のように簡単に放り出すとして

も、その敬意を貶(おとし)める事はない。いずれ消えるとしても、確かにその時はあるのだから。

 それに例え過ぎ去った恩恵への感謝心は薄まるものだとしても、抱いた敬意の記憶は幾らか残り続け、

後に大きな影響を及ぼす事もある。この楓の民に抱かせた敬意もそれに漏れず、後々玄一族に対して大き

く関わる事になるのである。

 やはり過去と未来というものは密接に繋がっているものであるらしい。誰も起こった事からは逃れられ

ない。



 楓と玄が好(よし)みを通じている間、秦もまた積極的に動いていた。いや、正確に言うなら三功臣が、

と言うべきか。

 張耳が商央、范緒と協力し、魯允から奪う形で上手く外交政策を利用して彼らの立場を高め、魯允一派

を抑える事にも成功している。魯允には初めから正面きって三功臣と渡り合えるような実力はない。頼み

の外交政策も三功臣に利用され、多少保った面目もすでに失われていた。

 一時秦を騒がせた魯允も、半ば有名無実の存在になっている。化けの皮が剥がれ、三功臣にはとても敵

わない事が実証された事で、魯允自体の力は著しく減少している。

 ただし魯允が生み出した三功臣への反勢力は必ずしも衰えておらず、それを完全に押さえる事が出来な

い。その多くは下級将校や兵なのだが、何せ数が多く、無視する事は出来なかった。それが起こるきっか

けになった魯允が失脚しても、全てが消える訳ではない。

 秦では魯允が意図せず生み出した、例え身分が低くとも力を束ねれば三功臣に抗する事も出来るのだ、

という事実が、三功臣独裁を阻む力となってこれ以後も強く生き続ける事になる。

 しかしそれもまた三功臣にとっては都合の良い事であった。彼らもまた三功臣独裁というものを憂慮し、

改革の必要性を強く感じている。その為に張耳は戻ったのだから、むしろこの事を誰よりも喜んでいたか

もしれない。

 ようやく秦の臣が一人前になったのだと。

 双との同盟により秦の勢威は増しているが、それは一時的なものであり、双自体も頼むに足りない。西

方他三家への牽制とはなっても、それ以上のものとはなり難く、長期的な効果をそれだけで生み出す事は

不可能である。それは他国も解っている事であり、だからこそ周も同盟を認めたのだ。

 効果がある内に秦を改革せねばならない。その為に三功臣への反勢力という意味での魯允一派、いや魯

允残党は有用である。皮肉にも魯允残党が三功臣の目的を叶える為の最も有用な道具となり得る、という

事だ。

 三功臣は外交関係を上手く調整しつつ、急ぎ改革へとその手を伸ばした。

 それは楓流にとっても良い知らせである。

 楓にとっても同盟国である秦が安定する事は望ましく。だからこそ苦労して張耳を秦へ戻したのだ。し

かし薬も過ぎれば毒となるように、油断していれば足元を掬われる事になるだろう。秦へ戻った今、張耳

も協力者というよりは敵としての色が濃くなっている。商央と范緒も今までのようには楓流に情報を流し

てくれまい。

 甘繁と玄信という知己を得られたとしても、それで全てが埋まる訳ではない。秦の動向に注意し、目を

離さない事が肝要である。

 同時に双の動きにも気を配らなければなるまい。楓流の口車に乗って双重臣達はやる気になっている筈

だ。秦や周、そして越にその意気を利用される恐れがある。

 越と言えば越にも注意せねばならない。この国が周と結び付いた事で一体何を考え始めるのか、これも

大きな心配事の一つである。領土こそ大きくないが、内在している力は小さくなく。戦えばおそるべき敵

となるだろう。

 今にして越を優遇しすぎたのではないか、という疑問が浮かぶが、今更どうしようもない。今まではそ

れが必要だったが、これからはそれ自体が脅威となる。そういう事も人の世にはよくある事で、それを完

全に防ぐ術は無い。

 全てのきっかけは魯允であったが、事態が動けば個人の影響などどうでもよくなる。魯允が失脚しよう

と一度動き出したものが止まる訳ではない。そしてその動きが楓を利するとは限らない。

 そしてその動きは西方のみに止まってはくれないだろう。東方や中央にも問題はあり、それが西方の動

きでどう反応するか。予測できない事は多い。

 しかし唯一つ解る事がある。それは今後何が起こるとしても、西方から始まるだろうという事だ。

 再び大陸が揺れ動こうとしている。

 そんな中で、楓流に一体何が出来るのだろう。

 自問自答しても答えは出ない。出ないまま只管に技術を求め続けた。

 まるで不安を埋めるかのように。

 楓流が生涯それを追い求めたのは、何か一つ縋(すが)れる物が欲しかったからなのかもしれない。




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