玄一族との技術交流はこれからも続いていく事になるだろうが、現段階で互いに教えられる事は教え終 り、後は各々が努力して会得するのを待つのみとなっている。簡単に言えば、一段落ついたのだ。 玄の技術によって建築の基礎となる部分が強化され、全ての建造物がより堅牢になると見られている。 その成果が出るのはまだ先の事であろうが、すでに設計段階で従来の物とは比較にならず、期待は大きい。 同時に既存の建造物を補強していく計画も練られている。 技術が用いられるのは玄一族の考えを尊重し、戦目的以外の住居や道、水車や水路などに限定されてい るが、その恩恵が非常に大きいだろう事は疑うべくもない。 楓流(フウリュウ)はこの結果に非常に満足し、抱いている不安も少し薄れているようだ。 最優先されるべきは衛に繋がる道の補修と補強で、これによって物資の輸送が円滑になり、送る側、送 られる側、どちらも益々栄えていく事になるだろう。この技術はいずれ衛全土に張り巡らされる事になる だろうから、他国にとっても悪い話ではない。そして楓のみを利するのではなく、全ての国家に益がある と思わせられるなら、他国からの干渉も最低限のものにする事が出来るだろう。 しかし技術によって得られる利が大きく、はっきりしてくると、西方の感情を逆撫でする事を避けられ なくなる。支配者層、民の別なく、反玄感情とでも言うべきものがより強くなり、西方に居る玄一族への 風当たりも、それが実感できるくらいに、強まってきているようだ。 近頃では玄信(ゲンシン)にもその事を嘆く声が増えた。平素愚痴などは言わない男なのだが。民が以 前のように協力してくれず、国もまた同様に非協力的で様々な事に支障が出始め、金策にも目に見えて苦労 するようになっている今、流石の彼も抑えられない心があるのだろう。 何故今になって邪魔をするのか。あれだけ力を尽くし、そして協力してきたものが、たったこれだけの 事で失われようとしている。嘆くなという方が無理である。 玄信は言う。 「私達のやっている事は何も変わっていない。ただそれを西方以外にも伸ばし始めたと言うだけの事。大 陸全土を我らの技術で利する事が我ら一族の悲願である。それは皆も解っていた筈。だのに何故今になっ てこんな事になるのか。自分以外の誰かが幸福になったとて、それで自分が不幸になる訳ではないだろう に。何故皆そこまで嫌悪するのだろう。公共の利益というものを理解してくれていた、と思っていたのは、 我らの勘違いであったのか。返す返すも無念である」 酒を飲めば尚更口数が多くなる。その度に楓流と甘繁(カンハン)が宥(なだ)めているが、何の解決 にもならない。このまま反玄感情が強くなれば、玄一族自体の存亡の危機にもなりかねない。 玄一族は元々収入というものを持たない。人々の(様々な意味での)善意によって彼らは活動し、生き てきた。そんな彼らが民の協力を失えば、その場で飢え死にするしかない。今までに蓄えてきた分がある から今日明日の話ではないが、それもいつまでもつか。半年か、それとも一年か、或いは一月か。いずれ にせよ、将来への希望を失う。 食う事が出来なければ理想も何もない。何を作るにも材料と金が要るし、人々の善意を欠いては玄一族 の活動は成り立たないのである。 そこで楓流が出来る限りの援助を申し出たが、断られている。そんな事をすれば、余計に西方の反感を 買ってしまうだろうからと。 それは道理であり、玄一族が西方からの敬意を取り戻す為には、一刻も早く楓との関係を断つ必要があ った。しかしそれは玄一族の理念からすると考えられぬ話である。彼らはそれが彼らの理念を害するもの でない限り、差し出された手を振り払う事は出来ない。その相手が誰であろうとも。 公共の利益という考えはそういう事である。相手を選んだ時点で公共ではなくなるのだ。分け隔(へだ) てなく全てを利する事が肝要である。 勿論、限度というものはあるし、その為の理念である。誰も彼も盲目的に利する訳ではない。民を苦し めるような事には力を貸さず、その中でより多くの人間の為になるようその腕を揮ってきた。だからそれ すら理解してもらえないとなれば、彼らに打つ手は無い。玄一族も民を説得しようとしたが、無駄であっ た。彼らは何一つ理解してくれようとはしない。彼らの言い分のみを通そうとする。歪められた、玄一族 の理念を。 西方との関係を改善する為にはそれを受け入れ、西方外との関係を断つしかない。しかしそれは理念に 反する事であり、情けなくも腹立たしくある。まさかこのような状況に追い込まれるなどと一体誰が想像 しただろう。玄信の曽祖父が考え、祖父、父という代を経てようやく完成した公益の為の純粋な技術集団、 玄一族。しかしその理念も砂上の楼閣でしかなかったという事か。では今までやってきた事は一体何だっ たのだろう。全てはまやかしであったのか。 まだ長く玄と協力関係を築いていた者達は良くしてくれているが。その者達への西方の態度も少しずつ 厳しくなっている。いつまでその態度を貫けるかは解らない。彼らはいずれ、このまま玄一族と共に苦悩 するか、それとも自分の生活の為に玄一族を見限るか、の決断を迫られる事になるだろう。そしてそれが また大きな不和を巻き起こし、事態をより深刻にする筈だ。 そして話は玄一族だけではなく、それに関わる者達にも及び、それでも尚玄一族が己の理念にこだわる とすれば、最終的には徹底的な弾圧が加えられるようになるかもしれない。 「そうなれば玄一族総出で逃げるより他にない」 などと玄信が嘆く事もあるが、冗談ではないのである。しかし何処にでも駆け付けられるよう定住する 事を捨てている玄一族にとっても、それは簡単な話ではない筈だ。何より西方がそれを許す訳がない。 西方が玄一族への風当たりを強くしているのは、何も玄一族を追い出そうと言うのではない。むしろ逆 で、彼らを外へ出さず、出来れば威によって服させたい、という思いからである。民はそこまでは考えて いないかもしれないが、支配者層はそうだ。 それは支配者層が常々望んでいた事であり、西方の反玄感情の裏には彼らの意思がある。誰かが扇動(せ んどう)していなければ、これ程早く反玄感情が強まり広まる訳がない。たまたま起こった反玄感情を 利用し、かねてからの念願を叶えてやろう、という意図が透けて見える。 民の総意というものには、いつも何者かのはっきりした手が加わっている。逆に言えば誰かが手を加え るからこそ、総意という一つのものへと導かれるのであろう。 だが例えそうであったとしても、余りにも情けないではないか。 以前はあれだけ玄一族へ敬意を払っていた民達が、その全てとは言わぬでも大部分の民達が、この程度 の事で掌を返したように態度を変えるとは何という事だろう。あまりに薄情ではないだろうか。今まで多 くの恩恵を受け、例え自分の理想の為とはいえ、文句も言わずに西方の為に働き続けてきた玄一族に対し てこの仕打ち。こんな事を平気で行える彼らの頭の中はどうなっているのだ。 所詮他人は他人という事だろうか。玄一族も便利な道具でしかなかった。使える内は敬意を払うのも安 いもの。しかし状況が変わればびた一文払うつもりはない。そういう事だろうか。 この玄一族への態度の変化だけではなく。民というものは時にあらゆる暴君や非道の人間よりも遥かに 残酷で惨い事を平気で行う。それを考えるに、人は多く集えば集う程、その一人一人が持つ責任感、罪悪 感、同情心というものは、集う大きさに比例して薄れてしまうのではないだろうか。 自分だけではない、あの人も、かの人もやっている。自分だけが悪いのではない。そういう風に自己弁 護しやすくなるというのか、都合の悪い事は忘れてしまえと自らに暗示をかけるようにも思われる。いつ もならしない事、個人なら出来ない事も、人は集団となると余りにも容易く行える。 それは恥ずべき事であり、それこそが最も大いなる悪だと言えるのだと思うが。人はその方向へと流れ てしまう事が多い。 そしてそれだけでは飽き足らず。次に自分をより強く弁護する為、その対象を少しでも貶(おとし)め ようとする。それは執拗だと言える程に。 私ではない、あいつが悪いからいけないのだ。これは私の罪ではなく、あいつに対しての罰なのだ。そ のような身勝手な心を、当たり前のように人は抱き。その心が大きな群れとなって集まり、残酷な悪意へ と姿を変え、対象を必要以上に責め、時に集団で責め殺してしまうような事態にさえなる。 そのくせそれを行った者達には全くと言っていいほど反省と自己嫌悪の色が無い。いやその奥にはある のかもしれないが、あらゆる手を使ってそれを隠そうとする。そして更なる罪を犯し、新たなる罪悪感を 得、それを否定する為に益々多くの罪を犯す。 これもまた負の連鎖であり、憎むべき心の動きだ。 人は自らの悪意を過小評価するべきではない。自分一人だけではない。確かにそうだ。あの人もこの人 もやっている。確かにそうだ。しかしそれで自分の罪が薄まる訳ではなく、その事に対しての責任からは 誰も逃れられない。誰がどうであろうと、自分もまたその一人である事からは逃れられないのだ。そして その事は自分が一番良く解っている。決して否定する事は出来ない。いずれ罰は与えられる。その時にな って泣いても無駄だ。 罪は下らない自己弁護などで薄められるものではない。だから人は大衆の暴力、大衆の残酷さ、そして 他ならぬその大衆こそが自分自身であるという事を、忘れてはならないのだろう。 それを忘れるからこそ、忘れようとするからこそ、全ての悪意が人の世から無くならない。その惨さは そんな事を思わさせる。 人は群集心理に自己を埋没させるべきではない、と。 この時もまた、その大いなる悪意が玄一族へと迫っていた。それを止める術は玄にも楓にも無い。何者 かに踊らされながら、それを自分の意志、善意とすら思っている民の総意という怪物は、大きな流れがい つもそうであるように、無自覚なまま止め処なく押し寄せようとするのである。
楓流はこの悪意に抗おうとした。 彼の立場から本音を言うなら、このまま玄一族が追い詰められ、窮地に立たされた玄一族に手を貸す事 で楓の民として迎え入れる、という方向へ進む事が最も望ましい。その為には静観を決め込んでいればい い。そうすれば労なくしてそれを得られるだろう。惨い言い草だが、それが最も良い方法である。 だが楓流はそれを良しとしなかった。その理由は同情や友情ではなく、身勝手な民に対する怒りからき た感情であったと思われる。 彼も統治者として長い。民は民として個々に自分を本位とした考えを持ち、その為に何を犠牲にしたと しても、あくまでも自らの欲望に忠実である事を知っている。集団の悪も恐ろしいが、個人の悪も残酷で 無慈悲なものだ。 しかしそれを理解していて尚、今回の西方の態度には怒りを抑えられなかった。余りにも過ぎていると 感じたのだ。これは仕方ない事なのだ、などという愚かな言葉で達観したふりをして済まされる問題では ないのだと。 楓流は民という不特定多数の何者かに対して、強い不信感を抱いた。 ある意味西方の民を見限ったと言えるのかもしれない。勿論、この当時の彼にはそのような上から見ら れる力は無かったのだが、表現としてはおそらくそれが相応しい。 そしてその考えのまま秦に対して強く働きかけた。特に三功臣に激しく言い寄っている。 だが三功臣にもこればかりはどうしようもなかった。いや、あまり協力的ではなかったと言った方が正 確だろうか。 三功臣もまた薄情に玄一族を見捨てた、と言ってしまえば言い過ぎかもしれないが。彼らもどこか及び 腰で、積極的に玄一族を味方しようとしなかったように楓流の目には映った。それだけ深い問題であると 言えばそうだし、三功臣も所詮は西方の一人の民に過ぎぬと言えばそうなのだろう。今の状況で玄一族に 味方する事は、三功臣であってさえ、ただでは済まない部分がある。そこまでして助けようという意思は、 彼らには無かったのである。 今となっては玄一族自身も諦めに似た色を浮かべ、楓流が一人で抗っている格好である。玄信と甘繁が その熱意に押されるようにして意を共にしていたが、本気で抗おうとしていたのは、おそらく楓流ただ一 人であったろう。 玄一族へ味方する心が計算であったならまだ良かったのだが。困った事に正直な気持ちであった。それ が今は災いする。 珍しく熱くなり、冷静に対処法を考える所か、どこまでも踏み込んでいき。楓が要らぬ手出しをしてい る事に西方の民までが気付き始め、このままでは反玄感情がそのまま反楓感情へと変化しかねない状況に なっている。 そうなれば確かに反玄感情自体は消える、減少するかもしれないが。緊張の高まっている今、そこから 西方と楓の戦へと発展しかねない。その流れに一度乗ってしまえば、ここまで大きくなっている以上、例 え扇動者であっても止める事は出来なくなる。 その時点で恐らく楓は終りである。楚や双も自滅するような愚かな行動に対して、味方してくれるとは 思えない。衛の趙深も斉の姜尚(キョウショウ)に封じられ、抗う術は無くなるだろう。 玄信はそれを察知した。このまま続けても状況が悪化するばかりで、下手すれば玄が一番憎んでいる戦 へと玄自身が理由になって導いてしまう。それは玄一族が何よりも忌避すべき事である。 彼は楓流に会いに行き、これ以上干渉せぬよう願い。以後玄一族は西方から出ず、波を荒げぬようにす る事を伝えた。玄の理念もへったくれもない。戦を起こして堪るものか。それは断固とした決意であり、 楓流も異論を挟む余地は無かった。 玄信の言葉で頭を冷やした楓流は、秦への働きかけを即刻止め。玄信に深く詫びて、西方に去る彼を静 かに見送る。 初めからどうする事も出来なかったのだ。玄一族に楓が関われば関わる程西方の気持ちが加熱する。楓 の干渉は助けどころか毒にしかならない。結局楓流はその当たり前の事を思い知らされただけであった。 彼らしくない愚かしい行動であったといえる。 西方の緊張を無用に高めた事を思えば、楓流のした事も集団の悪意と変わらない。言わば自己満足の悪 意である。 自分もまた自分が憎む者と変わらない。自分が正しいと思う事をする事が、自分が護りたいものを害す る事もある。楓流は改めて思い知らされた。
玄信が西方に引き篭もった事で、ゆっくりとだが西方の反玄感情、そしてそれに連なる反楓感情も潮が 引くようにして薄れてきている。元々そこにはっきりした思想や意志があった訳ではない。不満だったか ら不満と言っていただけに過ぎない。ただの感情の波、一時の噴出であるから、それがいかに深く大きか ろうと、それだけでは長く持続出来るものではなかった。 群集がただの人の集まりで終わった事を、楓流は感謝しなければならない。それが方向性を得た大いな る流れへと完全に変わっていたなら、楓など簡単に吹き飛ばされていただろう。 西方諸国も民に応じるように玄一族への締め付けを緩め、自らの思惑通りに事が進んだ事に満足してい る。それは楓流としては腹に据えかねる事であったが、どうしようもない。玄一族を籠に捕らえられたま ま、黙って見ているしかなかった。 何しろこれは彼の失態である。楓が余計な干渉をしなければ、民の反感をこれ程駆り立ててしまう事に はならなかっただろうし、そうであればまだ他にやりようがあった。玄信をそうさせてしまったのは、他 ならぬ楓流の責任である。少なくとも責任の多くがある。 この上で無用な事をすれば、それこそ愚か者の謗(そし)りを受け、玄信にまで見放されてしまうだろ う。そこまで玄一族の心を理解できぬとなれば、最早楓に心を寄せようとは考えまい。築いた友情もそれ までである。 今は時を待つしかない。状況が変われば、また打つ手も生まれる。可能性を待ちながら、その時の為に 自分の力を高めていく。芸は無いが、これが一番良い方法だろう。 それに玄一族の技術はすでに得られるだけ得ている。酷い言い方になるが、これ以上楓に居てもらう必 要はない。むしろ不穏の種が去ってくれてありがたい、とも考えられる。楓にとっても決して悪いばかり ではない結果だ。 もしそれを初めから狙っていたのだとしたら・・・・、いや、流石に考え過ぎか。 楓流の頭脳は公人と私人の両面が同時に回転している。それは常に頭の中に矛盾を孕(はら)んでいる という事であり、楓流という人間を理解し難くしているのだが、為政者(いせいしゃ)としては悪くない。 これがもしどちらか一方しかなかったなら、玄の事で感情を優先して失敗したように、要らぬ災厄を巻き 込む事が多かった事だろう。それが公であれ、私であれ同じ事だ。どちらかだけでは己を律する事は難し い。公と私、二者の均衡(きんこう)、そしてその両面から互いに問い続ける。この姿勢こそが重要であ るのだろう。 楓流は同じ失敗をせぬよう、この時公人としての厳を優先させ、私人としての情を押し込める事にした。 これは楽な作業ではなかったが、良い訓練になった。そしてこうする事は、結果として私人としての楓 流をも満足させる事になる。 失敗から学び取ったものを、無駄にしてはならない。
楓流は秦へ向けて今までの非礼を詫びる使者を発している。自ら行くのが良いのかもしれないが、そこ までするのは余りにも軽々しく、軽率者と見られる恐れがある。ただでさえ玄一族の事で秦に不快感を与 えているのだから、軽々しい行いは慎まなければならない。 重々しく、磐石。そう思わせていられなければ、三功臣からの信を失う事になる。 秦は三功臣が揃った事で安定している。これから改革を行う上で時に脆(もろ)さを露呈(ろてい)す る場面があるかもしれないが、三功臣が居る限り、取り返しのつかない事態にまで持っていく事はまず不 可能であろう。秦以外の西方三家も三功臣の強靭さを知っている。慎重になるだろう。 だが秦の地盤が安定する事は西方同盟としてはありがたいとしても、三功臣の望む改革が成功し、西方 で秦が一つ飛びぬけた存在になる事は必ずしも良い事ではない。他の三家が黙ってみているとは思えず、 内外で熾烈(しれつ)な争いが起こるだろう事は予想される。 そんな時に楓が頼りにならぬようでは、三功臣もその態度を変えて然りというものだ。 楓は西方の動きに動ぜず、それに乗じて上手く立ち回らなければならない。いつ何処で何が起こるかは 解らないが、常に目を向け、何が起こっても良い様に準備しておかなければならない。 動きと言えば越も気になる。 越はしたたかな国だ。周ともはっきりと同盟を結んだし、機があれば見過ごすような事はすまい。その 同盟も味方を増やそうという単純な考えではあるまい。越の経済力を利用すれば、楓などよりも遥かに大 きな事が出来る。今まで大人しくしていたのがむしろ不思議だ。 いや、もしかすれば、すでに行動を起こしているのか。 どちらにせよ、事が起こる前にしっかりと国を立てておかなければ、乱に飲まれ翻弄(ほんろう)され るしかなくなってしまう。視野を広く深くし、その真意を探らねば。
こうなると重要になってくるのが、混血を利用した諜報組織である。 氏備世(シビセイ)に命じてからすでに数ヶ月という時が流れている。楓が玄と誼(よしみ)を通じて いる間、彼らもその役目を果たすべく懸命に努力していた。 その努力は楊岱(ヨウタイ)から送られてくる手紙によって細かに知らされている。それに寄れば、慎 重に人選し、能力を見極め、まだ形ばかりではあるが、どうやら大まかな形は出来上がりつつあるらしい。 すでに訓練を行わせている者も居て、早ければ半年もすれば成果が見えてくるだろうとの事。 ただ、一つ大きな問題が出ている。それは教師役となれるだけの人物が居ないという事だ。 現状、趙深の諜報網などから人を割き、その役目に当てているのだが。能力の高い者を割く訳にはいか ず、どうしても力の落ちる者を使わざるを得ない。その上諜報網の間者も楓流の間者もその技術は我流で ある。どちらも組織が出来てから長いが、長いと言っても十年二十年程度の歴史しかない。ある程度の経 験からその技術が練磨されていると言っても、高が知れている部分はある。 後世のものから見れば素人に毛が生えた程度と言える段階であり、その為に混血の身体能力を用いて諜 報技術を底上げしようと考えたのだが、教える側はほとんどが大陸人であり、その規準で教える技術では 混血の身体能力にそぐわない、という問題も出てくる。 混血の能力を活かす為には、混血自らがその能力に相応しい技術を生み出すしかなく。そうなると既存 の技術を学ぶ時間の他にそれらから新しい技術、混血に則した技術を生み出す時間が必要となり、余計に 時間がかかる。 能力の高い者が出てきて短時間で完成させてしまうか、或いは仙人でも現れてその術を教えてくれれば 良いのだが、そのような虫のいい話はない。自分達で解決しなければならない問題である。 こういう事情で想定していたよりも多くの時間がかかりそうだ。 これではとても間に合わない。この方法は現状を打破する為の手段にならない。未来に投資するのは大 事だとしても、それだけでは足りない。
楓流は悩んだ末、水路を使う事にした。 孫との一連の戦の影響から大陸全土で輸送というものがより重要になり、その為にどの国家もある程度 は水路を設け、それを用いている。そして大陸中を物資が回るという事は、それと共に様々な情報なども 一緒に回るという事であり、情報を得る手段としてこれ以上都合の良いものはない。 しかし前にも触れたように、この水路の権利は越が握っている。越を介さずして水運に関わる事はほと んど不可能な事で、どうしても越の協力を得なければならないが、第三者を介するとそれだけ諜報能力が 弱まってしまう事になるし、得た情報も第三者へと流れやすくなる。 一度はこの方法を断念した。 いかに困っているとはいえ、これはどうであろう。確かに最善が駄目なら次善の方策で、という事はあ るのかもしれないが、あまりにも短絡的というべきか、思慮が足らないのではないか。 楓流もそんな事は百も承知である。だから彼が今水路に目をつけたのは、単にそのまま諜報手段として 用いようというのではなかった。越に情報が漏れる事を前提とした上で水路を使うのである。情報漏洩(ろ うえい)を防ぐのではなく、それを前提としてものを考える。 確かに常に越を考慮しなければならない諜報活動など、無意味である以上に有害でしかない。それは下 手すれば越のみを利する事になり、どれだけ上手くいっても越と利を半々にする程度にしかならない筈だ。 だが越と深く関わらざるを得ないという事は、逆に言えば越もまた楓と深く関わらざるを得なくなる、 という事である。ならば越の事を楓が知る手段とする事も出来る筈である。情報を共有するという事は、 そういう事なのだから。 それに越も楓に様々な手段で間者を発している筈で、そうなれば当然水路も用いている。それならばい っそその情報を共有してしまう方が良いのではないか。どうせ水路に関しての諜報能力は越の方が高いの だから、例え共有する事になっても、楓の情報能力が増す事は変わらない。 どうせ知られるのだから、漏れても同じだ、という強引な理屈である。そして漏れても同じなら、水路 を利用できる分、楓にとって利になるのではないか。 越の方が近い分、そして交易を盛んにしている分、楓よりも西方や北方の情報に詳しい。情報を得るの も越の方が速かろう。それならば案外利は大きいのではないか、と楓流は考えたのである。 しかし簡単に行える話ではない。越の諜報能力を増させない為、協力を最低限に抑えなければならない が、渋り過ぎれば越の方も協力的でなくなる。だから玄から得た技術による水路の補強など、越にも魅力 的な材料を幾つか出さなければならない。資金的な事もある程度は考えなければならないだろう。 そしてそれが越のみを利する事の無いよう、手を考えなければならない。なかなかに困難である。 交渉も問題だ。商業に重きをおいた海千山千の越の事、例え材料があっても、説き伏せるには困難を極 める。外交の駆け引きならば、平素の商談からお手の物であり、その面ではとても楓流の及ぶ所ではない。 果たして上手くいくのか。これは諸刃の刃であり、本当に楓が利するかどうかも解らない。もしかした ら徒(いたずら)に越を利するだけに終わる可能性もある。 他に方法を見出せない以上、これをやるしかないのだが。楓流だけではとても心許ない。出来ればその 道に通じた協力者が欲しい。 とはいえ一体どこにそのような人物が居るというのか。 楓流は途方に暮れた。 |