14-6.転ずるは誰が命か


 呉韓は初め、越を引き込もうとした。呉韓魏、周双という中へ越を入れて、再び有利な状況に仕立て上

げようと考えたのだ。

 しかし呉が居る以上、例え韓として助力を願っても、頑として越は聞き入れてくれない。はっきりと断

られ、それでも韓が尚追い縋(すが)ると、越側はとても呑めないような条件を提示した。

 それは援軍の代償としては余りにも大きな金額であり、流石にそれは無いのではと言えば、出せぬなら

代わりに呉にある船を全て寄越せと言う始末。それから後は何を言っても譲歩してくれない。諦めるしか

なかった。

 よくよく考えてみれば、越は周と同盟関係にある。初めから無理な相談だったのである。

 次いで双に遺憾の意を表明し、軍事行動を慎むよう使者を発しようとしたが、冷静な者がそれだけはと

止めさせている。

 呉も韓も双とは深い関係にあらず、確かに呉韓には魏を救うという大義名分があるとしても、それは魏

を護るという事であって、周を滅ぼす理由とはならない。周の侵攻を防ぐ為に立ち上がった、という形を

取っている為、周へ侵攻する大義名分までは得られていないのである。

 そういう点から考えると、呉韓は大義名分を越えた事をしているのであり、逆に双にこそ周を救うとい

う大義名分が生まれていると考えられる。

 ややこしくて面倒になるが、客観的に考えてみればそうだ。だから呉韓に双を止められるような権利や

理由はなく、身勝手な申し入れをしても、株を下げるだけの結果になるだろう、と。

 それは尤もな意見であったので、呉韓政府も納得し、この挙は取り止めにされた。

 しかしこのまま手を拱(こまね)いていては、いずれ双軍が到着してしまう。例え張子の士気であり、

大した人材が居ないとしても、双軍の兵力は馬鹿にならない。その広大な領土を武器とすれば、ある程度

どうにでも出来るだけの力がある。

 双と秦が同盟関係にあるというのも気になる所だ。特にその同盟は軍事にも及ぶ強い関係である。周が

衰えるのは良いが、それによって呉韓が肥えれば秦も困る。双を利用して呉韓を打ち倒し、漁夫の利を得

ようと考えてもおかしくはない。むしろそう考えるのが自然である。であれば双と足並みをそろえてくる

可能性は低くない。

 急がねばならない。最悪周をこのままにしても、双の参軍だけは止めなければ。

 事態はすでに周がどうこうという問題ではなくなってしまっている。すでに周の敗勢は定まったのだ。

後はそれからの話である。双、そして秦が動く前にけりをつけてしまわなければならない。

 そこで呉韓が考えたのは、西方大同盟をもう一度利用するという手であった。つまり双を外敵にしてし

まい、外敵を排除するという理由で秦を呉韓の協力者へと変えてしまおうというのだ。

 そして、魏に対して道に違う振る舞いをした事、今となっては西方四家という程の力も無い事から、周

を大同盟から除名してしまおうと考えた。その上で改めて秦、呉、韓によって西方大同盟を成す。

 確かに呉韓が周へ侵攻した時点で西方大同盟は事実上失われたと言っていい。しかしそれは西方四家の

合議によって決められた事ではない。西方大同盟は西方四家の合議によって全てを決しなければならない

のだから、まだ大同盟の拘束力は残っているという事になる。

 それに呉韓が周へ侵攻したのは大義あっての事。であれば、褒められた行為ではないとしても、必ずし

も道理に反したものではない。

 だが当然この意には秦も周も異議を唱える。特に秦から出た。

「西方四家の合議で決めるのだとすれば、呉韓の周への侵攻もまずはその合議によって了承を得るべきで

はなかったのか。それを無視しておいて、今更呉韓にそのような事を言い出せる道理は無い」

 という言葉には何も言えなくなった。

 しかし呉韓はそれでも執拗に食い下がり、どうあっても双の進軍を止めようとする。次に目を付けたの

は周だ。

 周の状況は好転しているものの、戦が終わればその対価として双にあまりにも多くのものを渡さなけれ

ばならない。結局は属国になるか吸収されてしまう以外になく。そこを上手く突けば、力衰え意気も弱っ

ている今、秦よりも数段相手しやすい。

 ここで活きてくるのが呉の交渉能力だ。この国も商業に重点を置いている。越と対等に戦う為にも、商

人達にやり込められない為にも、平素から弁舌の徒を集め、秘密裏に政府と繋がる商人などから知恵を借

りている。

 初めはまったく耳を貸さなかった周も、少しずつ弱い部分を突かれていくと、国家存亡の問題であるだ

けに、その心はぐらぐらと揺れてくる。

 一時は激情と滅びの恐怖からとんでもない事を約束したが、戦況が膠着状態となり、生き延びる望みが

出てきて冷静に返ってみると。余りにも口が過ぎたのではないか。呉韓憎し、魏憎しといえども、それで

周が力を失うような事になっては本末転倒なのではないか、などと考え始めた。

 そうなればしめたもの。人間生きれば欲が湧く、欲が湧いてくればそれだけ付け込む隙ができる。欲こ

そが生きる意欲であり、生そのものでもあるが。皮肉な事にそれこそが最も致命的な弱点となる。

 結果周内に、双との約定を反故にしてしまおうではないか、という動きが出てくる。ここで呉韓の言葉

に乗せられてしまうと、必ず周にとって良からぬに事になるだろうが。双に領土をくれて属国となるより

は、偽ってでも力を保ち、活路を見出す方が良いのではないか、とそういう訳である。

 周は多くの属する国を失い。残っている数少ない所属国もまた困窮し、何をしてくるか解らない状況に

ある。それに実は領土の多くを双へ譲渡するというのは、周一国が暴走し勝手に決めた事でありな

がら、周一国の領地ではとても足りない。密かに所属国の領地も勝手にその中に含めてあった。

 例え非常時であると言っても、勝手に加えられた所属国としては堪らない。決してその行為を許さない

だろう。この先どうなるとしても周の敵となり、恨みを晴らそうとする筈だ。それでは周が生き残るとい

う道さえ、王と重臣が生き残るという道さえ、閉ざされてしまう。

 今から考えれば、何と言う血迷った事をしたのだろう。

 今更ながら状況を理解した事で、周内に激しい論争(誰に責任があるのかという無意味な問題。言わば

現実逃避である)が持ち上がっていた。

 呉韓に追い風が吹いた、と言えば言い過ぎであるが。この時偶然味方する事になった事は確かである。

 困窮と怒りから打った決死の一手には、その覚悟と同じだけの無謀さがあった。そして意見の統一が成

らない中、双への約定もいつの間にか有耶無耶にされようとしていた。

 しかし世の中そう都合よくはいかない。当然双は周のその態度に対して大いに怒った。双としては今更

なかった事にされては面目丸潰れ、いい笑いものである。

 そもそも膠着状態になり、周が救われた形になっているのは双が動いたからである。そういう意味でも

すでに少なからぬ助力をしている。それなのに礼を言うどころか、馬鹿にし、唾を吐きかけるような態度

を示す。これは気位の高い双としては到底許せぬ行為であった。

 双はこの一連の事は西方が申し合わせて行った事であり、双に対する西方全体の侮辱、宣戦布告である

と解し。本腰を入れて軍を準備し始めた。

 そして楚、楓、衛、越、と言った国々に援軍を要請し。特に秦に対しては、秦はどういうつもりでいる

のか、これが西方の策略でなければ即刻双に同調する旨宣言すべし、と詰問の使者を送っている。

 こうなれば双を止める手立てはなく、日増しに国境付近の兵力が増大し、武具や食糧なども余る程集め

られている。これが単なる脅迫でも冗談でもない事は、その態度を見れば明らかであった。

 双は最早他人事とは考えていない。



 双の動きに対し、逸早く動きを見せたのが呉韓である。この勢力はすぐさま双に接触し、この一連の騒

ぎは周が行った事であり、魏も我々も全く関係が無い。双と争う理由は初めから無く、周を討つのは我ら

の悲願でもある。双は誤解していたようだが、我々と初めから争う必要はなかった。共に協力して周を討

とう、と伝えたのである。

 呉韓が周に働きかけていたといっても、その証拠となるようなものは勿論残していない。呉韓としては

周を惑わせる事で双を怒らせ、軍を引くのならばよし、攻めてくるとしてもその矛先を周へ向けさせよう

と謀ったのだ。全ては仕組まれた事である。

 当然周はこれは呉韓の策略だと言うだろうし、呉からの使者が我が国に来ていたと言うだろうが。呉と

しては使者を発したのも、大人しく服するよう情理を尽くして説く為であった、とでも言っておけばいい。

或いは、周がまた良からぬ知恵を働かせ、我々と双の間を裂こうとしている。考えても見られよ、我々と

双が敵対して喜ぶのは周だけではないか。などと逆に利用する事も出来る。

 双臣などは呉韓に比べれば赤子のようなものである。宮廷内での秘め事に関しては海千山千であるが、

その外の事には知恵が回らず、要するに世間知らずなのだ。だからこそ趙深にも上手く使われた訳で、今

もまた呉に上手く使われようとしている。懲りないと言えばそうだが、それを嘆けるだけの認識さえなか

っただろう。上手く使われているなどとは、考えた事も無かったに違いない。

 こうして再び窮する事になった周は、秦に仲介に立ってくれるよう縋(すが)った。秦と周は対立して

きた関係ではあるが、一応は共に戦ってきた間柄である。何より他に相手が居なかった。

 秦としては甚だ迷惑な話であるが、このまま呉韓の思惑通りに進むと痛い目に遭うのは秦も同じ。ただ

でさえ現状では呉韓の勢威の方が上で、周の力が衰えている以上利用もできず、抗するのが難しい。これ

以上呉韓が強まる事を避けねばならない。

 かといって周の手に乗れば双との仲が悪くなるだろうし、怒り心頭の双に付け込んで呉韓が秦との間に

入り込むような事になれば、益々不利になる。双は頭に血が上っているのだ。ここでみだりに逆らうよう

な真似をすれば、後々まで禍根を残す事になるかもしれない。冷静でない相手には道理など何の役にも立

たない事を、秦もよく知っている。

 秦王は三功臣と協議した末、周に宣戦布告し、双と共にこれを攻めるという方針を決め、すぐさま双へ

使者を送った。

 頼ってきた者を無下にするのは忍びないが、全ては周自身がやった事、秦には関係のない話である。周

が滅びようがどうなろうが知った事ではない。

 それに双が直接滅ぼし、周を双領としてくれれば、呉韓の領土拡張を妨ぐ事になり、双という周よりも

扱いやすい手駒が出来る事になる。上手く運べば、魏の所有権にも踏み込んでいけるかもしれない。この

状況を逆手に取れれば、案外良い道を拓けるかもしれない。

 秦もまた手を拱いているつもりはなかった。



 呉韓、双、秦が軍備を増強し、周との国境へ兵を集めている。

 総兵力は万を優に越え、その威だけで縮み上がりそうな状況だ。

 その状況を利用して逸早く動いたのが魏である。国境付近に放って置かれたままの周軍を一戦して破り、

勢いを付けた。この時には残されていた周軍もあってなき程度の数になっており、破るのに労はなかった。

 捨て置いても害の無いだろう軍をわざわざ一戦して破ったのは、何も意地を見せたとか、戦に貢献した

かった、というのではなく、単純に功を得たかったからである。

 魏軍の兵力など高が知れている。同盟軍と歩を同じくして周に攻め込んだとしても、戦果を挙げる事な

どまず不可能だ。同盟軍としても今更魏に余計な功を立てて欲しくなく、形ばかりの参戦にしていてもら

いたい。

 しかしそうされては戦後の魏の発言力は非常に弱くなり、他国に好きにされてしまう。それでは意味が

ない。

 それを防ぐ為、魏としてもある程度功を立てておく必要があり、この数少ない戦果を挙げられる機会を、

他に奪われる訳にはいかなかったのだ。

 そして魏軍はそれだけに止まらず、勝利の余韻を駆ってそのまま周領内へ踏み込み、魏軍だけでも平ら

げられそうな場所を狙い、大胆にも攻め始めた。

 周はこの動きに対して平静ではいられなかったが、すでに呉韓軍が侵攻している以上、そちらへ回す兵

力が無い。守備兵も一時は双の援軍を得て希望に満ちていたのが、周政府の失策により絶望に塗り替えら

れてしまった事で意気を失くしており、抵抗しようという意志は感じられなかった。

 今はもう惰性で戦っているようなもので、身を護る為に必死ではあるのだがどうしても力が湧かず、落

とされるのは時間の問題だった。

 そうこうする内にとうとう周内からも裏切り者が出始め、将兵がごっそり寝返ってしまうという事まで

が起こり、最早周という国を保つ事さえ不可能になっている。

 魏、少し前までは周のみで一息に吹き消せただろう存在、に今止めの一手を打たれている。魏軍程度の

力でも、今の周に止めを刺すには充分だ。双も秦もまだ準備が整っていない為に進軍していないが、参戦

の意を表明しただけで全ては決まっていた。

 その状況を上手く利用した魏こそ褒めてやるべきであるのかもしれないが。この行為は双や秦、そして

呉韓にも不快感しか与えていない。

 確かに魏も一国、その思うままに動けばいい。誰が口を挟む理由もない。周に対する恨み辛みを考えれ

ば、今反撃に転じる心情も理解できる。

 しかしその状況をもたらしたのは誰か。

 呉韓、次いで双である。魏に力を貸したのが呉韓であり、呉韓あってこそ魏が立つ道が生まれた。そし

て双が周と敵対する事で、決定打となった。秦の力も小さくないが、双がその意を見せた時点ですでに決

していたのだから、大した功にはならない。無論、魏の功などは無いも等しい。

 ならば魏は遠慮すべきである。魏を救う事が呉韓の大義名分であったとはいえ、最早そのような時期は

過ぎている。これはもう呉韓と周の戦であり、双と周の戦であり、言ってみれば魏は部外者なのだ。魏は

大人しく結果だけを待ち、それに従えばいい。

 それなのにあたら功に逸り、勝利が決定的になったこの時期に小功を漁(あさ)るとは何事か。軍を動

かすのであれば、呉韓が動いた時に共に動くべきであり、それからもずっと呉韓を補佐すべきであった。

それなのに戦中に魏がやった事と言えば、周軍を多少引き付けた程度である。それも迎え撃つでもなく、

じっと身を潜め、一兵も損じていない。

 それを双も秦も動けず、呉韓もまた状況を窺(うかが)うしかないこの時に、鼠(ねずみ)の様にちょ

こちょこ出てきて食い荒らすとは言語道断。

 呉韓は苛立ちを覚え、即座に動きを止めるよう使者を発して命じたが、いう事を聞かない。魏も必死で

ある。この機を逃せば生きる道はないとして食い下がり、取るに足らぬ理由を付けては使者を退ける。遂

には焦って魏単独で周に向かって降伏するよう使者を発してしまった。

 魏の言い分はこうだ。そもそも呉韓は魏が救援を乞い、それを容れて発せられた軍である。ならばあく

までも援軍であり、従である。主は魏にこそある。その魏が周に降伏を促す使者を送る事は不自然ではな

い、むしろ当然の事ではないか。

 このように魏の行動には理があると言っているのだが、そんな理がない事は前述の理由からはっきりし

ている。周侵攻に対しては、魏こそ部外者なのだ。まだ魏に大功あれば発言力も生じるが、名ばかりの参

戦であった事もまた前述した。そういう状況でこうも強硬に意を通そうとしたのは、逸っていた、理性を

失ってしまっていた、としか考えられない。

 そして尚悪い事に、周がこの降伏を受け容れてしまったのだ。

 困窮極まりないこの状況では、例え魏の申し出であっても、渡りに船と思えたのであろう。周はわらを

も縋りたい気持ちであったのだ。

 だがそのような事を勝手にされては面目丸潰れであるし、戦をする意味を失う。呉韓としては今更周に

居残られては、呉韓に寝返った国々との間に緊張した空気が生まれ、面倒な事になってしまうだろうし。

双と秦としても、周に生き残られては不味い。周を滅ぼし、双の力を西方にまで及ぼす事が、両国の望み

なのである。

 とはいえ降伏を受け容れたとなれば、考慮せざるを得ない。魏が勝手に行った事だから、我々の与り知

らぬ事、とばっさり切り捨ててしまうには覚悟が要る。世の心証は悪くなるだろうし、周国の民からも恨

みを買う事になるだろう。周を騙し討ちにしたとでも言われれば、甚だ不名誉である。後の統治に影響が

出る。

 当時は碧嶺(ヘキレイ)後のように名誉絶対主義というような風潮ではないが、それでも豪族王から王

の時代になり、皆そういう事に気を配らざるを得なくなってきている。誰もが他国を滅ぼし、或いは下克

上をして土地を奪い、一つの国を築き上げてきた。彼らが治める事の利を示さねば、それだけの威と徳が

ある事を示さなければ、国を安定させる事は出来ない。将兵も付いてこない。

 下克上をした者が一番恐れるのが下克上である。国を奪った者が一番恐れるのは国を奪われる事だ。だ

からわざわざ似合わぬ大義名分などを持ち出して戦っている。それを疎かにできない。

 秦と呉韓は窮(きゅう)した。

 しかし双はこれをあっさりと無視。魏と周との間の事はその間だけの事とした。何故なら、双には双こ

そが正統なる大陸の支配者であるという大義名分がある(と思っている)からだ。国土が増して気が大き

くなっている事もあって、その程度の些事など考慮するに値せずとしたのである。

 魏と周がどうしようと知った事ではない。初めからどうでも良い事なのだ。

 そこに得たりと乗ったのが、呉韓だ。呉韓は強引に、魏が呉韓ら同盟軍を裏切り、周と結託した、と言

い立て。魏こそ裏切り者でえると魏に対して宣戦布告し、周領へ攻め込んでいた魏軍へ兵を向けた。双が

こちらに付いたとなればどうとでも出来るだろう、と考えたのかもしれないが。それは余りにも速く、そ

して無謀な行為であった。

 しかし魏軍にとっては堪らない。呉韓軍とはまだ距離があったのだが、突然の事で対処が遅れ、もたも

たしている内に散々に討ち取られてしまった。

 呉韓軍は今が好機とばかりに、そのままの勢いで魏へ向かう。

 しかしそこに待ったをかけたのが秦である。このまま魏を喰らわれてしまえば、呉韓の力が強くなり過

ぎ、その上双と秦の間に呉韓が居座る事になる。双と呉韓が領を接する事には文句はないが、秦もまた双

と繋がっていなければ意味が無い。でなければ双と呉韓が繋がりを強め、共に秦に対して牙を剥いてくる

事も考えられない事ではない。

 そんな時に秦と双は同盟国ではないか、などと言っても通じまい。何しろ双である。今回と同様に始祖

八家を振りかざして襲いかかってくるだろう。

 ここは何としても呉韓を食い止め、その最悪の事態を防がなければならない。

 秦は執拗に使者を発し、確かに魏の行った事は違約と言えないでもないが、それに対して勝手に単独で

討伐を加えるなど、それこそ越権行為である、と説いた。

 だが呉韓もそんな事は承知の上。そもそも秦の参戦は双の要請(半ば脅迫ではあるが)によったもの、

呉韓とは関係ない。これは魏と呉韓の問題であり、秦に何を言われる筋合いはない、として我意を通そう

とする。

 秦もここで引く訳にはいかない。最早秦だけでは足りないとして、双にも使者を発し、呉韓が我らに無

断で魏を奪おうとしている、と告げると。双も双で、呉韓が裏切ったのか、と早とちりをし、激しい詰問

を呉韓へと投げかける始末。

 こうして全ての国の利害を巻き込み、再び情勢が大きく変化し始めた。

 しかしさしもの呉韓も、秦だけならともかく、今双とまでやりあうのは賢明でないと判断したのか。一

度進軍を止め、改めて今後の事を協議しようと返答している。

 こうなれば魏も黙ってはいられない。助かったのを幸い、秦や双へこれは呉韓の明らかな違約行為であ

ると訴え。百歩譲って、魏だけで勝手に降伏の使者を送った事に非があるとしても、それで周と繋がって

今更同盟国に反旗を翻(ひるがえ)すなど、狂人の戯言であると呉韓の主張を一蹴。呉韓をだしにして上

手く双、秦と繋がろうとの魂胆だ。

 そもそも呉韓の言い分からして無理があったので、こう言われては呉韓にも返す言葉はない。強引に魏

を獲ってしまえば後の事はどうにでもなると考えていたようだが、しくじった今、その事が呉韓へと重く

圧し掛かる。

 どう言い繕っても、呉韓に魏へと侵攻する大義名分は無いのである。これは明らかな違約行為であり、

双と秦を怒らせるに充分であった。

 そしてこの機に乗じてと言うべきか、一縷(いちる)の望みを託して、周が助命嘆願を必死に訴え始め

ている。無論どの国家にも周を生かしておく意思はないが、呉韓が魏と周の共謀を言い立てたせいで、そ

の真偽を知る為にも暫くは残しておかなければならない、という理屈が成り立つ。

 それに呉韓の取った行動は余りにも問題である。この問題を一時置いて、まず周を討とう、という風に

はならない。こうなってしまっては、どの国も矛を一時収める以外にないように思えた。

 そして周の使者をどの国も体よく追い返し、呉韓、双、秦、魏の四勢力の代表者が一同に介し、己が言

い分を並びたてたのだが、当然これが一致する事はない。周を滅ぼす事には同意を示すものの、魏と呉韓

の独断に関してはどうすれば良いのか見当も付かない。

 どちらも違約行為をしていると言えるのだから、どちらも悪いのであるが、かといってそう言い切るに

は呉韓の力が大き過ぎる。現段階で一番多くの兵力を周に及ぼしているのは呉韓であるし、双と秦がそれ

に対抗する軍を整えるまでにはまだ暫くの時間がかかる。今開戦すれば優位に立つのは呉韓であろう。

 とはいえ、呉韓も今は優勢であるとしても、双と秦を敵にしては後々危険となるだろう事は充分承知し

ている。この戦で一番疲弊しているのは呉韓であるし、あまり強い事を言って双の気分を害するような事

になれば困った事になる。

 だがすでにやってしまった事は、その意を通すしかない。

 となると当然魏が食って掛かり、堂々巡りとなる。

 秦はこの状況を利用して軍備を整える時間を稼ごうとも考えたようだが、呉韓はそれを察し、そういう

つもりならいっそ今すぐにでも、という態度を見せる。秦と呉韓の間で火花が散り、激しさは増すばかり

で、ともすれば双と魏、そして周が置き捨てられる格好となってしまった。

 これに対して双が業を煮やす。双としては自らの領土を取り戻すという大義がある。少なくともそう本

気で考え、だからこそ呉韓などのように魏を利用しようとは考えず、双の意志だけで動いて来た。

 双こそが主であり、その意向こそが尊重されなければならない。それがまるで置き捨てるかのようなこ

の態度。全く許し難い。苛立ちは頂点に達し、双宮廷内は沸騰した。結果、そもそも双が呉韓や秦、魏な

どにどうこう言われる筋合いはないとし。とにかく周が双を侮辱したのは確かなのだから、それを誅する

に他国の意向を気にする必要なしとして、単独で行動に出ようとした。

 双一国には単独で動ける理由がある。呉韓や秦と足並みを合わせていたのも、単純にそうする事に利が

あったからだ。しかしこうして双を無視するようであれば、そんなものには構っていられない。単騎進軍

するのみである。

 これに困ったのは呉韓だ。ここで双に動かれては全て台無しにされてしまう恐れがある。双軍は魏領を

通るから、魏もまた双に靡(なび)くかもしれない。いやまだ魏などは良い。今呉韓に付いている元周所

属国がどう動くかの方が問題だ。彼らも呉韓には恨みがある。状況から仕方なく従っているのでしかない

のだから、双という大樹が来ればそちらに寄るだろう。

 手を尽くしてこれを止めようしたが、そこへ今度は秦が横槍を入れる。秦としてはこのまま呉韓と無益

な争いを続けているよりは、双を支援し、一挙に事を決めてしまう方がいい。

 双がこれ以上領土拡大する事には不安がある。それは確かだ。しかし双は呉韓よりも遥かに御しやすい

相手である。ならば呉韓に獲られるよりは、双に獲らせた方が良い。秦は呉韓と議論を続けながら軍を急

ぎ整え、双へは全面的に支持し援助する旨の使者を送った。

 その上で魏へも干渉し、どの道呉韓とは対立するしかなくなったのだから、今は早々に双に付くべきで

あると伝えている。

 そうなれば魏も頷かざるを得ない。最早呉韓と共に行く道は消えた。ならば秦か双しかない訳であり。

それしかないとすれば一時でも早くそうする事が良策。双と秦が味方してくれれば、呉韓とも互角以上に

渡り合える。

 他に選択肢は無い。秦に同意し、すぐさま双にもその旨の使者を送った。双軍は領内を自由に通行して

良く、魏もまたできる限りの手助けはすると。その上で周にも降伏は受け容れられぬとの使者を送り、前

言を撤回した。

 双は機嫌を直し、秦と魏に対してその心殊勝であると返答している。魏が泥を被ってくれる事になった

ので、秦としても万々歳である。

 こうして結局呉韓だけが孤立する事となった。呉韓もまた失策を犯したのである。逸るあまり理性を失

した。そのせいで無闇に敵を増やし、どうにもならない状況に陥っている。今更何をどう言った所で情勢

は好転すまい。せめてよりましな道を探る事が唯一今できる事である。

 呉韓内には、こうなっては仕方ない、周と通じて魏を討ち、そのまま双か秦へ攻めかかるべきではない

か、という意見も出たが。それは先の件以上に乱暴かつ危険な行為であるとし、これ以後は双秦との関係

改善に努める事に決めた。

 呉韓としては、なるべく心象を回復し、戦後の交渉を少しでも有利にしたいという考えである。呉韓が

周領を粗方手に入れている事には変わらないのだから、せめてそれだけでも安堵できるようにせねばなら

ない。

 その為にも魏へ攻めかかったのは一部の者達の暴挙であったとし、高官と将から何人か責任を取らせ、

首を斬らせたようである。辞職ではなく、斬首という意味で。

 今まであれだけ我意を通そうとしていたにしては、あまりにも都合の良過ぎる話だが。呉韓もまた、形

振り構っていられなくなっているという事だろう。

 秦は苦々しく思いながらも、ある程度その意を認めなければならない。何故なら、秦もまた今はまだ呉

韓とは戦いたくないからだ。

 互いの利害は一致し、秦が呉韓を擁護する形で双を納得させ、呉韓は孤立状態から回復する事が出来た。

 しかし当然この件に関し、魏は不満を隠せない。このままで済ます気は、さらさらなかった。




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