14-7.思惑は黒き月のように


 呉韓の問題が一先ず解決した事で、双秦魏は周に専念出来る。双秦は周の降伏など初めから認めていな

いと突っぱねるつもりだ。魏がおりた以上、憚る必要はない。周は当然それに対して非難の使者を発して

いるが、最早気力も失せたのか、使者に選ばれた者にも覇気はなく、諦めきった表情である。

 何かを成す為ではなく、決まりだから送った、というような色が見え。どの国家も相手する事なく、形

ばかり話を聞いた後、慇懃(いんぎん)無礼に追い返している。

 周にはもう最後の一花を、というような気持ちは無いようだ。後は周が勝手に所属国を助力の対価にし

ていた事が解れば、その時点で瓦解するだろう。これ以上手を下す必要さえ無いのかもしれない。

 周所属国も今更降伏が許されぬ事は解っている。これだけの軍が動いたのだ。その褒賞とする為には、

最低限今残っている周領の全てを奪わなければならない。周には双の属国となる道も、臣従する道も無い

のである。あるとすれば領土を渡す代わりに命を助けてもらう事だが、そんな事にどれだけの意味がある

のだろう。

 生き延びて、どこかが受け容れてくれればいいが、多くは路頭に迷う事になる筈だ。新領土にも臣と兵

が必要だが、それが彼らである必要は無い。兵は何とか受け容れてもらえるとしても、周臣は不必要であ

る。周にも名のある臣が居たのだが、今回の不手際でその名を大いに下げているし。主だった者はほとん

ど自国へ戻ってすでに寝返っているのだから、今更他国が欲しがるような人材は残っていない。

 西方四家はそれぞれ連合政権の形を取っていたのだから、有能な臣が全て西方四家出身とは限らない。

今残っているのは周出身などそれだけの理由がある者、上手く状況を打破できなかった者だけである。

 生かしても禍根となる者と役立たず。乱世に生きる道の無い者達である。

 それを察したのだろう。名のある者の中でも心ある者は王に自害を勧め、自身もまた自害し果てた。王

の決意を促す為、率先してそれを行ったのである。当てもなく逃げ、惨めな境遇に陥るよりはと、最後の

諫言(かんげん)をしたという所か。

 周王も暗愚ではない。何も解らない訳ではないし、その大部分を名臣に頼っていたとしても、考える力

くらいはある。事ここに到れば、何をやっても無駄だという事は理解できる。散々足掻いて叶わなかった

のだ。無力さは骨身に染みて解っていただろう。

 結局軍に蹂躙(じゅうりん)される前に、王や主だった者の命と引き換えにして、民と兵の命と安全を

保障させる道を選んだ。秦双もそれを受け容れ、周王家は女子供に至るまで命を捨て、全てを差し出す事

によって、血少なく歴史に幕を下ろしたのであった。

 早過ぎる諦めだと言う者も居る。潔い最期だと言う者も居る。だがどちらにせよ、周の最後は愚かであ

った。自業自得であり、同情の余地は無いと言える。自らの欲によって滅んだのだから、彼らも本望であ

っただろう。

 例え彼ら自身がそう思わずとも、それはそういう事になる。被害者というには、あまりにも大きな事を

犯しているのだから。

 最後まで残った周所属国達の反応は様々だが、自決するにせよ、戦うにせよ、程無く治められ、この国

々もまた歴史から姿を消した。少なくともその国々の名は二度と浮かび上がってこない。他の滅びた国と

同じく、歴史の中に沈むのである。

 得た領土はほぼ全て双が取り、秦と魏には褒美として双から幾らかの金と物資が与えられた。秦魏はそ

れを賜り、祝賀を述べる事で、騒乱に蹴りがついた格好である。

 とはいえすでに生まれている感情は収まらない。戦など乱の一部に過ぎない。忌むべきは、もっと深い

場所で蠢(うごめ)いている。



 周が滅亡すれば、続いて論功行賞が始まる。無論一国の中でだけのものではない。双、秦、魏、呉韓、

四勢力の中で定められる、形を変えた領土争いである。

 決められるべきは最後に残った周勢力の領土だけではない。周を裏切って呉韓に付いた元所属国達の領

土が多く、この乱が始まる前の周領の半分以上をこの所属国達が持っている。例え呉韓に服したのだとし

ても、それをそのまま認める訳にはいかない。

 確かにその当時は呉韓と周の戦であったとしても、そのような理屈では双も秦も魏も納得しない。魏は

取るに足らないのだが、双秦は呉韓にとって脅威である。しかも魏を勝手に攻め立てた非があるし、それ

を呉韓自身も認めている。ある程度は譲歩せざるを得ない。

 しかし呉韓も領土をあっさり手放す訳にはいかない。双秦との仲に一度入ったひびは簡単には埋まらな

いだろうし、いつまた敵対する状況にならないとも限らない。今はその為に少しでも多くの力を持つ事が

必要であり、だからこそ本来なら力で奪う事が望ましい所を、一つでも多く領を得、疲弊を防ぐ為に簡単

に降伏を許した。

 ここでそれを手放してしまえば、全てが無駄になってしまう。譲歩するしかないとしても、簡単に渡す

つもりはなかった。不穏の種か金、それに代わるだけのものを得る必要がある。

 呉韓は主導権を握る為にも、逸早く案を出した。

 この乱で一番矛を収めるのが早かったのは呉韓である。魏侵攻を諦めた時から、再編以上には軍を動か

していない。作戦も立てず、軍事的行動を慎んできた。

 だがその間黙って慎んでいた訳ではない。軍を止めると同時にすぐさま後の論功行賞へと頭を切り

替え、善後策を練っていたのである。

 寝返った国の所有権をいくつか渡さなければならない事は防ぎようが無いが、ただで渡すのは惜しい。

例えばその内部に不穏を抱えた国、仲違いしている国と国、を差し出す。そういう点を考慮すれば、逆に

双秦の力を弱める事ができるかもしれない。

 新領土の統治は難しい。以前の統治者ごとそれを得たのなら尚更だ。王の忠誠心も低く、虎視眈々(こ

したんたん)と隙を窺っているだろう。一度裏切った者が、二度裏切らないと、誰が言えるだろうか。そ

の心を上手く利用すれば、名義上は他国の物でも、自分の味方とする事ができる。

 呉韓は他国が周に関わっているのを幸い、その為の準備を進め、逸早く案を練っていたのである。

 呉韓以外の国には今の所明確な案はない。特に双は西方の事をほとんど知らず、重臣達も情報収集を怠

っている。軍の兵数やどこがどこに寝返ったのか、程度は調べていても、その内情や感情にまでは全く気

を配っていない。西方諸国が各々複雑な関係にある事など、考えた事すらないかもしれない。

 何しろ彼らは始祖八家の最後の一家。取るに足らない家柄の者など考慮する必要はないと考えており、

双が来れば喜んで出迎えるだろう程度に思っている。趙深が様々な事を行った後でも本質的には何も変わ 双は初めから全くと言っていい程変わっていないのである。成長も衰退もしていない。双重臣である、そ

れだけが彼らだ。

 呉韓が出してきた案についても、ご苦労である、程度にしか思っていなかったようだ。面倒な仕事を、

それに相応しい者がやった。これは当然の事で、任せておけばいい。双は上に居て、ただ頷いてやれば良

いのである。

 しかしこの案に猛然と反対したのが秦だ。当然だろう。秦は西方の内情に詳しく。後手に回ったものの、

情報力が呉韓に劣る訳ではない。秦も秦で同様の事はやっていたし、すでに多くの国へ手を伸ばしてもい

る。ここで呉韓に出し抜かれる訳にはいかなかった。

 こうして再び呉韓と秦の間で火花が散らされた訳だが、事態は呉韓に優勢に進んでいる。何故なら双に

とってそのような事は些事でしかなく。秦には呉韓案に代われる計画が出来上がっていない。双にその気

が無く、代案も無いのではどうしようもない。

 だが秦は諦めなかった。呉韓は一度双を無視して魏を攻めている。そのような者達が信用できる筈がな

い、と双に働きかけ。秦案を出すまでの時間稼ぎをしようとしたのである。

 勿論、魏も黙っていない。双自身には大した考えはなく、結局いつも雲のように風の吹くままゆらりゆ

らりと運ばれていく事を、魏も充分に理解している。双は一番強い風に従うのであり、その風は軍事力で

はなく主に重臣達の感情である。

 そこで使者を幾度も発し、畳み掛けるようにして双の方針を秦案へ向けさせようとした。いや、それを

もう一歩越えて呉韓と敵対する道へ運ぼうとした。魏の発言力は小さいが、それでも秦と足並みを合わせ

る事で、上手く事を運ぼうとしたのである。

 魏は呉韓に滅ぼされそうになった事を忘れていない。双の庇護を受けるしかなくなった今でも、いやだ

からこそ出来る事がある。皮肉にも双が魏を己が一部と見る事で、魏には相応の発言力と双を動かせる理

由が生まれるのである。

 双重臣の心は揺らぎ、再び力関係は拮抗して、時には秦魏が優勢になる事さえあった。しかしそれは決

定に至るような傾きではなく、双も迷わされる事に痺(しび)れを切らし始め、はっきりと苛立ちを覚え

ている。一体どちらにすれば良いのか。いつまで待たされなければならないのか。双は不愉快極まりなか

った。

 遂には双臣達は軍を率いて双へと帰ってしまおうとした。それは全てが決まってからにしてくれと、秦

魏が必至に止めるのだが、聞く耳を持たない。それどころか呉韓案に横槍を入れた秦魏に対して不信感を

抱き。呉韓がすでに双の為に案を用意していたというのに、秦魏揃ってみだりに反対し、無駄な時間を使

わせるとは何事か、と叱責の使者を発する有様だ。

 秦魏もまた腸(はらわた)が煮えくり返るような想いであったが、ここで双に帰えられてしまえば呉韓

に押し切られてしまいかねない。ねばって食い下がったのだが、結局最後まで聞き入れてくれなかった。

 喜んだのは呉韓だ。秦魏が時間稼ぎなどをしてくれたおかげで、かえって呉韓の印象を良くする事にな

った。双は単純であるから、以前の事など忘れ、西方問題に関して呉韓を頼りにするようになるだろう。

呉韓と双が組めば秦魏も敵ではなくなる。しくじりはしたが、結局最後は呉韓が勝つのだと、得意満面と

は言わぬでも、それに近い気持ちではあった筈だ。

 だがそれこそが本当の狙いだったのである。

 細かな修正は加えられたものの、最終的には双によって呉韓案が採られる事になった。しかしそれこそ

が魏の望み。双を理解したという意味は、秦案を採らせる事ではなかった。魏にはもっと根深く、憎しみ

に満ちた狙いがあったのである。



 呉韓との争いに敗れた事で、秦は大した領を得られていない。そもそも参軍したのが遅く、結局戦らし

い戦をせずに終わった為、大きな功を立てていなかった。初めから発言力が弱く、その事もまた呉韓に敗

れた原因の一つである。その上双の不興を買ったのだから、かえって損失だけを得たようなものだった。

 だが秦も秦でやるべき事はやっている。呉韓案が基本になってはいるが、呉韓の失態を厳しく追及する

事で秦の意を通し、いくらか手を加えている。もっとも、その程度は呉韓も想定していただろうから、損

害を与えたと考えるのは早計というものだろうが。

 それでも魏を通して双と繋がる道を得た事は大きい。魏は小国であり、さほどの力は無いし。呉韓のお

かげで軍が半壊している状態にあるから、警備力とでもいうべきものが衰え、間者や使者を双に行かせる

のに苦労がなくなっている。

 魏自身も呉韓と仲違いしているから、利用しやすい。

 魏も魏で必死に双王宮に取り入ろうとしているようだが、高が知れている。無視はしないが、さほど心

配せずとも良い問題であろう。

 今はそれよりも呉韓と双の得た新領土の事である。

 呉韓もそれらに干渉してくる筈であるし。双の本拠地と離れている事を幸い、所属国は所属国で好きに

しようと考えるかもしれない。秦もまた動き、これらを取り込んで味方にしたい。双に恩恵を与える事な

ど、初めから考えてもいない。双もまた敵である。同盟しているとはいえ、あくまでも一時の方便。情勢

が変われば態度も変わる。それが国家間の同盟関係。いや、人同士の関係というものである。

 しかし現状では呉韓が優位にある事は否めない。呉韓の方が先に動いていたのだからこれは当然であり、

それを取り戻す為には並々ならぬ苦労が要る。ここは一つ、効果的な手を打っておく必要があった。

 呉韓との交渉が進み、多くは呉韓の傘下に入ったとはいえ、所属国達には呉韓に対して無視できぬ恨み

がある。周に属していたのも強制されての事ではない。そこには彼らの意がある。周を動かしていたのも

周一国ではない。所属国達の意思もまた大きく作用していたのだ。

 その事は秦にも良く解る。呉韓もそうだ。全く同じ形を取っていたのだから、誰よりも理解できる。

 彼らは一枚岩ではない。その中には多くの想いがある。今回も時の流れとして仕方なく従っているので

あって、そもそも呉韓は仇である。周への忠誠心は低いが、志を同じくしていた一つの勢力を滅ぼされた

という恨みはある。

 それに後から加わった者程肩身が狭いものだ。初めから呉韓に属していた国には、上位意識のようなも

のもあるだろう。新参よりも古参が偉い。そういう気持ちは誰にでも生じる。

 そこを突けば、秦を優位にする事も、或いは可能であろう。だからこそ秦も最後には呉韓案を受け容れ

た。これが絶対的に呉韓に優位に働き、対策が無いのであれば、秦は最後まで抵抗し続け、せめて折衷案

に持って行こうとしただろう。

 だから手はある。呉韓の好きにさせはしない。

 しかし大きな問題もある。

 それは元周所属国が、呉韓に対してよりも秦の方へより根深い恨みを感じているだろう、という事だ。

 西方四家では秦と周が一つ上にあり、その事で秦と周が激しく対立していた事を何度か記してきた。そ

してそれに対抗する為に呉と韓が結び付き、状況はいくらか変化したのだが、周が秦に対して呉韓に対す

る以上の敵対心を抱いている事は変わらない。その心は当然、所属国も共有している。

 秦が秦の狙いあって呉韓案を受け容れたように、呉韓にもこういう利点があったからこそ、幾らか秦に

譲歩したのだろう。理由がなければ、呉韓もまた最後まで必死に抵抗した筈である。どちらも思惑あって

行動している。決して無為に過ごしている訳ではない。

 元周所属国に取り入るには、どうしても秦の方が不利なのだ。

 実際、秦は苦戦を強いられている。秦に属している国々には、周に属している国々と対立関係にある国

も多い。秦と周が一歩抜きん出ていたとすれば、対立する一方が秦ならもう一方は周に行くのが自然の流

れというもの。

 西方諸国が西方四家のどれに付くかにあたって、地理的状況なども少なくない影響を与えたが、最も大

きく作用したのは国と国との感情である。

 だからこそ一つにまとまれず、西方四家という体制に落ち着くしかなかった。今回呉韓に割合あっさり

属したのも、秦に対する悪感情があったからだろう。秦と呉韓どちらかしか選べないのであれば、当然呉

韓を選ぶ。

 呉韓も初めからその感情を計算して計画を立てていた筈だ。呉韓には今更秦と手を取り合って行くよう

な気はさらさらなく。西方統一の為、雌雄を決する覚悟でいる。その第一歩としての周滅亡であり、次に

滅ぼすのは秦。それを行えるだけの勝算がなければ、初めから動いていない。

 だがここで忘れてはならないのが、元周所属国には呉韓に大しても恨みがある、という事だ。

 今は秦憎しの想いに隠れているとしても、呉韓憎しの想いが確実に存在する。それも少量ではない、多

量に存在している。

 それを踏まえた上で考えるのが双という存在だ。便宜上とはいえ、双は戦勝国の盟主といえる立場にあ

る。初めに周を攻めたのは呉韓であるが、魏の反旗と干渉、そして呉韓の独走、などによっていつの間に

か双連合対周という図式になってしまっていた。

 という事は、元周所属国達が例え呉韓に対して降伏していたとしても、双に降ったのと同じになる、と

いう理屈が成り立つ。勿論強引な理屈で、屁理屈そのものと言えるが、双などは諸手を挙げて賛成するで

あろうし、元周所属国達も秦や呉韓に属するよりは・・・、という気持ちになるのではないか。

 秦と呉韓の二者択一なら呉韓に行くしかない、のであれば、そこに双というもう一つの選択肢を入れる

事で呉韓の思惑を逆手に取り、別の状況を作り出す事が出来るのではないだろうか。

 それは双を更に強大化させてしまう事になるとしても、呉韓がそうなるよりはましである。秦は双と元

周所属国達へ、この意図を持って工作し始めた。元周所属国も初めは胡散臭く思って警戒したようだが、

貴方達が呉韓に付かない事が今の秦にとって何よりも利になるのだ、と素直に説明すると、幾らか納得し

たのか話を聞いてくれるようになっている。

 よくよく考えれば、元周所属国達にとっても悪い話ではない。双本国との間には魏があり、本国と切り

離されている分だけ、自由に動く余地が生まれる。それに呉韓よりも双相手の方が精神的にも現実的にも

楽である事は確か。秦にそれを言われるという事に腹立たしさを感じはしても、それを置いて考慮するに

足る選択肢だ。

 結果どうなるかは解らないし、即呉韓から離反する、というような事は無理だとしても、その可能性が

生まれた事は、呉韓への良い牽制となるだろう。

 このように秦と呉韓との争いは、戦場から外交の席へとその場所を移しながら、激化の一途を辿ってい

る。秦と呉韓との戦も、いずれ避けられなくなるだろう事は、明白であった。



 西方の大きな変化を他の国々も黙って眺(なが)めていた訳ではない。特に中央東部、そして東方南部

の諸勢力達の動きが再び活発化しつつある。西方が西方内で揉め、それどころか一勢力が滅びたとなれば、

西方には他を気にする余裕が無くなる。

 つまりそれは、集縁一帯が手薄になり、諸勢力に対しての締め付けというのか圧力が弱まる事を意味し

ている。集縁も秦と同盟を結ぶ楓も、その力は弱くないとしても、西方が安定していた時に比べれば、動

員できる兵力がはっきりと減少する。その上西方、北方、両大同盟の意義と関係が薄まり、様々な手を打

つ余地が生まれている。

 例えば呉韓。秦が敵以外の何者でもなくなった今、集縁一帯と楓は邪魔でしかない。今一番呉韓が恐れ

るのは、集縁と楓、そして秦によって挟撃される事だろう。もしその上に双まで動かされたとしたら、終

りである。

 だがそこで中央東部、東方南部が動くとしたらどうだろう。集縁と楓はそちらに目を向けざるを得なく

なり。呉韓が秦に専念できるようになる。状況が五分なら、双を味方に付ける事も可能だ。そして秦を破

れば、双とて恐れるに足りない。呉韓にとって、諸勢力と繋がる価値は充分にある。

 北方の楚にしてもそうだ。大人しく今の立場に甘んじているが、決して野望を捨てた訳ではない。双、

衛、楓と三国に挟まれている状況を打破したい。その為にもう一波乱起こってくれれば、と考えている

筈だ。姜尚(キョウショウ)が富国強兵に専念しているのも、そもそもその為だという考え方もできる。

 何か起こせば、表立って動く事はないとしても、裏では協力してくれる可能性がある。

 そう考えていけば、楓もそうだ。秦と同盟を結んでおり、集縁と良好な関係を築いているとはいえ、元

々は集縁こそが楓の本拠地。喉から手が出る程欲しい筈である。その点を突けば、或いは都合の良い立場

を取らせる事ができるかもしれない。

 今まで妄想でしかなかったものが現実味を帯びてきている今、大人しくしている理由はなかった。彼ら

はいつも乱を待っている。その機会を待っている。西方が大きく動き始めた今、それに乗らない手はない。

 彼らもまた己が野望を叶える為に動く。

 大きく動いたのは蜀である。孫後の乱が落ち着いてからは大人しくしていたようだが、今を好機と再び

策動を始めた。その視線は西を向いている。このまま中央東部を呑み込み、勢力を増大させつつ集縁に迫

るつもりなのであろう。

 蜀の動きは布と伊推(イスイ)が知らせてきた。そして伊推の知らせには、子遂(シスイ)に不穏の動

きあり、とも記してある。恐らく衛の趙深にも使者が飛んでいる筈。趙深は即座に善後策を練り、楓へ伝

えてくるだろう。楓流は悪戯に動かず、いざという時の為に軍備を整えながら、趙深よりの使者を待つ方

がいい。西方の事もあり、無闇に動けば余計な乱を生みかねない状況だ。

 趙深から連絡が来るまでにはまだ時間があるだろうから、楓流は集縁へ行き、甘繁(カンハン)と話し

合う事にしている。蜀が動くとなれば、集縁に居る甘繁も不安を覚えている筈。秦との同盟の事もあるし、

楓にも個人的に集縁に対して並々ならぬ想いがある。放っておく事はできない。

 甘繁は秦本国に使者を発し、その返答を待っている所であった。勿論、戦争準備も怠(おこた)りなく

やっている。

 この先どうなるにせよ、軍を動かさざるを得ない事態となるだろう。西方の呉韓の動きも気になるし、

やるべき事はやっておかなければならない。

 蜀が動いたのも勝算あっての事である筈だ。ならば自然、呉韓と何らかの繋がりがあると考えられる。

集縁を狙うとすれば、呉韓と繋がらないとは考えられない。或いは事を起こしてから繋がろうと考えてい

るのだろうか。

 どちらにせよ、集縁にとって良い事はあるまい。

「いざとなれば貴方の力をお借りする事になるだろう。東部への工作も以前からしていたのだが、今とな

ってはそれもどれだけの効果があるか。西方がああである以上、中央への支配力は大きく落ちる。よから

ぬ想いを抱かない者がいないとは言えない。そうなれば、我々の力のみで対処する事になる」

 甘繁もまた戦争必至の状況になると考えているようだ。その際に恐れるべきは呉韓が集縁に攻め寄せて

くる事だが、彼はまずそれはないと言う。

「確かにそうされれば集縁は窮地に陥る。だが呉韓にも秦本国と集縁へ軍を二分できる程の余裕はないだ

ろう。それにいざという時の為、呉韓は蜀とは関係ない、という形を取っておきたい筈。これからどうな

るにしろ、発端はあくまでも蜀の暴走であり、呉韓と蜀には何の関係も無い、という事にしたい筈だよ」

 そう言われてみると、そうであるような気もする。

 双という厄介な存在が居る以上、呉韓としてもなるべく大義に沿った形を取りたい。秦と戦になるとし

ても、他を巻き込まず、あくまでも秦と呉韓との私闘である、という形を取りたい。

 呉韓の状況を考えれば、少しでも敵を増やさない方法を用いる筈だ。だから蜀が動き、集縁一帯を挟撃

する機会を得たとしても、呉韓が動く可能性は低い。呉韓が集縁を攻めるとすれば、秦を無事滅ぼした後

だろう。

 これが甘繁の推測であり、楓流もまたその考えに同意する。

 呉韓としては秦と戦う間、集縁一帯を引き受けてくれる相手がいれば良いのであって、それ以上ではな

い。それに蜀との間に表立って盟約が結ばれていなければ、もし蜀が集縁を奪ったとしても、そのまま蜀

を滅ぼして更に領土を広げる事が出来る。その上、非道なる蜀を討ち、集縁を開放する という大義名分ま

で得る事ができる。利用し尽くしてやればいいのだ。

 秦との戦は呉韓にとっても存亡をかけた戦だ。手なんぞ選んでいられない。勝つ為にはどんな事もやる。

 それに対して今楓流、甘繁が出来る事は、呉韓の敵を増やす事だけだろう。東方の事は趙深に任せてお

けばいい。例え東方の救援無しに楓と集縁とで蜀と戦う、という最悪の事態になったとしても、何とか凌

(しの)ぐ自信はある。

 呉韓が背後から攻めて来なければ、どうとでもなるのだ。だから今は東方よりも西方の心配をする方が

建設的である。趙深もおそらくそう考えるだろう。

 楓流は甘繁と連署し、使者を双、越へと発する事にした。そして楓流は呉の桐伶(ドウレイ)へも密使

を送っている。呉商は基本的に政府とは別の思惑を持っている。ならば秦が勝った時も変わりなく存続で

きるという保証を与える事が出来れば、味方とは言わずとも、中立か少しばかりの協力ならしてくれるか

もしれない。

 呉商は秦にも楓にも特別な恨みは無い。秦にも呉商に特別な想いがあるわけではない。であれば、充分

に手を打つ余地があると考えたのである。危険ではあったが、桐伶にも楓に明開(ミョウカイ)という戸

籍がある弱みがある。大きくない弱みだとしても、呉韓と秦が一触即発の状態にある今、この事を他の商

人に知られるのは不味い。明開という逃げ場所が桐伶にだけ用意されているのは、他の商人達にとって非

常に面白くない話であるからだ。

 脅すような真似は出来ないとしても、その点を突けば、いくらか譲歩してくれる可能性はある。

 それを希望的観測だと言われれば、それまでであるが。

 しかし人は常に全ての可能性を考え、用いるべきである。それこそが生きるという事ではないだろうか。




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