15-11.誤認


 季柱の力を削ぐには、季柱閥以外の、いや季柱閥をも含む蜀臣達との仲を裂き、そこに宿る悪感情を決

定的なものにする事である。

 そうする為に楓が打てる最も効果的な手は、すでに楓は季柱を見限っている、と示す事だろう。

 彼らに対する楓の影響力は大きい。半分はそれが為に季柱に従っていると言ってもいいくらいだ。最早

季柱の後ろに王を見ておらず、その背後には楓を見ている。だから楓の力が他に移ったとなれば、それだ

けで季柱の力を大きく削る事ができ、より楓にとって望ましい方向へ持って行ける。

 一端蜀から手を引く方が良いのではないか、そうすれば力を失った季柱閥とその他とか勝手に争って自

滅してくれる、という考え方もあるだろうが、楓が蜀から例え一時であっても手を引く事はよくない。

 そんな事をすれば、季柱に怒った楓が蜀に対し報復行動を取るつもりだ、と受け取られてしまうかもし

れない。人の多くは物事を単純に理解したがる。だからこの場合も季柱に怒った楓が、その刃を持って蜀

に身の程を示そうとする、と考えてもおかしくないのである。

 そうなれば、分裂しそうだった国内が再びまとまり、一致団結して反楓行動を取ってくるかもしれない。

滅ぼされるくらいなら、敵と手を結んでも生き延びたい。敵の敵は味方、とそういう訳である。

 内と外という関係を簡単に解消できるものだとは思わない事だ。外から来た者はいつまで経とうと外か

ら来た者でしかなく。より恐ろしいものとして人の目に映り、身内とは根本的に扱いが違ってくる。平時

は良いとしても、乱れてくるとその事が大きな影響力を得る。楓人と蜀人がまだ人種的に同じだから良い

が、顔貌、髪や体の色まで違っていたとしたら、もっと攻撃的な反応を生み出してしまってもおかしくは

ない。

 そう、丁度大陸人と賦族との関係のように。

 そういう溝というものはまず埋まるものではなく、例え浅く細くできたとしても、いつまでもその間に

横たわり続ける。同じ人間、いつかは解り合える。そう思う事がそもそもの間違いであり、人間はせいぜ

い互いに互いを尊重し合う程度の事しかできないのかもしれない。

 もしそれが可能であったとしても、恐ろしく困難な事業であり、多くの時間と、様々な幸運の積み重ね

が必要になると思える。

 それを望むに人間程度では分不相応だと思える程、難しい事であろう。

 わざわざこちらから敵に団結させる理由を与えてやる必要はない。季柱も愚かではないのだ。利用でき

るものは全て利用する。隙を見せてはならない。

 ではどうするか。

 先も述べたように、移すのである。手を引くのではなく、手を伸ばす相手を変える。この場合で言えば、

季柱を捨て、蜀望に鞍替(くらが)えし、より楓に対して好意的な政府を誕生させるのだ。

 蜀季という手もあるが。確かに彼はまだ健在だとしても、未だ季柱の手の内にある。例え彼自身がどう

思うようになっていたとしても、今更季柱から脱する事は困難だろうし、それを季柱が決して許すまい。

 志願者を募って強引に助けるという手もあるが、考えてみれば蜀季自身もまた兵や民から憎まれている。

例え季柱に操られていたに過ぎないと解っていたとしても、今更居住まいを正して蜀季に忠誠を誓う、と

いう事には抵抗がある筈だ。

 あれ程盛んに不満を述べていたのに、自分が誤っていた、前王は悪くない、などと今になって言えるも

のではない。それほど多くの人の心は、柔らかくできてはいないのである。

 それに実行犯は季柱だとしても、彼が付け入る隙を生んだのは蜀季である。蜀季自身が武官を遠ざけ、

文官のみを厚遇した。その結果としての今ならば、自業自得でしかなく、同情の余地などは存在しない。

蜀季に好意を持つ者はまず居ないだろう。

 だからこそ蜀季を隠居させた事で、一時は治まったのである。

 ここはやはり蜀望だろう。幸い彼は無害な存在と思われており、敬意も受けていないが、敵意も向けら

れていない。季柱がそう考えたように、楓流にも御輿(みこし)として担ぐには最適な人物と思えた。

 しかしその人となりを調べていく内、どうも噂されているような人物ではないと思われてきた。

 人の評価というものが、その人ではなく他人から発するものである以上、いかに発した人間が公明正大

であれ、正確なものだとは限らない。初めからどうとでもない人物という先入観を与えられていれば、尚

更だろう。

 人は一々他人の事を詳細に調べるような事はしない。だから往々にしてその人物を見間違える事がよく

ある。それはどんなに優れた人物にもいえる事だ。凡庸な人間を英雄視した例も、英雄を凡庸視した例も、

歴史を見ればいくらでも出てくる。どんな人物であれ、見誤る事がある。それほどに人を見るという事は、

難しい事なのである。

 蜀望は確かに茫々(ぼうぼう)として見え、それがともすれば愚鈍に映る。しかしよくよく見、その言

葉を聞いていると、それは愚かさではなく、懐の深さ、人間としての大きさ、或いは知恵がもたらしたも

のである事が解ってくる。

 蜀に蜀鯉という存在が居る限り、蜀望にその力を発揮する機会はなかった。むしろ有能であればあるほ

ど兄に疎(うと)まれてしまい、碌(ろく)な事にはならないだろう。その力を恐れられれば最悪殺され

てしまう事もありうる。

 兄弟とはいえ、いやだからこそ最大の競争相手なのだから、それも仕方のない事なのかもしれない。仲

の良かった王族の兄弟が居なかった訳ではないが、世が乱れている時は大抵反乱の旗頭とされるか、互い

に争い合ってどちらかが失脚、或いは殺されている。

 人の中には、それは必要な事で、争うからこそより強い王が立ち、国としても強くなる、と考え、その

行為を肯定する者も少なくない。

 確かに、勝つ、という事以上に権威を証明できる手段は他に無いだろう。そしてはっきりさせるからこ

そ、初めて正当性が生まれる、という考えも成り立つ。あたら乱を起こして世を乱すのは悪ではないか、

そう言われればその通りだが。これは単純に一時の善悪で量れるものではなく、一つの結果として後世の

人間が歴史と照らし合わせ、勝手に判断するしかない事だと思える。

 それに何を言ったとて、それを止める事はできない。乱世に権威がはっきりしないという以上に恐れる

べき事態はなく。確かにそこにはそれぞれの派閥の権力争いという面もあるが、それをしておかないと後

に禍根を残してしまう、という現実的な理由もあるのだ。

 多くの人がその禍根を残す事こそが滅びへの道であると考えている以上、止める事などできはしない。

 善悪ではなく、心の安定の問題なのだ。

 だから能ある鷹(たか)は爪を隠すのであり、人間の事を少しでも考えた事のある人は、自分を誇示し

て無用に敵を作る事を恐れる。不安定にさせられる要素を恐れるのである。

 中には敢えて愚人を装う者すら居る。その人に並みの人間には量り難い器量がある、という場合もあ

るが、大抵は自己防衛の為に敢えて愚を演じている。

 蜀望もまたこの類だが、少し違うのは、単純に彼が兄が居る以上、自分の力は必要なく、それを出す意

味がない、と考えている点である。争いが嫌いでも野望の為に雌伏するのでもなく、不必要から用いない。

そういう人物であるようだ。

 生来野心が薄く、隠棲癖すらある男で、子供の頃から世の中の事を見過ぎ、そして考え過ぎていたせい

で、こんな場所で生きるよりも、何処か人間の少ない場所に引っ込んで大人しく暮らしていた方がどれだ

け安全だろう、という具合に考える型の人間だったようである。

 それは側近というべきか、付けられた守役に度々そう漏らしている事からも解る。

 しかしこの守役が蜀望とは対称的に、何と言うべきか、やる気の多い男で、老人のように枯れた事を呟

く王子を叱咤激励(しったげきれい)しながら、いつも蜀望を立てる道を探していた。それが今回有力な

王子がどちらも国を去っていった事で奮起し、蜀望の意思をよそに、強引に策動し始めているらしい。

 守役にとってそれは、国を簒奪する季柱を倒し、正統なる、そして彼からすれば真に王となるべき器で

ある蜀望が王位に就く、というあらゆる正義と道徳に適う事なのであった。

 この守役の名は、蜀礼(ショクライ)。王の縁戚に当たるがその血は遠く王位継承権は無い。本来なら

その姓を名乗る事も許されないような家柄で、以前は属(ショク)姓を名乗っていたのだが、若き頃獅子

奮迅の活躍をし、その功あって蜀姓を許され。老齢となって戦線を退いてからも王族からすら一目置かれ

ており、最後の奉公として蜀望の守役を命じられた、という男である。

 王位から最も遠いだろう蜀望に付けられた事からも、王がその存在を恐れていた事が解る。

 髪も白髪ばかり、その四肢からも老いは隠せないとはいえ、まだまだ元気で、蜀望が立つその時には自

ら先鋒(せんぽう)を務めると豪語しているような老人であり、裏表のない性格から未だに兵や民からの

人気は高い。姜尚(キョウショウ)を絵に描いたような武人にさせた姿、といえばよく伝わるだろうか。なか

なかに面白い老人である。

 楓流が近付くとなれば、そしてその目的を叶えたいのなら、この男に近付くのが最も早い。一言告げれ

ば後は十も二十も勝手に進めてくれるだろう。

 楓流はその人となりを見極めた上で頷(うなず)き、蜀礼へ近付く事を決めた。



 蜀礼は簡単に乗ってきた。根が単純なのか、人が良いのか、全く疑う素振りもない。計略ではないのか、

とも考えたのだが、どうも本心からそうであるらしい。彼は隠さない事から友誼が生まれ、そしてそれを

続ける事こそその関係を真ならしめるものだと考えている。

 その信念からすれば、当然の態度なのだろう。彼ほど経験豊富な人物なら楓の目論見も重々承知してい

る筈だが、だからこそ楓の協力を疑わないのかもしれない。楓にとって蜀望が有益な人物である事は確か

で、それが必要である限り、決して楓は蜀望を害しないという保証になる。

 それに蜀望と蜀礼を騙(だま)した所で、楓に得な事は何一つない。かえって季柱に付け入る隙を与え

る事になるだろうし、無益どころか有害になろう。

 だからいっそ胸を開いて堂々と近付き、敵意のない事を示しておいた方が蜀望の為にもなるし。蜀望が

政権を完全に握った後でも、楓に好意をもたれている事は非常に役に立つ、という訳である。

 楓としても蜀を攻め滅ぼす必要は無く、蜀が余計な時に余計な事さえしなければそれでいい。むしろ今

無闇に領土を広げる事は、他国に緊張を抱かせ、警戒させる事になるのだから。蜀が大人しくしている限

り、わざわざ害を与えるような真似をしない筈である。蜀礼も楓の利害くらいは心得て計算している。な

かなかにしたたかな人物だ。

 そしてこの老人には楓が望む以上に性急に事を進めたがる癖(へき)がある。そのせいで誘いをかけて

いる楓の方が、逆に蜀礼に誘導されているようなおかしな構図になっている。

 だが楓流個人としては、こういうやり方も嫌いではなかった。蜀礼には蜀礼のやり方があり。例え一国

の王相手でさえそれを崩さない態度からは、むしろ信頼できる人物だと感じられる。

 それに蜀礼は自ら楓側より幾人か人材を貸して欲しいと言ってきている。表向きは手が足りないから、

今から信頼できる者を揃えている時間がないから、としているが。これは要するにお目付け役を付けて

もらい、常時監視されていても構わない、と言っているのと同じである。

 大胆な態度だと言わざるを得ず。これには楓流も驚いた。

 しかしよくよく考えてみれば、これ以上楓からの信を得る手段はなく。乱暴な手ではない、実に考え抜

かれた決断である事が解る。流石はというべきか。老いても益々盛んとは正に彼の為にある言葉だろう。

 とはいえ楓流は、それで蜀礼ばかりに目が行き、蜀望から逸らしてしまう、という愚を犯すつもりはな

かった。

 蜀望にもしっかりと間者を付け、その動向を窺わせている。蜀礼がしたたかな人物であるならば、その

程度の事は平気でやりそうに思えたからだ。自分自身が他人にどう見えるのかは蜀礼もようく心得ている

筈。だからこそこの歳まで無事に生きてこられたのであり、自らの性質を利用する術もお手の物である筈

だった。

 注意していなければ、気が付かないうちに思惑にはめられていかねない。

 楓流は堂々と正面から手を差し伸べたのは迂闊(うかつ)過ぎたかもしれない、と多少悔いたが。それ

を許すだけの愛嬌を蜀礼は持っていた。してやられたと思いつつも、それを微笑んで許せる自分が居るの

である。

 確かに蜀礼とは、並みの人物ではない。

 これだけのものを持っていて、今まで目立った行動を取らなかった事からも、その才が知れる。蜀望を

やたら焚き付けていたのも、そうする事で蜀望に野心無しという事を知らしめる、という狙いがあったの

かもしれない。

 こう考えていくと、全ての行動に裏があるように思えてくる。気持ちの良い人物ではあるが、それ故に

注意が必要だ。

 楓が己を利する為に蜀望を利用するなら、蜀礼が蜀を利する為に楓を利用してもおかしくはない。油断

せず、引き締めておく必要があった。



 協力すると決まれば、楓流は何ものも惜しまない。余計な口を挟むのは逆効果と考え、ほぼ全てを蜀礼

に任せている。細かに報告を受け、何かあれば口を出す事もあるが、あくまでも蜀礼に重きを置く。

 楓流が一々の事に口を出せば恨みを買うだけであるし、勝手知ったる彼らに任せておいた方が上手く行

くと考えたからだ。

 それでは主導権を常に握られてしまう事になり、蜀礼と蜀望をその分利する事になってしまうが。蜀望

にはある程度力を付けてもらわなければ役に立たないし、こうする事で恩を売れる。

 楓にとっても悪い話ではなかった。どちらにしろ賭けなくてはならない部分がある。それならばいっそ

全てを相手に渡してしまった方が、余計な面倒がなくていい。

 無謀と言えばそうかもしれないが、蜀礼の性格を考えれば、決して分の悪い賭けではない。楓流も勝算

あって決断しているのだ。

 幸い、蜀礼は考えていた以上に働いてくれた。楓の後援を利用し、以前から季柱に対して不満を持って

いた者を口説き落とし、見る間にその勢力を成長させていく。

 気の難しい者も、蜀礼から直々に言われれば、考えざるを得ない。一目置かれている者を敵に回すのは

厄介(やっかい)だし、もし蜀望が政権を得た時、協力的でなかった者はすぐさま排除されるだろうから

だ。蜀望はどうか知らないが、少なくとも蜀礼は気のいいじいさんというばかりではない。重ねた年相応

には知恵も付き、今ではただの猛将ではなくなっている。彼を敵にする恐さは、誰もが知っていた。

 蜀望の為にと常日頃から王子の代わりに政務に関する情報を広く集め、その状況を見て正否の理由を検

討し続けてきた事が、政治家としての彼を自然に育てる事になった。生来の生真面目ともいえる部分が、

意図せずして上手く作用したのである。

 その心に秘めているのも温かいものばかりではない。長年の戦場暮らしによって鋭く研ぎ澄まされたそ

れを、相手によっては振り下ろす事も躊躇(ためら)わない。戦が命のやりとりである以上、そういう非

情さが必要で、当然のように蜀礼にもその心が備わっていた。

 彼は蜀望を立派な王にする事が、自分がこの世で果たす最後の仕事だと考えている。それを邪魔する者

には何一つ躊躇わないだろう。

 だから多くは彼に付いた。楓が後ろ盾になった今、これ以上季柱に付いている理由も無い。

 大勢の人間が初めから季柱に対して嫌悪感を抱いていた事も上手く働いた。力が互角以上であれば蜀望

に付きたいという者が多く居て、さほど労する事無く勢力を増す事ができたのである。

 だが楓流も蜀礼もそのような寝返り者は信用していない。表面上はあくまでも彼らを信頼し、微塵も疑

っていないような顔をしているが。彼らの心が移ろいやすいもので、頼りにならない事をようく知ってい

る。この手の者達はいつもあっちにふらふら、こっちにふらふら遊んでいるものだ。

 実際、彼らは権力の力関係が変わる度に節操無く動き、今もそれを疑問も持たずに続けている。彼らに

は思想というべきものは無い。ただ力ある者に付き従い、命を長らえ、権力のおこぼれに預かる事だけを

考えているような連中だ。頼りになる訳がない。

 だからか、余計な摩擦を避ける為か、蜀礼も季柱閥に深く食い込んでいる者達には接触していないよう

だ。季柱閥の中にも当然日和見主義の者や、計算高い者が居て、そういう者達を取り込むのは難しくなく。

蜀望の勢力が増している今なら、あちらから頼み込んでさえくるかもしれない。

 いや、現に頼み込んできた者もいたとか。しかしそれも蜀礼はきっぱりと断っている。断られれば蜀礼

を憎み、蜀望に不穏ありと季柱に告げるだろうが、構わない。どの道知られる事であり、初めから隠す必

要のない事だ。そんな事よりも、季柱閥の者を受け容れて、後で家臣達の間で揉めるような事態になって

もらっては困る。力は欲しいが、厄介者は少しでも少ない方がいい。

 蜀礼の望みは王位簒奪ではない。蜀王という座を、重く、強くする事、本来あるべき姿にする事だけが

望みなのである。もう二度と季柱のような不埒な者が、王の権力を手にするような事がないようにしなけ

ればならない。それこそが蜀を護る手段であり、望む道である。

 そういう意味では蜀礼は楓流にも警戒している。蜀望に権力を集中させる事には双方の利害が一致して

いるのだが、いつまでもそうとは限らない。今後利害が食い違う事は充分に考えられる。

 その時は例え命を失う事になったとしても、国をあげて徹底抗戦を挑んでくる筈だ。蜀礼は姜尚よりも

好戦的で、それしかないとなれば、どんな手でも打ってくる怖さがある。それはすでに自分の命が長くな

いという事もあるが、その実直な性格故、より直線的、直接的な行動に出やすいのだろう。

 楓が蜀に敬意を払っている間はいいが、もし侮辱するつもりなら容赦すまい。

 ま、それも彼に命がある間の事。それは決して長くはない筈だ。

 ならばさほど問題にはならないようにも思えた。

 楓流もその点を考えていない訳ではなかった。だからこそ蜀礼を事ある毎に立て、名実共に蜀望政権の

柱に仕立てようとしているのだ。蜀礼の地位が重ければ重いほど、それを失くした時の衝撃は大きくなる。

その衝撃が大きければ大きいほど、楓にとって利益になる。

 楓流はそれを待てばいい。それを待つ間の時間も、楓にとって有益だ。その間に力を付けておき、蜀礼

を失っているだろう蜀を安心して手に入れれば良いのである。

 蜀礼はその事も重々知っており、おそらく自らの後継者も育てているだろうが、どれだけ有能な者を付

けたとしても、蜀礼の代わりにはならない。それは姜尚の件でも証明されている。今現在、蜀において蜀

礼以上の名声を持つ者はいない。そしてその名声こそが、何かを治めようとする時に力となるもの。

 それはある意味、大義名分にも似た正当性を生み出す。だから正当性が失われれば、自ずから力を失う。

或いは、楚斉のようにいつまでもその失われた名声に引き摺(ず)られる事になる。

 どちらになるにせよ、楓にとって悪い事にはならない。

 どのようなものにも利点はあるものだ。後はそれを正確に把握し、上手く使えばいい。

 それが難しい事なのだが、楓流に出来ない事ではなかった。



 このように蜀の勢力図は塗り替えられ、季柱は蜀礼が季柱閥を近付けなかった事で、その勢力はかえっ

て安定したとも言えるのだが。如何せん多勢に無勢。季柱閥は権力者に追従するような者達ばかりである

から、実力の無い者も多く。季柱はほぼ孤軍奮闘する事を求められた。

 彼があくまでも王を立ててきた事も、ここに到っては逆効果にしかならない。これ以上我を張るような

ら、それは王に歯向かうのと同じ事。それはつまり自分の権力の源、思想の一切を否定するようなもので、

初めからできない相談だったといえる。

 何しろ蜀望を王に立てたのは他ならぬ季柱である。それを否定する事などできる訳がない。今自らの行

った事の全てが逆効果となって、季柱の首を締め上げている。それを防ぐ術はない。隠居している前王を

担ぎ出そうとも考えた事があったようだが、すでに蜀礼に手を打たれていた。

 もっとも、例え前王を担ぎ出したとしても、前王もまた広く恨まれているから、これも同じく逆効果に

なるだけだったろう。それに前王が今も季柱を信頼しているかは解らない。これまでに色々な事がありす

ぎた。全てを疑い、全てに絶望するには、充分だ。

 蜀望が力を付けた時点で、季柱はもう終わっていたのである。いや、その存在が前面に出てきた時に終

わっていたのかもしれない。

 季柱は裏方に徹していれば良かったのだ。誰にも知らない所で権力を握っていれば良かった。そうすれ

ば特別に敬意を受ける事もなかったろうが、非難の矢面に晒(さら)される事もなかった。背後から王を

操り、私服を肥やしてさえいれば、彼はもっと長い間、安穏としていられたのかもしれない。

 それが自ら表に出て、権力者を装った事が間違いだったのである。今更言っても仕方がないが、王を立

てるつもりなら、それを徹底すれば良かったのだろう。

 蜀礼の苛烈なまでの攻撃もあり、程無く季柱は宰相の座を追われ、一応それなりに重きを持つ役に付け

られたものの、それは実権のない名臣引退後の為の名誉職のようなもので、飼い殺されてしまう形になっ

た。その上、いつ殺されるかも解らない。

 季柱は暫くの間は大人しくしていたようだが、耐えられなかったのか突如身を隠してしまった。先に逃

亡している蜀鯉を頼っていったとも、それとは別の国に亡命しただの、様々に噂されているが、その行く

先を知る者はいない。

 流石に一度は上り詰めた男。こういう場合の逃げ口も作っていたらしく、蜀礼ですらそれに気付くのが

遅れた。慌てて追っ手を差し向けた頃には、まんまと逃げられていた、と言う訳だ。

 どうも蜀に関しては画竜点睛を欠く結果が続いている。蜀鯉といい、季柱といい、今は確かに力を失っ

ているが、生きていればこの先どうなるかは誰にも解らない。またいずれ大いなる敵として、楓と蜀の前

に現れる事も考えられる。その名は覚えておいた方が良いかもしれない。

 季柱は季柱閥の者にも何も知らせずに去っていった為、中心となる点をなくした閥は崩壊。ばらばらに

なった所を蜀礼にその真偽問わず様々な疑いをかけられ、それぞれに処分された。

 こうして蜀望の地位は安泰になり、蜀礼はその役目を果たしたのである。

 そして改めて楓と蜀の間には同盟が結ばれ、その証として蜀季の娘、つまり蜀望の兄弟の中から賢美名

高い姫を一人楓に差し出す事になり、楓流は迷った挙句、その相手に凱聯を選んだ。

 これには名義上は同格として同盟を結んでいても、実質は蜀が楓に属するものなのだと、内外に知らし

める狙いがあった。

 しかしここでまた一つ問題が起こる。



 凱聯には実は決まった相手が居る。それは泰山(タイザン)の里長の孫娘であり、以前里長の姦計によ

って結ばれ、そのまま今に到るという関係だ。その間には様々な事があり、離れたりもした事があったよ

うだが、娘とすれば祖父が決めた相手であり、凱聯の子供を生み、里を再興、或いは里人達の長となって

まとめさせる事が、遺言代わりに与えられた使命と考えている。

 幸か不幸か子供はまだ生まれていないようだが、それでも彼女は凱聯の正当なる妻だと考えているし、

里の者達もそうだった。里のしきたりに則って、すでに婚姻は遂げられているのである。

 凱聯は今はもうこの娘に大して興味はなくなっていて、義理で続けているようなものらしく。そこに蜀

姫が来てしまえば、益々里娘の立場は失われるし、子供を授かる機会も失う事になる。

 そんな事はとても我慢ならない事だった。

 里人達もすでに楓に同化してしまっていると言えるが、里の事は忘れていない。楓流には助けてもらっ

た恩があるし、今までずっと世話になってきた恩もあるが、里長の孫娘の、つまり長の最後の血を引く

者の頼みとあれば聞かない訳にはいかない。

 彼らは団結し、楓に協力する事を止めてしまった。

 こうなると困るのは楓流である。里人達の知恵と技術は楓の技術力の根幹を成すもの。今では玄一族も

協力してくれているが、里人の助けなしに楓の技術を用いる事はできない。どうしても里人達の言い分を

聞いてやる必要があった。

 だがそうなれば今度は蜀姫が宙に浮く。幸い、まだ輿入れは先になっているが、一度決めた嫁ぎ相手を

簡単に変えられる訳がない。

 悩んだ末、楓流が出した結論は、趙深に引き受けてもらう事だった。

 趙深は名実共に凱聯など問題にもならない相手だ。嫁ぐ相手が変わる事に難色を示すかもしれないが、

蜀としても悪い気はしないだろう。趙深と結ぶという事は、楓の一番深い部分と繋がる事を意味する。趙

深の重みを知らない者はいない。

 それに趙深は衛の統治者として楓と一歩離れた所に居るから、他国としても蜀が凱聯と繋がられるより

も安心するかもしれない。衛と蜀との間には様々な感情がある筈であるし、その間に短くない距離がある

以上、効力もその分だけ減少するだろうと。

 良策に思えたが、これを実行するには趙深を説得する必要がある。楓流がこれ以上妻を娶(めと)る事

が難しいなら、それに代われる者となると趙深しかいないが、果たして受けるだろうか。趙深が妻帯する。

それは全く想像もつかない光景だ。

 王として命じれば趙深も受けるしかないだろうが、それはやりたくない。楓流としても趙深とはしこり

のない関係を続けていきたい。楓流が真に頼れるのは彼だけだからだ。

 とはいえ、他に方法は無い。蜀に知らせるにも早い方がいい筈だ。遅くなればなっただけ、不快感も増

すというもの。それが直前であればあるほど、変更する事に対して嫌悪する。人はそういうものだ。

 楓流は急ぎ衛へと使者を発した。使者には鏗陸(コウリク)を選んでいる。彼と楊岱(ヨウタイ)の二

人で趙深を説得させるつもりであるようだ。

 しかし、果たして上手く事が運ぶだろうか。

 楓流としても正直自信がある訳ではなかったようである。




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