15-12.沈黙は緋なり


 趙深の返答は簡潔を極めた。即ち、諾(だく)と。

 彼も婚姻に関して楓流に苦言した事がある。それを考えても、あれだけ嫌っていた楓流が実質二人も妻

を娶(めと)っている事を考えても、自分がこの期に及んでこれを断る事は不可能だと考えたのか。或い

は彼もまたこれ以外に事態を収拾する手段は無いと判断したのか。

 その心を知る事はかなわないが。ともかく合意を得る事ができ、楓流はほっとした。

 凱聯とも話はついている。彼はどうも蜀姫に、というよりは姫という呼称に、未練があるようだったが

(楓流と同じく姫を娶ればもっと楓流に近付ける、とでも考えていたのだろう)、楓流の言葉には素直に

従った。

 ただしそれで不満を全て殺したとは言い難い。趙深とはどこか張り合おうとしているような気持ちが見

えるし。蜀姫に対する執着も消えてはいないだろう。凱聯には公私を分けるという考え方が足りない、と

いうよりは初めからできないような部分があり。その為に楓流は苦悩させられてきているのだが、今回の

件も後々まで根に持つ可能性がある。

 これを放っておくと面倒な事に繋がりそうなので、楓流は里人との仲直りの証という名目で、新たに得

た知識を使って特別に一本の破砕槌(はさいづち)を彼らに作らせ、これを剛砕(ごうさい)とわざわざ

名付けた上で凱聯へと与えた。

 凱聯を宥(なだ)める為の子供だましにも似た措置ではあるが、剛砕という別の名をわざわざ付ける意

味があったと思わせる為、その製造には心血を注がせている。

 破砕は棒の先に鉄塊をくっ付けたような単純な作りの兵器だが、この剛砕は柄の部分から先端の鉄塊部

分まで、全て良質の鉄でできている。その上強度を上げる為に柄と先端を別に作り、柄の部分には柔軟性

のある鉄、先端の部分には硬い鉄を用い、それを繋ぐ部分にも特別な細工を施してある。更に先端部分に

は突起、つまり鉄棘を付け、破壊力を増している。

 これは単に凱聯に与える為だけではなく、次世代の破砕槌の雛形となるものであった。

 言うなれば技術革新の為の試作品であり、その実験を凱聯にさせるという意味合いもあるのだ。単に凱

聯を宥める為だけではなく、新たなる技術を用いて、更なる武具の向上へと繋げている。里人も今回の件

では楓流に対して申し訳ない部分があったし、楓流の温情に報いたい気持ちもあり、懸命に励むだろうと

いう計算も勿論含まれている。

 すでにこの頃の楓流は、その言葉、行動だけの人物ではなくなっていた。表の意味だけではなく、常に

今あるものを利用する事を考え、言ってみればより狡賢(ずるがしこ)くなっている。

 双正(ソウセイ)が嘆いていたように、人の世に染まってしまったといえばそれまでかもしれないが、

それは必要から来た事であり、仕方のないといえば仕方のない事でもあった。

 政治というものにどっぷり浸かっている以上、いつまでも仙人のようではいられない。

 ともあれ、こうして問題は解決し。楓流は早速蜀へと趙深と蜀姫の婚姻の件を打診し、暫くの時間を置

いた後、無事蜀から了承の返答をもらった。勿論、楚や秦、双といった主だった国へも許可を乞う使者を

発している。

 どの国も今は余計な争いをしたくないのか、全てこの婚姻を祝う返礼の使者を送ってくれた。

 その中には楓流が考えたように、衛と蜀が繋がった所で、という気持ちもあったかもしれないが。多く

は、蜀など高が知れている、婚姻とて便宜上のものであり、いざとなれば蜀などどうとでも動かせる、と

いうような気持ちがあったのだろう。

 そしてそれはおそらく間違いではないし、確かに姫の一人を臣の一人が娶った程度で、この情勢が大き

く変わるような事はない。

 蜀は今までのように状況に応じて思うままに行動するであろうし、婚姻同盟もさほどの意味はないのだ

ろう。単に蜀にとって今は必要だから楓に媚(こ)びているだけの事であり、その為の人質を差し出した

に過ぎない。いざとなれば、人質の命もあっさりと捨てるだろう。

 蜀望がどうかは知らないが、少なくとも蜀礼はそういう考えでいると思っておいた方がいい。

 とはいえ、両国に婚姻関係が結ばれる事は悪くないし、どちらの民も喜んでそれを受け容れた。

 挙式も盛大に行われ、滞りなく済んでいる。

 そしてこの蜀姫こそ、趙深との間に一児を儲(もう)け、趙深が身を隠した後は息子の一人と共に賦族

に身を寄せ、長く賦族内にて趙の名を生き長らえさせる事になる人物である。

 名は趙緋(チョウヒ)。行動的で気が強く、困難も正面から捩(ね)じ伏せるような強靭さを持ってい

たという。趙深とは意見が合わない事もあったが、妻として尽くし、離れた後も独り母として死ぬまで息

子に尽くした。

 ただ護られているだけという状況には我慢ならず、賦族から武術を学び、訓練にも度々参加していたよ

うで、その姿は賦族女兵の手本とされ、その名と共に長く賦族へ影響を及ぼす事になる。

 しかしそんな彼女も今は一人の姫に過ぎず、遥か東方北部の国の顔も知らぬ男の許へ嫁ぐ事は、さぞや

心細い事だっただろう。そういう事があって、強くならざるを得なかった、という事情もあったのかもし

れない。彼女は趙深以上に数奇な運命を辿る事になった。

 それを悲劇と呼ぶには、余りにも当時の大陸に乱が溢れ過ぎていたとしても、彼女もまた犠牲者である。



 趙深の協力によって、一応は蜀を押える事ができた。これは反楓衛派の基点を楓衛派に寝返らせた事に

なり、求心力を失った反楓衛派の力は自然衰える事になる。

 この付近には求心点となれる勢力は蜀を除けば布くらいしか居ない。布が楓衛派の基点の一つである以

上、事実上反楓衛派は瓦解したとも言える。

 楓流はこれに乗じて蜀に反楓衛派討伐を命じようかとも考えたようだが、流石に昨日まで仲良くやって

いた国を、今日突然に襲うには抵抗があり。そんな事を命じれば楓に対する恨みも更に深くなる。

 中諸国がその地に根を下ろしたのは最近の事で、その勢力を軍でもって潰したとしても、民からの反意

を買う事はさほどないだろうし、民族的な抵抗を受ける事もないだろうが。中諸国は様々な面で不安定で

あり、民もまた疲弊し、不安にかられる毎日を過ごしてきた。

 そんな所に争いの種を運ぶような真似をすれば、そこにどんな理由があれ、後に平穏になれたとしても、

民からは拭えぬ恨みを買う事になるだろう。

 それに軍事行動を起こす事は、他国との緊張を高める事に繋がる。どの国も神経質になっている今、大

規模に軍を動かせないのはどこも同じ。それは越と蜀という同盟国を新たに得た今でも変わらない。

 だから蜀には反楓衛派を懐柔するようにだけ命じておいた。どれだけ蜀が働いてくれるかは解らないが、

とにかく平和的に事を進めなければならない。軍事的威圧行動を取れない以上、その効果は微々たるもの

になるだろうが、やらないよりはましである。

 そしてそうさせている間に布の力を増させ、一国だけで中諸国に圧力を加えられるようにする。これが

無難な手段と言えそうだ。

 他に良策を思いつかない以上、今はそれだけに止めておくしかない。

 これ以上の事は趙深に任せておけばいいだろう。蜀を押えただけでも充分な助力になる。趙深は動きや

すくなり、妻を娶ってごたごたしているかもしれないが、彼ならばこの機を利用して、上手く取り計らっ

てくれる筈だ。彼にできないようなら、他の誰にもできる訳がない。

 楓流は目を秦と楚に向ける事にし、余計な口出しをして趙深の邪魔をさせぬよう務めた。

 打てるだけの手は打った。後は他国の出方を待つのみである。

 ここまで楓が積極的に動いている以上、他国も警戒心を強め、何かしら手を打ってくる、いやすでに打

っているに違いない。それが何なのかは解らないが、手強いものである事は確かであろう。

 充分に警戒し、情報を集め続ける必要がある。

 楓流は更に間者の数を増やし、各国の動向を探っていく。



 逸早く動きを見せていたのは、秦である。

 秦としては越の上に蜀までが楓と繋がられては堪(たま)らない。同盟国としての楓の力が増すのは悪

くないが。このままでは双、越、楓に囲まれて身動きが取れず、中諸国を使い難くなる。力を塞がれたも

同じ事であり、今はまだ力を蓄える時期だから良いが、その力をさて使おうとする時、その全てと敵対し

なくてはならなくなる可能性が大きくなる事は、秦にとって見過ごせぬ事態だ。

 次に攻めるとすればおそらく双だが、その時に楓との同盟がどこまで作用するだろう。中立を保ってく

れれば良いが、楓にとっても双は重要な友好国、その国が弱体化する事を決して望むまい。いざとなれば

同盟を解消して打って出てくる可能性もあるし、尽く邪魔してくる筈だ。

 そうなれば中央西部は楓流がいわば開放した土地である。民の感情も楓になびきやすく、厄介極まりな

い。甘繁が民心を得つつあるといっても、その甘繁もまた親楓派であり、その上秦政府とは意見が異なる。

楓に通じてよからぬ事を起こす可能性がないとはいえない。

 甘繁が楓との友情を盾にして楓軍の侵攻を防いでくれる、という考え方もできるが、それに賭けられる

程、秦政府は甘繁を信用してはいない。

 ここは秦としても他方面から圧力を加えてくれる存在が必要だった。

 そこで目を付けたのが、楚国である。北方にて力を持て余している国。この楚であれば、楓を牽制する

のに申し分ない力がある。楓との仲も最近は上手くいっていないようであるし、彼の国も秦との同盟には

利点が大きく、条件次第では前向きに検討してくれるだろう。秦と楚が繋がる事は、両国にとって真に都

合がいい事だ。

 そこで秦政府は早速楚との間に同盟を申し入れた。他国にも合意を乞う使者を送っているが、こちらは

楓とは違い、その返答がどうあれ強行するつもりでいた。根回しではなく、儀礼的なものである。

 楓には蜀との婚姻を許した貸しがあるので問題ないだろう。双や越がどう考えるか解らず、もしかした

らその場で開戦という運びになってしまうかもしれないが、それはそれでも良かった。越には一国で他国

へ侵攻するような力はなく、軍を出してもその力は半減する。双は言わずとも解るだろう。将兵は弱く、

楚国が楓国さえ引き受けてくれれば、問題にならない相手だ。

 秦もまだ傷は癒えていないのだが、それはどの国も同じ事。秦には開き直って開戦する度胸があった。

 そこにはこれ以上楓国を増長させまいとする気持ちもあったのだろう。今となっては楓もまた秦にとっ

て恐るべき敵である。秦が北か東をあくまでも目指そうとするなら、衝突するしかない。

 双と越と共に歩む道を楓が選び続けるなら、その衝突を回避する術はない。今までのように協力し合う

ばかりではない。すでに秦政府内には楓を双同様に仮想敵国と見る傾向が生まれていた。

 つまり、それだけの刺激を楓は秦に与えたのである。

 幸か不幸か、どの国も秦楚同盟を認め、楚国もまた受け容れた。

 そしてここに楓越双蜀、対、秦楚斉という中央、北方、西方の三方に跨(またが)る巨大な対立図がで

きてしまった。ただしその関係は一口にこうと言えるものではない。楓と秦は婚姻同盟を結んでいるし、

他国もそれぞれに思惑があり、どの国との仲も絶対的なものではなかった。

 大きな緊張感を維持したまま時が流れていく。

 これがいわゆる、冷戦期と呼ばれている期間である。



 冷戦状態にあるとはいえ、いつでも軍を動かせる状態にある事は通常の戦時状況と変わらない。常に一

触即発の気配が漂い、言ってみれば歴史から見て、いずれの国も結果的に軍を動かさなかった、だけに過

ぎないともいえる。誰もが身近に戦を感じていた。

 そういう状態ならいつでもあったではないか。確かにそうである。しかしこの期間は、発火点が恐ろし

く身近にあった事と、大陸中に漂う緊張感の大きさが、他の期間とは違った。どの国も明らかに戦意を持

って動いており。表面上は仲良くしているように見えても、水面下では、より直接的に、激しく争ってい

たのだ。

 いつ戦が起こってもよく、そういう意味では導火線期とでも言った方がより相応しいのかもしれない。

その上、その長さは誰にも解らず、一足飛びに火を火薬に投げつけて爆発させてしまうような可能性が常

にあった。

 我々が歴史を知っているから冷戦期と呼べるのであって、その中に居る人々にとっては、決して冷たい

期間などではなかった。常にその熱を身近に感じ、いつ起こるとも知らぬものに怯えながら日々を過ごし

ている。

 そんな事をしていれば誰もが精神を消耗してしまうし、全てに置いて懐疑的になり、他人に対して必要

以上に警戒心を抱くようになり、世の中が上手く回らなくなってしまう。

 商人の中にはこの緊張期を利用して、防犯や逃亡時に必要になる物など様々な商品を売り出し、逞(たく

ま)しく稼いでいる者もいたようだが、多くの人は不安だけを抱えて暮らしている。

 そして旅商などからもたらされる真偽不明な情報に踊らされ、不穏な行動に出ようとする者も少なくな

く、それがまた人々の心にある不安を駆り立てた。

 山賊夜盗も活発になり、それを防ぐ為に各街には警備兵や傭兵の姿が増え、それもまた人々に不穏な感

情をもたらした。街並みが物々しくなっていくと、戦が近い事をひしひしと教えられるのである。

 しかしこうして世の中が不穏になる事で、各国もまたより慎重になり、逆に戦争を起こす確率を減らし

たと言えなくもない。皆戦争したくて軍備を整えているのではない。戦争が恐いからこそ、それに対抗す

る為により強い力を持とうとする。

 それが行き過れば時に戦へと暴走してしまう事もあるが、この期間は国内事情に目を向けなければなら

ない事が多く、それが暴走を抑えさせる力となっていた。

 しかし基本的に負の方向にあるものだから、これもただの偶然でしかなく、楽観視できる者はどこにも

いかなかっただろう。自意識の強い双国民ですら、なんとも言えない不安感に襲われ、いつものように調

子の良い事を言う者があまり出ていないようである。

 戦が始まってしまえば、今まで以上に激しく、長くなる事を、皆どこかで知っていたのかもしれない。

 恐れ以上の恐れが、全ての国と民に行動を慎ませている。

 こうして悪循環を続けながら、ゆっくりと時間だけが流れていくのである。

 この間、楓流も国内平定に追われ、特に中諸国には骨を折り、趙深や布、伊推と協力しながら日々最善

と思われる努力を続けていた。

 何しろ現状この大陸で一番不安定なのは中諸国である。反楓衛派が実質瓦解したのをきっかけにして、

再び小規模な戦が乱発する事になった。彼らも今更後には引けず、焦って行動を起こした結果、もはや反

も親もなくなって中諸国同士で争うようになってしまっている。自暴自棄になった故の行動だろう。

 楓衛派も楓や衛に臣従している訳ではないし、彼らを抑える力が無い。反と親の対立が無意味になれば、

後はもう乱れるしかないのである。蜀が説得したりもしているようだが(ふりだけかもしれないが)、あ

まり功を奏してはいないようだ。

 蜀に反発する勢力もあるようで、逆に状況を悪化させているだけとも言える。

 反楓衛の中心であった為に、蜀に対して拭えぬ恨みを抱いている勢力もいるし。蜀自身も本音はどこに

あるのか解らないのだから、そんな国の言葉を信用できる訳がない。大人しくしている勢力も裏では何を

しているのか、何を考えているのかがは解らないし、火種が消える所か増してしまっている。

 毎日のように情勢が変わり、衛、布、伊推からも繁く便りが来ている。歴史を動かす程のものではなか

ったから、それぞれの勢力は無視されている格好になっているが、中諸国だけは冷戦という言葉からは遠

く。日々白熱していくそれが、人々に与えた心理効果は決して少なくなかった。

 趙深もこのままではどうにもならないと考え、軍事力を中諸国境界付近に集中し、圧力を強めた上で付

近の衛になびいている勢力に命じ、軍事行動を取らせようとした。そういう勢力は積極的に加担しようと

はしないが、それでも軍が動けば効果はある。それで片付いた問題は一つや二つではなかっただろう。

 ただし、中諸国方面に兵力を集中するという事は、当然楚斉からの攻撃に無防備になる事を意味する。

しかし趙深は楚斉を、いや斉を信頼する事が、楚に戦を始め難くさせる事を知っていた。姜尚の威が濃く

残る斉では、そこまで趙深に、衛に信頼されたとなれば、例え楚王が衛侵攻を命じたとしても、そして将

兵がそれに従おうとしたとしても、民は決して許さない。

 姜尚こそが衛のお目付け役。それはつまり衛を護るのも姜尚の役目という事。そして姜尚の役目ならば、

斉こそがそれを継がなければならない、という図式が成り立つ。

 だから衛に対する侵略行為を強行するような事をすれば、民心は離れ、楓衛が付け入る隙を生む事は明

らかである。

 楚王にそのような真似ができる筈がない。それに姜尚の息子として、姜白(キョウハク)がそれを許さ

ないだろう。姜尚の威がなければ姜白は無力化する。どんなに能力があったとしても、その時点で全ての

者が彼から離れていく。姜尚の息子であるからこそ斉を治めていられるのだが、そうであるが故に姜尚の

遺志から離れられない。彼もまた苦悩したであろう。

 こうして楚を無力化させる事は難しくなかった。

 趙深は緑にも積極的に協力させている。常に半数以上の兵を前線に常駐させ、衛軍と共に積極的に合同

訓練を行わせた。

 この機会を使い、緑軍との連携を強め、取り込んでしまおう、という考えもあったとみるべきである。

 衛に属しているとはいえ、緑にも一国としての誇りがある。趙深が強力に干渉しているとしても、だか

らこそ反意を抱く理由にもなる訳で、安心はできない。信頼できる者の威を強め、しっかりと手綱を握っ

ている必要があった。特に軍部はしっかりと握っておかなければならない。

 常駐させている緑軍も、そういう意味では人質という意味合いがあったのかもしれない。衛が手薄にな

っている今、余計な知恵を付けさせる者も出てくるだろうから、その備えという意味でも必要な事であった。

 そこまで考えていたのかと問われれば、趙深は当然考えていただろう。積極的にそうしようとはしてい

ないが、結果的にそういう効果を生む事を充分に理解した上で行動している。そしてだからこそ緑軍に食

糧などを提供しているのだ。その価値があるからこそ提供しているのであって、別に緑の強力に感謝して

そうしている訳ではないのである。

 軍を常に用いている状態であるから、様々な物の消費が激しく、衛の物資を持ってしても不足がちにな

る事がある。その為に各国(主に双)から沢山の品物を輸入しており、不足しただけ物価も上がっていた。

大事な兵糧を無駄に使う筈がなかった。

 こうして暫くは圧力を強めるだけにしていたのだが、このままでは蓄えていた物が費えてしまい、衛の

経済も崩壊してしまうかもしれない。

 このままではじり貧になるだけだと考え、趙深は余力のある内に中諸国の併合を進める決心をした。

 とはいえ衛は北方大同盟に縛られており、単独で勝手に他国へ侵攻する事はできない。そこで衛の領土

を増すのではなく、布や緑、伊推といった国に領土を譲渡する事にして、もし衛が得たとしても、その分

の収入は各国へ定められた分をきっちりと送る事を定め、何とか各国を説得しようとした。

 北方大同盟とはつまり双、楚、越、楓の事だが、双と楓は問題ないとして。越には物資運搬(商売)の

面で利便を図る事で納得させ。楚にはこのまま中諸国が不安定では衛経済もいずれは崩壊し、その余波は

隣国である斉にも必ずもたらされるだろう、という点で納得させたようだ。

 衛の力が増す事は姜尚が死した今、どの国も楽観視できない事なのだが。趙深はこれまでも今も定めら

れた事をしっかりと守っているし。現に衛が不安定では各国へ入る利益が落ちる。そして何より、中諸国

の乱が大陸全土に広がる事を恐れ、結局どの国も最後は賛同したようである。

 この時期人を最も動かしていたのは不安と恐怖であり、利益はその次であった。趙深もまたそれが為に

動いたのであるし、その事から各国がどれだけ今後起こるだろう大規模な戦を恐れていたかが解る。

 許しを得ると趙深はすぐさま軍を動かし、あっという間に布と伊推に到る領土を平定してしまった。衛

に近い勢力は元々懐柔させている勢力が多かったし、趙深は万に届くような軍を動かしている。それぞれ

が協力し合えば抵抗できたのかもしれないが、中諸国同士の溝は深まっており、それを解消するような暇

もなく、従うしかなかった。

 趙深は大人しく従った者を助け、逆らった者、意を明らかにしなかった者などは容赦なく罰した。特に

重い者には斬首までしている。そうする事で逆らう者には容赦しないという威を示し、中諸国に満ちてい

た乱気を一掃したのである。

 そしてその後も三千の兵をもって(後は返した)布に入り、そこに臨時政府を設けて政務を執っている。

 領土配分も迅速に定め、流石の手腕を見せ付けた。

 この余りの手際の良さもまた各国へと緊張をもたらす原因になるのだが、その事を攻める訳にはいくま

い。こうする事が現状できる最善の手段ではあったのだから。

 こうして後は中央東部一帯の一部の勢力だけが残る事になり、これ以上争えば衛に攻め寄せる口実を与

えるだけであるし、小勢力が一国でできる事はなくなった。争う事もできず、中諸国もまた安定期へと向

かうしかなかったのだ。

 趙深がそのまま一挙に制圧しなかったのは、毒抜きという意味での反勢力を残しておいた方が良いと考

えた点もあったが。それ以上に、残った勢力の抵抗は強いだろうと見られたので、余計な消耗と威の減少

を避けた為である。あくまでも軽々と制圧した。お前らなどいつでも簡単に滅ぼせる。そういう威を保た

なければならなかった。

 この場合は歴然とした力だけが物を言うのである。



 安定期に入ったと言っているように、これ以後は冷戦期が終わるまで、中諸国から直接的な軍事行動が

起こる事はなかった。

 とはいえ残された勢力も黙ったままではいられない。焦りを募らせ、このまま独自に行動していてもど

うにもならない。このままでは衛どころか、布や伊推相手にさえ、苦戦させられる。その上、布に趙深が

居座っているのだ。

 彼らには常に圧力がかけられ、身動き一つ取れない状態にある。子遂(シスイ)と手を組むという方法

もあるが、子遂の領地は先の一戦で加増されておらず、そう恐い存在ではなくなっている。隙があれば衛

に取り込まれている勢力と共謀して事を起こす事もできたかもしれないが、趙深が居る以上、隙を願うだ

け無駄である。

 彼らに残された道があるとすれば、一つにまとまる事だろう。

 そこで初めは西方の大同盟のように中諸国同盟を結び、ばらばらの勢力の意を一つにして、一国として

行動する事を検討したようだが、これは上手くいかなかった。何しろどの勢力も力関係は似たり寄ったり

どんぐりの背比べで、まとまれる点となれる勢力がおらず。例え合議制にしたとしても、今と何ら変わり

ない状況が広がるだけだろうからだ。

 西方大同盟はまだ無数の勢力が四つにまとまる事に意味があったが、中諸国では数が少ない為に、そう

いう効果も望めない。その上、同郷意識も無く、外勢力に対しての団結にも期待できなかった。

 こうなると最早それぞれの力関係に決着を付け、一つの勢力になるしかない。同盟というようなもので

はなく、一つの国に生まれ変わる事だけが、はっきりと力を増す手段であると考えた。少なくともそう望

んだ者が、そのように彼らの心を動かしたのである。

 元々成り上がり者が多く、建国して間もないから解体もしやすく。再びまとめて作り直す事はそう難し

い事ではなかった。

 中央東方の諸勢力は合わさって一つの国となり、狄(テキ)国を名乗った。王となる者にはそうとう迷

ったようだが、彼らの中で最も名の通っていたらしい二人が王と次王として就き、それぞれが狄仁(テキ

ジン)、狄傑(テキケツ)と名を改め、新たな政権を打ち立てたのだった。

 狄仁は知に長け、強い意志を持つが、懐も深い。あまり人に嫌われる事がなく、その面が推薦された理

由なのだろう。

 狄傑の方は勇に長け、恐れる事を知らない。彼に率いられた軍は驚く程の強さを発揮する。彼には人を

同じ方向に駆り立てるような、何かがあるようだ。

 この二人、姓を同じくしたが、勿論血の繋がりはなく、むしろ相争う関係にある。しかし今の状況を理

解しているのか、最低限には互いを尊重し、認めあっている。一説には、狄内から不穏分子を生まない為

に、わざと国内に二勢力を作るような真似をしたのだ、という考えもある。

 それは一つの真理を穿つ考え方で、確かに一つ国になったとはいえ、まとまりなどある筈がなく。この

まま滅びるよりはましだからそうしたが、誰もが納得しているとは考えられない。その為にわざわざ次王

などという者を置き、王に対しての反勢力を生む仕組みを作ったのである。その為、この国は生まれなが

らにして内部分裂を抱えた、いや前提とした国家である、という言い方もできる。

 しかしそうであればこそ、一つには無理でも二つにまとまる事はでき、初めから解っていれば手の打ち

ようもある。

 狄の二王にはその為に王ではない存在を選んだのであり、国同士の利害関係を超えた存在である事を、

二王は課されている。そして王達は二王を御輿に担ぎ、力を有したまま将軍へと姿を変えた。この将軍達

が王を動かす事で国を統治して行こうと、元王である将軍達は考えていたらしい。つまり二王の他にも初

めから派閥が存在していたのである。

 しかしこれでは一国になった意味がなく、二王は一計を案じた。二王は将軍達が思っていたよりも遥か

に苛烈(かれつ)であったのだ。

 王、次王となって暫くはそれぞれに与えられた役割を大人しくこなしていたのだが、そう見えてその裏

では権威獲得と安定に力を注ぎ、油断している隙を突いて反逆罪や不敬罪の名目で将軍達を強引に処罰し

てしまい、その力を奪って二分した。

 名実共に王の力を得た二人は、国家安定に力を注ぎ、それが為に暫くの平和を欲し、衛に和睦を申し入

れ、容れられている。

 趙深は二王の手腕に舌を巻いたとも言われているが、趙深そのものがこの件に関わっていたと噂する者

も少なくない。あくまでも噂ではあるが、もしそれが本当なら、二王の政権掌握が首尾よくいった事にも

頷ける。

 狄の二王には王という名目だけで手勢となる軍事力が与えられていなかったのだから、それを補う後ろ

盾が居たと考える方が自然だ。それが元王に不満を持っていた重臣達、という考え方もできるが。もし趙

深であれば二王の仕事はより簡単になっただろうし、その後の衛との交渉も容易(たやす)くなる。

 お互いの利益の為に狄王と趙深が一時的に手を組んだ、と考える事は、満更(まんざら)的外れな意見

ではあるまい。

 しかしそれが為に、果たして趙深がそのような解りやすい手段を採るだろうか、という疑問は浮かぶ。

それともそういう噂が流れるのも計算済みであったのか。だとしたら、二王の手腕を上手く情報操作させ

る事で趙深のものであるかのように見せかけた、という考え方もできる。

 その真偽がどうあれ、確かに狄国と関わりがあると思われる事は、後に狄を切り崩すにおいて、大いに

役立ってくれるだろう。それがあったからこそ趙深を信用し、共謀しよう考える者も出る筈だ。

 たかが噂。しかしそれは時に馬鹿にはならないものになる。人の評判だけで命を落とすような例もある

し、情報操作もまた恐るべき手段である。それを軽く見る者は、必ずそれに滅ぼされるであろう。大義名

分を無視したせいで、後に災厄を受ける事になった者達のように。

 このようにその真偽関わらず利する事になる。だからこそ趙深の打つ手は恐ろしくも頼もしいのだ。

 唯一の不安点であった中諸国が、一時的だとしても落ち着きを見せた事で、冷戦という一種の安定期が

完成した。

 そして得た少ない時間を使い、各国は大乱を引き起こす為の力を蓄えていく。

 民の対外不安に支えられながら、その不安を軍事力によって誤魔化そうとする事で。




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