16-1.再乱


 五年の歳月が流れた。各国互いに持つ緊張感が薄れる事はなかったが、それでも戦らしい戦は起きず、

どの国も相応に平和的な日々を過ごしている。

 この間に趙深(チョウシン)と蜀(ショク)姫の間には一男が生まれ、それに対抗するように凱聯(ガ

イレン)にも一女一男が生まれている。彼は一女で満足できなかったのか、今まで遠ざかっていたのが嘘

のように泰山(タイザン)の里長の孫娘の許へ足繁く通ったが、続いて一男が生まれた事で満足したのか、

その後は以前と同じく興味を失い、孫娘の許へ通う事はなくなった。

 ここからも、どれだけ凱聯が趙深を意識していたかが解る。

 孫娘としてはいい面の皮だったが、里長の血を継ぐ子を二人も得た事で満足はしているようだ。職人達

もほっとし、彼らと楓(フウ)国との仲は以前にも増して深まる事になった。そう考えれば、凱聯も満更

害だけを及ぼす存在ではなかったと言えるのかもしれない。

 例えその行為が私情から出たものだったとしても、結果として公的な利益を生み出したとすれば、それ

は悪くない事である。

 重臣二人が続けて子を授かると、王である楓流(フウリュウ)にもそれが望まれるのは自然の流れであ

る。しかし残念な事に楓流には誰との間にも子が生まれていないし、その気配もない。

 仕方ないといえばそうだが、臣民からすれば後継者不在は大きな不安材料となる。

 正統な後継者が居ない事は、どうしても将来に不安を残す。

 確かに楓は楓流を核にしてまとまっているが、だからこそその核が失われた時の事を思うと、不安が過

ぎる。

 統治者の役目として、その権威をしっかりと受け継がせ、国内の安定を自分の死後も続けさせる、とい

う事がある。つまり姜尚(キョウショウ)のようにする事が求められる。人間が王権という強力な支配力

を生み出したのも元はといえばその為であり、そうできない者には王たる資格は無い。

 楓流はもう若くない。この段階でもう四十前である。民心が不安に思うのは当然であった。

 趙深が名実共に楓国第二位の座に居るとはいえ、趙深だけでは楓国をまとめる事はできない。楓流あっ

ての楓国。その血統が絶えるような事になれば、楓臣民の繋がりが消えてしまうかもしれず。それは誰も

が察している事で、楓流にそういう意味での圧力が加わっていくのもまた仕方のない事であった。

 楓流に子が居なかった事が滅びの一大要因となった事は、後の歴史を知る我々には周知の事実であるが。

この時代の人達もその事を敏感に嗅ぎ取っていたようだ。

 ともあれ、このようにして新しき命が生まれ、戦がなかった事で死傷者数が劇的に減り、どの国の人口

も順調に増加している。

 高が五年、決定的なものを生み出すまでには到らないが、貴賎問わずめでたい雰囲気が漂い、ようやく

平和というものを意識し始めていた。

 完全に生活が乱世前に戻る、というような事はないが。不安はあるもののどの階層の人間にとっても暮

らしやすくなっていて、それだけに新たなる乱への恐怖を募らせていた事は想像に難くない。

 安定し始めたという事は、戦争を起こす準備が整いつつある、という事も意味する。

 人の歴史が戦争と平和の繰り返しであるなら、単純に戦争を続けられなくなったから平和が訪れたのだ

と言えない事もない。

 そこからまるで人間が戦争をする為だけに生きているかのような錯覚を起こす事がある。しかしそれは

正しい見方だとは言えまい。結果からそう見えたとしても、基本的には人は争いを好まない。例え願望と

してそれを持っていたとしても、いざそれが起これば、人は皆、いや人のほとんどは戦争に吐き気をもよ

おし、命を懸けて否定するだろう。

 自分達はこんな事をする為に生きているのではない、産まれてきた訳ではないのだと。

 とはいえ、人の歴史が戦を避けられない事もまた解りきった事である。

 それは人が戦争をしたいから起こすのではなく、戦争を恐れるが故に、平和を維持したいが故に勝利を

望み、起こすからだ。平和であればある程、それを失う事に恐怖する。その思いは止まる事を知らず、次

第にやられる前にやるという思考へ結び付く。戦争を望むのではない、平和を望むが故に相争うのである。

 つまり各国共に国力が回復してきた今、どの国家も他国の侵攻をより現実的に恐れるようになってきて

いる、という事だ。

 攻めるにせよ、護るにせよ、戦の準備をするのは早ければ早い程よく、それを続ける事が軍事力強化、

国内安定に繋がる。最近は富にその流れが強くなり、軍事力競争が激しくなっている。冷戦期の頃から

すでにそういう嫌いはあったのだが。この五年で一層強まっている。

 この事が次に起こるだろう乱の大きさを物語っており、民の不安を強くしていく。

 その上、大陸には新たな脅威が生まれつつあった。

 それは南方に住む、少数部族達である。大陸人からは南蛮(なんばん)と蔑(さげす)みつつ、恐れを

込めて呼ばれる事になるこの部族達が、ある強力な指導者を得た部族の下に次々と併合され、一つの大き

な勢力になりつつある、という報告が各国へもたらされたのである。

 南方と接する地方に彼らが現れる事がここ数年で倍増しており、略奪される回数も増えた。そこで対策

に迫られた各町村が国家を超えて団結し、略奪に来た部族達を返り討ちにした。そして数人の部族を捕ら

えたのだが、その者達の口から南方で起きつつある変化が知らされる事になった、という訳だ。

 中諸国を筆頭に南方に近い国家はこの事に非常な危機感を抱き、それぞれに間者を発し手調べているよ

うだが。南方は他の方面とは少し異なった気候風土で、獰猛な獣も多く、帰らぬ者の方が多いとか。それ

がまた大陸人達の恐怖心を煽(あお)り、警戒を強めさせている。

 楓国も大陸中央に位置する国であるから、当然無関心ではいられず。楚や秦と共に、南方にも注意を払

わされる事となった。

 しかし楓流一人で全てを見るのはとても不可能なので、南方の件は一先ず蜀に委任しておいた。だが捕

らえられた部族は一国の捕虜ではなく、言ってみれば南方に脅威を持つ町村連合全体の捕虜であるので、

蜀にもどうする事もできないようだ。

 彼らからすれば折角の捕虜を横から奪われては堪らない。捕虜がいれば南方と交渉する道も生まれるか

もしれないし、南蛮が復讐戦をしかけて来た時の盾になるかもしれない。南方の部族は皆剽悍(ひょうか

ん)で一度受けた恨みは決して忘れないと伝えられている。いずれ報復戦を仕掛けてくる事は自明の理、

捕虜を取られるなど論外である。

 むしろ南蛮の台頭(たいとう)を大陸人全体の危機として見、各国から援軍を派遣して欲しいと求めら

れているくらいで。彼らに(楓にとって都合のいいように)協力させる事はまず不可能だろう。このまま

放っておけば町村連合自体が独立でもしかねない勢いで、自治意識が急速に芽生えている。

 もしかすれば、部族に勝った事で自信を付けているのかもしれない。

 町村連合は結び付きと防備を更に強め、南方を睨(にら)む。



 暫く南蛮との間に諍(いさか)いは起きなかった。しかし南蛮の力はまだ思っている程強くないのでは

ないか、と町村連合が緊張を解き、息をついた時、それは起きた。突如部族の大部隊(といっても百人程

度だったようだが、南蛮がここまで組織的に行動したのは初めてである)が襲いかかり、捕虜を置いてい

た町は根こそぎ略奪された挙句、焼き払われてしまったのである。

 その町は南蛮の数に恐れをなし、捕虜を交渉の材料にして何とか穏便に済まそうとしたようなのだが。

その過程で逃げ出そうとした捕虜を誤(あやま)って殺してしまい、結果として部族の怒りにさらされる

事になった。

 それでも攻め立てられるまでは少し余裕があったらしい。大部隊とはいえ、百人程度。暫く凌げば所属

する国家から援軍が送られてくるだろうし、そうなれば物の数ではないのだ、と町の住民達は皆意気高く、

余裕ですらあったようだ。

 だが南蛮の力は大陸人達の予想を遥かに上回り、その死を恐れぬ戦ぶりは孫文統率時の孫兵を彷彿(ほ

うふつ)させるもので、辺境の町村に置かれていた警備隊など物の数ではなく、一日で落とされてしまっ

たとか。そして怒りを持って炎を放たれ、生き延びた者もほとんどが捕らえられ、南方へ運ばれたらしい。

彼らがどうなったのかは、今も解らない。南蛮も交渉するつもりはないようだ。

 これに対して町村連合が所属している中諸国は怒りを新たにし、報復戦の準備を進めているが、何分南

方の地理や状況に疎い。部族がどこに潜んでいるかも解らないし、迂闊(うかつ)に入り込めば、良い獲

物にされるだけだろう。

 嘘か本当か南蛮には人を食う習慣もあるというし、怒りを持ちつつも及び腰、というのが本音か。

 幸い蜀は南方との間を泰山を中心とする山脈が塞いでおり、盟主国である楓にもまだ南蛮の直接的な影

響はないが、このまま放っておく訳にはいかない。中諸国、中央、東方が一丸となってぶつかる必要があ

るだろう。

 対孫の時のような、大陸全土に及ぶ総力戦となる事も充分考えられる。

 できれば西方にも参加して欲しいが、西方には今だ南蛮の手が及んでいないようで、被害の報告は無い。

将来的には解らないが、今協力を得る事は難しいだろう。例え約定を結んだとしても、口約束と変わるま

い。都合よく無視されるのが落ちである。

 各国の思惑、そして南蛮の脅威。どうやら再乱の準備はしっかりと整いつつあるようだ。



 楓流はこの五年というもの、富国強兵、同盟国との関係強化に努めてきた。特に双(ソウ)、越(エツ)

との仲を重視し、対楚(ソ)という目的で、斉(セイ)国との関係も強めている。

 楚との関係は姜尚の遺志が残っていてさえ薄弱で、友好国とは言えず、同盟の効力も完全に失われてい

ると見ていい。その上で楓が双、越との関係を強めているのだから、楚国を仮想敵国と見ている事を公言

するも同然であり、楚との仲を一層冷え切ったものにさせている。

 それは西方の秦(シン)国も同様で、彼の国もまた楓への警戒を強めているようだ。

 この五年の間に三功臣がそれぞれ病に倒れており、特に張耳(チョウジ)の病が重く、一命は取り留め

たものの、その後遺症から立つ事すらままならなくなっているという。その為に秦政には混乱の色が濃く、

改革後も三功臣の影響がいかに大きかったかが解る。このまま三功臣が引退すれば、秦の状況は全く変わ

ったものになってしまうかもしれない。

 特に楓流が危ぶむのは魯允(ロイン)の存在である。弱みや隙に付け込む事に長けたこの男は、不思議

と年齢に負ける事もなく、時に若々しくすらあり、秦という国に危なげなく居座り続けている。

 心労が全く顔に出ていないのは、大した事をやっていない証拠だろう。三功臣が身を粉にして働いた事

を思えば、健康の差は当然の結果なのかもしれない。

 昔からこの男はこうだった。いざという時には役に立たず、人をかき乱す事でしかその名を馳(は)せ

る事ができない。彼の名が轟く所、即ち乱あり。貴人に取り入るのだけは得意で、秦王からの信頼が失せ

ているようにも思えない。三功臣という抑制力を失えば、必ず再び跳梁(ちょうりょう)してくるだろう。

 それが秦を疲弊させ、楓を利する事になれば良いのだが。魯允は楓に対し、いや楓流に対して強い警戒

心を抱いている。もっと簡単に言えば、敵と見ている。良い未来などはとても望めそうもない。おそらく

楚などとの関係を強め、楓包囲網を作ろうと画策でもするのだろう。

 秦との関係が以前のように良好ではなくなっている今、魯允が基点となって、最悪の事態へ転がり込む

可能性もある。以前よりも尚注意していなければならない。

 このように楓を取り巻く状況は順風とは言えない。

 それでも楓国内は他に比べれば安定している方で、衛(エイ)や緑(リョク)、布(フ)、伊推(イス

イ)といった同盟国もそれぞれに力を蓄(たくわ)え、存在感を大きくしている。

 大陸人と賦族との混血を使った諜報組織の運営も軌道に乗っており、氏備世(シビセイ)の下、以前楓

流も使役した鋲(ビョウ)、審(シン)、合(ゴウ)といった者達を筆頭に力を伸ばし、形としてはほぼ

完成していると言っていい状態にまできている。

 氏備世の親身で真面目な指導と熱意が、大きく花開いたというべきだろう。

 衛との連絡役を務める楊岱(ヨウタイ)も立派な青年に成長しており、混血、大陸人、賦族との関係も、

衛内に限ってはいるが、良好なものを築き、趙深の目指す未来社会の雛形とでもいうべきものが衛にはで

きていた。

 越との関係が強まっている事で、水運に関する一切の便が良くなってもいるし、玄一族との仲も順調に

深まっている。

 良い事ばかりではないが、悪い事ばかりでもない。努力した成果はしっかり出ていた。

 楓流は迷ったが、南蛮の脅威がはっきりすればそんな暇もなくなると考え。ここで玄信(ゲンシン)を

得るべく、以前から考えていた一つの方策を打ち出す事にする。

 それは玄一族に多年の協力の礼として、親類に対する情として、楓内に特別に土地を与え、そこに住ま

わせるというものである。

 当然これには秦を筆頭とする西方の民の反対が予想されるが。この五年の間辛抱強く交渉、情報操作し

てきた事で、玄一族に対する執着は(玄、秦共に婚姻関係にある楓に限っては)減少しており、夢ではな

くなっている。

 これは後に候と呼ばれるようになる制度の走りと言えるが。ある血族や才ある者に土地を任せ、その統

治権を委任する、という制度は昔からあったものであり、その役を負った者を太守と呼んでいた。ただし、

太守があくまでも王からその地の支配権を借り受けているのに対し、候は領有権が認められている、とい

う部分に違いがある。

 候なら一々王の許可を得る必要はないし、ある程度領地内の法を定める事も可能だ。言わば、そこに独

立国を認めるようなものである。無論立場としては王よりも弱く、王命に逆らう事はできないが、これは

今までになかった強力な権威を家臣に認める事であり、画期的なものであった。

 楓流も思い切った手を取ったものだと言わざるを得ない。中央集権という思想が前政権から当然のよう

に続いていた当時では、これはあまりにも奇抜(きばつ)な考えである。だがこれくらい思い切った手を

打たねば、とても玄信を得る事はできなかったろう。

 勿論この場合は、家臣ではなく、あくまでも客将、親類という扱いであるので、正確には玄信を得たと

はいえないのだが。それに限りなく近いものと理解しておいても間違いはない。

 あくまでも玄一族の立場を考慮し、その権威を大幅に認めているが、事実上臣下に入ったと見ても、間

違いではないのだ。

 とはいえ、奇抜な事を一度に進めるのは困難で、この段階では楓に来た時に滞在する場所を提供した、

程度のものであったらしい。新しいものを認めさせるには、時間がかかるものである。

 こういう土地が与えられ、楓内に玄信の妹である玄瑛(ゲンエイ)が居る事で、玄一族も随分楓に行き

やすくなった。玄信だけでなく、その父であり共に二玄と称される玄張(ゲンチョウ)もしばしば楓を訪

れるようになっている。彼らからもたらされた技術が、楓の技術力を飛躍的に増させた事は言うまでもない。

 泰山の里人達の技術力が玄一族に劣っていたという訳では無いが、それぞれに得意とする所が違うので、

この二者が協力する事でより効果的かつ先進的な技術を試せるようになり、その結果多くの福音を楓にも

たらす事となった。

 最早以前の楓の比ではなく、倍とまでは言わないが、それに近いくらい飛躍的に国力を向上させている。

 ただ、その技術には玄一族の、我らの技術は公共の利益の為にのみ使われるべきである、という理念が

働くから、直接的に軍に用いる事はできず。武具の飛躍的な向上にはまだ暫くの時間がかかる。

 面倒ではあるが、それを認めなければ玄一族に力を借りる事はできない。そして当然のように、惜しみ

なく各国へ技術提供する事を楓政府には求められた。言ってみれば、それが楓に協力する事に対し、玄一

族が出した最低限の条件であった。

 そうであればこそ、玄一族は楓に協力できる。楓の高度な技術を得る事で、更に多くの公共の利益を得

られる技術を生み出せると思うからこそ、楓と協力し合う大義名分というのか、理由が生まれるのである。

 楓流も受け容れるしかなかった。

 その結果、大陸中の水運、陸運の便が飛躍的に良くなり、各国間の輸送量を増させ、商人の財力を増大

させる事にも繋がった。

 特に恩恵を受けたのが越の商人で、資金力だけを見れば双すら抜いている。領土の広さで言えば双に負

ける越だが、国境を越えた運輸の利権のおかげで、名実共に大陸随一の経済大国となっている。最早他の

追随(ついずい)を許さず、その気になれば万単位の傭兵を雇う事すら可能だろう。

 物資も豊富で、何年戦を続けても枯渇させない自信があるようだ。

 越の方針として他国へ侵攻する事はまずないが、その力は弥増(いやま)し、影響力の大きさは計り知

れなくなっている。

 そしてこういう結果を導いたが為に、楓の技術力を以前よりも高く評価するようになっており、両国の

関係は益々深まっている。この関係を崩すには、それ以上の利益を越に見せなければならないが、大陸で

も最も優れた技術集団である玄一族と泰山の里人を得ている以上、技術力の面で楓に匹敵できる勢力は、

まず居ない。

 つまり、楓と越との仲を裂く事は、ほぼ不可能になった。

 それが他国へ更なる警戒を呼び起こす事になるのだが、それを差し引いても越と繋がる恩恵は計り知れ

ない。楓はその方針を変えるつもりはないようだ。そして双の豊富な物資を越に優先的に流させる事で双

越の仲も深まり、楓流は強固な三同盟を築く事ができた。

 これが俗に楓流の三商盟と呼ばれるものだが、経済というものを深く利用した始めての政策と言える。

そういう意味でも、楓流は先進的であった。食糧や武具といった物資だけではなく、その流れ、そこから

生まれる富に着目し、政策として利用したのは彼と趙深が初めてだったのではないか。

 越も物流とそこからくる利を重要視し、利用してきたのだが。それはあくまでも商人としての利益を追

求した上での、単なる付属品でしかなかった。つまり別の目的を求めた結果たまたまそうなっただけで、

それを意識的に政治に利用し始めたのは、やはりこの二人が最初だったと考えられる。

 もっとも、記録の残っていない遥かな太古にそういう人物が居なかった可能性がないとは言えない。楓

流が生まれる遥か以前よりそういう政策が使われており、単に楓流と趙深がそれを復活させただけである

可能性も否定できない。

 しかし記録に残っていない過去は調べようがないし、少なくとも記録に残る限りでは、この二人が最初

であろう。

 このように楓流は徒(いたずら)に年月を過ごしていた訳ではない。今までと同様、できる範囲で最大

限の努力をしている。

 外交だけではなく、今では凱聯と並ぶ軍隊長になっている魏繞(ギジョウ)に、楓国の初期から内政を

支える文官の中心人物である奉采(ホウサイ)の娘を娶(めあ)わせ、家臣の間に縁戚(えんせき)関係

を作り、楓という一つの大きな家族にまとめようと奔走(ほんそう)している。

 凱聯と魏繞を軍部の双璧のように仕立てている事を考えて、魏繞を凱聯の抑えとする腹だったのかもし

れない。そうする事で魏繞を取り込む事もできるし、凱聯の競争意識を趙深から反らす事もできる。余計

な諍(いさか)いを生む事にもなりかねないが。権力を分散させる事は、それらを掌握する上で、悪くな

い手である。

 思えば凱聯を軍部で好きにさせ過ぎた。今後の事を考えても凱聯の力を削っておく必要性を感じたのだ

ろう。例え凱聯が楓流に叛(そむ)く事はないとしても、一々その顔色を窺わなくては軍を動かせないよ

うであれば、楓流の権威が失墜する。

 この体制は紫雲竜(シウンリュウ)、壬牙(ジンガ)といった有力な武将を得るまで続き、その事が二

者の間に影を差し、後々まで少なくない影響を与える事になる。



 楓が順調に力を伸ばしていくと、当然その枠から離れた秦や楚は警戒心を強くする。共通の利、不安か

ら自然この二国は互いに手を差し伸べあうようになり、緊密な関係を築いていくようになった。玄一族の

事に目を瞑(つぶ)ったのも、楓に秦楚の蜜月関係を認めさせる見返りであったと言えなくもない。

 秦や楚から見ても、楓は以前のようにどうにもできるというような勢力ではなくなり、中央にて存在感

を著しく強めている。

 楚には依然斉が楓贔屓(びいき)という悩みもあり、このままでは姜尚が残してくれた力を利用する機

会を永遠に失ってしまうだろう。楚はもっと積極的に行動すべきであった。五年前であれば、もっと多く

の選択肢があったろうに、慎重を期す余り、時期を逃してしまった感が否めない。

 その力は依然大きいものの、大陸全土の勢力が相応に安定している今、以前あったような効果を生み出

せるとは思えず。確かに秦との仲が強まっているが、それ以外に道は見えず、焦りを抱いている。

 このまま楓と衛が力を増大させていくのを黙ってみているしかないのであれば、侵略されるとまでは言

わないまでも、いずれ楓の風下に立たざるを得ない状況になるかもしれない。

 状況を打破すべく、一番組しやすいだろう双内の分裂を謀ってみたりもしたが。双は五年前も多くの戦

に絡んではいたが、実は積極的に兵を動かした事がなく、越に牽引される形で経済が活発になっている事

もあって、驚くほど国内に不満が少ない。少なくとも双政府に対する不満はそうである。

 双に併合された金(キン)、劉(リュウ)、陶(トウ)といった勢力の民達も双化を強め、他国を見下

しながら、自国の繁栄に酔っている形だ。足元をすくう事は可能かもしれないが、今日明日にどうこうす

るような事はできない。目の前に大きな不満がないのであれば、大きく動かす事は難しいのである。

 もっと早くから動いていれば、この五年で決定的な効果を生み出せていたのかもしれないが。双の安定

は当時の楚にとっても必要な事と考えられ、迂闊(うかつ)に手を出せば大乱を招く事になるかもしれな

いと慎重になった事が、ここにきて自らの首を絞めている。

 とにかく慎重に慎重に、国外よりも国内安定を重視、という姜尚の方針を守ってきた事が、徒(いたず

ら)に時を費を費やす事になったのか。

 もし姜尚が生きていれば、こんな事にはなっておらず、その都度臨機応変に政策を変えていた筈だが。

彼の死後、残念ながらそこまでの能力を持つ人物が現れなかった。姜尚が育てていた者達も彼の代役を務

められる程ではなく、無難に治めはするものの、言って見ればそれだけでしかない。

 姜尚が見誤っていたというよりは、彼らは姜尚が上に居てこそ輝ける存在だったのだろう。

 姜尚の息子である姜白(キョウハク)も斉にかかりきりで、その意思は必ずしも楚に同意するものでは

なくなっているようであるし。楚王宮内には無用の緊張感と苛立ちが満ちるようになってしまっていた。

 変われば、変わるものである。いや、変わらなかったから、一時の優位を得るだけに終わってしまった

のか。

 どちらにせよ、このまま手を拱(こまぬ)いている訳にはいかない。

 そう考えていた所に飛び込んできたのが南蛮の襲来である。楚はこれを利用しない手はないと考えた。

 楓の力が増しているとはいえ、楚の影響力は少なくない。楓は秦にも気を配っている筈だから、一番危

機感の薄い南部への意識は自然薄くなっていた筈だ。この隙に南蛮に怯える蜀(ショク)や狄(テキ)と

いった中諸国勢力と結ぶ事ができれば、優位を取り戻す事ができるかもしれない。

 少なくとも、楓の力を分散させる事はできるだろう。

 楚は手始めに蜀へと接触した。しかし蜀は楓の目と鼻の先、流石に楓を無視するような行動は取り難い。

それに蜀は今まで国策を引っ張ってきた蜀礼(ショクライ)を、蜀望(ショクボウ)を王位に、という悲

願を達成した為か、その間の心労の為か、病を患った後呆気なく亡くしており。牽引者を亡くした蜀政府

は積極性を著(いちじる)しく欠く。

 蜀望は蜀礼の死後も国政を安定させ続け、その手腕を見せたのだが。自然の流れに身を任すような茫々

(ぼうぼう)とした性質は変わっておらず、どうにも激しさというものを感じさせない。行動も思考も慎

重にして無理を嫌う。これでは積極的に動ける訳がなかった。

 蜀礼に代わるような人物も居ないし、結果として蜀もまた小さくまとまるような格好になっている。

 そこに南蛮の脅威が示されたのだから、楓と敵対しようと思う訳がない。結び付きを強め、国内の不安

を抑えるので精一杯である。楚の協力はありがたいのだが、蜀と楚の間には結構な距離もあるし、いざと

いう時に頼れるのは楓しかいない。楚に良い返事は与えられなかった。

 そこで楚は目標を狄(テキ)国へ変える。

 狄は元々反楓衛勢力残党と言える国々が一つになってできた国である。初めから楓に好い感情を抱いて

おらず、むしろ敵視してきた。例え王権強化の為に趙深と協力した事があったとしても、それは変わらな

い。利害関係によって結ばれた関係は、利害関係によって容易く崩れる。現状は必要から仕方なく蜀

などと南蛮に関して協力し合っているが、これも本意ではないようだ。

 そこに差し伸べられた楚の手。これを逃す筈がない。

 王、狄仁(テキジン)、次王、狄傑(テキケツ)、共に好意的に楚を受け入れ、内密に軍事同盟を結ん

でいる。そして同時に秦国にも働きかけ、同様の同盟を結んだ。

 しかし狄はこれだけでは弱いと考えた。そこで独自に東方の子遂(シスイ)とも結び、協力関係を整え

ている。そしてその上で南蛮と結ぶ事まで考えていたようだ。

 元々狄の在る地方には南方から移住してくる者、迷い出てくる者がしばしばあったと伝えられている。

真偽定かではなく、証拠もないが、地理的に考えて、そういう事がなかったとは言えない。

 南蛮の考え方が変わってきているだろう今、そういうか細い関係がどれだけ役に立つかは知らないが。

その縁を利用して交渉しようと考えてもおかしくはない。

 特に彼らは南蛮の力を身に染みて知っている。争うよりも味方に付けた方がいいと考えるのは、自然の

流れとも言えた。

 彼らに余裕があればそんな事は考えなかったろうが。狄国は四面楚歌のような状況にあり、楚や秦など

という国と同盟を結んだとて、結局両国に使い捨てにされるだけだろうという事を理解している。

 そこに、もっと近くで強大なる力を持つ勢力が生まれつつあるとすればどうだろう。早くからその勢力

に取り入り、できれば恩を売って協力関係を強めておく方がいい、と考えてもおかしくはない。

 こうして狄の暗躍(あんやく)が始まる。無論、楚にも秦にも無断だ。そしてこの動きが、大乱を生み

出す一つの決定的な契機(けいき)となるのである。




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