16-2.大陸同盟


 楓流は狄の動きを逸早く察知していた(無論、暗躍している詳細な内容までは知らなかったが)。それ

でも手を打たなかったのは、相手が楚秦だったからである。

 狄が同盟を結んだ相手が蜀などならいくらでも口出せる。しかし楚や秦が誰と何を結ぼうと、楓が口出

しできる問題ではない。この場合は軍事力が即ち発言力となるが、総合的な軍事能力なら楚秦の方がおそ

らく上である。余計な事を言えば、手痛い目に遭う。

 どちらも歴(れっき)とした独立国であるからには、例え同盟していても、そこに口を出すという事は、

最悪争いになる事を考えておかなければならない。だから力なき者は何も言えず、例え勇気を出して言っ

たとしても愚かしく思われるのが落ちである。

 それに狄の二王とは彼らの権力が増して以来、敵対するような行動を取っていない。楓流はこちらから

挑発するような行動は慎むべきだと考えていた。

 だからといって安心し、信じるような事はなく。その動きを逸早く察知したように、間者をしっかりと

忍ばせているのだが。狄は秦や楚のように差し迫った問題ではないと考えていたのだ。

 東方の子遂にしてもそうである。狄から子遂へはいくつもの国を挟み、布、伊推という同盟国が睨みを

効かせている。子遂に入るものはこれらの目を逃れられない。情報はすぐに衛、楓へと送られ、大抵の事

は把握できている。

 この時も、狄からの使者が持っているだろう書状の内容を詳しく知る事までは出来ないものの、狄から

子遂へ使者が送られた事は察知している。その事と以前楚と秦から狄へ使者が送られた事を考えれば、目

的は自ずと察せられる。

 子遂がどういう返事をしたとしても、結局子遂はこの場を動けないし、効果的な手は打てない。子遂も

子遂も楓衛から信用されていない事を解っている。だからずっと大人しく領地に引き篭もり、動きといえ

る動きを見せていない。そうするしかないのである。彼は動けない。

 だから子遂の返答もそういうものであったろうと推測できる。味方してもいいが、それには布や伊推を

押さえる必要があるのだと。

 当然狄もその程度の事は予見しているだろうから、そこに大きな不満は生まれない。楓衛側に子遂との

関係を疑わせる事ができれば儲(もう)けもの、程度の考えだろう。狄は察知されるのを前提に、使者を

送っているのである。

 そこには楚と秦が後ろ盾してくれるだろう、という目論見もあるに違いない。楚秦が背後に居る以上、

例えそれが狄の独断であったとしても他国はそうと考えず、必ず楚秦とも同意の上の事と見、迂闊に手は

出さないだろうと。

 楓流はそれにまんまと引っかかってしまった訳だが、無理もない話だ。楚も秦も同様である。この両国

もまた、狄の動きの全てを知っていた訳ではない。知れる事には自ずと限界がある。狄が上手というより

は、人には限界があるという事である。

 南蛮の事にしてもそうだ。

 南蛮の勢力がどの程度なのか、その勢力図がどうなっていて、どういう方向に向かって進んでいるのか。

それを南蛮以外の人間で知る者はいない。

 狄でさえそうだ。おぼろげな輪郭(りんかく)は掴めるものの、正確な事は解らない。南蛮の兵士が強

いのははっきりしているが、その兵力はいくらなのか、いつ統一されるのか、それとも再びばらばらにな

り群雄割拠の状態に戻るのか。誰にも解らない。予測さえできない。

 ここで流れはまた暫くの間停滞する事になる。

 少なくとも大陸人の流れはそうだ。

 各国の動向を窺(うかが)い、誰もが一歩を踏み出せずにいる。力を蓄え、いつでも戦を行える準備を

してきたとはいえ、そうしたい訳ではない。何度も言っているように、戦をしたくて軍備を整えている訳

ではないのである。

 特に今のような状況で下手に仕掛ければ、第三者がふっと現れ、漁夫の利にされてしまいかねない。戦

をする力はあっても、その理由はなく、そうしたくもない。

 しかしこの状況にしびれを切らせる者達が居た。

 南方と領を接する、町村連合である。

 何しろ彼らは町を一つ焼き払われ、住民をさらわれている。報復とさらわれた民を救う為、何度も何度

も国に対し軍を動かしてくれるよう願っているのに、まともに取り合ってくれない。

 南蛮の非道に対しては激しく怒りを感じている、とか、民を取り戻すよう努力する、とか、実のない言

葉をくれるだけで、積極的に動こうという姿勢はなかった。

 国には国の視点、民には民の視点があり、その意と利が食い違う事は確かに良くある事だが、これでは

民の怒りは治まらない。独立意識を強めていた事もあって、次第に、政府なにするものぞ、という気概(き

がい)が高まってきた。民を護ってくれると思うからこそ重税にも耐え、労役を懸命にこなしてきたのに、

結局国は何もしてくれない。これでは国を慕うかいがない。

 搾(しぼ)り取れるだけ搾り、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)に振る舞い、挙句の果てに民を見捨てる

とは何事か。こうなればわれわれの手で行う。国には最早頼らない。有名無実な存在なら、そんなものは

要りはしない。誰が害にだけなるようなものに、大人しく従っていられるだろうか。

 町村連合全体で一揆(いっき)が発生し、その上それらが繋がりを持って一致団結し始め、一揆を超え

た武力革命へとその姿を転じ始めた。

 これには中諸国も堪らない。軍を動かして一挙に鎮圧しようにも一揆の規模が大きく、これを好機と当

然のように横槍を入れてくる勢力も現れ、次第に泥沼に踏み入れて行く。

 最悪の状況になる前に楓や衛に頼み込み、仲介してもらう事で何とか他国からの横槍だけは抑えてもら

ったが、一揆の方はどうにもならない。楓衛もよくよく話を聞いてやるようにと、当たり前のように民の

味方であるし。最後は金と物で解決しようとしたのだが、逆効果にしかならなかった。

 お前らは民を、我らの家族を、南蛮に金と物で売るというのか、と罵(ののし)られ、民達の心は益々

独立色を強くしていく。もう一国ではどうにもならないと考え、同じ悩みを持つ政府同士で協力し合おう

とも考えたようだが、当然政府には民のような一体感を望めない。

 一応、中諸国会談のような場を用意しては見たが、意見は全くまとまらないし。かえってその仲を悪く

しただけに終わった。時間だけが過ぎ、民の憤怒は益々強まっていく。

 結局この問題を解決するには南蛮に軍を差し向けなければならない。それは解っている。だが無事勝て

ればいいが、もし負けようものならどうなるか。最早国という形すら保っていられなくなるかもしれない。

 誰かを頼ろうにも、楓衛は中諸国の疲弊(ひへい)を歓迎するだろうし、他の強国も同じである。誰も

親身になって手を貸してはくれまい。少数の政府要人の為に、多数の民の反感を買うなど、馬鹿のする事

だからだ。

 どちらに味方する方が利になるかは子供でも解る。国民もまだ荒々しさを残しているこの時代、民の蜂

起(ほうき)以上に恐れなくてはならないものは無い。

 困った中諸国政府は決断だけを延ばし、民の怒りも強まる一方で、とうとう町村連合を独立させるか、

軍を南蛮へ差し向けるかの二択を迫られる事になった。こうなれば関係のある国々で軍を集め、南方へ向

かわせるしかない。

 政府同士の信用など考慮していられなくなった。今はとにかく行動で示さなければ、民によって喉首を

裂かれる破目になりかねない。

 民の脅迫に応じるようで情けなく、腹立たしくもあったが。ここで独立を認めてしまえば、政府の力は

完全に失われてしまうだろう。中諸国の多くは孫滅亡後、その隙に乗じるようにして生まれた。民の忠誠

心も低く、家臣もまたまとまっているとは言い難い。ちょっとしたきっかけで容易く崩れてしまう。

 だからそのような確実な危険を冒すくらいなら、まだ南蛮に勝つ方が可能性のある賭けだと考えたので

ある。



 中諸国政府は義勇兵も募って、総勢三千という軍勢を揃(そろ)えた。割合は各国の兵を集めたものが

二千、義勇兵が千である。

 兵に応募してきた者はこの数倍はいたらしい。それこそ老人若者問わず、動ける者は誰でもきたという

風であったとか。一声でこれだけの数の義勇兵が集まった事からも、民達がどれだけ真剣であったかが解

る。そしてどれほど南蛮に激昂(げっこう)していたのかも。

 故にその中から選別されたこの兵団は、決して弱くはない。五分以上の戦いに持ち込めれば、実力以上

の力を発揮さえするかもしれない。とはいえ実践経験は皆無に等しい者の方が多く、それは付け焼刃の訓

練だけではとても埋められないものだ。確かに弱くはないものの、脆(もろ)さを秘めていた。

 この軍勢が剽悍(ひょうかん)な南蛮兵に対し、どれほどの力を発揮できるかは解らなかったが、どの

国も数で充分補えると見ていた。町を焼き払った兵団も高が百である。三千の前には無力と考えていたよ

うである。

 そして民も多くの者がそう考えていた。だからこそ早く動かない国に対して、怒りを覚えていたのであ

る。数さえ集めれば勝てると思ったからこそ、自分達でもどうにかなる、独立しよう、という思想へ向か

っていたのだといえる。

 一国では不安だったが、こうして三千もの兵が集まってみると、その気持ちも消えていた。そこには勝

利しかない。

 だがこの期待は外れる事になる。

 まず地理的な不利を免れ得なかった。南方の地理を一番良く知っている者でも極々付近まででしかなく、

それ以後はどこをどういっていいのかも解らない。補給線を整える事もできず、計画も立てられず、迷い

逸(はぐ)れてしまう兵も少なくなかった(計三百人程の兵が、迷った挙句散々な目に遭ってようやく中

央へ戻る事ができたが、二百人程の兵は全く行方が解らない。南蛮に捕まったとも、野垂れ死んだとも言

われている)。

 気温も蒸して高く、見知らぬ植物、獰猛な獣に襲われたりもして病人、怪我人が続出し、士気がみるみ

る落ちていく。しかし彼らには同胞を助けるという正義、使命感があった。最後は気力だけで耐え進み、

その願いが通じたのか、南蛮の集落の一つへと辿り着く。

 そこは人口百人程度の集落で、軍が来るのを察知していたのか抗戦準備を終えていて、南蛮兵もよく戦

ったが、二千を超える軍勢の前にはどうする事もできず、互いに死傷者を多く出したものの、ほとんどが

討ち取られ、略奪の限りを尽くされた。恨みを抱く中諸国兵の心は無慈悲であり、犯し、飲み、食らい、

殺し、まったく酷い有様であったという。

 だが南蛮もまたそうしたのだから、これは避けられぬ運命であったと言えよう。復讐という名の欲望の

捌け口は、いつもこのように救いようのないものである。

 勝利を得た事で中諸国兵の士気も高まり、このまま南蛮を食らい尽くしてしまおうと笑いあい、この地

で勝利の宴を催(もよお)して、久しぶりに大いに飲み、食らった(この集落には、おそらく町村連合か

ら略奪したものだろう、食料や水、酒が多く備蓄してあったし、困る事はなかった)。

 そして皆酔い潰れ、高いびきで無防備に眠り込む。彼らもこれが南蛮の全てとは思っていなかったよう

だが。せいぜい同じ程度の規模の集落が十もあれば良い方だろうと高をくくり、南蛮の兵力を侮っていた。

我々が本気を出せば未開の蛮族など塵芥(ちりあくた)のようなものだと、盲目的に信じていたのである。

 しかしその夜、彼らは自らの甘さを悔いる事になる。



 怒号によって中諸国兵は目覚めさせられた。

 南蛮兵の夜襲である。

 夜襲、奇襲などは寡兵が大軍を打ち破る為に用いられる策であるが、大軍が用いてはならない理由はな

い。襲い来た南蛮兵の数はおよそ千。いや千をゆうに超えるか。それだけの数が迫り来る事に気付かなか

ったのは愚かだが、無防備に酔い潰れていたのだから当然の結果と言えた。

 その動きも迅速そして見事に統制が取れたものであり、百人毎に一組に分けられた部隊が集落を包囲し

ながら、順番に襲い掛かる。北から攻め立てれば次は南。西から来れば次は東。完全に包囲され、逃げ道

も開けられていなかった。

 普通は敵が決死の兵となるのを防ぐ為、わざと逃げ道を用意し、壊走(かいそう)したのを見計らって

追撃を仕掛けるものだが。南蛮は誰一人として逃がすつもりはなく、殲滅する腹であるらしい。

 勝敗は一瞬でついていた。武器を持って反撃する兵など数える程で、義勇兵、正規兵問わず乱れ、将の

命も届かず、中諸国軍は烏合の集と成り果てた。

 元々寄せ集めと言っていい軍である。合同訓練を行った事もなく、単に必要から兵を出し合って軍のよ

うなものを形作っていたに過ぎない。一度転べば止める術はなかった。

 中には勇戦した者も居たようだが焼け石に水、大勢に影響なく、確実に殺され、南蛮兵の憤怒の表情に

恐怖しながら皆死んでいった。

 一晩でほぼ全滅している。死んだ振りをして逃れた兵もおり、それが敗報を中諸国へもたらす事になる

のだが、生存者は居ないに等しかった。南蛮の恐ろしさである。彼らには大陸人に対する慈悲などなく、

戦いは即ち生きるか死ぬか。共存など考えておらず、どちらが生き残るか、それだけが南蛮の心を支配し

ている。

 中諸国軍同様、復讐に燃える今の彼らに慈悲など無い。南蛮兵は皆修羅となり、大陸人の血だけが彼ら

の同胞の御霊を安らげる事ができる。

 最後に死体の山に火を放つと(ここで死んだ振りをしていた兵も大半は死んだ)、まるで初めから居な

かったかのように迅速に去った。物資を回収しなかった所を見ると、初めからそれを取り戻す気はなかっ

たのだろう。

 南蛮軍は強く、そして速い。正面から戦っていても勝てたかどうか。いくらかは時間を稼げただろうが、

鎧袖一触(がいしゅういっしょく)に葬(ほうむ)られていた可能性も低くない。

 そしてその恐怖は敗残兵によって大陸中に伝わる事になる。

 南蛮、最早それはおぼろげな恐怖ではなく、はっきりとした脅威であった。

 大陸人は恐れ、震え上がった。



 大陸中を無数の噂が去来する。そのほとんどは眉唾物だったが、信じる者は少なくない。

 角を生やしているだの、殺した側から喰らうだの、牙が喉の下まで突き出ていてまるで人間とは思えな

い容貌(ようぼう)だ、などと冷静に考えれば滑稽(こっけい)な話だが、当時の大陸人が持っていた南

蛮の印象は、人間というよりも、妖怪、化物に近かったのだろう。

 空を飛ぶだの、腕が数mも伸びるだの、そんな噂まで疑いもなく信じる者が多く居たようだ。

 楓流は民よりは幾らか正確な情報を得ていたが、相当な強兵である事以外に解る事は少ない。

 ただ脅威に感じられたのが、集落を襲ったその日の夜に大軍が襲ってきた事である。予め来る事が解っ

ていればそれなりの備えはしていた筈だから、必ずしも南蛮が中諸国に注意を払っていたとは言えないが。

すぐさま援軍が来た事を考えれば、常に相当数の兵を、大陸中央付近に用意していると考えられる。

 集落に物資が豊富だった理由も、大侵攻する為の補給地点の一つだった、からかもしれない。

 南蛮は着々と中央侵攻の準備を整えているのだろうか。それとも、他への備えなのか。

 どちらにせよ、千の強兵をすぐさま差し向けられるくらいには南蛮がまとまっている。それなのに捕虜

の奪還には百程度の兵しか出していないという事は、まだ多くの兵を外征させる余力がないという事か。

或いは正確な情報を得ており、それだけの数で十分と見たのか。

 もし後者であれば、楓流達が考えている以上に彼らは中央の情報を得ている。どういう方法で得ている

のかは解らないが、これは油断ならぬ事だ。

 もしかしたら中諸国の中に南蛮と通じている国、或いは個人として繋がっている者、が居るのかもしれ

ない。間者が送り込まれている可能性もある。

 しかし間者に部族の者を使ってもすぐにばれてしまうだろう。町村ぐるみで通じていると考えれば別だ

が、そうでなければ捕虜とした大陸人を間者として用いているのかもしれない。

 大陸人は南蛮、未開人と馬鹿にしているが、戦い方といい、こちらよりもよほど進んでいるのではない

かと思う事がある。少なくとも、町村連合程度ではとても歯が立つまい。そして今回敗れた事で、中諸国

にも大きな動揺が広がっている。

 皮肉な事に、南蛮の強さを目の当たりにした事で、町村連合の独立意識や民の不満が一時治まっている。

代わって台頭(たいとう)してきたのが南蛮への恐怖であり、この雑多な噂群もそれを示している。怖い

からこそ人外の者として納得しようとし、他人と恐怖を共有する事で少しでもその心を和らげようとして

いる。

 恐怖に酔う事で、その恐怖を受け容れようとでもするかのように。

 問題を解決するには様々な方法があるものだ。その中にはとても効果的とは思えない方法、誤解を招い

てしまう方法もあるが、そのどれもに効果が無いとは言えない。

 とはいえ、この大多数の恐怖心はいずれ一つに繋がり、大きな感情の渦となって、大陸全体を襲う事に

なるだろう。

 恐怖はいずれその対象への敵愾心(てきがいしん)に変わる。恐いから逃げよう、から、恐いから排除

してしまおう、に変わっていく。

 そうなった時、大陸人は南蛮に勝てるのだろうか。

 暫くは南蛮と戦おうなどと言い出す者は出ないとしても、南蛮が待っていてくれるとは限らないし、時

間を与えれば、その分だけ南蛮は強大化する。大陸人と南蛮が相容れぬ関係であるのなら、早い内に手を

打っておかなければどうにもならなくなるのではないか。

 いずれは孫文を超えた脅威となって、襲い掛かってくるのではないだろうか。

 もし南方が肥沃な土地であるとすれば、一体どれほどの兵力が眠っているのか。その強さは折り紙付き、

数が互角であればまず勝てまい。精強の誉れ高い楓軍を用いたとしても、南方で戦う限り、楓流には勝つ

自信が全く無かった。

 まず地理を知る事だ。そして南蛮の情報を得る。そうしなければ対抗する事はできない。

 それに脅威であればこそ、再び大陸中の国家をまとめる理由にできるかもしれない。孫文がそうであっ

たように。

 それでもいずれ起きるだろう天下統一戦を引き延ばす事にしかならないとしても、楓流は一時の平和も

貴重なものと考えていた。時間があればそれだけ準備ができるし、無用な死傷者が出ずに済む。各国と共

存する道も見えてくるかもしれないし、今現在大陸全土を覆っている緊張感にも正直うんざりしていた。

 どの国との関係もぎすぎすしたものになり、安心できる時間がない。楓流ももう若くはなく。一時でも

憂いを感ぜずに済むのであれば、それに越した事はなかった。

 しかしそうのんびりとしてはいられない。南蛮が目に見えて脅威となっている今、少しでも早く対処し

ておかなければならない。

 楓流は逸早く大陸同盟を提唱した。北方大同盟を大陸全土にまで広げ、対南蛮の為に大陸全体が一致団

結して協力し合おうと考えたのである。それは大変難しい事だが、知った上で敢えて提唱した。主導権を

握る為である。

 誰もがそういう考えを持っていない訳ではなかったが、それを口に出すのと思っているのには大きな違

いがある。一番最初に公に述べたという事はある種の権威を生む。

 それに楓が中心となって動く事には理由がない訳ではなかった。

 楓、双、秦、楚、越の強国の内、最も南方に近いのは楓である。そして中諸国とも関係が深い。それな

らば楓が中心となって牽引(けんいん)していく事は自然である。

 それに中心となる存在は成功した時の名誉も大きいが、失敗した時に非難の矢面に立たされる危険があ

る。南蛮相手では分の悪い賭けと見、各国も楓を盟主とする事に異議を唱えないかもしれない。

 協力までいかずとも、楓の立場を認めさせる事ができればそれで良かった。

 楚や秦の動きを封じ、後顧の憂いを断つ事が主目的である。

 楓が中心となる事には中諸国も賛同してくれる筈だ。何と言っても楚秦越などは南方と距離が離れ過ぎ

ている。どうしても危機感は薄くなり、その分非協力的になる。ならより近く、より危機感を持つ楓が中

心になってくれた方がいい。

 南蛮というより大きな脅威が現れた今、楓に対する感情も一時は抑えるだろう。ならばこの機会に中諸

国に取り入ってもいいし、もっと踏み込んで、取り込んでしまってもいい。

 南蛮に対する脅威は脅威として、楓流にも思惑がない訳ではなかった。

 ただし、南蛮に対抗する事が主要な問題である事は変わらない。その為には一国としての欲を抑える覚

悟があった。欲だけで動いている訳ではない。楓流もまた南蛮に恐怖している。



 雑多な問題があったものの、取り合えず大陸同盟という形をまとめる事ができた。

 これには大陸人の国家全てが所属し、対南蛮においてのみ効果が発揮される。ただしそれ以外の国家相

手でも、対南蛮に支障が出ると考えられれば発動される。後半は念の為に入れておいたものだが、南蛮と

繋がる勢力が出ないとも限らない。考えられる事態には対処しておきたかった。

 ただこれでもまだ問題は残っている。

 それは、全ての国家に軍を出させるにはそれだけの理由が必要である、という点だ。

 例えば南蛮が実際には楓と中諸国だけで対処できる程度の力しかなければ、他の国家に軍を出させるだ

けの強制力は発生しない。

 あくまでも南蛮が以前の孫のような、或いはそれ以上の脅威であると認められた時にのみ、この同盟は

真価を発揮する。確たる証拠がなければ、非戦同盟程度にしかならない。

 つまり楓流は、早急に南蛮という勢力を調べ上げ、大陸人全体の脅威となる事を証明しなければならな

い。町が一つ焼き払われた程度、中諸国が返り討ちにあった程度、では楚や秦は動かないのである。

 楓流は自ら千の兵を率い、南方に一番近く、軍を駐留できるだけの規模がある、蜀の南東、狄の南西に

位置する小国、梁(リョウ)の首都、啓封(ケイホウ)に入り、実質この地を支配した。

 梁は蜀が楓と繋がると知るやすぐさま楓衛に屈した国の一つで、信用はできないが。利に聡い分、南蛮

の脅威がある限り、前向きに協力してくれるだろう。

 現に楓流の方は一応王を立てているが、梁の方は家臣同様に屈している。耳障りの良い言葉を吐く点は

やはり信用できないが。少しでも印象を良くしようと必要以上に働き、誠意を見せようとする点は、滑稽

(こっけい)に思えるも、ありがたくない訳ではない。

 無論、楓流の方も王だけでなく臣民に対してもできるだけ誠意を見せている。一方的な誠意は不満と不

和しか生まない。形だけでも対等である事が、人の和を促(うなが)す。決して力に溺れ、傲慢(ごうま

ん)になってはならない。

 梁が掴んでいる情報は他国と大差ないようだ。

 それというのもこの国は町村連合の影響が一番強く、今現在ほぼ半分の領土が半独立状態にあって、情

報を得る事すらままならなくなっているからだ。そしてそれが楓流がこの国に入る事を決めた理由の一つ

である。

 今なら梁王と臣達は楓流という後ろ盾をありがたがって受け入れ、領土平定に役立てようと画策するだ

ろう。彼らは楓流を邪魔しない。非常に動きやすい。

 しかし情報を得られないではどうにもならないので、衛より間者団を呼び寄せ、この地に常駐させると

共に、南方の情報を得させる事にした。

 そして自身は百の兵を率いて、梁南部まで出向いている。

 勢いの衰えている町村連合を掌握する為である。民に恩を売っておけば、後々まで役に立ってくれる。

 梁政府を黙って利してやるつもりはなかった。




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