16-3.南蛮


 梁南部は不安に包まれていたようだが、楓流と百の軍勢を熱狂的に歓迎する事で、少しだけ治まったよ

うである。

 啓封に置いてきた軍勢は鏗陸(コウリク)に任せている。彼は最も楓流に付き従った期間の長い一人だ。

忠誠心篤(あつ)く、楓流を非常に尊敬しているので、その姿や手法を真似、その分独自性には欠けるも

のの、安定して頼れる人材となっている。

 小楓流とでもいうべき存在で、外交から内政まで器用にこなす。胡虎に次ぐ便利な人材と言っていい。

 彼に任せておけば大きな失敗は無いだろう。兵も良く従い、梁政府への圧力の加え方も堂に入ったもの

で、今の彼を見ていると感慨深いものがある。白祥(ハクショウ)も冥府で称(たた)えてくれている事

だろう。

 おかげで楓流は南部掌握に専念する事ができる。

 彼がまずやったのは、楓軍を見せる事で不安を小さくし、それから食料などを与え、民の心を慰める事

である。南蛮の焼き討ち、そして小さいが度重なる襲撃によって物資の不足している町村もあり、その事

がまた政府への反意に繋がっていた。

 一時は南蛮への恐怖心から治まっていたが、楓軍が来てくれた事で安心して再発させている。これを上

手く使えば政府への不満を増させつつ、楓への信頼を篤くさせる事も可能だろう。

 直接的には煽(あお)るような事はしないものの、結果としてそうなる事を解ってやっているのだから、

梁からすると余計に性質が悪い。

 いや、梁政府はそのような楓流の策謀にすら気付いていないのか。彼らはたわいなく楓に従っているよ

うに見える。ただし、それは鏗陸の見立てでしかなく、鏗陸自身もそれが梁政府の心全てだとは考えてい

ないようだ。梁政府はどうにも胡散臭(うさんくさ)く、したたかというよりはもっと泥臭く、ねっとり

した不安を覚えさせる。

 民も不安を覚える筈だ。例えるなら双臣に近く、頼りになるとは思えない。全てを楓に任せ、まるで他

人事のようにしている。

 だからこそ容易に言う事を聞かせられる、とも言えるのかもしれないが。責任は全く取らないだろう。

楓が何かしくじれば、それを種にして付け込んでこようとさえするかもしれない。

 彼らは確かに弱体化しているが、だからこそその弱さを盾に、無理難題も押し通す事ができる、という

考えがあるようにも見て取れる。

 弱さには強さ以上の怖さがあるのだ。油断してはならない。

 特に他勢力と余計な繋がりを持たぬよう、しっかり監視しておく必要がある。

 その為にも鏗陸には有能な間者を付けてある。おそらく心配は要らないだろうが、そういう危険がある

事は常に念頭に置いておくべきだろう。

 ともあれ、楓流は順当に状況を把握し、計画を進めていく。



 実際にここに来て解った事は、町村連合などと言われていても、連合などと呼べる程の繋がりはないと

いう事だった。

 彼らは政府に対抗する為、或いは気を大きくする為、自然発生的にその言葉を使うようになっていった

ようだが、実際には条約協定などは結ばれておらず、組織的に行動した事も皆無である。

 どちらかといえば連名に近く、我々は同じ考えであると同意を示しているに過ぎない。

 各町村もそれぞれの自治組織で個々に防衛しているし、それらを集めて国家転覆(てんぷく)しようと

は夢にも考えていない。独立心は確かに高まっているが、それも町村それぞれのもので、連名した町村全

体で一国になろうなどとは考えておらず、その為の求心力となれる存在も、主導者も居ない。

 彼らはてんでばらばらにやっているだけなのだが、それを外から見て好き勝手に解釈し、騒ぎ立ててい

る者達がいる。そうなると政府から無用に警戒されるし、彼らも迷惑に感じているらしい。確かに一度は

一揆を行ったが、楓や衛の仲介ですぐに治まっているように、多くは武力でどうこうしようとは考えてい

ない。

 武力革命に転じつつあるというのも、政府側の無用な恐怖心が巻き起こした誤報のようなものである。

 これは多少期待外れだったが、大人しい分町村を掌握しやすいともいえる。

 それに町村連名にさほどの強制力はなく、有名無実なものとはいえ、やはり村はより大きな町に付こう

と考えるし、町もまたそれを当然と受け入れる。自然と小さなまとまりができており、主導格の町を押さ

えればそれで済む。頼れる存在が来た今、何もせずとも向こうから恭順の意を示してくる、という事も考

えられ、全ての点が楓にとって良い方向に向かっていると言えなくもない。

 ならば今楓流がやるべき事は、徒(いたずら)に動いて彼らを刺激する事でも、梁政府達に無用な危機

感を与える事でもなく。梁政府からの要請に応じたという大義名分に則って梁内の町村を安堵させ、民を

味方に付ける事であろう。

 そうして一つの地を押さえ、その地の民を懐(なつ)かせる事ができれば、後は自然の流れとして他の

町村の民も楓流を慕うようになる筈だ。そういう心の動きなら、楓流はようく心得ている。今までに何度

も何度も考え、実行してきた事だ。今更困る事はない。

 楓流は確かにもう若くないが、その分多くの経験を積んでいる。全ての事により通じ、より上手くなっ

ているのである。彼の行動は机上の論ではなく、現実に基づいた経験からくる確かなものであった。

 政府という座、王という座に胡坐(あぐら)をかく事なく、常に問題に対して直に接し、苦悩しつつも

答えを見出してきたからこそ、苦しみと共に生きてきたからこそ、得られたもの。

 梁王がどれだけ機を見る事に長け、取り入る術に長けていようとも、楓流から見れば小賢しい子供でし

かない。

 油断する訳ではないが、その意は透けて見え、所詮王の器ではない事を感じさせた。これなら余計な手

出しをしなくても、勝手に自滅してくれるだろう。仕事はより容易いものになりそうだ。

 ありがたい事である。



 その地を掌握するといっても、別に土地に目印を付けたり、測量をしたりする訳ではない。この場合の

掌握とは、その地の人間を味方に付けるという意味である。

 そして人間を味方に付けるといっても、一人一人地道に懐柔していく訳ではない。どこであってもその

地の有力者、名士がおり、その者達の力が時に王を凌(しの)ぐ事は以前にも記した。

 つまり大きな町の名士を味方に付ければ、その地の民を味方にできる。

 しかし梁の要請に応えて、という大義名分に寄りかかっている以上、梁政府を無視する訳にはいかない。

必要以上に民に近付けば無用な警戒を生むだろう。政府にも民自身にも。

 何か力を加えれば、必ず反作用というものが生まれる。だから欲を出さず、手を加える部分は最小限に

抑える。自分の領地であればそこまで考えなくても良いが、他人の土地に入っている以上、ある程度は所

有者に敬意を示さなければならない。

 これは人として当然の事である。

 人が行う事の基本は全て人にある。それを忘れてはならない。例えどんなに大きかろうと、所詮は個人

の集まりである。全体に囚われ、個々を見る事を忘れてはならない。

 楓流はその土地を護る守備兵に目を付けた。

 この兵達は数こそ少ないものの、その地に常駐し、民にとって最も必要な警察力の役割を果たしている。

表と裏の事情にも良く通じ、時に厄介な存在になる事もあるが、それならそれで正当に処罰すれば民から

の信を得る事も可能だ。

 それに梁政府の要請を受けて来ているのだから、その地の守備兵と繋がる事は自然である。

 楓流は兵を置く関係もあって、梁南部で最も大きな町である江南(コウナン)を駐留地に決めた。江と

は大きな川を意味するが、海や湖などの水地が陸地に入り込んだ所も意味し、この場合は南方が、つまり

未開の地が大陸人の土地に入り込んでいる、接しているという意味でこの名が付けられたのだろう。

 古い地名であるし、もしかしたら以前はここが大陸人達の住む南端であったのかもしれない。

 南方開発は碧嶺統一以後にようやく本格的なものになったし、大陸人達の南の果ては今思うよりも遥か

に距離が近かった。

 ともあれ、楓流は軍と共に江南に進み、この地の守備隊を掌握する。

 総勢約五十。千を超える人口に対して少ないように思えるが、実際には充分過ぎる数だ。南蛮が攻めて

くれば義勇兵を募って百にも二百にもできるだろうし、守備兵予備隊とでも言うべき者達を常にある程度

の数押さえている。

 今は南蛮の脅威もあり、義勇兵を百名程集め、交代で常に百の兵は置くようにしているようだ。山賊夜

盗も南蛮を恐れて去っているから、例え居ても火事場泥棒狙いの小悪党が数える程だろうし、そういう者

は大抵群れない。だから兵数としては充分で、民も他よりは安定しているかもしれない。最前線にあるか

らこそ、かえって引き締まるという面もあるだろう。

 そこに新たに精強名高い楓軍が来てくれたのだから、嬉しく思わない筈がない。次々に祝いに訪れる者

が現れ、気持ちは良く解ったからこれ以上は必要ない、などと立て札を立てねばならない程であった。

 食料などを気前良く用意してくれる者達も居て、楓流も民の慰撫(いぶ)の為に多く持ってきていたが、

こういう心遣いはありがたく、遠慮なく受け取って足りない場所へ施(ほどこ)している。こうする事で

食料も金も上手く循環し、一種清涼な流れが生まれ、人の活気を促(うなが)すのである。

 それが何であれ、清涼なる循環は必要だ。

 どこかで止まればそこで膿(う)む。常に流し続ける必要がある。

 江南の守備隊長の名は法瑞(ホウズイ)。長所もあり、短所もあるが、総合すると人として取り立てて

どうという特徴のない人物だ。髭を生やした隊長像を浮かべればすぐに思い浮かぶような人物である。

 多少の不正はあるようだが、それも特別にどうという事はなく、民からもそれなりには敬われている。

楓流も特に処罰の必要はないと認め、その立場を安堵して近付く事にした。

 話を聞くと上司には非常に腰の低い人物で、半分諦めつつもどこか期待を持って生きている、というま

さに一般的な人物であった。

 楓流には梁の臣である彼の賃金を勝手に上げる事はできないが、協力の謝礼と称してある程度の金銭と

食料を余分に与えてやる事はできる。法瑞は躍り上がって喜び、地に頭をこすりつけるようにして何度も

礼を述べたらしい。たわいなく、かわいい人というべきなのかもしれない。

 子が大勢居り、妻は上司の娘で気が強く、様々な事で板ばさみになって苦労しているようだから、それ

もあってこのような卑屈な性格になってしまったのかもしれない。

 何も言わなければ自堕落になってしまうが、余り言い過ぎても縮こまって詰まらない男になってしまう

ものである。法瑞にも希望に満ち溢れ、男として脂がのっていた時期もあっただろうに、今はもう見る影

もない。

 しかしだからこそ上の者の言葉には素直に従うし、何よりも人の機嫌を損じる事を恐れている。この男

であれば裏切る心配はなく、その心を少しだけ慮(おもんばか)ってやれば、人の優しさに飢えている分、

良い犬になってくれるだろう。

 楓流は自ら会ったりもし、他の者が嫉妬しない程度に便宜を図る事で手懐(てなず)けていった。こう

いう人間を愚図だとは思わない。余りにも人に気を遣い過ぎているだけで、相応に羽を伸ばさせてやれば、

天高くとは言わないでも、宙を舞う事はできるのである。

 飛べない鳥ではない。飛ぶのを遠慮している鳥だ。

 上手く使えば、今までの鬱憤(うっぷん)を晴らすように、実力以上の能力を発揮する可能性もある。

 楓流はこういう人間にこそ心を配り、上手く使うべきだと考えている。

 惜しくも埋もれる人物は、こういう所にこそ居るものだ。



 楓流は法瑞を核にして江南の掌握を進めていく。

 それと共に守備兵達から様々な情報を得た。残念ながら南方や南蛮の事に関しては大した情報を得られ

なかったが、江南一帯の内情は掴んだ。南蛮に中諸国軍が壊滅させられて以来、向こうからも大規模な軍

は送られていないらしく、不安を覚えつつも、それなりに日常を保っているらしい。

 しかし何故南蛮に動きが見えないのだろう。攻めるなら今が好機だろうに。

 その辺りの事もようく調べる必要がありそうだ。

 そうこうしている間に第一波として放っていた間者達が帰って来だし、少しずつ南方の情報を得られる

ようになった。

 間者というようりは調査隊として少しずつ地図を埋めるように調べている為、まだ梁に近い場所しか調

べられていないが、意外にも未だ南蛮の手は伸びていないらしい。少なくとも拠点となるような集落の姿

は無かった。

 中央へ襲撃に来る時も、長途遠征して来ているだろうとの事だ。

 これは中央からの報復を恐れての事だろうか。それとも単純に南蛮にまだそこまでの力がないのか。

 南方の部族達も、元々は大陸全土に広がっていたか、もっと北の方でも生活していたのだが。大陸人と

賦族によって南へ南へと押しやられていき。その結果として南方のみで生活するようになった、と言われ

ている。

 それから考えると、大陸人を恐れて南の果てまで行き、大陸人とは逆に南端から徐々に生活域を広げて

行ったと考えるべきだろう。

 他と大きく気候風土の違う南方、しかもその南端で暮らさなければならなくなった部族達の苦労は推し

て有り余るものがあり、その憎しみが代々その血に受け継がれてきた、と考える事は難しくない。

 大陸人にとって大陸の先住民族である部族こそが、賦族以上の絶対敵とも言え、南蛮との争いが今まで

以上の大きな戦になる事を予感させるには充分であった。大陸人と部族、それは大陸人出現以来の生存権

を賭けた争いと言えなくもない。

 しかし部族には大陸人に対する憎しみ以上の恐怖があり、そういう感情から敵対してはいても、直接的

な戦火を交えたくはない、という心があるという事も考えられる。憎しみが即その対象への排除に繋がる

訳ではない。ようく見極め、対処していく事が必要だろう。

 少なくとも南蛮の詳細な情報を得るまでは、こちらから戦を仕掛けるべきではない。その兵力と軍事能

力が想像以上である事が判明している今なら尚更である。

 楓流は中諸国と南蛮の動向に注意を払いながら、少しずつ南方の地図を埋めていった。

 それと共に梁南部一帯に間者を派遣し、南蛮の間者が居ないかを調べさせている。

 しかしここまでになると流石に間者の数が足りず、それを補うには相当な時間を必要とする事は明らか

だった。

 長期戦になる事は覚悟の上だが、そうなると他国の動向が気になってくる。楓流が楓から離れている今、

余計な事を企まないとは限らない。楓には胡虎を置いているが、窪丸(ワガン)と集縁一帯とを見ながら、

更に凱聯を見張るとなると、流石に手に余るだろう。こちらにも手を打っておかなければならない。



 楓流が江南に駐留してから二ヶ月という時間が流れ、南方と南蛮の事がようやくはっきりしてきた。予

想通り梁南部にも南蛮からの間者が多くおり、楓流が軍と共に駐留している事はとうに知られている。南

蛮に動きが見えなかったのも、楓軍を警戒しての事らしかった。

 すでに間者の多くは捕らえているものの、それで安心とは言えない。また多く送られてくるだろうし、

全ての間者を捕らえる事は、まず不可能である。

 そうするには各所に関所を建て、昼夜問わず厳しく警戒するしかないが。楓流にそのような権限はなく、

梁政府に進言したとしても渋るに決まっている。それだけの資金も兵力も彼らには無いからだ。楓が出す

といっても、他国に関所を建てる事は占領行為に等しく、楓はこのまま梁南部を乗っ取るつもりだ、など

と他国から厳しく糾弾(きゅうだん)される事は目に見えている。

 歯痒くもあったが、受け入れなければならない事であった。腰を据(す)えて、じっくりやらなければ

ならない。

 そうなると他国に余計な事をされないよう、国内の不安要素を消しておく必要がある。

 楓流は魏繞へ守将軍の名を与え、窪丸を委任させる事にした。勿論楓流が戻るまでの一時的な地位であ

るが、その権威は太守とさほど変わらない。

 凱聯と魏繞の反目が不安視される所だが、それも考えた上での決断である。そこには、互いに牽制しあ

ってくれれば、かえって余計な騒動を起こすまい、という狙いがある。本来なら奉采に任せたかったのだ

が、彼には内政全般を見させている為常に忙しく、これ以上仕事を増やす余裕は無かった。それに拠点を

任せるには軍事権を有している者の方が都合がいい。

 奉采と胡虎が上手く彼らを操ってくれるだろう、という計算もあったし。何かあれば内部監査を司る明

慎(ミョウシン)が知らせてくれる。不安が無い訳ではなかったが、色々なものを試す良い機会だとも言

えた。



 南蛮の間者には主にさらわれた大陸人が使われ、その多くは人質を取られなどして仕方なく協力してい

たようだが。中には南蛮の王に恭順の意を示し、南蛮の中で身を立てようとする者達も居た。

 中諸国政府に見切りを付け、大陸人としてこのまま詰まらない人生を送るよりは、南蛮という新天地に

賭けてみよう、と考える者が出てくるのも自然な事なのかもしれない。

 人にはそこを良く知らないからこそ別天地と考える癖がある。実情はもっと辛い現実が待っていたとし

ても、知らぬ場所には夢を抱くものである。

 そういう連中はどこへ行っても芽が出ないものだから、不安に思う必要はないが。中にはその手の現実

逃避ではなく、現実的な野望を抱いてそこへ向かう者がいる。こういう者達には注意が必要だ。その多く

は芽が出ない連中と同じだが、極稀に本当に有能な者が混じっている事があるからだ。

 そういう人間は別の環境へ行くと大きく化ける可能性がある。そしてもしそうなら、必ずや楓流の前に

大きな壁として立ち塞がる事になるだろう。大陸人の事情に通じ、南蛮の兵力を有する有能な将。これは

恐るべき敵となるに充分な条件である。

 梁南部にも似たような者が居ないとは限らない。例えば法瑞などがそうであれば、楓流は窮地(きゅう

ち)に陥(おちい)る事になるかもしれない。

 南蛮の組織も楓流が察していたようにとても整ったもので、階級制度が徹底され、王の命令は絶対だと

か。南方が危険多い場所であり、大陸人という敵を常に考えてきた事が、この強固な組織作りに役立って

いると考えられる。

 大陸人達のように部族や賦族の脅威を忘れていたのとは違う(乱世、冷戦期を経験して少し目を覚まし

たようだが、今も大陸人の中には楽天的に考えている者の方が多い。南方に接する者達以外は、南蛮も他

人事だと考えているのがその証拠だろう)。南蛮は常に大陸人という敵を見ながら、厳しい環境を生き抜

いてきたのである。今までは部族全体にまとまりがなかったから良かったが、これからはそうはいかない。

今までのつけを支払わされるような破目にもなりかねない。

 南蛮は今までとは違うのだ。

 南蛮の集落から間者が掴んできた情報によれば、現在南蛮をまとめつつある王の名は、扶夏(フカ)王

(部族からはフッカ王、フッカー王などと呼ばれていたが、大陸人はこれに扶夏の字を当てている為、以

後これで通す事にする)。由来や出身は今も良く解らないが、部族の長の一人として生まれ、その強力な

個性と能力を用い、次々に各地の部族を併呑、瞬く間に一大勢力を築いてしまった。

 彼の胸には南方統一と大陸人への復讐が強く刻まれ(この二つは同じ所から発している)、部族から見

ても悪鬼、羅刹(らせつ)に思える激しさがある。しかし寛容さも持っており、投降し恭順する者は許し、

側に仕えさせたりもしているらしい。

 実力さえあれば高位にも就けるようで、そういう実力主義な点は碧嶺と似ている。

 彼の部下の中でも、孟角(モウカク、部族音はモウカ、モッカーなど)、雍涯(ヨウガイ、部族音はヨ

ウガ、ヨッガなど)、高鄭(コウテイ)などが有名で。特に高鄭は部族音で呼ばれていない事から考えて、

大陸人、或いはその血をひく者である可能性が高い。

 噂に寄ればすでに扶夏は南方の半分以上を支配し、大半の部族を従えているらしいが、その真偽は良く

解らない。何せ大陸人と部族には賦族程ではないが明確な違いがあり、忍び込む事が難しく、話を漏れ聞

いたりするのが関の山で、そうなると言語が違う事から全てを正確に知る事はどうしても無理である。

 南蛮に仕えていた大陸人から言語などを会得し、協力させたりもしているが、彼らの全てが協力的な訳

ではないし、全ての事に一々時間がかかる。取り合えず間者に数や軍事に関する言葉を優先的に学ばせ、

軍の規模やその能力を集めさせているのだが、その全体像を掴むにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 解った事といえば、常に数千という兵を抱え、それを前述したような将に持たせ、南方統一を急がせて

いる事か。どうやら南蛮は数万という軍勢を抱えている訳ではないらしい。人口もその領土に比べて少な

く、そこからも南方の厳しさを感じられる。

 しかし南方で部族と戦えば、千の兵でも万を相手にしているのと同じようなものである。

 部族は元々少数精鋭で動くのを得意とし、木々に覆われている南方では大軍を用いるのに不便で、数の

有利を活かせない。慣れない大陸人では病気にかかるなど体調不良を起こしやすく、猛獣なども徘徊して

いる為、肉体的にも精神的にも厳しい環境だ。大陸人にとって、南方という風土そのものが万の兵に匹敵

する。

 南蛮兵もいつどこで現れるか解らず、時には待ち伏せされていたり、部族部隊同士で連携して陣形と補

給線を乱され、奥へ行けば行くほど軍の維持が困難になる。

 大陸人の感覚でその地を制圧したとしても、その土地全てを見張る事はできないし、ここは我々の領土

になったのだから入って来るな、などと南蛮に言っても無駄な事である。彼らは隙あれば入ってくるだろ

うし、大陸人流の大義名分論など知った事ではない。

 少数精鋭の奇襲を主とする南蛮の戦術は、見通しのきかない南方では絶大な威力を発揮する。

 今までと同じように考えていたのでは、勝利を望めない。

 そこで楓流が用いたのは開拓策。まず森林を切り開き、道を作る事である。いっそ全てを焼き払いたい

所であるが、そんな事をすれば中央にまで炎が燃え広がるかも知れないし、南方の広さを考えれば、焼け

石に水だろう。

 確かに効果はあるだろうが、その労力と目的に見合うものかは解らない。

 結局、人足を集めて道を作る事にした。気長で原始的な方法であるが、仕方がない。このうっそうと

した森を何とかしなければ、どうにもならないのだ。

 道を作る事で軍の進路を容易に特定させられるが、逆に言えば襲撃場所を限定する事になる。今のよう

にどこをどう護り、どこをどう進めば良いかを迷う状況であれば、いっそそうした方が楽になるだろう。

 しかしこれには膨大な資金と労力が要る。急ぐとなれば、尚更だ。

 楓流は大陸全土で寄付と労働者を募る事にした。



 半月経とうとするが、思ったように集まらない。

 南蛮からの襲撃、南方が遠い事もあって、なかなか決断できないようだ。これには賃金を弾むしかない

が、その為の資金も高が知れている。そこで楓流は南方の木々や草花の特異性に目をつけ、それを売る事

で資金を得ようと考えた。

 これが当たった。南方には今までに見た事もないような植物が多く、珍しい花や良い香りのする木など

は特に珍重された。丈夫な木、加工するのに都合の良い木も見付け、その長所を宣伝文句にして売り出せ

ば飛ぶように売れたというし、開拓道具の材料にするにも便利だった。

 南方の物(南蛮物などと言って珍重した)を目にする機会が増えると、南蛮への興味も増したのか、人

足の賃金が上がっていく事に目がくらんでか、集まる人数も増え。皆南方を恐れつつも未知への好奇心が

あり、南蛮物は瞬く間に非常に見入りのいい交易品となった。

 こうなると越などの商人が黙っていない。一定の植物の独占契約などと引き換えに資金提供を申し出、

楓流の懐は益々潤い。労働力、資金、どちらの面も解決する事ができた。

 そして楓流は五百の兵を呼び寄せ、交代交代で警備させ、要所要所に見張りを置く。

 しかしこう派手な動きを見せれば南蛮も黙っていまい。楓流は南方や江南一帯に投入する兵力を増やし

て警戒を強くし、豊富な資金を軍備につぎ込み。一人儲ける事に不満を抱く梁政府にも相応にばら巻いて

地盤を固め。更に千の兵を楓から呼んで、その時に備えた。




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