16-4.部族


 楓流は常に緊張と不安を抱いていたが、実はこの時扶夏王は楓などに構っていられない状態にあった。

 大陸人は南蛮と一まとめに南方部族を呼んでいるが(大陸人が南蛮という時は、主に扶夏王の勢力を指

す)、部族は単一ではなく、それぞれに風俗が違う。南蛮という呼び名は大陸人が使った部族全てに対す

る蔑称(べっしょう)でしかなく、実際には南蛮という民族が居た訳ではない。

 扶夏王の勢力もそういう部族達の連合勢力であり、それぞれの部族は尊重されていた。つまり多くの属

国を従えた盟主国というに近い。

 部族の大半は扶夏王に従っているようだが、まだ対抗している大きな勢力もある。それが侠(きょう)

族と呼ばれる者達で、部族の中でも大所帯であった桔氏(げっし)を取り込んで勢力を増大し、扶夏王と

激しい争いを繰り広げていた。

 侠族を率いる者の名は穆突単于(ボクトツゼンウ)。侠族の最盛期を現出させた単于で、扶夏王も一度

はその傘下に入っていた。そしてその能力を穆突単于に見出され、特に目をかけられていたのだが、頃合

を見て裏切り独立し、今のような激しく争い憎み合う関係になったという訳だ。

 単于は常に強者である事を試される。厳しい環境では強さこそが生き抜く為に必要であり、部族の王で

ある単于には最もそれが望まれる。その為に血縁関係無く常にその座が争われ、血で血を洗う争いが何年

と続く事も珍しくない。

 穆突単于はすでに老齢で扶夏王とは親子くらい年が離れているのだが、肉体気力どちらも衰えておらず、

冷酷なまでの厳しさと激しさを持っている。

 その鉄のような心と強さは肉親にも恐れられ、その意を敏感に感じ取った穆突は、殺される前に殺すべ

しと単于の座を奪い取った。部族の間ではあらゆる意味で強さが尊重され、実力で奪い取った者には敬意

が与えられる。負けた者には単于たる資格などないのである。

 その強さに惹かれるように彼の率いる兵も強く、戦場ではどこまでも非情だ。鉄の心を育てる為、穆突

は自分が合図の鏑矢を射た時は、それが何であろうと即座に同じ目標を射る事を強い。それが出来なけ

れば容赦なく殺したそうだ。時に愛妾までも犠牲にしたというから徹底している。

 そうする事で命令は絶対であるという事を示し、穆突自身、何かに情が移る事を防いだのだろう。

 厳しいがその分頼もしく、老いた今でも実力名声共に抜きん出ている。扶夏王も見込みが甘かったか、

苦戦を強いられているようだ。

 先にも少し触れたが、単于とは部族が使う呼称で、王と同じ意味を持つ称号である。何故同じ部族であ

る扶夏が王であり、穆突が単于と呼ばれているのか。これは後に大陸人が扶夏を王と認め(敬意を表して

ではなく、南蛮の王として認識した、という意味で)、穆突をそう認めなかった為で、言ってみれば扶夏

が結果的により大陸人と密接な関係を築く事になった、という事でしかない。

 部族間では勿論扶夏も王ではなく単于と呼ばれていたし、この物語が大陸人を中心にした資料によって

書かれている為、こう表記しているに過ぎない。だからここに王と単于という呼称の間に優劣はない事を

書き置いておきたい。

 後に単于は部族の長である称号とし、大陸人達が王の下に置いて用いた事もあったようだが、この時点

ではそういう事はない。単に呼び方の違いである。

 ともあれ、この二大部族によって南方では今まさに部族統一を賭けた一大決戦が繰り広げられ、扶夏王

も楓には警戒しているものの、二の次にされていた。というよりも、そうするしかなかった。

 こうなれば楓流は侠族と手を結んで、まず扶夏王を滅ぼすか。この機に乗じて開拓を進めていくのが得

策かと思われるのだが。彼もそこまで詳しい情報を掴んでおらず、有効に利用する事はできなかった。例

えどんな有利な状況にあったとしても、それを知らなければ無意味である。

 後に侠族の存在も大陸人に知られるようになるのだが、この時はまだ誰もその名すら知らなかったので

あり、それは間者を多く使っている楓流も変わらない。

 前述したように部族の言葉が良く解らず、南蛮の兵数など軍事情報に集中させて集めさせていたからで

あるし。侠族の根拠地が遥か南西にあって、中央周辺には噂話程度しか侠族に関する情報が伝わってこな

かった事が、楓流に知られる事を意図せず防いだのであろう。

 だが楓流もぼんやりと見ていた訳ではない。

 いくら調べても詳しい事は解らないままだったが、南蛮に何かが起こっている事はその動きから感じ取

られ、警戒しつつもこの状況を有利にできないかと考え始めていた。

 とはいえ詳細な情報が入ってこない以上勘の域を出ず。楓流はそのような曖昧なものだけでは動かない

慎重さを持っていたので、結局は何をする事もできなかった。

 しかしその間にも少しずつではあるが南方に道ができ、地図は少しずつ埋まっていく。

 何もせずとも、ただ時間を与えられただけで、充分過ぎる程の成果を挙げていたのである。

 南蛮物による交易は予想を遥かに上回る恩恵を楓にもたらした。



 労働者と資金が日毎に集まり、中諸国周辺は予期せぬ好景気に沸いている。

 南蛮物は飛ぶように売れ、それぞれの町村もまた賑やかになり、結果として町村連名の力も増していく。

今までのような南方に怯える小村、田舎町ではなく、交易拠点として富に栄え、今後も発展し続けていく

事になる。

 中央南部から南方の発展はここから始まった。

 南蛮物の流行はそう長くは続かなかったが、常に珍重され続けてこの地を潤し、この地方の民に商人的

な利に聡い気質を育て上げていく事になる。

 しかし今はまだそこまでは行っておらず、様々な人間が短時間に多数訪れる事でいくつもの歪みを生じ、

言い争いなどが耐えなくなっている程度の変化でしかなかった。楓流への苦情というのか陳情も増え、い

ささかわずらわしさが増している。

 この忙しい時に、できれば無視したい所なのだが。民の陳情を満足いくように処理できなければ、楓流

も頼りにならず、と評価が落ちてしまうだろう。どうしても丁寧に扱わなければならず、腹立たしくも我

慢しなければならない。

 とはいえ彼が請け負っているのはあくまでも梁一帯だけであり、何とか対処する事ができた。そしてこ

れによって中諸国での彼の評価は益々上がっていく事になる。苦労したかいはあった。

 何しろ他の政府は話を聞く事すら満足にしてくれず、それどころか商人達から賄賂を取って不当な便宜

まで図る始末。政府と民の間に生まれている溝が深まりこそすれ、埋まる事はなかった。

 この事が将来まで楓流を利する事になっていくのだが、そこまでいくのはまだ先の話。この時点では当

の楓流ですら、そんな事は夢にも思わなかったに違いない。

 そして楓流は南方に領土を広げていく。

 そう、開拓するという事は新たな領土を得るという事である。

 だから少々問題が起こってもいる。それはこの新領土が誰の物になるのか、という点である。

 楓流が自前の軍を使い、ほとんど独力で開拓、領土拡張を行っている事は確かである。しかしあくまで

も名義上は梁を冠し、梁政府の意を受けた代理人として楓流はここに居るのだ。そうである以上、そして

この地が楓本国から離れている以上、簡単に自分の物にはできない。

 下手に飛び地を得れば自滅に繋がりかねず、南方を治めるのは依然難しい状況にある。

 それでもやるならまず梁政府に工作する必要があるが、この場合も最後まで梁政府を立てねばならず、

梁政府との仲に亀裂が入った時、楓領であり続ける保証はない。

 それに他国が大陸同盟を持ち出し、衛がそうであるように、新しく得た領土は大陸同盟全体の物である、

と規定しないとも限らない。

 南方という地に莫大な利益が見込まれるようになった今、他国も黙って楓に渡すような真似はすまい。

 遠くにも近くにも気を配らなくてはならず、一向に味方が増えない。楓流の痛い所だ。様々な国と関係

を築いていても、結局そのほとんどを利に寄っている為に、いざという時に不安が残る。絶対的な味方は

衛だけだが、その衛も自由に動く事はできない。

 しかしそうと言って、義理や人情、他者の善意に期待しようとしても無駄な事。どの国も結局は一番自

分が可愛いのであり、自らを犠牲にするような真似はしない。利を持っても不安が残り、義を持っても不

安が残る。

 だから他国には期待せず、この地の民の信頼を得る事に専念し、例え名義がどうなったとしても、楓の

影響力が一番大きい状態であり続けるようにしておく事が、唯一今出来る事だろう。

 それに誰に何と言われようと、現地で実際に動いているのは常に楓流だ。彼の考えによって全てをとは

言わぬでも、それに近いものを動かす事ができる。その点は強みである。結局外から何を言われたとして

も、民との繋がりは常に楓にある。外からの身勝手な言い分よりも、内で自分達を実際に護ってくれてい

る楓の方を、民は支持するだろう。

 常に実行者であるこそ被害は大きいが、得られるものも多い。

 なにものも惜しまぬ姿勢が、かえって自らを利する事もある。犠牲だけが利を生む事もあるのだ。



 どうやら軌道に乗れたようであるので、楓流は南方侵攻拠点となる町の建設に手を伸ばした。

 資金も労働力も問題ない。増え過ぎて困るくらいで、珍しく潤沢な資金と人を使って全てを動かせる。

様々な問題もある程度は金を使って解決する事ができた。あまりいいやり方とは思えないが、火急の時に

は一時凌ぎでも役に立つ。

 どうせ南蛮との本格的な戦になれば、ぐだぐだと文句を言う暇もなくなるのだ。細かな問題が増えるの

は危機感が薄れているから、と言えなくもない。大きな不安が見えないからこそ、身近の小さな問題が気

になってくるのだろう。

 そういうものは必要以上に気にしなくとも良いのかもしれない。

 しかし中には悪徳商人にだまされるような件も増えており、捨てておけぬ問題も多く、それには親身に

なって対応する必要があった。急ぎ法整備を整える必要もある。

 その為に梁政府へもっと多くの金銭をばら撒く必要があるだろうが、惜しんではいられない。

 他にも法瑞率いる守備兵の数を増やし、犯罪率が低下するよう引き締めさせている。

 小さな悪も許さない姿勢こそが、犯罪を犯させない雰囲気を作るのだ。

 下らない連中の組織が力を持つような事にならぬよう、厳しく取り締まらねばならない。

 守備兵を厳しく鍛え直したが、褒美を増やし、功のあった者は遠慮なく賞したので、今では随分楓流に

懐くようになっている。近頃では彼らも人が変わったように威厳を見せ、守備兵内の空気は違ったものに

なっている。

 本来あった自信と誇りを取り戻しつつあるという事なのだろう。まあ、それが空威張りにならないよう

注意しておく必要はあるが、こういう姿勢は悪くない。

 増員した守備兵の中には密かに楓兵や間者を混ぜてあるが、このまま順調にいけば、その数を減らす事

もできるだろう。

 最近では楓軍との合同訓練の数も増やしている。その上で法瑞と地元名士との関係を強めさせ、協力す

るよう働きかけさせてもいる。法瑞らは楓流の意図を知らぬだろうが、その方がかえって好都合。知らぬ

間に楓に協力させる事こそが、最上の手である。

 苦労は多いが、どうにか成果が見えてきた。

 幸い、南蛮には未だ大きな動きは見えない。



 南蛮兵の襲撃があったという報が入ってきたのは、拠点を築き始めて半月が経った頃だったろうか。数

は百程いたようだが、五百程の楓兵を常駐させていたので、追い払う事はできたらしい。ただ被害は少な

くなく、南蛮兵の強さを改めて思い知らされる事になった。

 だが勝利は勝利。楓に対する民の信頼は一層強まったようである。南蛮兵へ与えた損害も少なくないよ

うで、彼らも大陸人を舐めていたつけを払う格好となった。以前苦もなく追い払えた事で、油断していた

のだろう。襲撃も昼間だったらしい。

 そのおかげで勝つ事ができた訳だが、この敗北によって南蛮が警戒を強め、次はもっと多数の軍勢を送

ってくる可能性がある。いつでも応戦できるよう、準備しておかなければ。

 そこで楓流は守備兵を千にまで増員し、自ら拠点予定地へと入った。

 梁南部を法瑞一人に任せておくのは不安だが、北部には鏗陸が居るし、二人で協力し合えば何とかなる

だろう。今までも守備隊長として江南を押さえていたのだから、実績がない訳でもない。名士達との繋が

りも深めているし、楓軍が大敗でもしない限り、まず大丈夫だろう。それにもし何かあっても、彼の側に

は信頼できる間者を付けてある。

 拭えぬ不安があるとすれば、南へ南へと出過ぎている点だろうか。今後方で何か起こされれば、楓流は

身動きが取れなくなってしまう。それだけが心配である。最も不安な蜀にも工作はしてあるが、結局どう

動くかは解らない。蜀望(ショクボウ)もいつまでも無欲とは限らないし、秦や楚が動けば、それに乗じ

ないとは言えない。

 不安は尽きなかった。

 それからも何度か小競り合いがあったが、全て撃退できている。

 南蛮兵は剽悍であるが、組織的な行動に慣れていないようで、細かな連携を取れる程には訓練されてい

ないように見えた。大陸人がその中に居る以上、そういう知識を知らない訳ではないのだろうが、性に合

わないのか、南蛮には南蛮の戦い方があると考えているのか、結局個人戦の延長でしかなく、集団という

ものへの意識が薄いように見える。

 だからこちらが連携して相手のずれを上手く突く事ができれば優位に立つ事は難しくなく、個々の力で

劣っていても、全体として勝つ事ができる。

 相手が少数である事を活かし、常に一対多で戦わせるようにした事も功を奏していた。南蛮兵からは卑

怯(ひきょう)だのなんだのと罵(ののし)られそうだが、こちらは何も武芸を競いに来ている訳ではな

い。戦争なのだから、自らに優位であり、敵にとっては不利な方法を用いるのが当然である。

 多少負い目というのか、不思議な申し訳なさを感じないではないが、楓流は自己満足よりも勝利の方を

とった。敵から何と言われようとも、わざわざ敵と同じ土俵の上に立つつもりはない。

 勝利した結果、いくらかの兵を捕虜にしたが、彼らは口をつぐんだまま何も喋ろうとしないので諦めざ

るを得ず、牢に入れて監視するに止めている。

 拷問しなかったのは楓流の主義でもあるが、彼らの敬意と敵対意識を少しでも和らげる事ができれば、

同盟なりを結ぶ事も出来るのではないか、という淡い期待があったからである。

 甘いといえば甘い考え方だが、将来の可能性を残す為に今行動しておく事は悪くない。例えば今後捕虜

交換でもできた時、兵が自分達は捕虜になったが丁重に扱われた、という事が伝われば、部族達が抱く大

陸人の印象を少しだけ変える事ができるかもしれない。

 さらわれた大陸人がどうなっているかはよく解らないが、大陸人に対する敵対意識を思えば、丁重なも

のとは思えない。少しでもそれを和らげる手段があれば、楓流は惜しみなくその為に全てを使う。

 敵意をぶつけてくる相手に対して、こちらも敵意だけをぶつけるのは得策ではない。相手が非道である

からこそ、こちらの正道さが際立つ事にもなるし、そうなれば例え敵に効果がなくとも、味方の士気を高

める効果はある筈だ。

 それだけでも十分な見返りだと言えなくもない。

 南蛮兵といえばもう一つ気になる事がある。

 それは兵数が少ない事だ。

 こちらの実力を改めたのか、夜襲など多少戦法を考えるようにはなっているが、相変わらず数は百前後、

多くても二百をいくかどうかといった所である。例え何度も攻撃を仕掛けられ、こちらも疲弊していると

はいえ、相手もまた疲弊しているのだから、数の優勢を崩す事ができるとは思えない。それでも挑んでく

るのは何故だろう。

 いかに南蛮兵が強くとも、五倍、十倍もの相手と戦い、勝てる訳がない。

 こちらを消耗させるのが狙い、という訳でもなさそうだ。彼らの攻撃は常に苛烈であり、その姿は孫文

(ソンブン)指揮時の孫兵を思わせる。退く事を考えて行動しているとはとても思えない。

 孫軍程組織的ではないが、勢いだけを見れば或いは上回っている。気弱な者ならば、その姿を見ただけ

で逃げ出すだろう。中諸国軍が無残に敗れ去ったのにも頷ける。

 だが楓軍にはそれを受け止められるだけの強さがある。南蛮の戦法が、相手を動揺させてその隙を突く

だけの力任せに等しい戦ならば、数の有利を崩される心配はない。芸のない戦い方だと言わざるを得ない。

 その事は何度も対峙した南蛮兵も解っているだろうに、その姿勢を改める事をしない。流石に思う所あ

るのか、不利になると早々に撤退するようになってきてはいるが、あくまでも少数で立ち向かう姿勢を崩

さない。どう考えてもこれは奇妙であった。

 楓流が南蛮の兵力不足を看破するには、それ以上の情報は必要なかった。それがどういう理由かは解ら

ないが、南蛮は千や二千の兵を動かせるような状態にはない。少なくとも楓軍に対しそれだけの軍勢を用

意する余裕がない。

 啄木鳥が何度も木を突いて中の虫を外へ追い出すように、こちらが打って出てくるのを誘っているとい

う可能性もあったが、楓流はこの策は無いと見た。

 そして動く。

 彼は予測するだけではない、確認する事を重視している。頭の中だけに囚われず、しっかり現実を見る。

それが勝利に必要な姿勢である。

 斥候(せっこう)と間者を発して敵の位置を特定させ(ある程度は襲撃に来る方角から見当を付けてい

たが、それが見誤らせる為にわざと一方向から攻めてきていたとも考えられる為、しっかりと確認させた)、

自ら五百の兵を率いて出陣した。

 目標は敵居留地、楓の拠点予定地付近にある集落(襲撃拠点として、最近作られたものかもしれない)

である。

 敵総数は二百から三百と見積もっている。多くても四百は居ないだろう。集落の規模から見ても、それ

は確かであった。

 楓軍は粛々と進み、目標を目視するや否やすぐさま襲撃した。

 南蛮兵達はずっと彼らの方から襲撃していたせいか、まさか楓軍の方から多数を率いてくるとは考えて

いなかったようで、珍しく乱れを見せ、指揮系統がはっきりしないまま個々に動き始める。

 そうする事で混乱を最小限に抑える事ができたともいえるが、やはり個々の力では限界がある。どれだ

け個人が勇戦しても、それだけでは全体の勝敗は変わらない。

 次第に討ち取られる者が増え、劣勢を覆しがたい状況になっていく。

 それでも恐るべきは南蛮兵。圧倒的不利にかえって覚悟を決めたのか、最後の一兵まで勇戦し続け、楓

軍に畏敬の念を起こさせるに充分な強さを見せ付けた。

 楓軍が受けた被害は多く、半数近い二百名の死傷者を出したという。手痛い損害を受けたが、これで暫

くは、いや当分は南蛮兵の妨害を受けずに済む。

 楓流は取れる物を取り、南蛮兵の遺体を埋めた後、集落を焼き払ってすぐさま拠点予定地へと戻ってい

る。そして兵を休ませながら、警戒を一層強めた。

 勝利の後こそ気を引き締めなければならない。



 敵拠点を焼き払って後、南蛮からの襲撃はぴたりと止み、安定して作業を進める事ができている。しか

し楓流はあくまでも警戒を解かず、むしろ以前よりも警備の数を増やした。それと共に負傷者を

本国へ帰し、本国から代わりとなる兵を送らせてもいる。

 ただし総数は千のままである。楓にもあまり余裕がないという事もあるが、楓流の見込みが当たってい

た事が証明され、現状は大兵力を囲う必要がないと判断したからだ。

 南蛮が楓軍に使える数はあれで精一杯だったのだろう。それが完全に費えた今、流石の南蛮も次なる手

を打てずにいる。

 ここまで来ると、南蛮も一枚岩ではなく、以前として扶夏王(この時点で彼らの王の名を楓も知ってい

た)に敵対する勢力がおり、互いに争っているのだ、という事が解ってきた。

 ただし詳細は不明なままである。

 敵対勢力と繋がる道も考え、それと接触しようかとも考えたが、侠族に関しては南西に居るという事し

か解らない。これでは交渉しようにも、やりようがなかった。南方の地図も中央に極々近い範囲しか完成

していない。

 しかたなく拠点建設を急がせる事にし、一月経つ頃には何とか大まかなものが完成して、拠点として使

える最低限の設備が整った。拠点を囲う防護柵も優先的に強化し、土で塗り固めた防壁のような物も作り

出している。これなら多少攻められても、簡単には落ちる事はないだろう。

 こうしてようやく楓流は一息吐く事ができ、次なる段階へ、つまりこの周辺の調査と更なる開拓へと進

む事ができるようになったのである。

 しかし彼は休憩はしても止まる事はない。兵を五十ずつ十組に分けると、二組を対とし、半日交代で昼

夜問わず見張らせ、その範囲も開拓の進み具合によって広げるようにし、必要に応じて随時変えるように

した。楓流自身も警備隊の指揮を執ったりもし、積極的に行動している。

 拠点ができた事で移住を望む労働者も増え、張りぼてのようだった拠点は町として機能し始め、楓流は

南開(ナンカイ)という名を付けた。その名の通り、南方を切り開くという意味である。

 芸の無い名だが、下手に凝った名を付けるよりも受け入れられやすいだろうと考えての事である。梁の

代理人という名義で来ている事もあり、彼自身の個を主張しない方がいい。簡単で個性の無い名である事

が、むしろ必要であった。

 その程度の気は遣わなければ、世の謗(そし)りを免れる事はできない。楓流はそれをようく知ってい

るから、無用に自己を主張する事を避ける。

 自分など塵(ちり、ごみ)のようなものだ。さっさと吹き飛ばされてしまえばいい。その程度に思って

いなければ、自らに課した役割を全うする事はできない。

 人の世は何をするにも人である。人を人と思わなくなった時、例えばただの集団、ただの数と考えた時、

衰亡は始まっている。人を恐れる事を忘れてはならない。

 ようするに楓流という人間は、誰よりも人間を恐れた人間であった。そしてそれが為に誰もが成し得ぬ

偉業を成した。

 だが不幸にも、人はそれを受け容れない。


 南蛮は楓流が勢力を強めている間、どうしていたのだろう。危機感を抱いていたのだろうか。それとも

大事の前の小事と切り捨てていたのか。

 南開という名が付いて程なく、小勢による襲撃が再開した事を考えると、南蛮側も相当に警戒していた

と思えるが、南蛮には資料と呼べるものが残されておらず、全て大陸人側の資料から判断するしかない為、

確かな事は解らない。

 解る事があるとすれば、この時期が扶夏王と侠族との覇権争いが最も激しくなっていた時で、この後も

暫くは楓軍に大して有効な手を打てなかった、という事くらいだろうか。扶夏王も楓流の動きを苦々しく

思っていたに違いないが、どうする事もできなかったのだろう。

 そしてこの小康状態は扶夏王と侠族の決戦が終わるまで今しばらく続き、その間楓は順当に領土を増や

していく。




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