半年という時間が流れた。 南開での生活にも慣れ、開拓方法なども改良されていき、全ての事が軌道に乗りつつある。南蛮の攻撃 も小規模なものに止まり、以前のような勢いを感じない。半ば義務的にそれを行っているような、そんな 気さえする。 それを物語るように、付近には新たな拠点となる集落は設けられていないようだ。絶え間なく間者を発 し、斥候を八方へ送り、常に警戒しているが、今の所南蛮に大きな動きは見えない。 楓軍が来た事で、南蛮同士一時手を組んで向かってくる、という可能性も視野に置いていたのだが、そ の心配は要らなさそうだ。 確実に領土を広げているとはいえ、まだまだ拠点が一つで充分な程度の規模でしかなく、兵力を増員し ているものの、南方の広さを考えると余りにも少ない。小国相手なら有利に戦える程度の力はあるが、南 蛮の実力を思うに、脅威になれるとは思えない。 だから半分放って置かれている。そう考えるのが妥当か。 南蛮に関して得られる情報も相変わらず少ない。 部族の言葉を多少は使えるようになっているのだが、それでも得られている情報量はさほど変わってい ない。 もしかしたら部族同士でも必要以上の事は教え合わないのか。南蛮はそれぞれの個性が強い分、連携や 巨視的な見方をする事に慣れていないようだから、情報を共有しようという考え方がない、という可能性 もある。 もしそうであれば、自分だけの役割さえこなし、それに関する事だけ知っていれば良く。全体としての 情報量は噂程度に止まるという事になる。他方面の情報を得る事は困難であろう。 それならそれでこちらに有利な面も多いが、やはり今の場合は不気味さの方が目立つ。知らないという 事以上に恐れるべき事はなかった。 楓流はその不安を振り払うように治安維持と開拓作業の効率化、安全性の強化に勤(いそ)しんでいる が、時間が経てば経つ程に不安を抑えきれなくなる。今正にこちらへ打ちかかる大規模な準備をしている のではないか。すでに何らかの策を実行されているのではないか。 自らの心で自らの思考を縛り、ともすれば疑心暗鬼(ぎしんあんき)になりそうにもなる。 何事も無い期間がかえって人を害する事があるのだから、不思議なものだ。 とはいえ、楓流もただ恐怖に取り付かれていただけではない。恐怖心を警戒へと変え、義勇兵を募った り、豊富な資金で傭兵を雇ったりしながら、彼らを積極的に鍛え、その中でも目に付いた者は楓臣として 取り立てている。 何しろ、商人から山賊夜盗の類まで階層も出生地も経歴も様々な人間が無数に訪れるのだ。人材不足で あった楓を潤すには充分であり、中にはずっと後まで楓国の為に懸命に働いた者もいる。多くの人間が向 こうから集まってくるという機会を利用しない手はない。 南開という小規模な拠点一つだけを見ていれば良いという点も幸いした。 何かをさせればすぐにその結果を詳細に見る事ができるし、言って見ればこの地は他人の物で、そこで 起こる事は例え自分がやっていてもどこか他人事なのだから(責任を持たないというような意味ではない)、 ある程度思い切った実験もできる。その人物を見る為には、実際に何かをやらせてみるのが一番良いのだ から、今のような状況はその点においても打ってつけであった。 楓に少なかった政治力や事務処理に優れた人材を多く発掘する事ができ、そういう人物はよくよく見極 めた上で優遇し、その心を取っては密かに本国に送ったり、鏗陸の許へ送ってやったりもしている。人の 出入りが豊富なのだから、誰がどこへ行こうと、多少の事はごまかせる。全ての面が、楓の人材獲得に対 して有利に働いた。 流石に片腕となるような人物を一朝一夕で得る事はできないとしても、この南方政策によって大いなる 恩恵を受け、人材不足を解消できた事は楓にとって大きな事だったと思える。 そうした地道な活動の成果もあってか、治安も大幅に良くなり、軍事力、労働力共に大幅に強化された。 この半年の間にこの地から得た人材だけで千人の将兵を増員する事ができ、百人を一部隊として部隊長 を付け、主に開拓者の警護をさせている。そこからも有能な者はどんどん引き立て、楓に取り込んだ事は 言うまでもない。 その中には出自不明な者が多く居たが、楓流は気にしなかった。ある程度経歴は調べるものの、今の行 いが楓に適っていると考えれば、多くを問わない。昔何をしていようと、今が良ければ敢えて問う事はし ないのである。 今楓に所属している者の中にも似たような者達は大勢居るのだ。今更それをどうこう言っても仕方がな い。魏繞(ギジョウ)とその配下の兵などはその最たるものであろうし、楓流自身もまた似たようなもの である。 彼もまた流れ者でしかなく。彼らの気持ちが良く解った。そういう者達は斜に構えつつ、どこかで狂お しい程に根付ける地、安住の場所を求めているものだ。 そしてそういう楓流であるからこそ豊富な人材を得、活用する事ができたのだろう。それは彼にとって 最大の財産であった。
新しく出来た警備隊の中で、楓流が最も目をかけている者に、孟牙(モウガ)という若者がいる。筋骨 逞(たくま)しく、その膂力(りょりょく)は人並み外れ、大岩すら軽々と砕いた。中央南部の出身で、 中諸国近辺を渡り歩き、その地理にも通じている。真面目な性質で時に融通(ゆうずう)が利かず、頑固 なまでに道理にこだわり、決して主張を変えない事もあるが、その点を楓流は気に入った。 話を聞けば理路整然としたものであるし、その頑なさは単なる自己顕示欲ではなく、信用できるものだ と考えたのだろう。 名前も本名であるかは解らないし、出自も経歴も怪しいものだが、楓流は前述したように問わなかった。 体格やその人並み外れた力を考えるに、賦族の血を引いていたのかもしれないし、もしかしたら部族出 身であった可能性もある。 気に入っているのか、何か理由があるのか、常に黒い物を着用しており、楓流は彼の事をよく黒衣とか 黒とか呼んだという。それがある種の親しみとなったのか、孟牙の方もよく懐くようになり、楓流の為に と一層の働きを示した。 その心が全て表のままとは限らないが、おそらく孟牙は楓流に自分の一生を賭けてみようと考えたのだ ろう。実際その働きは群を抜き、皆からも一目置かれるようになり、楓流は特別に黒く染めた槍を与え、 彼だけにその槍を使用する事を許している。そこから次第に彼は黒将、黒将軍などと呼ばれるようになり、 その名が力を貸して更なる武名を挙げていく事になる。 孟牙はとにかく激しい性分で、訓練も実戦も苛烈極まりなく。その戦いぶりを見た部族からも次第に恐 れられるようになった。 しかしそれ故に妬まれる事も多くなり、同格の部隊長の中にはあからさまに彼を嫌う者も居たようだ。 これでは軍として成り立たぬと思い、楓流は改めて孟牙に黒将軍という地位を与え、名実共に警備隊、 いや警備軍の長に命じている。黒将軍などと大げさな名を与えられても、実際にはたかだか一軍の長に過 ぎないのだが、上下の別がはっきりした事で統制だけは取れるようになっている。 危ういといえばそうで、根本的な解決にはならないのだが、あまりきつく言えば将兵が離反するかもし れず、楓流は取り合えず形だけでも従った事で良しとした。孟牙もまた文句は言わない。人の口にも心に も戸を立てられない事を、彼もまた身に染みて知っていたのだろう。 もしかすれば楓流と似たような経験をしたのかもしれず、それが故に二人をここまで強く結び付けたの かもしれない。同じ経験を得た者は不思議な同胞意識を持つものである。 ともあれ、楓軍は順調に兵力を増し、国土を広める事で更なる力を得、ようやく基盤を整える事ができ た。護るだけではなく、攻める事も考え始めている。
攻撃するには目標が要る。 楓流は様々な情報を分析し、間者と斥候を更に増やし、調査範囲を拡大する事で、ようやく南蛮の拠点 を発見した。 それは町と言ってもいい規模で、明らかに昨日今日造られたようなものではなく、彼らの重要な拠点の 一つであるように思えた。 兵数はざっと千。しかしそれはどう多く見積もってもであり、実数は九百か八百程度だろうと推測され る。しかし装備、食糧共に豊富で、拠点制圧が以前のようにはいかないだろう事ははっきりしていた。 いざ戦いとなれば住民全てが敵となる可能性も強く。そうなれば兵力は数倍になる。油断できない。 しかしそうであるからこそ、落とす事ができれば南蛮に大きな打撃を与える事ができるし、情勢を一挙 に優位にできるかもしれない。南蛮が二分しているのなら、この事が扶夏王にとって致命的なものになる 可能性もある。 楓流はこの時、とにかく大陸人の力を見せるべきだと考えていた。そうする事で南蛮に考える余地を与 え、交渉の余地が生まれるかもしれない、と。 後から考えれば、この考え方こそが最も大きな間違いであったのだが、彼もまた神ではない。自ずと限 界があり、不思議と言われないが、彼はその人生で多くの失敗を経験している。決して彼の歩んだ道は平 坦ではなかった。これまでも、そしてこれからも。 ともあれ、楓流はここが潮と見、五百の兵を孟牙に任せて南開一帯を押さえさせ、自身は千五百の兵を 率いて自ら南蛮の拠点へ侵攻した。この数は現在楓流が南方で動かせる最大戦力であり、その事からも彼 がこの一戦にかけた意気込みが解る。 楓流は南蛮に気取られないよう慎重に進み。軍を細かく分けて行軍を迅速にし、伝令の数を普段の数倍 に増やす事で連携を密にした。 それが功を奏したのか、南蛮に気付かれる事無く、見事に奇襲を行う事に成功したのである。 しかし軍を小分けにした事で進軍速度に差が出てしまい、この時彼に付き従ったのは多くても千であっ たと言われている。それでも突いた効果は絶大で、南蛮兵も民も多いに乱れた。それは楓軍が火を放った 事で決定的なものになり、南蛮兵の抵抗力は見る間に減少し、遂には楓軍を支えられなくなった。 そこへ遅れていた楓部隊が到着し、一丸となって攻め立てた事で南蛮兵は拠点防衛を諦めて撤退し、南 蛮の重要な拠点を落とす事に成功したのである。 勿論、楓軍の被害も甚大で、数百もの死傷者を出し(死者の方が多かったという)、南蛮兵もその多く は逃げたようだが(この時は兵力温存を命じられていたのか、戦意はあったものの、南蛮は初めから撤退 を意図していたような節がある)、ともかくも勝利を得た。 この事は扶夏王と侠族との争いに対し、大きな影響を与える事になる。 実はこの時侠族の劣勢は揺るぎないものとなり、穆突単于すら命の危機に瀕(ひん)していたのだが。 楓軍に拠点を落とされた報が届く事で扶夏王は最後まで攻め切れなくなり、もう一歩の所で穆突単于と侠 族の有力な将を逃がす事になってしまった。 この事から扶夏王は大陸人を更に憎むようになり、その矛先を楓へ変え、全力を持って反撃に出る事を 決めたのである。 皮肉な話である。
火を放っているものの、規模が大きい事と楓軍が戦闘終了後にすぐさま消火活動をした事で、得た町は 半焼程度で済み、住民も兵と一緒に逃げているので(一応民間人には手を出していない。捕虜としても拷 問はせず話を聞くだけで、扱いに困った者は逃がしている)、そのまま兵を収容する事ができ、食糧や武 具なども豊富に残っていたので労する事はなかった。 楓流は兵を休めさせ、交代で建物の修繕、建て直しなどをさせながら、防壁を造る準備を進め、自身は 南蛮の武具を詳細に調べ始めた。 彼自身が武具作成などに直接携わっている訳ではないが、出来具合を見るのも彼の仕事の一つであった ので、ある程度は理解できる。 南蛮の防具は主に皮革や植物を材料としたもので、堅いという点だけを見れば要所に金属を用いている 楓軍の比ではない。しかしその作りといい強度といい馬鹿にならないもので、南蛮独自の工夫が施された それは、鉄製の矢尻でさえある程度の距離があれば止める事ができる。 特に作りの丁寧な、おそらく士官用だろう、物になると、銅版などが打ち付けられ、更に強度を増して ある。そして何よりも軽い。皮革に関する技術では大陸人を大きく上回っているといえるだろう。完全武 装しているにも関わらず、南蛮兵があれだけ素早く動けた理由が理解できたのであった。 武器には銅と青銅が使われている。これは帰化しただろう大陸人がもたらした知識かと思ったが、よく よく調べると南蛮独自の技術のようにも思えた。その証拠に、製法などは楓流が今までに見た事がないも ので、大陸人の物と似通った所もあるが、基本的に別物である。鍛造(たんぞう)されたものであるのか もしれない。 刃は鋭く、楓軍の鉄器には及ばないものの、間違いなく銅や青銅製品としては一級であり、同じ素材で 作ったものなら楓にすら勝るかもしれない。楓軍も全ての兵に与えられる程鉄器が豊富な訳ではないから、 武具の面での優位性を過信しない方が良いだろう。 武具全般が大変にできの良い物ばかりだったので、部族達の器用さに驚きつつも、楓流は彼らの武具を 遠慮なく拝借させてもらう事にした。通気性なども良く、南方の気候にとてもよく合っていたから、充分 以上に役立ってくれるだろう。 そして特にできの良い物は、本国へ送っている。これは南蛮の技術を盗み、楓に取り入れる為である。 技術に関して、楓流は誰よりも貪欲だ。 他にも建物や貯蔵法まで使える物は全て盗み、自分の物とするよう努力している。 一つの拠点を落とした事で、他にも南蛮の事を多く知る事ができた。
彼らは男子全てが兵であり、幼子以外は兵士として戦っている。死体を確認すると、全体的に大柄だが、 年の若い兵士が多く、代わりに女兵は一兵たりともいない。捕虜にも女が一人も居なかった事を思えば、 何よりも先に逃がされ、護られるのだろう。 それは大陸人同様に女もある意味財産と考えられているか、子を産む存在として何よりも大事にされて いるか、のどちらかを意味していると考えられる。 そして逸早く逃がされた事を考えると、部族同士の争いは食糧や金銭面だけの問題ではなく、女を奪う 為の戦であるのかもしれない。当時は人数が即ちその軍の強さであったし、部族同士の技術面での差があ まりないなら、人口増加を最も重要視するのが当然である。 南方は猛獣などが徘徊(はいかい)し、危険極まりない場所であるから、尚更であろう。
皮革技術が発達しているのは、狩猟を主に行い、それから得られる物を生活の糧としてきた事によると 考えられる。 南方は植物も豊富であるが、奥に来ると案外湿った地形が多く、沼や川が増える。水は豊富だが、これ では農耕に向いているとは思えず、木の実や野草を除けば、獣を食う以外に生きる方法はないだろう。 或いは他人から奪う事。 とすれば度重なる略奪行為も南蛮からすれば当然の行為なのか。人をさらうのもまた当然といえるし、 望めば帰化させる事もまた自然となる。もしかしたら彼らにある部族と大陸人という区別は、大陸人のよ うには強くないのかもしれない。大陸人は憎いが、敵対しないのならば一方的に嫌悪はしない。民族では なく、敵味方の概念の方が強いのかもしれない。
部族の文献などが残されていない事から、文字を使う文化は発達してこなかったようだが。その生活を 見ればある程度察する事はできる。まあ、それも所詮は想像の範囲であり、証拠などは何も無いのだから、 あくまでも仮定でしかないが。それでも何となく部族を身近に感じる事ができた。 少なくとも彼らは自分達と変わらない人間であり、悪鬼羅刹のように常に誰かを脅かすような存在でも、 仁王のように常に憤怒の表情を浮かべている訳でもない。部族もまた人間なのだ。 これは当たり前の事だが、楓流に希望を抱かせるには充分だった。 それが人間であるならば、例え一方的に恨まれているとしても、先入観をもたれているのだとしても、 努力次第でその関係を変えさせる事ができる。未来永劫争わなければならないような関係ではない。 この時の楓流はすでに扶夏王との関係が決定的なものに変わっている事など露(つゆ)知らず、そのよ うな甘いといえば甘い考えを抱いていた。 しかし扶夏王はこの時、絶対的な憎しみと怒りを持って、楓軍へと迫っていたのである。
扶夏王が到着するまでにはまだ多くの時間がかかるが、よほど腹を立てていたのだろう、後方の備えと して残しておいた兵と楓流に奪われた拠点の敗残兵をまとめ、総数二千の兵を楓流へと向かわせた。 率いる将の名は雍涯(ヨウガイ)。後方に残してきたという事はそれだけ信用しているという事か、そ れとも統治能力に優れているのだろうか。楓流には未だ解りようもないが、実力主義の扶夏王が後方を任 すくらいであるから、相当の実力者に違いない。 楓流が南蛮軍迫るの報を聞いた時、未だ新たに得た町の修繕は終わっておらず、防衛設備もほとんど手 付かずの状態であった。おまけに楓軍の総数はおよそ千。傷病者はすでに南開へ帰してあるし、よもやそ のような大軍で、しかもこの短期間の内に反撃に出てくるとは考えておらず、楓流も焦りの色を浮かべる しかなかった。 半壊状態にあるこの町に篭(こも)るのは得策ではない。 南蛮の方も後方に残されていた兵であるから、一級の精兵という訳ではないのだろうが、南蛮兵は強い。 今までは数で圧す事で何とか勝利を収めてきたが、今度はこちらが圧される立場である。倍の兵を相手に して勝てるとは思えなかった。戦に弱気は禁物であるが、どう考えても不利である。 楓流は考えた末、潔(いさぎよ)く得た町を諦める事にした。 そして町に油を撒き、火を放って後に粛々と引き上げている。折角得た町を焼き捨てるのは忍びないが、 ここで敗北を喫しては折角軌道に乗った南方運営が挫折してしまいかねない。今は何よりも敗北を恐れな ければならなかった。 戦わずに逃げれば士気の低下を免れないが、それを差し引いても無理は禁物と判断したのである。 南蛮兵も後方に置かれて鬱屈(うっくつ)した気持ちを抱いていた筈。相当に士気も高く、それが空回 りに結び付く可能性はあるとしても、今回は彼らも雪辱(せつじょく)に燃えている筈。一時の優位を得 た程度で逃げてくれるとは思えない。 そうである以上、総兵力で負ける楓軍は必ず劣勢に立たされるだろう。一時の優位など何にもならない。 それを知っていたからこそ、潔く引いたのである。 ただし何もしていない訳ではない。出鼻を挫く事が重要だと考え、一つ簡単な手を打っておいた。さほ どの効果はないだろうが、時間稼ぎくらいにはなるかもしれない。
雍涯軍は楓の火計に遭うとそれ以上の追撃を避け、拠点跡地にて陣を敷き、付近を慎重に窺(うかが) いつつ軍を立て直している。 楓流は油と火を持たせた少数の兵を残し、雍涯軍が来ると火を付けてすぐに逃げるよう命じておいたの だ。これは大して燃え広がる事無く消し止められたが、雍涯軍の足を止めるには充分であった。 彼らは罠を恐れ、闇雲に進む事を止めたのである。そこから考えても雍涯がただ突き進むだけの将では ない事が解る。どちらかといえば熟考する型で、猛将というよりは智将とでも言えるような男なのだろう。 単に臆病なだけかもしれないが、それは同じ事であった。全てを恐れてしまえば永劫(えいごう)に足 を動かす事ができなくなるが、恐れるからこそ無用な被害を受けずに済む。後方を任せるには適任である。 ただし勇猛を誇りとする部族の中にはその態度に不満を持つ者が居るようで、雍涯軍には何となくまと まりに欠ける所があるようだ。 南蛮も孫と同じく、王がそれを率いて初めてその力を発揮できるのかもしれない。扶夏王以前は統一な ど考えてもいなかったのだとすれば、それも頷ける。扶夏王が居て初めて、部族兵ではなく扶夏軍になる 事ができるのだろう。 とすれば扶夏王さえ殺せば南蛮を弱体化させる事ができるという事になる。いくら個々に強くとも、ま とまりのない軍勢など高が知れている。南蛮全体であれば恐ろしいが、個々の部族なら脅威を覚える程で はない。数で圧せば、負ける事はないだろう。それは今までの戦いで実証されている。 この時点で楓流の中の対南蛮作戦は王殺害を何よりも優先する事に決定された。勿論、話し合いの余地 があるという希望を捨ててはいないが、王さえ居なければそれで済む問題である事を察したのだ。 しかしそれは楓も同じ。ここで楓流が討ち死にするような事になれば、いかに趙深が居ようと楓は内部 分裂を起こし、各国に良いように使われた上で無残な最期を遂げる事になるだろう。 部族がどう攻めてくるかは解らないが、楓もまた楓流の死を何よりも防がなければならない。本国から 離れた遠方での死となれば、尚更大きな混乱が予想される。南方には病気や猛獣の心配もあるし、あまり 遠出しないようにするべきかもしれない。 楓流自身がそれを知ってか知らないかは解らないが、南開へ引き返した後、前線は孟牙に任せる事にし、 自身は後方に下がって戦況を見守りながら全体の指揮をしている。 そして急ぎ梁へと救援を乞い、鏗陸に兵をかき集めさせ、千の兵を送らせている。他にも各国に支援を 募り、本国にも余裕があれば一兵でも多く送るよう命じたようだ。 本国の兵力をこれ以上減じるのは危険だが、南蛮軍がすぐそこに、しかも二千という大軍で迫っている 事は、各国への牽制にもなる。 どの国も南蛮の脅威を知っている。遠く離れているとはいえ、それが迫っているのだとすれば、今敢え て楓に手を出し、南蛮を利せようとは考えないだろう。それを行うとすれば、南蛮の脅威が去って後、つ まり扶夏王が死に、楓流が用済みになった時であろう。 今無用な欲を出せば、それを理由に自分の方が大陸の敵とされ、集中攻撃を受けてしまいかねない。現 在生き残っているような国家なら、そんな愚かな真似はすまい。待っていればこの先幾らでも好機は訪れ る。実質南蛮と戦っているのは列強の中では楓国のみであり、疲弊するのもまた楓国である。放っておけ ば良いのだ。 楓が得ている南方の利に対して寛容(かんよう)なのも、自分達にも利益が回ってくるという事だけで はなく、そういう理由がある。 楓が今いくら得たとしても、どの道それは南方開発と南蛮との戦いによって全て費やされる事になるだ ろう。ならば楓を働けるだけ働かせ、一段落ついた所を見計らってその成果だけを奪う方が楽でいい。 何も一番大変な時期にそれをする必要は無い。今楓に生きて働いていてもらわなければ、どの国も困る のだから。 寛容さの裏にはいつも嘲笑がある。 だが現地にいるからこそ知れる事、得られるものがある。それは名声であるし、技術や情報である。楓 流は南蛮戦後の事も考えて動いていたのである。
ともあれ、今考えるべきは目の前の雍涯率いる軍勢の事だ。 実質これが南蛮軍との初の死力を尽くした戦いになるだろう。 いつ攻めてくるかは解らないが、扶夏王自身が来るとは思えない以上(楓流は南蛮の内情を知らないか ら、まだ彼が遠くで敵対勢力と戦っていると考えていた。とはいえ扶夏王はまだ遠く、彼が来るのを待っ ているようでは雍涯の能力を疑われてしまうだろう。結果としてその読みは当たる事になり、それがまた 楓流に扶夏王の動きを見誤らせる)、罠が無い事を確認すれば雍涯軍のみで攻めてくる筈だ。 楓流は急ぎ準備を整えなければならない。 |