15-2.虚勢の理


 虚飾を剥がされ、生身となった韓を見れば、それは真に空虚であった。

 片手で簡単に握り潰せる程にすかすかで、まるで死骸を衣服で無理矢理繕ったようなものであり、本質

的には韓という国は西方から逃げた時点で滅んでいたのだろう。おそらく呉の方も似たようなものである。

 韓兵も韓衣と同じく予想外の頑張りを見せ、楓軍が到着するまではその姿を何とか保てていたようだが。

それも一戦交えるまでの話であった。勢いでつけただけの決意など、そこに現実に在る死の前には何の役

にも立たない。

 野望、或いは家族を守る為と、彼らにも彼らなりの心はあったのだろうが。そんなもので戦えると考え

る事自体が、自惚(うぬぼ)れている。生死を賭けるにはもっと個人的な、生々しい感情が必要だ。韓兵

達は数合と持たず、その意気を無残に砕かれた。

 傭兵達も敗勢を見るや、申し訳程度に戦った後、それぞれに理由を付けて退き始めている。利害に聡(さ

と)い彼らは、すでに決した戦場に、いつまでも未練たらしく居座る事をしない。負け戦となれば尚更だ。

今の所は後退する者、すでに逃げている者、それぞれだが。今夜には粗方(あらかた)居なくなる筈で

ある。

 勝利を得ねば報酬を得られない。雇い主が死ねば踏み倒される危険性も高い。勝ち目の消えた戦いに、

いつまでもこだわっている理由は無いのである。国に対しての思い入れも何もない彼らには、ここで命を

賭して戦う事に何ら意義も見出せない。

 彼らが恐れるのは無駄死にである。死と共にあり、命を売り物にしているからこそ、己の生に対する執

着は強い。彼らが命を投げ出せるのは、誰よりも生きたいからであり、生きたいからこそ仕方なく命を売

り物にしているのである。死にたいが為に戦っているのではない。

 韓兵と韓の民からどう言われようとも、これ以上戦う理由は彼らには無かった。

 謀反を恐れたのか、韓衣が野戦を挑んできたのも好都合であった。城壁の力を借りればまだ抵抗できた

かもしれないが、大した障害物もない野原では、韓軍が勝てる理由は何一つ無い。韓衣はよく指揮し、中

には懸命に戦う兵も居たようだが。少数がどれだけ奮闘しようと、局地的勝利をいくら収めようとも、大

勢に影響は出ない。

 戦において決定的な勝敗というのは、少数の努力と局地的勝利の積み重ねで決まるものではない。そう

いう戦が無いとは言わないが。多くは歴然とした最終決勝点となる一戦がそれを決める。その一戦に敗れ

てしまえば、その前後でいくら善戦をしようともどうにもならない。

 大勢を決する一戦で負けてしまえば、後は転がり落ちるように滅亡の道を直走(ひたはし)る事になる。

 楓と韓の戦においては、この最初の一戦がその最終決勝点であった。

 韓衣は敗勢を覆せないと悟るや、懸命に街内へ退き、何とか軍を再編してもう一度挑もうとしたようだ

が、最早兵が彼のいう事を聞かない。誰もが混乱の極みにあり、迫り来る死の予感にただただ怯えている。

そして同胞が逃げたと知れば、何故自分はまだそうしないのかと自問自答を繰り返し、いつ逃げるか、い

つ殺されるか、と王の罰と楓軍の侵略をのみ恐れている。

 中にはこういう状況に導いた韓衣に対して恨みを抱く者も居る。こうなったのは誰のせいか、戦の前は

あれだけ自信満々でいたのに、景気の良い事ばかりを言っていたのに、いざ戦ってみればまともに戦えも

せず、片腕で振り払われるかのように容易く撃破され、怯える事しかできなくなっている。これを惨めと

言わずして、何と言おう。

 こうなったのは誰のせいか。そう、韓衣である。全てはあの韓衣めが己が権力を磐石にし、王位簒奪と

いう大それた野望を抱いた為に起こった事。国の為でもなければ、民の為でもない。結局飾り物の王と同

じく、我らも利用され、無慈悲に全てを奪われる定めであったのだ。

 憎きは韓衣。全ての元凶は奴にある。

 この状況を見れば、韓衣が野戦を挑むしかなかった事情が良く解る。そして彼自身が凡庸な将ではなか

った事も。彼は内情を理解しており、例え篭って防いだとしても、戦が続けばいずれ兵の心が離反するだ

ろう事を解っていた。そして兵と民の不満を消す事は、信頼を得られていない自分には決してできないだ

ろう事も。だからこそ例え無謀であっても、野外に出て一戦を挑み、勝つ他に手がなかったのである。

 自分には長く軍を手中に収めておく力は無い事、傭兵が張子の軍隊でしかない事、そういう事を理解し

ていたからこそ、虚勢を張って打って出るしかなかった。そうしなければ自分の支配体制を保つ事ができ

なくなる。韓という国ではなく、自分の命と権力を保つ為には、そうするしかなかった。

 しかしそれは無謀であり、不可能な手段である。当然のように破れた。

 それを知っていて敗れたのである。戦う前から敗れていた事の哀しさがここにある。どう足掻いても無

理な事を。誰よりも理解しながら、やるしかない。

 そして敗軍の将となった今、韓衣には命を失う以外の道は残されていないように思えた。

 だが韓衣は諦めなかった。生来の誇り高さがそれをさせたのか。ここに至っても王位を諦められなかっ

たのかは解らない。ただ一つ解る事は、腹心の者と共に楓へ投降しようと逃げる途上で韓兵に見付かり、

怒りと恨みをぶつけられて無慈悲に殺された事だけである。

 自決して街を、いや国を明け渡せば美談にはなったのだろう。しかし韓衣はそうなる事を望まなかった。

例え愚か者として名を残そうとも、己が欲望に殉(じゅん)じたのである。憐れと言えばそうだが、それ

をそう言える資格のある人間は多くない筈だ。これもある意味、人間らしい生き方である。

 そして多くの人間の姿は、これであろう。どれだけ否定したくとも、現実は悲しい。善と美だけで、人

は生きている訳ではないのである。



 韓衣の死を聞くや、韓王はすぐさま一切の戦闘行為を禁じ、降伏する旨を楓軍へと発した。だが韓王に

最早軍を統制できるような力は無く、側近も韓衣の都合の良いように選ばれた佞臣(ねいしん)ばかりで

は、服させられる訳がない。

 軍は暴走し、兵は各々好き勝手に暴れ始め、略奪、暴行を繰り返した。もう死ぬしかないと思えば、自

暴自棄になるのも止むを得ない。韓衣というたがを失った韓は、正に地獄絵図といった光景となるように

思われた。

 しかしそれを察するやすぐに攻め込んだ楓軍に即座に鎮圧され、被害少なく済んでいる。国中に広がる

前に韓兵は治められ、罪を犯した者は即刻その場で処断され、それから一日も経つと民も落ち着きを取り

戻し、混乱がそれ以上広がる事はなかった。

 こうして期せずして、いや期して楓軍は英雄として祭り上げられ、韓の民に喜びと共に迎え入れられた

のである。無論、楓軍は略奪などを働いてはいない。その事が最も大事な事であると日頃から教え、厳し

く訓練を積んできているからだ。

 楓流の命は絶対であり、約を違えた者には死あるのみ。軍紀を乱す者に命は無い、と言う訳だ。

 その代わり、褒美はなるべく早く多く出す。出来るならその場で出す。この場合も命を救う代わりに王

と重臣の財産を全てを没収し、その全てを兵に与える褒美に当てた。官女や妾なども武功に応じて望むな

ら与えている。幸運にもその道を逃れた女は、ある程度の金か物資と引き換えに自由を取り戻すなり、そ

のまま楓に仕えるかの道を選ぶ事になる。

 この時代は女もまた財産であり、一般の者ならともかくも、王や重臣に仕えている者などは大抵彼らの

財産の一つとして扱われる。楓流がそういう事を嫌った為に酷い扱いはしていないようだが。彼も王とし

て、褒美にと乞われれば、断る事はできない。

 それに女の中にもそれを望む者、受け容れる者がおり、その境遇全てが哀れという訳ではなかった。彼

女達も覚悟しており、それを良しとせぬ者は自害している。ここに生きて残っているという事は、望む望

まないに関わらず、その運命を受け容れたという事だ。

 得た女を正式な妻とする者も居たし、それなりに幸福を見付けた者が居なかったとは言えない。政略結

婚でも愛を得た者達も居れば、こういう形でそれを築いた者も居る。人の心とその結びつきの形、きっか

けとは必ずしも一致する訳ではないようだ。

 今とは考え方そのものが違っていた。彼女達は決して卑下されるような身分ではなかったのである。

 今回は魏繞の兵が加わっていた事もあって、それを望む者は多かったそうだ。元孫兵である彼らは、孫

文が政策の一環として略奪をしなかった事があって、その点にさほど不満はなかったが。女を得られない

という事には酷く不満であった。

 ただでさえ自分達は余所者なのだから、窪丸の女と結ばれる事には困難を伴う。こういう場合でもなけ

れば当てがない。当時としては尤もな言い分であり、楓流にもこれを無下に断る術は無かった。

 この事を考えても、魏繞の抱いていた兵団が、必ずしも楓の兵だとは言えない事が解る。彼らは新参者

という謗(そし)りを受ける代わりに(勿論、目立って差別を受ける訳ではないが、当然そういう感情が

窪丸の民と楓兵にはある。それを完全に消す事は楓流にもできない)、ある程度楓の影響から逃れられる

立場にある。彼らは楓流がそれを嫌うというだけでは、納得しない。

 無論、魏繞はそういう点に抜け目ないから、自分だけは(表立っては)女を得ていない。全て兵が望む

ものとし、困ったものだという顔を見せている。しかしその中の幾人かが部下ではなく魏繞の寝所に侍っ

たとしても誰にも解らないし、例えそうしたとしてもそれは楓流が口出せる問題ではない。人に与えた物

は何であれ、その手を離れていくものである。

 だから解っていてもそれを拒む事はできず、魏繞に合わせてやるしかなかった。何とも虚しい思いを抱

いたが、そう考える楓流の方が、この時代では例外である。

 韓王と臣達は命だけは助けられたものの、ある程度の資金と共に国外追放を命じられた。韓衣を抑えら

れず、最後に至ってまで国を混乱させる事しかできなかった罪は万死に値する。しかしその貴なる身分に

免じて命だけは助けよう。ただしこの国に居させる訳にはいかない。

 つまり、命が惜しければ出て行け、と言っているのである。

 韓王も民が彼らの事を恨んでいる事を解っている。このまま居ても良い事は無いと考え、すぐさま韓を

去った。

 こうして楓は民から望まれる形で、上手く韓を滅亡させる事が出来たのである。

 王を生かしておけばまたどこかで国を建てるか、韓の復興を夢見る事もあるかもしれないが、民から恨

まれている以上、その血に力などは無い。例え起ったとしても、いずれ自滅するだろう。

 それに放浪している王と重臣など格好の獲物である。恨みを晴らす為に民の誰かが襲う事も考えられる

し、生かしておいたとしても実害はないだろう。

 死傷者も少なく、韓との戦いは真に上手く運んだ。

 おそらくある程度の力があれば、誰がやっても似たような結末になったのであろう。

 ともあれ、楓としては悪くない結果であった。



 韓を滅ぼし、楓流の目は即座に呉を向く。すでに呉にも韓滅亡の報が入っている筈だ。今頃王達は大童

(おおわらわ)といった所か。

 楓流は軍を再編しながら、警備隊や賊、残党軍討伐隊を編成し、韓国内の安定に力を注ぎながら、暫く

は様子を見る。

 呉の双璧、いや反目する二大臣、不凱と施績。この二人の関係を利用すれば、労少なくしてその地を奪

えるのではないか。その為には冷静に二人の反応を確かめるべきである。

 目論見が当たったのか、当然の帰結なのか、楓が即座に攻めてくる様子は無いと見、不凱、呉王それぞ

れから祝いの使者が送られてきた。悪政を布いた韓王族とその臣を打倒し、韓の民を解放した楓国に敬意

を表する、という訳だ。

 白々しいが、余りにも簡単に落ちた韓を思えば、その恐怖心から必死になる事も当然だと思える。そし

てあわよくば楓を味方に付け、自らの基盤を磐石にしようとも考えている筈だ。一方は王名義になってい

るが、当然それを出させたのは施績であろう。よって呉王の言も施績のものと考えて行動する事にする。

 さて、二者から送られてきたものを同じように扱うのでは芸がない。ここは一方に好意を見せ、一方に

は冷淡に接し、この二者の関係を拗(こじ)らせるのが良策というもの。

 不凱、施績の力は拮抗(きっこう)している。不凱は軍を押さえ、その力は国政を牛耳るに充分である

のだが、何しろ施績は常に王と共にある。王の名をある程度自由に使えるし、不凱も王への忠誠を失って

はいないのだから、例えその背後に施績が居たとしても、その言葉に理由なく逆らう事は難しい。

 そんな事をすれば施績に反逆者の烙印(らくいん)を押されるかもしれないし、兵達にも王に逆らうよ

うな意思はないのだから、軍統制上においても逆らえない。

 好意を見せるならば、弱い方に見せた方が効果がある。しかしこの場合は両者拮抗している。どうすれ

ば良いのだろう。どちらでも良いといって、考えもせずに選ぶ訳にはいくまい。

 考えた末、楓流は不凱の方へ好意を見せる事にした。性格を考えてもこちらの方が動かしやすいという

事もあるが、やはり施績の手に王が居るという点が大きい。迂闊にその力を増させれば、権力を一つにし

て強引に不凱を誅してしまうという事も考えられる。

 その点不凱に味方して権威を増させても、施績には王が居る。そして軍という最も強い武器を持つ不凱

がその威を増す事で諸臣に不安を与え、呉をかき乱す事もできるかもしれない。上手くいけば不凱を孤立

させる事も不可能ではないだろう。

 不凱と施績、どちらに好意を見せるべきかは、自ずから明らかであった。



 施績からの使者を体よく追い返し、不凱からの使者を手厚く遇する。その上、不凱へ返礼としての使者

をわざわざ出す。

 ここまですれば施績一派が不凱に対して不信感を決定的なものとするには充分であろう。不凱と楓は通

じている。相手の言動を悪く受け取る事に慣れている彼らにとって、それはそれだけで決するに充分な材

料であった。

 施績はすぐさま王にこの事を告げ、すぐにでも対策を実行するように強いている。

 つまり、不凱を裏切り者として将軍職から降ろし、兵権を取り上げて無力化させてしまおうと謀ったの

である。

 軍内部にも前々から手が打たれていたのだろう。そして流れていた真偽様々な噂がそれを助長する。兵

の中には王に対して反意を抱いている者も居るが。変わらぬ忠誠を誓っている者、反感は抱いていても結

局王に従うのが正しい事だと考えている者、の方が多い。だから軍が不凱に従っているのも、不凱が国家

と王に忠節を抱いているから、という面が少なくない。

 もし不凱が王を裏切り、国を裏切っているのだとしたら、そんな者に仕えている義理は無くなる。それ

どころか、このままでは不凱と共に裏切り者の謗りを受けてしまう事になるかもしれない。

 王や重臣に何と言われようと大した事にはならないが。国民、つまり知り合い、友人や家族に白い目で

見られる事には耐え難い。それはこの国、いやこの大陸から居場所が無くなるという事であり、孤立し、

誰も頼る者が居なくなるという事を意味する。

 そうなれば不凱を頼ればいい。確かにそういう考え方もある。不凱は頼れる部分も持っているし、楓と

本当に通じているのだとすれば、施績を追い落とす事も出来るかもしれない。案外悪くない選択だとも考

えられる。しかしそのようなあるかないか解らない可能性に縋(すが)り、それを信じて実行できるよう

な者はいつも少ない。

 多くは躊躇し、今の暮らしが変わってしまう事を恐れる。それに楓は何だかんだ言って韓を容赦なく滅

ぼしたではないか。そんな国に組しても、結局上手く使われるだけではないのか。という不信感がある。

 兵達も愚かではない。人並みの事は当然考える。そしてこの考えるという行為が、人からある意味勇を

奪う。考えるという行為自体が足かせとなって、人を縛る事がある。

 不凱も兵と似たような心情にあった。こういう状況になったからには、一刻も早く逃げるなり、謀反を

起こすなり、しなければならない。こういう時にうかうかしていると殺されてしまう事は、今までの歴史

を見ても明らかであり、素早く行動に出る事のみがその命を救う。

 しかし不凱には王を廃位しようというような気持ちは無く。例え傲慢にはなっていても、自分が王にな

ろうとは夢にも考えた事はなく。施績憎しとはいえ、王意に逆らうような真似をしてまで、自分の意を通

そうというような気もなかった。

 結局彼は憤怒に燃えたまま、その熱情を施績への弾劾状(だんがいじょう)に変え、王へ何度も出した

のだが。そのようなものは王に渡る前に施績が全て握り潰している。例えそれが王に渡っていたとしても、

施績に実権を握られている王に、一体何ができただろうか。逆に信頼厚き施績を悪し様に言われたと考え、

不凱に対して不快な気持ちを抱いたかもしれない。

 新呉へ移ってからは常に施績が王の側へ居たのだから、当然不凱に対しての悪感情を吹き込んでいる筈

で、呉王が不凱と行動を共にする可能性は少ない。王としてはやはり何もせず中央で待っていただけの不

凱よりも、命を賭してまで自分を助けてくれた施績の方を頼もしく思う筈だ。

 こうして不凱の想いは通ぜず、鬱々(うつうつ)とした感情を湛(たた)えながら、不凱も兵達も行動

に出る事なく、成行きを祈るように見守っていたのだが。施績の方は行動的で強引であった。

 彼としては不凱の軍事力が恐ろしい。いつくるか、いつ謀反を起こし、或いは力に物を言わせて自分を

殺そうとするか、常に恐れていた。そういう心がある以上、この好機を逃せる訳がない。何としても不凱

を追い落とし、自分が兵権を握らなければ安心できないのである。

 兵権さえ握れれば自分の地位は磐石なものとなり、この先例え王が自分に対して不信感を抱くような事

があったとしても、どうにでもする事ができる。いざとなれば王を殺してしまってもいい。実権は施績が

握っており、国を動かしていたのが彼であった事は誰もが知っている。王の信任厚い自分が王の死後も国

政を代行して動かしたとして、誰が異を唱えられるだろうか。

 施績が居なければ呉王家はとうに滅んでいたのだ。その自分が王をどうしようと、今更誰に文句を言わ

れる筋合いはない。

 そう、施績は不凱のように忠義を抱いていなかった。あくまでも王であるから従っていただけであり、

王を慕っていた訳でも、敬っていた訳でもない。そうしなければ自分が罰されるから大事にしていたに過

ぎず。必死になって王と共に逃げたのも、そうすれば自分が呉の実権を握れると考えたからだ。

 もし王居らずして不凱の居たこの場所に逃げてきたとして、一体どこに施績の居場所があっただろう。

王と共に来、王を助けたという一事があったからこそ、その地位を新呉となってからも保てたのである。

もし一人逃げて来ていれば、王を見捨てた逆臣として処罰されていただろう。

 施績にとって王とは自分が生き延びる為の道具でしかなく、権威を保証してもらう為の飾りでしかなか

った。

 そんな人間が、他者の事を親身になって考える訳がない。やるとなれば容赦しなかった。

 王に強力に働きかけ、半ば脅し同然に意を通させた。流石に証拠も無く罪を与える事はできなかったか

ら。代わりに、不凱に不穏な噂あり、真偽を確かめるまではその任を全て解く。という命を下させた。

 真偽を確かめるまで、というのは一時的なものではなく恒久的なものである事は明らかで。これはよう

するに、罪に問わないでやるから隠居してもう二度と出てくるな、という意味である。

 不凱は当然のように猛り、散々に施績を罵ったが、結局は王命に従って素直に家に戻り、鬱屈した気持

ちを噴き出すかのように自害した。傲慢になれるという事は、別の言い方をすれば誇り高いという事でも

ある。そういう男からしてみれば、余りの怒りに我を忘れ、発作的に自害したとしても不思議は無い。最

後まで王が自分に対して冷たい態度を取り続けていたとなれば尚更だろう。

 この上は死ぬ事だけが忠義であり、施績に対して何よりもはっきりした意思を示す手段になると考える。

 だがそのような気持ちは個人的なものであり、施績に何らの害も与える事はできなかった。不凱に嫌わ

れようと恨まれようと、その手には王と兵権がある。最早何の心配も要らない。

 しかしこれは不凱派というべき人達にとっては大きな事であり、彼らを決起させるには充分な理由であ

る。不凱亡き今、自分達で立たなければ居場所を失ってしまう、という切迫した事情もある。不凱残党は

内々で謀反計画を立て、不凱に好意を抱いているだろう楓に対し、協力を願う使者を送った。

 不凱残党の動きに対し、楓がとった態度はといえば、何もしなかった。正確に言うなら、その時は何も

反応を見せなかった。

 当然である。楓流は不凱残党の動きを放っている間者によって正確に捉えており、どういう行動に出る

のか、出たのかを全て知っていた。その上で密かに施績に対してこの事を知らせ、楓へいく筈だった密使

を捕えさせたのである。

 その内容を知ってはいても、楓へ使者が到着していないのだから、行動を起こす理由は無い。知らぬ存

ぜぬ関わりなしで通し、事態を見守り続けた。

 施績もどこの誰からか解らぬ情報に対し、初めは訝(いぶか)しがっていたようだが、実際に密使を捕

え、それから不凱残党の計画を全て知る事ができたのであるからすっかり信用し、誰が教えてくれたのか

は解らないがとにかく自分には外部の協力者が居る、或いは不凱残党の中で恐くなったものが裏切ったの

だろう、と都合よく理由を考え出し。すぐさま不凱残党を誅すべく行動に移った。

 しかしそこまで直接的な行動に出れば、不凱残党も黙ってはいない。不凱も無能ではなく、兵に対して

情を見せる事もあったので、嫌われてはおらず。彼らに同情し、軍内から同調するものが出、施績の意図

していた計画から外れ、大規模な内乱を呼び起こしてしまう事になった。

 施績の近頃の行動は目に余るとして、嫌う者も少なくなかったのだろう。

 楓流もまさかここまで大きくなるとは考えていなかったが、この機を利用しない手はない。

 施績、不凱残党、どちらからの協力要請にも応ぜず、国を縦(ほしいまま)にして身勝手に争う愚か者

共を誅し、呉の地に平穏をもたらす為と称して、単独で軍を発した。

 これこそが楓流の意図した事である。

 施績、不凱残党、どちらも王位を争っているのではなく、その内部での権力争いに過ぎない為、どちら

に味方しても結局は呉王を存続させなければならなくなる。

 それは呉という国を存続させる事で、この地と集縁を交換しようと考えている楓にとって、甚だ不都合

な事である。どうしても王を廃し、国を滅亡させなければならなかった。

 そうする為にはどちらにも味方せず、どちらも敵とし、その上に居る王を含め、悪として滅ぼす事が必

要だった。わざわざ内乱を起こさせたのも、単に力を削ぎ、攻めやすくする為であって、初めから軍事力

を持って呉を滅する事を決めていたのだ。

 もしこの策が成功せずとも、不凱、施績、両者が健在であったとしても、攻めるつもりであった。

 楓が味方してくれると考えていた呉の面々が甘かったのである。彼らがきちんと楓を調べ、その真意を

知る事ができていたなら、協力関係など初めから結べなかった事が解っただろう。そうなれば不凱、施績

が一時手を組んで、呉一丸となって楓に抗する事もできた。それを内部争いに興じ、愚かにも足を引っ張

り合っている。軍事経験の無い施績に、この窮地で軍を上手く統べる事などできる訳がない。

 高々一時滅亡から逃れた程度で助かったと考えていた事、戦が終わったと考えていた事、それがそもそ

もの間違いである。位置関係を見ても、互いの国情を見ても、楓こそが呉と韓の最も大きな敵である事は

必然であった。それをそう考えず、何も対処してこなかった事は、権力者達の怠慢であり、これも必然的

な滅びであったといえる。

 何事も結果から推し量ってみれば、須らく必然なのであろう。偶然だの奇跡などは、人が思う程当たり

前のように起こっている事ではない。



 内乱を起こし、漁夫の利を得るようにして進軍したのだ。楓が勝利した事は言うまでもない。無論被害

は出たが、さほど多くなかった。楓は投降する者は許し、そのように何度も言わせた為、応じる者も少な

くなく、すでに絶望しきっていた彼らの抵抗は微々たるものであった。

 それもこれも決死の覚悟を抱かせないよう工作したからだ。武力は用いるものの、それだけで強引に解

決するような事はせず。激しく戦っては投降を誘い、緩急を付けながら呉兵の心を揺さぶって、いつまで

も迷わさせた。

 その結果彼らは常に生への道が残された状態にあり、一部のそれぞれに投降できない理由を抱える者達

を除いて、どうせ死ぬならという決意を起こさせずに済んだ。窮鼠も逃げ道を与えれば、敢えて猫に噛み

つくような真似はしない。

 激しい戦いを数日続け、最後に残った者が敗北を認め、自害するなり逃げるなりそれぞれの道を選んで

去ってしまえば、楓に抗おうとする者は残っていなかった。

 王と施績、不凱残党もいつの間にか逃げていたようだ。協力要請が受け容れられなかった以上、自分達

が助かる見込みはないと考えたのだろう。

 王と施績には一度できたのだから、また同じように再興すればいいという楽天的な考えもあったかもし

れない。彼らは逃げ続け、どこまでも逃げていくのだろう、その命果てるまで。

 逃げてくれたのは楓流にとっても好都合である。これで堂々と呉王を討伐する事ができるし、呉という

国を滅ぼしても文句は言われまい。どこに身を潜めたかは知らないし、どこを目指しているのかも知らな

いが、これで彼らはただの賊である。生き延びたとしても大した事はできないだろう。

 楓流は討伐軍を編成し、すぐさま発しているが、それは専ら治安回復の為であって、彼らを追う為では

なかった。韓王一党同様、無力だと考えたのである。

 しかし後の事を考えるに、この考えは甘かったと言わざるを得ない。

 いかに無力とはいえ、人の力というものを軽視してしまえば、やはり報いは訪れる。

 楓流は韓王の時とは違い、施績という厄介な臣が共に逃げた事を忘れていた。続けて成功したが為に、

油断してしまったのだろう。

 ただしそれを彼が悔いるのはまだ少し先の話である。今は置いておく。

 ともかくこうして楓流は己が望みを叶える為に必要な土地を得た。後はそれを秦と交換する理由が必要

であるが、それはどうにでもなるだろう。どちらの国の民も王と重臣にはほとほと愛想が尽きており、特

に最後に軍の暴発を招いた韓王へはその気持ちが強い。

 どちらも楓の意に従うつもりであり、楓が望めば強く反対はしないだろう。ただしどちらの民も秦に対

しては少なくない恨みを抱いている。その辺の気持ちを考えて、慎重に事を進める必要があった。

 楓か集縁への移住という選択肢を与える事も必要かもしれない。

 画竜点睛を欠くような事になれば、全てを水泡に帰する事にもなりかねない。戦前、戦中も大事である

が、戦後こそ一層注意深く事を為さなければならない。血生臭い戦が終わっても、それだけではまだ本当

の意味での終わりではないのである。




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