15-3.薄望


 楓流はすぐさま交渉に移りたいという気持ちを抑え、戦前と同様、丁寧に情報を集めながら暫くの時間

を置いた。呉、韓どちらの民の心情もまだ詳しくは解っていないからである。

 呉政府、韓政府への考えは充分に調べたのだが。いざ実際にその政府が無くなってしまえば、どう変化

していくのか解らない。当然のように前の方が良かったと言い出す者も居るだろう。例えどんなに始末の

悪いものでも、無くなってしまえば不思議と価値があったような錯覚を受けてしまう。人の意見など、

容易く変わるものである。

 今まであったものが無くなるという事は、人が考えている以上に影響を与える。今は重要な時期である。

焦らずじっくりとその変化を見た方がいい。何であれ確認する事は重要だ。慎重すぎるくらいで丁度良い

だろう。

 そのように様子を見ながら、協力者を得る事も忘れない。

 この地の民を動かす為には、どうしても民の中に協力者が必要だ。民と言っているように、それは政府

とできるだけ関係のない者が相応しい。つまりその土地の実力者、長老格、そういった者達の同意を得、

協力させる事が非常に重要である。

 どこの土地にもある意味で王以上に影響力のある実力者達が居る。いわゆる地元の名士と呼ばれている

者達の事だ。彼らは国家以上にその土地と民との間に密接な繋がりがあり、冠婚葬祭からその他の細々と

した事まで一切を取り仕切っている事も多い。彼らが居なければ、人が必要とする儀式を行う事ができず、

社会という営みを続けていく事ができなくなるのである。

 そういう意味で、国家以上に必要で、不可欠な存在だ。

 他にも豪商などの資産家、労働者を集め派遣する人足回しなどの存在も忘れてはならない。多数の人が

生活を営む時、そこには様々な仕事が生まれ、そのどれを抜いても人の生活は成り立たない。民を動かす

のであれば、そういった直接民と関わる者達の力を借りる事が近道だろう。全ての人間を説得するのは難

しいが、こういう人物を味方に付ける事で、自然と多くの人間の同意を得る事ができる。

 権力者にとって、こういう者達と繋がる事が、つまりはその土地と繋がるという事になる。

 楓流はそういった名士達を飽きもせず丁寧に調べ上げ、その一人一人に根回しする。

 単に金銭を送るだけでは足りない。彼ら一人一人の望みを知り、それをできる限り叶えてやる事が必要

だ。情愛だけでは人は動かない。勿論感情も大切だが、それを繋げる為の利害関係というものが必要であ

る。幸い、彼らの方も権力者との繋がりを必要としている。王の承認を得、初めて実行できる事も多く。

大規模なものになれば、王の協力がどうしても必要になる。

 土木工事や治水工事、後は様々な法令を定めるなど、権力者の持つ力は非常に大きい。名士とはいえそ

の一つ一つはとても王には及ばず、彼らの目的を遂げる為には王が必要であるし。王にとっても、民をま

とめる為にはどうしても彼らの力が必要だ。

 そこで持ちつ持たれつの関係が築かれる事になるのだが、これは癒着(ゆちゃく)といった好ましくな

い状況を生み出す原因にもなる。特に主だった臣それぞれが雑多に繋がっている場合は注意が必要である。

名士同士にもそれぞれ複雑な関係があり、最悪彼らの勢力争いからそれと繋がる家臣達の権力争いを生み

出して、国を分かつような事態にならないともいえない。

 上が下を引き摺る事があれば、下が上を引き摺ってしまう事もある。彼らを小さいものと考えては、悔

いる事になるだろう。

 幸い今は楓流が一手に引き受け工作しているのだが、彼の側には凱聯と魏繞が居る。この二人が意図す

るしないに関わらず、名士達と繋がる事は大いに考えられる事だ。まだこの地の支配権を得てから時間が

経っていないとしても、油断はできない。こういう繋がりというものは、当たり前のように生まれ、瞬く

間に個々身勝手に成長してしまうものだからだ。

 この地に凱聯と魏繞、それぞれに付く勢力ができてしまえば、後々までそれを引き摺る事になるかもし

れないし。その関係は例えこの地を秦に渡したとしても、一切が消える訳ではない。何かあれば頼ってく

るような事も考えられるし、そうなればこの二人がまた余計な事をしないとも限らない。余計な事をされ

れば、秦との間に溝が生まれてしまう。

 特に凱聯には注意が必要だ。無用な男気を見せたがる癖のあるこの男は、頼まれれば嬉々として口を出

す。そしてそれが楓流の為にもなると考え、盲目的に実行する。だからいつまでも悔い改めないし、いつ

までも同じ事で楓流を悩ませ続ける。何をどういっても無駄なのだろう。凱聯という存在そのものが、楓

にとっての弱点なのである。

 今更排除する事もできない。凱聯はすでに楓に根深く入り込んでおり、独自の勢力を作っている。これ

を切り離すとなれば、楓もまた大きな痛みを伴い、下手すれば枯れ果ててしまいかねない。

 魏繞もまた同様だ。彼にも独自の勢力がある。簡単に誅する事はできない。

 故にこの二人に民が近付く事のないよう、楓流の方が工夫を凝らす必要があった。

 とはいえ魏繞の方にはまだ分別がある。凱聯のように確信犯的に動く事はまずないから、楓流が目を光

らせている限り、余計な事はしないだろう。そういう慎重さがある分、凱聯よりも遥かに御しやすい。も

っとも、油断は禁物である。人の世は何が起こるか解らないのだから。

 楓流は二人を牽制しつつ、厳重に監視させながら、慎重に事を運んでいった。そうして半月、一月と時

間をかけ、ゆっくりとだが確実にこの地を掌握していったのである。

 民の心を取る事にかけては集縁での実績がある。慣れたもので、後は時間さえかければ危なげなくそれ

を行う事ができた。これも楓流の強みであると言える。確かに苦労はしておくものだ。



 楓流が呉韓の掌握に努めている間、秦、双、越の三国もそれぞれに西方に得た領土を安定させる事に尽

力していた。何しろ西方内は未だ不穏多き情勢である事に変わりない。それぞれに属した西方諸国も今は

大人しくしているが、この先何を考え、どう出るかは解らない。恨みは消えておらず、周、呉、韓、とい

う拠り所を失った事でまとまりを欠いてはいるものの、再び団結する可能性が消えた訳ではない。

 不満が大きくなれば連合して独立する、という事態も考えられる。よく慰撫(いぶ)し、よくよく納得さ

せておく必要があった。

 だが双だけにはそのような考えは無い。この国はこの大陸全てを双が支配するのは当然だと考えており、

その傲慢さは増す一方で、全く衰えを見せない。

 楓流からの命で双正が民や諸国の事もある程度考えるよう命じさせてはいるが、いかに王の命とはいえ、

元々そういう考えが無いのであるから、その効果は微々たるものであろう。どれだけ考えたところで、初

めから無い心を上手く働かさせる事はできない。考えはするだろうが、いずれ忘れてしまうか、その方法

が解らず結局はおざなりにして終わる。

 しかし今の所は大きな不満の声は上がっていないようだ。付近に秦と越が居るという事が大きいのだろ

う。彼らも西方が平穏に戻ったとは考えておらず、またすぐに争いが始まると考えている。今迂闊(うか

つ)に動いても、他国に上手く使われるだけだ。そんな道化役を務める事など、皆御免であった。

 だから動かない。しかしそれもいつまで持つか。いずれその時を避けられない事も、彼らは充分に承知

しているだろう。

 現状、特に秦の領土欲が大きい。双に対抗する為にも、越にこれ以上力を付けさせない為にも、領土を

増す事が必要だと考えている。西方全土を領としなければ、大陸に覇を称える事もできない。折角他の西

方四家を滅ぼし西方の一強となったものを、今のままではその意味を失う。

 だが秦としても今は疲弊しきっている。簡単に動く事はできない。諦めてはいないが、慎重に機を窺っ

ているしかない、という状態にあるようだ。

 その秦が仮想敵国と見ているのは越である。双と違い、越の軍は強い。数こそ少ないものの、精強さで

は北方でも群を抜いている。河川が多く防衛に適している越国と違い、新しく得た元旧呉領は必ずしも防

衛に適している場所ではないが、油断は禁物だろう。

 越兵に比べれば弱兵とはいえ、越に降った元呉将兵達も越将に鍛えなおされれば侮れない力となる筈だ。

越軍の双璧の一人、郭申(カクシン)をその地に置いている事からも熱意の高さが窺える。越は領を広げ

る事を欲していないが、元呉領だけは別なのだ。特に商人達は商売上から考えても、得た土地を手放した

くない。その執着心は他国者からは理解できない程強い。

 呉憎しと長く生きてきた越の民は、呉を滅ぼすだけではなく、その土地と民を完全に掌握し、越に同化

させる事を望んでいる。そうする事で呉人をこの大陸から永久に消し去ってしまいたいのだ。

 彼らには呉という存在を、その残り香さえ許しておけない。完全にそれを排除する事が、呉を打ち破っ

た今、越人の最大の望みになっていると言っても過言ではない。だから呉商にも厳しく当たり、全てを越

商の傘下にしている。いずれ難癖を付けて乗っ取ってしまうつもりなのだろう。

 全てを越式に変えさせているのもその為で、呉式もまた全て排除するつもりなのである。

 全てがそうではないようだが、大抵の越人の恨みは深く、徹底している。

 だが恨みでは呉人もまた負けていない。彼らもまた越人が呉を憎むのと同じくらい越を憎んでいる。そ

の越人から呉を捨てる事を強要され、その上で越式に変える事を強いられている現状は、とても受け容れ

られるものではなかった。今は大人しくしているようだが、彼らもいつまでも黙っているつもりはない筈

だ。いずれ大きな抵抗があるだろう。

 越人がそれを強いれば強いる程、その反発力として呉人の憎しみが強まる。越がもし自分達もまた呉に

恨まれているのだという明らかな事実を忘れているならば、後悔するのは越の方なのかもしれない。

 ただ、同じ越人でも郭申はその事を忘れていないようだ。軍という憎しみそのものの発現とも呼べるモ

ノを率いている彼には、味方の抱く憎しみ同様、敵が抱く憎しみも、文字通り、痛いほど解るのだ。

 街を歩けば敵意に満ちた眼差しを受け、中には敵意を超えて殺意を宿しているものも少なくない。

 軍事力は警察力である。街内に配備されている兵には、街の様子が肌に触れて良く解る。兵に聞けば街

が今どんな状態にあるか、民の気分はどうか、などをはっきりと知る事ができるのである。

 郭申は無理を嫌い、手堅く行うのを良しとする男だ。このままでは反乱が起こるのも時間の問題で、何

とかその状況を回避しようと越商の弾圧を抑えようと努力しているようだが。実質現在西方越を支配して

いる、毛廻(モウカイ)と郭把(カクハ)の二商は郭申のそういう動きを迷惑に感じている。

 彼らはやるとすれば早々にかつ徹底的に行う事が大事だと考え、呉人の勢威が衰えている今こそその好

機であり、唯一無二の機会であると捉えている。そして他の有力商人達も大体この二人と似たような考え

を持っている。

 彼らは呉人など恐れない。呉人など考慮するに足らずと考えている。今呉商達が名ばかりとはいえ生き

残っていられるのも、彼らが温情を見せているからだと考えているし。本来ならばとうに全てを潰し、越

商の支店に変えている所だ。礼こそ言われ、恨まれる筋合いは無い、と思っている。

 軍の一切を取り仕切る郭申の言葉を無視する訳にはいかないから、手を抜いてやっているのである。

 傲慢な考えだが、これは勝利を得てから生まれたものではない。越商には以前からそういう所があった。

特に水運の支配権を得てからは、顕著(けんちょ)になっている。双にはまだ及ばぬが、この世の銭は全

て彼らが握る、くらいには思っているのかもしれない。

 特に有力商人達にはその傾向が強い。王という枷(かせ)がなくなった事もあり、彼らを止められる者

が居なくなった今、その態度が尊大になっていったとして、何の不思議があるだろう。

 意見は平行線を辿り、郭申と二商の間には深刻な確執が生まれ始める。

 いや、以前からそれはあった。当時の王であった越阜(エツフ)を引き摺り下ろし、その座に有力商人

達が就いた時。現王である越獅(エツシ)の立場を無視するような行動に出た時。商人出としては異例な

生粋の軍人気質を持つ郭申、そして清鐘(シンショウ)はその事に疑問を抱き、越獅に対して同情的にな

った。

 その時生まれていた確執が、今ここでどうしようもなく深まったのだ。

 後の事、国の事も考えず、好きに振舞う二商に対し、これは越権行為ではないか、と郭申が不満を抱く

のは当然である。そして治安維持と防衛を考えねばならぬ将としても、商人達の強引なやり方に黙っては

いられない。

 初めはいくらか遠慮していたようだが、すぐにその思いも失われ、今では毎日のように言い争うように

なっているという。

 確かに新領土を得る事を避けていた越は賢明であった。しかしそれは、今は失われし賢明さである。



 格好の不穏の種があるとなれば、秦が飛びつかない訳が無い。

 すでに西方越領土内での利権争いも始まっており、商いで似たものを扱う商人同士の競争は特に激しく。

港の利用権、船、水路の整備から細々とした一切の事まで火花を散らして争っている。その幅は非常に広

く、西方越全土を覆っていると言っていい。

 北方越だけならすでにそういう争いには決着がついているから落ち着いており、互いに協力し合う事も

できたのだが。新しく元旧呉領を得た事で、言ってみればその争いを初めからやり直すような格好になっ

たのだ。

 そこに郭申と西方越を治めている二商の確執が加わり、複雑な色を成していく

 正直言って、毛廻と郭把の二商は郭申などに構っていられない。こうしてこの地に来たのも、何も彼ら

が利権争いに勝利したというのではなく、造船業を一手に請け負っている毛廻と軍の武器を一手に引き受

ける郭把、この二人が未だ混迷覚めやらぬこの地に向かい、装備を確認、補充、増強をするに相応しいと

思われたから、赴任しているのである。

 勿論、ある程度利権争いでの優位性がなかったとは言わない。その商売を理由として上手く自分に都合

の良いように持って行った、という言い方も否定はしない。しかし結局北越を離れる事は、その地の支配

力低下を意味し。他の有力商人が残っている以上、危険な行為でしかない。

 西越には部下を送れれば良かったのだが、それは他の有力商人に認められず、彼ら自身が自ら赴く事を

条件として受け容れられている。

 つまり絶対的な優位を勝ち取ったとはとても言えず、毛廻、郭把の二商はさっさと地盤を固めて北越へ

と戻りたい。何と言っても越の中心は王都のある北越である。王をしっかりと握っている方がこんな場所

へ来るよりも遥かに有利である。今も他の有力商人達は、二商が居ない間にきな臭い事をしている筈だ。

 故に二商は焦っていたのだが、そこに郭申が一々横槍を入れてくる。下らない奇麗事など一銭の得にも

ならないというのに、べらべらと並べ立ててくる。普段は口数の少ない彼が話す言葉は直接的で、不快に

思う事もしばしばあった。

 特に郭把は腹立たしい。郭申という有能だが融通のきかない歳の離れた弟。お前も王を追い落とすには

同意し、その軍事力を持って実行したではないか。むしろ直接行っただけに郭申の方が罪深い。それなの

に今更現王に同情し、郭家の繁栄を邪魔するとは何事か。

 古来弟は兄に従うものである。それを賢しらぶって説教するなど不逞(ふてい)極まる。不快を通り越

し、これは最早罪であろう。反逆罪といわれても仕方の無い事だ。

 だがそう思いつつ、この弟が居なければ軍を統制する事ができない。もし反乱など起こりでもしようも

のなら、腹立たしき弟に頼り切る事になる。機嫌を損ねるのは不味く。郭把の発言力が大きい理由には、

その背後に軍が居るからという事もあった。腹立たしくとも、どうにかして納得させ、協力させる必要が

ある。

 だからなだめすかして何とかしてきたのだが、沈静化するどころか、調子に乗って益々大きな声を吐く。

郭把にも手が負えなくなっており、正直うんざりしていた。

 そこに目を付けたのが毛廻である。

 彼は郭把と共に西越に居るだけに、兄弟二人の確執が大きくなっていくのが手に取るように解った。無

論、彼もまた郭申とは確執があるのだが、兄弟の仲が悪化している以上、どうしても彼の側の確執は印象

が薄くなる。毛廻と郭把の間の権力争いからくる悪感情もそうだ。

 より強いものの前ではかすむのが道理。この機を利用し、何とか郭申に取り入ろうと画策する。

 だが郭申は武人肌の人物。商人ではなく、底に流れるのは軍人である。先王に対しては彼らも思う所あ

ったから反対はしなかったが(その点では商人らしいといえなくもない)、現王に恨みはない。むしろ評

価している。確かに郭把との確執が大きくなり、家族だけに余計にねじれてしまっている部分はあるが、

かといって今更毛廻などの言葉に迷わされる事はない。体よく追い返され、毛廻は顔に泥を塗られる格好

となった。

 こうなれば毛廻にも意地がある。軍がなければ困るとはいえ、こうまで好き放題されていては、いずれ

取って代わられる危険性もある。出る杭は叩いておかなければならない。郭申には一度思い知らせる必要

があると感じた。

 そこで今度は郭把へと接触し、こちらは互いの利害関係、そして感情が一致しているので容易く手を結

ぶ事ができ。北越に居る清楽(シンガク)、越豹(エツヒョウ)とも相談をして、利権争いは一先ず置き、

ここは一致団結して獅子身中の蟲である軍部を押えておこうと共謀する事となった。

 清楽、越豹も軍部からあれこれ言われる事に我慢ならなかったから、一つ返事でこれを承諾した。

 この四商の間に友情はなく、利害関係だけの間柄ではあるが、それだけにこういう場合の結び付きは強

い。国政のほとんどを握っている四商が本気になれば、流石の郭申も危ういと思われた。



 四商がまず考えたのは、軍部内を不仲にする事である。

 だがこれには郭申と清鐘の仲を裂くか、この二人の他に実権を持つ存在が必要だ。二将の仲は義兄弟と

して固く結ばれている。そしてこの二人の能力に及ぶような将は越には居ない。兵からの信頼も厚い二将

をどうにかする事も、その二人に対抗馬を出す事も、とても不可能であると思われた。

 こうして早々に計画は頓挫(とんざ)する。四商が打てる手だけではどうしようもない。無用に圧力を

かければ思い余って謀反を企てるかもしれず、手に負えなくなっている獣を刺激する事は、自殺行為とい

えた。

 ならばどうするか。ここは二将が同情を寄せる現王、越獅を持ち出すしかあるまい。越獅の言葉であれ

ば、例えその裏に四商が居るとしても、ある程度聞かざるを得ない。でなければ越獅の立場が危険になる

事を、二将はようく知っている。

 越獅が王でいられるのは彼が四商にとって都合の良い駒であり、安全な存在であるからで。もしそれが

変わるような事になれば、四商は越獅を排除する事も厭(いと)わないだろう。ある意味、郭申、清鐘と

いう二将に対し、越獅を人質に取っている格好である。

 特に郭申が西越に行っている今、軍の力は半減している。二将も思い切った手は打てず、結局は従わざ

るを得ない。

 ここでもし意を決して反抗に出てきたとしても構わなかった。謀反など充分に準備していなければ成功

するものではない。軍部にも二将が有能で、兵に好かれるが故に嫌っている者も居る筈だ。大勢を変える

ような影響を与える事はできずとも、牽制する事はできる。歯向かってくるとなれば、もう容赦はしない。

あらゆる手を使って二将を追い落とす。四商が本気になればどういう事になるのか、見せてやるのも一興

だろう。

 激してきたのか、四商の間には景気の良い感情も生まれているようだ。

 そして実際、それだけの力はある。

 何しろ四商は越のほぼ全ての物資を押えている。その力を総動員すれば、文字通り越を支配する事がで

きる。それが発揮されていないのは、四商の仲が良くないからだ。しかし今回は共通の利害の為に団結し

ている。その力を使う事ができるのだ。そうなれば軍とて劣勢に追いやられる事になる。

 軍が軍である為には、食糧、武器、衣服、その他様々な物資が必要だ。郭申も清鐘もそれらを揃える事

には慣れていない。結局は四商の後援あっての軍である。四商が潤沢に補給するからこそ、越軍は常に全

力を発揮する事ができていた。その後援なければ、軍を軍として機能できない。

 特に清鐘の方は自身が補給に長けている為、そういう事情をよく理解している。そして彼らが反抗する

ようであれば、越獅が無事でいられない事も。

 居ても役に立たず、それどころかこの王がいる事で余計な同情を生むのであれば、この際始末してしま

おうと考えるのは自然の流れ。

 王を生かし続ける為には、二将がその命に従うという事実が要る。二将を動かせる力があって、初めて

王に価値が生まれると言ってもいい。

 郭申も清鐘もこの事を気にする筈だ。無視できる筈がない。

 四商は策を定めると、すぐさま行動し始めた。やるとなればさっさと終わらせてしまうに限る。二将の

反抗も青臭い若造がよくやるものに過ぎない。高が知れている。四商は方策がつくと安堵(あんど)し、

その顔にせせら笑いさえ浮かべた。

 だが笑っていたのは四商だけではない。秦もまた、この状況を利とする。

 軍を動かすために必要な食糧物資が無いから、軍は自由に動く事ができない。ではそこに新たなる後援

者が出てきたとすればどうであろう。秦が彼らと手を結べば、それで解決する問題ではないか。

 いや、これだけでは足りない。越獅の命が危うくなるとなれば、二将は動けない。

 では越獅の命さえ保証できれば、越軍を味方にする事ができる、という事になるのではないか。

 秦が越に対して恐れを抱く理由は、その軍の精強さにある。二将の統率力、将としての能力も高く。同

じく精強さで定評のあった楓にも匹敵する、或いは超えるであろう。越内だけに戦場を限定できるのなら

ば、往時の孫軍にすら達すると言ってもいい。少なくとも五分の状況では秦軍が太刀打ちできる相手では

ない。

 特に先の呉韓との一戦で疲弊している秦軍では、勝つ事は難しいだろう。悔しいが、認めるしかない。

 だから手を拱(こまね)いて見ているしかなかったのだが、この軍を味方にできるとなれば話が違って

くる。無論、秦の支配下に置く事は不可能で、越に対して何かしようとすれば、必ず敵に回るとしても。

越の二将に恩を売れる事は、非常に大きな利益となる。

 外交、計略の幅も広がるだろう。

 例えば新領土の割譲を条件として、越獅の保護と越軍への補給を申し出る。二将には新領土での商売欲

も無いようであるし、呉と韓が実質滅びた今、その土地に執着し続ける理由はあるまい。

 越人全体の考えはどうあれ、この二将はその辺の感情がさっぱりしている。呉と韓に勝つ事を望んでも、

それ以上の事にはさして興味はないようだ。

 越獅もそうである。彼の立場を本来の王とできるのであれば、それ以上は望むまい。彼の言動からは野

望めいたものが感じられない。

 もし上手く領土の割譲を条件にできれば、当然越の力は弱まるし、新たに良い関係を築く事も可能だろ

う。そうなれば秦は双に集中する事ができるし、上手く楓と領土の交換をする事ができれば、越に対して

優勢な状況を作っていく事も可能である。

 どちらにしても秦に損はない。秦軍に被害はないし、越に内乱を起こす事ができるのだから、文句など

つけようがない。越もまた利用すればいい。何も今すぐ滅ぼす事を考える必要は無いのだ。少しずつ力を

削ぎ、秦が優位となる環境を築いていけば良いのである。

 それに楓と越ならば、そのまま生かし続けてもいい。

 楓にはさほど領土欲がなく、今の所集縁以外に興味はないようだ。王である楓流自身も信頼できる男で

あるから、こちらから余計な事さえしなければ、裏切る事は無いだろう。三功臣、甘繁とも友好を結んで

いる。最後まで利用できる。

 越もまた領土欲が薄い。元旧呉領に対してはあるようだがそれ以外へは薄い。王と二将に至っては元旧

呉領に対してさえ、ほとんどないようだ。特に二将は北越だけに篭っている方が防衛に関して有利だと考

えているようで、四商の無用な商売欲に対して不快の念を抱く理由ともなっている。

 この厄介な領土と引き換えに越獅の立場が磐石になるのだから、安い条件だと考えるかもしれない。越

は水運の権利だけでも充分潤うのだから、それさえ安堵してやれば、さほど煩くは言ってこないだろう。

ならばそのまま商人として生かしておいてもいい。水運は確かに便利であるし、そこからくる物資は秦を

も潤す。

 そういう点を考慮するに、越とは味方である方が望ましい。無論今の越では無理な話だが、越獅と二将

が実権を握った越であれば、文句は無い。そしてその新政権に恩を売る事ができるとなれば、益々好都合

である。

 ここまで辛辣ではないとしても、三功臣はそのように考え、評議にかけて賛成多数を得た。

 後は越獅をどうするかだが、それにも一つ考えがある。

 越獅を秦へ呼ぶのである。これは確かに簡単に出来ることではない。だが先例の無い事ではない。親善

の為に王自らが行く事も始祖八家時代には良くあった事だ。乱世になり、わざわざ敵国に赴くのは死にに

行くようなものだ、という風潮が生まれ、自然と廃止された格好になっているが、今もできない事ではな

いだろう。

 何せ四商にとって越獅は軽い存在である。そして今秦と敵対する事は四商にとっても良い話ではなく、

秦もまた今は余計な争いをしたくない事を、よく解っている。越獅という厄介者はいっそ秦に殺された方

が好都合とさえ考えるかもしれないし、実現の可能性は少なくない。

 こういうものを照らし合わせていけば、実現不可能な案ではない事が解る。

 二将が反対する可能性はあるが、この場合は好都合だ。今の四商であれば、二将が反対すればするほど

強行しようとする筈だ。

 越獅さえ迎え入れられれば、後は理由をつけて秦に止め置く。四商は不自然だと思い、異を唱えようと

するかもしれない。しかしそこに熱は無い筈だ。むしろ秦が越獅を捕えてくれれば好都合だと思い、秦の

為に動いてさえくれるだろう。

 後は二将を猛らせ、その結果として当然行うだろう行動に出させればいい。油断している四商を追い落

とす事など、容易い事だ。四商には越軍と渡り合える程の手勢が無い。

 この策に二将が乗ってくるかだけが問題であったが、三功臣は充分勝算があると見ていた。例え断られ

たとしても、それで害がある訳でもない。迷う理由はなかった。

 事が始まれば、誰もそれを止める事はできない。二将もまた、動くしかなくなる。




BACKEXITNEXT