15-4.越獅


 秦が二将に接触する。同時に四商にも根回しをし、策を成す為の準備を整えていく。

 越獅を秦に行かせる事はさほど難しくなく。四商は思っていた通りの考えを抱いたのか、秦の提案に同

意する事にもさほどの抵抗はなかったようである。無論、相応の見返りを要求したようだが、そんなもの

は微々たるものだ。

 しかし順調に進んだのはそこまでであった。二将に対しての工作が難航している。

 何しろ事が事である。例え現王である越獅の権威を高める、いや本来の姿に戻す為とはいえ、謀反を起

こすとなれば、躊躇(ちゅうちょ)しない訳にはいかない。血縁関係にある四商を追い落とすという事は、

流石に心情として受け容れ難いものがある。

 二将としては四商があまりにもでしゃばり過ぎているとは思っていても、それを廃しようとか、追い落

とそうという考えはなかったのだ。四商が越獅を廃しよう、暗殺しようと考え、行動に出れば話は別にな

ってくるかもしれないが、今の所二将の方から直接的な行動に出るつもりはない。

 ただし、迷いはあるようだった。二将は秦の提案を完全に拒否するようではなく、あまりにも極端であ

るから受け容れられない、とでも言うように、程度さえ相応しいものであるならば、彼らもそれに同意す

る事は吝かではないという風にも見て取れたそうだ。

 四商と二将との仲が悪化している事もあり、二将側も相応の危機感を抱いているらしい事が読み取れる。

 それを聞き、秦内からは、もう少し待つべきだったのかもしれない、という意見も出たが。すでに動い

ている以上、今更仕方のない事だ。方針が定まり、現実に動いている今、それを止めるにはよほどの理由

が要る。成功する可能性を失った訳では無いのだから、漠然とした考えで止められるものではなかった。

 秦は多少強引でもきっかけさえあれば二将は動くと自らを納得させ、越獅を秦へ招く案を進めさせる事

にした。計画通り越獅を(秦から見れば)保護する事で、二将の決断を促す考えである。

 これが成れば自然四商の思惑にも気付く筈で、二将も考えを変えざるを得なくなる筈だった。

 四商の側もそうだ。秦が越獅を捕らえるという行動に出れば、彼らは当然二将との共謀を考えるだろう。

例えそうならずとも、そういう考えに導く事はできる。二将を説き伏せる事は無理でも、四商を説く事は

そう難しいとは思えない。そして一方を動かせば、もう一方もまた動かざるを得なくなる。四商を動かせ

ば、二将もまた動くしかない。

 秦はこの策を強引に推し進めていった。そこに焦りがなかったかと問えば、ないとは言えない。しかし

それもさほど大きくはなかったろう。秦は強引ではあったが、冷静に進めている。逸ったりせず、計画的

にそれを進めていた。

 秦にも確信があったのだろう。この策は必ず成功すると。そうでなければ、もう少しゆっくりと進めて

いた筈だ。秦の態度は自信の表れともいえる。

 それを証明するように、四商への工作は問題なく終り、越獅も彼らに逆らう事はできないから、何も知

らないまま秦を親善の為に訪れる事に決まった。越としても今は争いを避けたい所であるし、特に秦との

仲を悪化させる事は望んでいない。その事は越獅も重々承知している筈であるから、特に反対しなかった

という推測もできる。

 越獅もまた、越の事を考えている。自分の力が小さい事を知っているが、できる範囲の中で、努力しよ

うとはしている。そしてその点が二将の同情心を強くさせたのだろう。

 彼は自分というものに諦めてはいるが、それを放り出さず、全てを受け容れている。もしかしたら、例

え秦で何があったとしても、それはそれでいいとさえ覚悟していたのかもしれない。越獅は愚かではない。

秦への訪問がただそれだけでは済まない事を、おそらく悟っていた。

 結局、反対意見を出したのは二将のみであるようだ。しかしこれも秦の予定通り。計略ではなく、二将

は純粋に越獅の事を不安に思い、反対意見を出しているのだから、余計に効果があった。四商はその意見

をわざと無視するように、秦との間で期日を正式に定めたのである。

 こうなれば誰もその意を変える事はできない。二将は不承不承ながら承知し、せめて護衛を増やす事を

進言したが。それさえ二将の四商に対する個人的な反抗だと誤解され、護衛には経験が浅く、そして二将

の息がかかってない者が選ばれている。

 二将はそこにはっきりとした悪意を感じ、心底腹を立てたようだが、彼らの意見が入れられる事はなか

った。それを聞いて兵も激昂したようだが、それがかえって二将を冷静にさせ、兵達を宥める役に回させ

ている。兵を暴発させる事は、二将の最も危惧(きぐ)する所。

 だがそうしなければいけない自分の立場に対して、彼ら自身どう思っていただろう。おそらく不条理に

は感じていたに違いない。


 越獅が秦へ出発する日が来た。

 二将は表面上は大人しくしているものの、諦めた訳ではないようだ。四商に断りなく兵を動かし、護衛

の護衛とでもいうようなおかしな形にして、護衛の数を強引に増やしている。

 四商はそれに対して反発し、抗議をしたが、兵権を握っている二将が強硬に出てくれば、流石にいくら

かは譲歩せざるを得ない。兵への工作も大きな成功を収めている訳ではないし、兵の大部分は二将に対し

て好意的である事は依然変わらない。

 それに王を護る為に出された兵であるのだから、四商も強硬に反対する事はできなかった。最後には折

れ、護衛の増員を認めている。

 ただし交換条件を出した。増員は四商の準備した護衛部隊の半数までとし、その理由にこのまま際限な

く増やされても補給が追いつかないという点を挙げている。これは勿論二将に好きにさせない為の方便で

あるが、そう言われれば強く言えなくなる。補給物資を四商に頼っている以上、二将もまた遠慮する必要

があった。

 この二派の関係はこういう点である意味釣り合いが取れている。お互いがお互いに依存している関係で

あり、だからこそ仲の良い内は良いが、悪化してくるとどうにも上手く回らなくなる、という欠点を持つ。

 例えれば両輪がそれぞれ別の方角に向かうようなものか。同じものを背負い、同じ場所に行く事しかで

きないのに、それでも我を張って双方が別の道を通ってそこへ向かおうとする。これでは真っ直ぐ進めら

れる訳がないし、いずれ無理をきたして自壊してしまうのも、道理といえた。

 このように暗雲立ち込める中、越獅の秦行きが進められる。

 当然秦側からも護衛が送られて来ているし、宿舎なども完備され、道中の警備もいつも以上に厳しく、

不逞(ふてい)の輩(やから)が何かできるような隙は一つも見えなかった。越側は秦の対応に充分満足

し、その代償として少しずつ危機感を失っていく。

 これもまた秦の狙いであったのなら、やはりしたたかで計画的だったと言わざるを得ない。全く冷静さ

を失っていないといえる。

 そして道程も滞りなく進み、越王は秦都咸陽(カンヨウ)へと無事到着した。


 古来より大陸では川や湖など水辺の北側、そして山や丘などの南側を陽と呼んだ。この都市は防衛と交

通の便を考え、北に山、南に川を持っている。その為、咸(みな)陽である、という意味で咸陽(カンヨ

ウ)という名が付けられたと伝えられている。

 ただし北にある山はそう高くなく、南にある川も大河悠江(ユウコウ)の支流の支流といった様子で、

大きな船が出せる程には広くも深くもない。

 西方のほとんどが草原に覆われていて、全体的に高低さのあまりない地形であるから仕方の無い事かも

しれないが。もしかしたら元は別の場所に造られた都市であり、それが何らかの理由で今の場所に移され

たのではないか、という説も出ている。

 この都市自体の歴史は古く、秦王朝以前からあった名でもある為、その説もまたそれほど突拍子の無い

ものだとは考えられていない。

 まあ要するに、よく解らないという事だ。その名前程堅固な場所ではないと覚えておけば、充分である。

 咸陽は長い年月の間に様々に整備されており、西方の一強国の都らしく治水工事なども大規模に行われ、

水害や山崩れが起きた事はない。気候も穏やかで、一年を通して割合平和な場所である。訪れるのに不便

は無いし、王が滞在するに何も不都合な事はなかった。

 しかし数日もすると越側は違和感を抱く。越獅を手厚く王邸へ迎えたのは良いとして、外出も許されな

ければ、越独自で何かをする事もできず、秦を通さなければ連絡も取れないとは、少々出過ぎているので

はないだろうか。

 手厚く遇してくれている事に文句はないし、現実に大きな支障がある訳ではなかったのだが、一々の事

に口を出し過ぎる。これでは軟禁されたようなものだ。そんな気分に至るまでには、さほど時間はかから

なかった。

 実際、軟禁されていたのだから、そう考えない方がどうかしている。

 越側から何度も苦情を出し、改善するよう求めたが、秦側は全く取り合わない。礼儀正しく返答するも

のの、結局何も聞いてくれない。

 次第に越側も秦の意図する所に気付き始めたが、その理由が解らず、まさか一国の王に対してこのよう

な事を、という半信半疑の考えもあり、結局対策を練ろうと考えるまでに一週間程も時間がかかっている。

これは明らかな職務怠慢であるが、そもそもそういう者達を越獅に付けたのだ。これも当然の結果であった。

 ここからも四商の中に、いっそ秦が越獅を・・・、という思惑があった事が察せられる。厄介な存在に

なりつつあった越獅を、この機会に他国が葬(ほうむ)ってくれれば、四商としてどれほど楽か解らない。

その為に秦との関係が悪化する事になったとしても、秦の悪行を理由に双や他国の協力を得られるかもし

れないし、大陸的に見て、秦の立場もはっきりと悪くなるだろう。それと越獅の命が引き換えならば、四

商人にとって損な取引ではない。

 しかし秦はあくまでも軟禁状態に止め、越獅自身が滞在期間を伸ばす事を望んでいる、という事にして

四商が期待したような行動に出る事なく、越側に対して越獅を人質として交渉に出てくるような事もしな

かった。

 四商は不可解に思いながら、体面を保つ為に秦に対し抗議を繰り返したが、結局その意図を理解しない

まま、徒(いた

ずら)に時間だけが過ぎていく。

 しかしそこに秦が二将に対して接触しているという報が入り、ようやく全てを理解した。二将が秦と結

び、唯一つの不安要素である越獅を保護させ、その間に事を為すつもりなのだと。勿論、これは秦側が察

知されやすいように敢えて大々的に行ったもので。二将と接触したといっても表敬訪問のようなものだっ

たのだが、四商は上手く誤解してくれた。当然、二将に誤解させる為、四商側にも同様に接触している。

 こうなると二将が四商を疑い、四商が二将を疑うという構図が出来上がるまでには、多くの時間を必要

としない。以前からお互いに疑っていたのだから、ほんの少し突付くだけで、張り詰めていた感情を爆発さ

せる事ができる。

 二将はまだ冷静にこの件に対して調査を始めたようだが、四商の方はそうはいかなかった。彼らは二将

に対して決定的な不信感を抱いている。それでも越にとって二将の力が有用であるから、今まで我慢して

きたし、実際その方が利も大きかった。

 しかしこうして二将が直接的な手に出てくるのであれば、四商と権力争いを本気でしようと考えている

というのなら、最早容赦はしない。

 まさか秦を利用するとは考えていなかったが、そこからくる恐怖も四商の火に油を注ぐだけであった。

 四商はその権威を持って二将を将軍の座から退かせる事を決め、それを軍部へと正式な手続きによって

通達したのである。

 燃え上がったのは兵達だ。その激しさは以前の比ではない。気の短い者は逸って行動を起こそうとした

が、即座に捕らえられている。四商は充分に備えておいてから、行動に出たのだろう。こうして不満を持

つ反乱分子を処分し、用が済めば王自らも亡き者にし、邪魔者を全て始末した後、自分達の力を更に強め、

遂にはこの国を完全に乗っ取ってしまうつもりなのだ。その時には二将の命も無い。

 しかしそれでも二将は冷静に事態を眺め、兵を宥めながら、こちらも正式な手続きによって四商へ抗議

し。今は越獅の事こそ大事であるし、王不在の今、かかる重大事を勝手に決める事は越権行為以上に王位

を無視する行為だと主張し、皆が自重するよう望んだ。

 四商の方はこの意見を受け容れる所か、益々腹を立て、憎しみを募らせている。抗議は公然と四商に敵

対する意志であると理解し、最早憂慮ならぬと二将を合法的に始末できる策を練り始めたのだ。何しろ実

権を握握っているのは四商である。彼らが望むなら、王の不在など何の抵抗力にもなりはしない。

 王自身に王不在の時は全て四商に任せるという委任状も書かせているし、それを持ち出されれば二将の

抗議など何の効力も無かった。それが正しいとか正しくないとかではなく、法の上では勝ち目が無いので

ある。いくら功績があろうとも王の信任厚かろうとも、郭申、清鐘、どちらも一人の将に過ぎない。その

権利は軍に限り、政治に対する法的な権限は認められていない。

 そういう意味では、二将の方こそ越権行為と言えた。

 四商は容赦も躊躇もしなかった。法を盾に取って四商同意の上で郭申、清鐘から兵権を取り上げ、謹慎

を命じた。これは紛れもない国家としての命令である。

 二将も国命に逆らう事はできない。もしそんな事をすれば反逆者となるのは彼らの方である。例え何を

したとしても、反逆者となった者に付くような物好きは限られてくる。例え二将を個人的に好んでいても、

それで反逆者となった彼らに味方できるかはまた別の話だ。どうしても勝算は薄くなる。まだ王が居れば、

王を担いで事を起こす事もできたのだが、秦の策がかえって裏目に出てしまっていた。

 二将も迷いはしたが、結局決断を下す事はできなかったようだ。元々謀反を起こしてまで越を変えよう

という意志もなかったようであるし。越獅に対しての気持ちもあくまでも同情であって、その立場を良く

したいとは思うが、その為に内乱を起こすような事は全く考えていなかったのかもしれない。

 そういう事を想像しなかったとは言わないが、隣国には秦と双という強国が居る。このまま越が大きく

乱れるような事になれば、何を考えるか解らない。秦もまた、これを狙っていたのではないか。上手い言

葉で乗せておいて、目障りな越を弱体化し、その上で滅ぼすつもりだったのではないか。

 二将は秦の策略にはそういう意図があると見ていた。越獅に政権を執らせる事が目的ではなく、越を分

断して混乱させる策と考えていたのである。

 流石にこの二人は秦の言葉を鵜呑みにする事はなかった。裏の裏までを考え、あくまでも慎重に答えを

出した。この場合はそれがかえって仇となってしまったとも言えるのかもしれないが。それをそう言って

責めるのは、余りにも酷薄である。

 前述したように、秦の意図に裏はなかったが。それを信じられなかったといって、二将を責めるのは筋

違いというもの。この場合容易く信じる方が愚かであり、大抵の者なら二将と同じ行動を取っただろう。

自分にとって都合の良い話は信じたいが、だからこそ疑うのも人間である。

 それに相手は秦だ。越獅にそれほど肩入れする理由が見付からない。秦の事など初めから信用していな

いし、これまでの行動を見るに、次に敵対するのは秦であるとさえ考えている。そんな二将が秦を信じる

方が不自然であった。

 だからここで四商に怒り、行動に出る事は秦の思う壺になると変わらず信じた。本心を言えば、こうな

ればいっそ、という想いがなかったとは言わない。しかし罠と考えられる以上、どうしてもそれをする事

はできなかった。愚かしい一人相撲といえばそうだが、一体誰が彼らを笑えるだろう。

 二将は四商への弾劾文こそ取り下げなかったが、国法には逆らえぬとし、表面上はそれを受け入れ、将

軍位から退く事を受け容れている。

 ただし、引継ぎの事もあり、すぐには退陣できないと申し立て、時間を稼いだ。彼らがその期日を明確

に定めていないから詳しい事は言えないが、最低でも月単位の時間は必要だと述べ立てているようだから、

一月か二月は居座る腹であったと考えられる。

 そうして越獅を何とか助け出し、四商に対抗しようと考えた。或いはそのくらいの時間を稼げば、秦の

意図を崩せると考えたのだろうか。

 どちらにせよこの行為に対し、四商は反対する。時間を与えるのは仕方ないとしても、余りにもそれが

長すぎる。二将の意図は明白である。四商が目先の利益に眩む所があるとしても、それが解らぬ程愚かで

はない。

 再び二将と四商の間で争いが始まったのだが、これは簡単に決着の付けられる話ではない。結局はずる

ずると続いて行く事になり、二将の目論見通りとなるだろう。確かに内乱を起こさずに現状を維持する為

には、もうこの手段しか残されていなかった。良策ではないが、他に方法を考え付けない。

 急ぎこの問題を解決する必要がある。二将は情報を集めた。

 越獅の安否も気になる。秦があのような行動に出たからには、すでに話は付いていると考えるのが当然

で、二将に心当たりが無い以上、その相手は四商という事になる。うかうかとしていれば、越獅の身が危

ない。最早形振り構っていられないと二将は強く感じていた。

 この時点で二将は越獅に対し、同情ではなく、もっと強い使命感のようなものを抱いていたようだ。二

将は懸命に活路を見出そうと努力したが、ここで一つ大きな問題が発生する。

 四商の行動が兵に予想以上の刺激を与え、沸騰させてしまったのだ。最早二将を信頼する兵達は怒りを

隠そうともせず、堂々と四商を非難し、我らが手で打ち倒すべきだと、彼らだけで行動を始めている。

 二将は当然、今動けば秦の思惑通りに事が運んでしまう、と説得したのだが、今更何を言っても無駄で

あった。兵らもまた自分の想いに対し、好意以上の使命感を感じていたのである。

 四商はこういう点で愚かであった。兵達は二将が居て抑えていたから我慢していたのだ。つまり二将こ

そが四商を護る盾になっていたのであり、その二将を自ら除こうというのだから、全く愚かな話である。

 兵達の抑えが効かなくなり、その上に軍内部が二将派、反将派に別れ、怒りの捌(は)け口を求めるよ

うにして互いに争い始めたのだから堪らない。軍部は困窮を極めた。

 こういう状態にしない為に二将もまた強引な手を用いたのだが、こうなってみればそれもかえって状況

を悪くしたと言える。両者の打った手全てが裏目裏目に出、このままでは大規模な内乱に発展する事は必

定。二将がどちらに賛意を送ろうとも、結局最後まで戦うしかない。

 それを単純に言えば、越の軍事力が半減するという事であり、予想していた最悪の事態以上のものを招

く事になる。

 止める力も無い。暴発した集団を止める事は不可能だ。法であれ、権力であれ、荒れ狂う人の群れの前

には全てが無力。一度暴走したものは、その力を全て使い尽くすまでどこまでも走るのみ。

 二将も腹を括(くく)るしかなかった。

 もう避けられないのなら、秦の策に乗るしかない。二将の努力は全て無駄になった。後は流れに身を任

せる以外に、兵の統制を執る方法はなかったのである。

 二将は当然のように二将派に寄り、その力を持って瞬く間に軍部を掌握し、その全てを得られた訳では

なかったが、反乱を成功させるに充分な兵力を整え。北越、西越それぞれで清鐘、郭申が四商へと牙を剥

いた。

 四商も黙ってはいない。反将派の兵を集め、二将軍が補給に難があるだろう事を思い、持久戦に移った。

こうしていればすぐに音を上げると考えたのだろう。

 それに思ったよりも兵が集まらなかったという事もある。二将が二将派に味方しない内は良かったが、

二将を敵に回して勝てるとは思わなかったのか、反将派から寝返る者、逃亡、身を隠す者が多く出ていた。

だから二将側が飢え、自壊するのを待つしかなかったのだ。

 しかしそれに反して二将軍は全く乱れる事無く、統制の執れた行動を続けた。約束通り秦が二将軍を援

助したからである。

 唯一の不安要素の消えた二将軍に、四商軍が勝てる訳が無かった。戦う度に劣勢に落とされ、程無く逃

亡、降伏する将兵が続出、最早軍としての形を保てなくなり、四商はそれぞれ捕らえられ、座敷牢へと幽

閉されたのである。

 そしてそれと歩を同じくするようにして越獅が秦から解放され、喜びと共に迎え入れられた。

 こうして越は四商から越獅と二将へ政権を移し、新体制となって運営されていく事になる。

 この一連の乱によって少なからず兵力と国力を減じたし、四商以外にも越内には大商人が居り、その間

にはまだまだ不穏な空気が漂っているようだが、ともかくも事は成されたのである。

 いつもそうであるように、終わってみればあっけないものであった。



 楓流は越へ祝賀の使者を送ったものの、内心穏やかではいられない。

 確かに秦の打った手は悪いものではない。しかし最上、いや上策とさえ言えない。これでは秦の負担が

大きいし、あまりにも強引過ぎる。三功臣はこのような策を使うような人達ではなかった筈だ。何故こう

も早く事を進めようとしたのだろう。

 年齢からくる焦りだろうか。

 三功臣は皆若くない。まだ元気であるし、悪い所も見られないが、そろそろ後の事を考えてもおかしく

ない年齢である。むしろ考えるのが当然と思えた。彼らには死が迫るのを感じる時期が来ている。だから

こそ改革を進めたとも言えるし、楓流に半ば強引に秦姫を娶らせたのも、そういう所から来ていないとは

言えない。

 改革は成され、今も変わって行っているのだが、未だ三功臣が柱である事に変わりなく。もし彼らに何

かあれば、今まとまっているように見える秦も、どうなってしまうかは解らない。

 下手すれば三功臣の死と共に瓦解する恐れもあるし。魯允(ロイン)という揉め事の種も健在だ。

 特に中心人物である張耳(チョウジ)が居なくなれば事態は深刻になろう。だから少々強引であっても、

隣国の脅威を去ろうとしたのかもしれない。

 ここに秦の苦しい内情が浮き出ている。

 同じ老齢であり、三功臣以上の権威を持つ斉の姜尚が三功臣と相反するように危険を避け、着実に国力

を増しつつあるのとは対照的だ。

 楚、斉共に安定しており、例え姜尚が居なくなっても、打撃は受けるとは思うが、瓦解するような事は

まずないだろう。姜尚の政策はすでに完成している。後はもう誰が行っても、不正でもしない限り、それ

が頓挫するような事にはならない筈だ。

 後継者育成にも力を注いでいるようで、未だ無名の者ばかりではあるが、その能力には疑うべき点はな

い、という話も入ってきている。

 姜尚には死を身近に感じてもそれで焦るような必要性はなく、その点で恵まれていた。三功臣よりも優

れていたというのは言い過ぎかもしれないが。秦の状況が、安定期に入っている楚斉とは比べものになら

ない事は確かである。そういう点でも、姜尚の手腕は大いに評価すべきだ。

 秦が急いだのは、早く安定期に入りたかったからだ。何も不安を抱かず、安心して後を托せられるよう

に。そうとでも考えなければ、秦の行動に説明が付かない。これは三功臣の焦りが生んだ結果だろう。

 今後も秦は性急な行動に出てくる可能性がある。今回だって領土割譲という条件を出せたものを、先走

った為、越との間にそういう交渉ができていない。言わば秦はただ働きである。

 例え越に恩を売れたとしても、越獅と二将の性格からそれを無下には扱わないと考えられても、これで

はあまりにも代償が大きかったのではないか。このような策を使えば各国からの印象も悪くなるし、三功

臣が考えていた以上に失ったものは大きかったのではないか。

 楓王としては西の大国である秦が疲弊するのは好ましいとしても、私人としての楓流にとっては喜ばし

い事ではない。妻を娶った国でもあり、そこに様々な気持ちがあるとしても、張耳には恩義を感じている。

 そういう思いがあって、秦を不安に思う気持ちが晴れる事はなかった。

 すぐ近くで一連の流れを見ていた双の動きも気になる。秦に行かせたのなら双にも王を来させよ、など

とまた無理難題を言いかねない。

 楓流が双正に頼めば何とかしてくれるかもしれないが、双正を動かす事は出来る限り控えたい。彼を頻

繁に動かす事は、相当な危険を伴う。双臣がもし何か感付きでもしたら、大騒ぎになる筈だ。いつかはそ

うなるしかないとしても、今はまだ避けておきたい。今はまだ、それを上手く乗り切れるだけの力が、楓

にはない。

 ともあれ、楓は楓で当初の目論見通り、領土の交換を進めていかなければならない。越の件でごたごた

しており、なかなか進んでいなかったが、それが落ち着いた今、進める事ができる。

 しかしそれが困難である事は言うまでもない。いくら根回しをし、準備をしたとはいえ、蓋を開けて見

なければ、どうなるかは解らない。

 正直な気持ちを言えば、楓流には秦を心配しているような余裕は無かった。むしろ彼の方にこそ、苦難

がある。




BACKEXITNEXT