15-5.一つの道筋


 幸い、中央に居る元呉韓の民は楓流に好意的だ。

 彼が行ってきた統治法は彼らの法を無視するものではなく、むしろ従来の法を尊重し、それに応じたや

り方を採っていた為に、大きな不満は出ていなかった。ここに衛統治での経験が生きているといえよう。

 だから例え今それを布告したとしても、彼らは驚き騒ぎはするだろうが、それで楓を打倒しようとか、

再び呉と韓で独立しよう、という動きにはならない筈だった。

 これも希望的観測に過ぎないといえばそうなのだが、どちらにも王がおらず、主だった者達も大体掌握

できている。その者達が行動を起こそうとしても、未然に防げるだけの自信はあった。

 後はその理由をどうするかだ。秦と領土を交換できるだけの理由、なるべく多くの人を納得させられる

理由、それを今悩んでいる。

 このような大事を行うには、やはりそれなりのものが必要であるし。その後の待遇など細かな事もしっ

かりと定めておき、民が安心して受け容れられるようにしておかなければならない。現状楓の統治に不満

がないのだから、より慎重に行う必要がある。不満が少ないという事は、つまり変化を嫌うという事に繋

がるからだ。

 そう考えれば、この場合の楓流の統治は失敗だったといえるのかもしれない。皮肉な考えだが、そうと

言われれば、そうともいえる。

 何とか穏便に進められるよう三功臣や甘繁と使者を介して、或いは直接に何度も話し合っているのだが、

これという案が出ていない。

 そこで、呉韓の領土を得たのは楓と秦だけではないのだから、楓と秦だけで考えていた事がそもそも間

違いであったのかもしれない、と思い直し。いっそ越と双も交えて、もう一度初めから領土の分配をやり

直そうではないか、という話になった。

 この突拍子もない案を出したのは、甘繁である。西方の内情を良く知り、中央の情勢も知っている彼な

らではの答えであったと言えるだろう。無茶ではあるが、確かにそうとでもしなければ、どうにも解決で

きない問題である。

 元呉韓の領土内では、様々な出来事の結果として、実に複雑な人々の移動があった。それが望む望まな

いに関わらず、実に多くの移転や逃亡がある。その為に家族と離れたり、土地を失ってしまった者も少な

くない。国としてではなく、個人としてそれを失った者が少なくないのだ。

 そこにはようやく落ち着けたという者、どうにかして元の土地を取り戻したいと思う者、様々な人間が

生まれ、そのそれぞれに主張があり、譲れないものがある。

 だからこれからそこを治める国家が何をどうするにしろ、その者達をどうにかして納得させる事ができ

なければ、どうにもならない。全ての問題はそこに帰結し、結局土地の問題を解決する事が、唯一の解決

法であり、全ての国家が行わなければならない方法だと甘繁は考えている。

 これは面倒で恐ろしく時間がかかる方法ではあったが、一理ある案であると思われた。それに他にこれ

に替えられるような案はなかった。

 だがこれを成すには、越と双の協力が不可欠である。呉韓との一連の戦に関わった全ての国々の協力が、

どうしても必要である。これを実現させる事は困難を極め、交渉の難解さを思うと今から頭が痛くなって

くる。

 しかし他に有力な案が無い以上、ともかくやってみようという事になり、楓と秦が協力して、双と越に

話を持ちかけた。

 この難題に楓流が使ったのは、当然、明開(ミョウカイ)である。

 明開はこの使命を耳にした時、実に複雑な顔をした。それは自分ならできるという自負、しかし失敗す

る可能性も大きいという不安、そして難航して当たり前の事をやらなくてはならない理不尽さに対する苛

立ち、などが入り混じった結果だったのだろう。

 確かにこれを成せば明開の声望は確固たるものになる。楓に欠かせぬ人材として国内で認められ、他国

へもその名が知れる事になるだろう。

 しかし商人としての彼が冷静に考えるならば、これは藁をもすがる思いで出された苦肉の策であって、

正直言って賭けでしかなく、商談としてはまず応じられないものであった。

 儲かるか儲からないか解らない話をする事を商談とは言わない。まず儲かるという前提があって、その

上でではいくら儲けられるのかを交渉するのが商談というものだ。

 だから商人であった頃の彼ならば、絶対に引き受けない話であったろう。

 だが今の彼は一介の楓臣。それも新参者である。幾つかの仕事をこなし、いくらかの名声は得ているが、

ここで大仕事を断れば、何を言われるか解らない。楓流もまた考えていたよりも頼みにならぬと思い、明

開の存在価値を下げるかもしれない。宮仕えする以上、決して退けぬ時がある事も、明開は重々承知して

いた。

「承知いたしました」

 故に、そう応えるしかなかったのだ。いくら馬鹿らしいと思えても、昔とは立場が違う。それに何であ

れ大きくなる為にはある程度の無茶をしなければならない事も知っている。いくらかの地位まで上らなけ

れば、商談にもつけない事を明開はようく知っているのだ。我を張れるのは、力あってこそ。

「感謝する」

 楓流も流石に無茶を言ったと考えたのか、この時詫びの言葉をもらしている。

 そして、続ける。

「双の事は任せておけ。お前は越に専念すればいい。双の同意を得て臨めば、越とて色よい返事を出さざ

るを得なくなる。無論、困難には変わらぬが、不可能ではなくなる。後は腕の見せ所である。腕ならば、

売る程の自信はあろう」

 そう、楓流は奥の手を使う事を決めたのだ。双正から捧げられた権限によって、双に命ずる。この約定

を結び、我らに協力せよ、と。

 出来る限り使いたくはないのだが、今使わなければどこで使う、という気持ちがある。おそらくまとも

に当たっても、相当な利を見せない限り、双は首を縦に振らないだろう。しかしそれだけの利を見せる事

は今の楓には不可能だ。秦も大して出せまい。ある程度双と越に好条件を出す事はできるが、それもさほ

ど大きな利にはならない。

 余りに双越に利を与え過ぎれば、今度は楓秦内に不満が生まれるだろうし、民へ与えられるものがその

分だけ少なくなる。そうなれば新たな問題が生まれるだけであるし、元呉韓の民を納得させられるような

案を提示できなくなるだろう。

 だから多少強引な手を使わざるを得ない。通常なら騙すなりするしかない所だが、幸か不幸か楓流には

奥の手がある。これを用いれば、どんな事でも叶うという魔法の手。いや、相応の反動を覚悟せねばなら

ぬ事を思えば、呪法の手とでも言うべきか。

 しかしそれがどんなものであれ、手はあるのだ。

 後の事が心配になるが。それくらい乗り越えてみせる、という気概もあった。いずれにせよ、双を自在

に動かせるようにならなければ、どうにもならなくなる事態が訪れる事は、目に見えている。どういう道

を進むにしても、大国となった双は後々邪魔になるだろう。楓がどう進むにしても、これは乗り越えなけ

ればならない問題である。

 楓流はまだ幸運だといえる。



 双へと新領土を得た祝賀の使者に見せかけた密使を発し(なるべく隠したいという心情の表れであり、

この辺からも楓流の苦悩の大きさが見える)、当然のように双正の内示を得る事ができた。後にこの件に

関する使者を改めて出すのだが(先の使者とはまた別である)、これは形式的な事に過ぎない。双正の同

意を得られた以上、双は動く。双正が強く望めば、誰もそれを退ける事はできないからだ。

 王だけでなく、重臣達にも工作しておいた。双正の独断ではなく、重臣達の同意によってそれが成され

た、という形にもっていきたいが為である。楓流は涙ぐましい(半ば無意味な)努力をしている。

 幸い彼らの操縦には慣れている。趙深の力も借り、必要な箇所にはほぼ全て手を入れた。

 とはいえ、全てが上手くいった訳ではない。双は趙深が居た頃とは大分違っているし、重臣達は総じて

気が大きくなり、欲が増している。だからこそ付け入る隙があるのだが、要らぬ知恵を得た者もおり、最

終的に半分成功していれば上出来といった所か。これではさほど大きな効果は得られないかもしれない。

 だが例えそうであったとしても、何もしないよりはましである。重臣達の反感をいくらかは抑える事が

できるだろうし。出来る限りの時間をかけて、丁寧に行った。

 そして程無く双は楓秦に同意する旨を公にする。こうなると越側も考慮せざるを得ない。秦には恩義の

ようなものもあるし、越にとっても新領土の統治は頭の痛い問題だ。四商が残したつけのようなものが残

っていて、越に対する憎悪を抱いている者も少なくなく。越獅、郭申、清鐘という主だった面々もこの案

を前向きに検討する事に同意している。これは言葉だけのものではなく、上記の理由から、信用できる。

 明開もこれだけ取り付けられれば面目を保つ事ができ、具体的な交渉に移る事が可能だ。越や双との交

渉はこれで終りではなく、細々としたものがまだ多く残っている。むしろこれからが本番である。同意は

あくまでも同意であり、そこからが交渉の始まりなのだ。

 しかしこの同意が一つの大きな分岐点であった事は間違いなく、一山は越せたといえるだろう。後は明

開に任せ、楓流は余計な口出しをしない方がいい。

 こうして楓、秦、双、越を交え、大規模な土地の再分配が行われる。国と国の戦が主として土地を争っ

て行われるものである以上、これが簡単に行かない事は、誰の目にも明らかであった。



 協議の末、変えるのは最低限の箇所に止め、出来る限り現状のままで行く事が、まず提案された。

 動かせば動かす程問題が増すだろう事は明らかなので、どの国も同意している。それから集縁一帯と中

央の元呉韓領が交換される事も改めて了承され、これに関しても滞る事なく話は進んだ。すでに同意され

ていた事であり、今更反対するような者はいない。双、越への根回しもすでに済んでいる。

 問題はここからだ。

 互いの国境線を意識し、統治に無理のないよう細々と交換、修正が加えられ、正式な国境が定められる

までは、まだ大きな問題は出なかった。国境をきっちり定める事は、どの国にとっても重要な事であった

し。その為ならばある程度譲歩してもいいという姿勢を、今戦をしたくないが為に、どの国も持っていた

からだ。

 しかし話が民の土地所有問題に触れると、途端に議論が白熱し始めた。

 民に土地を戻すという事は、その分国有地が減るという事である。無論税を取れるし、働き手を得られ

る事は国にとっても悪くない事であるが。すでに褒美として別の者に与えている土地も多く、それを今更

取り上げて元の持ち主に返すなど、できない相談であった。

 もしそんな事をすれば、自国民から大きな不満が上がるだろう。戻って来た民と、新しく入ってきた民

との間に確執も生まれるだろうし、特に越が不安である。何せ呉越の民が同じ場所に住む事になるのだ。

問題が起こらないと考える方がどうかしている。

 双もまた細々した事を行うのは面倒であり、そういうものは全て秦や楓が行えとでも言うように、そ知

らぬ顔をして全く協力的ではない。しかしいい加減に聞いているように見えて、双にとって利のない案を

提示しようものなら、一転して火のように不満を吐き出してくる事だろう。彼らは双正の命だからこそ仕

方なく従っているのであって、個人としては全く納得していない。秦や楓に対する情けなど初めから持ち

合わせていないし、協力的になれという方が無理である。

 議論は平行線を辿るのみとなり、このまま続けても互いに悪感情を大きくするだけなので、とにかく話

は民の意を聞いてからという事になり、細かい事は置かれたまま、交渉の席は一時下げられる事になった。

 肝心な事は宙に浮いたまま、とにかく定められた事だけが布告された訳だが、当然のように大きな反響

があり、その全てが友好的な反応だとはとても言えない。中には公然と反意を示し、武力介入も辞さない

と息巻く者までいるようで、そのほとんどが口だけだとしても、そうしない者がいないとは限らない。

 将の中にも折角得た土地を、例え他に同程度の土地をもらえるとしても、今更手放し移動せよなどとは

余りにも我らを無視した取り決めと、楓や秦に恨みを抱く者も少なくなかった。

 特に西方の元呉領内の反感が目立つ。やはり呉と越の間にある憎しみというのは、簡単にどうこうでき

るようなものではない。呉が滅ぼされてしまっただけに尚更元呉民は深い恨みを抱いている。感情の問題

であるだけに、単純な利害損得だけでは解決できないだろうと思われた。

 越はこの難題を前に非常に困っており、こんな事態を引き起こした秦と楓に対しても少なくない恨みを

抱いた。越王と二将はまだ受け容れているようだが、他の将兵や民にとってみれば黙って受け容れろとい

う方が無理な話である。秦への恩義があるといっても、言ってみればそれは王達の個人的な問題であって、

彼らの与り知らぬ事だ。そんなものを盾にしようとも、火に油を注ぐだけだろう。

 彼らも流れに従い、それに同意さえしているのだが。実際に迷惑を被る身となってみては話が違ってく

る。不満は一方ではなく、これをきちんと解決できなければ、越獅達はその資質を疑われる事になるだろ

う。将兵や民の心が離れれば、新政権も瓦解してしまいかねない。

 二将が軍部を抑えているから、ちょっとやそっとで崩される事はないとしても、初めから政情が不安定

であるようなら、その政権の先行きは決まっている。将兵と民の期待に応えられないようでは、王たる資

格は無いのである。

 とはいえ二将もまた商人、ただでは転ばない。これは秦に協力の代償として求められた事であり、越獅

は苦悩しつつも受け容れるしかなかった。しかし勿論秦に屈した訳ではない。王はあくまでも戦い、民に

対して有利な条件を得るべく懸命に動いておられる。というように、民の間に王への同情を、そして不満

を秦や楓への敵意へと転化させるよう工作し、怒りと不満を逆に利用しようとした。

 彼らも真っ直ぐなだけではないようだ。四商の陰に隠れていたが、政治的な考え方もできる。そして才

もあり、実務能力もある。そんな二人ががっちりと手を組み、越獅という英邁(えいまい)だろう王を補

佐している。これは秦が考えていたよりも、遥かに大きな代償であったのかもしれない。

 だが今回はその程度の工作で丸く収まるような話ではなかった。この領土の問題を、国家間の領土交換

ではなく、言わば民を交換する事で解決しようとしているのだから、当然のようにその不満を完全に抑え

る事はできない。国民に直接関わる事である以上、より多くの非難を浴びる事は避けられない。例え上手

く余所へ矛先を向けさせたとしても、いつまでも残り、全てをそちらへ逸らせさせる事など、とてもでき

ない相談であった。

 地盤の固まっている、そして変動の少ない北越内は良いとして、西越内の騒ぎは治まる気配がなく、最

早それが冷めるまで時間に任せるより他になかった。

 この一連の流れから双と越は秦と楓に対して恨みを強め、これ以後も忘れる事はなかった。そしてそれ

が新たな火種となるのだが、それはまだ先の話である。

 何をやっても根本の炎が消えない限り、動乱が治まる事はないのだ。つまり、永遠に治まらない、治め

ようがないという事か。争いというものが、人の心に恨みを残す以上、一度始めてしまえば、何をやって

も完全に治める事などできなくなるのだろう。

 例え一時抑える事ができても、決して消えはしない。ならばその繰り返しの中で、必死に生きていくよ

り外にないのだろうか。

 原因があって結果があるのであれば、その原因が消えない限り、また同じような結果になる事は道理で

ある。そしてその原因が日々新たに生まれ続ける恨みである以上、どうしようもないと言えば、そうなの

かもしれない。



 困難は続くが、どうにか民を宥め、ある程度の優遇措置を認めながら誤魔化し、民達をある程度妥協さ

せる所までは何とか持っていく事ができている。その裏には地元名士達の力添えがあった事は言うまでも

ない。彼らが実利とそれなりの義をもって説いたおかげで、一応は納得させる事ができたのだ。少なくと

も楓の受け持つ、中央呉韓領に居る民はそうである。

 今更元の土地に戻ったとしても、越の支配は終わらない、越の下で生きるしかなくなる。越に先祖代々

の土地を奪われたのは口惜しく、死に勝る恥辱であるけれども、ここで我々が死ねば先祖を弔(とむら)

う者が居なくなり、荒れ果ててしまうだろう。それこそ不孝の極み、最も忌むべき事ではないか。

 今は耐えるべきである。幸い生きる術はここにもある。上に立つのは秦になるようだが、越の下で生き

るよりはましであろう。楓も近い、何かあれば頼る事も出来る。とにかく生きる事だ。生きてこそ道はあ

る。先祖に詫びるのは、精一杯生きて死した後にしようではないか。今できる事をやろうではないか。一

族を繁栄させる事ができれば、それこそが一番の供養である。

 このように声望のある人物、一目置かれている人物に誠意(多分に芝居がかっていたとしても)を持っ

て説かれれば、ある程度聞かざるを得なくなる。いつまでも暴れていられる程人は無尽蔵に力が湧いてく

る訳ではないし、そもそもそういう名士が核となって立ち上がらなければ、集団として立てない以上、次

第に沈静化していくのもまた道理というものだった。

 他国も楓程ではなかったが、それぞれに何とか治まっている様子である。中央の元呉民がほぼそこに残

る事になったのだから、一番の問題はその時点で解決されていたとも言える。ただし、完全に火は消えて

はおらず、もし何かあればあっという間に盛り返す事になるだろう。

 上記したように、根底にある越と呉の憎しみが消える事がないのだから、重々注意する必要がある。

 呉越を源とした細かな乱れは今後も続いていき、一々各国を悩ませる事になるのだが、取り合えずは一

段落つき、楓は待望の集縁一帯の領土を回復する事ができた。

 楓流、そして楓の民がどれほど喜んだか、想像に難くない。



 楓流は甘繁の為に盛大な別れの宴を催(もよお)した後、集縁を凱聯と胡虎に任せた。形式の上では凱

聯が太守であるが、実質動かすのが胡虎である事は言うまでもない。

 本心は本拠を集縁に移し、自ら行きたかったのだが。集縁を本当の意味で楓領に戻すにはまだ相当な時

間が必要だろうし、今本拠を移転するような大事をやっている余裕はない。すでに楓は窪丸を中心とした

国家になっているし、北方と中央を見据える位置にある窪丸に居た方が色々と都合も良い。

 北方で着実に力を高めつつある楚斉が恐いという事もある。

 姜尚存命時は何かが起こるような事はないだろう。その仲はがっちりと結ばれている。姜尚も争いを、

少なくとも今は、望んでいない。だが楓が楚との関係が姜尚を中心にして結ばれている以上、その姜尚が

居なくなればどうなるか。

 姜尚という存在が楚と楓を結ぶ橋である以上、その重要性は大きい。

 だからというべきか、何があってもいいように国力回復、増強に努め、特に北方に対する防備を固めて

おく必要がある。集縁一帯の安定もそうだが、こちらも同じくらい急務なのだ。

 窪丸防衛に対しては、魏繞(ギジョウ)にある程度の権限を持たせている。

 この男も忠義一筋という男ではないが、楓流が主足る力量を見せていれば、まず裏切る事はない。それ

に年月を経た分結び付きも強くなっている。そろそろぐいと内に抱え込んだ方が、かえっていい結果を生

むのではないか。

 ただし軍部に大きな権限を持たせたくはなく、あくまでも奉采(ホウサイ)という内政の要の下に置い

ている。将軍というよりは、あくまでも守備部隊の一部隊長といった風か。軍はそれが楓流の手にない場

合、あくまでも政の下に置かれる。それが趙深との間で出した一つの方策であった。

 国の乱れは即ち軍の乱れである事も少なくない。軍の管理運営もまた、何よりも重要な事であった。力

を侮れば、力に滅ぶ。思えば孫文は余りに軍に寄り過ぎていた。だからこそそれが己が手より離れた時、

決定的な力となって孫文の眼前に現れる事になった。

 孫のように軍事のみを頼り、軍事を基本とするような政権は、例え強くとも、いや強いが故に、いずれ

自壊する。

 内乱には常に軍部の影があり、強い影響を及ぼす。歴史を見れば、結局は軍を動かした者の勝ちであり、

王と将の垣根など容易く崩されてしまう。

 だから力は常に誰かの、それも複数の監視下になければならない。楓国も二カ国に戻った。今までのよ

うに楓流一人だけで統制できるものではない。今まで以上に誰かの協力が必要で、そうである以上、その

協力者が好き勝手に動けないよう、きっちり縛り付ける事も必要である。

 以前は白祥(ハクショウ)という信じるに足る、しかも有能な将が居たが。今は彼も土の下。人に頼れ

ない以上、法に頼るしかない。

 せめて胡虎を自由に使えれば、と凱聯という厄介者を疎(うと)む気持ちが起きるが、それはいつもの

如く詮無い想いである。彼もまた、今更どうにもできない事だ。受け容れるしかない。

 胡虎という片腕を凱聯のお目付け役に使わなければならない以上、残るのは魏繞である。鏗陸(コウリ

ク)も居るが、この忠義厚い男は、いざという時の為にいつでも動かせる状態に置いておきたい。使者と

しての役割を与える事もあるし、今では随分便利な男になっている。白祥には及ばないが、彼だけでも生

きていてくれて良かったと心底思う。

 他にも明慎に内部監査とでも言うのか、国内を常に監視する役割を正式に命じている。

 今までも奉采の補佐などをさせる傍(かたわ)ら、国内外の情報を集める役目を自然と担っていたのだ

が、それを国内に絞り、専門化させたのである。

 楓流とその身内の目だけでは届かない場所が出てくると感じたのがその理由であるが、もっと深い場所

にあるものとして、臣下が必ずしも全幅の信頼をおける者ばかりではなくなった、という事が挙げられる。

 そしてそれはこれからも増えていく事はあっても、減る事はあるまい。楓という国が滅びでもしない限

り、これからも油断できぬ者達が続々と楓国に入ってくる。そしてそれを止める事はできない。

 だから現実的にそういう内部調査機関が必要になってきたのである。そしてそれを任せるのには、明慎

こそ正に打って付けであった。彼の能力は外部よりもむしろ内部調査に向いている。

 勿論、こういう役目を明慎に与えた事は最高機密である。そしてそうである以上、これ以降明慎は常に

影のように楓流に寄り添い続ける事になる。明慎が個人的に楓流に忠誠心を抱くようになるのは、この頃

からだろうか。楓流という存在を、認めるようになっている。或いは、双正への忠誠から、楓流にも忠誠

を捧げたのか。

 どちらにしろ、楓もまた変わっていく。そして人材不足を思い知らされる。国が変わり続ける以上、そ

れに属する者も変わっていかなくてはならない。現状は何とか手が足りているが、逆を言えば今で精一杯

である。今後どうなるにせよ、人材に余裕がないという事は厳しい。言ってみれば、孫も呉韓もそのせい

で滅びたのだ。まだまだ多くの人材が必要であった。



 人材について楓流には一つ思い当たる事がある。玄一族の事である。

 玄一族とは知っての通り、西方の優れた技術集団で、土地を持たず、どの国にも属せず、公共の利益の

為にその力を尽くす事を理念としている。一度は楓とも繋がりを持ったが、西方全土の反感を買い、結局

その手を離すしかなかった事は、以前に述べた。

 西方もあの頃からは大分変わっている。楓と秦との繋がりも深く、婚姻同盟さえ結んでいるし、秦以外

の西方四家は全て滅びた。今ならば玄一族と楓が繋がっても、以前のような大きな問題にはならないので

はないか。双や越が西方内に領土を得ている事も、或いは使えるかもしれない。

 とはいえ、西方内には様々な不穏の種が燻(くすぶ)っている。余計な事をすれば、それをきっかけに

形を変えて再燃するという危険性は充分に考えられる事だ。

 そこでまずは繋がりを修復しようと考え、自ら玄一族の許へ赴(おもむ)く事にした。

 もし彼らの力を借りる事ができたなら、もし万が一にでも彼らを召抱える事ができたのなら、楓にとっ

てこれ以上ない力になってくれるだろう。

 玄一族は現在秦の監視下にあるようだ。聞こえは悪いが、そういう言い方がしっくりくる。

 とはいえ秦も管理しようとまではしておらず、はっきり言ってしまえば他の事に追われて放っていた格

好である。今秦の下に居るのも、結果としての事に過ぎず、秦が乞うて呼び寄せた訳でも、望んで庇護し

た訳でもない。単純に西方四家の生き残りが秦だけだったという話だ。

 玄一族は玄一族として今までと同じく各地の治水工事などを積極的に行い、あの事があってから後援者

も随分遠のいてしまっているが、協力してくれる人達も居て、彼らに対して同情的な人も少なくなく、行

動の規模は小さくなっているものの、皆息災であるようだ。

 これらの事はほぼ全て甘繁から出発前に聞いた話である。彼は新たに中央の元呉韓領、つまり新領土の

管理という面倒な役目を押し付けられたようだが、沈んだ様子は見えなかった。そこなら楓にも近いし、

どの道秦本国へ戻っても厄介者扱いされるだけなのだから、苦労は多くとも本国から離れていた方が気は

楽なのだそうだ。秦の目を西に向けるという持論も変わってはおらず、地道に行動を続けるにもその方が

都合いいらしい。

 半分は負け惜しみかもしれないが、半分は本心であろう。そこには諦めつつも諦めないとでもいうよう

な、不思議な覚悟が見え隠れする。

 そしておそらくその覚悟ある限り、甘繁は玄一族との事において、常に味方になってくれる。今後も細

々とした事を相談していく事になるだろう。彼の協力なくして、楓流の望みは叶わない。そう思える。

 甘繁も玄一族が現在居る詳しい居場所などは知らなかったが、そちらの方は楓流の方で調べている。混

血の間者達は経験を経て成長を遂げ、相応の時間さえ与えれば大抵の情報を得る事ができるようになって

いた。

 まだ頼りない言い方ではあるが、情報力として充分に役に立つ。後は人数が増え、そしてそれぞれが経

験を積めば時間も短縮され、より安全確実に情報を得られるようになるだろう。その雛形として見れば、

まず満足のいく結果である。

 玄一族の居場所は突き止めたから、後は訪れるのみであるが。楓王が彼らに近付いたという風評を立て

られる事はよくない。身を隠し、その素性を突き止められないようにしなければならない。秦の間者も国

内を見張っている筈、よくよく注意して、間抜けな事にならないよう注意する必要があった。

 未だに諸事楓流が行わなければならない事を情けなく思うが、そう思えるだけましであるのかもしれな

い。国家において王自ら動けるという方が、むしろ特殊であろう。そういう意味で、楓流は運が良かった。

自ら思うままに動けるという事は、何にも換え難い事である。

 楓の臣や民からすれば、迷惑であり、心配極まりない事であるかもしれないが。




BACKEXITNEXT