15-6.夢見る懸け橋


 楓流は甘繁と相談し、甘信(カンシン)という偽名を用い、彼の縁者という事にしてもらった。

 姿も変え、忙しいせいか伸び気味であった髪も切り、乱雑に生えていた髭(ひげ)も整え、小奇麗な衣服

を着て、趙深の姿を参考にしながら、文人とでもいうような体裁を繕っている。楓流は常に自ら動き、戦い、

鎧姿かそれに類する姿で居る事が多かったので、これだけでも随分印象が違って見える。

 日頃から身だしなみはそれなりに整え、人前に出る時はこざっぱりとした姿をしているが、こういう格

好をした事はほとんど無く。ある程度、人の目を欺(あざむ)く効果を期待できるだろう。

 とはいえ楓流もそれなりに顔を知られる存在になっている為、うっかりとばれてしまう可能性は少なく

ない。出来る限り目立たぬよう行動する必要があるだろう。

 求める玄一族は秦が意識してかそうでないのか解らないが、ほとんどは秦南西部に移動しているらしい。

たまに北部にも出てくるが、その時は数が少なく、秦もやはり取り扱いには注意し、できるだけ他国と関

わらないようにさせているようだ。

 今では民の感情も大分変わっている筈だが、それでも玄一族は西方のもの、という考えは簡単に消える

ようなものではない。秦としても今民を刺激する事は避けたいので、なるべく奥へ奥へと押し込めておき

たいのだろう。放っておく格好になっているといっても、完全に無視していた訳でも、好きにさせていた

訳でもない。やはり玄一族は秦の監視下にあると言える。

 となれば当然彼らの周りは間者が常に警戒しているだろうし、簡単に会えるかどうかも解らない。その為

に甘繁を頼ったのだが、それもどこまでの力になるかは解らない。甘繁も秦内ではそれなりの地位だとは

いえ、上層部から煙たがられている存在だ。秦側が率先して協力してくれるとは思えない。

「ともかく、行ってみなければ始まらぬ」

 楓流もとい甘信は、甘繁からの使いを装って、なるべく目立たぬよう心がけながら、わざとゆっくりと

進んで行った。

 いかに使者とはいえ、緊急を要するようなものではなく、私的なものだ。それが誰が見ても急いでいる

ようであれば、人は何事かと思うだろう。人にそのような事を思わせるのは得策ではない。なるべくなら

速い方が良いのだが、ここはその心を抑えて振舞う必要があった。

 幸い甘繁という後ろ盾があるので、移動そのものには不便がない。解りやすく好意を見せてくれるよう

な事は少なかったが、甘繁の面目を潰さない程度には甘信を扱ってくれている。関所も簡単に越える事が  それは秦内が落ち着きを取り戻している、という事も意味するのだろう。先の一連の戦から日が経ち、

人心も日常に戻りつつあるという事か。北東部には慌しさと緊張感が残っているが、南西部まで下りて来

ると人々の間にさほど不安を感じない。平和的な日常が広がっている。

 甘信も色々と忙しかったので、どうせならこの旅を楽しむ事にした。

 そしてそうする事が、彼の素性を隠す事にもなる。



 玄一族は数組に別れ、この南西部一帯で細々した仕事をしているようだ。現段階では大規模な工事をす

る資金も余裕も無いので一族勢揃いする必要は無く、同じ系統を得意とする者が集まり、それぞれに別の

仕事をしながら秦内を回っている。

 幸いその中の一つの組と出会う事ができたので、詳しい話を聞いてみた。彼らも甘繁の使いと知ると嬉

しそうな顔をし、友好的に応対してくれた。絶対的な味方の少ない彼らにとって、甘繁という名前を聞く

だけでも心が潤うのかもしれない。

 別に命が危険にさらされる訳でも、大きな不自由をしている訳でもないが、玄一族の理念に従って動く

事ができず、彼らの中にも秦や西方に対する不満が高まり、憎しみとまでは言わないが、随分不信の念が

固まってきているようだ。

 それだけ彼らは不当な圧力にさらされているという事で、玄一族は皆今の立場を憂えている。甘信も素

直に同情の意を示し、できる限りの援助をしておいた。額はさほど大きくはないが、その心は嬉しかった

とみえ、彼らはもう一段打ち解けた態度になっている。

 甘信は旧知の仲でもある玄信(ゲンシン)を探している訳だが、彼は二玄と並び称される父玄張(ゲン

チョウ)共々、今現在秦最南西部に押し込められ、よほどの事が無い限りそこから出る事ができなくなっ

ているらしい。

 玄一族を代表するこの二人の扱いにはさすがに注意しているようで、甘繁の使者という事であれば大丈

夫だと思うが、大抵は会う事はできず、手紙などを渡すのみで追い返される事が多いそうだ。同じ玄一族

でさえ、満足に会う事ができないらしい。おそらく団結して行動を起こされる事を恐れているのだろう。

 この点から秦側も玄一族が不満を抱いている事を理解している事が解る。だからこそ隠し、玄一族の噂

がぷっつりと聞こえてこなくなっていたのだ。西方の民の中でも、玄一族が今どこで何をしているのかを

知る者は少ないのだろう。

 二玄の動きを封じてしまえば、玄一族は核を奪われた事になり、何もできなくなる。今組に分かれて

やっている事も修繕などが主で、玄一族らしい事など何一つやれていないのだとか。いくら技術、技能が

秀でていても、少数ではできる事は知れている。彼らも人の集まりである以上、それをまとめる者を欠い

ては、満足に活動する事ができない。

 彼らの不満が高まっていくのは当然であった。

 甘信は最後に玄信の居るだろう大まかな場所を聞き、礼を言って玄一族達と別れた。

 彼らの言う事が事実なら、楓にとって良い風が吹き始めていると言えなくもない。勿論、簡単にいくと

は思えないが、付け入る隙が生まれている事は確かである。

 後は西方の民を何とかできれば、玄一族を手に入れる事も不可能ではないのかもしれない。

 いや、完全に手中に収める事は不可能か。でも彼らと強い繋がりを持ち、その中の幾人かをもらい受け

る事くらいはできるかもしれない。そう思いたい。

 甘信は希望を強め、玄信の居るだろう最南西部を目指した。



 秦の最南端に近い辺りまでくると、景色が随分様変わりする。田舎というよりは手付かずという感じで、

茫洋(ぼうよう)とした自然がどこまでも広がっている。深い草原や不揃いな河川等も多く、住めない事

はないが、自然がそのまま人に牙を剥いているかのようで、迂闊に触れると怪我をしてしまいそうだ。

 ここには未だ神意がある。そんな風に感じた。

 突如強く頭の中に馬の事が浮かんでくる。この果てしなく広がる自然の中で、馬を放し飼いにできれば、

さぞ良い馬に育つだろう。草も水も豊富にあるし、ここを一大放牧地にすれば、騎馬部隊というようなも

のさえ編成できるのではないか。

 馬の力を伝令だけに利用しているのは惜しい。あの人を遥かに上回る力、大地を揺るがし噴火させるよ

うな脚力を利用すれば、人が想像した事もないような力を生む事もできるかもしれない。

 甘信は夢を描く。

 しかし残念ながらここは秦領であり、楓からは遥かに遠い。自由にする事はできず、秦にその構想をも

らす事も得策とは思えない。馬の力は楓のみが持っていてこそ意味のあるものになる。例え同盟国とはい

え、この構想を明かす訳にはいかなかった。今の所は諦めるしかない。

 そして同時に秦は愚かだと思った。これだけの地を、確かに田畑とするには難しいかもしれないが、そ

のまま放っておくなど勿体無い。こんな場所を放っておいてその目を東や北にばかり向けている秦政府は

愚かである。甘繁の言う通り、初めからこちらに目を向けていれば、時間はかかったとしても、比類なき

国力と領土を得る事ができていただろう。

 西方四家同士で争う事なく、西に向かって国力を増大する事ができていれば、双や越などに遠慮せざる

を得ないような状況にはならなかったのかもしれない。

 同情すべきは、秦にある種の劣等意識がある事だ。

 大陸に今も根強く残る血統信仰。それがある限り、常に彼らは辺境の民であり、蛮族であり、非文明人

である。そして中央を夢見、その夢に追い立てられるようにして東、そして北を目指す。

 勿論、彼らにそういう意識は無いだろう。例えあっても自分を行動に駆り立てる程ではない、小さなも

のだと考えている筈だ。しかし現実にはその想いに突き動かされている。そうとでも考えなければ、彼ら

が西に広がる土地を軽視する理由が解らない。甘繁の言を退け、あくまでも東を目指す理由が解らない。

多くの犠牲を払ってまで内外で争う意味もなかった筈だ。

 少なくとも孫から後の戦いは、回避する事もできた争いだったと思える。

 果てなく広がるこの土地を実りあるものに変えれば、それだけで秦は大陸随一の強国となる。それをし

ないのは、利害損得を超えた、何かしらの思い、感情があるからだろう。秦にとって、いや西方諸国にと

って、西方統一も方便でしかなく、単純にその劣等意識の発露なのではないだろうか。

 西方人ではない甘信だからこそ、冷静に分析する事ができる。もしこれが幾らかでも当たっているのな

ら、西方に起こった数々の騒乱の何と虚しい事か。

 だが甘信もまたそれを他人事のように言ってはいられない。彼もまた下らないこだわりの為に、その命

と生活を必要以上に犠牲にしてきたのではないか。それも自分の命だけではない、自分と関わった多くの

人達の命と生活を、随分犠牲にしてきた。

 集縁の事だってそうだ。あの領土を取り戻す為に、一体どれだけのものを犠牲にしてきたか、浪費させ

たか。甘信もまた秦と同じである。そしておそらく人間全てが似たり寄ったりなのであろう。我々は下ら

ない事の為に命と生活を犠牲にし、それを時に美しいとすら考える。

 この愚かさが人間だというのなら、確かに永遠に争いが終わる事はない筈だ。

 甘信は様々な事を考えながら、玄信の許へ向かっている。

 そこは小さな農村のような場所で、人口は百人もいないだろう。この草原を耕し、食えるだけの食糧を

得て、半ば以上自給自足の生活をしている。交易商人が稀に訪れる事もあるが、それ以外はほとんど人の

行き来のない場所であるらしく、宿も店も見当たらない。辛うじて酒を扱う、店とも呼べない小さな建物

があるくらいか。

 玄信と玄張は村長の家に厄介になっており、遠出できない事もあって、今では随分仲が深まり、村の一

員と変わらない待遇を受けているそうだ。

 その中で玄信は村長の娘を妻とし、すでに子供も居るのだとか。

 これは秦に逆らう気持ちはないという事を示す為か、それとも何かを諦めた結果か、或いは自然の流れ

というものか。

 解らないが、とにかく久しぶりに会った玄信は壮健で、むしろ前よりも健康的になっているように見え

る。初めて会った玄張は玄信と瓜二つの姿で、親子というよりは兄弟に思えた。いつも厳しい顔付きをし

ているが、挙措動作は終始柔らかで、その厳しさの中に隠せない優しさがある。

 流石に玄一族を束ねる男だけあって、並みの者ではない。自然に人の上に立つ資格を持っている。そう

いう意味では玄信も玄張に遠く及ばない。よく打ち込まれ、丹念に磨き上げられた鉄のような心が玄張か

らは感じられた。

 甘信は甘繁の使者である事も手伝ってか、村全体に暖かく迎え入れられ、珍しい客が来たという事で、

村人総出で歓迎の宴を開いてくれている。

 目立つ事はなるべく避けたいのだが、そうはいってもこの心尽くしを断るような事は、とてもできない。

 素直に受け、久々に時を忘れて飲み、楽しんだ。

 そしてふと、涙が流れるような懐かしさを覚えた。



 玄信、玄張も当然、甘信がただ会う為に来たのではない事を承知している。名を変え、身を隠してまで

来ているのだから、秦に対して後ろめたい気持ちがあり、知られたくない意図がある事は、重々理解して

いた。

 それを知っていて受け容れたのだから、これは良い返答がもらえると考えて良いのだろうか。

 いや、それは早計に過ぎる。玄信は単純に旧友との再会を喜んでいるのであり、玄張の方も息子の友に

会えた事を喜んでいるだけであろう。この歓待も彼らの善意でしかなく、友に対する当然の態度であり、

それ以上のものでも、以外のものでもない。その心を手前勝手に解釈し、付け込むような考えを抱きでも

すれば、彼らは不快に思うだろう。友の交わりを侮辱したとして。

 だから甘信としてはここに来た目的を逆に言い辛くなった。諦めた訳ではないが、これは交渉の困難さ

を象徴するものだと受け取ったのである。

 大体が、玄一族がどこかの国のみに属するという事はまず考えられない。それは彼らの理念に反してい

る。玄一族はその理念にのみ従って活動しているのであって、言うなればそれだけの為に生きている。そ

んな彼らに対し、楓一国だけの為に生きよ、などと言えるものではない。

 やはり特殊な形で迎え入れなければならない。臣従でも所属でもなく、生涯雇うとでも言うような方法

でのみ、彼らと交わる、契約する事ができるのだろう。そしてそれは戦争に関係の無い範囲に限定される。

確かに扱い辛く、秦も持て余す訳だ。

 だが協力を得る事自体はそう難しい事ではない。一度はそういう関係を結んでいるし、今またそれを望

んだとしても、無下にはしないだろう。望まれればその理念に反しない限り、誰にでも手を貸す。言って

みれば、優しいのだ、玄一族は。

 しかしそれだけでは甘信は満足できない。臣とまでは言わないが、客将かそれに近い立場で楓に属して

欲しい。同じ場所で、同じ目的の為に動いてくれる同士が、彼にはまだ多く必要なのである。

 その為には玄一族というくくりで考えていてはどうにもならない。ここはやはり友としての部分を強調

し、玄信という個人を得たいと考えた。

 友という立場を利用するようで心苦しいが、そうとでもしなければ目的を叶える事はできず、ここまで

来た事も無駄となる。玄一族と関係を深める事は非常に有益だとしても、それだけでは彼自らがここに来

た事の対価にはならないだろう。

 贅沢、我侭といえばそうだが、それくらいに時間というものは貴重であり、甘信にとっても今楓を離れ

る事は大きな事なのであった。

 だが、急いては事を仕損じる、という言葉もある。焦りたい時だからこそ敢えて焦らず、今は歓待して

くれる心だけを喜び、村人との友好関係を築いていく事にした。それが延(ひ)いては玄一族との仲を深

める事にもなる筈だ。

 二玄がここに封じられている以上、この村が玄一族の本拠地であるといえる。その地の民と交友する事

は、甘信にとって重要な事だと思えた。



 宴は数日続き、さすがの甘信もたわいなく酔い潰されてしまった。村人も二玄も、まるで水を浴びるよ

うに飲み、手加減など一切してくれない。恐るべき酒豪揃いで、全く太刀打ちできなかった。

 村付近には特に何がある訳でもないので、酒を飲むのが数少ない楽しみなのだろう。子供の頃から当た

り前のように飲む村人達は皆酒が強く、二玄も随分飲み慣れており、普段酒を口にする事が少ない甘信な

ど相手にはならなかった。

 甘信が潰れた後も遠慮なく宴は続けられていたようだから、村人達の好意もあるのだろうが、大部分は

宴会の理由として上手く使われたと言えるのかもしれない。村人達は何かある度に酒を持ち出し、大いに

飲んで騒いで楽しむのだろう。

 早々に潰れてしまった事で宴に水をさしてしまったかと申し訳なく思っていたのだが、どうやらその心

配は要らないようだ。ここでは皆が潰れるまで飲むのがしきたりであり、結局皆潰れるのだから、早いか

遅いかは重要ではない。各々が楽しめばそれで良いのである。

 むしろ早々に潰れた甘信は、それだけ沢山飲み、宴の輪により親密に加わっていたという事で、村人か

ら好意をもたれたようだ。真面目に飲んだかいがあったというものである。

 ただその代償は大きく、甘信は数日ぐったりとして過ごし、ほとんど何をする事もできなかった。その

姿を見て村人達は笑っていたが、それもまた好意的に受け容れられていたようだから、恥とは思わない。

人は人の弱い部分を見て、その人となりに安心するものである。

 養生している間、二玄が何度も見舞いにきてくれ、玄信の妹である玄瑛(ゲンエイ)は付きっきりで看

病までしてくれた。手馴れた看病は非常にありがたく、甘信は玄瑛に深く感謝している。

 ここで二人が関係を持ったという説もあるが、定かではない。ただこの時点で互いに少なくない愛情を

抱いていた事は確かで、後の事を考えれば、この時点でそうなっていた可能性を否定できない。言い方は

悪いが、玄一族と繋がるという意味でもそれは良い手段であるし、もしそういう気持ちが芽生えていたと

したら、甘信も敢えてそれを抑えるような真似はしなかっただろう。

 二玄もまたそれを受け容れたという事は、彼らの中にも何かしらの意図があったのかもしれない。でな

ければ未婚の女性をわざわざ付きっきりにさせるような事はすまい。例え遠路はるばる来た友とはいえ、

そこまでの事をさせるという事は、そうなっても構わないという意志表示であろう。

 看病のかいあって無事体調を回復し、更に数日を過ごした後、甘信は一度楓に戻っている。その数日何

をしていたかは、残されていないから解らないが、ごく個人的な事も交えた事だったのだろう。甘信が敢

えて残していないのだとすれば、秘密にしておきたいか、あまり他人に触れて欲しくない大事な事があっ

たのかもしれない。

 無論、書き残すような事が何もなかった、という可能性もある。

 ともあれ、甘信は楓へ帰り、再び楓流としての生活に戻った。

 玄一族が密かに楓を訪れるようになったのは、そのすぐ後の事である。



 来訪している以上、楓流は玄一族との関係を深める事に成功したようだが、それだけでは望みを叶えた

事にはならない。秘密裏に玄一族から数人を貸してもらい、その知恵と技術を借りる事はできるようにな

ったようだが、それだけの事だ。望みを叶えた訳ではない。

 しかしそれで楓流に焦るような所が見られず、その後冷静に国内事情や外交関係へ目を向けている事を

考えれば、すでにやるべき事は終わっていたのだとも考えられる。時間をかけてゆっくり行うつもりだっ

たという考え方もできるが、やはりこの時点で必要な事は済んでいたと考えた方が、後々の事と照らし合

わせても合っているような気がする。

 楓流の目は現在、西方は西方でも東部と北部へ向けられている。

 つまり、西越と秦、そして双の属国となっている魏、特にその地の民の感情である。楓秦越双の話し合

いで民の再編とでもいうべきものが行われ、人の移動があり、それによって細かな多くの問題が生じ、楓

双に対して秦越が不快な感情を抱いた事はすでに記したが。秦越も面倒は多いもののこれも一つの解決法

であるとは考え、他に手が見付からない以上、表立って不満を述べる事は控えた。

 そして必死になって日々生まれる細かな問題に対処してきたのだが、無限に続くように思えたそれも、

一月、二月と時が経つにつれ、少しずつ終わりを見せ始める。それは全てが解決したという訳ではないが、

国も民もその状態に順応しつつあるという事を意味している。

 秦と越、両政府共よく働いた。そして両国の悪感情を除く為に、楓流も双正もできる限り協力した。現

在甘繁が治めている秦の新領土の民心を治めた事以外にも、随分力を尽くしている。自ら秦領土へ行った

事も、助けになった。

 二玄と会うまでに色んな噂を仕入れる事ができ、生の民の感情と秦の雰囲気に触れる事ができたし、あ

る程度何を考えているのか、何を望んでいるのかを知る事ができた。

 秦領に住む民は新領土の問題などどこか他人事であり、むしろ楓双に対しては感謝している事。新領土

の民に対しても元敵国という事で割り切れない感情を抱いており、今様々な問題を起こしている事に対し

ても、同情ではなく不快の念を抱いている事。

 丁度政府の気分とは真逆である。これはその立場の違いからくるものなのだろうが、楓としては悪い事

ではない。これによって旧領、新領問わず秦民が楓に対して好意的である事が解ったし、意外な結果では

あったが、喜ぶべき事であった。

 正直言えば、政府よりも民の気持ちを得ていた方が、楓としては利がある。秦ともいずれは雌雄を決し

なくてはならなくなると思えば、ありがたい結果である。

 越の方はここまで詳しくは解っていないが、おそらく似たようなものであると察せられる。いや越と呉

の関係を思えば、よりその傾向が強い事はあっても、弱い事はあるまい。四商がその座を追われた原因の

一つには、元呉民との感情の軋轢(あつれき)という事があったのであるし。例え新体制に移行したとし

ても、その軋轢が綺麗に解消される事はないだろう。

 だからこそそれを煽る結果になる手段を提示した楓双に対し、越政府も不快感を持った訳である。

 とすれば打開策はその付近にありそうだ。もしそれを上手く利用する事ができれば、玄一族の事に対し

ても良いように作用させる事ができるかもしれない。

 その為にももう暫く時を置く必要がある。それがはっきりと表面に出てくるまで、或いは出させるまで

待つ事も、必要な事だ。何度も言うように、焦りは禁物である。

 しかしそんな楓流を嘲笑うかのように、一つの事件が起きた。

 斉の姜尚(キョウショウ)が身罷(みまか)ったのだ。



 姜尚は楚王から師父と仰がれ、ある意味王よりも影響力があった人物だ。斉を得てからは主にその統治

を任され、北方大同盟時に結んだ約定を守り、衛の監視を律儀に続けていた。時には趙深に衛運営に関し

て口を出す事もあったようで、その影響力は衛内にも深く及んでいる。

 それだけ重い実績があり、敬意をもたれるに相応しい人格の持ち主であったのだ。

 このような人物が死んだのだから、楚斉共に大きく乱れるかと思いきや、そんな事は全くなく。むしろ

粛々として国葬を行い、全ての人民がその功に報いるかのようにして、一つにまとまっていた。

 楚斉の全ての民が喪に服し、他国にもそうする者が少なくなかったという。つまり姜尚がそれだけ生前

から死後の事を考えて行動していたという事なのだろう。

 楚斉は姜尚の死を共有する事で団結を深め、手に手を取り合ってその遺志を継ごうとしている。姜尚と

いう名は、楚斉から消えぬある種の象徴となって民の胸奥深く刻まれ、今後も長く影響を与え続ける。そ

の心は誰にもどうする事もできず、もし侮辱でもしようものなら、憤怒の情を持って報われる。

 つまり姜尚の政策は、彼自身の死をもって完成したのだ。詳しい病状は解らないが、死因は病と伝えら

れているし、以前から病状が出ていたに違いない。だから自分の死さえ効果的に用いる事を考え、全ての

準備を終えて死んだ。

 全く恐ろしい人物である。死して尚影響を及ぼす人物こそ、本物であろう。

 楓流は姜尚が病に侵されていた事を知っていたのだろうか。おそらく知っていたとは思うが、もしかし

たらそこまで悪いとは考えていなかったのかもしれない。他国もまた姜尚の死に動揺を持って応えたよう

であるし、病状は徹底して隠されていたのか。

 そういえばここ暫く公に彼が姿を現す事はなかったし、どの国もそれ以上の事を掴んでいない。姜尚の

死期が近い事を、他国の誰も知らなかったと考える方が、当たっているかもしれない。

 ともあれ、楚斉に乱が起きない事は、楓にとっても望ましい事だ。楚斉が磐石であればこそ、楓も安心

して他へ目を向ける事ができる。姜尚という頼れる存在が居たからこそ、背後を憂う事なく動く事ができ

ていた。楚斉が安定している事は、楓にとっても重要な事である。

 だが、姜尚が死んだ事によって、今後の楓楚の関係が変わる事は避けられない。前述したように、楓と

楚の関係は姜尚を核として築かれたものであるし。すぐさま楚が攻めてくるような事は考えられないとし

ても、これからはそういう事態も想定して動かなければならないだろう。

 言ってみれば、楚は姜尚の死によって楓に遠慮する必要がなくなった。もし機会が訪れれば、それを逃

す事は無い筈だ。楚もまた他国と同様、今居る場所に甘んじているつもりはない。そしてその為の準備は

すでに整っている。

 楓流は西方のみを見ている訳にはいかなくなった。全ての計画を変更、或いは一から練り直す必要があ

る。趙深とも今後の事をよくよく話し合わなければなるまい。

 楓流は即座に衛へ行く事を決めた。その途上で楚と斉にも寄るつもりである。姜尚に報いる為には王た

る自分が自ら行かなければならないだろうし、彼個人としてもそうしたかった。

 そこには多分に国家間の利害関係があったとはいえ、姜尚との関係は良好であり、色んな所で随分世話

にもなった。むしろ必要以上に好意的にしてくれたともいえ、楓流もまた一個人として姜尚に尊敬の念を

抱いており、それは生涯変わっていない。

 それに楚斉の内情を自らの目で見ておく必要性もあった。秦もそうだったが、噂や間者の報告だけでは

解らないものがある。できるなら自分の肌で感じておくべきであるし、今後は楚斉にこそ注意する必要が

ある。

 辛辣(しんらつ)な言い方をすれば、弔問(ちょうもん)する事はそういう意味で都合が良くもあった。




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