15-7.英雄の死


 楚に乱れなし。

 それが楓流がまず肌に感じた事であった。

 姜尚は大きな権勢を持っていた人物である。そんな人物が死ねば、公私共に大きな影響を及ぼす事は免

れ得ない。それは良い意味もあるが、大抵は悪い意味の方が多く、そこから大きく綻びていく事も少なく

ない。

 しかし楚は揺るがない。間者からの報告で聞いているように、全く乱れはないように思えた。全ての民

は喪に服し、若干街並みの色彩が地味になっているものの、いつも通りの暮らしを保ち、心から姜尚の死

を悼んでいる事が解る。姜尚の遺志を継いでいるからこそ、こう在れるのだろう。

 王邸内もそうだ。皆規律を保ち、むしろ姜尚存命時よりも空気が引き締まっているように感じる。

 今までは全てを姜尚という存在が抑えていたような所があったのに対し、各自がそれぞれに自らを律し

ている。そんな印象を受けた。

 つまり、より敵とするには不利な相手になった、という事だ。

 謁見の間に案内される間中、楓流は人知れず様々なものを見聞きしていたが、どれも楚の強勢を誇りこ

そすれ、弱点となるようなものは見当たらなかった。少なくとも今は、姜尚の死が全て良い方向に働いて

いる。死に方すら英雄と呼ぶに相応しい。

 楚王と対峙し、個性はないが丁重な挨拶を述べると、王もまた丁重な挨拶を返した。対等の国家として

直答を許されているから、その言葉と声から王の資質をある程度量る事も可能である。

 楓流が思うに、現楚王は姜尚の影に隠れてはいたが、充分に英邁(えいまい)であり、姜尚の遺産を深

く引き継いでいるように見えた。元々その勇に声望のあった王であるが、そこに思慮深さが挿し、人とし

てより大きく強靭になったように思える。それだけ姜尚がしっかりと教育して逝ったという事であろう。

 姜尚の遺志が生きている内にこの王がしっかりと国作りをすれば、楚は確かに磐石なまま英雄の死を糧

とできる筈だった。現時点で姜尚には及ばぬものの、懐の深さを見せる王に対し、楓流は並々ならぬもの

を感じ取っていた。

 それは単なる友好の意ではない。対等の王としての威、とでも言うべきか。友人ではなく、あくまでも

我々は盟友であり、姜尚死した今、必要以上に情けをかける意思は無い、とでも言うような。

 丁重ではあるが決して崩さないその態度、口調、どれをとっても姜尚存命時とは違ったもので。王だけ

ではなく、家臣一同からもそれは感じられた。ぴりりとした緊張感がそこにはある。

 楓流は意外とは思ったが、想像していなかった事ではなかったので、特に困惑する事もなく、冷静に形

通りの挨拶を述べ、早々に辞している。ここにはすでに半敵国という空気が漂(ただよ)っている。その

中に身を置く事は危険であり、敢えてそれをする事で楚を刺激する事は得策ではないと考えたのである。

 全ては変わりつつあった。



 楚を発つと、楓流はそのまま斉へと向かう。

 斉までの道も充分に整備されていて、快適に進む事ができた。碧嶺後と比べればまだまだであるが、こ

の当時の他の国家と比べると、楚も道路整備においては頭一つ抜きん出ていると言える。今なら楓や衛と

も並ぶかもしれない。

 その全てとは言わないが、ほとんどは姜尚の功だろう。趙深や楓流のやり方を見、参考にしたに違にな

い。彼もただ衛を監視していたのではなく、もっと深い面を見ていた。衛の監視という特権を利用して堂

々と他国を見られるのだから、それを利用しない手はない。

 流石は姜尚、その行いも一つを理由としたものではない。その考えは常に多岐に及ぶ。

 斉の全体的な雰囲気もまた楚と似たようなものだった。

 全体が喪に服している為に地味というのか、艶(あで)やかさ、きらびやかさ、といったものは薄いが、

活気は薄れておらず、人の勢いは盛んだ。

 現在斉の王に就いているのは、先々王の息子である。先々王は褒められた人物ではなく、嫉妬にかられ

て姜尚を半分見殺しにする格好で追い出した程だが。不思議な事にそれが楚に迎え入れられる縁を作って、

姜尚は楚にて重い地位を得る事になった。そして斉の将来を憂えた姜尚の力で、斉王位を先々王の弟に(無

論、有無を言わさず)譲らせた話は、以前にも記した。

 しかしこの弟、つまり先王も気性は悪くないのだが、如何せん勇に乏しく。結局、斉は孫に降り、姜尚

や北方同盟を裏切る事になって、後にその報いを受けた。そして後には疲弊した国が残り、それを民に求

められた姜尚が再建する事になったのだが、彼は自分自身が王位に就くような真似はしなかった。

 先王との間には上記のような事があるから、その血に連なる者を王に立てる訳にはいかない。それでは

民が納得しない。そこで先々王の末子を選び(年長の者は父に似て素行が悪く、警戒されたが。この末子

はまだ幼子であったから情けをかけられ、それなりの生活を保障されていた)、後見して一から教育する

と共に、国政を監督する事にしたのである。

 その王の名は斉禅(セイゼン)。歳は十前後になった所か、姜尚の薫陶(くんとう)を受けている為か、

心栄えは悪くない。父の仇とも言える姜尚を恨まず、祖父のように慕っていたという。それ故に姜尚の死

には耐えられず、今も悲しみが抜けないのか、暗い顔をしている。噂では、夜思い出しては枕を涙で濡ら

す事もあるとか。

 楚王とは対称的というべきか、勇、勢いに欠ける所がある。その点叔父である先王に似ているが、姜尚

はむしろその点を美徳と考えていたようだ。楚王には楚王の、斉王には斉王の生き方があり、画一的にす

るべきではない、というのが姜尚の教育方針なのだろう。

 斉王は機転が利く型の人物でもないようで、どこか鈍く、その点で斉臣からは危ぶまれているようだが。

その頼りなさが楚に属する国となっている今、むしろ好ましいとも考えられる。楚だけ、斉だけを考えれ

ば危うくとも、楚と斉を一つとして考えれば、悪いばかりではない。

 とはいえ、それも姜尚が居てこその事。姜尚亡き今、こんなようではとても王として独り立ちできると

は思えない。年齢も年齢であるし、代わりに補佐する者を派遣せねば、とても国はまとまるまい。姜尚も

そこまでは読み切れなかったのだろう。人の寿命もまた天命である以上、人が計るのは不可能である。せ

めて後五年も姜尚が生きていれば、違っていただろうに。

 楚が斉王の補佐役に任命したのは、姜尚の息子であった。歳は三十を越し、父に似て豪胆な人物である

が、少々向こう見ずな所があり、そこが父の影に今まで隠れていた理由なのかもしれない。危なっかしく

て任せていられない、という印象があった。

 これでも若い時よりは随分ましになっているそうだが、今でも大っぴらに喧嘩をしたり、騒ぎを起こす

事もあったようである。

 しかしそんな彼も父の死を期に悟る事があったようで、今までの自分を恥じ、粗暴な行いを慎むように

なり、言動が穏やかで冷静になった。

 姜尚の霊が宿ったのだろう、とは斉人の噂する所である。

 こんな具合であるから、楚を彼に任せてみようという気になったのだろう。姜尚の霊が宿ったという噂、

そしてその正統なる血筋が、今の斉をまとめるのにどれだけ力を発揮するか解らない。そう考えれば、も

しかしたらこの噂は故意に流されたものなのかもしれない。

 姜尚の息子の名は、姜白(キョウハク)。父には及ばないとしても、無理のない統治をし、父の葬礼を

危なげなく終わらせ、その制度を一切変えずに保ち、その手腕は評価されている。未だその才の深奥は未

知数なれど、一国の宰相となるに足る力を持っている、と考えられているようだ。よくよく注意し、その

人物を見ておかなければなるまい。もしかしたらこの姜白こそが、次代の天敵、或いは鍵になりうるとも

考えられる。

 幸い、姜尚の息子という事で、楓とも自然にそれなりの関係が生まれる。ただし楓流もこの男とは面識

が無く、そういう意味で姜尚の時のような友情を期待する訳にはいかないだろう。単に父の縁で結ばれて

いるに過ぎず、今はそれだけの関係でしかない。過度の期待は禁物である。

 新体制となった斉は、楓に対してどう出るのだろう。楚と同様、あくまでも盟友、同志という形を崩さ

ないのか。それとも姜尚のやり方を継いで、やわらかい態度で接するのか。

 楚のままか、それとも斉は斉か。これもまた今後を占う一つの材料になり得る。



 斉国は友好的に迎え入れてくれた。

 それは楓流がちょっと吃驚するようなものだったが、考えてみれば不思議な事ではない。何しろこの国

の民が持つ姜尚への敬意は相当なものだ。それに比べれば現王など話にもならず、姜白もまたその息子と

いうだけで敬われているに過ぎない。その事を考えれば、長らく姜尚と公私共に付き合いのあった楓流、

そして一度はその命を助けた楓流に対し、友好的な態度を見せるのはむしろ当然の事である。

 喪に服しているから華美なものではなかったが、充分に心が尽くされており、遠路やってきた楓流一行

にとっては非常にありがたい歓待(かんたい)となった。

 旅の疲れを癒す為、一晩ゆっくりと与えられた宿舎で休まされ、その後王邸へ赴くと、なんと王自らが

出迎えてくれた。楓流も一国の王、それも斉と関わりがあるとはいえ、これは破格の待遇と言わなければ

ならない。という事はつまり、楓流はあくまでも姜尚の友人として遇されるという事か。

 それともこれはあくまでも民の心を配慮した事で、上辺だけの儀礼でしかないのか。

 どちらとも取れるし、見定める事は困難である。ここはどちらでも良いように振舞うのが無難か。楓流

は、警戒しつつもその好意は受け容れる、という姿勢を取る事にした。

 決まり通りと言うのか、互いにそういう挨拶を述べた後、食事の席に案内され、その席で王と姜白共々

ゆっくりと話をする事になる。

 楓流はこの席で半日程ゆっくりと話し合い、今後の事を相談したのだが、どうやら斉は斉で楚とは別に

ある程度独自の方針を貫く所存であるようだ。無論、楚国を主同然と見て従うが、斉にも斉の意地、心が

あり、それに反する事は受け容れられない、というような。

 楚に対してよりも姜尚に対して思慕の念が強いこの国では、姜尚の残した政策などの公的なものだけで

はなく、友情や家族といった私的なものも考慮せざるを得ない。斉の民を治める事が王と姜白の最も大き

な役目である以上、仕方の無い事なのだろう。

 それに二人が賛意を示しているのか、それとも仕方なく従っているのかは解らないが。斉という国は王

よりも民の力の方が強い国だと考えておいて間違いはなさそうだ。

 そういう意味では、王も姜白も飾りであり、いつまでもそこには姜尚の姿が在る。

 もしこの国情を楚が理解していないのだとすれば、今後その間に大きな歪が生まれる事になるかもしれ

ない。楚は姜尚が居なくなった事で、楓やその他の国との関係をある程度自由にできるようになったのだ

が。それを逆に言えば、他国との一つ一つの繋がりが弱くなっているという事でもある。斉に対しても例

外ではない。

 これは楓にとっては好材料であり、王にも姜白にも楚にしたものとは別の態度で接するべきであろう。

特に斉の民の心には気を配る必要がある。

 だから楓流もゆるりと過ごし、斉との関係を深めようとしたのだろう。姜尚亡き今、そうであるからこ

そ楓と斉との結び付きが強くなっている。これは嬉しい誤算というべきものであった。



 一つの不安材料、一つの好材料を手に入れ、楓流は斉を後にして最終目的地である衛へと向かう。

 衛もまた久しぶりに訪れる。その名を聞くと随分懐かしくも感じる。年月を言えばさほど経っている訳

ではないが、その間に色々な事があり過ぎた。懐かしく思うのも当然というものだ。

 今では水路、陸路、どちらも充分に整備され、楓流が居た時とは別世界の観がある。先に蜀に対して軍

を動かしたが、それ以前は目だった行動を起こさずに済んでいたから、その間に趙深が急ぎ整備させたの

だろう。

 街も賑やかで、人の行き来が激しい。

 これを見ても、国家運営に関しては趙深にとても及ばない事が解る。趙深が居なければこのような賑わ

いは考えられない。もし姜尚と同じように趙深が逝ったとして、楓と衛は楚斉のように平静でいられるだ

ろうか。そういられるだけの力を保っていられるのだろうか。楓流にそこまでの力があるのか。

 自信は無い。姜尚ほど派手ではなくとも、趙深こそが楓にとって最も必要な人材であり、彼そのものが

楓であるとすら言える。情けなくもあるが、楓流とてそう思わざるを得ない。

 まだまだ趙深には遠く届かない。望むべき場所に行くには、まだまだ多くの時間が必要なようだ。

 楓流は今までに過ごした時間を見、これから過ごすだろう未来を想う。

 安楽な道は一つとしてない。しかし進める筈である。今までもそうだったのだから、不可能ではない。

 風がなびき、耳を掠めて逝く度、楓流には声ならぬ声が聴こえるような気がした。

 趙深は相変わらず激務を淡々とこなしていたが、流石に今回の話は片手間にできるようなものではなく、

仕事の手を止め、窪丸にある楓流の私室のような奥まった場所へと通した。部下も一切付けていない。そ

れだけの話をするという事で、楓流は緊張が背中からひしひしと迫り来るのを感じた。

「西方の情勢、そして楚と斉。どちらも変わりつつあります。予期していた事ではありますが、それだけ

で防げるものではありません。我々はこれまで以上に慎重な態度を取る事が必要でしょう」

 趙深の口調は重く、彼としてもその困難を認めざるを得ない事を表している。これからは一国が敵とな

るのではなく、どこで起ころうとその戦乱は大陸全土に波及し、対孫の時のような全ての国々で争う事態

になる危険性が大きくなる。

 西方が動けば北方が動き、北方が動けば東方、中央もまた動く。隙を見せればそれに乗じるのが常道で

ある以上、それを止める事はできない。特に北方に鎮座していた楚斉が動く事になれば、一方面だけを見

ている訳にはいかなくなる。

 領土交換のような無茶は出来ず、これからは奇策に頼るのではなく、正攻法で状況を打破していく事が

求められるだろう。その場凌ぎの策に頼るようであれば、歪は広がる一方で、決して塞ぐ事のできないも

のとなる筈だ。

 一つ弱みを見せれば、真っ二つに引き裂かれ、立つ術を失ってしまうだろう。今まで滅んだ国がそうで

あったように、楓も衛もそうならないとは限らない。それが今、より現実的なものとなって楓流、趙深の

眼前に並べられている。

 楓流と趙深はそれぞれに集めた情報を交換した。西方、北方、東方、中央、内外全ての情報を交換し、

互いに問う。それに互いが答え、更にそれを問う。問答を繰り返し、大陸全土、そして楓と衛の実情を把

握し、今までの計画を現状に相応しいものへと変えていく。

 彼らは事前に立てた計画など机上の論に過ぎない事を知っている。例えどれだけ正確に物事を把握し、

多くの事を知っていたとしても、未来を正確に予測できる訳ではない。だからこそ常に修正を加え、その

状況に相応しいものへと随時変更し続ける必要があった。

 しかし今回のものはそういうものとは違う。変更ではなく、一から考え直さなければならない。姜尚の

死は楓衛にとってもそれほど重く、楚斉が敵に回るかもしれないと考えられる事は、それだけで生死を分

かつ脅威となりかねない事態であった。

 楓と衛を繋ぐには楚斉を通る必要があり、今まではそれが絶対的な味方であったればこそ楓も衛も十二

分にその力を発揮する事ができていた。後顧の憂いなく、前だけを見る事ができていたのである。

 その楚斉が敵に回ればどうなるか。考えるだに恐ろしい事だ。

 例えば東方の子遂(シスイ)、蜀と繋がる。そうなれば楓も衛も挟撃されかねない事態となり、他への

影響力は薄れ、中諸国への締め付けも緩くなる。中諸国は依然群雄割拠に似た構図にあり。楓、衛という

楔(くさび)を抜き放てば、どう動くか解らない。

 または西方の越か秦と繋がる。そうなれば楓は分断、包囲される形となり、こちらも中諸国への抑えが

効かなくなる。後は暗躍し、中諸国と争わせた後、漁夫の利を得るという策も打てる。衛と分断されれば、

窪丸と集縁一帯だけではとても持ち堪えられまい。

「ですがこれはあくまでも最悪の事態の話です。全ての国が敵になると仮定した場合の、最も悪しき未来

の図。そうなる可能性はありますが、防ぐ手立てが無い訳ではありません。西方への抑えには双が使えま

すし、お教えいただいた情報から考えると、楚斉もまた一枚岩という風ではない。これらを上手く使えば、

我々にとって有利な状況を作り出すことも不可能ではないでしょう。むしろこちらの方が最悪の事態にな

るよりも可能性として大きいとさえ言えます」

 とはいえ、趙深は現状を楽観視している訳ではない。

「ですが、双を動かすには問題があり、例え動いても常に鈍重である事は否めません。斉にしてもそうで

す。例え今民心が我々に傾いているとしても、この先どうなるか、そしていざその時になってどう動くか

はその時になってみなければ解らない事です。どちらにも確実性は無いのです。絶対に効くという手段は

どこにもありません。

 何故なら、これらは全て他者に依存する希望だからです。他者の力と心に期待するものである以上、そ

れが不確かになるのは自明の理。そこで今我々がどうすべきかは・・・」

「姜尚殿がしたようにする事、か」

「ええ。結局の所、我々自身の力を伸ばし、何があっても揺るがないよう国内を安定させる事が何よりも

重要になります。だからこそそれを成した楚斉が、姜尚様亡き後でも脅威となる訳で、これからは楓と衛

が常に協力しあえるとは考えられない以上、どちらも一国で立てる強さを身に付ける事が急務となります。

 楓と衛がそれぞれ独り立ちをし、一国としてそれぞれに覇を称える事ができるよう力を蓄え。その上で

他国にある歪を上手く利用するよう図っていかなければなりません。

 どの国もその程度は考えております。そして楚斉と同様、すでにそれを実行していると考えておくべき

です。歪があるのは何も他国だけではないのですから、我々もまた狙われていると考えるべきでしょう」

「確かに。我々にも不安要素はいくらでもある」

 凱聯(ガイレン)、魏繞(ギジョウ)といった軍閥。集縁一帯を新しく得た事からくる様々な混乱と不

安定さ。楓、衛共に孤立してしまうという不安。こういったものは簡単に消せるものではなく、他国と同

じように楓衛もまた磐石(ばんじゃく)とは言えない。

「国を安定させるまでの時間を稼ぐ必要があるな。それには今一番国として安定している楚がどう動くか。

これを見極める必要があるだろう」

「左様でございます。そして幸い、というには差し障りがありますが、その為の時間はあります。姜尚様

が亡くなられ、その喪に服している以上、楚も斉も少なくとも半年は大きな行動は取れないと見ていい。

民心を考えれば一年は続けたい所でしょうが、この乱世にそれを望むべくもない。

 そういう意味でも楚を刺激するのは避けたい所です。今徒に何かしようとすれば、楚斉の民は、姜尚様

が死して間もないというのに楓はこのような行動に出るのか、と怒りを抱く事になります。我々もまた慎

み、喪に服しながら楚斉の民の心を和らげなければなりません。そしてそれが楚斉の動きを牽制(けんせ

い)する事に繋がる。これは我々にとっても悪くない手だと言えます」

「なるほど」

 結論から言えば、今は姜尚の死を悼(いた)むという事を何よりも重視すべきであり、時間を稼いだ上

で国力を整え、他国へ工作をする。ただし楚斉にはできるだけ手を出さず、相手がどう出ようともこちら

は労わりの気持ちを持って接する必要がある。

 姜尚の死を利用するようで忍びないが。楓流としても黙って滅ぼされる訳にはいかない。これも時代だ

と堪えてもらうしかないだろう。いずれ冥府で詫びればいい事だ。

 今は他に考えるべき事がある。

「一つ、手を打っておこう」



 楓流が打った手段。それは楚斉への技術提供である。玄一族と楓の技術(泰山の隠れ里の技術)を組み

合わせ、練磨させた新しき技術。それを姜尚の恩に報いる為として、無償で提供した。無論、それは軍事

に関わる技術ではなく、例えば農作具や水車、そして道といったものに関する技術に限られるが、これに

よって楚斉が大きな恩恵を受ける事は間違いない。楚斉は喜んだ。特に民達の喜びようは大きかった。

 これには姜尚との友好を印象付ける事で、楚の行動をある程度封じる、という意図もある。それにこう

いう技術を実際に使うまでには時間がかかるから、時間稼ぎにもなるという訳だ。

 技術は言わば楓の虎の子であり、何よりも尊重し大事にすべきものであったが。だからこそそれを無償

で提供した事に意味が生まれる。それが民の生活を利するようになる技術だとすれば、尚更であろう。痛

い出費ではあったが、充分に元を取れる筈だ。

 しかしこうした事で楓と楚斉の技術力差が埋まる事は避けられない。楚斉も与えられた技術をいずれは

軍事に転用するだろう。そうなれば兵力差の不利を補えなくなる。

 そこで楓流は玄一族との交流を更に深め、もう一歩、二歩上の技術を生み出す事に力を注いだ。開墾や

治水、道路工事などにも励むものの、楓がおそらく大陸でも一番優れている技術力の更なる向上によって、

国家としての力を増そうと考えたのである。

 そしてそうする事で、様々な事業にかかる金銭と資材を節約する事もできる。より優れた技術ができる

事は、より負担を減らす事にも繋がるのだ。時間の短縮にも繋がるし、良い事尽くめである。

 ただし技術革新は簡単にできるようなものではない。玄一族の技術と初めて交わった時、湯水のように

湧いてきた新しき着想も、時が経てば枯れてくる。

 そういうものは無限に湧いてくるものではない。特にその技術が高度になればなるほど、それを上回る、

または一新するような考えを出す事は難しくなる。

 それに例え案が浮かんだとしても、それを現実問題として使えるのか、実現させる事ができるのか、と

いう問題もある。確かに良い案であっても、今の技術では不可能であったり、いざやってみると大きな問

題点が浮かび上がってきたりもする。一朝一夕でできる事ではなかった。

 楓流は優れた技術者の必要性を痛感する。

 例えば二玄のような存在が居れば、今よりも技術革新にかかる期間を短縮する事ができるだろう。こう

いう事には個人の優れた頭脳が物を言うものだ。

 しかし二玄を連れてくる事はまず不可能である。秦がそれを許さぬだろうし、それ以前に二玄自身が首

を縦に振らないだろう。よほどの理由が無い限り、彼らは一国に仕える事をしない。

 ただ、それをよほどの理由があれば、と考えているように、今現在において、楓流もそれを必ずしも不

可能な案だとは考えていない。玄一族の不満、西方の変化を考えれば、玄一族を丸々抱える事は不可能で

も、その一部を取り込む事は可能だと考えている。

 彼らの理念を尊重してやりさえすれば、そして家臣としてではなく、あくまでも協力者、或いは友人と

してなら呼び寄せる事も可能だろうと。

 その為の第一手として、楓流は玄張に向けて個人ではなく国家として使者を出す事にした。

 しかしその為には、まず秦の許可を取らなければならない。趙深と方法を相談し、了承を得る為の使者

には明開を当てる事が決められた。簡単な役割ではないが、無理な話ではない。明開ならば何とか成し遂

げてくれるだろう。

 もし彼がしくじったとしても、別の手を考えるまでだ。



 全ての準備を済ませると、楓流は急ぎ窪丸へ戻った。あまり急いでは不信に思われるから、必要以上に

速度を出す事はできないが、できる限り急がせた。窪丸へ急ぎの使者を出す事も考えたが、それもまた楚

斉を刺激するだろうと思い、止めている。

 衛と楓の間に楚斉が居るというのは、実に不便だ。だからこそ楚斉の視察、姜尚の弔問と衛への移動を

兼ねる事ができたのだが。それを差し引いてもやはり不便だと感じるのは、人が身勝手な生き物だからか、

それとも楓流自身がそうだからだろうか。

 どちらにせよ、不満は解決できないからこそ不満なのである。

 楚王、斉王には近い期間に二度も謁見を申し出るのは非礼だと、挨拶を述べる使者を送るに止め、粛々

とだができる限り急ぎ進む。楓領に入っても楚の間者を考え、油断せずそのままの速度を保った。この辺、

楓流は酷く辛抱強い。

 そして窪丸に着くや否や、すぐさま明開を呼び、その役目を申し付けた。明開は意外な案に驚いていた

ようであったが、であればこそ成功させやすいと不敵な面構えをして述べ、すぐさま秦へと発っている。

 楓流はそれを見送り、いつでも送れるよう玄張への使者を準備する。これには鏗陸が打って付けだろう。

彼ならば信頼もおけるし、その実直な人柄であれば、おそらく玄一族にも気に入られる。

 後は明開が持ち帰る筈の吉報を待つだけである。



 秦の返答は好意的なものであった。おそらく三功臣が口添えしてくれたのだろう。それにこれは楓に嫁

いだ秦姫、黄夫人にも関係のある事で、秦にとっても好ましい事だと考えたのかもしれない。

 楓流が許可を得たのは、玄張の娘、玄瑛を楓流の側に置く事である。勿論ただ置くのではなく、黄夫人

に仕える者として置く。黄夫人と玄瑛が繋がるという事はつまり、玄一族と秦との関係を強める事になる。

秦にとっても異論はない。

 秦も玄一族の今の扱いに対して、多少の申し訳なさを抱いている。このまま行けば、いずれ民がその扱

いに対して不満を抱くようにならないとは言えないし、この楓の申し出は渡りに船と言えなくもなかった。

 秦臣の中には、確かにそれで玄一族との結び付きは強くなるかもしれないが、楓の方がもっと強くする

のではないか、という当然の意見もあった。しかしこの時点ですでに楓流と玄信との間に友誼が結ばれて

いる事を秦側も知っている。それを考えれば、今更それを言っても仕方の無い事だ、という結果になった

ようだ。

 無論、そうさせたのには明開の手腕もある。

 こうして晴れて許可を得た上で、楓流は玄張の許へと鏗陸を使者として発した。これが成功すれば、目

的へ一歩近付ける。まだまだ時間と手間はかかるだろうが、その一歩を踏み出せたか否か、これは大きな

違いである。鏗陸には期待したい。




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