16-8.反転


 梁では鏗陸が出迎えてくれた。

 危機はすでに報じられているのか、軍を引き連れ、南方付近にまで進めている。命令があればすぐにで

も救援に向かうつもりであったらしい。

 兵数は梁の軍勢も合わせて二千程。彼も彼で兵数不足を予想し、己を梁で遊ばせておく事はせず、独自

に軍を募り、編成、訓練していたようである。梁政府を押さえておくのにはより大きな軍事力が必要とい

う事もあったのだろう。

 確かにそういう権限を与えていたが、鏗陸がそこまで考え、準備してくれていたとは思っていなかった

ので、心が弱くなっている事もあってか、楓流は彼の成長に感動した。

 なるほど、歳もとる筈である。

 だが鏗陸率いる軍勢は一部の楓兵を除き、士気と錬度が高くない。これを扶夏王軍にそのままぶつけた

としても返り討ちにあうだけだろう。しかし軍を得た以上、救援に行かなければ、南開は見捨てられたと

考える。扶夏王の侵攻(或いは領土回復)によって著しく楓の支配力が低下している今、それは非常に宜

しくない。

 とにかく少しでも効果的な手を打つ為、情報収集に励む。

 それによって解ったのは、まずはっきりと楓の威が減じている事。楓流は騙(だま)し討ちにあった格

好なのだが、それも同情ではなく彼の愚かさを際立たせる方へ向かっている。今まで順調にきていた事が、

かえって民の失望の念を強めさせてしまったのかもしれない。

 やはり敗北は怖い。扶夏王軍の脅威が現実化した事で、警戒心から大陸人同士の結び付きを強める事に

もなったようだが、それがなければ南方楓はすでに瓦解してしまっていただろう。

 敵が強過ぎた故に助かった。皮肉な事である。

 列強がこれで動いてくれれば良かったのだが、秦も越も楚も依然静観の構え。双のみは、おそらく双正

(ソウセイ)だろう、積極的に動いてくれているようだが、秦と越が動かないのでは、双も動きようがな

い。秦と越を通らねば兵を送れないし、下手に動いて西方の均衡が崩れるのまずい。双が磐石(ばんじゃ

く)であってこそ、秦や越を抑えていられるのだ。それが衰えれば、どうなる事か。

 いっそ南開が落ち、梁まで南蛮に奪われてしまえば、大陸人の危機感が決定的なものになり、各国重い

腰を上げざるを得なくなるのかもしれないが。それは楓の完全なる威信失墜を意味する。できればそうい

う状況にはさせたくない。

 だが現状、楓だけで立ち向かうのは、はっきりと不可能である。

 今楓流にできる事があるとすれば、町村連名、中諸国から兵をかき集め、扶夏王軍を威圧できるだけの

軍容を整えるしかないが。鏗陸によれば望みは薄い。

 どの勢力、市町村も震え上がるのみで、自国防衛に使うならまだしも、わざわざ南開などの為にこちら

から負け戦を挑むのは嫌だという訳だ。

 それは当然起こるべき心情で、楓流は自分から勝機が去っている事を理解せざるを得なかった。猛牙達

がその身を犠牲にまでして拾ってくれた命だが、これではその想いに応えられるかどうか。

 策は無い。兵力も時間も無い。最早玉砕覚悟で突っ込むしかないのだろうか。

 本国へ戻って再起を図るという手もないではないが、ここで南開を見捨てて逃げれば、二度と威信を回

復できなくなる。今はどうしても南蛮に立ち向かい。例え南開が落とされたとしても、せめて幾らかの将

兵を助けなければならない。

 しかしできるだろうか。

 ここはいっそ南開に降伏させるべきではないか。

 扶夏王は大陸人、部族問わず味方に付けている。南開の将兵は良く戦っている。これだけの戦ぶりを見

れば、扶夏王も・・・。いや、楓流の件で大陸人への憎悪が強まっている今。他勢力ならともかく、楓の

一党となれば容赦ないかもしれない。

 彼の気性の激しさは楓流も身に染みて解っている。信用できない。

 方針は決定された。

 選択の余地は無い。一兵でも救う為、今は動くしかないのだ。

 楓流は自ら先頭に立って軍を率いた。これには多少効果があったらしく、少しの間士気を高め、行軍を

楽にさせている。しかし南蛮の脅威の前には余りにもか細く、戦闘距離にまで近付く頃には、目に見えて

落ちていた。

 何度か演説をしてその心に使命感を植えようと努力してもみたが、焼け石に水である。軍という形を繕

うだけで精一杯だった。

 このままでは敗北は必至。頼みは少数の楓兵だが、果たして切り抜けられるだろうか。

 流石に自信は持てなかった。



 楓の援軍が近付くと知ると、扶夏王は二千の別働隊を編成し、迎撃に向かわせた。同数の兵を当てたの

は自信の表れか、それとも何か別の意図があったのか。どちらにせよ、自らの力を見せようという意志が

あった事は確かだろう。同数の兵を持って正面から打ち破り、自らの威を回復するつもりなのだ。

 その為にわざと互角の数を送った。決して傲慢な手ではない。冷静に計算された結果である。扶夏王は

楓の懐事情を把握している。もし楓に余力があれば、そもそも休戦条約など考えなかっただろうし、窮地

に陥る前に兵力を増強させていただろう。

 兵を梁で遊ばせておく意味は無いのである。南開の兵が多い方が交渉も有利になるだろうし、わざわざ

余剰兵力残して置く意味は無い。

 楓流が弱気とも見える条件を出したのも、扶夏王に勝てる自信が無かったからだ。もしあれば、正々堂

々と、とは限らないが、ともかく一戦交えた筈である。

 休戦などはその後に考える事。いくら勝ち目が薄くとも、いやだからこそ戦わずして降伏にほぼ近い条

件を出すなど、考えてみれば愚かでしかない。自らその弱さを露呈(ろてい)させたのである。

 扶夏王が暗殺を企てた理由にはその弱気もある。戦わずに敗北するような者には惨めな最後が相応しい

と考え。それならば自らの手で殺す事で、部下達に自らの勇を示そう、大陸人に見せ付けてやろう、と考

えたのだろう。

 推測でしかないが、その前後の行動を見るに、示威行為であったと考えるのが自然と思える。

 この点を楓流は見誤っている。

 彼は援軍を進める事で扶夏王が兵を二分する事を期待し、それによって南開を助けられる可能性を広げ

ようと考えた。自らを囮(おとり)にする以外に、方法を見付けられなかったからだ。

 しかし扶夏王が動かしたのは二千の兵。これでは南開への圧力にあまり影響が出ない。言わば予備兵を

そのまま回したに過ぎず、大勢に影響は無いといえる。勿論多少薄くなるが、包囲し続けるには充分な兵

力が残されている。

 これで援軍が打ち破られでもすれば、南開の士気が決定的に落ち、諦めと共に降伏するしかなくなる。

頼みの援軍すら簡単に破られてしまっては、南開の兵に希望など残る訳がない。止めを刺されてしまう。

 楓流の打った手は効果的だったとは言い難い。とはいえ、他に手があったのかと問われれば、答える術

も無い。

 確かに楓の勝ち運は逃げてしまったのだろう。

 しかしここで予期せぬ事態が起こる。

 援軍到着に奮起した南開兵がこれが最後の勝機と勢い込み、一か八か全軍を一点に集中させ、包囲突破

を狙ったのである。これは無論、楓流の指示ではない。訓練を積んだ間者も易々と入れぬ程包囲は厳重で、

命じようにも命令が届かなかった。だからこれは南開軍が思い余った上での暴走行為と見た方がいい。

 無残に散るしかないと思われたのだが、意外な効果を及ぼした。

 連日の激戦で疲れきっていたのは南蛮兵も同じである。その上、急ぎに急いだせいで兵糧の用意も多く

ない。蓄えは雍涯が使っていたし、途上の拠点も楓に焼き払われた。強行軍のつけがここに出てしまった

と言えば、そうなるのかもしれない。

 その前にも侠族と激しい戦いを繰り広げていたし、兵が疲労していない訳がない。次第に亀のように篭

る南開兵を侮るようになり、その心に油断が生まれ始めてもいた。そこに味方である楓流でさえも驚く突

然の反撃、驚かない訳がない。

 攻めている分には高揚して疲れを感じなかったが、守勢に回れば隠れていた疲れが見えてくる。

 包囲陣も攻撃に偏ったものになっており、二千の兵が抜けた事もあって、実は見た目以上の穴ができて

いた。部族でない楓の間者が抜けるには小さ過ぎる穴ではあっても、穴は穴。そこに二千近い兵が一気に

雪崩れ込めば流石に無事では済まされない。

 壊乱するような事にはならなかったが、隙に乗じ、南開軍は運良く逃げ道を得た。

 兵を率いている表洞、邑炬も正直成功するとは考えていなかった。どうせ死ぬならと開き直っただけで

ある。しかしそれが予想外の効果を生み出し、俄然(がぜん)勢い付いた。それは絶望の淵にあって尚湧

き上がる希望の炎。確かに胸に燃え上がったものを、誰が止められるだろう。

 南蛮兵は気圧され、動揺する。いや、そこに美しき勇を見たというべきか。それは真っ直ぐな感情、心

の奥底、何よりも純粋な所から生まれた昂(たかぶ)り、全てを圧する衝動である。

 この時南開軍は疲労を忘れ、たった一つの希望の下、本来持っている全ての力を発揮した。

 それは物理的な何かではなかったが、確かに現実の圧力として南蛮兵に与えられ、一時彼らにその誇る

べき力を忘れさせる。

 そしてか細く開いた穴を広げるというよりは、こそげとるように強引に空け、全ての兵が逃げられた訳

ではなかったが、千程度の兵が包囲を脱する事に成功した。

 その報を聞き、誰よりも驚いたのは楓流とそれに対峙する二千の南蛮兵。意図せず前後から挟撃する形

を取られ、あまりにも意外な事態に南蛮兵も浮き足立ち、統制が乱れる。

 それを見逃す楓流ではない。目に見えぬ勢いに乗せられた兵と共に一撃を加え、劣勢に陥った南蛮別働

隊はそれ以上争う事無く退いて行く。おそらく絶対に出て来れない筈の南開軍が出てきた事で、本体に予

期せぬ何かが起きた、下手すれば敗北してしまった、という強い不安を抱いたのだろう。

 どんなに強い人間でも、絶対なものを崩された時は一時的に脆くなる。南蛮部族も所詮は人間。いくら

強くとも、この不安からは逃れられない。

 ただし流石に然る者。逃げるには逃げたが、楓軍にそれ相応の被害を与えている。彼らは逃げるにして

も空いた場所を行くのではなく、迫り来る(逃げ来る)南開軍を突破して逃げたのだ。

 そこからもあくまでも本陣を心配し、その為に退いた事が解る。混乱して逃げ帰ったのではない。もし

退かずに戦っていたとしたら、例え挟撃する形になったとしても、もしかしたら扶夏王本軍が回復し追い

付くまでの時間を稼がれていたかもしれない。

 全ては幸運。

 南開は落とされ、楓軍に被害も甚大。勝者は紛れも無く扶夏王の方だった。

 だがこのような勝利は扶夏王の誇りを傷付けるものでしかなく、彼に更なる苛立ちと恨みを刻み込む事

になる。楓流個人に燃えるような復讐の念を抱いたのは、この時からであろう。



 楓流は乱れつつある兵を何とか纏め、梁と南蛮の境界付近にまで引き、休ませながら新たな兵を募った。

 敵側に被害が少ない事は楓流も知っている。南開を落とした事でそこに蓄えられていたままの食料、資

材などを手に入れた扶夏王軍は、再編と休息を終えればすぐさま侵攻してくるだろう。扶夏王としてもこ

のままでは終われない。

 幸いにも非戦闘員を脱出させた際、資金など戦にすぐに用いない物をある程度一緒に移動させていたか

ら(そのまま持ち逃げされてしまった物も、少なくなかったようだが)、暫くは資金面での心配は要らな

い。楓に良い点があるとすればその程度か。

 本気の扶夏王軍を支えられる軍を持つ国家はこの付近に居ないし、南開を落とされた事で楓流への評価

は著しく減少した。ここ梁でも軍を率いていなければ、南蛮への恐怖心がなければ、どうされていたか解

らない。

 中にはいっそ扶夏王に投降しようか、と考えていた者も居ただろうし。現実に大軍が迫ってきたとなれ

ば、残った兵の戦意も吹き飛んでしまうだろう。南蛮の恐怖はしっかりと刻み付けられている。

 このままでは戦えない。戦っても敗北は必至。三千弱の兵ではとても対抗できない。

 命のある内に逃げようとする者達も少なくないだろうし、それはいくら兵を募っても全く反響がない事

からも解る。扶夏王に立ち向かおうなどという心は一掃されてしまった。抱いていた不安が全て的中し、

現実になっていく。この流れを止める術は無い。

 今の楓では軍という形を保つだけで精一杯であった。

 最早虚勢を張る元気もない。その弱さは誰もが知っていた。今更隠しようはない。

 この状況を打破するにはせめて中諸国が一丸となる必要があるが、それを望めるだろうか。

 知っての通り、中諸国には複雑な事情を持つ国が多い。特に狄(テキ)、子遂(シスイ)など楓にとっ

ては頭痛の種。狄と子遂の動きには常に不穏があり、そもそもそれがきっかけになって今の状況がある。

 苦労して南方を切り拓いてきたが、その努力も扶夏王の予想外の出現によって無力化され、今ではすぐ

そこにはっきりした脅威としての南蛮がある。楓が頼みにならぬ、思ったよりも弱い、と見れば狄ももう

一歩進んだ手を打ってくるかもしれない。

 ここで大陸同盟を発動する、と言っても、その中心となる楓に力が無いのでは、誰が賛同するだろうか。

秦や楚は自分の国までは南蛮も来ないだろう、もし来たとしてもその間にある梁、蜀、楓によって相当に

消耗され、来る頃には脅威ではなくなっている筈だ、程度に考えている。

 わざわざ今遠征する必要は無い。敵が疲弊するのを待ち、それを討てばいい。しかもその場合、梁、蜀、

楓の領土回復という大義名分を得られる。それを利用すれば落とされた国家を実質支配する事もできるだ

ろう。その時には有力者もほぼ殺されているだろうし、掌握するに労は無い。

 大陸同盟という名がある事は、むしろ厄介であった。

 それに楓が弱りきっている今、例え良い返事をもらえたとしても、代償に一体どれだけ大きなものを要

求されるか。大陸同盟などというものは、楓が南方に居る間、秦や楚の侵略を抑える為の言い訳の一つ、

程度のものでしかない。頼ろうなど無理な相談だ。

 今頼れるとすれば、衛か蜀だろう。布(フ)や伊推(イスイ)といった味方も居るが、これらは中諸国

安定の為にある程度の軍事力を有している必要がある。迂闊(うかつ)に動かせば、その隙に乗じて狄や

子遂が動くかもしれず。楓流がどんな窮地にあれ、いや窮地にあればこそ、動かせない。

 しかし頼りの衛は遠く、蜀は積極性に欠ける。なかなかに難しい。

 それでも打てる手はそれしかなく。蜀と衛に使者を発し、救援を待つしかなかった。



 衛はすぐさま軍を発したが(いざという時の為に準備だけは整えていたらしい。趙深も南蛮という存在

には脅威を感じていたようだ)、二日三日で来れるような距離ではない。いくら急いでも週単位の時間が

かかる。

 蜀の方は渋ったが、梁が落ちれば次は蜀だという事を理解させ。二千の軍を送ると最後には言わせたが、

楓流は強引に更に千を上乗せさせ、計三千の軍を逐次送るように申し付けた。それがあまりに強い命令で

あったので、流石に蜀王と臣は不快の念を抱いたようだが、それだけの危機である事を察し、渋々従って

いる。

 中には楓の力が衰えを見せている以上、いっそ他へ鞍替(くらが)えすれば良いのでは、という意見も

出たようだが。そこまでは王の方が煮え切らなかった。それに信頼できるという点では楓か衛が最も優れ

ている。他の国は信ずるに足らず、付いてもいずれ使い捨てられるのなら頼んでも無意味である。結局、

楓と歩みを共にする、という意見に圧された。

 しかし援軍を送るのを決めても、それですぐどうこうできる訳ではない。ほとんど準備もしていなかっ

たし、今は千がせいぜいで、全ての兵を送りきるまでにはこちらも週単位の時間がかかる。

 それまで楓流は手持ちの兵で耐え抜くしかないが、扶夏王がそれを待つ理由はない。こちらの事情を

察すれば、多少無理しても即座に攻め寄せてくる筈だ。その時、いつまで持ち堪えられるだろう。

 楓流は悩んだ末、民間人達を南方付近から避難させる事にした。蜀でも梁北部でもどこでもいい。小さ

な街では防衛もままならない。備蓄してある物は全て移動し、空き家など扶夏王にくれてやれ、と考えた

のである。

 そうなれば扶夏王の補給線が伸びる事にもなるし、南方以外の場所でなら優位に戦えるかもしれない。

剽悍な南方部族とはいえ、慣れぬ土地では苦労するだろう。大陸人の土俵に上げれば、扶夏王軍も今まで

のような力を発揮できないかもしれない。

 時間が無い為、これも強引に実行し、楓流自身は梁都啓封(ケイホウ)にまで引いた。

 本拠を賭けての一戦であれば梁兵も奮い立つかもしれない、という目算もあっての事である。



 扶夏王は楓流のやり方に違和感を覚えたようだったが、それで躊躇する程臆病ではない。というよりも、

さあ獲れとばかりに放り出された餌であれ、いやそうであるからこそ、それを無視するのは勇にあらずと

見られるのを恐れた。

 しかし流石に慎重である。

 扶夏王は全軍を持って出陣したがそのまま攻め込もうとはせず、まず千の部隊を作って先行させ、安全

確認と占領する役目を与えた。

 勿論罠などは無いから(兵数的にも時間的にも余裕がなかったからだろう)あっさりと占領でき、次々

に拠点を増していく。だがその拠点には家以外何も無いに等しく、多少扶夏王を困惑させた。

 しかしそれは明らかな逃げであり、楓を大いに嘲笑する事で士気を高めた。したたかというよりは、扶

夏王自身の気分がそうだったのだろう。違和感はあったが、大陸人は臆病という事で納得させ、その内そ

の事にも注意を払わなくなった。

 この事が扶夏王の油断に繋がっていくのだが、それを責めるのは酷というものかもしれない。彼は南方

統治の為に有力武将を置き、単独でやってきているようであるから、諌められる者も、彼に代わって細か

な事をできる者もいなかった(本来共にすべき雍涯は死んでいる)。

 そして何より、部族として育ち、生きてきた扶夏王には、わざと敵に住む家を明け渡すなどという考え

を、とても理解できなかった。臆病故と理解するしかない。

 扶夏王も人の子という事なのだろう。

 扶夏王軍はとうとう啓封にまで到達し、篭る楓流を睨むように陣を敷いた。挑発するようにすぐ目と鼻

の先である。夜襲を仕掛けようと考えれば即座に行える距離であった。しかしまだこれは油断ではない。

 夜警もきちんと行われ、中には堂々と門の側にまで来る南蛮兵もおり、例え夜襲を試したとしても、大

して効果はなかっただろう。おそらく兵も半数は起きており、常時臨戦態勢にある。

 警戒された敵に何をしても、効果はあがらない。例えどのような策であれ、不意を突けなければ無意味

である。策は所詮は偽、まやかしの力。使い方を間違えれば、欺(あざむ)かれるのは自分自身の方だ。

 戦も相対的なものである以上、常にそれを自分が受ける可能性を置いておかなければならない。自らだ

けで完結しているような策を立てても、机上の空論に終わるのみ。

 策が通じないなら正攻法で挑むしかないが。楓はそれだけの力を持っていない。梁全土よりかき集めた

兵、蜀より逐次送られてくる援軍、を合わせても五千いくかいかないか。まだ倍の差がある。啓封も急ぎ

防衛を整えさせたが高は知れている。防衛力は南開と五分五分もいけば良い方だろう。

 劣勢に変わりない。幾らか勝率が増したかもしれないが、このままでは勝利は覚束ない。衛の援軍が来

るまで、果たして持つのだろうか。

 楓軍は不安を抱えたまま、亀のように篭るしかなかった。



 扶夏王軍はそれ以上時間をかけようとはせず、朝日の昇るのを待って、即座に戦を仕掛けてきた。

 昨夜ゆっくり眠って疲労の抜けた兵が怒濤(どとう)のように襲い掛かり、啓封は何度も陥落の危機を

迎えさせられた。それでも凌(しの)げたのは、表洞、邑炬が予想以上の働きを示してくれた為であり、

もし楓流一人であったなら、その勢いに飲まれていただろう。

 猛撃は日が高くなるまで続き、一時引いた。しかし次にそれまで休んでいた兵が動き、再び怒濤のよう

な攻撃を繰り返す。そんな事を夜まで続けられれば、楓流側は皆へとへとになってしまった。

 扶夏王は拠点攻めも心得ている。もしかしたら平地など南方外での戦闘を考えた訓練まで行っていたの

かもしれない。これはおそらく配下に組み入れた大陸人達から得た知識なのだろう。

 どうやら地の利は期待したものではなくなってしまった。扶夏王軍に死角無し。

 楓流はこの点も読み違えていた。確かに相手は南方部族、南方からほとんど出た事がない。しかし何も

知らない訳ではないのだ。見た目に騙されると、手痛いしっぺ返しを喰らう事になる。油断していたのは

楓流の方だった。

 被害は大きく、このままでは数日持つかどうかも危うい。蜀兵の逐次投入も眼前に扶夏王軍が居ては無

理であるし、それらを別働隊として働かせるにも兵力不足。いよいよ手がなくなってきた。兵達もいつま

で従ってくれるだろう。今日寝返る者が出てこなかった方が不思議である。

 表洞、邑炬が上手く抑えくれているとしても、いつまで持つか。楓軍にこの戦いに命を賭けてもいいと

考えている者が、どれだけ居るのだろう。

 焦りのみが浮かび、否定してはまた浮かぶ。どう足掻いても離れず、楓流は今日一日で酷く消耗(しょ

うもう)していた。梁政府もしっかり押さえておかなければならないし、心労の消える暇が無い。

 もう半ば意地で立っているようなもので、限界を迎えるのも時間の問題だと思えた。

 一夜明け。絶望と共に太陽を眺め見る。予想外に扶夏王軍は動かない。相変わらず目と鼻の先に布陣し

ているが、今までのような挑発的な行動も見えない。こちらの状態を確認するように、じっと眺めている。

 最後の最後まで獲物の状態を確認する獣のように見えた。

 そうして緊張と不安の中じりじりと時間だけが進み、日が高く昇った頃、驚くべき報が届く。

 狄が軍勢を発し、蜀に向けて侵攻したというのだ。

 楓流は今度こそ目の前が真っ暗になった。




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