17-3.王は現


 魯允と穆突の対立が深まる中、孟角が動き出す。

 具体的に言えば、軍勢を整え、集落に向けて進軍させた。

 驚いたのは魯允である。秦が南方側へ領土を広げれば広げる程、扶夏王勢に危機感と敵意を持たれるの

は当然だとしても、扶夏王領へはまだ距離がある。だから侠族を匿(かくま)っても何とかなるという計

算だった。それがまさかこんなに早く直接的な軍事行動に出て来るとは。

 秦が恐ろしくないのだろうか。それとも南蛮とは魯允が考えていた以上の力を持っているのか。

 だが例えそうだとしても、これは蛮挙であろう。

「所詮、蛮族は蛮族よ」

 魯允は少々失望した。扶夏王はもう少しましな男で、その部下にももう少し知恵が回る者が居ると考え

ていたのだが、どうやら短絡的な物の見方しかできないようである。

 扶夏王が一度しくじって尚楓に対して優勢を保っていられるのは、秦を筆頭とする列強国が参加してい

ないからだ。南蛮と楓を戦わせ、漁夫の利を得る事を列強国が考えているからこそ、扶夏王は優位でいら

れる。

 しかし秦に手出ししたとなれば、当然秦は攻勢に出ざるを得ず。そうなれば以前から楓に協力しようと

考えていた双も動く。そしてこの二大国が動くとなれば、その利に乗じようと越も協力を申し出るだろう。

 結果、扶夏王は以前の孫のように大陸中を敵に回す事になり、自ずと滅びる。生きる道があるとすれば、

秦と友好を結び、南方で大人しくする事。或いは楓を攻め落とし、その後各国と平和条約でも結ぶ。

 だが今回の蛮挙でそれらの道も塞がれる。大陸人は南蛮を毛嫌いしている。積極的に攻める事を主張せ

ぬでも、南蛮が牙を剥けば大陸人の力を見せ付けてやろうと奮起する者は多い。

 越を儲けさせるのは癪(しゃく)であり、自分の予定通りいかない事にも腹が立ったが、所詮は蛮族、

仕方ないと魯允は諦めた。扶夏王を生き延びさせ、行く行くはそちらに入り込み、蛮族共を操って天下を

獲る。という道も考えていたのだが、蛮族を当てにする方が間違いであったのだ。

「しかし厄介な事になったわ」

 それはそれでも良いが。迫る孟角軍が厄介である。穆突からの報に寄れば、孟角自らが率い、万を超え

る兵数だという。侠族は扶夏王軍に負けている。秦が全面的に協力せねば勝てはしまい。

 まあ、それもまた仕方のない事か。いつかは敵対するしかないのなら、楓が扶夏王本隊を引き付けてく

れている内に戦えるのは、まだしも幸いである。

 ただその矢面に自分が立つというのは我慢ならなかった。

 魯允も兵法には通じている。五分の状況であれば、大勝とはいかぬでも、負けない自信があった。しか

しどう考えても南蛮兵の方が強く。侠族もどこまで信用できるか解らない。

 他の誰かがどうなろうと知った事ではないが。自分の身が危険にさらされる事には我慢ならない。

 ただでさえ南蛮軍は勇猛で、退く事を知らない。粗暴(そぼう)な穆突に知恵を貸しても台無しにされ

る可能性が高いし、蛮族なんぞに命を預けられる訳が無い。どうすれば生きて帰れるだろう。

 大見得きって出てきた手前、自分だけが逃げるのも、王に泣き付くのも格好が付かない。穆突とわざと

仲違いして逃げるという手もあるが、それでは一生笑い者にされる可能性がある。今まで築いてきた権威

も崩れ落ちてしまうだろう。

 一度でいい。五分以上に戦ったという印象を付けておく必要がある。

 魯允がその為の算段をああでもない、こうでもないと付けていた所へ、秦王から伝令が届いた。

 王命を聞いた魯允は、飛び上がらんばかりに喜ぶ。

「やはりわしは天命に導かれておるのだ。楓流などという馬の骨ではない。天に求められておるのは、こ

のわしなのである」

 魯允は早速準備に取り掛かる。そういう策も念頭に置いて準備していたから、今更驚く事は無い。驚い

たのは秦王がそれを独自に考えた事だが。三功臣にでも入れ知恵されたのだろう、と深くは考えなかった。

 彼は王を傀儡(かいらい)としか考えていない。



 魯允軍は軍備を整え、穆突軍と共に陣形を敷いた。

 魯允軍は主に弓矢を使い、前方に突き出した穆突軍を補佐する役割である。これは甚だ不公平な陣形だ

が、同胞の仇を己が手で討ちたいであろう、と言われれば侠族に断る事はできない。

 それに侠族も初めから秦の、大陸人の軍事力など当てにしていない。自分達より遥かに劣る軟弱な兵だ

と考えていたし、補給以上の役割を考えていなかった。初めから自分達だけで扶夏王と戦うつもりだった

のだ。

 確かに一度破れ、決定的な敗北を喫(きっ)しはしたが。それは扶夏王自身が率い、そして数でも負け

ていたせいである。孟角などという使い走りに遅れを取るとは考えもしない。

 彼らにとって不安だったのは食料や武具であって、それらを手に入れられた今、そして充分に休息を取

った今(開拓作業も彼らにとっては良い訓練でしかない)、負ける理由などどこにも無かった。

 そして待つ。ただ待つというのも屈辱であるが、その方が優位を取れる。穆突が敵を恐れたのではなく、

あくまでも魯允に合わせた為、という形も取れるし、まさに願ったり叶ったりの状況だ。

 穆突は勝利を確信していた。

 孟角軍が来るまでには半月近い時間がかかった。明らかに時間がかかり過ぎているが、穆突は扶夏王以

外は相手にならず、と考えていたから、それも無能なせいだろうと高を括った。自軍の兵がだれるのだけ

が心配だったが、それも杞憂(きゆう)に終わっている。

 ようやく憎き扶夏王軍を倒せるのだ。士気が衰える訳が無い。だれる所か益々高まり。恐れを知らぬ侠

族の血が全身を漲(みなぎ)る。南方部族にとって敗北以上の恥はなく。今生き延びて恥をさらしている

のも、それを雪ぐ為である。それが叶う今、かえって兵を抑えるのに苦労する程であった。

 誰もが眼前の孟角軍のみを見、その首を獲る事だけを考えている。

「全軍、突撃!!」

 そんな彼らがいつまでも待っていられる訳がない。魯允など初めから無視し、独断で動き出した。長距

離移動で疲れた孟角軍を一息に打ち砕く腹である。たまりにたまった勢いが矢のように放たれ、真一文字

に孟角軍へと殺到する。

「ウォォォオオオオオオオオオオオオッ!!!!」

 侠族は怒りの奔流と変わり、哀れ孟角軍は一撃の下に砕かれてしまうと思われた。

 しかしそこに放たれたのが魯允軍からの無数の矢。

 不意に背後を襲われ、侠族は大いに乱れた。穆突でさえ伏兵かとうろたえる程であったという事からも、

その混乱ぶりが知れよう。

 そこへ間髪入れず孟角軍が突撃を仕掛ければ、最早抗う事などできなかった。

 穆突が秦の裏切りに気付いたのは全てが終わった後。両軍共に多数の死傷者を出し、侠族がほぼ全滅し

た後だ。魯允軍も怒りに燃える侠族によって相応の報いを受けたようだが、孟角軍に比べれば知れている。

 戦闘の機会が増え、その分戦功を積む事ができた事をむしろ魯允は喜んでいた。彼にとって兵の命など

何でもない。ただの道具でしかなく。自分以外の人間が死のうが生きようが興味なかった。道具は使えさ

えすればいい。

 集落に残っていた女子供達は約束通り孟角軍に引き渡され、代わりに孟角軍も略奪を控えた。彼らも今

はまだ秦を敵に回すつもりはない。素直に約定に従っている。

 全ては予定通り、何も問題は起こらなかった。

 そして互いの健闘を称える為、その夜盛大な祝宴が開かれたのである。



 魯允はその夜珍しく酔い潰れ、正体もなく泥のように眠り続けていた。

 戦場の空気、乱れ舞う血と血。その全てが老骨を奮わせるには充分だった。戦がこんなに容易いものな

ら、何故今までもっと積極的にしてこなかったのか、と自分に疑問を抱いたくらいである。自分の命で兵

が死んでいく事も喜悦でしかなく。高き所から人の生死を見下し、操っているかのような気分を味わう事

もできた。

 将棋や碁の世界に飛び込んだようなものである。一手一手の生々しい空気を体験する事ができ、当然の

ように勝利を収めた。その味は格別で、何にも代えられない。そしてこれでもう魯允を臆病者と罵る事は

できまい。武に劣るなどと馬鹿にされる事も無くなるだろう。彼は勇猛で鳴る南方部族に勝ったのだ。

 秦の将の中で、彼だけがその名誉を得た。誰に遅れを取る事もあるまい。

 自分に唯一無いのが戦功であると魯允は常々考えていたが。最早劣るものは無い。三功臣に成り代わり、

秦を牛耳るのも時間の問題であろう。

 このようなめでたき日に、酔わないでいられようか。勧められるままに飲み、浴びるように飲んだ。魯

允の全身からは酒気が立ち昇り、まるで酒に浸かりでもしたように目は虚ろ、足取りも覚束ない。自分が

何をしているか、どこに居るのか、どういう状態にあるのか、何も理解できていなかっただろう。

 他の秦兵も同様である。ようやく功を挙げた。これでもう古参にでかい顔をさせずに済む。ようやく出

世の糸口を掴めた。日頃の鬱憤(うっぷん)も、互いに競争相手であるというしがらみも捨て、まるで生

まれながらの親友のように互いを称え、喜び合う。

 ここに居る全ての者に、生き延び、勝利を得た全ての者に、幸運が待っている筈であった。

 だが日が落ち、誰もが潰れ、眠りに沈んだ後でそれは起こった。

 血に染まる顔。

 突如牙を剥いた孟角軍に魯允兵は誰一人抗えず、皆泥のように眠ったまま、痛み無く死んで逝った。数

多の首が挙げられ、一部の事情を知る者を除き、魯允一派は尽(ことごと)く殺された。

 最後に集落ごと火をかけられ、盛大な宴は鎮魂(ちんこん)の儀へ姿を変える。

 後世、遺体を欠損させる、焼くという行為は大陸人に対する最大の侮辱の一つになるが、この当時はま

だそれほどではなかったのか、この事に関する非難の言葉は見当たらない。むしろこの事を享受し、一つ

の葬儀として認めるような言葉が見受けられる事から、火葬という方法ももしかしたら認められていたの

かもしれない。

 或いは死んで魂が失われた以上、抜け殻になった肉体など何の意味も価値も無いと考えられていたのか。

 死者など溢れるくらい存在する時代に、一々気にしろという方が無理なのかもしれない。実際、疫病や

戦争での死者は大きな穴を掘ってまとめて放り込まれるのが常であったし、面倒だとそのまま放って置か

れる事も多かった。

 今回のように結果として焼き払われた例も少なくなかったようだし、南蛮に相応しい蛮挙などとは言わ

れなかったようである。

 全てに片が付いた後、孟角は予定通り秦へ使者を送った。

 曰く、以前から使者を発して侠族を引き渡すよう貴国に申し入れていたのだが、どうやら魯允が握り潰

していたようである。魯允は独自に孟角とも接触しようとし、我々に迎え入れられる事を願っていた。し

かし扶夏王には貴国と争う意志はなく、裏切り者の言葉に耳を貸す事も無い。

 今回の事も元々は魯允の提案であり、初めから我らと共謀して侠族を討つ計略であった。我々はそれを

秦国の意思と考えていたのだが、魯允に問い質すにどうやら彼の独断であり、我々に取り入る為の劣悪な

謀略に他ならない。これは貴国と我々の意思に反するものであり、魯允はお互いにとって重大なる裏切り

者である。

 故に討つしかなかったのであって、我々には秦国と敵対する意志など初めから無い。

 我々の関係を望まぬものとする侠族、魯允は冥府に堕ちた。我々の仲を裂くものは最早無く。ここに改

めて秦国との友好親善を望んでいる旨、お伝えしたい。

 使者の口上を聞き、秦王も魯允の独断に激怒して死刑を命じた。つまりそれは孟角の主張を認め、彼ら

を罪に問わないと公に認めた事になる。

 これに三功臣は異を唱えたようだったが、王は強硬にそれを実行させた。そうなれば三功臣とてそれ以

上口を出せない。ただし王も流石に遠慮する気持ちがあるのか、この一件についての調査を三功臣に許し

ている。異論があるなら気の済むまで調べよ、とそういう事だ。

 調査していくと、どうやら魯允が孟角軍と祝宴を開いていた事がはっきりし、独断で扶夏王と繋がろう

としていた事もどうやら事実であるらしい事が解った。彼の部下(戦場に行っていない者)からも魯允が

以前から自分の境遇に満足しておらず、三功臣に対してどころか、王に対してさえ不満を抱き。時に、い

っそ扶夏王の許へ行くべきか、などともらしていた事が話され。魯允という男が楓を裏切って秦に付いて

いる事も加味すれば、それは充分に考えられる事と思われ、孟角の主張を後押しする結果になった。

 それでも三功臣は不可解に思い、納得できず、承知しかねぬ顔を浮かべていたのだが。政府内では俄か

に反魯允感情が沸騰(ふっとう)し、それが以前からあった反三功臣感情とも結び付いて(彼らの態度が

魯允を庇うものと映った為)、三功臣も引かざるを得なくなった。

 この頃から三功臣は自らの老い、変わりゆく自らの立場を悟り、表舞台から退いていく事になる。特に

張耳は不自由な体からかその傾向が著しく、全ての職を辞任したいと王へ願い出ている。

 王は拒んだが、代わりに王の相談役というべき名誉職に命じ、長らく居た重い地位から開放した。無論、

そう見せかけただけで、言わばこれは王から三功臣への離縁状である。今までの功を称え、名誉のみは残

してやる。だから望み通り引っ込んでおれ、という訳だ。

 商央、范緒はこの仕打ちに動揺し、秦王を見誤っていたのではないか、と考え始めたようだが、今更ど

うなる訳でもない。国民感情も王を称える方へ向かっているし、ここで強硬に異を唱えたとしても、国の

為にならないだろう。彼らは自分達の時代が終わった事を、はっきりと思い知らされた。

 しかし彼らはむしろその事に安堵している。我らがおらずとも王が独りでやっていけるのであれば、三

功臣というものの役割が果たせたのであれば、それはそれでめでたい事である。これ以上我らがこの場に

居座り続ける必要は無いし、正直歳を取り過ぎた。引退するのに吝(やぶさ)かではない。

 三功臣は三功臣というものを終わらせる事を最後の仕事と考えていた。例えそれが意図せぬ終わり方に

なったとしても、否定すべき結果ではない。

 だが魯允の事といい、王はあまりにも性急、乱暴過ぎる。

 南蛮さえ利用する。確かにそのくらいの気概は必要かもしれないが、あまりにも粗野である。その事が

気にかかり、張耳の代わりという意味もあり、商央と范緒はもう暫く王の側に居る事にした。

 孟角と交渉を行い、正式に不可侵条約が結ばれる。

 しかし例え対象が魯允、南蛮に秦を売ろうとした極悪人、であるとはいえ。南蛮ふぜいに大陸人が殺さ

れた事に怒りを覚えない者が居なかった訳ではない。だが彼らも国が公に認めたものを表立って非難する

事はできず。不愉快であったが、その牙を隠し、皆に合わせるようにして王の英断を称えるしかなかった。

 孟角は秦を刺激するのを恐れたのか、秦の主張を全面的に受け容れ、黙って退いている。その事が民心

を満足させる役に立ったともいえる。孟角が秦に降参したようにも見えたからだ。精強名高い楓軍を打ち

破った扶夏王の軍勢でさえ秦に屈した。それはとても気分の良い事だ。

 秦王もまた全ての結果に満足している。

 これで孟角の力は減じ、邪魔な魯允一派を始末でき、その上楓との約定も果たした。どこに文句を付け

られよう。秦も兵力を失ったのは痛いが、この程度で南蛮との問題を解決できたなら安い代償だと言えな

くもない。それに魯允と志を同じくするような者など、百害あって一利無し。どの道殺さねばならぬのな

ら、自らの手を汚さずに済んだ事はありがたい。

 しかし秦王の満足も長くは続かなかった。因果応報というが、時には来世ではなく現世で報いを受ける

事もあるらしい。

 ようやく表舞台に立てたというのに、皮肉なものである。



 楓流もまたこの結果に満足する事にした。きな臭いものは残るが、彼にとっても魯允という終生の敵が

滅びた事はありがたい。これで無用に秦と衝突する事もなくなるだろう。後は三功臣との繋がりを深めて

いけば問題は起こらない筈であった。

 秦にこれ以上の協力は望めないだろうが、孟角軍も相応の被害を受けている。兵力に余裕が無くなり、

その動きは制限されるだろう。楓はこれで扶夏王の手勢だけに気を付ければいい事になった。ならばそれ

だけでよしとすべきである。

 しかし状況が改善した訳ではない。孟角軍の力は減少したが、侠族が滅びた今、考慮せねばならぬもの

はなくなった。扶夏王もまた楓のみに集中すれば良く、これ以上その手を止め置く理由は無い。穆突を討

った事で扶夏王軍に対する全体的な評価も上がっているだろう。

 頼みの防壁は未だ完成していない。とにかく丈夫な物を造らなければ意味がないから、相応の時間がか

かる。金を出せる限り使い、労働力を雇えるだけ雇って急がせているが、まだ時間がかかる。外観は形に

なっているが、肝心の強度に問題がある。

 運が良ければ一度は防げるかもしれない。しかしそれまでだろう。下手すればそのまま突破されてしま

う可能性も在るし、孫に匹敵する突貫力を持つ南方部族相手では、甘い目算は立てられない。何とかして

時間を稼ぐ必要があった。

 だがどうすれば良いのか。

 考えた末、道があるとすれば秦にしかない、という答えに辿り着く。扶夏王と領を接するのが現状梁と

秦しか居ないのなら、秦を動かすしかない。

 しかしこれ以上秦が動くだろうか。扶夏王(孟角)との間に不可侵条約が結ばれ、どちらも互いを敵に

したくない。

 それを動かさなければならないのだから厄介である。

 とはいえ可能性は残されている。玄張からの報に寄れば、表面上は仕方なしに納得しているように見え

て、皆やはり不満を抱えている。

 ならば誰かを動かせば、自ずと情勢を変える事ができるのではないか。

 だが誰を動かす。

 まず頭に浮かぶのは三功臣だが。例え公と私で深い友好関係が結ばれていたとしても、三功臣はあくま

でも秦の利益を考えている。頑(かたく)ななまでに国を思うその心、楓流自身が一番よく理解している。

 彼らは決して楓流の策に乗ってこない。

 魯允という存在が消えた事も、この点に限っては不利に働く。

 今まで魯允という共通の敵が居たからこそ、深く繋がっていられた部分がある。魯允という不穏があれ

ばこそ、三功臣は楓との繋がりを大事にし、守ろうともしてきた。

 その必要性を失った今、今までのような関係でいられないのは当然である。皮肉な事に、魯允という厄

介者が楓と三功臣の仲を取り持っていたのだ。

 三功臣を動かせぬとなれば、後は国民感情に眠る、南蛮への蔑視と怒りの情を利用するしかなくなる。

 王を利用できるかもしれない。

 王が三功臣を退かせ、独裁色を強めているのであれば、必ずその力を解りやすい形で見せ付けようと考

える筈。自分こそが秦を牛耳るに相応しい。名だけではなく、その力が在る。という事を、まず国民に知

らしめ、それによって自らの正当性を示し、権力を増大させる。当然考える事だ。

 秦は今まで三功臣という存在が牛耳ってきた。王もまたその陰に隠れ、名声と呼べるものは無く。部下

の言葉を良く聴き、冷静な判断を下せる王という評価はあっても、それだけに過ぎない。結局三功臣の言

うがまま、という印象が常に付きまとっていた。

 それを払拭し、自分こそが権力を握るに相応しい真の王である、と喧伝する為には、勝利を収める事が

一番解りやすい。

 だが魯允が死に、三功臣が退いた今、肝心の勝利すべき敵となる相手が居ない。これまた皮肉な事に、

目の上のたんこぶを全て取り払った結果、拳を振り上げる先がどこにもなくなってしまった。

 他国へ侵攻するという手もあるが、大義名分となるものが無いし、南蛮がすぐそこに居る今、無用に敵

を作る事は執政者として失格という烙印(らくいん)を押されかねない。自らの威を示したくとも、都合

の良い方法が無いのである。

 だがたった一つだけ道があった。南蛮だ。

 大陸人共通の敵であり、国民のほぼ全てが不愉快な気持ちを抱いている絶対の敵。その南蛮であれば、

威を示す手段として申し分ない。

 しかし彼らとは不可侵条約を結んでいる。確かにそうだ。だが南蛮との約定を無視したとて、誰が困る

だろう。それに今が好機ではないか。侠族との戦いによって孟角軍は疲弊している。侠族も勇猛さでは引

けをとらない。生存を賭けた戦であれば尚更である。孟角軍の傷は自称しているよりも遥かに深い筈。

 それに楓を助力するという大義を掲げれば、双を動かせる。

 噂に寄れば楓流も準備しているようだが、今のままでは扶夏王には敵うまい。一月程度の準備をした所

で、戦力差を埋められるとは思えない。楓勢の総力を結集すれば何とか護りきれるかもしれないが、その

被害は甚大、再び立つ力を失う。

 双は焦っている筈だ。理由は解らないが、かの国は楓に非常に好意的である。従順と言っても良い。今

すぐ手助けしたいだろうが、楓に到るには道を塞ぐ秦か越の協力が不可欠。しかしこの二国は今まで好意

的な返答をしなかった。楓と扶夏王が争い、共倒れになってくれるのが望ましいからだ。

 今共に孟角を討とう、と言えば必ず乗ってくる。協力と引き換えに、様々な条件を提示する事もできる

だろう。

 何も楓を疲弊させるだけが秦の利ではない。南方に領土を得れば、南蛮交易も可能になる。そこから得

られる利の大きさは周知の事実。それでも慎重路線を変えなかったのは、南蛮の軍事力を恐れていたから

だが、それも状況が変わった。今なら積極的な手に出ても良いのではないか。むしろ出るべきではないか。

 秦王がそのように考えてもおかしくはない。少なくともそう思わせる事はできるかもしれない。そして

その心を不満を抱いたままの国民が後押ししてくれるのではないか。

 目があるとすれば、これだろう。

 しかし秦を動かすには楓だけでは足りない。

 そこで楓流は双と越に協力を求めた。誰もが考えるような単純な方法だが、奇抜な手だけが良策とは限

らない。



 双、越は楓の提案を受け容れた。両国もまたきっかけを待っていたのだろう。双は国民感情として南蛮

の存在を許せず、秦のやり方を手ぬるいと考えているし。越も越で秦双が動くような大戦、つまり稼ぎ時

を逃す理由は無い。

 兵を出すのは論外だが、不戦条約を結ぶのも、補給に関して協力するのも望む所。

 楓だけでは利が薄かったが、双秦が動くなら話は変わる。

 秦としても双越の同意があった方が動きやすい。不可侵条約を破ろうが何をしようが、大多数の同意を

得られれば不名誉も名誉に変わる。後世何を言われるかは解らぬが、結局勝てば官軍、悪くは取られまい。

おそらく必要悪と見られるだろう。生の感情を知らぬ後世の歴史家など、たわい無いものだ。

 まあ、そこまで考えたかは知らないが。秦は軍備を整え、孟角に燃やされた集落の再建という名目で五

千の兵を発した。

 孟角が何か言ってくれば、それを逆手にとって戦の理由とするつもりだ。条約違反を孟角に押し付けて

更なる国民の理解というやつを得られれば、儲けもの。

 秦は孟角に圧力を加えながら、出方を待った。

 双も派兵の準備をしているし、越は大量輸送に耐えられる準備を整えている。

 西方も楓流の望む道へと進み始めた。




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