17-4.南侵


 孟角は焦ったようだ。秦がこうも早く動くとは考えていなかったのだろう。彼らもいずれは戦う事にな

る事を解っていただろうが、侠族の始末を急ぐ余り、他を甘く考え過ぎていた。

 とはいえ、大陸人勢力の今までの動きから鑑(かんが)みれば、そういう風に考えるのも無理はない。

 扶夏王もその配下も結局は大陸人の考え方というものを理解しきれなかった。それは大陸人にも言える

事だが、相互理解するには余りにも時間がなく、そして互いにそうなるに必要な好意というものが、絶対

的に足りなかったのである。

 碧嶺以降、異民族といえば賦族であり、南方部族というものは長らく歴史から失われ、碧嶺の残したと

いわれる歴史書、碧嶺蔵史にその記載を見るまでは、全く忘れ去られていた。それまでは南蛮などの記載

があっても、賦族の事だろうと考えられていたのである。

 碧嶺蔵史にしても深くまで入った記載はなく、その事が互いの不理解を表している。

 そして不理解からくる誤解や齟齬(そご)が双方を苦しめ、時に思わぬ失態を起こさせる原因となった

のであろう。

 孟角はすぐさま兵を集め始めた。徴兵し、金を集め、南方全土に援軍を募る。この時の孟角は窮状を隠

す事を考えていなかった。いや、そもそも南蛮には敵の目を欺く、自らの意図を隠す、という思考はなか

ったのかもしれない。

 扶夏王にはそういう、言ってみれば大陸人らしい所が多少はあったようだが。基本的に南方部族は中途

半端な考えを好まない。戦うとなれば敵か味方かであり、停戦すればその考えも一時解消されるが、恨み

を持つ間柄であればその一時的な解消すらなく、絶対的な敵として生涯争う。

 生存か滅亡か。彼らにとっては二つに一つであり、配下や従属した部族単位で裏切る事はあっても、そ

の敵同士が手を取り合う事はまずありえない。彼らの個人的な憎しみ、執着は、大陸人に対する民族全体

としての恨みより遥かに深い。

 だからこそ侠族は大陸人を頼ってでも扶夏王と戦おうとし。扶夏王は侠族を根絶やしにするまでは、決

してその矛を収めようとしなかった。その付近に大陸人という次の敵が居るにも関わらず、多大な損害を

覚悟してまで滅亡させる必要があったのである。

 執着心の大きさは扶夏王も変わらない。

 楓がいくら油断ならぬ力を持っているとはいえ、現状、南方に攻め入る事は不可能。それは扶夏王自身

も解っていた。それなのに楓にこだわり、南方東部から離れない。

 攻めるなら攻める。攻められないのなら一時引けばいいのに、それができない。楓に対する新たな、そ

して一番大きな執着が生まれているからだ。侠族を一時とはいえ逃がさざるを得なかった恨み、その上に

一度してやられたという恨みが重なり、抑えられなくなっている。

 半端な行動を許さぬ部族特有の執着心の大きさが、かえって扶夏王の行動を中途半端なものにしている。

そしてそれが西方勢力の侵攻という更なる不運をもたらした。

 結局、扶夏王は失策を繰り返している。

 それを拭うには、楓を鮮やかに打ち破るしかない。

 だがもし孟角が秦に破れるような事になれば、扶夏王に対する不信は決定的なものになるだろうし。扶

夏王頼りにならずと思われれば、折角まとまった部族が、再び分裂しないとも言えない。

 侠族を滅ぼした事も、むしろ逆効果ではないか。それが秦の介入、ひいては西方勢力の介入を許したの

だとすれば、扶夏王は侠族への執着によって全てを誤ってしまったともいえる。

 部族にとってはそうする事が当然だったとしても、扶夏王はその責任から逃れられない。今すぐとって

返したい所だが、楓流を放っておけない。移動にも時間がかかる。その間に孟角が破れるような事になれ

ば、扶夏王はいよいよ危うい。兵を返すには、もう遅いのである。

 そこで彼が取った方法は、江南へ侵攻する事であった。

 幸か不幸か、西方が本格的な侵攻をするまでにはまだ時間がかかる。ならそれまでに梁へ攻め込み、楓

流、趙深を討てばいい。それができれば西方の態度も変わるだろうと扶夏王は信じた。

 そう、彼はこの連携を見、西方と楓には相応の繋がりがあると考え直した。一枚岩ではなさそうだが、

自分達が大陸人を恨んでいるように、大陸人もまた自分達を恨んでいる。だから南蛮に対する時は協力す

る。楓が危機となれば、秦も動かざるを得ない。

 扶夏王は、大陸人とは時にそのような奇妙な手を使い、敵とさえ手を結ぶという狂ったとしか思えない

事を平気でする生き物だと知っている。そしてそれを学び応用する事で、侠族についていた部族を離反さ

せ、その力を裂く事に成功した。

 先に秦と手を組んだのも、同様である。しかしその裏を突かれ、今秦が攻めてこようとしている。屈辱

だろう。負けるとは思わないが、してやられたという思いを捨てきれない。

 扶夏王は必勝を期す為、高鄭(コウテイ)を援軍に向かわせている。彼も千単位の兵力を動かせる。孟

角と組めば負ける事はあるまい。

 暫くは苦労が続くかもしれないが、それまでに楓など突破できるだろう。

 甘い見方であるが、初めからそうであったとも言える。

 彼は確かに大陸人を知っていた。しかしそれは部族の域を出るものではなかった。こうであればこう、

そうであればそう、という風に単純に捉え。こうきても時にはそうくる事があるという事を、考えもしな

かったのかもしれない。

 扶夏王は大陸人の知識と部族の知識を用いる事で、他の部族にはない力を得た。だがそれが為に今窮地

(きゅうち)に陥(おちい)ろうとしている。

 中途半端な知識が、彼の足を引っ張っている。

 誤解、考え方の基本的な違いからくる失策、と考えなければ、理解できない点は多い。

 それは現在でもそうだ。南蛮には不明な点が多い。

 例えば、南蛮は扶夏王という王の下に多数の部族が一つに集った勢力だというのが一般的な認識だが。

中には孟角、高鄭、雍涯、といった者達もそれぞれに王(有力部族の長)であり、扶夏王とは同盟関係に

過ぎなかった、という説もある。

 この場合は雍涯は自刃したのではなく、その力を疑われた結果、部下にその座と命を奪われた、という

事になるし。単于も部族連合の代表者、という事になる。

 しかしそう考えると雍涯の後釜が居ない事に説明が付かないし、他にも疑問に思える点が少なくない。

やはりよく解らないとしておくべきだろう。

 南蛮を考える時、彼らの事をほとんど知らないのだという事実を忘れてはならない。



 扶夏王はほぼ全軍を率いて拠点を出、江南へ侵攻した。この軍には狄仁率いる三千の兵も加わっている。

総兵力は約一万。並々ならぬ覚悟を持ち、ようやく戦えるという高揚からか士気は高く、その力は攻撃と

いう面だけを考えるなら楓軍を凌駕(りょうが)する。

 対して江南に置かれた兵は約五千。地道に増やしているものの、訓練、士気、能力のどれを見ても南蛮

兵に及ばない。楓の古参兵ならば互角に戦えるかもしれないが、その数は二、三千といった所か。出身の

様々な兵が集まり、個々の力にもばらつきがある。こういう軍は思わぬ事態を起こしやすい。

 頼みの防壁も六分七分の出来と言った所か。急がせたが、どうしても時間が足りなかった。そもそも扶

夏王の足を止めさせる為に秦を動かしたというのに、逆に扶夏王を動かす事になってしまったのだから、

皮肉なものである。

 望んだ状況になったが故に、意図せぬ苦難に襲われているのであれば、それは紛れもなく己のせいであ

り、考えが足りず、愚かであった事の証明である。

 だがしかし、自分のせいなればこそ開き直れるというもの。同じ状況でも気分は違う。人間にはそんな

不思議な所がある。そしてそれが力を生む事もある。

 兵達も覚悟したのだろう。逃げ出す者は居らず、彼らも防壁造りの労働力として使っていたのだが、逃

がした人足の代わりに最後まで懸命に働いた。

 趙深、蜀、にも援軍を願い、布、伊推(イスイ)には中諸国をしっかり押さえるよう命じる。

 狄という勢力が南方に逃げた今、彼らを邪魔する者は居ない。居ても動けない。扶夏王も不退転の覚悟

で攻めてくるだろうが、楓勢もまた以前とは違う。楓流は今だけは後先を考える事を捨て、全力で扶夏王

軍に向かうつもりだった。

 その心は、孫文(ソンブン)に対峙した時を思い出させる。

 覚悟は決まっていた。



 楓流は防壁の建造を続けさせながら、秦の勝利と扶夏王の疲弊を待った。

 恐怖は無い。しかし不安はある。

 扶夏王の攻めを未完成の防壁でどこまで防ぐ事ができるだろう。大陸人として南蛮に勝つ事ができたと

しても、楓は壊滅的な被害を受ける事になるかもしれない。

 秦が協力的とは言えないし、扶夏王の執着心を考えれば、例え滅びても楓を道連れにしようと考える可

能性は高い。

 防壁の建造を急がせたせいで不備があるかもしれないし、窪丸の防壁のように凝った工夫もできていな

い。今はまだ厚めの壁が立っているだけだ。

 ただできる限りの事はした。土や石を基本にできるだけ太く積み上げ、表面は鉄版で覆ってある。本来

ならこれを何重にも重ねていく予定で、言ってみれば今はその土台となる部分しかなかったのだが。火で

燃える事もなければ、刃を通す事もない。

 大陸人でも初めて見る物だから、南蛮にとっては尚更であろう。驚き、悩ませるには充分である。

 その点を上手く利用し、時間を稼ぐ事ができれば、その分内側から強度を増させる事も、更なる工夫を

する事もできる。

 部族も人間。勝てぬ道理はない。

 楓流は恐れない事だと自分に言い聞かせた。恐怖心があるからこそ備えもできるのだが、それに囚われ

てはならない。

 彼は冷静だった。

 将兵達も同様である。防壁で囲ったという事は、逃げ道も塞いだという事だ。生きるには勝つしかなく、

彼らも覚悟するしかない。そしてそうできる者だけを残した。

 出入り口を土石で塞ぎ、門などという凝った物はまだ造られていない。塞げばそれまでである。

 食料などは豊富に運び入れてあるし、援軍も防壁を覆う扶夏王軍を外から弓矢などで攻撃する手筈だ。

 もし扶夏王軍が江南を無視して他へ侵攻したら・・・、とは当然考えたが。扶夏王の今までのやり方を

見て、それは無いと判断した。というよりも賭けに出たといえる。一か八か、ここに引き止められなけれ

ば楓の負け。引き止められれば勝ち目あり。

 分の悪い賭けだが、それ故に扶夏王は乗ってくるだろう。

 確かに部族の事はよく知らなかったし、最後まで解る事は少なかった。しかし勇にこだわる、という点

ははっきりしている。それならば目の前に挑戦するように挑んでくる者を、嘲笑はしても避けて通る事を

しないだろう。

 もし避ければ逃げた事になる。勇猛こそ尊ぶ南方部族が、そんな事をする訳が無い。

 分の悪さは、成功しても大して優位には立てない、という意味であり、この賭けが外れるとは思ってい

なかった。勝算あっての賭けである。楓流も伊達に乱世を生き抜いてきたのではない。

 所詮賭けは賭けだと言われれば、それまでかもしれなかったが。



 扶夏王は楓流の読み通り他へ向かおうとはせず、江南を包囲した。狄仁も素直に従っているのか、足並

みを揃え、淀みなく行動している。利害関係が完全に一致しているとは言わないが、楓憎しの感情は同じ。

 両者共に決して退けないという意地と、必ず勝つという不退転の決意がある。

 万の兵が囲む姿は圧巻だ。人間など街一つに比べれば小さなものでしかないが、数が揃えば巨竜のように

内に居る者を威圧する。その一つ一つに意思があり、その各々が自分達の命を狙っているのだと考えれば、

恐怖せざるを得ない。

 純粋な敵意、殺意は人を圧するに充分な力を持つ。

 そういう殺伐した心で統一されている訳ではないが、雪辱戦と考えている為、そういう部分が常よりも

大きくなっているとは言えるだろう。

 だがそれ故に楓流の策に乗ってくれたのだから、むしろ感謝しなければならない。もし他へ行かれてい

たら苦労して造り上げてきた防壁は無駄になり、戦力的にも大きく不利になる。部族の意地というものに、

今は感謝しなければならない。

 しかしわざわざ護りを固めている所に自ら望んで来るとは、間の抜けた話だ。他に道が無いのなら仕方

が無いとしても、はっきりと別に道があるのに使わない。それは将としては致命的だ。

 楓流はその心意気を賞賛しつつ、愚かだとも考えていた。

 その意地さえなければ、彼らの勝利は近付いていたろうにと。

 楓流は落ち着いている。

 扶夏王軍の攻撃は激しいものであったが、孫文の時と比べればまだ余裕がある。兵が長い行軍で疲れて

いるという事もあったし、昼夜問わず攻めっぱなしというような無茶もしてこなかった。そういう意味で

は孫よりも理性的な軍団だといえるのかもしれない。

 それ故に怖さはない。孫軍に見えた狂気が部族には無い。それが楓に不思議な余裕をもたらす。

 扶夏王はそれを知ってか知らずか、長期戦を覚悟しているようで、きっちり休みを取り、攻め手を細か

に交代させ、兵が疲労し過ぎないよう気を配っている。秦の動きは遅いと見ているのか、それとも例え秦

と双が組んだとしても、孟角に高鄭を付ければ充分に対処できる自信があったのだろうか。

 だとすれば高鄭は相当数の兵力を持っている筈で、南方は楓流達が考えていた以上に実り豊かな地なの

かもしれない。扶夏王が大軍を当たり前のように指揮できている事から考えても、彼らの国力は秦や双を

上回るものである可能性もある。

 国土も大陸人が想像している以上に広いのかもしれない。

 補給不足を期待していたが、その姿を見る限り抜かりなさそうだ。できれば補給路を狙う姿勢を見せて

動揺を誘いたい所だが、それをする為の兵力が無い。それにしっかりと包囲されている。例え防壁を開け

ても、抜く事はできないだろう。

 今こそ秦双が動き、圧力を加えて欲しい所だが。そういう報はまだ入ってきていない。双は鈍重だから

解るとしても、秦の動きまで鈍いのが気になる。侠族との一連の戦を考えれば、もっと機敏に動いても良

い筈なのだが、何かあったのだろうか。

 解らないまま、楓軍は猛攻を防ぎ続けた。防壁も上手く機能している。心配していたが、今も内側から

補強し続けている事もあって、崩れる気配はない。

 時折上から忍び込もうと登ってくる者には、油を流して対処している。その油に火をつけるのもいい。

 南蛮兵達はこの防壁に面食らっているようだ。壁を築いて敵を防ぐという考え方は彼らも知っていたろ

うが、ここまで本格的というのか、強固な物は今までに出会った事がなく。その驚きが動きを幾らかは鈍

らせたとも言えるだろう。初めて見た物には、上手く対処できないものだ。

 南蛮兵は必要以上に警戒している。

 油を流すのも効果的で、身体能力に自信を持っていただけに、敵の前で不恰好に滑り落ちる事は著(い

ちじる)しく彼らの誇りを傷付け。怒りと屈辱から冷静な判断を失わせた。

 それは人を奮起させるものではなく、苦悩へ誘うものであり、防壁は楓流の想像以外の効果も発揮して

いるようだ。

 だがいつまでも優勢ではいられない。南蛮兵も次第に慣れ、対処を考えつつあるし、士気を落とすまで

の効果は挙げられなくなってきた。

 一進一退の攻防を一週間続けているが、その勢いは大して衰えていない。頼みの秦も動かない。

 扶夏王自身が動いた今、攻勢に出る好機だというのに、何故動かないのか。南方侵攻は秦も望んでいた。

何故今になって躊躇(ちゅうちょ)するのだろう。準備に手間取っているのか、それ

とも双を待っているのだろうか。

 それならば随分気の長い話になる。双もそれなりに準備していただろうが、王が命じてから動くまでに

は他国の倍はかかる。面倒な手続きや間に挟む役職が無闇に多く、時間がかかってしまうのである。王の

権限で多少省略はできても、軍を編成、補給をしっかり組み立てるまでに、下手すれば一月は必要かもし

れない。

 趙深が居た時ならそんな事はしないで済んだが、彼の影響力が失われて久しい今、以前の双を望むのは

望むのは酷というものだ。国は王一人で動かせる程小さくない。

 それは秦王も解っている。だから初めから双を援軍、後詰と考えて作戦を練り、動いていた筈。

 では何故、今になって・・・・。

 いい加減焦れてきた頃、一つの重大な報が届いた。

 秦王が急死してしまったというのだ。

 場合が場合であるし、三功臣が権威を取り戻し、慣例に従って急ぎ長子である秦政(シンセイ)に王位

を継がせたそうだが、混乱は免れ得ない。その為に軍を動かす事ができなかったそうである。

 秦政は二十代後半という年齢であり、中心になって物事を進めるような権威はなかったが、それでも今

まで様々な仕事に携(たずさ)わり、王が何をするべきなのかを理解している。

 三功臣の薫陶(くんとう)を受けているが、その志は父と同じで、王というものの権力を増加、独裁制

に持って行きたいと考えている。この事は三功臣もまた最終的にはそれに同意していた事を示す事であり、

興味深い。

 秦政は戦という国家の一大事の前に、例え王の葬式といえど慎まなければならない。志半ばで倒れた父

の為、その意を実行する事こそ供養になろう、と主張し、急ぎ軍を出発させた。随分行動的な男であるよ

うだ。それとも三功臣がそうさせたのか。

 どちらにせよ、秦政は父の野望を受け継ぎ、数々の武勲を立て、歴代の秦王の中でも特に名を馳せた王

となる。この事が、先王の存在を更に軽いものにさせるのだが、太子の育て方といい、やはり並々ならぬ

ものを持った王であったと察せられる。

 もし生きていれば、名を馳せていたのは先王の方であったのかもしれない。つくづく不運というか、現

世では報われる所の少ない王であった。

 しかしその遺志を秦政が継いだと思えば、充分その意は遂げられていると言えるのかもしれない。

 王の死をばねにようやく秦が動く。楓流の心配、扶夏王の期待を他所に、順調に孟角に迫っている。孟

角の方は依然動かず、援軍を待つ構えであるようだ。すでに高鄭が動き出している報が入っているのか、

或いは流石に分が悪いと判断したのか。

 孟角の役目は南方北西部を押さえる事にある。彼の判断は間違っていない。だがそれに対して部下達は

どう反応するだろう。迫り来る敵をただ待っているなど、部族の誇りが許すのか。

 こちらの情勢からも目が離せない。



 扶夏王軍の攻撃がいよいよ激しくなっているが、趙深と蜀の援軍が扶夏王軍を牽制し始め、何とか防ぐ

事ができている。

 扶夏王も必死だろうが、中と外に敵を抱えていては流石に勢いも衰える。防壁にも慣れ、対処法を確立

しつつあるようだが、なかなか思うようにはいかない。

 一度は大木を切り出し、それを使って何度も体当たりしてきたが、防壁は細かく震えはしても、崩れ落

ちる気配を見せなかった。楓軍も煮た油をかけさせたり、折れた刃や石を投げ落とさせたり、弓矢の一斉射撃

をさせたりと懸命な働きを見せ、悉(ことごと)く防いでいる。

 そして何より、趙深軍の弓矢が強力だ。

 彼らの使う弓は驚く程射程が長く、その分だけ矢の貫通力も増している。天高く舞い上がり降り注ぐ矢

の雨は、それだけで扶夏王軍を抑えるに充分な力を示した。楓流が防壁を建造しつつあると知り、包囲す

る軍には弓矢こそ力を発揮すると考え、優先させて改良させ、兵の訓練も射撃を中心にしてきたのだろう。

 まだ未完成な部分もあるようだが、元々南蛮の弓矢が直線的に発せられる事を前提に作られている事も

あって、全体的に大陸人の使う物よりも短く、射程も短い。森林から出てみれば、射程の差による優劣は

歴然であった。

 特に狄仁率いる兵の混乱が激しい。南蛮兵と呼吸が合わなくなっているし、はっきり言えば足手まとい

だ。ここで狄仁軍を別働隊として蜀軍か趙深軍に向かわせれば、まだ用を成したかもしれないが。そうい

う判断すらしない所を見ると、やはり狄傑を失った事は痛手である。狄仁は戦が上手くない。

 扶夏王が命じれば良い事だが、おそらく狄を信じられないのだろう、そうしようとはしなかった。確か

に、ただでさえ困窮している今、狄仁に裏切られると厄介な事になる。混乱が伝播(でんぱ)し、火計に

あった時のように統率がきかなくなるという可能性もある。

 扶夏王はそれを恐れた。勇ありといえども、忌まわしい過去を思い出せばどうしても判断が鈍る。炎そ

のものではなく、例え一時でも統率が失われたと言う事実が彼を悩ませる。

 炎の記憶が知らず知らずの内に彼を萎縮させる。部族としての誇りがそれを認めさせないが、それもか

えってより深く彼の行動を縛る事になる。

 自分の弱さを認めないという事は強さに繋がる事もあるが、弱さに繋がる事の方が多い。猛々しいが故

の不寛容さが扶夏王自身の首を絞めている事に、部族の人間で気付けた者はいなかったのだろう。

 狄仁ならば気付いたかもしれないが、彼が進言した所で侮辱したと受け取られるだけである。その気性

の荒さは側に居てこそ良く解る。南蛮と侮蔑してはいても、狄仁もまた扶夏王を恐れていた。

 今の所楓が優勢に見えるが、この先どうなるかは解らない。未だ決定的なものを生み出せずにいるし、

楓流軍の疲労も少なくない。何かあ

れば一挙に扶夏王側へ傾く可能性が、まだ強く残されている。

 勝利はどちらにも見える。一番苦しい時であるが、楓流は勝ちを焦る事を何よりも恐れ、常にいくらか

の余裕を持てるよう、ある物を惜しみなく使った。

 近くには趙深も居る。頼れる誰かが居る事が、楓流の心を落ち着かせた。

 焦っても、乱れてもおらず。その点が扶夏王軍と大きく違っていた。




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