17-5.南蛮王、堕つ


 趙深は兵に南蛮兵のみを狙わせている。

 扶夏王は主に狄軍を趙深軍、蜀軍への盾として使っていたから不自然だが。強い方から力を削いでいく

と考えれば、不自然ではなくなる。

 しかしそれが南蛮兵を狙っている、のではなく。明らかに狄兵を避けている、のであれば話は変わって

くる。趙深軍の動きは明らかに不自然だった。狄軍に被害が出そうだと見れば、好機であってもあっさり

と捨てている。明らかに何かの意図がある。

 扶夏王は始めこそ無視していたが、戦況が膠着(こうちゃく)し、戦果がほとんど挙がらなくなってく

ると、苛立ちもあってか酷く気にかかるようになってきた。

 そもそも狄仁なる男を彼は信用していない。兵も当てにしていない。ただ数が欲しかったに過ぎない。

 野戦でも行えば囮に使うつもりだったが。拠点攻めともなれば、狄兵の緩さが水を差す。篭る兵は苛烈

に攻めるべきであり、ゆるゆるとしていては徒(いたずら)に兵糧や時間を浪費させるだけ。敵兵を休ま

せず、その精神を挫く事こそが重要であるのに、狄軍など足手まといどころか、有毒である。

 拠点攻めの場合は初めから使う事を考えていなかった。信用できないから補給を担当させる訳にもいか

ないし、ようするに厄介者だった訳である。

 監視する為に連れてきたが。本音を言えば、ほとほとうんざりしていた。

 その空気は狄軍も感じ取っていた筈で。初めはそれなりに遇してくれるに違いないと甘い期待を抱いて

いたようだが、扶夏王は国を捨てて落ち延びてきたような軟弱者に用は無い。そこに勇は無く、侮蔑(ぶ

べつ)の対象にしかならなかった。

 確かに扶夏王は部族、大陸人の別なく用いているが。能力があれば、勇があればの話である。部族から

も敬するに値する相手であるからこそ優遇するのであって、誰でもかれでもそうする訳ではない。あくま

でも火急の時であるから狄仁を優遇しているように見せただけだ。

 そこに狄仁の誤算がある。

 だが今更どうする事もできない。国を捨てて逃げて来た以上、南蛮にまで行き場を失くせば滅亡するし

かない。だから我慢もし、大人しく扶夏王に従い、屈辱を感じながら耐えてきた。

 だがそういう態度がまた扶夏王をうんざりさせる。

 従順なのはいい。しかし己を見せようともせず、ただ黙って従うような存在など、部族からすれば無価

値だ。人はその威と勇を示してこそ価値がある。雍涯の代わりとなる要職を与えてやったにも関わらず、

大した功を挙げもしないし、そうしようともしない。

 これは部族を失望させるに充分過ぎる事であった。

 しかし狄仁は狄仁で部族のそういう態度を利用してやろうと考えていた。

 今回の戦もそうだ。扶夏王に信用されていないから功を立てる機会はまず無いが。そうであるからこそ

常に安全な場所に居られる。狄軍は三千、扶夏王でさえ譲歩せざるを得なかったように、戦乱の最中では

貴重な戦力である。

 その実がどうあれ、数だけでも相応の影響力がある。

 そして扶夏王が窮すれば窮する程その立場は上がっていく。逆に扶夏王が安泰であればあるほどその価

値が下がっていくのだが、それは暫く無いと狄仁は考えていた。

 扶夏王は大陸人が思っていた程強力な支配体制を敷いている訳ではない。扶夏王といっても所詮は成り

上がり。急激に成長を遂げた勢力は、そこにどれほど強力な指導者が居ようと、常に脆さを抱えているも

のである。

 部族とはいえ、それは変わらない。兵にその資質を疑われてしまえば、扶夏王とて地に堕ちる。

 安定させるには大陸統一するしかないが、それまでには多くの時間が必要であるし、その間に何が起こ

るか解らない。力を温存し、その機を待つ事ができれば、或いは自分が覇権を握る道が拓けるかもしれな

い。狄仁はそう考えていた。

 そういう考えは黙っていても伝わるものだ。

 扶夏王は狄仁への不信を日増しに増し、仕方無しに戦場に連れて来たものの、初めから戦力とは考えて

いなかった。むしろ敵のように考え、用が終わればいつでも始末できるよう配置している。

 だから今回も趙深軍の盾になるように配置していた。しかしそれをわざわざ趙深軍は避けている。偶然

ではあるまい。何かがある。

 扶夏王がそういう考えに到った時、浮かんできたのが大陸人の戦のやり方だ。彼らは策略というものを

好む。正面から戦うよりも裏をかき、内部から崩す事を好む。つまりは騙(だま)し討ちである。

 卑怯ではあるが、確かに有効な手立てだ。

 では今大陸人達が自分に対しそれを用いない事があるだろうか。

 ありえない。こちらには狄軍という格好の餌がある。この三千の兵を離間させ扶夏王軍にぶつければ、

軍は混乱し相当な損害を出す事になる。扶夏王が目を光らせているとしても、それに乗じて趙深軍、蜀軍

が攻めてくればどうなるかは解らない。

 だから趙深軍は格好の的である狄軍を狙わず、わざわざ部族兵を狙っている。

 思考がそこに辿り着くまでには多くの時間を必要としなかった。

 だが扶夏王は愚かではない。単純な勘や答えだけでは動かない。狄仁は今裏切ってもすぐさま扶夏王に

殺されるのを知っている。内心はどうあれ、今は裏切る事ができない。

 趙深の真意は扶夏王を疑わせ、狄軍と争わせる事にあると考えた。

 扶夏王は怒る前に失笑してやった。この部族の王に対し、そのような手が通じると考えるとは、哀れで

すらある。

「腑抜けた輩が考えそうな手である。底が知れる」

 見え透いた手を使うという事は、それだけ楓勢が窮地にあるという事だろう。正面から戦って勝てない

から、このような無様な手を用いるのだ。

 扶夏王は憤怒した。児戯を用いられ、馬鹿にされたと感じたのだ。これは許せぬ事。哀れではあるが、

目に物見せてやらなければならない。自分が何者であるかを知らしめる必要がある。

 戦闘開始から半月経った頃、扶夏王は攻めるのを止め、自らは三千の南蛮兵を従え、狄軍を先鋒として

前に出し、趙深軍へとその矛先を変えた。

 何も江南陥落を一に考える必要は無い。それに趙深軍や蜀軍相手なら野戦を挑む事ができる。狄軍にも

使い道ができるし。まず邪魔な奴らを滅ぼし、それから後にゆるりと江南を攻め落とせば良い。

 援軍が滅せば、楓流軍の士気も落ちる。大陸人らしいやり方で気に食わなかったが、趙深の策を逆手に

取れると考えれば、快くもあった。お前らの策などこの程度のもの。軟弱な大陸人にしか通じない、非力

な物でしかない。

 扶夏王は今までの戦に飽いてもいたので、野を猛進するというこの戦法に酔った。これこそが部族の戦、

正面から全てを叩き潰す、本来の戦である。

 趙深軍、蜀軍共に恐れをなし、扶夏王軍を見るや一合も打ち合う事無く無様に逃げ始める。その退却が

やけに迅速であった事も、扶夏王は大陸人の臆病さ故と解釈した。

 しかしそれこそが趙深の真の狙い。いや数ある結果の内の一つ。

 彼としてみればどちらでも良かった。扶夏王と狄仁が陣中で争っても、或いはこうして攻撃に出てきて

も。相手が行動を起こしてくれれば隙が生じる。ここは大陸人の庭である。地理にしろ人心にしろ、全て

が大陸人に有利であり、南蛮にとって不利。扶夏王はその事を軽視した。

 傲慢な男だ、と趙深は息を吐く。

 彼が一番嫌だったのは、いつまでも江南を攻め続けられる事。防壁もあり、容易くは落ちないと考えて

いたが、絶対に落ちないとは考えていなかった。その不安がある限り、大胆な手が取れなくなる。そして

思考が鈍化し、取るに足らぬものとなっていく。

 それだけは避けねばならぬ事であった。

 趙深は楓流よりも尚慎重だ。勝算のある道を見付けても飛び付かず、付近にもっと楽な道がないか探す

べきだと考える。

 他にも様々な手を考えていたが、ありがたい事にそれを使う前にひっかかってくれた。扶夏王を引っ張

り出す事ができ、狄軍まで付いている。しかも狄軍が南蛮兵の前に配置されている。これほどまでに恵

まれるとは。

 趙深は心から天に感謝の意を捧げた。

 後は流れに従うだけでいい。道は拓かれた。簡単に扶夏王を殺せるとまでは思っていなかったが、これ

で勝利へと大きく近付くだろう。



 扶夏王は逃げる敵を猛追し、一挙に叩くつもりであった。趙深軍が激しい訓練を積んでいたとしても、

南蛮の追撃は別格だ。速く、一度噛み付かれれば終わり。えもいわれぬ圧力がある。

 だが今はその前に狄軍が居る。裏切れば即座に殺せるように配置したのだろうが。狄兵は鈍重極まりな

く、士気も低い。追おうにも狄軍が邪魔になって追えないのである。

 そうしている間にも敵はどんどん遠ざかっていく。ここで諦めて引き返せば良かったのだが、ここまで

くれば意地である。部族の誇りに賭けて、損害も与えず逃がす事は許されない。

「邪魔者は捨て置けい!!」

 とうとう痺れを切らし、狄軍を突っ切って行く事にした。それで狄軍がどうなっても構わない。巻き添

えに死ぬなら死ねよと意を決したのである。

 しかしそれは簡単な事ではなかった。人間も数が揃えば大きな障害物に変わる。いかに部族が屈強とは

いえ、貫くのは容易ではない。狄兵の中には上手く避ける者も居たが、大半はぶつかり合い、瞬く間にそ

こかしこで怒号が飛び交うようになって、狄軍は混乱極まり、部族兵にまで波及していく。

 前も後ろも解らなくなり、彼らは自分の向かうべき方向、今居るべき場所を見失った。

 そこへ飛び込んできたのが鋭く研がれた楓軍自慢の鉄矢。銅版で補強した鎧すら貫き、狄、扶夏の別な

く命を奪う。

 狄軍は最早陣形を留めておらず、部族兵にすがるように入り乱れ、王の命も届かない。

 そして蘇る、あの恐怖が。

 扶夏王が、部族の王が、この大陸を統べるべき正当なる大王が、支配力を失う。それも二度もだ。

 あってはならぬ事。だが現実はそれを否定した。彼の言う事を聞こうとする兵も居たが、無駄であった。

叫び逃げ惑う狄兵の中で正気を保っていたとして、何ができるだろう。苛立った部族兵が狄兵を斬り殺し

た所で混乱は最高潮に達し、誰もどうする事もできなくなっていた。

 軍の半分以上が混乱している。兵の質や士気など役に立たない。

 人は乱にあっては乱れるのみ。

「役立たずは斬れい!!」

 扶夏王に出来たのはそう叫び、自身もまたそうする事だけであった。邪魔者を全て斬り捨て、憎き敵に

報いを味あわせる。それしかない。それ以外に何がある。

 だがそんな彼もまた、鉄矢を胸に受け、どうと倒れた後は叫ぶ事もできなくなった。

 自分がどうなっているのかすら理解できない。

 扶夏王には天だけが高く見えた。

 失った天が。

 それを見計らって近付いてきた者が居たが、最早それに気付く力もなく。例え気付いていたとしても、

抗う事などできなかったろう。

 扶夏王の目から光が消え、喧騒の中、軍靴に沈む。

 それを南蛮兵が知るのは散々に射られ貫かれてからの事だったが、その時には王の生死などどうでもよ

くなっていたのかもしれない。

 部族は今この時、自分達にも決して抗えないものがある事を知ったのである。



 狄仁と一部の兵だけは混乱から早々に逃げ、その命を保つ事ができた。

 部下など捨てた。命令が届かないと察した時点で、彼は逃げ延びる事だけを考えた。

 彼はこうなる事を察していた。何故なら、これは狄傑が用いた手と同じであったからである。

 わざと追わせる事で陣形を崩し、それを見計らって反転し、迎え撃つ。

 流石にもう少し巧みに応用されていたが、基本は同じ。敵からもこだわりなく学び、それを応用させる

とは、確かに趙深とは恐ろしい男である。

 扶夏王は死んだ。結局彼も猪突猛進の部族に過ぎなかったのだ。生きるには適さぬ男。人が生きるに必

要なのは、力ではなく知恵である。それを理解しなかったのだから、当然の結果であろう。

 狄仁もまた力を失った訳だが、まだ望みがあった。希望はこの手の中に在る。

 それは扶夏王が中央集権勢力とする手始めに作った王印である。これを押した物にのみ王命という権威

が与えられ、迅速に遂行される。まだ南蛮に広く浸透してはいなかったが、有力な武将は当然王印の存在

を知っている。

 これを持つという事はつまり、王に後事を託された、という意味になる。少なくとも大陸人での常識で

はそうで、狄仁もまたそれを信じた。

 これさえ用いれば、南蛮を意のままに、とまではいかぬでも、重要な位置に居座る事は可能だろう。

 幸い名目だけとしても軽くない地位を与えられていた。狄仁がこれを託される理由が無い訳ではない。

疑われはしても、粗略には扱えまい。

 それが彼にとっての常識だった。

「最後の最後に役立ってくれたわ。あの大陸人かぶれが」

 狄仁はむしろこの敗北に喜びを見出し、誰憚(はばか)る事無く笑い声を上げた。

 天は我に在り。そういう気分だったのだろう。



 江南を囲っていた扶夏王軍は迫り来る趙深、蜀連合軍の姿を見て、初め何が起こっているのか理解でき

ない様子であった。彼らは扶夏王に敗れ、もう二度と姿を見る事は無い筈だったからだ。

 確かに一度火計によって失態を犯したが、それも汚い策によってである。野戦で部族が敗れる事など考

えられない。しかも扶夏王率いる軍である。例えここが慣れた南方ではなく中央だとしても、それは変わ

らない。変わってはならない。

 だから混乱を過ぎて次に浮かんできたのは、奴らは逃げてきた、扶夏王に蹴散らされ、散り散りになっ

て逃げてきたのだ、という考えである。

 それならば辻褄(つじつま)が合う。王率いる精兵とはいえ、狄軍という足手まといも居るし、敵軍を

全滅させるのは難しい。

 だからこちらへ逃げてきたとしても、不思議ではない。

 だがその希望もすぐに打ち消された。逃げ惑う軍隊が、あれほど整然とした姿を保っていられる訳がな

い。信じられない事だが、扶夏王が負けたのである。どういう理由があるかは解らないが、大陸人に負け

た。そう考えるしかない。

 こうなれば混乱し、軍としての姿を保っていられなくなるのが普通だが、流石は部族、そこが違った。

 彼らは大陸人が汚い手で扶夏王を殺したのだろうと考え、その事に憤怒した。あってはならない事が起

こったのだ。そうなる為にはあってはならない手段が使われたに違いない。

 下らない策略で神聖なる闘いを汚された。勇を好む部族には耐えられぬ事である。

 彼らは指導者を失ったまま、個々に江南を攻め始めた。

 混乱するどころか、奮起して激しく攻め立ててくる。

 不思議と疲れも消えていた。彼らは高揚状態にあり、全ての痛みと疲労を一時だが忘れたのだ。

 だが楓流も然る者。部族の勇猛さは身に染みて解っている。南蛮がゆるやかな包囲陣に変わり、戦略を

変えても油断せず身構えていた。いつ攻撃が再開しても大丈夫なように、扶夏王が居ぬ間にと準備を整え

ていたのである。

 だから突然の攻撃再開にも驚かなかった。来るべき時が来たと思っただけである。そして、趙深はやは

りやってくれたのだと。趙深軍が包囲陣に攻撃を再開した報を聞いて確信した。

 扶夏王は死んだのだ。それ以外に趙深が戻ってきた理由はない。

「扶夏王は死んだ!! ここが潮ぞ。最後まで耐えよ! 南蛮を入れさせるな!!」

 楓流の檄に全軍が奮い立つ。扶夏王は死んだ。扶夏王は死んだ。という叫びが木霊し、雄々しい波とな

って江南を突き動かす。

 南蛮兵がどれだけ強かろうと、指揮官の居ない軍隊など知れている。その上趙深軍、蜀軍まで参戦し、

兵数も半減していた。これで負ければ末代までの恥、と必死に動き、戦ったが、それまでである。

 もう少しで防壁を越えられるという場面も少なくなかったが、結局は最後まで押し切れず、殺されるし

かなかった。

 趙深軍が火矢を使い始めたのも祟った。炎の記憶が彼らの底にある恐怖を呼び起こし、その恐怖に呑ま

れる事はなかったものの、動きに精彩を欠かせる効果を生んだ。

 元々意地だけである。最後の意地。それだけで奮起し、闘った。その最後の力は偉大と呼べる程強力な

ものだったが、惜しむべきかな、長くは持たない。

 指揮官が居ないから統一した行動も取れないし、連携出来ず、ただただ個として死んでいく。

 扶夏王軍残党は火が消えるように敗れ、その大部分は死に、生き残った者も捕らえられる事を恥じて自

害した。逃げた者も居たようだが、それは極少数で、おそらくこの事を南方全土に知らせる為に、選ばれて

逃がされた者達なのだろう。

 中には自発的に逃げた者も居たかもしれないが、それはどちらでも良い事である。

 楓流にとって大事なのは、扶夏王が死んだ、という一事だけ。

 そう、彼は勝ったのだ。孫文に続き、扶夏王にも勝った。これは誰が考える以上に大きな事である。

 そしてこれによって、趙深の名を誰もが知る事となった。趙深が不動の地位と名声を一般にも認知され

るようになったのはこの時であり。これが為に、未来まで碧嶺に次ぐ人気を誇る事となったのだろう。



 扶夏王との戦いは終わった。

 楓軍の被害は思っていたよりは少ない。防壁と趙深が弓矢による攻撃を主とした事が、その理由に挙げ

られる。しかし半数近い死傷者を出しており、現実に見れば大損害を被っている。その力が回復するまで

には長い時間が必要だ。

 それでも扶夏王が死んだのだ。楓勢の士気は高かった。

 楓流は防壁をこじ開けて趙深軍と合流すると、すぐさま南方へ侵攻する準備を整え始めた。蜀軍には梁

と狄を押さえていてもらう。逃がしていた民達を収容させなければならないし、戦後には思わぬ災厄が生

じやすい、きっちり押さえておく必要があった。だがどれも想定していた事である。多くの時間を必要と

しないだろう。

 これで南方を切り取り放題かと思われたが、楓流はしかし、兵達のように気楽には考えていなかった。

 南蛮は強い。例え扶夏王が死んでも、いやだからこそ先の戦と同様に奮起し、部族の敗北という汚名を

雪(そそ)ごうとするに違いない。

 楓の実力を認めるかどうかも解らない。例え敵でも正々堂々と破ればその力を認めるようだが。扶夏王

が死んだという事実は、部族の感情として受け容れ難いものがある。

 部族最強の軍団が、事もあろうに野戦で敗れるという事態があっていい筈がない。そこには必ずからく

りがあり、大陸人の汚い罠に敗れたのだ。それは彼らの誇りに関する問題であって、その

思想が正当とかそうでないとかはどうでも良かった。

 あってはならない事が起きた。だからこそあってはならない手段を使われた。そんな卑劣な者達は全て

死ぬべきである。

 江南を囲んでいた兵と同じ発想だ。

 孟角と高鄭もその報を聞いて耳を疑ったが、むしろ好機だと考えたようだ。

 扶夏王には子がいない。いや、正確に言えばいても意味が無い。

 好色とまでは言わないが、その荒々しさに相応しいだけの欲は持っていた。略奪した女を抱きもすれば、

好みの女を攫(さら)いもする。必要から妃にした女も居た。

 しかし皆用が済めば後腐れなく部下に下賜したりしている。

 大陸人流を学んでからは、敢えて子を作らないようにしてきた節もある。おそらく権力が外戚に移る事

を恐れたのだろう。

 彼は部族的な血縁関係による統治ではなく、大陸人的な地位による統治、中央集権を目指していた。

 その為か、独り立ちできるようになってからは、血縁関係を作る事を避け、今までにあった関係もできる

だけ消すように努めていたそうだ。

 だから例え彼が相手してきた多くの女の中に彼の子を身篭った者が居ても、それを扶夏王は公的に子供

だと認めないし、証拠はどこにも無い。

 それは徹底され、身篭った女、彼の子と目されてる男児は密かに殺させた、という噂まである程だ。

 非情な王とも目されたが、その強さは本物で、非情さもまた王たる資格と受け取られた。扶夏王には血

縁関係など必要ない勇猛さ、武力があったのである。

 それに彼に従うとすれば、子が居ない方が都合がいい。誰が彼の後釜になってもおかしくないという状

況は、野望を持つ者に忠誠を誓わせる効果もあった。そしてそれも見越していたのだろう。

 だから孟角か高鄭が後継者になったとしても何の不思議も無い。むしろ自然だ。

 部族は指導者が死んだ程度でどうにかなるほど弱くない。勿論混乱はするだろうが、そこからかえって

奮起する。権力者の交代は兵達にとっても名を上げる好機である。中には扶夏王に取って代わろうと考え

る者すら居ただろう。

 そのくらいの気概ある事が、尊重される社会なのだ。奪う力があれば正当な行為になる。その相手が大

陸人でない限り、財産を護れぬ弱さが悪いのである。

 孟角、高鄭というニ将の間に微妙なる緊張感が生じていたが、彼らも今争う訳にはいかない。目前には

秦軍が居る。まずはこの軍勢を退ける、いや打ち破る事が第一だ。後継者は愚かな大陸人達を滅ぼした後、

ゆっくりと決めればいい。

 しかしそんな彼らに不愉快な報が入る。

 あの狄仁が不夏王の後継者を名乗り、兵を募っているというのだ。それだけなら愚かな真似を、としか

思わないのだが、その手には王印が握られているとか。

 二将も王印の意味は解っている。扶夏王は大陸人を真似、人よりも印に権威を持たせようとした。そう

する事で自分が死した後も、自らの望む者に後を託せるようにしたのである。

 そしてそれは王印を得る為には王の信頼を得ざるをえない、という状況を生み出す。これによってより

部下を掌握しやすくなるとも考えたのだろう。

 単純に大陸人の真似をして作った訳ではない。人を操る術を学び、利用しようとした。族長達の意で決

まる単于ではなく、王という権威によって部族の上に君臨しようと考えたのだ。彼にとっても族長の権威

は邪魔でしかなかった。

 勿論、それを一足飛びにやるつもりも、できるとも考えてはいない。ゆっくりと膳立てを整えていた。

その代表的なものが王印という訳である。

 王印の権威は未だ広く知れ渡っていないが、王が死んだ今無視できないものがある。それに扶夏王の最

後を知る者が狄仁とその部下の一部にしか居ない以上、扶夏王が狄仁に後を託したという事を否定する材

料は無い。

 強引に否定する事は可能だが。今この状況で仲間割れをするのは不味い。楓流が攻めてくるのが解って

いるから、必要の為に狄仁に従っている長も居ると聞く(彼らも事が片付いた後、狄仁を殺して王印を奪

うつもりなのかもしれないが)。扶夏王を倒した強力な敵が目の前に居る。その事が狄仁の身を護る。

 孟角、高鄭もその程度の事は理解している。彼らも長く扶夏王の下で学んできたのだ。どうすればあの

地位へ昇る事ができるのかを誰よりも知っていた。

 人を利用する事だ。狄仁が生きて何かやっているのなら、それも利用すればいい。何をしようと最後に

笑うのは自分だ。二将はどちらもそう考えていた。扶夏王を悼(いた)む気持ちなどさらさらない。

王が彼らを道具としていたように、彼らにとっても王は自分を引き上げる為の道具でしかなかった。

 二将は兵達に王の死を告げると、雪辱すべく秦軍を打ち滅ぼさん、と士気を高めさせ、その為の策を練

った。

 兵達も王には失望している。大陸人如きにむざむざ討たれるなど、なんと不甲斐ない。それでも部族か。

 そして彼らは二将を新たな支配者と認め、その傘下に入る。

 負けたものに用は無い。それが部族の掟。彼らには大陸人のやり方、扶夏王の遺志など、どうでも良い

事だった。そこに敵が居るから討つ。それだけである。




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