17-7.猛りし誇り


 南蛮の兵力は約二万。それに対して秦双同盟軍が二万五千から三万といった所か。兵数から言えば秦双

が有利だが、双兵は総じて弱い。それに秦と双の間で上手く連携が取れるだろうかという疑問がある。南

蛮の方が意識の統一がしやすく、個々の能力も高い。秦双にはまだ背後に予備兵力があるとはいえ、現状

どちらが優勢かと問われれば、南蛮側だろうと思われる。

 しかし南蛮側にも不安が無いではない。

 この戦いは扶夏王の後継者争いという側面も持つ。というよりも、南蛮にとってはそちらの意識の方が

強いだろう。彼らは大陸人に遅れを取るとは考えていない。

 どの顔も自信に満ち、戦が始まるのを今か今かと待ち構えている。孟角、高鄭が動かないのがじれった

いくらいで、その自信は扶夏王が敗れた今でも変わらない。大陸人が強かったのではなく、扶夏王がしく

じった。大陸人にかぶれた彼には、部族たる誇りと力が欠けていたのである。

 自分はいずれこうなるだろう事を予測していた。扶夏王のやり方には過ちが多かった。などと皆知った

ような事を口にし、遠慮なく死者に鞭打つ。死人に口無し、遠慮する必要は無い。

 それは部族を扶夏王軍としてまとめていた力が大きく衰えている事を意味している。

 扶夏王が討たれ、南蛮の統一性というものは著しく乱れた。だからこそ狄仁もあのように一度は軍を持

てた訳であり、今もその下に付いていた者が恥と思わず北部へ集まっている。

 同胞ではなく、目的を同じくするだけの関係。以前の部族に還ったのだ。

 今の部族達にとって、孟角、高鄭は王以前に将軍ですらない。敵が目前にあるから便宜上従っているだ

けで、彼らも一族長に過ぎず、自分達と同格と見ている。

 実力はあるからそれに対しての敬意は払うが、それだけである。もし命令という形を取れば不満を隠し

はしないだろうし、あくまでも仮の将である。

 そういう意識が日を追う毎に強まっていく。今も指揮権ははっきりしていない。孟角、高鄭が抱えてい

る兵の数が多いから仕方なく従っているが、それに対して不満を持つ者も多い。

 何故大陸人に討たれた不名誉な者の名を冠していなければならないのか。何故扶夏という敗者が認めた

将軍に、いつまでも従っていなければならないのか。

 二将は反論できない。それを支えるだけの根拠が無いからだ。何を言っても虚しく宙に消えるだけ。

 ニ将とて兵力の大きい部族には相応の敬意を払わなければならない。

 それでも負けるとは考えていないが、部族が個々で動けば危険を避けられないと考えている。二将は大

陸人の力をある程度認めていたようだ。

 扶夏は決して弱くない。油断や妄信があったとしても、それだけで終わるような男ではなかった。だか

ら表面上は忠誠を誓い、今まで従っていたのだ。ニ将だけではできないから、扶夏という男の力を利用し

てのし上がり、その後に全てを奪おうと考えたのである。

 だがそれも全てぶち壊された。腹立たしく、憎しみは増す。だが決して敵を侮ったりしない。孟角、高

鄭の二将はだからこそ扶夏王に高く評価されていたのだ。

 大陸人と戦うに当たって、その力を過小に評価するような者が将では、勝てるものも勝てなくなる。扶

夏王は大陸人への偏見が少ない事を将の絶対条件としていた。

 大陸人は侮れない。野戦で破られのだ。言い訳はできない。

 確かに小汚い手を使われたのだろう。しかしそうだとしても、果たして二将に同じ事ができただろうか。

それを考えれば、自ずと相手の力量を察する事ができる。

 しかしそれを認める者は少ない。

 南部が早々に楓の軍門に下った事にも、部族の多くは危機感を感じていない。彼らは余りにも自己愛に

過ぎ、冷静に敵を見られなくなっているらしい。扶夏王を失ってからは尚更その傾向が強くなり、自分に

も継ぐ権利がある事を主張する為だろう、大言を吐く者が増えていた。

 個々に別々の思惑があり、その為に他を蹴落とす事が必要だとしたら、そのような者達がどうして協力

しあえるだろう。共に命を賭けて戦えるだろう。

 初めから無理なのだ。とうに共に何かができる関係ではなくなっている。足を引っ張り合う事を意図せ

ずとも、彼らは互いに張り合う事で全てを無意味にしてしまう。無秩序に剣を揮うだけの兵の集まりなど

軍隊ではない。一つの意思に従い、一人の巨人となってその矛を揮うからこそ軍は軍として

成り立つ。

 部族出身だが、大陸人の兵法を学んだ彼らにはそれをよく解っていた。個人戦では無敵でも、団体戦で

は被害が少なくない。部族は部族であるが故に、そうなるのだと。

 だから扶夏は王という権威を創る事で強引にまとめあげようとし、半ばそれは成功していた。しかしそ

の扶夏王自身が事もあろうに大陸人に敗れた今、その力は失われる。部族は扶夏のやり方を全て否

定していくだろう。そうする事で部族という誇りを生かそうとする。

 こうなると孟角、高鄭も部族の族長連合の筆頭にでもなるしかない。

 それにどうなるにしても、二将は権力争いを繰り広げなければならない。協力するにしてもどちらが主

でどちらが従かを決めなければならない。揉めるのは明らかだ。二将が何とかそれを決めたとしても、彼

らの下に付いた部族は認めまい。下手すればその場で見限られてしまう可能性もある。

 これは誰が考えるよりも大きな問題であった。

 だが部族の多くはそういう問題を理解していない。素朴なまでに、自分達の強さだけを信じている。

 そこに敵軍に動きがあったとの報が入る。

 最早留めておくのは限界であった。

 二将はそれぞれ応じるしかない。

 そう、彼らは結局一つにまとまるのではなく。言わば同盟軍として、それぞれで戦う事に決めた。指揮

権、支配力などあってないようなもの。ならばもう個々に戦えばいい。孟角と高鄭、 どちらの軍がより多  彼らも部族、敵が攻めてくれば臆しも引き伸ばしもしない。即座に迎え打つのみ。

 篭城もありえない。自ら野を突き進み、敵の喉元を掻っ切る。

 部族は猛り、人ともつかぬ雄叫びを上げた。



 秦双軍は互いに仲良く横並びになり、距離と速度を一定に保ちながらゆっくりと進軍していく。

 結局解りやすいのが一番動かしやすい。単純に左右に分けた事が兵の理解を容易にし、命令伝達から実

行までの速度を安定させている。

 秦軍が右、双軍が左。

 大陸人には古来同格であれば左の方が偉いという意識があったが。この当時でさえそのような考えは始

祖八家時代の古びた格式だと一般に思われている。しかしその古びた格式そのものである双朝廷には、絶

対に左に陣する必要があった。

 秦側としては腹立たしいが、実権はないものと堪(こら)え、許している。今その程度の事で揉める事

がいかに愚かな事であるかを理解しているからだ。

 双の操縦方法というものを、彼らも多少は学んでいる。

 具体的に言えば趙深の用いていたやり方だ。

 詳細を知る事は不可能だが、ある程度の事なら察せられる。それらの逸話めいた話から必要なものを抜

き出し、利用する事は難しくない。

 それに双朝廷は解り易い。

 王と重臣を立てていればよく。それさえ守れば子供のように言う事を聞く。その質が悪くとも、双の兵

力は大陸随一。数があれば使い道がある。

 秦は双軍を盾とするつもりだ。双軍を先行させ、それに追随するように前進し、敵軍が双軍を攻める際

に生じる隙を突いて被害少なくして勝つ。

 情報によれば南蛮軍もまた統制を欠いている。ならば双軍でも多少は役に立ってくれるだろう。

 統制の取れていない軍の行動は単純。必ず先行する双軍へと喰らいつく。そこまで解っていれば、いく

らでも利用できる。ここで左右に軍を分けた事が生きてくる。左がいくら混乱しようとも、右は右の仕事

をすればいい。

 運が悪ければ双軍が秦軍に逃げ込み、両軍共に混乱に陥るという事も考えられるが。他に良い手が浮か

ばない以上、賭けと知りつつやるしかなかった。

 これは秦王の命なのだ。曹閲には絶対の命令であり、王親子も望まれれば拒否する事などできない。す

でに決まった事なのだ。

 左翼の双軍が自然とその速度を上げていく。これは事前に決めた事ではないが、双将がおそらくそうす

るだろう事は解っていたので、秦は何も言わなかった。功に逸る双軍は格好の餌。秦軍はその時を待てば

いい。

「ウォオオオオオオオオオオッ!!!」

 城門が開け放たれ、南蛮兵が続々と単騎突撃を仕掛けてくる。

 その動きに乱れはない。しかし余りにも無様な姿である。個々の速度にばらつきがあり、目標とする所

も各々で違う。軍の名を借りた個の集団であり、曲がりなりにも軍という形態をとっている双軍から見れ

ば、むしろ彼らこそが格好の餌に見えた。

 そうして功に逸る両軍が激突する。

 一番槍が一番勇を見せる手段である事は部族も変わらない。むしろ誰よりも早く敵兵と切り結ぶ事が部

族にとっての誉(ほま)れ。面白いように双軍に向かってくれる。追随する秦軍には目もくれない。

 秦軍の先鋒を任されている王飛は父王旋に比べ経験は浅いが、才能、身体的能力共に若き日の王旋を凌

ぐと言われている。それが事実かどうかは比べようがないから解らないが、どの兵士からも敬われるに足

る速さと強さを持っていた。

 その王飛が名の如く飛ぶように駈けて行く。これ以上待つ必要はない。双軍へ向かう南蛮軍の側面を突

き、鼻っ柱をへし折ってやるのだ。

「ッゥゥォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 怒濤の如き流れと共に、数百の刃が南蛮軍に叩き付けられる。

 これには流石の南蛮兵も堪らない。押し切られはしなかったものの、兵が混乱し、次々に討ち取られて

いく。

 南蛮軍が盛り返そうと速度を上げれば、いなすように速度を下げる。

 すると南蛮兵に虚が生まれ、負け時と追ってきた双軍が丁度それを突く格好になる。

 南蛮兵は双軍の方に意識を向けざるを得ず、その多くはなにくそと双軍へ挑む。

 そして再びそこに生じた隙を秦軍が突く。

 この繰り返しである。

 しつこく秦軍を追ってくる兵には弓矢の洗礼を浴びせる。

 南蛮兵には弓矢が有効だ。趙深が用いた物程鋭く硬い訳でも、速さがある訳でもないが、愚直に進む南

蛮兵は格好の的であった。彼らも弓矢を持っているが、真横に撃つせいで飛距離が短い。面白いように損

害を与える事ができた。

 これも楓から学んだ戦法である。

 もしかしたらずっと以前から準備していたのかもしれない。でなければここまで見事な運用はできない

だろう。例え王飛の能力が傑出していたとしても、訓練していない軍隊に迅速確実な運動をさせる事は不

可能である。

 知らぬは双と南蛮のみ、という訳か。趙深であれ誰であれ、入れ知恵した者もこうなる事を知っていて

協力したのだろう。つまり双軍を盾にし、消耗品とする事に同意していた。

 その者からすれば肥大する双の力を減じる事にもなり、好都合という訳だ。それに上手くこの戦いを乗

り切らせられれば双軍に自信を付けさせる事ができる。元々過度の自尊心を持つ兵達だ。そこに自信が加

わればどうなるか。これほど操りやすい人間も他にいまい。

 ともあれ、秦軍は双軍を使って戦果を上げていく。

 統率など初めから無かった南蛮軍は徐々に押され、困惑し、その迷いが本来の実力を損なわせる。どれ

ほど強い力を持っていようと、それを効果的に発揮できなければ宝の持ち腐れ。

 だが南蛮もそれだけでは終わらない。

 孟角、高鄭の二将が動く。



 先陣を切り、次々に討ち取られたのは、最も統率の失われた兵達。簡単に言えば、一番言う事を聞かな

い者達だ。

 二将からすれば、初めから敵戦術を確認する為の捨て駒でしかない。

 当然だろう。命令を聞かず、各々好きに逸るとなれば、そのような兵に使い道などない。あるとすれば

捨て駒のみ。

 だからいくら討ち取られようと、どうとも考えていなかった。勝負はその後からである。

 二将にも彼らを慕う、というよりは目的を同じくする者達が居る。それは多くないが、同士として結ば

れている。その手勢を活かせる状況を整えればいい。

 正直、扶夏王という呪がこれほど大きく。それを失くした今、部族がここまで統率の執れないものにな

ろうとは思っていなかった。

 死んでからようやくその真価に気付く。そしてその死が早過ぎた事にも。

 だがそれはそれでいい。今勝てばまだ道が繋がる。こちらは万全ではないが、向こうもまた同じ。

 秦双の戦術は味方同士の信頼がないからこそ採れる手である。一方を見殺しにして利益を得る、二将と

源を同じくする策だ。おそらく左右両軍の立場も二将と同じなのだろう。彼らは盟友ですらない、ただの

競争相手。互いに互いの疲弊と消耗を望んでいる。

 いや、片方はもう一方に利用されているだけか。烏合の衆とはいえ部族の力は小さくない。単騎進軍す

るに適う力を持つ者も居る。それなのに損害少なく順調に討ち取られているのだ。

 少なくとも利用している方は二将に勝るとも劣らない力量の持ち主だろう。

 二将は命令を聞かない部族達の行くに任せ、慎重に敵軍の疲弊を待った。

 部族の中には彼らと同じく様子見している者も居る。優秀な族長が率いているのだろう。或いは単に臆

病なだけか。しかしどちらも源を同じくするものだ。戦の後、もし彼らが生き延びていたとしたら、何と

しても味方に引き入れ。それができないとなれば、早々に手を打っておかなければならない。

 二将は部族の動きを細かく観察していた。

 彼らがこの戦いに勝つ事を疑っていなかったとすれば、勝敗が着く前から後の事を考えていたとすれば、

当然そうなる。

 だがそれ故に目の前の事が疎(おろそ)かになる。

 言ってみればそのせいで扶夏王も滅びたという事に、彼らは気付かなかったのだろうか。それともいつ

もそうなる者がそうであるように、自分は特別だと考えていたのか。

 解らないが、もしそうであるなら、必然的な結果を導いたとは言えるだろう。

 そこまで人というものが解り易いものなのかは、解らないとしても。



 秦双軍は例の戦術を用いて、順調に撃破していった。被害も多かったが、勝利は危なげなかった為か双

軍も乱れなく戦っている。趙深が施した教育が多少は残っているのかもしれない。

 双兵は総じて弱い。が、中には見事な戦いぶりを見せる者も居て、王飛ですら驚嘆させられる事がある。

 しかし問題は疲労だ。

 南蛮は何も考えず突っ込んでくる。対処しやすいが、数が多く、断続的に来るので休む暇がない。常に

油断できず、部隊の交代が難しい事もあって疲労に負ける部隊が出、作戦行動に支障が出始めていた。

 南蛮兵は強い。口には出さないが、王飛はそれを思い知らされている。

 彼自身、勇に自信がある方だが、南蛮兵の中に居て、果たしてどれくらいの位置に居られるだろう。大

陸人一の武勇であれ、南蛮の中に居れば上の下がせいぜいではないか、と思わされる。

 統率の無い軍相手にさえ、時折前線を突破されそうになる。油断しているとそのまま本陣を突かれかね

ない勢いだ。

 統制が取れず、二軍の兵を相手にしてさえこれなのだ。扶夏王自身が率いた一軍に対し、楓は一体どう

やって勝利したのか。楓軍とはどれだけ精強なのだろう。

 王飛は恐れを抱いた。それを認めたくはなく、すぐに一笑にふしたが。その恐れを否定できない事もよ

うく解っていた。

 王旋もおそらく同様の事を思っている。

 秦軍は南蛮残党との戦いを通して楓軍に拭えぬ恐怖を抱いた。そしてその思いを秦王も共有する事にな

り、後々新たな火種を生む土壌となっていくのだが、今はまだそこまでではない。

 今は目の前の戦である。南蛮にも相当な損害が出ている筈なのに、敵将に動きが見えない。何を狙って

いるのか。不安が募(つの)る。

 何も考えず突進し続けるだけの南蛮兵にも恐怖を抱き始めている。

 愚かだと言ってしまえばそれまでなのかもしれない。だが、中衛にて冷静に戦局を眺めていた王旋には

不気味さしか感じられなかった。

 敵将、高鄭の方は知らないが、少なくとも孟角は侮れない。魯允(ロイン)と侠族との件といい、無策

でいるような男ではない。王旋にも南蛮なにするものぞ、という気概と差別心はあったが、彼は敵をその

ような下らない決め事で見るような男ではなかった。

 激戦を続けてきた西方の中で最後まで生き延びた秦。その秦を若き頃から助け、支えてきた。その力は

伊達ではない。名家生まれといえばそうだが、彼自身そんなものに胡坐(あぐら)をかいてきた訳ではな

く、正真正銘の叩き上げの軍人である。

 長く戦い、長く生きた。だからこそ年長者は尊敬もされれば、信頼もされる。ただ漠然と生きるだけで

危なげなく老齢に達せられるような時代とは違う。王旋には格がある。

 彼は前線に異常が起きている事、優勢とはいえない状態にある事を理解していた。

 優勢に見えるのも惰性からくる幻である。兵の疲弊は確実に限界に近付いており、彼らの体は今も聴こ

えぬ悲鳴を上げている。それを自分の目で確かめた訳ではないが、交代の時間がずれ、実は王飛が攻めあ

ぐねている事くらい、報告からすぐに察する事ができる。

 特に双軍は酷い。今は瀬戸際で王飛が助けているから良いが、いつ崩れてもおかしくない状態にある。

もし前線が崩されれば、双軍など一挙に瓦解するだろう。勝っている内は良いが、不利になると途端に弱

くなる。それが双兵の特徴だ。

 だから捨て駒、盾にするにしても、崩れきらないよう注意していなければならなかった。

 それが限界にきている。

 大胆に前衛全てを下げ、中衛と交代させたい所だが、双軍にそのような見事な運動ができるとは思えな

い。まずこちらの助言を聞くかどうか解らないし。もし聞いたとしても、そこから自滅しかねない。

 よくもまあこんな兵を使ってあれだけの領土を得、北方の大国として揺るがぬ地位を築かせたものだ。

今更ながら、王旋は趙深という男に対し、恐れに似たものを抱いた。これであれだけの事ができるのなら、

精強名高い楓軍を抱けば確かに扶夏王も滅せよう。

 実際には賦族兵が居たからこそ、双を大きくする事ができたのだが、そこまでは思い至れなかった。忘

れていたというよりは、賦族という呼称を使う事さえ嫌ったのだろう。

 だからその恐れは一人、趙深へと注がれる。双を上手く操縦し、衛を大きくさせ、今は中央を乱れなく

治めている。恐るべきは楓流ではなく、趙深。そういう心を持つのは自然の流れ。

 とはいえ、そんな事に囚われている暇はない。今は余計な事を考えず、目の前に集中し、ともかく対処

しておかなければならない。

 王旋は予定より早かったが、中、後衛を前進させる事を決めた。

 秦軍は精密な運動ができる。前衛と中衛を交代させ、後衛が弓矢を射掛けながら負傷者を収容する。そ

の程度の事ならできるはずだった。

「少々危険になるが、やるなら今であろうよ」

 そしてすぐさまそれを命じる。

 いざ戦となれば一々曹閲を通す事をしない。全て王旋に委任され、曹閲はそれを事後承諾するのみ。だ

からこそ秦軍は見事な動きを見せる。それを解ってやっていたのなら、曹閲もまた、正当に評価されてい

ない人物なのかもしれない。

「必ずもう一度動きがある。その時が潮ぞ」

 王旋は気を引き締めさせた。



 孟角、高鄭両将軍も、動く。秦軍に大きな動きが走るのを見、勝負に出た。

 二将は目的の為に私事を捨てて協力する道を選んだ。ここで勝てなければ未来さえ勝ち得ない。なら将

来の優位を多少犠牲にしようとも手を結ぶ。それが最善であると知っているからだ。

 しかしどうしても反目する部分はある。

 どちらか一方が出、もう一方が補うように動ければ良かったのだが。両軍とも同時に発した。

 だが愚かではない。彼らは秦と双、どちらか一方ではなく、その両方に同時に仕掛け、その間を分断す

る事を目的とした。

 今まで部族が圧されていたのは、形だけとしても秦と双が連携をとっていたからである。部族はその動

きに釣られ、無様な姿を晒(さら)した。

 だから秦と双の頭を高鄭軍、孟角軍でしっかりと押さえにいったのである。

 秦軍には高鄭軍、双軍には孟角軍が当たっている。それは秦にとって高鄭の方がより馴染みが薄い、つ

まりは不気味に見えるからだろう。もしかしたら何か賭けでもして決めたのかもしれないが、そう捉えた

方がしっくりくる。

 秦軍は交代の為に動いていた訳だが、そこに二将が現れた事で多少動揺した。上手く王飛が抑えたよう

だが、動きが鈍るのは避けようがなく、温存されていた兵の前に俄かに劣勢を強いられる。

 仕方なく王飛自身が突出し、最前線を崩されるのを防いだが、それもいつまで持つか。

 不安に駆られた所へ、王旋自ら率いる虎の子の部隊が到着し、獅子奮迅の活躍を示した。

 その力は部族に勝るとも劣らず、高鄭でさえ驚嘆させた。

 このままでは優勢を築けなくなると考えた彼は。

「我が名は高鄭! 一献仕る!」

 滾(たぎ)る血がそうさせたのか、咄嗟(とっさ)に一騎討ちを挑んだ。

 こう言われれば王旋も応えねばならない。

 だが年老いた自分の力は、若々しい敵に比べていかにも頼りない。自信が無い訳ではなかったが、勝利

を確信できる程ではなかった。

「父の手を煩わすまでもない! 我が名は王旋が子、飛! 父に代わり、我が承ろうぞ!!」

 そこへ王飛が割り込んできた。今父を失えば、その時点で秦軍は瓦解する。何としても助けなければな

らない。それに自分を差し置いて父に一騎討ちを挑まれた事にも不満があった。

 若々しい肉体が屈辱と燃え上がる闘志で震えている。

「よかろう! 一つ捻ってくれる!!」

 高鄭にも異存は無い。王飛が直接指揮していた事は知っている。王飛を討ち取れば、今までのような動

きはできなくなる。どちらが相手でも構わなかった。

 生意気な小童め!、という気持ちもある。

 こうして王飛、高鄭の当時では珍しい一騎討ちが始まった。




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