17-8.一気呵成


 決着はなかなか着きそうにない。

 周囲の兵士も一時手を止め、この闘いを見守る格好だ。

 威力は申し分なく、速度も優秀な王飛の一撃。しかし技術に優れた高鄭に巧みに受け流され、決定打を

浴びせずにいる。高鄭の方も巧く捌いてはいるものの、王飛の剛力にともすれば腕を痺れさせられ、生じ

た隙を活かす事ができない。

 一進一退の攻防が続き、あわやと思える場面は数多くあったが、どちらもそれを捉えきれず、じりじり

と疲労だけが増していく。

 両者、動きが鈍り始め、どちらが優勢ともいえない。同程度消耗し、同程度能力を低下させている。

「シャッ!」

 切り裂くように息を研ぎ澄ませ、剛打を揮う王飛。しかしその攻撃は相変わらず相手を捉えられず、す

んでの所でかわされ、追撃を許さない。

「てぃ、やぁ、ウぉりゃッ!」

 速度も威力も及ばないが、体勢が崩れた所へ巧みに打ち込まれる高鄭の連撃。しかしそれも惜しい所ま

ではいくものの、最後の一歩が踏み込めない。まるで皮膚をなぞるようにして、ぎりぎりの所で避けられ

る。その一歩が常に届かず、苛立ちが増していく。

 どちらも大陸一とは言わぬでも、充分に人に誇れる技量である。しかし奇妙に絡む両者の刃筋は、まる

で互いの命を奪うのを恐れるかのようだ。

 良い闘いだが、誰もそんなものを望んでいない。

 碧嶺後になれば名誉を重んずる風潮が強まり、こういう一騎討ちもただやるだけで名声を高め、士気を

上げる効果もあるのだが。この当時の戦は理想よりも現実を求める。生々しい獣の延長。勝つ事が全てで

あり、名勝負を繰り広げようとも、負ければ全てを失う。

 それでも一騎討ちを行った。だからそこに何か深い理由がある筈だ。

 長らくそう考えられてきた。しかしどうやらそこに大きな意味は無さそうだ。

 たまたま将がかち合う場面があり、たまたまこうする事が一番効果的な手段になるだろうと判断しただ

けの事。

 そしてそう判断した高鄭が、王飛の強さを見誤った。

 高鄭は一騎討ちやその他の行動を見ても大陸人的気質が強く見え。その上名前も実に大陸人らしいので、

部族に組した大陸人の一人だろうと考えられている。

 体型も標準的で、見た目だけで言えば王飛の方が部族らしくすらあったようだ。

 しかし個人としての戦闘能力は高く、その面を扶夏王に買われていた節がある。戦い方も勢いに任せる

部族風ではなく、実に頭脳的というのか、相手と自分の双方をよく捉え、詰め将棋でもしていくように打

ち負かす。

 その本分は、相手の力を利用して敵を討つ事にある。

 高鄭は大陸人的な有能さを濃く持っている。

 その彼が皮肉な事に、部族らしい戦い方を好む王飛に圧倒されている。今は防いでいるが、彼自身はい

ずれ押し切られる事を理解していた。

 この勝負は高鄭が王飛の攻撃を捌ききれるかどうかにあるが。王飛の力はどうやら高鄭の予想していた

よりも一段、いや二段は高い。腕に覚えがあり、王飛が激戦による疲労を募らせている事も考慮して闘い

を挑んだのだが、読み違えてしまった。

 王飛は考えていた以上に経験があり、力の配分というものを心得ている。若さに任せた勢いだけの男で

はない。

 その攻撃は一本調子ではなく、力加減が実に巧みだ。

 叩き付ける箇所も計算され、効果的な箇所へと周到にぶつけられる。

 見た目は部族的ですらあるが、その闘いは実に頭脳的である。

 高鄭以上に大陸人的であると言っても良い。

 この当時の大陸人には前政権の儀礼重視主義的な面に反発し、実戦的な技術を重んじる風潮が生まれて

いた。

 勿論、純粋な力にも憧れはしたが。優れた技能には、他者に教えられるという意味もあって、惜しまぬ

賞賛が与えられていた。

 だからこそ玄一族なども尊ばれたのであり、楓の技術力も高く評価されている訳である。

 王飛と高鄭とでは、高鄭の技術の方がより高い段階にある事は間違いない。しかし王飛も技術面を疎(お

ろそ)かにしてきた訳ではない。彼もまた高い段階にある。

 つまり技の差は思ったほどではなく、力の差に決定的なものがある。これでは高鄭に勝機などある訳が

なかった。

 こういう場合は弓兵でも忍ばせておき、暗殺を試みる手もあるのだが。部族精神が宿ったのか、その手

の事をして部族からの評価が下がるのを恐れたのか、高鄭は純粋に一騎討ちで勝負していた。

 見守る部族達も例え彼がどうなろうと助けはしないだろう。一騎討ちに手助けなど、彼らの誇りが許さ

ず。部族に属する高鄭にもそうである事を望んでいる。今更目配せした所で、応えてくれる兵は居ないだ

ろうし、漢を失うだけだ。

 だがこのままでは命を失くしてしまう。

 高鄭は迷った末、奥の手を使う事にした。

 ここで使うつもりはなかったが、仕方が無い。

「その勇が悪いのだッ!」

 苛立ちをぶつけるかのように叫び。今までと違い、全身を乗せるように渾身の力で刃を叩き付け。

「・・・・・ッ!?」

 意外な行動に動きを止めた王飛にその勢いのまま乗りかかり。柄から隠し刃を抜き放つと、鎧の隙間、

右脇の部分から刃を通した。

 王飛は乗りかかる相手を撥(は)ね退けようと両手を突き出そうとしたが、右腕の何かにひっかかって

思うように動かせない。

 そのまま高鄭に喉を貫かれ、絶叫しながら果ててしまった。

「卑怯者めが!!」

 しかし勝利の余韻を感じる間もなく、いつの間にかすぐ側に来ていた王旋に一撃を揮われ、気付いた時

には左腕を肩からばっさり斬り飛ばされてしまっていた。

 年老いて尚この威力。高鄭は死の恐怖を抱いたが、王旋もそれが精一杯であったようで、息を切らして

それ以上の追撃を行えず。将を助けようと集まってきた両軍の兵達の間で揉みくちゃになりながらも、何

とか逃げる事が出来た。

 王飛を失った秦軍は以前のような動きはできないだろう。だがその代償は大きい。

 片腕を失い、孟角に角に使う為、修練を積んできた奥の手まで使ってしまった。命だけは拾ったが、お

そらく先は望めまい。

 そこに勝利の高揚などは無く、虚しさだけが在った。



 王飛の死によって勝敗が着くかと思われたが。王旋の命を賭した奮戦と、敵将の腕を落としたという事

実によって波紋が緩和され、秦も双も戦線を保つ事ができている。

 そこを圧せれば良かったのだが、どちらの衝撃も大きく、半時もしない内に両軍申し合わせたように後

退を始めた。

 秦軍が王飛の遺骸を回収に向かった時も襲いかかろうとせず、むしろ悼(いた)むように、敬意を表す

ようにして神妙な顔で見送ったという。

 もしかすればそういう意味もあって後退に応じたのかもしれない。

 南蛮にしてみれば、将が傷付いたとはいえ、敵将を討ち取っているのである。わざわざ引いてやる道理

などない。ここで圧せば、疲労を隠せず、子を失った絶望に打ちひしがれる王旋を討ち取る事も容易かっ

ただろう。

 だがしなかった。いや、できなかったと言うべきか。

 もし同じ立場であれば秦軍も双軍も引きなどしなかったろうに、皮肉といえば皮肉な事である。

 南蛮と蔑まれた部族の方が、理想に生きたというのか。

 高鄭は程無く果てた(出血多量だと思われる)。彼の勝利には賞賛が惜しまれなかったようだが、ど

うでも良い事だったろう。

 もし生き延びていたとしても、重傷で寝込んでいる間に全てが決まってしまう。

 確かに、名声は上がるだろう。支持も得られるかもしれない。片腕を失った事に対し、心から同情して

くれる筈だ。

 しかし隻腕は隻腕。生涯尊敬されようと、王にはなれまい。部族は個人的武勇を重んじる。後は名誉の

残骸の中で生きるだけだ。

 何の役にも立たない名誉の中で。

 それが事実かは解らない。だが高鄭自身はそう考え、全ての希望を失い、死を選んだ。怪我のせいとい

うよりは、治す意志を失ったから死んだと考える方がいい。似たような傷を負った他の兵には、生きてい

る者も多かったのだから、高鄭がそうなれなかった理由はないのである。

 傷の重さではなく。

 生きる望みを完全に失えば、人は容易く死ねるものだ。



 王飛の死によって秦軍は決定的な損害を与えられたが、戦果でいえば大幅に南蛮軍を上回っていた。そ

れだけに惜しい死だが、いつまでも引きずっている訳にはいかない。特に王旋は将として、兵の手本とな

る必要があった。

 息子の死に遭いながら、むしろそれを誇るように自ら前線へ赴(おもむ)く。それを見た兵の士気は際

限なく上がるだろう。そしてその上昇気流が大きな流れを呼び込み、秦に勝利をもたらす。それこそが王

飛への何よりの供養になる。

 兵の士気は面白い程に上がった。おかしな事に双軍の士気も。その上双将の態度が目に見えて改まり、

向こうの方から是非我が軍の指揮を任せたい、我々は貴殿に従う、とまで言ってきた。

 本音かどうかは知らないが。そうしなければならない程、双兵の気分も高揚していたという事だろう。

 抑えられぬ勢いは滅びをもたらすが、時に救いをもたらす事もある。一か八かの賭けに成功するとすれ

ば、おそらくそのような時だろう。

 王飛を失った以上、長引かせるのは不利である。一気に決めてしまわなければならない。

 王旋はまだ高鄭の死を知らなかったが、あの傷では暫く前に出る事はできないだろうし、今ならまだ最

後の機会が残されているかもしれないと考えていた。

 そこに捨て鉢な気分があった事は否定できない。

 もうどうにでもなれ、だがせめて敵将だけは冥府へ連れて行く。そのような不穏な覚悟を抱いていたと

も想像できる。

 曹閲はそれを察していたのかもしれないが、何を言う力も無い。勢いに呑まれるかのように、なるべく

前線に進み、勇を見せる事しかできなかった。

 今自重論でも言い出そうものなら、袋叩きにされかねない気分が秦軍の間に満ちている。

 まだ兵の尊敬を受けていたなら、王旋の信頼を得ていたなら、何かできたかもしれないが。曹閲にはど

ちらも無い。

 彼が悪いのではなく。この軍内に満ちる気分に逆らえるだけの力が、彼には無かったのである。

 初めから飾りでしかなかったのであり、罪があるとすれば、それを知っていて曹閲を大将に据えた秦王

にある。

 実の無い(と思われている)名ばかりものでは有事に何の力も発揮する事ができない。

 それが現実というものであろう。



 孟角は対抗者の死を喜ばないではなかったが、状況はそれを許さない。

 今まで確かに二将間で張り合い、兵の間にもそういう空気が満ちていた。しかし二つの受け皿があった

からこそ何とかできていた、という面が少なくない。

 彼の死を利用すれば、士気を飛躍的に高める事はできる。

 だがそれまでの事。

 持続する力ではないし、結局言う事を聞かぬ兵が増えただけだ。手強い敵と相討ってくれたのはありが

たいが、今死なれては困る。

 秦軍も力を完全に失った訳ではない。

 孟角も大陸人の戦史を学んでいる。人間が時に感情だけで何もかもを覆し、白も黒も失くしてしまう事

を知っている。感情の暴走は何よりも恐ろしい。

 そして多分、そういう気性は全体性とでもいうべきものをより多く持つ大陸人の方が強い。

 つまり、大陸人は集団の爆発において部族以上の力を出せる。

 部族を爆発させる事ができても、数とその力で上回られている以上、甚だしく不利であろう。

 拠点に篭って凌げれば良いのだが、部族達はそれを望むまい。必ずや正面から打ち合おうと言い出す。

そしてそれを孟角は止められない。

 結果を解っていて止められない。

 残る方法は一つ。敵将を討つ、それしかない。

 敵将を討つといっても、一騎討ちをしようというのではない。そうではなく、敵将を優先的に狙う部隊

を作り、それに射殺させようというのだ。

 その部隊には子飼いの兵達を当てた。当然だ。一番信用でき、確実に動かせる者達でなければならない。

しかし兵達はあまり気が進まない様子だった。勇を尊しとする部族が遠くからこそこそ敵将の首を狙うな

ど、恥と考えるのが当然である。激昂しても不思議はない。

 彼らは正々堂々正面からぶつかり、叩き伏せたいのだ。

 できるできないという点は考えようともしない。

 敵を軽んじるというのではないが、部族の力を過信している。

 だからこそ優秀な兵になれるのだとしても、今は厄介なだけだった。

 部族は大陸人から見ると古代の戦闘をやっている。現在の戦争ではない。集団戦に移行しようとしてい

る大陸人とは逆に、戦は個人戦の延長だと頑(かたく)なに信じている。

 部族兵は扶夏王の戦術をよく飲み込み、隊運動や連携なども見事にこなしてきたが、その意識は変わっ

ていない。結局形だけの利用でしかなく、それを理解する所まで行っていなかった。

 そもそも僅(わず)かな年数で変えようというのが間違いなのだろう。扶夏王は形だけの真似で充分と

考えていたようだが、結局は間違っていた事を知らされる結果に終わった。

 孟角も部族への過信を手放していない。だから統率に欠ける軍を使っても、秦双軍に勝てると思ってい

た。しかし今身近にいた、ある意味自分の分身ともいえる高鄭を失った事で現実を突き付けられ、過信を

剥がされてしまった。

 高鄭の死が自分にもあるべき未来を教えてくれたのだ。

 高鄭は敵将の力を侮った。いや、部族の流儀に依存していた。でなければああも容易くは斬られなかっ

ただろう。

 部族も復讐は認められているし、それをせねば漢として立てなくなる。だがそれも後に改めて一騎討ち

を申し入れてからの事で、問答無用に斬りかかられる事はなかった。復讐も神聖な儀式だからだ。

 大陸人のものも以前はそうだったと考えられている。全てが形式化されていた前政権の時は復讐にも一

一定の決まりがあり、それに則って行われていた。

 だからこそ高鄭は油断し、敵の目の前で隙を見せた。誰も襲ってはこない、という何の確証も無い不文

律に従って。

 それを思えば、扶夏王が学んだ大陸人像自体が古臭いものであったのかもしれない。

 今とは違う大陸人。それを王は学び、部下に教えた。

 軍の編成や運用方法など大きくは違わないから参考にはでき、部族の身体的能力もあって、相応の強さ

を得る事はできたのかもしれない。だが現在の大陸人の兵法も進歩している。

 本としたものは同じでも、やはり違う。扶夏王は部族流に応用はしたのだろうが。より適した形に馴染

ませただけであり、改良、改善というものではなかった。

 そこから出発するはずなのに、それを完成と考えてしまった。

 いつまでも古びない考えというものはあるが、しかしそれもそのままでは使えない。扶夏王もその部下

達も、その点を理解していなかった。だから今の戦い方に改良された、すでにそこから一歩踏み出してい

た大陸人流に負けた。

 そう考える事もできる。

 孟角は自分達が甘かった事を思い知らされていた。

 生き残った彼に与えられた最後の役割がそれだ。

 秦双軍には楓軍程の変化はないのかもしれない。だが確実にそれはある。工夫し、磨き上げ、更なる高

みへ昇華させようとしてきた代々の血と苦悩と努力は決して無駄ではない。

 大陸人の技能は大陸人の方が長けている。当たり前の事だ。しかし扶夏王はそう考えず、単純に同じ物

を使えばより優れている部族が勝つと信じた。

 確かに同じものであればそうだったのかもしれない。だが同じものではなかったのだろう、初めから。

 部族に大陸人を混ぜただけでは通用しなかった。

 だが部族流だけではどうにもならなかった事も確かだ。

 集団戦において部族は弱い。腹立たしい事だが、認めざるを得ない。だから集団戦を意識した扶夏王は

部族で飛び抜けた存在になれた。しかしそこで止まってしまったのだ。

 それでも扶夏王には勢いがあった。統率力があった。人を従える威があった。それは時に不可能を可能

にし、大陸人を圧倒した。しかし孟角にはそれも無い。まともにやりあえば必ず負ける。だが兵を抑える

事もできない。

 やはり暗殺しかない。

 孟角は必死に説得したが、応じたのは特に目をかけていた二十名程の兵達だけだった。

 できれば数百単位で組み、必勝の戦法としたかったのだが、仕方ない。頼める兵が居るだけでも良しと

するしかなかった。

 将軍の名も虚しいものだ。これで南蛮の統一王の後継者とは笑わせる。

 孟角は自嘲でもするよりなかった。



 細かく精密な動きができなくなった以上、戦法を単純化せざるを得ない。

 まず双兵を小隊単位に分散、細かく配置し、それらをぶつける事で乱戦の様相を生み出す。次に秦軍を

ぶつけ、更なる混乱を引き起こす。その上で秦の精鋭部隊で組んだ別働隊を左右から回り込むように動か

し、敵の横背を突いて敵将を討つ。

 これなら動きは単純、やる事も単純で迷いが少ない。

 平時なら双兵に勇戦を期待するのは不可能だが、今は不思議な程士気が上がっている。すぐに治まる熱

病のようなものだとしても、浮かされている間は勇気を期待できる。

 敵前で臆病者に戻り、混乱してもそれはそれで好都合である。彼らには猛獣の前に放り出される肉の役

を担ってくれればそれでいい。奮戦しようが逃げ惑おうがどちらでも良かった。敵陣を乱せれば良いので

ある。

 肝心なのは別働隊の方だ。

 人選には常以上に心を配った。

 この作戦を成就する為、自分の命も投入する。王旋自身は別働隊に加わらず、自ら乱戦の中へ突撃する

つもりだった。

 影武者を立てる案も出たのだが、速さこそ重要になる別働隊に老齢の王旋は相応しくない。ならば囮に

なる方がより確実になると判断したのである。

 息子を失った今、おめおめと逃げ帰るつもりはなかったし。ここで賭けに出ねばどうせ負けるのだから、

一番気の済む方法を採った。

 名目上の大将である曹閲は中衛にて後詰の投入を判断する事になる。が、これも形だけの役割だ。

 使える兵は別働隊に回し、戦える兵は前線に投入する。

 全ての力を惜しみなくぶつける。

 当然、犠牲は大きい。特に双軍は壊滅的な被害を覚悟しなければならない。だから双将には信頼のおけ

る双軍だからこそ、息子の仇を取りたいからこそ、敢えて貴殿らにお願いするのだ、と涙混じりに訴えて

おいた。

 王旋も馬鹿正直に生きてきたのではない。この程度の演技はできる。

 哀れ双将は子供のようにそれを信じた。だが彼に同情する気持ちはさらさらなかった。

 双などに特別な想いなどない。味方とも思った事はない。いずれ雌雄を決する相手だ。ならばここでよ

り多く消耗してもらう。それが秦の為になる。

 情に溺れた双将が愚かなのだ。



 孟角は敵陣の変化を見、不穏を覚えたが、兵達に聞く耳がない。先の一騎討ちに敬意を評し正々堂々渡

り合おうぞ、程度に考えているのみで、孟角から見てもそれは酷く古臭く感じられた。

 しかし幸い秦双軍も同様の気分なのか、馬鹿正直に正面から向かってくる。

 それを見、部族も馬鹿正直に真正面から雄叫びを上げて突進する。

 まるで獣の群れが行くが如くで、圧倒される何かはあったが、それだけの事。馬鹿馬鹿しい儀礼でしか

なかった。

 彼は何よりも冷めた目でその行く末を見ていた。これは生き残った者の言葉が残されているから、間違

いない。

 曰く。まるで路傍の石でも見るように、何の熱も帯びない目で見ていた。

 その兵はこの時点で孟角を見限って人知れず逃げ、その後長く生き続けたようだが、特に名を残すよう

な事をしていない。生きるという点では優れてはいても、歴史から見れば取るに足らない一証言者である。

 ともあれ、孟角はそのような目で王旋を待っていた。

 彼は正面からの戦いなら部族が優勢だろうと見ている。それは希望ではなく、どうやら弱い方の兵が敵

前線に配置されているからである。捨て駒だろう。

 役立たずの兵をそれでも使わなければならないのなら、もう盾か囮にするしかない。

 となれば別働隊が目的を達する為に動いている筈だが、その姿は見えない。

 だから斥候を放ち、後は放っておいた。

 もしその部隊が孟角の本陣を狙ってきたとしても、それはそれでいいと考えていたようである。敵将さ

え討てればよく、それ以外に望みは無い。ならば向こうから近付いてくれた方がありがたいのだ。いつ来

るかだけ解れば良い。

 とにかくこんな馬鹿馬鹿しい事は少しでも早く終わらせたかった。

 部族を疎む心も生まれていた。

 扶夏も高鄭も部族によって殺されたのだと。

 そこに秦双軍に動きがあった事が伝えられる。

 王旋が動き出したのだ。

 彼は自ら先頭に立って猛進した。双兵によってだれていた戦場の空気を一変し、その勢いを持って南蛮

共を叩き潰す為に。

 その報を聞いた時、初め孟角は自分の耳を疑った。

 まさか乱戦の中をわざわざ貫いてくるとは・・・・。敵将は狂ったか、或いは罠か。早速斥候を送り、

調べさせる。しかし誰がどう見てもそれは王旋で、肉眼で確認したから間違いないという。孟角も信じる

しかなかった。

 そしてほっとする。

 ようやく終わるのだ。おそらく高鄭が討ち取った方が要だったのだろう。だからこんな愚かな戦術を採

り、馬鹿のように突っ込んできた。愚かな将なのだろう。

 これは一番可能性が無いと考えていた、一番望むべき結果だ。

 最早躊躇(ちゅうちょ)する必要はなかった。別働隊の事も忘れ、自ら前へ出る。

 敵将さえ殺せば終わるのだ。それだけを考えていればいい。孟角は自分がいつの間にかその考えに縋(す

が)っていた事に、気付けなかった。



 孟角隊はぎりぎりまで敵軍を引き付け、視認できる距離にまで近付いた後、王旋を弓矢で射させた。

 お互いがお互いを目指していたのだから、それをするのは簡単だ。

 一本、二本と矢が手足や肩に刺さり、鎧の上からでも突き立っている事が解る。

 楓軍の鉄矢程の貫通力はないが、近距離で射れば部族の矢の貫通力も大したものだ。老齢でも耐えられ

るよう、王旋の鎧が軽量化されていた事も幸いした。

 だがそこまでである。秦兵が将の危機に素早く反応して盾になり、残りの兵は暗殺隊に殺到した。

 それを護るべき兵が孟角にはない。彼はまたしても侮った。反撃してきた時の対処を考えていなかった

のだ。兵が射ればそれで終わりだと信じていた。

 孟角は恐れ、高鄭の死を思い出すや、少しずつ引き始める。自覚していなかったのかもしれないが、弓

矢にこだわっていた点でもう腰が引けている。

 向こうから来れるという事は、こちらからも行けるという事だ。それなのに自ら挑まず、弓矢に頼った。

孟角は恐れていたのだ

 秦兵は追ったがすんでの所で届かず、孟角は無事後退する事ができた。

 孟角は安堵し、それから後退する自分を恥じた。

 だがもういい。助かったのだ。敵将も程無く討ち取られ、敵軍は勢いを失う。後はそれを追えばいい。

今度はこちらが追う番である。

「!!!!!!!!!!」

 しかし突如そこに喚声を上げて秦の別働隊が到着する。見事に後方から両脇を突かれる形になり、引く

事で集団から離れた孟角と彼を取り巻く少数の兵は格好の的になってしまった。

 孟角達は我に返って力戦したものの多数には及ばず、結局は揉みくちゃにされて討ち取られた。

 その後も暫く戦は続き、屍(しかばね)の山を築かせたが。孟角の死を知るとそれ以上闘おうとはせず、

散り散りに去ってしまった。

 こうして王飛の死と夥(おびただ)しい死傷者、無数の屍を残し、秦双と扶夏王残党との決戦は幕を下

ろした

 これ以後部族はまとまった動きを取る事なく、次第に大陸人に同化され、その姿と記憶を失っていく事

になる。




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