18-4.決意の果てに


 凱聯軍が窪丸に到着し、魏繞が兵を率いて合流する。二人の仲はお世辞にも良いとは言えないが、彼ら

も今がどういう状況なのかは解っている筈だ。

 それに胡虎ならば両者の間を上手く取り持ってくれるだろう、という期待があった。他の誰であっても

そうは思わなかっただろうが、楓流にとって胡虎は特別な存在である。ひいきするという訳ではないが、

彼への信頼は並ぶ者がない。それは趙深でさえ及ばない程だ。

 能力にも忠誠にも全幅の信頼を置いている。だからこそ常に最も信頼の要る役目を任せている。

 兵数は凱聯軍が三千、魏繞軍が二千の計五千。本当はもっと出したかったのだが、今の状況ではこれが

限界だ。楚燕もおそらくその事を織(お)り込み済みで計画を立てている。楓双秦が大きく疲弊している

からこそ、このまま安定してしまえば手が付けられなくなるだろうからこそ、今この時やらなければなら

なかったのだ。

 その焦りは解らないでもない。

 楓勢もまた必死にならなければならない。表面上は優位に思える状況も、いつ覆るか解らない。結んだ

約定にも強制力があるとは言えない。

 趙深も全知全能ではない。ただ楓流は人の中でそれに一番近しい人物だと思っている。彼にできないの

ならば、誰にもできない。自分がやる以上の事を彼はやってくれるだろう。

 不安が消える訳ではないが、それは自分が直接指揮できぬ事への物足りなさだと理解した。

 であるなら、下らない執着を捨て、信じ、待てばいい。



 楓、秦、両軍は楚への国境付近にまで達したが、それ以上進もうとはしなかった。別に話し合って決め

た訳ではない。自然と足並みが揃(そろ)った所に同じ苦悩を見て取れる。

 天軍は敵である。その事に違いは無い。

 だが天軍は民に近しい勢力である。全ての同意を得ている訳でも、賛同されている訳でもないが、無慈

悲に潰せば、民は少なくない同情を寄せるだろう。

 その想いは後々にまで残り、楓秦の首を絞める結果を招きかねない。

 その事が、はっきりと怖いのだ。

 できれば損害を少なくこの場を乗り越えたい、という考えもある。だから積極性を欠き、どこか及び腰

になってしまう。直接戦うのは楚燕軍でも、その楚燕軍が天軍を公式に認めている以上、影響が全く出な

いとは考えられない。

 故に趙深も簡単に攻められず、様々な使者を送りながら地固めに励むしかなかった。

 秦軍も同様である。いやこちらの方は楓よりも更に積極性を欠くか。あからさまな態度が鼻につくが、

どうこう言う事もできない。楓を苛立たせるのが狙いという可能性もある。

 形としては共同作戦を採っているものの、秦の求めるものが楓と違う事は明らかだ。

 敵とまでは言わないが、中立程度に考えておくのが無難だろう。

 趙深は凱聯、胡虎、魏繞らにその事を徹底させた。秦が楓を裏切る可能性がある事を理解させ、その上

で全ての行動を考えていかなければならないからだ。凱聯がその事を充分に理解できたのかには不安があ

ったが、胡虎、魏繞が理解した事でよしとしたようだ。

 趙深も凱聯に遠慮しているというのではないが、どこか諦めている所がある。以前はもう少し意思疎通

をしようという姿勢が見えていたのだが、今ではそれもなく半ば無視している格好である。

 それは事ある毎に趙深に対して挑発的な行動を示してきた事と無関係ではない。趙深は凱聯を組織の和、

権力の統一を妨げる一種の癌(がん)と考え、むしろ敵よりも警戒してたように思える。

 その事で楓流に意見した事もあった。

 できれば外したい所だが、凱聯にも独自の勢力があり、簡単にどうこうできない事は趙深も重々承知し

ている。

 だから無関心でいるしかないのだが、それがまた凱聯を刺激し、苛立たせ、この頃にはもう二人の仲は

修復不可能な所まできていた。

 例え楓流の命でも、凱聯は趙深に使われる事が我慢ならない。流石にそれをはっきりと口に出す事はな

かったが、誰が見てもそうと知れる。

 凱聯は不貞腐(ふてくさ)れていた。

 彼は楓流が自分以上に他人を優遇する事を認めたくない。その下に就くなど以ての外だ。

 まだ趙深が別の作戦を担っているのならいい。腹立たしいのに変わりないが、衛という楓でも一番裕福

かつ充実した力を持っている以上、ある程度重きを置かれるのは仕方ない。

 彼もその程度は理解できるようになっている。

 だがこうして同じ作戦を担うにあたり、何故自分が趙深の下に就かなければならないのか。まだ軍を持

ってきているなら解る。その時はおそらく一番兵力が多いであろうし、上に立つのも順当な流れと言える。

 しかし今趙深は軍どころか、己自身も衛から動けずにいる。援軍を送る事もできないだろうし、はっき

りと役立たずだ。

 であるのに、そうであるのに最高指揮権が趙深に与えられている。それは凱聯に対する何よりの侮辱(ぶ

じょく)であり、趙深の示威行為に他ならない。趙深は自分を追い落とそうとしているのだ。そんな風に

凱聯は考えている。

 楓流に一番近しい存在である自分を疎み、この機会に一挙に(凱聯の脳内だけにある)楓内勢力図を塗

り替えようと企んでいるのだ。

 そうはさせない。これまでは楓流の優しさに付け込んで好き勝手やってきたようだが、この凱聯には通

用しない。一番長く苦楽を共にしてきたのは自分だ。その年月を多少功を積んだ程度で埋められるものか。

 楓流の側に居るのは常に自分、そして長く共にしてきた集縁の兵達こそ相応しい。趙深などという不埒

者(ふらちもの)でも、壬牙(ジンガ)とかいう新参者でもない。

 この、凱聯だ。

 凱聯は趙深に挑戦するような態度を貫き、魏繞らに対しても不信感を隠そうとしなかった。唯一耳を傾

けるのは楓流が自分の弟のように接し、凱聯自身も弟分だと考えている胡虎ただ一人である。しかしその

胡虎でさえ持て余す事が増えている。

 仕方なく胡虎は楓流に直々に凱聯の心を和らげる言葉を贈ってもらうよう頼んだ。これには多少効果が

あり、態度を軟化させる事ができた。

 しかしそれも一時的なものに過ぎない。火種は残り、胡虎でさえ、それをぎりぎりの線で抑えておくの

が精一杯であるようだ。

 楓流も流石に楽観していられなくなり、不承不承凱聯に権限を与え、作戦内であればある程度自由に行

動する事を許した。

 特権を与えられた凱聯は機嫌を直し、敢えて他と衝突するような言動を見せる事も少なくなった。だが

それを鼻にかけるようになり、時には自分こそが楓流の名代(みょうだい)であるのだと開き直った態度

を見せる事もあった。

 楓流の言葉によって一時は治める事ができたのだが、それがかえって凱聯を増長させるきっかけになっ

てしまった。

 こういう所が凱聯を甘やかしていたと言われる所以(ゆえん)なのだろう。

 これはそのまま当てはまるものではないにせよ、幾らかそういう面があった事は否定できない。



 楓秦が軍事行動に出た以上、楚もはっきりと敵対の意思を示す。

 趙深もこれ以上は無意味であるとし、改めて宣戦布告した後、国境を越えさせた。

 開戦である。

 だがそんな楓軍の下を、予期せぬ者達が訪れる。

 項関(コウセキ)と李晃(リコウ)である。

 二人とも今は国政から退き、詩作を練って暮らしている。だから楚政府から正式に派遣された使者では

ない。

 しかし彼らは楚国の功臣。現役を退いた今も発言力は小さくない。国民の人気も高い。

 応対したのは凱聯、胡虎、魏繞の三名である。本来なら趙深が当たるべき所であるが、彼は衛を簡単に

離れられない。結果、一番権限の大きい凱聯が会う事になるのだが、そこは胡虎が上手い事を言って何と

か自分達の同席を認めさせた。

 弟分から、こういう所で度量を見せるのが大将足る証です、と諭されれば受け容れざるを得ない。楓流

より許しを得、見違えて機嫌がよくなった事もこの時は上手く作用した。

 項関、李晃の用件は、楓に兵を引いてもらう事であった。

 そもそも今のような状況は楚の本意ではなく、引退した筈の楚燕が独断でやり始めた事。それを止めら

れなかった楚臣に大きな責任があるが、民には何の責任も無い。誰も楓と敵対したいなどとは考えていな

いし、むしろ今回の事に反対する意見の方が多い。

 とはいえ、事ここに到っては自分達二人だけの言葉で免じて貰えるほど小さな問題でない事も解ってい

る。そこで、せめて今一度機会を与えていただきたい。もう一度二人で楚燕を説得に行く。もしそれが不

首尾に終われば、その時はもう止めはしない。いや自分達も老骨に鞭打って一兵として参加させてもらう。

 だからせめて、せめてもう一度最後の機会をくれないだろうか。

 楓としても関わりが浅くない二人だ。その二人にここまで言わせ、それを無下にするようであれば間違

いなく民の不興を買う。

 そう考えた胡虎は一か八か凱聯の先を制して了承する旨を返答し、形式的な理由を付けて早々に二人を

帰させた。

 凱聯はこの越権行為に怒りを隠そうともしなかったが、決まってしまった以上、今更どうこうする事は

できず。顔を真っ赤にさせて天幕へ引き篭もるしかなかった。

 凱聯としては弟に裏切られた想いであったのだろう。胡虎が手を尽くして何度も謝罪を述べ、最終的に

は抑えてもらう事はできたようだが、この一件以来気安さのようなものは薄れ、時に胡虎を疎んじるよう

になった。

 この事がまた悲運を生む事になるのだが、この時点でそれを予想できた者はいない。

 胡虎もこれが重大な過ちとまでは読み切れず、時間が解決してくれる問題だと考えていたようである。

 こうして楓軍は歩を止める事になり、天幕を張って野営の準備を整えながら、項関らが見舞いとして持

ってきた酒を兵達に振舞って憂さ晴らしさせた。敵国で酒宴など胡虎が止めさせるべきなのだが、流石に

これ以上凱聯の機嫌を損ねるような事は言えない。仕方なく自ら兵達の間を見回る事で不慮の事故を防ぐ

事にした。

 このせいで胡虎は休む暇がなくなり、その体に拭えぬ疲労を蓄積させていく事になる。

 見かねた魏繞が手助けしようとしたのだが、そんな事をすれば凱聯が自分を差し置いて二人が結託した

と考えるだろう、と丁寧だが固く辞した。

 この時の態度が魏繞に深く感銘を与えたらしく。これ以後、胡虎への態度が明らかに変わってくる。

 胡虎と凱聯との仲は修復不可能なものになってしまったが、代わりに信頼できる味方を胡虎は、いや楓

は得た。

 充分な代償とは言えないのかもしれないが、意義のある事で、この事がまた後々楓流にある胡虎への想

いを強めさせる事にもなる。

 その功績は目立つものばかりではなかったが、胡虎もまた綺羅星(きらぼし)の中の一人であった事に

間違いはないだろう。



 暫くして、項関と李晃が捕らえられたという報が入った。連絡してきたのは彼らに縁故のある者とかで、

素性ははっきりしないが、間者を放って確認した所、その言葉に嘘はないようだ。

 二人は楚燕に直談判に向かい、迎え入れられたのだが。用意された部屋にそのまま軟禁されてしまった

らしい。

 二人には悪いが、これでやりやすくなった。一度二人が直接断りに来てそれを許したのだから、その二

人を話も聞かずに捕らえたとなれば、楚燕を責めるに充分な理由が生まれる。二人にとっては不本意だろ

うが、格好の理由ができ、凱聯も少しだが機嫌をなおした様子だ。

 凱聯は天幕を畳ませるとすぐさま軍を進めさせた。酒もすっかり抜けている。行軍に淀みない。その事

にも凱聯は満足したようで、それを見た胡虎をほっとさせた。

 項関、李晃を捕らえた事で楚燕人気が落ちたのか、途上では義勇兵として参加を申し出る者、交戦せず

降伏する街などが少なくなく。全く戦わなかった訳ではないが、それも簡単に撃破できた。そして凱聯軍

は楚の南部拠点となる江陵(コウリョウ)まで順調に軍を進める。

 江とは河川の事で、陵には丘という意味の他にのぼる、こえるという意味合いがある。川を越える宿場

町として発展した都市ではないかと思うのだが、付近にはそれらしい河川がない。もしかしたら以前はあ

ったものが今では枯れてしまっているのか。

 それを証明するように、この付近には所々にへこみというのか細長く伸びる低地がある。街道として使

っているようだが、河川の名残かもしれない。

 江陵は交通の要衝であり、ここさえ押さえておけば補給路を確保しておける。

 他に気を配るべき拠点には、東城(トウジョウ)があるが。これは東北部に位置し、窪丸よりも斉よ

りである。李晃が以前任されていた事から一般に彼に対する敬意が深く、使者に対する返答も好意

的なものだった。斉に備えておかなければならないという事情もあるし、心配ないだろう。

 例え斉自身にその意がなくとも、趙深から働きかける事である程度の圧力をかける事ができる。注意し

ておく必要はあるが、今すぐどうこうなるという事はないと思える。

 江陵も一応交戦の構えを見せたが、取り合えず義理を立てる為に形ばかり行なったという風で、本気で

戦おうという意志を見せず、凱聯軍も積極的に攻める事をしなかった。

 わざわざ敵を増やす必要はない。相手の意を察する事も、将として重要な役目である。凱聯はそういう

点で劣っているが、胡虎が十二分にそれを補っている。一々口出しをする胡虎に苛立ちを感じているよう

ではあったが、凱聯も彼の力は認めている。敢えてその言葉を退けるような事はしなかった。

 胡虎は魏繞と相談し、凱聯をこれ以上刺激せぬよう努めた成果もあるのかもしれない。

 二将は凱聯の内にある暴力性、暴走を恐れていた。

 凱聯には何をするか解らない所がある。彼は彼の目的の為だけに生きており、唯一楓流には遠慮するが、

それも彼の考える範疇(はんちゅう)でしかなく、非常に独善的なものである。

 だから今までも様々な厄介事を引き起こしてくれた。それでも大きく罰されないのは、彼にも小さくな

い閥が出来ており、特に集縁の兵達から兄貴分として慕われているからだ。凱聯を罰せば、その取り巻き

が何を考えるか解らない。

 取り巻きの性質も凱聯にそっくりなのである。

 その不安からの遠慮を凱聯は楓流が自分を愛している為だと受け取り、その事を生涯疑う事はなかった。

 閥があるとはいえ、楓流は王なのだからもっと強く言うべきなのかもしれない。だがどうも凱聯に関し

ては甘いというか、及び腰になる所がある。若き頃凱聯に救われた事があるから、もしかしたらその事が

無意識に遠慮を生んでいるのかもしれない。

 その時に受けた衝撃がそれだけ大きく。当時の凱聯は今のようではない、純粋にありがたい味方だった、

という事なのだろう。

 ともあれ、今は楚燕の事だ。

 東城や江陵の事を考えても楚は一枚岩と言えず、むしろ追い詰められている観がある。或(ある)いは

思っていたよりも簡単に制圧できるのではないか。冷静に事を進めれば、大きな被害を出さずに済むかも

しれない。こちらには双、秦という味方も居るのだ。

 凱聯は報を聞く度に満足そうに頷き、補給を終えるとすぐ江陵を出発した。

 兵は神速を尊ぶという。凱聯は今こそ好機であり、秦が来る前に事を終わらせ、楓の強さ、そして何よ

りも自分の名を、広く知らしめようと考えていたようである。

 そこには当然趙深への競争意識がある。この戦を解決する事で、楓流に認めてもらいたいのだ。趙深な

どおらずとも、自分さえ居れば良いのだと。

 それは幼児か若い娘でもあれば可愛げのある考え方かもしれなかったが。いい年した大人、それも一軍

の将が考えるような事ではない。誰よりも冷静無私であらねばならぬ立場にある者が、妬心で動けばどう

なるか。

 胡虎は不安が増してくるのを感じ、あまりにも順調に行く事に危惧(きぐ)を覚えていたのだが。凱聯

に疎まれている今、口を出せばかえって状況を悪くさせるかもしれない。自分が疎まれるだけなら良いが、

暴走させてしまえば全てが終わる。

 胡虎も強く言う事ができなかった。

 とにかく今は多少無茶をしても凱聯の意に沿うようにしてやらなければならない。

 そう考える辺り、胡虎もまた楓流と同様、凱聯に遠慮している部分があったのだろう。おそらくそれは

楓流、凱聯と長く接している内に自然と身に付いてしまったものだ。

 無意識であるが故に気付き難く、直し難い、癖のようなもの。

 胡虎もまた人の子である。



 凱聯軍は江陵を出てからも順調に行軍を続けた。備えとして江陵に置いていただろう兵も楓に降ったし、

楚燕は孤立を深めている。

 ただ不安要素もある。秦軍の歩みが遅く、明らかにその行動が不穏なのだ。

 しかしそれも凱聯を喜ばせるだけであった。彼は相変わらず他を無視し、自分の都合の良い考えに従う。

秦軍の遅延も手柄を横取りされなくていい、程度にしか考えていない。

 もしこれが凱聯軍を楚内に誘い込む為の罠であったとしたら、すでに回避できない地点にきているのに、

そういう可能性を考えようともしない。

 胡虎と凱聯の言葉にも耳を貸さない。

 行軍中にもやらなければいけない事は無数にある。一度や二度ならそのせいで忘れてしまったという事

も考えられるが。度々言って聞き入れない所を見ると、無視しているとしか考えられない。

 打つ手はなかった。趙深の命令だと言っても、凱聯は自分の権限を盾に、変わらず無視するだろう。

 可能性があるとすれば楓流から直接歩を止めるよう命じてもらう事だが。南方は遠い。報告に驚いた楓

流がすでに伝令を発していたとしても、それでさえ間に合わないだろう。

 一応窪丸に援軍を準備しておくよう伝令を発しておいたが、どれだけ役に立つ事か。

 不安は拭えなかった。



 楚燕は楚西部の中心となる西城(セイジョウ)に篭っている。兵数はおよそ六千から七千と見積もって

いるが、かき集めれば八千は集まるかもしれない。王都、彭城(ホウジョウ)を軍と共に離れた今、ここ

が楚燕の居城になっている。

 流石に彼が降伏する事は考えられないから、ここだけは実力で攻め落とさなければならない。

 楚燕は双との国境付近まで出していた兵も手元に戻し、全兵力を持って篭城(ろうじょう)する構えで

ある。だが天軍からの援軍が期待できない事、楚燕の性格を考えればこのまま大人しく篭っているとは思

えない。

 いずれ出てくるか、何かしらの策があると思われる。それが何かは予想もつかないが、西城に誘ってい

る事は確かで迂闊に近付くべきではない。胡虎はそう捉え、凱聯に進言した。

 凱聯も胡虎の能力には信を置いている。長年共に戦ってきただけに一朝一夕では育たない絆(きずな)

が二人の間にはある。仲違いしていても、その全てが消える訳ではない。不満はあったようだが最後には

受け容れ、軍を止めて様子見の姿勢を取った。

 楚燕は動かない。

 こちらもどっしりと構えていたい所だが、不安要素が多過ぎる。

 考えた末、五百の斥候隊を編成し、それを胡虎本人が率いて先行する事にした。

 危険な役割だが、それを進んでやる事で凱聯への忠義というのか、敬意を見せようと考えたのかもしれ

ない。胡虎は凱聯との間に溝が空いたまま戦う事で、戦に支障が出る事を恐れた。

 戦であれ何であれ、統率に重要なのは意思の疎通である。将兵間もそうであるし、将と将の間もそうだ。

明確な意志を共有し、同じ場所に向かって団結する。そうしてこそただの集団ではなく、軍として機能で

きる。

 凱聯もその程度は解っていた。彼も悪い所ばかりではない。将としてはそれなりに優秀で、誰よりも勇

猛ではあったのだ。だからこそ兵に好かれ、慕われていたのである。

 胡虎の進言を受け、即座に許可した。

 胡虎隊は凱聯軍の数km先を注意深く進んでいるが、敵軍に何かを仕掛けてくる様子はない。付近の町村

も調べているが、大掛かりな動き、敵兵の姿を見たという報告は無かった。相応の謝礼を渡しているし。

人が集まれば必ず雷同しない者、かえって多数の考えに反する者、などが居る。全ての口を閉ざす事は不

可能。だから何も出ないという事は、誰にも知られていないと見るのが妥当である。

 それともこの付近には口の堅い者だけが集められているとでも言うのか。

 どうにも静か過ぎる。

 秦も何をしているのだろう。凱聯軍の行軍速度は速くない。むしろ遅いくらいだ。秦軍と足並みを揃え

ようと速度を落としているのに、秦軍が追い付く気配がない。その理由が単純に凱聯軍と楚燕軍を争わせ、

漁夫の利を得えようという策ならまだ良いのだが・・・。

「このままでは将軍を抑えきれなくなる」

 凱聯の気性を考えればそろそろ限界だろう。彼は功を得たがっている。その心を抑え過ぎても冷静さを

失わせる。もう少し時間をかけたかったが、これ以上は無理だ。

 それにすでに凱聯軍は深入りし過ぎている。

 降った楚将兵達も全て本心からそうであるとは言えないし、せめて江陵に幾らかの兵を駐屯させておく

なりしておけば良かったのだが・・・。

 同国軍で相争いたくないという主張は認めなければならないとしても、そのまま放ってきたのはいくら

なんでも無防備過ぎる。江陵を閉じられれば、凱聯軍に逃げ場はなくなり、補給路も閉ざされる。

 凱聯に遠慮してきた事が、最悪の結果を呼び込む事になるのかもしれない。

 いや、すでになっているのか。

「最早、遅い・・・か」

 視界の果てに西城が見える。

 こうなれば命を捨てて戦うより他に無い。短期決戦を挑み、勝つ。それ以外に生き残る術はないように

思えた。

 秦軍への期待も捨てた。援軍は来ない。

 凱聯軍だけで打ち破る。それだけが残された道。

 胡虎は全てを覚悟した。

 そして凱聯には告げず、最悪の事態の為に手を打っておいた。それが無用であればいいと願いながら。




BACKEXITNEXT