18-7.死こそ想いけれ


 秦との仲が決定的なものになったかは微妙な所。裏切りと目せる動きを示したものの、剣を交えて戦っ

た訳ではない。苦しい言い訳をされれば、呑まざるを得ない状況でもある。

 主力が双に居る今の状況では、窪丸はまだ良いとしても集縁の護りが危うい。蜀に援軍を準備させてい

るが、蜀も蜀で楓に絶対服従という訳ではなく。今の所叛意(はんい)は無さそうだが、状況が悪化し、

楓が更なる窮地(きゅうち)に陥(おちい)れば、どう考えるか解らない。狄や子遂という不安要素もあ

るし。ここにきて中諸国の動向に再び注目せざるを得なくなっていた。

 とはいえ、例え秦が攻めてくるとしても、今すぐではないだろう。秦も新領土を得、その統治と軍の編

成に忙しいはずだ。

 秦が積極的に楓と敵対する姿勢を最後まで避けるようであったのも、一時引く事で中立の立場に戻り、

先に楚と楓を争わせて疲弊させようという策に違いない。

 しかしそうであればこそ、凱聯軍が双に行っている状況も悪いばかりではなくなる。

 確かに凱聯軍は胡虎という副将を亡くし、死傷者も多い。だが楚燕軍の被害も多く、何より楚燕の居る

西城と凱聯軍とはまだ近い位置にある。窪丸には多くはないが軍を編成できるだけの兵力はあるし、もし

双軍を伴って凱聯軍が西城を攻め、窪丸軍が江陵を攻めるという事にでもなれば、楚の方が窮地に陥る。

 そうなると頼みは隣国の斉だが、おそらく援軍要請を拒否するだろう。そうしなければ衛の趙深を敵に

回す事になるからだ。

 むしろこの機会に趙深とがっちり組み、邪魔な楚燕を謀反人として片付けてしまう方が斉の望みに適う

のかもしれない。

 斉に楚を裏切る気持ちはないが、楚には楚王が居る。楚燕の傀儡となっているが、権力を持たない訳で

はない。この楚王を守り立てれば、邪魔な楚燕を大義をもって排除でき。その上立場を逆転させられる。

 斉は楓衛と組む方が利益が大きい。

 そんな所に出かけて行ってわざわざ楓衛と戦おう、などと秦が考えるだろうか。

 秦王には覇者足らんという気概があるようだが、先の戦を見ても勇猛のみを武器とする将ではない。全

体を見極め、慎重かつ狡猾に動き、確実に勝利を掴むように思える。

 そんなしたたかな人物が、功を得たいからと言って一か八かの賭けに出るとは思えない。秦には甘繁(カ

ンハン)という楓びいきも居る事であるし、大国となった楓と今すぐ勝負を着けるような真似はしないの

ではないか。

 楓と繋がるにせよ、楚と繋がるにせよ、どちらとも袂(たもと)を分かつにせよ、決定的な行動に出る

のは北方の勝敗がはっきりしてからだろう。それまではじっと観察していると思える。

 楓流、趙深共に、今すぐ秦と争う事にはならない、という点で意見が一致した。

 ただし、楓が不利な状況になれば遠慮なく秦は攻めてくる。

 中諸国にせよ、楚と天軍にせよ、何か使えるとすれば見逃さない。その時は強引な態度に出るとも考え

られ。甘繁を楓への内通者として捕らえる、くらいの事をやりかねないし。甘繁もどこまで楓に義理立て

してくれるかは解らない。彼も秦の臣、秦の利益を第一に考える筈だ。

 楽観する余裕はやはり無い。



 凱聯軍には、楚燕軍を牽制しつつ民の敵と判断した時だけ天軍討伐に参加しても良い、と楓流から伝令

を送っておいたが。それが届く前に一度戦って天軍を打ち破り、その拠点を占拠して駐屯地にしている、

という報が入った。

 当然双の許しを得ているだろうし、双政府の凱聯への印象は良くなるだろうが。凱聯の事、おそらくさ

したる考えも無しに行ったのだろう。天軍の中には無頼漢(ぶらいかん)もいるが、純粋に民の為に立ち

上がり、民の支持を得ている軍勢もいる。果たして凱聯はどちらを討ったのか。

 今は後者ではない事を祈り、これ以上余計な事をしないよう願うよりないが。胡虎というたがが外れて

しまった今、これまでのような冷静な行動を期待するのは無理だ。魏繞に胡虎の代わりを期待するのも酷

だろう。

 二人の仲は以前から上手くいっていなかったし、それでもやってこれたのは偏(ひとえ)に胡虎の力。

逃げる間は必死で仲違いしている余裕が無かったのだろうが。拠点を得、一先ず落ち着いた今、それが浮

き上がってくる。

 意見の対立は決定的で、仲裁(ちゅうさい)役を双に期待するのも愚かな話。

 楓流は祈るような気持ちで続報を待つ事しかできなかった。



 予想に反して、というべきか。凱聯と魏繞の間に問題が起きておらず、魏繞が謙虚に振舞う事で、むし

ろ仲が深まっているように見えるそうだ。

 話に寄れば、魏繞は胡虎に対して同情的かつ深い敬意を払うようになっていたようであるし、命と引き

換えに逃がしてくれた事にも重い恩義を感じている。それらの想いが一皮剥けさせたのか、別人とは言わ

ないが、非常に慎重かつ冷静に振舞うようになっているという。

 今までのようにひたすら我慢するのではなく、こちらから理解を示し、私心をよそに動いている。それ

は胡虎の無私の姿勢に通じるもので、明らかにその影響を得ていると考えられる。

 ここで楓流、趙深は胡虎が大きな置き土産を残してくれた事に気付く。その命は失われても、その魂は

魏繞へと引き継がれたのである。

 胡曰率いる近衛という新たな力を手に入れた事も合わせれば、胡虎の死はむしろ更なる力を生んだので

はないか。

 それは失った悲しみをごまかす言い訳、という面が強いとしても、頷ける話ではあった。

 凱聯も魏繞を見直し、彼にも胡虎を失った悲しみはあったようで、言動が大人しくなっており、討った

天軍も双政府ではなく民からの要請を受けて討伐したとの事。

 楓流、趙深はほっとした。考えていたよりは悪くない状況のようだ。

 迷う必要は無い。楚燕を謀反人に堕とし、楚王を核にして民の支持を得、天命を持って打ち破るのみ。

胡虎の仇を討つ。

 楓流は南方に集中して南から秦を牽制し。趙深が計画を直接指揮する。

 ようやく予定通りに行動できるようになってきた。胡虎の遺産のおかげである。



 斉は相変わらず表立って動く事を望まないが、楚王を守り立てるという方針を否定せず、内々に同意を

示し、決して楚燕に味方しない事を約束した。口約束など虚しいものだが、この場合は信用できる。

 楚民の意識がそれだけ変わり始めている。先の戦が楚燕の評価と人気を落とし。項関、李晃を捕らえた

事への非難も大きくなりつつある。

 その裏には楓を裏切り、凱聯軍を騙(だま)し討ちにしようとした事への罪悪感があるのかもしれない。

 勝利を疑わず必勝の策だと考えていた時は良かったが、それが失策に終わると不意にその事に対する疑

問、後悔が頭をもたげてくる。楚燕に付いていっても命を失うだけではないのか、という不安もあろう。

 楓軍は強い。武器も士気も段違いだ。

 そこに都合よく楚王の権威回復という大義名分が現れた。迷う必要は無い。全てが楚燕から離れるよう

な事は無かったが、半数は楚燕に反意を示し、楚王支持に切り替えた市町村も少なくないと聞く。

 惨めなものだった。



 楚燕は焦っている。

 自分への態度が変わっていくのがはっきりと見て取れる。項関、李晃を逃がそうと計画している者が居

るという噂も実(まこと)しやかに囁(ささや)かれている。

 少なくとも以前のような権威はなくなった。命じれば従うが、そこに敬意と恐怖はない。仕方なく惰性

で従っているようなもので、畏(おそ)れは失われた。

 それに代わるように、息子である楚王の評価が急激に高まっている。

 あの凡庸な息子と項成(コウジョウ)に期待する声が高まっているのだ。これは我の強い楚燕には我慢

ならぬ事であった。

 すぐ治まるだろうと放っておいたが、一向に治まらない。不快に感じた楚燕は厳しく取り締まる事にし

た。支配者が舐められては終わりだ。こういう時こそ権威を見せ付けてやらなければならない。

 しかしそれが逆効果になる。畏れを抱かぬ者を脅しても無駄な事、かえって軽蔑を強くする。その事に

気付けなかった。今までそのような状態を体験した事がなかったからだろう。

 以前は何があったとしても姜尚(キョウショウ)が居たし、彼が死してからもその遺志を尊重して皆大

人しくしていた。だから民から反意を買うという事自体、楚燕には経験の無い事なのである。彼にとって

の民とは、常に自分(実際は姜尚だったのだが)に従うものであり、その為に生きている者達。

 家臣もそうだ。自分を支える為の手足、土台に過ぎない。

 そのような考えが通じなくなっている。民の心は明らかに楚燕から離れ、楚王へ向かっている。これに

焦るなという方が無理だろう。今までは当然のように命に服していた者達も、日を追うに従って生意気な

態度をとる事が多くなった。

 そこでようやく楚燕は気付く。

 自分はもう王ではないのだと。

 そんな単純な理由に気付いた時、初めて自分の無力さを実感した。一度権威が離れれば、自分にそれを

取り戻すべき正当な理由は何も無いのだと。

 そしてこのまま権力の全てを引き剥がされる事を恐れた。そんな事をされれば、本当に何も無くなって

しまう。この手には何も残らない。

 王位さえ、この手にあれば・・・。

 しかし王位を手放していなければ、もっと早くにこうなっていたはずだ。

 結局、正当な理由も無意味なのだ。王位に在るかどうかではなく、人にそう思われている事が重要なの

だ。彼は王である、故に逆らえない。彼は支配者だ、故に逆らえない。そういう思いがあればこそ、人は

付き従う。形だけでは意味を成さない。

 だが今の楚燕はそれを認める訳にはいかなかった。自分が認められなくなったのではなく、王位を失っ

たが故に人が離れてしまったのだ、と言い訳していなければ精神が持たない。

 焦った楚燕は楚王に自分を西征将軍に任じ、軍の指揮権を与えるよう求めた。王位がなくとも、王は未

だ楚燕の手の内にある(と楚燕は思っている)。孝行な息子は父の望みを叶えてくれるだろう。

 まだ勝機はある。

 秦が楓に味方する事は二度と無いだろうし、どう繕(つくろ)おうと秦と楓が事実上決別した事は変わ

らない。楓軍を双と窪丸に分断しているし、天軍と協力できればこちらから攻め入る事も可能だろう。

「一度はしくじったが、それも秦の裏切りが故。邪魔者はもういない。今度こそ楓を叩きのめし、楚の威

を天下に知らしめてくれる」

 楚燕にはまだ自信が残っていた。希望は費えていない。弱気など、何の意味ももたらさないのだと。

 だが楚燕の目論見は破れる。

 楚王が従わない。連絡兼監視役として付けておいた者とも連絡が取れない。

 まさか、とは思ったが。こうなればもう否定する事はできない。楚王は父である自分を裏切った。いや、

あやつにそんな度胸があるとは思えない。おそらくその側に侍る者が唆(そそのか)したのであろう。

 つまり項成。背後には田亮(デンリョウ)、姜白(キョウハク)が居る。斉に降った(楚燕はそう認識

している)奴らが、牙を剥(む)いたのだ。楚燕が弱るこの時を、ずっと待っていたのだろう。

 おそらく楓とも繋がっている。楚王を手中にすれば、楚民の支持を得る事ができる。そして自分を謀反

人にし、楚を手に入れるつもりなのだ。

 愚かな楚斉(ソセイ)。あやつは斉と楓に良いように使われ、一生を傀儡として終える。楚という国も

有名無実となる。

 楚燕の力は失われた。楚王、楚斉が命じれば、今手元に居る将兵達も遠慮なくここから去る事ができる

ようになる。恐れをなして逃げた臆病者ではなく、王命に従った忠義者として生きる事ができるのだ。拒

(こば)む理由など無い。我が軍は瓦解する。

 実際にはそんな単純な事ではないのだが、楚燕はむしろ自分からそう願うようにして、この状況をそう

認識した。そこには多分、全ては悪辣(あくらつ)な楓斉の仕業である、と思う事で自分の心を救おうとい

う意識もあったのだろう。

「せめて王位に就いてさえいれば」

 王命という武器がまだ自分の手に残っていたなら、この先の運命はまた違ったものになっていただろう

に・・・・。

「だが、ただでは終わらぬ。この楚燕がこのまま終わってなるものか。姜尚がいなければ何もできぬなど

と、思われたまま終わってなるものか!」

 楚燕は決意し。

 軍を雷発させる。

「全軍、双を目指せ! 天軍に味方し、敵軍を駆逐する。金、劉、陶、三国を解放するのだ!」

 いずれ王命が下るだろうが、今はまだ楚燕に指揮権がある。ならば王命が届く前に行動すればいい。

 無謀なのは百も承知だが、必ずや一矢報いてやる。それだけが楚燕の頭の中にあった。

 それは狂気に近い感情の奔流(ほんりゅう)である。



 正直な所、楚燕は楚斉のいる都、彭城(ホウジョウ)を攻めたかった。そうする事で愚かな息子の目を

覚まさせ、王を惑わす奸臣(かんしん)を討伐するという大義を掲げ、楚内の反楚燕とでも呼ぶべき勢力

を一掃したかった。

 しかし今の彼にそこまでの力はない。強引に兵を動かす事はできるかもしれないが、土壇場で裏切られ

る可能性が高い。

 だから今更ながら天軍への協力を持ち出し、彼の地を開放するという名目に従って軍を動かして、双領に

新たな居場所を作ろうと考えた。

 凱聯がそうしたように、新たな拠点を得る。楚燕もまた楚を脱出するのだ。

 楚を脱出してしまいさえすれば将兵も後に引けなくなり、このまま付いてくるしかなくなるだろう、と

いう目論見もあった。今の楚燕では、そうでもするしか軍を統率し続ける自信を持てない。

 情けないが認めるしかない。自分は無力であると。

 幸い将兵達は不承不承であるが付いてきた。今勝手に離れれば敵前逃亡と見なされ、首を刎(は)ねら

れても文句を言えない。楚燕の目にはそれも辞さない狂気がはっきりと見え、恐怖に引き摺られるように

して双領へ連れて来られたのである。

 急いで発した為に補給の準備などが満足に整っていなかったのだが、凱聯軍を恐れる天軍は楚燕軍を喜

んで迎え、必要な寝場所と食料、そして武具一切に到るまで惜しみなく援助した。天軍にも余裕がある訳

ではないが、厄介な凱聯軍を相手してくれるなら安いもの。

 何しろ凱聯軍は副将を失った今も統率がとれ、動きに淀みが無い。仇討ちを考えてか、先の失態を埋め

る為か、士気も揚がっている。元々兵質に明らかな差がある上、敵がそのような状態では、天軍に勝ち目

などある訳が無い。

 中には早々に降伏した者達もいるそうだ。天軍などと大げさに称していても、そのほとんどは民兵かな

らず者の集まり。正規兵であった者も楓兵には及ばない。武器、技術、何を見ても大きな差がある。

 そこに楚燕軍が来たのだから、手厚くもてなして然りというもの。

 しかし楚燕には凱聯と戦う意思など欠片も無かった。今のこのこ出かけていこうものなら、やれ仇討ち

ぞと目の色変えて迫ってくるに違いない。そんな奴らを相手にしていられるものか。

 とはいえ、正直に言える訳がない。

 楚燕は黙って歓待を受け、しかしはっきりとした行動を示す事も、口に出す事もしなかった。今負けれ

ば統率を完全に失う。何よりも敗北を避けなければならない。

 だがごまかしは長く持たない。天軍側が痺(しび)れを切らし始めた。楚燕軍内にも安定した暮らしを

得て余計な事を考える余裕が生まれている。早々に手を打たなければ。

 そこでまず一勝を求めた。幸い、というか意図してやった事だが、凱聯軍が駐屯する街までには距離が

ある。影響を受けない程離れている訳ではないが、今日明日にぶつかるような事はない。

 凱聯と戦うにしろ、他へ向かうにせよ、間に双軍を挟んでいる。凱聯軍は脅威だが、双軍ならば不安は

無い。

 西城に集めていた兵はほぼ全て連れて来た。捨ててきたのだ。楚に帰る場所は残っていない。ここに居

場所を作るしか、生きる道は無いのである。

 将兵にとってもそれは同じ事。そして楚燕は巧みに将兵達に自分が共犯者であるというように思わせた。

 その程度の事なら楚燕にもできる。伊達に姜尚の側で彼のやり方を学んだ訳ではない。

 今は形振り構っていられない状況である。できる事は全てやるし、使えるものは全て使う。より貪欲に

目標達成を目指さなければならない。

 祖国を捨てた事で、かえって腹を括れたのか。その顔に迷いは無かった。



 楚燕軍は付近に迫っていた双軍を強襲し、追い払った。

 できれば殲滅したい所だったが、今欲しいのは一勝であり、その戦が鮮やかであれば実際の戦果は気に

しない。派手に勝ちさえすれば良く、戦術もそれに沿ったものを用いている。

 勝利すると天軍の態度が一変した。あの程度の軍隊でも、民兵の多い天軍にとって簡単な相手ではない。

それを鮮やかに討ったのだ。楚燕軍の評価は一気に揚がった。

 予定通りである。

 問題はここからだ。何かを得ても人はそれをもっともっととせがみだす。欲望に際限無く、その欲に巻

き込まれ、祭り上げられてしまう事も少なくない。

 天軍が望むのは凱聯軍に勝つ事。いずれ戦わざるを得ない事は否定しないが、今は事を構えたくない。

やるなら必勝の態勢を整えてからだ。

 その為には天軍の協力が不可欠だが、ここに居るような者達では役に立たない。天軍はそれぞれが独立

した集団であり、一揆に近いものだ。

 楚燕の見た所、この付近には使える者が居ない。どれもこれも民兵の域を脱せず、向上心もない。楚燕

軍に擦り寄ってきた事からも解るように、誰かが何とかしてくれる、自分達はそれに合わせればいい、待

っていればいい、程度にしか考えていない。

 内部に居るからこそ解る、天軍の脆(もろ)さ。それは予想していた以上に大きく、まともに戦える軍

隊らしい軍隊は数える程も居ないと思えた。

 できればその極一部の者達と行動を共にしたいのだが、横の繋がりが思っていた以上に薄い。連携をと

る事は難しいだろう。

 同じ物を掲げていたとしても、所詮烏合の衆は烏合の衆。統治者を困窮(こんきゅう)させるには充分

でも、戦力にはならない。



 魏繞は凱聯の機嫌を取り、軍を運営する事だけを考え、力を尽くしている。

 全ては亡き友(少なくとも魏繞の方はそう考えるようになっている)胡虎の想いに応える為。凱聯も流

石に義弟が命を費やして逃がしてくれた事には感謝しているらしく、胡虎に対する不満や否定するような

言葉を一切口にしなくなった。

 死して尚愚痴愚痴と取るに足らない事を並べ立て、愚かな振る舞いを繰り返すかと思いきや、凱聯もそ

こまでは堕ちていなかったようである。だからこそ魏繞も胡虎の代わりを務めようと考えたのであり、凱

聯を支え、今後も楓に尽くそうと考えたのであろう。

 この僅かな期間で魏繞の精神は劇的に変わった。胡虎の魂が乗り移ったかのように、その心には熱い忠

義心が芽生え、凱聯を何とか操らねばならないという不思議な使命感までが生じている。

 そうして楓流からの命を実直に果たすべく凱聯と共に励んできたのだが、そこに楚燕軍に動きがあった

という報が届く。楚燕は全兵を率いて北上し、天軍と合流したらしい。意外な動きだが、仇が向こうから

やってきたのだ。当然のように凱聯は仇討ちに逸った。

 魏繞も仇討ちといきたい所だったが、間者からの報、民からの密告などに寄れば、楚燕軍は四千から五

千はいる。こちらの兵数はざっと三千。兵の質などを加味すれば互角といえるが、楚燕には天軍が味方し

ている。

 天軍は元金劉陶のほぼ全域で活動し、中には紀軍が手を焼くような精強な軍もいるらしい。烏合の衆も

多いだろうが、油断ならない。

 凱聯軍のみで攻めても勝機は薄いだろう。

 祖国を捨てた軍勢というのはある種の覚悟がある。追い立てれば、かえって団結してしまう事になりか

ねない、という不安もある。

 魏繞は逸る凱聯を懸命に説得し、まず確実に仇を討つ為の準備を調える事にした。

 自分だけで勝てないのならば、他の力を借りるしかない。弱兵で有名な双軍であれ、居ないよりはまし

である。元金劉陶の兵の中なら有能な者が居るかもしれない。

 魏繞は楚燕軍という新たな脅威の討伐を名目に兵を集め始めた

 しかしそれが調いつつあった頃、敵軍に新たな動きが見えた。

 今までばらばらに行動していた天軍が、この付近に限定されるが、連携する動きを見せ。凱聯軍討伐を

掲げながら戦力を結集しつつあるという。楚燕が仕組んだのだろう。凱聯軍が力を付ける前に潰すつもり

なのだ。

 魏繞はすぐさま対応するよう双軍に働きかけたのだが、天軍が組織的な動きを示した事で浮き足立って

いるのか、どの部隊も動きに精彩を欠いている。後手後手に回っている観が否めない。

 魏繞は歯噛みしたが、これはどうしようもない。

 苦悩していたが、そこに朗報が届く。楚王が楚燕を謀反人と定め、正式に討伐を命じ、軍を発したとい

うのだ。この討伐軍には斉も協力しているようで、こちらもすでに軍を動かしている。

 楚は楚燕が軍を手中に収めていたせいで三千程度しか用意できなかったようだが、楚王がはっきりと意

思表示した以上、楚燕兵にも何らかの効果があるだろう。中には楚燕に巻き込まれた者もいるだろうから、

裏切って楚に戻ろうと考えるかもしれない。

 上手くすれば自壊させる事もできるだろう。

 天軍の動きに注意し、双軍にも無用な真似をさせないよう気を配っておく必要があるが、状況はこちら

に有利になった。これ以上待つ理由は無い。

 今こそ胡虎の仇を討つ。

 凱聯軍の士気は弥(いや)が上にも高まった。




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