18-8.天降るトキ


 北方の動乱が佳境を迎える中、胡曰がようやく窪丸に到着し、残されていた軍を率いて北上を開始した。

江陵の守備兵も楚王に服している。最早障害となるものは無く、突き進んで行く。窪丸はほぼ空になり、

集縁の兵力も心許ないが、覚悟の上である。

 秦が動かないという保証はなく、その点不安だったが。胡曰軍が来たという事は楚と斉にも圧力を加え

る事になる。秦と組んで兵力の減じている楓を叩くとしても、この状況では楚と斉の被害の方が大きくな

るし、当然秦もそうするように動くはずだ。

 秦が単騎動くという可能性も低く。凱聯軍、胡曰軍が壊滅させられでもしない限り、集縁が戦火にさら

される事は無いと思える。

 胡曰はその事をようく解っていたから、双を目指したのだろう。

 胡虎の敵討ちを掲げて兵の士気と統率を高める意味もあったろうが、第一には秦が動かないと見たから

である。

 それに楚燕を討つには戦力が必要。楚軍、斉軍はあまり頼りにできない。

 確かに楚燕は楚と斉の敵でもある。しかし敵を倒すに自らをもってする必要は無いのだ。凱聯軍が戻る

には楚燕軍と戦って勝つ以外に無く。また双から援助を受けている今、放って帰りでもすれば、双との関

係に大きな溝を空ける事になる。

 楚と斉は楓と楚燕が争い、両者疲弊するのを待ってから楚燕を叩けばいい。

 協力を求めて断られる事はないとしても、補佐的な役割しかしてくれないだろう。軍を動かすのは最終

局面、それも勝敗が決してからだ。

 だから胡曰軍が北上するしかない。

 凱聯軍だけで戦えば多大な損害を受ける。被害多ければ、秦に付け込む隙(すき)を与えてしまう。

 どうしても頼りになる援軍が必要だった。

 それに胡虎の仇討ちという大義を抱えていれば、胡曰が将になる事も平素よりは受け容れさせやすい。

 この戦で皆を納得させられるだけの力量を示せば、納得させる事もできるだろう。

 胡虎は兵からの信任厚く、人気も高い。彼の仇討ちの軍を実の姉が率いるのだから、否応なしに士気は

揚がった。

 胡曰の指揮も堂々としたもの。生来の資質というより、修練の成果であろう。天才的な閃きではなく、

堅実に軍を動かし、安定させる。それは胡虎に通ずるものだ。意識して似せたのかもしれない。

 よほど研究し、努力したのだろう。

 その辺の詳しい資料が存在しないから良く解らないが。後に近衛部隊まで創設し、常に楓流と共に、或

いは楓流の片腕として動いた事を思えば、小規模ながらこの時点から独自に女兵軍を編成し、実際に戦闘

はできないとしても、真似事のような事くらいはやっていたのかもしれない。

 戦闘の無い時でも楓は訓練を毎日のように兵に課しているから、それを見て学んだと考えられる。

 おそらく楓黄を中心にやっていたのだろう。胡曰も彼女の弟子といえるし、生来体の弱い彼女に代わり

胡曰が動いていた。と考えるのが自然かもしれない。

 楓黄は自分の弱さに甘えていられるような人ではなかったし、楓の正妃として相応の権限を持ち、皆か

ら敬われていたのであろう。

 胡曰軍は江陵を経て、西城に入った。

 その間、凱聯軍、楚燕軍共に小規模な勝利を得ながら進んでいる。凱聯軍は少しずつ楚燕軍に近付くよ  今では凱聯、楚燕は双と天軍のある種の象徴のようになっており、続々と兵が集まりつつある。その中

には志ある者も少なくなく、質の高い兵士も居るとか。

 凱聯軍が三千に双軍が三千の計六千。楚燕軍が約四千に天軍が約三千の計七千〜八千。数的不利は変わ

らないが、胡曰軍約三千が来れば差は無くなる。胡曰軍とて寄せ集めの観は拭えないとしても、比較すれ

ば楓兵に分があるのは確か。

 なんと言っても専門的に鍛え上げてきた軍隊だ。経験不足の兵もいるが、それを差し引いても五分以上

に戦える。

 楚燕もその事を理解しているようで、天軍側は俄(にわ)かに慌(あわただ)しくなっている。

 迷っているのだろう。

 天軍の総数は楓勢を遥かに上回る。待てば待つだけ兵は増える。篭城策も悪くない。

 しかし兵の質はまばら、全てが頼りになるとは言えない。それなら胡曰軍が到着する前に出撃し、早々

に決着をつける方が良いのかもしれない。

 凱聯軍を破れば天軍は一気に優勢になる。楚燕の立場も安定し、楚と斉に対抗する力を得る事もできる

だろう。天軍の頂点に立つ事も可能かもしれない。

 拠点を空にしている隙を胡曰軍に突かれてしまうかもしれないが。その場合、敵兵力が分散されるのだ

から、悪いばかりではない。出陣した後も兵は集まってくるだろうし、何なら拠点などくれてやってもい

い。凱聯軍さえ打ち破れば帳消しになる。

 魏繞はそれらの事を凱聯に述べ、決断を促(うなが)した。楓としては胡曰軍到着まで篭城し、堅く守

るのが定石といえるが。それでは楚燕に主導権を握られてしまう恐れがある。

 天軍は元金劉陶全域に広がっている。多くは討伐されるか、自滅の道を辿っているようだが。中には順

調に力を伸ばし、紀軍ですら手を焼くような軍勢も居ると聞く。

 もしそれらと楚燕が共謀して動いたとしたら、果たして防ぎきれるだろうか。

 現在の状況も双政府にはどこか他人事。前線で双兵が激しく戦っていても、宮中では相変わらず怠惰な

生活を続けている。双王は全面的に協力してくれているが、双重臣はそうではない。どうしても鈍くなる。

 そういう意識は双軍内にもあり、金劉陶を今も見下している事もあって、現実を見ていない将が少なく

ない。

 凱聯軍の下に集まる双兵にも、楽観的というのか、楓に丸投げしているような所が見える。

 もし双の要である紀軍が崩されでもしようものなら、一気に劣勢に陥(おちい)るのではないか。

 紀軍もぎりぎりの状態にあり、凱聯軍が来て多少楽になったとはいえ、広い領土を一人で賄(まかな)

わなければならない状況に変わりない。

 だとすれば、不利な状況になる前にこちらから打って出る、という選択肢も視野に入れておく必要があ

るのではないか。

 付近の主だった天軍はすでに討伐している。今が好機かもしれない。

 凱聯もそれらを理解し、彼個人の性格もあってか、篭るよりも出陣して戦う道を選んだ。

 しかしそこに不運を告げる報が届く。

 楚燕を助けるべく天軍から援軍が迫りつつあり、紀軍の前にもそれに呼応するように別の天軍が現れ、

援軍に対応対応する事ができないらしい。

 援軍はただの烏合の衆ではなく、ある程度訓練を積んだらしき軍隊で、申し訳程度に当たる双軍を粉砕

しながら(双兵は追い込まれると弱い。頼みの紀軍が来れない以上、破るのは容易だったろう)、凱聯軍

に向かって順調に進んでいるそうだ。

 これを放って軍を出せば、補給地となるこの拠点を奪われてしまうかもしれない。

 拠点を無視して凱聯軍を背後から襲(おそ)うという可能性もある。

 そうなれば敵援軍の数によってはそちらに専念せざるを得なくなり、胡曰軍のみで楚燕軍に当たらなけ

ればならなくなる、という事態も考えられる。

 凱聯もさすがに考え直すしかなかった。



 状況が状況である。趙深は何としても楚、斉を動かさなければならないと判断した。

 そこで衛軍を編成し、即座に動かした。北方の危機と判断し、北方大同盟に定められた約に則って軍を

動かす。

 強引ではあるが、双は自領土の危機。楚ももし凱聯が破られるような事になれば、次に矛先が向くのは

楚である事を解っている。本腰を入れて動き始めた。衛軍の出陣にも反対しない。

 幸か不幸か、状況が不利になった事で、望むべき状態に持っていく事ができた。これで凱聯軍は敵援軍

に専念でき、篭城して待つだけで良くなった。楚軍、斉軍、それに衛軍が向かっているとなれば、楚燕軍

に勝ち目は無く。敵増援も脅威ではなくなった。

 しかし全軍が到着するまでには多くの時間がかかる。楚燕軍は一か八か軍を動かす事にしたようだ。彼

にも覚悟がある。

 楚燕軍が向かった先は胡曰軍だったが。楚、斉はこれに反応しようとしない。今自らを危うくしてまで

胡曰軍を救わなくとも、後から来る衛軍だけで充分に楚燕軍を破る事ができるからだ。

 胡曰の方は当然援軍を望んだが、何だかんだと言い訳し、楚軍、斉軍共に動く様子は無い。

 確かに今胡曰軍を狙う事は利に適っていた。

 無事勝利できれば、返す刀で凱聯軍に打ちかかり、衛軍到着前にこちらも壊滅させる事ができるかもし

れない。楚、斉の積極性を欠く姿勢を考えれば、時間はまだ残っている。

 そうして万全の態勢で迎え撃つ事ができれば、衛、楚、斉の三軍が来ようとも、五分に戦える可能性が

出てくる。

 こうなれば胡曰軍は西城に篭って衛軍を待つべきなのだろうが、胡曰は迎撃に打って出た。

 何か考えがあるのか、それとも仇を前にして心が逸ったのか。

 どちらであれ、多くには無謀と取られていたようである。



 結果として、誰の予想にも反し、胡曰軍が鮮(あざ)やかな勝利を得た。

 楚燕軍を壊滅(かいめつ)した訳ではなく、多少の被害を与えて追い返す事しかできなかったようだが、

勝利は勝利、北方は大きく沸いた。

 敵の半数にも満たない兵力で、しかも野戦において、どうして勝利する事ができたのだろう。

 その種はこうだ。

 まず胡曰は千の部隊を百ずつ十に分け、半分をそれと解る場所に、もう半分を別の場所へと伏せさせた。

そして自身は千の兵を率いて楚燕の行く手を阻み、死力を尽くして戦った後、敵軍の勢いに押されるよう

にして退く。

 当然、楚燕軍は追撃に出、それを伏兵が迎え撃つ訳だが。その存在は覚られており、逆に不意を突かれ

る形になった。しかしそれこそが真の狙い。それと解る伏兵の裏に隠されていた二段構えの伏兵に襲われ、

勝利を確信していた楚燕軍は浮き足立つ。

 するとそれを見計らったように背後から残り千の兵が別働隊として現れ、弓を射、混乱を増させながら

突撃を仕掛ける。

 楚燕軍の兵も質の良い兵ばかりではない。中には明らかに数合わせで連れて来られたような者もいたか

ら、油断もあって混乱させる事は難しくなかった。

 圧倒的不利な状況であったからこそ、それを一時、わずかでも覆した事の精神的衝撃は大きくなる。

 兵を複数に分けた事もこの場合は幸いした。そうする事で楚燕は予想していたよりも遥かに多くの兵が

居ると錯覚し、実際の被害はそれほどでもなかったのに、早々に退却してしまったのである。

 こうして、与えた損害は軽微で、むしろ胡曰軍の方に深刻な被害が出たにも関わらず、一勝を収める事

ができた。

 このごまかしにも似た勝利は大きかった。

 胡曰の能力が実証され、もう半分やけで従い、玉砕覚悟でいた兵達はその反動からか胡曰の熱烈な支持

者に変わり、戦女神として崇拝さえするようにさえなっているとか。

 逆に楚燕はかわいそうな程大きく名を落とす事になった。凱聯軍を叩くどころか、半数にも満たない胡

曰軍に好きなようにやられ、むざむざと敗退するしかなかったのだ。天軍の評価も一気に下がり、目に見

えて支配力が落ちている。

 だがそれに乗じて攻めようにも、胡曰には兵がない。何せこの一戦によって千に届こうという死傷者を

出している。全滅すると考えていたから成功したように見えるが、この数を見れば明らかに惨敗であり、

これ以上攻めるべき手を持たなかった。

 それでも勝ったと言われるのだから、不思議な戦、不思議な結果である。



 寡兵(かへい)によって大軍を打ち破った事で、胡曰に付けば勝てる、楚燕に付けば負ける、という風

潮が生まれている。天軍の中から脱走者が出始め、楚兵も不満に満ち、心は楚燕から離れている。

 この状況を楚と斉が見逃す理由は無い。

 すぐさま軍を進め、楚王の名の下に、今投降すればその罪を許す、つまり裏切り者の汚名を科さない、

という布告がされた。

 楚燕軍はまさかの敗北に大きく動揺している。これは効いた。志を同じくする者達が集まって堂々と去

るようになり、それは楚燕軍の半数にも及(およ)んだという。

 楚燕も初めは従わぬ奴は斬る、などと豪語しようとしたようだが。逆に今ここで楚燕の首が落とされて

もおかしくない雰囲気で、結局何も言わず見送るしかなかったようだ。

 そんな彼の姿に絶望した天軍は協力する気を失い。すでに向かいつつあった援軍も途上で歩を止め、散

々揉めた後空中分解している。

 援軍は一人の将が率いているのではなく(一応中心となる存在は居たようだが、絶対的な命令権は持っ

ていない)、多くの小軍の集まりでしかなく。一つの目的に向かって邁進(まいしん)していた間は良か

ったが。楚燕軍が力を失い、攻勢に出るどころか防衛まで危うくなっている以上、このまま進んで凱聯軍

に攻撃を仕掛けたとしても返り討ちに遭う可能性の方が高い。

 士気が落ち、統率に乏(とぼ)しい今の現状では、まともに戦う事すら難しいだろう。

 それでも進もうとする者、機を失った以上引くべきだとする者、その中には様々な考えが生まれ、衝突、

分離を繰り返し、最後には元の小軍に戻って各々別行動を取り始めたのだ。

 半数の兵はこのまま進む事を選んだようだが、その数は三千程度、多く見積もっても四千はいかない。

そのくらいの数であれば、凱聯軍だけでも充分撃破(げきは)する事ができる。

 楚は楚燕軍から寝返った兵を援軍として胡曰軍に預けるようであるし、楚、斉両軍の本隊と衛軍も来て

いる。最早天軍も脅威ではない。

 たった一勝、されど一勝。胡曰が辛くも得た勝利は誰思う以上の効果を生み、一挙に状況を覆してしま

った。

 しかしそれは逆も然り。もし胡曰軍が楚燕軍に破られていたら、今ある全ての優位がそのまま全て障害

になっていただろう。そしてそちらになる可能性の方が高かったのだ。

 胡曰の勝利は幸運でしかない。

 例えばもう少し士気が高ければ、もう少し兵を統率できていれば、そこまでいかずとも胡曰軍を寡兵と

侮っていなければ、結果は変わっていた。

 だからこそ雷光のように鮮烈に人々の脳内を走り、全てを覆す効果を生む事になったのだろう。天が望

んだとしか、思えないが故に。

 冷静に見れば一時軍を立て直す為に引いたに過ぎず、それはむしろ楚燕の有能さを示すものだった。楓

流、趙深でもあの状況になれば同じ判断を下したはずだ。不利になれば無理をせず一時引いて立て直す。

それは戦の常套手段(じょうとうしゅだん)であり、決して間違った判断ではない(と思われている)の

だから。

 被害を比べれば明らかに勝っているのは楚燕であるし、それが勝利として認められなかったのは、印象

だけの話である。

 だからこそそれを上手く作り出した所に胡曰の非凡さがあったと言えるのだろうが、それでも運が悪か

ったというしかない。

 いや、その不運でさえ楚燕自身が作り出したものであるなら、自業自得というべきなのか。

 胡曰は北方を進まず西城に退き、軍を再編しつつ援軍を待った。今までは大胆とも無謀ともいえる行動

を採ってきた彼女だが。それをする理由は無くなったと考えたのか、一転して慎重になっている。

 それが本来の姿なのだろう。

 彼女の胸には弟の仇討ちという心さえ無かったようだ。喜びも無く、ただただ必死であり、楓を保つ為、

生きる為、命懸けで尽くす事以外に、おそらく何も考えていなかった。あるとすれば弟の代わりを少しで

も努めたい、という想いだけだったろう。



 凱聯は冷静に状況を眺めていたようだが、彼も楚燕に脅威を感ぜずと判断し、迫り来る援軍を討つべく

楓兵のみで三千の兵を編成し、魏繞に率いさせて迎撃に向かわせた。

 数は同数以下だが、危なげなく撃破して戻っている。殲滅(せんめつ)ではなく追い払っただけだが、

おそらくもう二度と歯向かっては来ないだろう。

 実際に戦って解った事だが。核、拠り所となる何かが無い限り天軍はまとまらず、軍としての力も非常

に弱い。中には有能な将や兵がいただろうが、ほとんど連携をとれず、一個の軍隊として動かないおかげ

で労少なく破る事ができた。

 こちらの戦も胡曰が勝利した時点で勝っていたという事だろう。策も戦術もなく、正面からぶつかって

簡単に打ち破る事ができたのだから、すでに軍として機能しなくなっていたと考えられる。

 後は楚燕だけである。楚、斉軍を待って共に打ちかかるも、凱聯軍と胡曰軍、或いは凱聯軍単独でも勝

利を収める事は難しくない。どう料理するも思いのまま。楚燕の命は風前の灯(ともしび)という訳だ。

 しかし楚燕は凱聯がどちらと選ぶ前に自害する道を選ぶ。

 彼に逃げ場所は残されていない。戦うしかないが、頼みの援軍も簡単に打ち破られた。楚燕に味方しよ

うという天軍はもういない。単独で戦うにも兵力が足りない上、兵の不満を抑える事ができない。いつ寝

首を掻(か)かれてもおかしくない状況だ。

 こんな状態で惨めに生きるなど、元王としての誇りが許さなかったのだろう。我の強い者は総じて(自

己中心的な意味で)誇り高い。全てから完全に見放され、裏切られる前にその道を選ぶのは、自然な流れ

だったのかもしれない。

 惨めな死を迎えるしかないのなら、その前に自ら死を選ぶ。そういう事もあるだろう。

 楚燕の死によって彼の兵もそれ以上戦闘を続ける意志を失い、元楚兵のほぼ全兵が降伏した。ただし、

楚燕を国葬にする事を条件に出している。

 最後の誇りというべきか。免罪符というべきか。

 楚燕は謀反人とされたが、現楚王の実の父であり、元楚王である。条件は簡単に受け容れられた。父に

対しての罪悪感もあったろうし、先に楚王が出した降伏命令に逆らっている以上、新たなきっかけを与え

てやる必要がある、という考えもあったろう。

 楚燕が使える兵をごっそり持って行ったおかげで、楚は兵力不足である。なるべく多くの兵に戻って欲

しかった。

 こうして楚燕の乱は天軍を交えたにも関わらず、呆気なく終わる。思っていたより被害は少なく、凱聯

も堂々と集縁に帰る事ができる。

 だがこうなると欲を出すのが双だ。天軍全体に乱れが生じている今、大規模な作戦を行い、一掃してし

まおうと考え、楓、楚、斉に正式に協力要請したのである。

 凱聯軍が世話になった手前、無下に断る事はできない。これ以上軍を送る事は無理でも、凱聯軍をその

まま天軍討伐に残すくらいの事は必要だろう。

 楚、斉としても、協力せざるを得ない。秦という不安がある以上、今双の不興を買うのは得策ではない。

両国も軍の一部を残した。

 楓流も取り合えず胡曰軍を集縁、窪丸に戻し、凱聯軍をそのまま北方に残す事にした。凱聯は胡曰の善

戦によって思っていたような手柄を得られなかった。喜んで従うだろう。彼にはまだ戦が必要なのだ。

 そして楚と斉から許可を得、衛軍をそのまま天軍討伐に向かわせる。

 勿論、双ではなく、楓衛の為に。



 楚、斉が衛軍の北方入りに反対しなかったのは、同盟軍を入れる事で国内を引き締める、という意味合

いがあったのだろう。

 楚燕を見限る風潮が生まれているとはいえ、それまでは手綱をしっかり握られていたのだ。政権が交代

する時は必ず幾らかの混乱があるが、それを軍事力で抑え、たがをしっかり締めておかなければならない。

 或いは改めて楓衛との関係を明らかにしたいのか。他国の軍を受け容れるという事以上にその関係を証

明する手段は無いと思える。民もほっとしているはずだ。楚燕を排除した以上、楓と敵対する理由がない。

 むしろ楓衛との関係を深める事は必須だろう。

 秦と秘密裏であっても協力していた楚燕を追い落とすという事は、秦との関係を微妙なものにせざるを

得ない。楚には秦に対抗できる味方が必要だ。

 この動きに対して秦はどう出る。

 思った程の被害を楓にも楚にも与えられていないし、これによって両国の関係が深まったとなれば、か

えって秦にとって思わしくない結果になった。

 このまま大人しくしているとは考え難い。秦王は次の手を打ってくるだろう。

 だからこそ趙深自ら衛軍を率いてきたのだ。秦に対する睨みを強め、楚斉両国の内情を監視する為、彼

自身が動き、前線に進み出た。今回の事は単純に天軍討伐だけが目的ではない。

 その証拠に衛軍は西城に駐留(ちゅうりゅう)している。そこから天軍全体に大して圧力を加える、と

いう目的もあるが。それよりも楚と秦を睨むに都合が良いからだ。

 衛軍に後方を固めてもらう事で、凱聯軍も行動に自由を得られる。

 凱聯は楚軍、斉軍にそれぞれ凱聯の拠点と元楚燕の拠点を預け、天軍討伐に専念し始めた。無論、双兵

を主軸に用い、自軍の被害を抑える事も忘れない。



 楚軍、斉軍に続き衛軍が来た事で、天軍の士気はあってないようなものにまで落ち。凱聯軍も魏繞が上

手く操縦したのか、力技で攻め落とすのではなく、投降を呼びかけ。応じた者にはある程度権利を保障す

る事を約束し、中立的な立場で臨んだ為か、考えていたよりも楽に鎮圧する事ができている。

 楚燕が破れ、その援軍に向かった天軍が空中分解した時点で、多くの天軍参加者は意気を挫(くじ)か

れていたのだろう。

 玉砕を望まず、逃げる当てもない。後は降伏以外になく、いつそれに応じるかだけの問題であった。今

なら楓の助力によって多少は有利な条件で受け容れてもらえる。迷いなど無かった。

 天軍は双に叛意(はんい)を示したのではなく、例え建前だとしても、双王を誑(たぶら)かす奸臣(か

んしん)に天誅(てんちゅう)を加え、政(まつりごと)を正す、という意志の下に集った事になってい

る。楓流から双王に願い、温情を乞う事で何とかする事ができた。

 ある程度の罰は与えなければならないが、なるべく軽いものにするようにさせ、首謀者となった者達も

国外追放に止め。全て楓が引き取る事にしている。

 彼らはもう二度と祖国の土を踏めないだろうが。ここまで大規模な反乱を起こしたのだから、命が残る

だけ幸運というもの。その上、楓が生活保障というのか、新しく生きる場所を提供してくれるのだから、

喜びこそすれ、恨(うら)む理由など無い。

 楓は名声と多くの人材を得る事ができた。

 無頼漢の類も少なくないが、元金、劉、陶を引っ張っていた、或いはそうなるはずだった人材も多く含

まれている。時間は必要だが、ようやく人材不足を解消する事ができる。

 被害は多く、胡虎という代え難い人物を失った事は痛いが。胡曰が将として認められ、凱聯と魏繞の関

係は深まり、多くの人材を得る事ができた。

 結果として楓の力は増大したといえるだろう。

 胡虎の残してくれたものの大きさ。

 それが即ち、彼の偉大さを物語る。




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