19-11.暗中模索


 布国が併呑(へいどん)された事、いや梁がそうせざるを得ない状況に追いやった事に対して、反感を抱

く者は多かった。それは楓に対しても同様で、以前の楓からは考えられない、やはり大きくなった事で小国

を顧みないようになっているのか、という風聞が少なからず損害を与えている。

 これでは逆効果だ。心に忠誠を抱かない者を配下にした所で、獅子身中の虫になるだけである。

 布の民も混乱をきたし、楓に裏切られたと感じる者も少なくなく。その多くは、法瑞を動かしたのは楓流

自身である、と考えているようだ。

 そう信じるに足る材料はいくらでもある。

 楓流はそこに深刻なものを見、法瑞への早急な対処を強いられた。

 とはいえ一体どういう罪で裁けばいい。法瑞は言うなれば楓に連なる者として布を正当に非難しただけで

あり、一国の意志を(例え強硬かつ強引であったとしても)貫いただけである。それを無用に罰する事は誰

に対しても誠実さを欠く行為となる。

 その性急さと強引さを注意する必要はあるが、訓戒程度に留めておかなければならないだろう。

 梁を滅ぼしても構わないという法瑞の態度は、楓にとっても異様なものに映る。下手に刺激できない。

 この結果が狄、蜀に与えた影響も深刻だ。

 ただでさえ楓不審、警戒が強まっていた所へ輪をかける事となった。布を武力で降したが、恐怖による支

配など一時の役にしか立たない。いずれ楓の首を絞める事になるのは明白であり、この事で味をしめた梁(法

瑞)がまた同様の手に出ないと言えない以上、二重に危険を深めたと言える。

 事実、予想以上の成功に気を良くした、或いは未だ梁という国が健在でいる事を残念に思った法瑞は、ま

た新たな計画を練っているという。

 これで満足すると考えたのは甘かったようだ。法瑞はもっと大きく、しっかりしたものを得たいと考えて

いる。

 夢であった事が現実的な目標になった以上、より行動的になるのが自然だろう。

 法瑞は次なる相手として狄を見た。狄は岳暈(ガクウン)ら軍閥と新檜(シンカイ)ら文官連の間にある

溝を深めながら、不安定な状態にある。彼はこの二派を一派にする事で問題を解決できると確信した。両雄

並び立たず、二人も居るから悪いのだと。

 しかし狄は宜焚(ギフン)、楊岱(ヨウタイ)の二人がおり、代官として実効支配している。この二人は

楓流のお気に入りで、頭も回る。迂闊に手を出せばすぐに悟られ、楓流へ知らされる事になるだろう。

 そうなれば、法瑞に与えられている権力は制限される。

 狄には手が出せない。

 再考した結果、法瑞は子遂こそ次に狙う相手、いや本来狙うべき相手だったと思い直す。

 子遂は手強い相手だが、布を楓に取り込んだ今なら話は別だ。狄を布に任せば天水の軍を動かせる。子遂

など恐れるに足りない。

 楓流は子遂になるべく触れないようにしているようだが、本心はすぐにでも潰したいはず。

 ならば布を攻めようとした時と同じ理由で、例えそれがどういう過程を辿り、どういう結末に到ったとし

ても、最終的には認めてくれる。

 それに子遂なら布や天水も敵とするに異を唱えまい。彼らは子遂に対抗する為に生まれた、或いは生かさ

れてきたのだし。彼ら個人としても子遂に対して深い恨みを抱いている。

 共通の利害をもって歩を共にする事を申し出れば、今法瑞に向けられている憎しみを子遂に向けさせる事

ができるかもしれない。

 上手くすれば理想の結果を得られた上に、周辺諸国の好意まで付いてくる。

 要するに法瑞は、自分に向けられている憎しみを誰かに押し付けたいのである。

 そうと決まれば行動に出るに躊躇(ちゅうちょ)は無い。すでに一度やっているのだから、もう一度同じ

事をするのに迷う理由は無い。

 法瑞はまず布崔との関係を改善しようとしたが、上手くいかない。当然だ。布は法瑞を信用していない。

 だがそれによって法瑞へ向けられていた憎しみの幾らかは子遂へと流れたようである。さすがに子遂より

はましだと判断されたらしい。

 とはいえ、それだけではどうにもならない。交渉するには、布を納得させられるだけのものが必要だ。

 考えた末に出てきたのが天水である。

 天水は布よりも数段行動的な国だ。事実上の王である桐洵(ドウジュン)は伊推(イスイ)らと謀って子

遂の力を奪い、今もそれを進めている。味方にできれば心強い。

 しかしこちらにも嫌われているらしく、使者を送っても布への行為を非難され、面目を失するだけに終わ

った。まともに話も聞いてくれない。

 そしてこれが法瑞を追い詰める事になった。

 梁は突如子遂に宣戦布告し、軍備を調えるや否や進軍させたのである。

 梁政府は慌てたが、どうにもできなかった。まだ法瑞自身が軍を率い、梁を離れれば方法はあったのだが、

法瑞もその程度は解っている。配下の将(彼に権力がある以上、それを慕う者達も当然居る)に指揮を代行

させ、自分はできる限り最後まで残って邪魔が入らないよう目を光らせた。

 そして領内から四千もの兵をかき集め、その全てを用いた。これは守備兵を含めた総兵力のほとんどを占

める数である。

 いかに中諸国が安定しつつあるとはいえ、これは梁を放棄するに等しい。ここからも法瑞の気分が解る。



 子遂への出兵、これは無謀極まりない行動としか思えないが、法瑞にも一応の勝算はあった。彼も勝ち目

の無い戦を仕掛けるつもりはない。

 子遂は弱っており。口ではどう言っていたとしても、結局布も天水も子遂が憎く、開戦さえしてしまえば

味方してくれる、するしかない。もしそうならないとしても、布や天水が子遂に味方する事は考えられない。

どの道、子遂は孤立する。

 子遂は猜疑心と自尊心が強く、皆も自分が考えるのと同じに動く事を当然と考える癖があるから。梁軍が

動いた以上、楓流も同意の上であると考え、布軍も天水軍も動くと見、それを前提にして対応を練る筈だ。

 つまり布と天水が同意していようといまいと同じ事。居るだけで子遂に圧力を加え、警戒させ、戦力を分

断させる役に立つ。

 今戦っても子遂に先は無い。例え法瑞に勝てたとしても、それ以上戦う力を失い、完全に楓に併呑される

か、それに近い境遇になるだけだ。

 子遂は楓に秦という競争相手がいて、その上で潜在敵として背後に居られるからこそ脅威なのだ。孤立し

ていては意味が無い。

 確かに今梁が動く事は、梁自身の利害を除けば、効果的な手段であった。

 子遂という勢力が生き延びてこられたのは、どの勢力もこの勢力と共倒れになるのを恐れたからである。

戦えば自分も疲弊し、滅びに繋がると思えばこそ、大国となった楓でさえ二の足を踏んだ。

 だがここに自国の利害を無視して楓に忠しようと考える者が現れた。それこそ子遂が唯一恐れていたもの

である。

 法瑞にそこまでの考えはなかったろうが、結果として子遂は追い詰められる事になった。

 戦力が足りない。例え勝てても被害は甚大。そうなれば得たりとばかりに天水が動く。それを防ぎきる自

信は無い。

 そこで彼は誰が思うよりも思い切った手段に出た。

 早々に降伏したのである。

 矛を交える事すらなかった。梁軍が付近にまで来た所で使者を発し、その時はすでに到着していた法瑞に

降伏を申し出た。

 そうされれば、法瑞としても受けざるを得ない。肩透かしを食らった格好だが、それに腹を立てて進軍を

強硬する程、彼は愚かでも暴虐でもなかった。

 降伏を受理し、その旨、天水、布、楓流へ向けて使者を発し、返答を待つ。全て楓流の意に従うという意

志表示であり、この件を私事ではなく、あくまでも楓の為という公のものにしたいという証明でもあった。

 法瑞にも野心はあっただろうが、それは楓に属したまま立場を良くするという程度で、例えば独立したり、

中諸国に覇を称えようとした、などと考えるのは過ぎると思える。

 人は夢を抱くが、大勢の人間はそれが叶わないだろう事、敢えて叶える必要のない事を知るのである。そ

れは今に生きる我々も、当時の人達も変わらない。

 これで法瑞の策がまたしても成功した格好になるが、本人はその結果に不満であった。

 外交として見ればこれ以上ない成功であるが、彼としてはそのように解り難いものよりも、もっとはっき

りと解る形で示したかった。そうして自らの実力を楓流に認めさせたかったのだ。

 しかし時が経つにつれ、無血に終わった事で余計な咎(とが)を受けずに済んだし、これはこれで満足す

べきかもしれない、と思い直し。戦後処理を楓流の意に沿って進めながら(楓流もこうなっては法瑞のやり

方に沿うしかない)、今後は直接的な行動を慎むべきかもしれない、とも考えていた。

 巷の噂話に名が出る事も増え、二国を降した者として立場と責任が重くなっているし、梁政府や梁の民も

一応は彼を認め、見直している様子である。

 有名になれば、それだけで評価される事もあるものだ。

 当人の思いとは関係なく、名前だけが一人歩きし始めた、と言い換えてもいい。

 楓流の方針は、子遂をそのまま太守、代官として置くが、組織を一変させ、実権はこちらが握り、傀儡(か

いらい)とするように、というものである。それらを整えた後、支配権を天水に譲渡して法瑞の役目は終わ

る。できればこの地に移りたかったが、それが叶わない事くらいは心得ている。

 しかし残念な気持ちは消えず、雑務をこなしていたのだが、そこに子遂から度々接触があった。

 話をしない訳にはいかないが、今彼と無用に接する事は楓流や桐洵の疑いを招いてしまう。極力会う事を

避け、使者の往来も最低限のものに留めた。

 対面する場合も二人きりにならぬよう心を配り、この辺に長年地方官僚を勤め上げてきた経験が活かされ

ている。

 こうして法瑞は過不足なく役割を全うし、梁へ戻ったのだった。

 梁に戻った法瑞を待っていたのは、楓流からの感謝状と褒美である。地位や土地ではなく、金銀財宝と名

誉しかなかったが、その名誉こそが欲しいものであったので殊(こと)の外喜んだ。

 これで楓流のお墨付きをもらった事になり、梁政府も認めざるを得なく、態度を軟化(なんか)させた。

考えていた結果とは大分違うが、一応望みは達せられたと言えるだろう。

 しかしあれから事ある毎に子遂が接触を図ってくるようになり、手を変え品を変え、機嫌を取る。

 初めは法瑞も警戒していたのだが、子遂の行為は心を配ったもので徐々に心を動かされ、次第に愛(う)

い奴と思うようになった。

 子遂は誰に対しても殊勝な態度を見せていたが、法瑞はまた特別で、事ある毎に立て、何かあれば一番に

相談してくる。

 法瑞はそれに対し、全て桐洵らに包み隠さず報告し、彼女らの合意を得た事のみ子遂に伝えている。冷静

に対処していると言えるだろう。

 あの地から離れた時点で管轄外になったと考え、あくまでも相談役という立場を崩さない。そうする事で

楓に貢献できるし、桐洵らにも(お節介とは思われても)そう悪くは思われていないはずだ。

 何せ子遂の部下は生き馬の目を抜くような者達ばかり。子遂の権威が薄れた今、新しい実質の支配者であ

る桐洵らに取り入ろうと必死である。その態度はむしろ子遂を降してくれて感謝していると言わんばかりで、

天水から連れて来た者達も皆げんなりしていた。

 子遂への忠誠心が薄いのは良い事だが、変わり身の速さには苛立ちを覚える。

 だがそこで怒っても事態は悪化するだけ。どうしても気に入らないという者は天水に送り返し、話の解る

者だけを残して処理を急いだ。

 目的は子遂が持っていた支配力の全てを奪う事。

 子遂の首を獲れれば話は早いのだが、そうする事はできず、幽閉に近い状態で常に監視を付け、外界と接

触させないよう心を配った。

 子遂は孫文後から今の今まで勢力を保ち続けてきた男である。監視役も通常の者では荷が重いと考え、そ

の役の長に伊推を置いた。表向きは相談役のようなものとしている。

 引き受けてくれるかが心配だったが、二つ返事で承知してくれた。自分以外の者には任せられぬ、という

気持ちがあったのかもしれない。

 おかげで桐洵は子遂という不安を考えずに事務処理を行なえ、新たな組織を早急に完成させる事ができた。

 急いだから完璧とは言えないが、重要な所には全て信用できる者を就けている。当面はこれで何とかなる

だろう(念の為趙深に願い、中諸国付近の兵を増やしてももらっている)。

 そしてこの元子遂領を(便宜上の理由と天水と対にするような想いを込めて)天風(テンプウ)地方と呼

称する事にし、子遂が本拠としていた都市の名も天風に改めた。反対が出ると思ったいたが、桐洵が混乱を

最小限にし、民に実害を与えなかった(賄賂を取っていた官に罰を与えたり、風紀を一新させた)事が功を

奏したのか、表立って異議が出てくる事はなかった。

 子遂により強力な情報統制がされていた(虐げられていたとか、酷い生活だったという意味ではない)事

も理由としてあるのかもしれない。従う事に慣れさせられていたのだろう。その支配力の強さに反して、全

くといっていいほど反乱を起こさなかった理由も、おそらくそこにある。



 布に続き、天風が降った事で、中諸国が安定するかと言えば、そうはならなかった。天風が安定するには

まだ多くの時間が必要であるし、布も降った事で逆に発言力が強まった。今や布崔は桐洵にも堂々と物を言

える立場にあり、色々な面で顔と口を出している。

 今はまださほど邪魔になっていないが、自前の軍隊を持ち、様々な特権を持つ彼は無視できない。法瑞の

短慮に無用の負い目を感じて、少し与え過ぎたか。厄介な存在になりつつある。

 布崔は天風の件にも口を出している。天水にお株を奪われているが、中諸国を押さえてきたのは布である、

という自負がある。

 貧しい小国から中諸国で無視できぬ武を誇るまでになったのだから、その成長には目を見張るものがある。

楓と衛の援助のおかげとは考えていない(忘れている)ようだ。初めからその力を持っていたかのような物

言いと態度である。

 それを子供のように指摘する事はしないが、苦々しく思う。

 以前の布崔はこのような人物では無かったのだが、どこか捨て鉢になっているというのか、自分の力を示

そうと躍起になっているように見える。

 まあ、それが王と臣の違いと言えばそうなのかもしれない。国すら差し出してしまった彼には、もう自分

の力を誇示し、楓と元家臣、元自国民に存在価値を示すしかないのだ。

 必死になるのも仕方がない。子遂の静けさの方が不気味、異常といえる。

 中諸国は安定するどころか、益々厄介なものになっていく。

 それもこれも法瑞が余計な事をしたせいだが。今はそれを認め、褒美を与えるしかなく。その事がまた楓

流を苛立たせる。いっそ法瑞と反発し合う梁政府を支持し、彼を追い落としてしまおうか。

 いや、そんな事をすれば何をしてくるか解らない。さっさと始末できれば良いのだが、中諸国が乱れた原

因は楓が強引な行動を採った事にもある。これ以上余計な真似はできない。

 だがこのまま法瑞を優遇していては、梁の反楓感情を煽(あお)る事になる。梁には以前から無理をさせ

てきた。現実として一番都合よく使ってきたのはこの国だ。蜀や布も使ってきたが、梁がそれらの国と違う

のは民にも無理をさせたという事だ。民はその事を忘れていまい。

 上手くすれば、それも誇りとなって残るのかもしれないが。それは今後の楓次第である。梁民を慕わせる

事ができなければ、彼らの不満はいずれ敵意となって返ってくる。

 高が小国の民と侮っていれば、足下をすくわれてしまうだろう。

 強い敵、弱い敵、どちらも等しく厄介である。



 法瑞はこれ以上の進軍は止めたようだが、軍を用いる事を止めた訳ではない。

 結局一兵も損じていないのだから余裕があり、降伏した布と天風から得た物も少なくない。楓流もある程

度は費用を負担してくれている。楓の信を得ているおかげで(法瑞が勝手にそう考えているだけだが)、法

瑞の権威も揺るがない。

 勝利したから口を閉じたのではない。その背後に楓を見るからこそ、皆不承不承でも納得する。

 法瑞は兵を北部に集め、狄へ圧力を加えた。

 残るは狄か蜀だが、様々な面を考えるとやはり狄という事になるのだろう。

 狄はそれに応じるべく、南部に兵を集めている。

 しかし布や天水、天風まで敵に回しては勝ち目がない。まず楓流に向けて敵意が無い事を示し、梁の暴走

を止めてもらうよう使者を発した。布、天水、天風にも同様である。狄は自分を被害者と位置付け、他国の

庇護を乞う事で梁を孤立させようとしたのだ。

 狄は楓流が法瑞のやり方を本当はどう考えているのかを知っている。愚かな法瑞はその態度を都合よく解

釈しているようだが、狄は違う。

 そして一致団結して事に当たり始めた。

 反目し合っていても、岳暈、新檜の利害は狄という国が必要という点で一致している。外敵が現れれば、

協力も辞さない。

 新檜が資金を出し、岳暈が軍を動かす。本来あるべき姿を取り戻し、狄は迅速に動く。

 だが梁も今度は猪突猛進する風ではない。子遂に立てられ、一応の役割を得た事で満足し、先の二戦ほど

必死になる必要がなくなった、という事か。

 法瑞は際限の無い領土欲や支配欲に囚われている訳ではない。彼個人の立場さえ強化できればいい。叶う

なら梁から離れたい所だが、今の所それができない事を知っている。

 彼の心は以前よりも複雑だ。

 楓流は補う必要を感じた。そこで衛から戻っていた鏗陸を再び梁へ派遣する事を決める。多少の反発は出

るかもしれないが、梁政府を最も知る者は彼である。法瑞の相手も慣れているだろう。

 あっちこっちと便利屋のように使っている事に対し、罪悪感が浮かばないでもなかったが、鏗陸にはそう

いう役割を全うしてもらうしかない。胡虎がいない今、魏繞(ギジョウ)と彼にその穴を埋めてもらわなけ

ればならないからだ。

 ただその働きに報いるべく、そろそろ褒美以上のものを与える時かもしれないとは考えている。

 鏗陸は胡虎同様、年少の頃から目をかけ育ててきた家族に近い存在。胡虎にできなかった親代わりの役目

を果たしたい、という心もある。

 楓流はかねてから考えていた事を実行に移す時だと判断した。




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