19-2.対峙


 楓も秦も目立った動きを(お互いに対しては)見せていない。どちらも自分の力と相手の力を理解してい

るからだろう。楚が楓に降った今、覇権を手にできるだろう国は楓と秦だけになった。

 双の力も馬鹿にならないが、双は決して覇を築けない。双王の意思という意味ではなく、もっと現実的な

意味で。

 確かに始祖八家の最後の血流という事実は大きなものだ。有名無実になったそれも、唯一のものとなれば

話は変わってくる。双が生き延びられたのは国力が豊かという点も大きいが。最も大きな理由は、最後の血

統という点にある。

 双臣、双民は否定するだろうが。彼らは今も生かされているに過ぎない。もし秦でも楓でもその気になれ

ば双を落とす事は難しくない。今までに歴史に登場した多くの国家達もまたそうだ。

 それ程に双兵は弱く、不測の事態に弱い。

 今双を討つとなれば 元金劉陶の民も呼応するだろう。天軍に参加しないまでも、双を恨む者は多く。双

には頼むに足りない、という最も不名誉な認識がある。

 先の戦も紀軍に頼りながら、それに対する褒美が微々たるものであった事は広く知れ渡っている(趙深が

流させたからだ)。双王への批判は畏れ多いが、重臣団への不満に遠慮は要らない。双を実際に動かしてい

るのが重臣達である事もまた周知の事実。双自体の権威は保たれたが、重臣達の権威は失墜した(元々敬慕

する者は少なかったが、本当に呆れ果てたという意味で)。

 それを理解しようとせず威勢の良い事を述べているようだが、双には自国の反乱すら抑える力が無い事が

はっきりした。天軍の乱は失敗に終わったが、その事実を露呈(ろてい)させるには充分だった。

 代わりに紀の名声は上昇の一途を続け、不遇という共通した点が更なる同情を誘い、紀陸あっての双と述

べる者も少なくない。

 勿論それは全て公にしない心の中だけのものであり、実際に事が起こればどう転ぶかは解らないのだが、

楓にとっても悪い事ではない。紀を一国として生かしておいたかいがあったというものだ。

 秦もまた双への警戒をある程度解いている。紀への警戒は強めているようだが、全体的に見て北方への護

りは以前の規模ではない。

 主力を割かずとも充分押さえられると判断したのだろう。

 双にとっては屈辱なのだが。双重臣達はのんきに構え、そういう情報も、双を畏れ、敵意の無い事を示す

為だろう、という風にしか受け取らない。彼らは誰もが双の敵、朝敵とされる事を恐れていると子供のよう

に信じている。

 真におめでたい頭だが、だからこそ生かされているのだろう。何度も言っているように、双の国力は大陸

随一である。双本国とその周辺の土地の収穫高は群を抜いている。

 趙深がその力を使って飛躍的に領土を伸ばしたように、潜在能力は極めて高く。もしそこに有能な将が充

分腕を揮える環境に居たとしたら、大陸を席捲(せっけん)していたのは双だったかもしれない。

 双重臣がそういう面では無能揃いである事が、いやそうである事を望まれ、様々な干渉によって長い歴史

を経た結果そうさせられた事が、双を有名無実にし、寿命を延ばさせた。

 双王は飾りに過ぎず、重臣の人選も権威を握った国々にあった。双に有能な人物が置かれるという事自体

、ありえない話だった。

 その事が今はっきりした。

 おかげで矛先を楓一点に絞(しぼ)る事ができる。

 とはいえ、開戦するのは必ず勝てるという状況を調えてからだ。それまでは主軸は外交戦になる。

 楓、秦から大陸中に使者が送られ、様々な密約を結び、或いは露呈されている。その度に両国の関係は悪

化の一途を辿るのだが、もうそれを止めようとも隠そうともしない。

 大陸中の全ての国家は頭を悩ませている。楓と秦、どちらに味方するかで最終的な自国の待遇が天と地程

に変わる。慎重に見直さなければならない。

 上記四国以外に名の残る国を挙げていけば、衛、楚、斉、越、蜀、狄、梁、布、伊推、子遂、緑、この辺

りか。他にも細々した勢力はあるようだが、どれも一国一勢力として数える程ではない。その中に今後重要

な役割を受け持つ勢力が無いとは言わないが、まあそれはその時に知ればいい事だ。

 こう並べるとまだまだ多いように感じるが、越と斉以外は楓へ従属している。表面上だけの国もあるが、

多くは楓に降っている。ここからも楓の力量、影響力がよく解る。

 元は集縁という小さな街を治めるだけだった男が、よくもまあここまで大きくなれたものだ。そこには多

くの幸運と多くの人間の協力があったとはいえ、奇跡と呼んでも信じられない思いがする。

 大陸統一した史上唯一の人物というのも頷ける。最早このような奇妙な人物は現れまい。もし生まれたと

しても、歴史に残る事は無いだろう。

 彼はこの時代に、そういう状態で生まれたからこそ初めてそれを成せたのだ。

 無限分の一の確率で生まれた唯一の生命。

 そう思わされる。



 ここで一つ記しておかなければならないのが近衛の事。つまり胡曰率いる女性のみで編成された親衛隊の

事だが。この近衛が胡曰への褒美として正式に認められ、大々的に公募された事で飛躍的に大きな組織とな

った。

 女性にも野心を持つ者は無数に居るし、胡曰が大陸人、賦族、部族を問わず広く募った事から、実に多く

の人が集まった。そして最終的に百名が選ばれている。

 選考基準はより素直で現実的な理由がある事だったらしい。素直で従順であれば技術にしろ、心にしろ伸

ばしやすいし。金銭的なものなど現実的な理由があった方が必死になる事は疑いない。近衛とは楓流の従順

な手足となる事。現時点での実力は二の次である。楓流の為なら全てを紙のように捨てる非情さと盲目的な

服従が必要なのだ。

 選考結果に対して異議を申し立てる者もいたようだが、その行為自体が落選の証明であると胡曰は切り捨

てている。それでも強硬に異議を申し立てる者には仮入隊を許すが、そういう者達は結局三日と持たず逃げ

去るらしい。

 女性ばかりと言えば後宮のようなものを想像されるかもしれないが、それは誤解で、実際は正規軍以上に

厳しい絶対の規律に縛られた厳格な組織であった。

 規律を破れば斬首すらあったというから、それはもうその人自身が望んでも、両親が許すまい。当時の人

が発する近衛という響きには華やかなものはなく、恐れが強かった。

 彼女達は十名単位で十部隊に分けられ、大陸中で全ての雑務をこなしている。その司令塔となる胡曰率い

る一番隊は集縁にて全ての隊に指示を出し、隊員は全て精鋭中の精鋭である。彼女らは幹部候補生とでも言

うべき存在で、各隊の隊長は必ずこの一番隊から選ばれる。

 楓流の手元にも常に一部隊が居て、警護や伝令などの役を務めるが。この部隊は元隊長を中心とした特別

な部隊で、頻繁に異動がある。おそらく権力(と楓流の情)が下に移るのを避ける為なのだろう。

 厳しい選考によって選ばれた近衛は絶対の忠誠を持って仕え、楓流もまた絶対の信頼を置いていた。

 そして近衛が発足してから半年から一年くらい経った頃だろうか。楓流が見知らぬ赤子を趙深に預け、彼

の子供として育てさせた、という話がある。

 真偽定かではなかったのだが、どうやら預けた事は事実であるようだ。信頼できる文献に書き残されてい

る。書かれている事が偽りである可能性もあるし、英雄の血が今も生きていると思いたい願望だと言えば確

かに頷ける部分もあるが、趙深の妻や長子などもそう書き残している事から、おそらく間違い無い。

 もしその赤子が楓流の実子であるとすれば、その母は近衛である可能性が高い。もし后である楓黄が産ん

だのなら趙深に預ける意味が解らないし、もっと広く知られていた筈だからだ。

 まあ、その事はいい。それはさして重要な事ではない。

 大事なのは子を預けた時、すでに趙深に実子が居たという事実。

 つまり楓流が託した子は趙深の長子ではなく、次子なのだ。

 この事は後になって大きな問題となってくる。何故なら八百年の後、この二人の子供の子孫が、その出生

の秘密を理由にして争い、大乱を生むからである。もしその子孫達がこの真実を知ったとすれば、一体どう

思っただろう。

 決して叶わぬ事であるだけに憐れみを深くする。

 八百年の時を経て生じる憐れみ。これ以上に悲しい事が、他にあるだろうか。

 蛇足かもしれないが、記さずにはいられない。



 近衛ができた事で、楓流の仕事は目に見えて楽になった。

 組織として完成するまでは様々な不備も目立ったが、それも時を経てそぎ落とされ、彼の手は大陸全土に

広がった。

 諜報組織とも深く繋がり、楓衛に関わる全ての情報は彼女達の手に握られた。その権威の大きさに酔い、

不審な動きを示す者もいくらか出たようだが、その度に粛清され、そういう時の為に別に置いてある予備隊

より随時補充される。

 組織として機能的に動いた。

 こうして余裕ができてきたので、楓流は賦族の件を進める事にした。賦族の部族化である。楓の勇名が高

まった事で、部族からの敬意も自ずと高まっている。時間をかけて懐柔(かいじゅう)してきたおかげか

協力者も増えている。そろそろ本題に入っても良い頃合だ。

 楓流は賦族の大陸人化も進めたが、それはあくまでも同族意識を高める手段の一つに過ぎず、双のように

厳格に強いる事は無く、この点楓流は実に気を遣った。

 ただし部族側がもし傲慢(ごうまん)な態度に出るようなら、容赦なく糾弾(きゅうだん)し、それに怒

って反乱のそぶりでも見せれば遠慮なく叩き潰した。その際も相手の話は聞くが、容赦(ようしゃ)は無い。

この辺の厳しさは玄張とも違うものだ。

 楓は勝利者である。玄張は言わば雇われ管理者のようなものだが、楓は勝利者、支配者だ。その点が違い、

それは大きな違いである。融和的である必要はあるが、媚(こび)を売ってはならない。勝利者らしい威厳

を失えば、部族は彼を侮蔑(ぶべつ)するだろう。それが部族であり、そういう部分に楓流は惚(ほ)れ込

んでいる。

 立場というものは明確に。そして崩してはならない。

 部族との仲はまずまず上手くいっている。次は肝心の賦族を連れて来なければならないが、それをどうし

たものか。

 衛の氏備世(シビセイ)や呂示醒(リョジセイ)にも頼んでいるが、彼らは彼らで諜報組織の運営がある

し、南方から衛までは遠い。

 それに一番の問題として、後世と違い当時の賦族は生来の頑強な肉体に反して酷く臆病で、差別に甘んじ

ている。

 趙深が中心となって賦族の心を変えようとしているが、未だその全てに効果が及んでいる訳ではない。

 その動きに反発する者さえ居る。

 楓衛に積極的に組みしようと考える賦族は、この時点でも多数派とは言えない。

 しかし楓流は衛に集まる賦族だけではなく、賦族全体を部族化させたい。その為に志を抱き、賦族全体に

独立の機運を持たせ、内側から流れを生じたい。

 なんであれ、他人が動いている間は本当に変わる事などできはしない。己が欲し、自ら動いてこそ人は初

めて変わる事ができる。

 その為にはやはり時間をかけるしかなさそうだ。

 そこでまずこの南方にも衛のような受け皿を造る事にした。近衛に命じ、大陸中から次々に賦族を、それ

も例えば怪我をしたり病気をしたり、単純に捨てられたり、といったどうしようもない者達。請われれば逆

らえない者達を集めさせた。

 それらを探すのは容易である。大陸人の多くには依然(いぜん)賦族に対する差別意識がある。楓流、趙

深も未だ多くの地域は政策によって賦族への不遇を緩める程度の事しかできていない。属国、同盟国となれ

ば影響は更に薄い。

 結局大陸人の多くは、便利な道具、以上の関心を賦族に対して抱かない。だから弱った賦族は大陸中のど

こにでもいる。しかし彼らに助けの手を差し伸べる者は楓流と趙深しかいない。すぐに集まった。

 そしてそれと平行して本命の賦族軍編成に取り掛かる。

 賦族が生き、活躍できる場所を造る事は重要であるが、今回はそれも軍編成の過程に過ぎない。賦族を集

め、その中から兵を選る為の手段である。

 だが集めたのははみ出し者と弱者だけではないか。確かにそうだ。これはと見込めば買い取ってでも連れ

て来た賦族もいるが、多くは力ない者達である。できる事は少なくないが、兵には向かない。

 しかし誰にでも家族が居る。友人、知人、人との繋がりがある。それは一人一人はか細いものでも、繋げ

れば広く深いものとなる。これが趙深から学んだやり方だ。

 それに評判が立てば、野望を抱いてやってくる者達が居るだろう。現に衛にもそういう者達が多くやって

きているのだから、その効果は保証済みである。

 今回はそれに合わせて兵(つわもの)を探しているという噂も付けて流布しておいたから、より望みに適

う者達が来るはずだ。これで衛は働き先、南方は兵、という区別ができる。それは双方の運営にとっても利

ある事。

 賦族軍は楓流の夢である。孫軍をも上回る大陸最高の軍。それを手にすれば、失う恐怖に怯(おび)える

事もなくなるはずだ。

 楓流は馬を増やす事にも取り掛かっている。

 賦族は奴隷である。様々な雑務をさせられるから動物の扱いも長けているし、肉体仕事が多く怪我も多い

事から薬草など治療に関する知識も深い。今までは誰も注目する者が居なかったから顧みられなかったが、

元来の器用さも手伝って賦族の知識には有用なものが多い。

 伝令などに使う馬の飼育、管理にも賦族が多く割り当てられている。その大きな体躯から速度と持続力を

第一とする伝令には向いていないが、乗馬技術も大したものだ。それは不思議な技術で、野性的で荒々しい

ものだが、まさに人馬一体という言葉が相応しい。

 賦族は馬と心を通わせる方法を知っている。

 それは馬達、家畜が唯一気を許せる存在だったからだろう。

 立場の近い家畜だけが、心を隠さずに接する事ができる、唯一愛情を注ぐ事のできる相手だったのだ。

 中には馬や豚など家畜と共に逃げてきた者も少なくない。だから自然とそれらを育てる為の設備もできて

いったのだが、それを見て楓流はもう一つの夢を叶える事ができるかもしれないと踏んだのだ。

 それは騎馬軍団。人にはできぬ電光石火の動きによって迅速に一点を叩き潰す。雄々しき突撃によって全

てを踏み潰し、跳ね飛ばす。昔伝令兵を見た時、雷光のように閃いたそれを実行に移す時がきた。

 南方という広い領土。少々癖はあるが草木が豊富で、水もたっぷりとある。この場所でなら、いくらでも

増やす事ができるだろう。

 生き物を扱うのだから容易くはいかないし、すぐに数が増える訳でもないが、大々的にやるに適した場所

である。ならばやらぬ理由はない。



 近衛は対外政策にも活用されている。各地に支柱となる小政府を置き、そこに信頼できる者を派遣して独

自に運営させ、周辺国家の監視と関係強化を任せる。

 今までは衛と楓流でやってきたのだが、それだけでは手が足りない。そこで新たに紀、そして中諸国にそ

れを置いた。近衛という絶対の忠誠を持つ者が居なければ、できなかった事だ。

 しかしこれには考慮しなければならない点が多い。

 紀は王である紀陸以下が楓流、趙深に心服しているから良いとして、厄介なのは中諸国である。

 現在そのほぼ全てが形としては楓に従っている。反楓連合たる狄が実質滅んだ事で、反乱の芽はつまれた

筈であった。

 だが、そう簡単に行くなら、誰も初めから苦悩などしない。

 狄は宜焚(ギフン)と楊岱(ヨウタイ)に任され、調停役として日々励んでいるものの、やはり岳暈(ガ

クウン)、新檜(シンカイ)の争い、恨みは根強く。今後秦の手が伸びてくればどうなるか解らない。

 梁は法瑞(ホウズイ)に任せてあるが、彼も今一つ解らない所がある。一応命ぜられるままに従っている

ようだが、彼にも彼なりに野心があるだろう。いずれ今の境遇に満足できなくなるのではないか。

 布は以前から楓の手足のように働き、常に味方してくれていた。それに対しなるべく報いるようにしてき

たつもりだが、配下のように使われる事を本心ではどう思っているのだろう。

 子遂は言うまでもない。最も気をつけなければならない相手だ。信用とは無縁である。

 蜀は大人しく従っているものの、子遂に次いで油断ならぬ国だと楓流は考えている。流されやすいという

事は、楓に反する方に流される可能性も高くなるからだ。忠臣であり、柱であった蜀礼(ショクライ)が亡

くなってからは、敵とするにも味方とするにも信のおけない相手となっている。地形的にも中諸国と楓を繋

ぐ位置にあり、その動き次第では厄介な事になる。

 伊推は信頼できる。中諸国で安心できるのは彼の勢力だけか。ただ彼の年齢的な面が多少不安ではある。

老人とは言わないが、初老に届く年齢のはず。彼には子遂を睨み続けるという大役を課してきた。彼のおか

げで子遂を必要以上に不安視せずに済んだが、彼自身は気の休まる暇も無かっただろう。

 軍を動かすような事は極力避けてきたが、その疲労は大きい。子遂に対する個人的な嫌悪の情があるとし

ても、それだけで無限の力を出せる程、人は便利にできていない。

 幸い体調を崩したというような話は聞かないが、疲れは見えるという報告は入っている。できれば安心し

て農作業に専念させ、長年の恩に報いさせてやりたいが、この状況ではどうにもならない。

 このように中諸国全体に拭えない不安が残る。

 今回新たに支柱を置く事にしたのもそのせいといえばそうだ。

 しかし一体どこに置けば良いのか。

 子遂は論外として、刺激を与えたくない狄と蜀も除外される。伊推にも恩を仇で返すような真似はしたく

なく、できる限り自治に任せたい。

 となれば布か梁になる。両方に置く事も考えたが、支柱というのはつまり小政府を置くという事である。

楓流が命ぜずとも、独自に考え、決定、実行していく自治体だ。

 それはより楓の支配体制を強めるという意味を持つ。自分の国に他人が居座って命令していると思えば、

その国の民はどう考えるか。

 ここはやはり一つに絞るべきではないか。

 楓流は悩んでいる。



 悩んだ末、布に置く事を決めた。布との付き合いは長い。確かに都合よく使ってきたという面はあるもの

の、相応の対価は支払ってきているし、楓の都合だけで使ってきた訳ではない。むしろ布に力を貸したとい

える面もある。

 それは楓の身勝手な考え方かもしれないが、布もまた共通の利害関係があったからこそ嫌な顔せずに従っ

てくれたのではないか。

 その心には感謝すべきだが、自らを卑下する理由にはならない。楓流はそう結論付けた。

 そして布を筆頭に中諸国全体にその旨を告げる使者を発したのである。

 形だけのものだとしても同意を得なければならない。中諸国としてはそういう形式にも苛立ちを覚えるだ

けだろうが。形式を無視すれば、もっと大きな不満を抱かせる事になる。

 事後承諾は最もその権利を無視する行為である。

 中諸国に通告すると、意外にも伊推から自国を使ってくれという使者が送られてきた。

 どういう事か理解できず、詳しい事を問い質してみると。引退し、農夫に戻りたいとの事らしい。

 自分達とその生活を護る為に望まぬ蜂起(ほうき)をし、幸いにも自治を得、今まで護り続ける事ができ

た。そこには楓の助力が大きな要因としてある。心から礼を言う。

 楓も今や大陸の半分を占める大勢力となった。最早自分のような者が刃を持つ必要は無いはずだ。一人の

農夫として、残りの生を送りたい。

 聞いたような意図がおありなら、我らの土地を使えばいい。我らはその土地の支配など要らぬ。ただ田畑

を耕し、作物と共に暮らせればいい。これも良い機会だろう。

 要約すればそういう事か。伊推らには初めから一勢力足らんという気持ちは無かった。自分の土地を護る

為に仕方なく立ち上がり、戦ったに過ぎない。そう考えれば、これも当然の選択なのかもしれない。

 ただ最後に、子遂らと戦う際にはいつでも駆けつけよう、と使者の口から伝えられた時は、頼もしくも微

笑ましくあった。気力が薄まったのではなく、単純に自分の役割が終わったと考えたのだろう。気性の激し

さが失われた訳ではない。

 楓流にはその想い、願いを退ける事はできなかった。伊推ほどの軍略の才と清廉にも似た心の士を表舞台

から降ろすのは惜しいが、これ以上望まぬ役割を押し付ける訳にはいかない。

 こうして伊推という勢力は解体、いやあるべき姿に還り、半自治状態を保たれるものの、楓領へ正式に組

み込まれ、兵の多くは伊推と共に農へ戻った(有事には頼もしい兵になるだろうが)。

 これによって布への要請は撤回される。

 一度は命じた事からくる反発を免れないとしても、それ以上関係を悪化させる事は防げた。楓流は心から

伊推に感謝し、今後もその心に報いる事を天に誓った。



 元伊推領は天水(テンスイ)と名付けられ、近衛一番隊の桐洵(ドウジュン)に任せられた。

 彼女は明開(ミョウカイ)の実の娘。父方ではなく母方の姓を名乗るのには彼女なりの事情があるの

だろうが。近衛は実力と忠誠心さえあれば細かな事を問わない。

 楓流にもそんな事は関係の無い事だ。胡曰の推挙を信じ、彼女に任せる。

 副官として近衛から幾人か付け、望むなら全てを与えた。

 裏切られる心配が無いというのは、何を置いても心強い。楓流は胡曰にも心から感謝を捧(ささ)げ、

伊推同様その心に報いる事を自分に誓ったのだった。




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