19-3.天水動乱


 桐洵(ドウジュン)。詳しくは解らないが、この時すでに二十歳前後かもう少しいっている年齢である

はずだ。当時からすると婚期を失した年齢であるが。戦が多く、結婚という事に慎重になる親が多くなって

いた事から、必ずしも珍しい事ではなくなっている。

 父明開の影響もあるのかもしれない。

 幼き頃より数学、弁舌を学ばされていた事から、嫁に出すのではなく、跡継ぎとして育てられていたと考

えるのが妥当だろう。彼女自身も期待に応え、常に利発な姿を父に見せていたようだ。

 その資質は今も健在で、政略だけでなく経済にも秀で、何でも器用にこなす。胡曰の信任厚く、一番隊の

中でも序列は上で、他の近衛からも惜しまぬ敬意を受けている。

 凛とした顔立ちは時に冷たくきつく映るが、その目を見れば絶えぬ炎が宿っている事が解る。

 美しい容姿から楓流と肉体関係があったという説もあるが、その辺の細かな事は解らない。上記の事も明

開に関する文献から出たものであり、近衛に関する情報は本当に少ない。その事もまた組織の厳格さを物語

っている。

 桐洵は上手くやっているようだ。伊推も補佐してくれているらしい。彼は本来の仕事である農業に専念し

たいと言っていたが、生来の面倒見の良さと責任感の強さからか協力を惜しまない。

 いや、初めからそのつもりだったのか。

 彼さえ付いていてくれるなら、桐洵は孤立しないで済む。何よりもありがたい好意だ。

 桐洵もその心に応えるべく努力し、早々に組織を作り上げ、支配体制を確立している。

 しかしいくら楓流の腹心だとはいえ、無名の小娘に上に立たれる事に対し、不満が全く出ていない訳では

ない。特に布には先の事もあってか、不満を隠そうともしない者が少なくないとか。

 その者達の言い分はこうだ。

 長年俺達が親身かつ献身(けんしん)に楓の為働いてきたというのに、一度は属国同然に貶(おとし)め

ようとし、それが退けれれば今度は小娘がやってきて、王を気取り、何やら命じている。しかもその命は楓

流を通さず、その娘が独自に考え決定しているとか。

 例えその補佐に高名な伊推が付いていると言っても、あまりにも惨い仕打ちではないか。いつから布は楓

の道具に成り下がったのか。我々が楓に協力し、無理を聞いていたのも我々の権利を護ってくれればこそ。

そうでなければ、この地を狙う賊どもと何の変わりがあるだろう。結局都合よく使い捨てにされるだけでは

ないか。

 これは極論であり、ここまで考えている者は少ないだろうが、誰の心にも似たような不満はある。

 楓も布には様々な便宜を図り、国力を増させてきたが。どれも楓の都合によってなされた事。感謝される

べきだ。相応の報酬は払った。などという思いは強者の理屈に過ぎない。常にその威を感じずにはいられぬ

者達の心を逆撫でするような事をすれば、反感を抱かれて当然である。

 この点、楓流はあまりにも楽観的過ぎた。

 だからこそ伊推はああいう行動に出てくれたのだ。そうでもしなければ収まるまいと思うからこそ、彼も

また思い切った行動に出た。楓流も反省はしていたようだが、その考えさえも甘かった事を否定する事はで

きない。

 やはりまだ早かったのか。近衛が知られるようになったといっても、それは胡曰個人の勇名による。それ

を当てにし過ぎてしまったのかもしれない。

 胡曰自身を行かせられれば良かったのだが。大陸中に網を広げつつある今、その基盤となる集縁に彼女が

居なければ、様々な面で支障が出てくる。今はまだ彼女を組織作りに専念させなければならない。部下の育

成に人選とやるべき事はあまりにも多く、この上中諸国という難しい地を任せるのはあまりにも酷。

 ここは桐洵を信じるより他なさそうだ。

 幸い、中諸国は南方からそう遠くない。何かできる事はあるだろう。信じ、頼るだけでなく、できる限り

の事をしなければならない。それが命令者の責任というものであろう。



 桐洵はまず布内に二派を作り上げた。親楓派と反楓派である。

 報告によれば、布内の不平不満は最早避けられない段階にあるという。ならばそれを引き伸ばす方法を考

えるより、二派の対立へ誘導し、共倒れにさせる方がいい。

 これは楓流や趙深が得意とする手である。

 しかし話はそれだけで終わらない。ここからが彼女の並々ならぬ力量を示すものだ。

 結論から言えば、桐洵は周囲の侮りを利用し、布の反楓派と子遂を繋げさせる事に成功した。

 子遂は油断ならぬ相手。楓が子遂に対して何らの措置も取れず、自治を許し続けてきた事からもその力量

が知れる。

 彼はその状況を維持するに飽き足らず、国力と軍事力を増してすらいる。国土を増す事はまず不可能だか

ら、楓流同様技術の革新に目をつけ、独自の工夫を加える事でそれまで開墾できなかった土地を切り拓き。

交易を盛んにして様々な物を得、今までできなかった事業を展開、成長させてきた。

 勿論南蛮貿易にも関わっている。運輸商とも深い繋がりがあるとか。

 封じ込めて尚成長を続ける。脅威を感じるに充分な理由だ。

 だがしかし、国家として成長すればその分仕事が増える。大きな国ではないと言っても、その全てを子遂

一人で賄う事は不可能だ。商業を奨励し、商人達を招き入れた事で繋がりも深くなり、その意志を無視でき

なくなっている、という面もある。

 それに権威が大きくなれば、取って代わろうと画策する者達が増えてくる。子遂自身もそれだったのだか

ら、その辺りの事は誰よりも解っている。だから人に心を許す事なく権力を独占してきたのだが、その体制

にもひびが入り始めている。

 桐洵はそれを利用したのだ。

 緩みが出たとはいえ、子遂自身をどうこうする事は難しい。追い詰めれば思い切った行動に出させてしま

う可能性もある。

 だが彼の臣下となれば話は別だ。そもそも子遂の臣下となった者は元孫の同僚達である。子遂は上官では

あったが、王ではない。孫臣という点では皆同格だった。しかし彼らは孫から離反する時に、子遂を王とす

る道を選ぶしかなかった。

 子遂もはそういう人物を部下として選び、連れていたのだ。いずれ独立する為に。

 とはいえ、人と人の関係は恒久不変ではない。状況が変われば事情も変わってくる。子遂は上手く対応

していたようだが、それにも限界がある。そこに付け込む隙があったのだ。

 桐洵は布を二派に分けた後、反楓派を刺激するような態度をそれとなく取り続けた。一度に変えるような

事はせず、派手な行動も慎んだが、いつも最後は親楓派のみを優遇するような態度を取った。それは当然に

思える行動であるから、誰の目にも自然に映る。伊推がやんわりと注意していたが、それも軽く受け流し、

聞く耳を持たない。

 その一つ一つは軽く、人を激昂させるに至らないものであったが、しつこく見せられては堪らない。ただ

でさえ不満を抱く反楓派を燃え上がらせるには充分だった。

 桐洵がいつもぎりぎりの所で上手く譲る事も不満を助長させる効果しかない。反楓派からすれば、最後の

最後にふっと手を引かれてしまうかのようで、怒りの持って行き場所を失ってしまうのだ。いくら仲間内で

彼女を罵りあったとて、晴れるものではない。むしろ言えば言うだけ苛立ちが募る。

 そんな事が数ヶ月も続くと、いつ爆発してもおかしくないくらいにまでなっていた。

 心配する伊推が気をつけるよう進言するのだが、桐洵はいつもそれを軽くいなす。

 そして挑発するように。

「それでも彼らは楓に従ってきたのです。今までもそうだったのですから、これからもそうあるべきでしょ

う。これ以上温情を与える事は、楓の名誉を傷つける事になります」

 などと公的に述べたりもし。時には。

「楓の事は楓臣である私にしか解らない事があるのです」

 などと伊推を煙たがるような態度さえ示した。

 それでも伊推は我慢強く諌めたが、いつもの苦言と軽くいなし、桐洵は態度を改めない。それどころか、

ますます反楓派に厳しく当たるようになった。伊推への当て付けであるかのように。

 伊推は楓流との約束だからと我慢し、態度を改めるよう進言を続けたのだが。桐洵は何かと理由を付けて

会う事すら避けるようになっていった。

 こうなれば伊推も黙っていられない。激しい気性に耐えられなくなったのか、無断で反楓派に対して温情

を見せる措置を採ってしまった。具体的に言うなら、人事権を勝手に用い、重要な官職を入れ替えてしまっ

たのである。

 桐洵がこれをそのままにしておける訳がない。伊推をただちに捕らえ、牢に入れる事はなかったものの、

全ての権利を剥奪(はくだつ)して蟄居謹慎(ちっきょきんしん)申し付けた。

 伊推も覚悟していたのだろう。素直に応じ。それ以後も桐洵の味方として同胞の苛立つ声を制するような

行動を取り続けた。

 しかし桐洵の方はといえば、その好意すら煩(わずら)わしいかのように振舞う。天水の同胞達は益々憤

り、終には集って直ちに伊推を開放するよう迫った。だが桐洵はその声を聞く所か、彼らにも蟄居謹慎を命

じ、従わない者には武力をもって圧した。

 慌てて伊推が全ての責は自分が負うと言って単身乗り込み、取り消すよう願ったが、桐洵は聞かない。こ

こに到っては楓流も黙っておれず、伊推らを全て開放し、元の役職に付けるよう命じ、反乱が起きる事だけ

は防いだが、彼らの心には拭えぬものが残る。

 伊推はそれでも桐洵を弁護する姿勢を崩さず、楓流にも彼女をこのまま置いてくれるよう頼んだが、それ

も彼らを刺激するだけであった。

 確かに年齢は若く、何よりも女である。楓流との事もあるし、なるべくなら争いたくはない。しかしこれ

ではまるで奴隷ではないか。こうまで好きにさせておく理由がどこにあろう。

 天水は次第に非協力的になり、時には桐洵を無視するような態度を示す事もあった。

 桐洵もこうなればさすがに反省し、その態度を当初の緩やかなものに戻したが、一度焚き付けられた火は

簡単に消す事ができない。恩は忘れても、恨みは忘れぬもの。

 このような事態を秦が見逃す訳が無い。内々に布と天水に接触を図り、更には子遂にまで手を伸ばし、中

諸国の情勢を一気に覆(くつがえ)さんと企んだ。

 布と天水の方は乗ってきたが、さすがに伊推と子遂は乗らない。伊推は桐洵を擁護する姿勢を崩さないし、

子遂は誰よりも用心深い。どんなに美味しい餌が目の前にあろうと、誰かがそれを食べて安全を確認するま

では決して手を出さないような男だ。

 しかし布と天水はもう引くに引けぬ場所まできている。伊推が何とか止めようとするが、それも今となっ

ては逆効果。とうとう同胞に捕らえられ、余計な事を知らせぬようにと軟禁されてしまった。

 桐洵は間者からその報を聞くや直ちに兵を集め、武力には武力を持って圧そうとする。

 そうなれば天水一帯の民達も黙っていない。次々に蜂起し、軍に居た者も四半数は野に降って蜂起に参加

した。

 当然、布の反楓勢力も一斉に決起する。

 彼らだけでは布の正規軍に敵わないから、天水へ移動し、蜂起に参加した。

 子遂はこれを見ても尚動かなかったが(当然軍勢の準備を整えてはいたが)、臣下達は別だ。彼らはこれ

を好機と捉え、上手くすれば布、天水を味方にし、子遂を越える権威を手に入れられるかもしれない、と考

えた。

 秦の後ろ盾を得られるなら、楓衛も恐れるに値しない。子遂に倣(なら)ってその間で上手く立ち回る事

もできるだろう。

 どちらにせよ、損は無い。楓流と趙深が居れば別だが、桐洵など相手にもならない。ここが好機と臣下達

は独自に動き始める。それも一人や二人ではない。

 彼らも楚の民臣と同じ、いやそれ以上の閉塞感を感じていたのだ。

 子遂自身はそれを解った上で様々な策を立ててこらえていたが、臣下達に同じ事をしろというのは無理な

話。そんな判断能力があるのなら、子遂の臣下になっていない。

 結局流されるしかないから、彼らは今子遂と共に居るのだ。しかしその事が今子遂の首を絞めている。

 彼らは子遂の意向を無視し、敢えて逆らうように動いていく。一度流れ出せば、もうそれを止める事はで

きない。子遂は損害を最低限にするべく努力したが、それを完遂できる支配力はすでに残ってはいなかった。

 そして多くの反楓派が天水に集まり、一大軍隊となって桐洵軍を滅ぼすべく移動し始める。

 だがその動きを主導していた者が全て天水の者達であった事に気付いた者はどれくらい居ただろう。天水

の蜂起を起点として今回の流れが生じたのだから、その中心に天水の者達が居るのは当然の事。多くの者は

疑う事すらしなかったのだろう。

 反楓派は確かに数を増していたが、それは巧みに分散させられていた。そして戦えば不利な位置へと動か

されて行く。全ての部隊はいつの間にか孤立していた。

 それに疑問を抱いた者も居ただろうが、はっきりとしたものでは無かっただろう。この状況も作戦の過渡

期と考えれば納得できない事もないし。進軍速度を緩めている事も、数が集まるのを待つ為と考えれば不可

解ではない。

 そして流されて行く。

 その頃には桐洵軍と互角以上に戦えるだけの数が集まっていたようだ。天水軍を当てにしていたのか、彼

女の手勢は多くなかった。だからこそ天水の蜂起を防ぐ事ができなかったのであり、天水軍が協力しなけれ

ば布や子遂に威を示す事もできない。

 不安があるとすれば布の親楓派だが、彼らも国家の存亡を賭けてまで桐洵を救う意志は無い。そもそも桐

洵のせいで乱が起きたのだ。個人的に恨んでもいよう。それに反楓派も全て天水に移動した訳ではなく、政

治的な駆け引きの為、残った者達が居る。

 まず軍は出せない。

 反楓勢力は自身の勝利を確信した。楓流か趙深が手を打ってくるとしても、その時にはすでに天水は落ち

ている。

 天は反楓派に微笑んだかのように見えた。

 しかし反楓派が天水に満ち、桐洵軍を包囲し、その包囲が完成したと見られた時、それは起こった。

 突如天水軍の多くが寝返り、将が次々に捕らえられ、兵達も何がなんだか解らない内に片付けられてしま

ったのである。多くは抗えもせず各個撃破され、抵抗した者達も桐洵軍にあっさり討伐されてしまった。

 あまりにも呆気ない結末で、秦や子遂も対処が遅れ、何する事もできなかったようだ。

 子遂も臣下を失えば様々な事を縮小せざるを得なくなる。生きて戻ってきた者も居たらしいが、一度裏切

った者を重用する事などできる筈もなく、人事を一新するまで外の事に構っていられなくなった。

 こうして布の反楓派、子遂共に力を削がれ。秦もまた工作に費やした莫大な時間と費用を無駄にする事に

なった。

 逆に桐洵はその名を高め、周辺国家からの敬意(多分に恐れだが)を勝ち取っている。

 近衛そのものの名声も高まり、仕事をやりやすくなった。

 楓流もその手並みに感心し、内々に褒美を与えている。その内容は解らないが、心を配ったものであった

だろう事が察せられる。



 中諸国の不安が消えた訳ではないが、これで幾らかの余裕が生まれ、桐洵には他に目を移す余裕が生まれ

た。勿論、人事を戻し、安定させる事も忘れない。先の成功で天水からの信頼を得る事にも成功したし、彼

女を危ぶむ噂も聞かなくなった。従順な、とまでは言わずとも、相応に仕えてくれるだろう。

 布と子遂に釘を刺す事も忘れない。特に子遂に対しては強く出ている。その意図は明らかだから、これを

布石としてまた何か手を考えているのだろうか。或いはそう考えさせる事で子遂の行動を制限させたいのか

もしれない。

 現に子遂は桐洵に過敏になっており、先の失態を恨みつつその言動を恐れている。今まで順調だった分、

過剰に反応していると考えられる。

 他の中諸国、狄、梁には今の所不穏な動きは無いようだ。様子見なのか、そもそもその意志が無いのか解

らないが。警戒しておいて損はない。

 蜀にも今の所目立った動きは見えない。秦の手が伸びていないはずはないのだが、沈黙を守っている。集

縁に近い事もあり、簡単には動けないという事か。

 桐洵はこれらの国々も一切信用していない。仮想敵国、もしくはそれに順ずるものとして扱っている。だ

から自然その口調は厳しいものになるし、それに対して不満を持つ者も少なくないだろう。しかしそれも計

算の内である。

 秦も今は準備段階にあり、決戦を挑みたいとは考えていない。だからこそ天水の乱に乗じようと乗ってき

たのであるし、戦よりも外交で楓内部を崩し、後に来る決戦を優位にしたいと考えている。

 それを思えば、いくら中諸国を刺激しようと戦火が秦にまで及ぶ事は考えられない。なら敢えて刺激する

事で膿(うみ)を出しておくのも悪くない手であるかもしれない。

 その為にも彼女は自分の偶像を作ろうとしているのか。自分はこういう人間だと思い込ませる事で、相手

の思考を読みやすくしている。

 このように桐洵は自分の役割を理解し、それを遂行する為にあらゆる努力を惜しまない。天水との仲も深

まった事であるし、今後その力は大陸全土に大きく影響を与える事になるだろう。

 子遂や布だけでなく、各国家の目が彼女に集まっている。



 その頃、北方では紀陸(キロク)が動きつつあった。

 彼は天軍の乱にて大功を挙げ、天下にその名を知られるようになった。双が領土を護れたのも全てとは言

わぬでも多くは彼のおかげであり、それが褒美という形で報いられない事もまた同情を誘う。

 この紀陸に双近辺の一切を任す訳だが。さすがに今の紀国の領地では動かせる兵が少なく、発言力も高が

知れている。

 発言力を単純に言い換えれば武力の大きさである。名だけではなく、もっと現実的な力を手にしなければ

ならない。

 とはいえ、紀国は双本国と領を接する。領土拡大を申し出ようものなら重臣達に警戒され、事ある毎に要

らぬ口を挟まれる事になる。それではとてもやっていけない。ここは重臣達に余計な刺激を与えないよう、

彼らにとって価値の無いものを使うしかない。

 そこで紀陸は元金劉陶の領土の刺史(しし)を拝命できるよう願った。刺史とは地方監察官の事で、平た

く言えば警察長官である。双重臣の代わりに治め、実質その地を支配してしまおうという算段だ。

 これは上手く行った。自分から一番面倒な仕事を請け負うというのだから、重臣達が喜ばぬはずがない。

彼らは気を良くし、北定刺史などという意味の無い官職を新たに創設して与え、その意に報いてやろうと考

えた。

 官位を与えれば虎も尻尾を振って寄って来る、と考えているのだからたわい無いものだ。

 紀陸はありがたく拝命し、自国をほぼ空にして全軍を率い元金劉陶へ向かった。

 重臣達に余計な疑惑を抱かせない為である。紀陸が双朝廷を離れれば、秦などが得たりとばかりに要らぬ

事を吹き込むかもしれない。しかし自国を空にしておけば、紀陸が敵意を持っているとは思わないだろう。

 もし重臣達が無用な不安を抱いたとしても、ここまでしておけば双王が何とでもしてくれる。

 今回だけでなく、双王は今までもそれとなく口添えしてくれていた。紀が楓に属している事を理解してい

るからだ。初めは何故そこまで楓に肩入れするのかと訝(いぶか)しがった事もあったが、双という国を理

解するに従い、結局誰かに頼らねば変えられない事を知った。双の王がいかに聡明であれ、そんなものは双

にとって何ら意味の無い事。

 だからこそ双王は絶対に楓を、いや楓流を裏切らない。今ではその事を一片も疑わない。

「我らは同志なのだ」

 弱小国の王と強大国の王、身分にはっきりとした差があっても、不思議とそう実感できる。双王程ではな

いにせよ、紀陸もまた独りでは立てなかった。彼にも絶対に楓流、そして趙深という人物が必要なのだ。

 その点で誰よりも共通する二人の王は、ある意味で楓流との繋がり以上に強い結び付きを持っている。

「今こそ多年の恩に報いる時。国一国の命の恩。全ての力を尽くしても、必ずや報いてみせる。でなければ、

私に生きる意味、価値など無いのだから」

 紀陸は決意固く任地へ赴(おもむ)く。

 その目には光より強い炎が宿っていた。




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